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『竜門雑誌』第308号(竜門社, 1914.01)p.19-24

◎青年の箴

青淵先生

本篇は、昨年十一月二十三日午後一時より帝国ホテルに於て開催したる竜門社第五十回総集会の講演会に於て青淵先生が講演せられたるものなり(編者識)

 竜門社の総会が、季節の悪かつた為に室内に於て催しましたのは、是までの例に無いやうでございますけれども、其代りに雨が降りましても諸君の御迷惑のことはございませぬ、時間もございませぬ為に、私は至て簡単な意見を申述べて御免を蒙らうと思ひますが、前席に色々変つた珍らしいお話を聴き、且つ唯今鶴彦翁から、一身の健康と国家の健康とを適切なる譬喩を以て御演説がございました、其御説は私は予て伺ひ居りました為に、御演説は精しく拝聴致しませなんだけれども、御趣旨のある所は諸君と共に深く感服致したのでございます、長岡博士の空気を水にするといふ如き新しいお話の後で、鶴彦翁や私の如き古い人々が代り〳〵にお話をするのは何だか火と水のやうな相違で、古いものと新しいものが、ゴツチヤになる嫌はありますけれども、又塲合に依つては、所謂新と旧とを化合する工夫で、是も一種の化学と言ひ得るかも知れませぬ(笑)

 私の今日のお話は竜門社員中の若いお方の訓戎[訓戒]になれかしと思ふこと丈しか考へて置きませぬので、大方の諸君にお聴に入れるには却て失礼と思ふのであります、さればと云うて茲に御列席の上は耳をお塞ぎなさいと申上げる訳にもなりませぬけれども、殆んど価値の少ないことしか申上げられませぬ、凡そ人の世に立つに付て最も肝要なるものは知恵を増して行かねばならぬ、総て一身の発達、国家の公益を図るにも知識といふものがなければ進んで行くことは出来ぬけれども、併しそれ以上に人は人格と云ふものを養つて置かなくてはならぬ、所謂人格の修養、是は申すまでもなく極めて大切のことだらうと思ひます、而して此人格を修養するには常識を発達せしむるといふことが最も肝要であらうと思ふ、但し人格と云ふ定義は如何に論断せらる〻か知れませぬが稀には、少し非常識とも云ふべき英雄豪傑に、人格高崇[崇高]な人がありますから、果して人格と常識が必ず並行するものであるかどうか、知りませぬが、人が完全に役に立ち、公けにも私にも、必要にして所謂真才真智といふのは多くは常識の発達にあると言ふても誤りないと思ひます、而して其常識の発達に付て、第一に必要なるは已[己]れ〳〵の境遇に注意するにある、故に之を文字にて示さうならば「人は自己の境遇に能く注意をせねばならぬ」といふことにならうと思ひます[、]此文字は或は適当でないかも知れませぬが――私は西洋の格言などは余り知りませぬから常に東洋の経書に就てのみ例を引きますが、論語に自己の境遇に付て注意を厚うする[、]これを教へた例が或は大きい塲合小さい塲合に数多く見えるやうでございます、故に大聖人の孔子でも、やはり自己の境遇に適することを勉めた、又人に対しても其境遇に不適当なる時は必ずそれに賛同の言葉を与へぬ、一例を言へば孔子が「道が行はれぬから桴に乗つて海に浮ばう、我に従ふ者は其れ由か」と子路を促した「子路之を聞いて喜ぶ」是は孔子がちよつと意地の悪いやうなことで、自分が問を懸けたのだから、子路が喜んだらう[、]自分も等しく喜びさうなものであるが