デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

2章 幕府仕官時代
■綱文

第1巻 p.507-531(DK010040k) ページ画像

慶応三年丁卯五月十八日(1867年)

徳川昭武、万国大博覧会ヲ観ル。栄一之ニ陪ス。五月二十九日・六月二日・同月二十一日・八月三日亦同ジ。其間日本出品ニ関スル批評ヲ調査シ、水道貯水池・ボワデブロンギユ・巴里郊外等ヲ観覧、又ハ遊覧スルニ陪シ、且各国巡遊ノ準備ヲ為ス。


■資料

航西日記 巻之三・第一六―三三丁 〔明治四年〕(DK010040k-0001)
第1巻 p.507-514 ページ画像

航西日記 巻之三・第一六―三三丁 〔明治四年〕
○上略
同 (○慶応三年五月) 十八日 (西洋六月廿日) 晴。午後二時よりフランスセミラ誘引にて。博覧会を観るに陪す。荷蘭留学生等も従へり
 - 第1巻 p.508 -ページ画像 
博覧会場はセイネ河側に一箇の広敝の地にて周囲凡一里余もあるべく。元調兵場なり。其中心に形ち楕円《だゑん》《イビツナリ》にして。巨大の屋宇を結構し。門口四方より通じ。彩旗を立繞らし。内部外部と分ち。順次に道路を通じ。排徊遊覧に便ならしむ。内部は乃屋宇の内にて。東西諸州此の会に列する国々。其排列する物品の多寡に応じ。区域の広狭を量り。各部分を配当せり。仏蘭西は自国の事故最も規模を盛大にし。天造の霊妙。人工の精微。産物の豊備。学芸の高尚なる。之を世界万国に比較《ひかく》《クラベ》して愧づべからざるのみならず。以て其得意を示すに足るべき目途なれば。其場屋の半を占めたり。英吉利は其六分の一を占め。孛漏生。白耳義。南北日耳曼聯合州《ゼルマンレンゴウ》。澳斯多利《オウスタラリヤ》は。何れも其十六分の一を占め。魯西亜。米利堅。伊太里。荷蘭。瑞西《スイツル》は。三十二分の一に過ぎず。墨是可《メキシコ》。西班牙《スペイン》。都児格《トルコ》は。其半にして。葡萄呀《ホルトキス》。希臘《ギリシヤ》。丁抹《デネマルク》。埃及《エジプト》。巴社《ペルシヤ》。亜弗利加《アフリカ》等は又其半に過ぎず。我邦の区域も是等と同等にして。之を支那。邏羅両国と三箇に分ちて配置せしが。我物産の多く出でしにより遂に其半余を有つに至れり。場中排列する所のもの。凡物華天宝より。日用の雑品学芸に係る諸道具とも。自然の化育によりて成るもの。或は窮理の上より神を極め精を殫して造りし物。上は鴻荒希代の古器珍品を聚めて残す所なく。下は現世発明の新器を陳て余すことなし。各国品物の異を観ば自ら其国の風俗其人の智愚も思ひやられ。殊に東洋西洋。風気俗尚の懸隔せる凡器用服色の上に就ても略々其一端を概見すべし。都児格。埃及。亜剌比亜《アラビヤ》の如き亦其風俗を異にして。荒僻陋固の景況其物品によりても推知せられたり。瑞典。諾威の如き地球西北の一隅に僻在して。文物いまだ開化の盛なるに至らざるも亦察せらる。場中の物品排列の盛大なる既に凡例にも言へる如く普く記し尽く載る能はざれば。姑く闕如に附し。所見の大略を筆する而已
人工の精しく学芸の新なる。欧洲競ふて。著鞭の先を争ふ、故に此の会に出せる物品は何れも巧智を究め奢靡を尽し。声価を世界に博めむとす。故に蒸気機関の如き智機の霊工。意匠の惨淡看破すべき所といへども。我輩其学に達せざれば。其理を推究する能はず。雲烟過眼に看了すること遺憾といふべし。只其見る所に拠れば。亜米利加より出せる耕作器械。紡織器械は就中其尤《いう》《ケヤケキ》たるものと称すべし。英国は之に亜ぐの説あり。此の部内にて看客を台に載せ。蒸気を以て押上げ。屋上に登らしめ。屋上に散歩の路ありて。外部の台榭堂塔庭園諸場を一目に眺覧せしむ
油画は欧俗最珍重する所にて。其学科も亦盛に至り。各国より有名の肖像又は景色等を出し。其種類頗る夥しく縷挙に暇あらずといへども。其古代を模写せし多くは。宗旨に関係する事跡。又は殺傷の様体。或は絶世の佳人。有名の山水など当時誉を擅にせし大家現今名を博《ひろく》せる良工の筆跡なれば。其優劣固より評し難く。仏蘭西にて出せるセバストボールの戦争の大図の如き。其人物大さ真の人と同じく。其肖像も当時の将官を真写せしものにて。敵味方交互入乱。奮闘蹂躪する体。弾丸破裂圧死の体。大軍血戦の景状等遺すなく描画し。死屍道に横り砲烟天に漲り。其勢気動容宛然実地《アタカモ》に見る心地
 - 第1巻 p.509 -ページ画像 
して。半は壮快とし半は物凄く見ゆ。此の油絵は価貴く方丈室に掲ぐべきは。小額にても工みなるは千フランクに下らず。其上等なるは亦推察すべきなり
