【社会公共事業】
実業教育A〔教育〕

2019年3月29日作成

森有礼の興した商業講習私塾は1875年に東京会議所の管理に移って商法講習所となり、渋沢栄一は経営委員となりました。また栄一は1881年から1883年まで東京大学文学部講師として日本財政論を講義し、更に工手学校の賛助員、大倉商業学校の設立委員なども務め、実業教育の振興に尽力しました。

変遷図

行政より実業教育Bへ一般教育Bへ

会社名・団体名一覧

は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。

会社名・団体名 名称使用年 渋沢栄一の関わり
商法講習所 1875〜1884 経営委員、委員
東京商業学校 1884〜1887 校務商議委員
高等商業学校 1887〜1902 商議委員
東京高等商業学校 1902〜1920 商議員
東京商科大学[1] 1920〜1944 廃止阻止に尽力
東京産業大学 1944〜1947
東京商科大学[2] 1947〜1949
一橋大学 1949〜2004
(国)一橋大学 2004〜
如水会 1913〜1916 命名
(社)如水会 1916〜2013 名誉社員
(一社)如水会 2013〜
東京大学 1877〜1886 文学部講師として日本財政論を講義
工手学校 1887〜1928 賛助員
工学院 1928〜1949 顧問推薦
(学)工学院大学 1949〜
大倉商業学校 1900〜1919 設立委員、協議員、監事
大倉高等商業学校 1919〜1944 祝辞、講話
大倉経済専門学校 1944〜1949
(学)東京経済大学 1949〜