子路の喜ぶ程合が自己の境遇を能く知悉しなかつたものと見へて「由や勇を好む我に過ぎたり、材を取る所なし」と却て反対に戒めた、桴に乗つて海に浮ばうと言はれた時に、子路が喜んだのであるが若し子路が能く我境遇を顧みたならば、「さあさうでもございませうけれども、それに付ては海に浮ぶだけの材はどうしたら宜うございませう」と答へたら、孔子が始めて我意を得たりとして、それならば朝鮮へ行かうとか日本へ行かうとか言はれたかも知れぬ、又或時孔子が二三の弟子の志を言へと促した時に、最初に子路が意見を述べた、もし自己をして国を治めしむるならば忽ちの間に一国を治平たらしむることが出来ると卒爾として答へた、すると孔子は笑つた、続いて銘々志を述べて最後に曾点といふ人が瑟を鼓して居つたのを、孔子が汝も何か言はぬかと促した、然るに曾点は私の考は他の人と違ひます、と答へたら孔子は違うても宜いから志を言へと求めた時に曾点は大層意気なことを言つた「暮春には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し舞雩に風し詠じて而して帰らん」そこで「孔子喟然として歎じて曰く吾は点に与せん」弟子が去つた後に曾哲[曾晳]といふ人が孔子に尋ねて、何故最初子路の答をお笑になつたか、孔子曰く「国を為むるに礼を以てす、其言譲らず、是故に之を哂ふ」一国を治むるには第一に礼儀を重んぜねばならぬ、然るに自身が勇にいさむからでもあらうが卒爾に斯くすれば宜しうござると答へたに依つて、其言譲らず故に之を哂ふと言はれた、盖し子路が我位置を分別せぬ所を哂はれたやうに見えるのです、併ながら或時は孔子は極めて自負した如き言葉もある、例へば桓魋が孔子を殺さうとした時に門人が恐怖したら「天徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何」即ち境遇に安んじて一向平気で居られた、又或時孔子が宋に行つて帰途に大勢から囲まれて殆んど危害を受けさうになつた、此時にも門人が憂へたら孔子が曰はれるに「天の斯文を喪さんとするや後死の者此文に与るを得ざるなり、天の此文を喪さ〻゙ るや宋人其れ予を如何」といふて泰然として一身の危害を少しも憂へなかつた、又或る塲合には「大廟に入つては事毎に問ふ」、或る人これを怪みて鄹人の子は礼を知つて居ると云ふが大廟に這入ると総ての事を煩さい程尋ねる、あれでは礼を知つて居るのではなからうと云つたら孔子答へて曰く「是礼也」それが即ち礼を知つて居るのだと言はれた、誠に自身の境遇位置を能く知つて道理正しく活用するのが即ち孔子の大聖人となり得る惟一の修養法であつたやうに見えるのです、して見ると孔子の如き人でも塲合に依つて、細事たりとも常に注意を怠らぬ、それが即ち聖人になり得る所以である、故に私も諸君もお互に皆孔子の如き大聖人になると云ふことは不可能か知らぬけれども、我境遇我位置を見誤らぬだけのことが出来るならば、少くも通常人以上になり得ることは難くないだらうと思ふのです、然るに世間は是の反対に走るのです、ちよつと調子が好いと直に我境遇を忘れて分量不相応の考を出す、又或る困難の事に遭遇すると我位地を失して打萎れてしまふ、即ち幸に驕り災に哀む、兎角変つた事態に出会すると中正の心を亡失して、所謂七情の其節度に合ふことが出来ない――七情とは喜怒哀楽愛悪慾である、是は凡庸の人の常であります。