金銀古貨幣は羅馬・希臘・都児格最多く。形ち異常なるもの多く。又古雅にして文房の玩具に供したきもあり。亦金銀を以て製作したる物象人像或は器用に備ふるもの等夥しく排列し、其用ふる所果して何の用を為すや解すべからずといへども。昔時其国の昌盛にして物力も殷富なるを知るべく。将其国王《はた》の下民を擅制し。一己驕者の欲に充つることも又意想するに足れり。各国現に用ふる金銀貨幣の見本を聚めし処あり。我邦の大小判一分銀二朱金一朱銀も列し。欧洲其他各国円貨の中に在て。独方正を示せり。尺度量衡も各国現に用ふる所を聚めて列せり。我邦量の如き又円形中方正なるを以て特に目立たり。蓋貨幣は万国交通の本資なれば。各国其制を異にするは。四海一家の誼に於て欠典なれば。之を稠人広衆に。其異同如此なるを示し。人々をして之を同規一致に帰せしむること至便の念を生ぜしめ。遂に世界中其論を公なりとして。同意釐正するに至るを期する為め。特に其議事役も命ぜられ尚各国の論弁を俟と云ふ。服飾器玩は。巴里斯曾て精工の名を擅にする処なれば。殊に其極奢窮靡の物品。其仲間により競て出し。金銀・珠貝・宝石・玳瑁・珊瑚を用て製作せしものにて。希世の珍と称すべきもの数ふるに暇あらず。服飾に至りては時様風流日新《ハヤリ》を逐ひ毎に欧洲の魁先を占る。華奢の習俗を観るに足れり。珊瑚の製作物は。伊太里の名産にして其種類最多く出せり。又同国より出し天造物中。孔雀石の大さ合抱余にして。長さ三尺五寸許なるあり。亦奇観なりし
学術器械は。我輩其術芸に通ぜざるにより。其発明の可否を認る能はずといへども。医師道具及測量器の如き最品類多く見へ。就中人身解剖の真形を摸せし紙細工など。精工無比と覚ゆ。又越列機篤児《エレキトル》を以て図画を摸出せる器械あり。新発明なるよし。電線機の新製なるを多く出せしは。瑞西を以て第一とせり。絹布織物の巧にして。且鮮彩なるは黎昂其名高《リヨン》きに負かず。華紋織出しの精麗各色染付の艶絶なる人目を眩し。他邦の織物は醜婦の美人の側に在るが如し。又造花の工なる殆んと玄化の巧用を奪ひ。薫なきをあやしむ。凡此の場中欧洲人といへども一週日を歴るに非ざれば尋常看了する能はず。況や其学術窮理上に関係する諸物品。其理源に遡《さかのぼ》り。其所以を考究する。学識強記のものにあらざれば耐へざるべし。我輩語言通ずる能はず識見凡劣なる。加ふるに交際公務ありて。数日縦観するを得ざるにより。全く夢裡の仙遊。其光景の一斑を糢糊に記するのみ。展場の外廡は周囲各鄽を開き。諸州の名産を鬻ぐ。茶肆酒店は其国風の妝飾せし二八の美妹を撰みて。五七人宛罏に当て客を迎へしむ。亜国より出せし酒店は殊に絶色ありとて。遊客も多く湊り。澳国の酒店は其女の服飾も一種の製にて古代めきて見ゆ。其外東西各国の趣を異にせし風をもて。其国産を鬻ぐ中に。仏国人の外邦様に扮作《ふんさく》《イデタチ》し未開の風俗を摸し。奇を好む客を引き寄贏《きゑい》《オホクモフクル》を得んと欲するものあり。看客多くは其国より出せる店にて休憩す。是意情の然る
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のみならず。飲食も。亦適宜の塩梅あればなり
外部は徜徉自適《タチマハリ》なるにより。毎日日斜の運動散歩にまかせ頗る細密に遊覧するを得たり。此の部内も稍広大にして。一両日にて看了する能はず。遊園は地球上にあらゆる植物動物を萃め。博物学者の考証に備へ。討論工夫の種とし。培養樹畜の理を発明せしむ。宮殿亭榭堂塔家屋は。万国各風ありて。文質倹奢。自ら国体風俗の趣向を異にするを示し。特に智識を長ぜしむるのみならず。亦万里を咫尺の中に約して。五族相交るの誼を知らしむるといふべし
  ○遊園の部
 第一 暖室
  此の暖室は玻瓈にて屋宇を設け。蒸気を通じて之を温め。熱帯土産の花卉を其暖度に適して養ふ室なり
 第二 帝后宮内の模造
 第三 オルチヱストラの円形なる宮殿
 第四 熱帯国々に産する。文禽彩羽を聚めし場所
 第五 水上に浮生する蘋藻の類を養ふ人造の池
 第六 各国の植木を養ふ室屋
 第七 熱帯国々の奇花異草を聚めし場所
 第八 薔薇の類数多栽聯べたる場所
 第九 第五と略同じ
 第十 荷蘭古図画を置ける堂の模形
 第十一 ジヤマント (宝石の名) 細工所
  ジヤマントは其質水晶に似て光彩の更に燦然たるものなり。欧洲宝石中最貴重にして高価なるものとし。多くは指環。婦女の首飾などに嵌入すべき程のものなり。大さ寸に充るものは。曠代の至宝にして。貴豪に誇る兆とし。魯西亜帝。英国女王等の所持せるは。何れも寸余にして。之を図式にも露し。世に有名なり。此の細工所において寸余に至るは。更に認めざりし
 第十二 新案の馬車類
 第十三 荷蘭の農舎の真形
 第十四 鉄軌に関る在来及新発明の器械
 第十五 白耳義の画堂
 第十六 レヲボルト第一世半身の石像
  ○仏蘭西の部
 第十七 皇宮
 第十八 サンマリーの農舎
 第十九 創傷人を治療する病院
 第二十 兵糧を準備する場所
 第廿一 寺院梵刹
 第廿二 鉄造の灯明台
 第廿三 写真場
 第廿四 クリウソー (人名) の発明せし蒸気器械
 第廿五 消火器械
 第廿六 軍務局より出せし兵具類
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 第廿七 万国演劇
  此の万国演劇といへるは。未開国の芸人を聚めて。其国風の戯を演ぜしむ。就中亜弗利加洲中国々の遊戯は缶《ほどき》を打ち鼓を鳴して歌舞をなし。又は紐もて腹部を締め。両人左右より追々しめ上るにより。恰も捏切《ねじきる》ばかりに至り。手を延して幾度となく中返りをなし。又はシヤボテンの堅く熟し針の如き芒刺あるを馬食《ばしよく》《ウマノヤウニハム》して満口血を灑《そゝ》ぎ。或は焼き鉄の焔の真赤なるを吭め口より涎液《よだれ》を流しなどする体。見るも厭ふべく。人間の為す業とも思はれず。真に野蛮の風態。禽獣と相去る遠からざるを観るに足れり

