【社会公共事業】
保健・医療B〔社会事業〕

2022年2月25日作成

渋沢栄一は、救世軍のブース大将来日の際建議された救世軍病院建設を支援しました。のちブース大将が亡くなると記念事業として計画された結核療養所の建設にも寄付金募集を行うなど尽力しました。泉橋慈善病院では評議員会副会長、会長や同院賛助婦人会の顧問となりました。また聖路加国際病院院長トイスラーから大阪聖バルナバ病院経営の援助を乞われ助力しました。

変遷図

※図に記載している名称や変遷等は、予告なく修正・変更および他の図へ移転する場合があります。

会社名・団体名一覧

は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。

会社名・団体名 名称使用年 渋沢栄一の関わり
救世軍病院 1912~1940 建設支援、祝辞
救世団病院 1940~1942
三筋町病院 1942~1945
救世軍結核療養所 1916~1940 寄付
救世団結核療養所 1940~1942
杉並療養所 1942~1946
救世軍結核療養所 1946~1968
救世軍ブース記念病院 1968~
(財)三井慈善病院 1909~1919
(財)泉橋慈善病院 1919~1943 評議員副会長、賛助婦人会顧問、評議員会長
(財)三井厚生病院 1943~1952
(社福)三井厚生病院 1952~1970
(社福)三井記念病院 1970~
米国伝道会社施療院 1874~1883
聖バルナバ病院 1883~1941 援助
(財)聖バルナバ病院 1941~1943
(財)大阪大東亜病院 1943~1945
(財)聖バルナバ病院 1945~2012
(公財)聖バルナバ病院 2012~