2019年3月29日作成 / 2021年4月16日改訂
明治初期に金融業務を行う為替会社が東京、横浜はじめ8か所に設立されましたが、経営不振で横浜以外の為替会社は数年で解散しました。渋沢栄一は為替会社の経営にも関与をしました。また栄一は1892年の第三十三国立銀行の整理や、1908年の宮城屋貯蓄銀行の整理などを引受けました。
※図に記載している名称や変遷等は、予告なく修正・変更および他の図へ移転する場合があります。
は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。
会社名・団体名 | 名称使用年 | 渋沢栄一の関わり | |
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横浜為替会社 | 1869〜1874 | 援助? | |
東京為替会社 | 1869〜1880 | 援助? | |
第二国立銀行 | 1874〜1896 | 株主 | |
第三十三国立銀行 | 1878〜1892 | 跡引受人 | |
(株)第二銀行 | 1896〜1928 | ||
(株)宮城屋貯蓄銀行 | 1898〜1910 | 破綻整理 | |
紅葉屋 | 1900〜1910 | ||
(資)紅葉屋商会 | 1910〜1919 | ||
(名)紅葉屋銀行 | 1911〜1918 | ||
(株)神田銀行 | 1918〜1929 | 債権回収者来訪 | |
(株)紅葉屋商会 | 1919〜? | ||
(株)横浜興信銀行 | 1920〜1957 | ||
(株)横浜銀行 | 1957〜 |