 第廿八 円形の層室
 第廿九 歌弦ある酒楼
 第三十 滝泉を仕掛し場所
 節三十一 風車
 第三十二 端西の風に設けたる酒楼
 第三十三 工匠家屋の雛形
 第三十四 水車
 第三十五 器械にて鳴す撞鐘
 第三十六 木匠建築の雛形
  ○日耳曼 西班牙 瑞西 魯西亜之部
 第三十七 農具
 第三十八 画具を聚めたる室
 第三十九 澳斯多利彫刻細工物
 第四十  孛漏生の亭榭
 第四十一 澳斯多利の麦酒店
 第四十二 同国亭榭
 第四十三 西班牙の亭榭
 第四十四 葡萄牙の亭榭
 第四十五 諾威の殿閣
 第四十六 日耳曼の家屋
 第四十七 瑞西の画堂
 第四十八 魯西亜の厩
 第四十九 同国の村舎
  ○英吉利及東洋に在る属部
 第五十  皇子の宮殿
 第五十一 蒸気鑵の置場
 第五十二 木造の灯明台
 第五十三 軍器
 第五十四 越列機にて点火する灯明台
 第五十五 各国集議所
 第五十六 宗門礼拝堂
 第五十七 墨是可の古器を聚めたる堂
 第五十八 亜米利加の亭榭
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  ○東方諸部
 第五十九 亜弗利加チユニスの宮殿
 第六十  同国モロツコ帝の天幕
 第六十一 羅馬の寺院
 第六十二 蘇士地峡掘割の起し画図
 第六十三 支那の茶店及演戯
  此の茶店及演戯とも。仏人の目論見にて支那の形容を摸擬し。同国婦人周亜琴《インアクン》 (十八才) 念亜彩《ヌンアシン》 (十六才) 外一人名未詳。三個を置き酒を売らせ其写真をも鬻がしむ。演戯は其衣冠服色を摸して僅に其趣を備ふるのみ
 第六十四 亜弗利加の厩
 第六十五 埃及の納涼殿
 第六十六 同国の尖塔
 第六十七 同国の家屋
 第六十八 都児格の浴室
 第六十九 埃及仏閣
 第七十  他国より滞留の者宿所
 第七十一 伊太里の陶器并花崗石
 第七十二 日本の茶店
  此の茶店は全体檜造《ひのき》にて六畳敷に土間を添へ便所もありて。専ら清潔を旨とし。土間にては茶を煎じ。古味淋酒などを貯へ。需に応じ之に供す。庭中休憩の場所に牀机を設け。傍ら活人形《いき》を並据《ならべすゑ》て観覧に備へ。座敷には。かね (人名) すみ (同上) さと (同上) といへる妙年の三女子。閑雅に着坐して容観を示す。其衣服首飾の異るのみならず。東洋婦人の西洋に渡海せしは。未曾有のことなれば。西洋人の之を仔細に看んとせるもの。縁先に立塞り目鏡もて熟視す。其座敷は畳床なれば。之に上ることを許さず。故に其体に近づき逼るは得ざりしが。間断なく蟻附蝟集して。後者は容易に見るを得ざるも少からずとぞ。或良家の少婦母に伴はれ来て其衣服を借着し。竟に之を買むと請しことありと云。其物数奇なる驚くべし。此の茶店の趣は後巻の新聞紙訳に委しければ爰に略しぬ
 外部位置結構大略右の如く無税にて看するものあり。又木戸銭を取るもあり。其木戸銭凡一フランクより。半フランク位までなり
 博覧場の木戸銭は一フランクなり。多くは切手を買置見物す。一週日又は二週日通し切手もあり。価少く減ずるといふ。外国公使及此の会に列する国々の貴族に附従する官員は。皆無税なり。開場より日毎の税の上り高。凡七万フランク許宛収るといふ
 場外新に鉄軌を設け。汽車市外に周匝し。近傍村里の者往復の便を得せしめ。河には数艘の汽船往来して。看客の送迎に備へて。断る事なし。場中排列する物品。其価の幾千万にして。且貨幣にても得難き希代の珍宝等諸邦より運輸回漕して丘陵のごとくなれば。防火の用心を厳にし内部は火を禁じ地下は水を繞らし非常の備とす。此の場中蒸気機関噴泉等の為め引注せる水の量。凡十万戸の都邑。日