 其事に付て一の実例を茲に述べて見やうと思ふ[、]それは此間或る宣教師が私の家に来て亜米利加に居る人の、其境遇に依つて変化した有様を詳細に話されたのである、是は私が平素考へて居つたことを益々証拠立られるやうに思ふたから卑近な話ではありますけれども茲に繰り返して見やうと思ふのでございます、其牧師は大久保といふ人で出生は肥後の熊本で、長い間米国の加州に行つて居られ、此程帰朝されたに付て一日私を訪問せられて、同じ熊本人の加州フレシノと云ふ土地に移住して農業に従事して居る甲と乙、勿論二人に限つた訳ではありますまいけれども、仮に此処では甲と乙としてお話を致します、即ち一方は能く我境遇に注意したる為めに成功し、一方は其注意を怠つた為に大変に零落して終に悪徒の境遇に陥つた、此二人の善悪二進経過が誠に歴然と分るやうに其牧師から話されたのである[、]但し此甲乙二人は左まで教育もなく、位地も至て低いから深く其人に付て評論する程のものではないか知らぬが、前に申述べた如く人は其境遇に付ては深く意を留め審かにこれを考へて、而して後に行ふと云ふ覚悟がなければならぬものであると云ふことを、益々確信するのであります、即ち大久保と云ふ牧師がフレシノに於て善悪両方の友人に会つたと云ふ談話です、一人は段々と身を持くづし、遂に落魄して、今は其地方のゴロツキと云ふやうな人となつて他人に嫌はれて居る、盖し以前は决して悪い人ではなくして、其善化した人の朋友であつて、决して左様に悪漢となるべき素質を持つた人ではなかつた、故に前の友人たりし大久保氏は、これに面会してどうしてお前は左様に身を持くづしたと云ふ問に対して其人が、自己の経歴を丁寧に話された、例へば移住者が亜米利加の農業に従事するに、雇主の指揮に依つて、都合の好い所又は都合の悪い所に使はれる、葡萄畑にて労働するとしても葡萄の能く熟して居る畑もあれば、悪い畑もある、一籠摘めば幾らと云ふの賃銭でありますから、悪い塲所へ向けられた時には其摘料が至て少ない、一籠二十銭として一日十籠摘むべきものが五籠しか摘めなければ一円にしかならぬと云ふことになる、巧者の者は良い畑に廻つて余計摘むから、随て収入も多いが、不器用なるものは収入が少ない、家族もなくして人に雇はれて居るのだから相集つて衣食をする、さう云ふ人は友達からも冷遇される、食事なども後で食べさせられる、事に依ると起臥万端にも始終人から軽蔑される、仕事の十分に出来ない為に、得る所の少ないのみならず彼処へ行つても冷遇され、此処に行つても苛められると云ふやうな風で、段々に自分の身がいぢけて来る、始終其心が安泰ならぬやうになる、斯る塲合に本国から手紙が来る、其手紙にはお前が亜米利加に行くに付て旅費を造つてやつたとか、仕度をしてやつた、それは亜米利加から若干の金を送るだらうと期待したのて[で]あるが今日まで何も送らない、又は送つたけれども甚だ少ない、国元では斯の如く困難して居るにお前の働きが甚だ鈍いではないかと云うて、己れが甚く労苦に悩んで居る塲合に親若くは兄から苛察にして情愛の薄いところの来状に接する、其手紙を見るとそれこそムラ〳〵と忌々しいと云ふ邪念が起る、斯る塲合には多くは或る遊興の塲所へでも行くと酒を飲ませるとか或は婦人が待遇するとか云ふやうなことになりて、始めて快楽の心が生ずる、そこで自己の境遇、日常の丹誠をコロリと忘れて酌婦に向つて余分の金を与へると、益々待遇を能くされるから益々溺れる、終に折角貯蓄した金も皆使ひ果してしまふ、それからどうかして一儲けしたいと云ふことになると、今度は支那人の賭博塲に入りて、勢ひ其処へ身を投ぜざるを得ぬ訳になる、此に至ると最早ゴロツキの仲間となりて、他人の争闘でも見付て之を喰物にして労役以外の方法で生活しやうと云ふ念が段々長じて来る、即ち己れの境遇が段々悪い方にのみ進んで、悪い境遇から更に悪い境遇を造り出して日一日と悪事が進化して来る、之に反して善化して成功した人は国元から来た手紙を見ると是が妹の手紙である、両親も兄様の身の上を心配して居ります、あなたが相当の働きをして両親を安心させて下すつたなら此上の喜びはございませぬ、遠方で楽みも少なくさぞ御不自由でありませうが、身を大事にして下さい、私も学校へ行く間には始終家政の手伝をして身を粉にして働いて居ります、あなたの出世して帰つて来るのを指を折つて待つて居ります、斯う云ふ至情を籠めた手紙が来る、其手紙に深く感ずると同時に相交はる友達も能く厚遇して呉れる、どうも悪いことは出来ないと云ふので、益々善い心を以て勉強し勤倹せし余金を送つてやる、再び又温情のある手紙が来る、引続いてどうしても悪事は出来ずに段々善人となつて終に仕合せものと称されたといふて大久保氏か[が]此実際を見て来た目から亜米利加の移住民に対しては、境遇の注意から、善く誘ふと悪く誘ふと、僅かの所で毫差千里の相違が出来るから、総ての点に注意せねばならぬ、故に宗教の訓導は甚だ必要だと云はれた[、]果してそれが基督教に依つてのみ善導さるべきものか、私から申せば孔子の教でも十分に正道に導くことが出来るであらうと思ふが、其教旨は兎も角もとして今申す如く人の心と云ふものは何れにも動き易い、独り青年で無くても尚同様であらうと思ひます、此席に会同せられた諸君は斯くお互に常に相会して相磨いて居る、国を離れて他邦に移住せぬ人々には先づさう云ふことは余り無い訳であるけれども、さればと云うて人の身上には誰にても今日のやうに天気ばかりではない、雨も降れば風も吹くのである、其塲合には前に述べたやうな状態が期せずして生ずるものでありますから、人は常に其人格を高めることを心掛げ[け]ねばならぬ、人格を高くするには我境遇を顧みて、此塲合には斯う彼の塲合にはあ〻と造次にも顛沛にも、道理に適ふか適はぬかと云ふことに注意するのが甚だ肝要と思ふのであります、前席に伺ひました如き珍らしいお話でなくて、誠に古めかしい訓戒でありますけれども、青年諸子には或る塲合に於て今申したことが成程斯る時に注意を為すべきものだと云ふことが、若しも思ひ浮べられることがあつたならば、私の婆心足れりと申して宜からうと思ひます、時間がございませぬから卑近なことを簡単に申し述べて青年諸子の訓戒と致すのでございます。(拍手)

何をか真才真智と謂ふ(常識と習慣)

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