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『竜門雑誌』第311号(竜門社, 1914.04)p.18

◎論語と予(其二)

青淵先生

本稿は青淵先生が大日本漢文学会の請ひにより説話せられたるものにして同会発行の漢文講義録第六号に未完の儘掲載せられたるを以て編者は長篇のものと信じて之を転載したり然るに同講義録第七号に掲ぐる所のものは左の数行に過ぎずして全く完結を告げ居るなり(編者識)

 斯の如き学者は、譬へば八ケましき玄関番のやうなもので、孔夫子には邪魔物である。こんな玄関番に頼んでは、孔夫子に面会することは出来ぬ。孔夫子は决して六カシ屋でなく案外サバケた方で、商人でも農人でも、誰にでも会つて教へて呉れる方で、孔夫子の教へは実用的の卑近の教へである。

 右の如き次第で、明治六年より今日に至るまで、四十余年の間、論語の教訓に依つて商業、興業等を務めて来たので、自分の是れまでしたことは、地下に於て孔夫子に叱られぬ積りである。孔夫子から見たらばまだ不充分の所も多からう。然し自分は己れを欺いたことは少しも無い。孔夫子の教の為めに自分の富を積むことは不充分であつたとしても、国家の富に向つて聊か微力を尽した考である。孔夫子の教と富とは一致す可きもので、仁を為せば富まないといふことは誤であつて、仁義を実行してこそ真の富が得られるのである。と堅く信じてをる。其れで私は常に論語を離さないのである。

(完)