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用に足るべき程なりといへり
 此の会は。物品の優劣。工芸の精疎を比較考訂するのみならず。学芸上の諸科も世界の公論と日新の智識とに由《より》て。古来よりの疑団を決し。或は霊妙の新説を諮問する為。仏蘭西有名の学士芸人は勿論。各国より来集せる其科の名家を聚めて。裁判者。鑑定人とし。有象の種類より無象の原理に至り。考証格物蘊奥を尽さゞるなし。其会集屡《しばしば》ありて植物動物及黄銅の鑑定の会集には。我邦人も之に列せしものあり。此の討論批評により。博覧会褒賞の甲乙も決定せるなり其裁判人員 仏蘭西は二百五十人 荷蘭は四人 白耳義は二十五人孛漏生 日耳曼 墺斯多利は三十人宛 瑞西同盟国は十二人 西班牙は八人 葡萄呀希臘は四人宛 丁抺は三人 瑞典諾威は九人 魯西亜は十三人 伊太里は二十二人 羅馬は二人 都児格は六人 亜細亜諸部は三人 亜弗利加諸部は二人 亜米利加は十六人 英吉利は八十五人なりといふ
 此の会に同盟せる国々は アルゼリー 廬森堡《レキセンビロク》 白耳義 荷蘭 孛漏生 日耳曼諸邦 バヽリヤ 澳斯多利 西瑞 西班牙 葡萄牙 希臘 羅馬 丁抺 瑞典 諾威 伊太里 孟智世利《モンチセリー》 都児格 埃及 支那 日本 暹羅 亜弗利加 チユニス 亜米利加 ブランシ 哇希《ハアヒ》 英吉利 英領各部 東西印度 仏領各部 安南 亜領カナダ 等也
同十九日 (西洋六月二十一日) 晴。無事
同二十日 (西洋六月二十二日) 晴。無事
同廿一日 (西洋六月二十三日) 曇。朝八時仏人クレイ来る。午後二時。風船を又看る
同廿二日 (西洋六月二十四日) 曇。無事
同廿三日 (西洋六月二十五日) 晴。無事
同廿四日 (西洋六月二十六日) 晴。午後一時フロリヘラルト嚮導にて。巴里市街中の飲用水の溜を見るに陪す
此の用水溜は巴里北郊一里許にありて尤宏大なる造作なり。水源は遠く巨河の委流より堰来りて水溜に湊合《アツメ》し。器械を以て水勢を激し。各個鉄製の巨筩《ことう》《オホキナトヒ》に注ぎ地中を通じ。市中各戸の飲用。其他数種の噴水園池の用に供す。○毎戸の飲用は。都て細小なる真銅の管にて。管頭に捏子《ねぢ》ありて。之を旋らせば水自ら噴出す。別に汲取運輸の労なし。噴水石泉の類も亦同じ。蓋水溜の裏にて激噴せし水勢鉄筩を通じ。更に幾個の細管に達す。空気の漏泄するなければ。騰上の余勢尚衰へず管頭に至り捏子の開くを俟て初て噴出の勢あり。水溜の地位は頗る高敞にして。上面は平地に等しく。石或は漆喰堊土にて地中に築造せり。其形沼の如く。但沼中許多の漆喰にて築立たる巨桶ありて。水其中に入ると。直《たゞち》に螺回《メグリ》して中心より注下す。此の桶底の中央に孔ありて鉄筩に達するなり。如斯もの幾許といふを知らず。而して各個の鉄筩。埋地道を縦横に条達し。更に細小の鉄又は鉛接続して。各所の用水に引く埋地洞に入て水筩及瓦斯筩を見れば。管を細大。長短。縦横。交叉して。恰も人身の筋骨連環接続する如し。其結構の壮大工作の糖密なる驚感するに足る
 - 第1巻 p.514 -ページ画像 
同廿五日 (西洋六月二十七日) 晴。朝六時滊車にて。コンヒイン。并に有名の故城を看るに陪し。夜十時帰館
同廿六日 (西洋六月二十八日) 晴。無事


