2019年3月29日作成 / 2020年7月30日改訂
日清戦争後に輸入モスリン(薄地ウール)の国内需要が急増し、国産品で対応するため1896年東京モスリン紡織が設立、渋沢栄一は株主となりました。栄一は1913年官営千住製絨所の払下げ運動をしましたが、成功しませんでした。
※図に記載している名称や変遷等は、予告なく修正・変更および他の図へ移転する場合があります。
は渋沢栄一が直接かかわった会社・団体、はその後身会社・団体を表わします。