2019年3月29日作成 / 2022年6月30日改訂
第1次大戦後、労働争議が頻発し、労働問題の議論が盛んになりました。渋沢栄一は内務大臣床次竹二郎の求めもあり、財界人として民間の労資協調機関設立を計画しました。1919年には(財)協調会が発足し、栄一は発起人代表、評議員、常議員、理事、副会長として長年にわたり会の活動を推進しました。
※図に記載している名称や変遷等は、予告なく修正・変更および他の図へ移転する場合があります。
は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。
会社名・団体名 | 名称使用年 | 渋沢栄一の関わり | |
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(財)協調会 | 1919〜1946 | 発起人代表、評議員、常議員、理事、副会長 | |
(財)中央労働学園 | 1946~1949? | ||
(学)中央労働学園 | 1949?~2014 | ||
(学)大志学園 | 2014~ | ||
(財)法政大学 | 1920〜1951 | ||
(学)法政大学 | 1951〜 | ||
大原社会問題研究所 | 1919~1922 | ||
(財)大原社会問題研究所 | 1922~1949 | ||
法政大学大原社会問題研究所 | 1949〜1951 | ||
(財)法政大学大原社会問題研究所 | 1951〜1986 | ||
法政大学大原社会問題研究所 | 1986〜 |