2019年3月29日作成 / 2021年3月12日改訂
日露戦争後、日米関係の悪化が懸念される中、渋沢栄一は1916年に日米関係委員会を組織し、常務委員として関係改善に尽力しました。同会は1925年に、各国民の相互理解のため、ハワイで開催された太平洋会議への日本からの参加を支援しています。栄一はその後、日本にも組織された太平洋問題調査会で評議員会会長を務め、活動に関わりました。
※図に記載している名称や変遷等は、予告なく修正・変更および他の図へ移転する場合があります。
は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。
会社名・団体名 | 名称使用年 | 渋沢栄一の関わり | |
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日米関係委員会 | 1916〜1939 | 常務委員 | |
Pan-Pacific Y.M.C.A. Conference(汎太平洋YMCA会議) | 1921〜1924 | ||
Conference on Problems of the Pacific People(太平洋諸民族の諸問題に関する会議) | 1924〜1925 | ||
The Institute of Pacific Relatioins(太平洋問題調査会) | 1925〜1961 | 参加者選定 | |
太平洋問題研究会 | 1925〜1926 | 支援 | |
太平洋問題調査会 | 1926〜1936 | 評議員会会長 | |
太平洋問題調査会 | 1946〜1959 |