航西日記 巻之四・第一―四〇丁 〔明治四年〕(DK010040k-0002)
第1巻 p.514-526 ページ画像

航西日記 巻之四・第一―四〇丁 〔明治四年〕
慶応三丁卯年五月廿七日 (西洋千八百六十七年六月廿九日) 晴。無事
同廿八日 (西洋六月三十日) 午後。ボワテブロンへ遊歩するに陪す。此の日都児格シユルタン巴里へ到着せり
同廿九日 (西洋七月一日) 晴。午後。一時よりパレイドランヂストリイーにて博覧会褒賞あるに因て。兼て国帝より招待ありて我公使も国帝。并に各国帝王。王子后妃等と同じく是を観る。カシヨン等も陪従せり
 千八百六十七年第七月一日サレブリチヱーのヱンヂストリー宮において、博覧会褒賞の配分あり。宮中の大柱ある所にて、劇場の桟敷の如く造作し。二万人余の人を容れ易からしむ。其中間に。博覧会に出せる品物を。十種と分ちたる中に就て、重立たる者に標式を示せり。○帝座は。宮中の北辺にあり。其左右にはこの礼式の為に招請せる。諸王子。公主等の為に設けたり。帝座の前には。諸執政官議政官其他貴官列立せり。ヂブロマチツクの諸官は帝座に対せる所に、其桟敷を設けたり。○第一時半頃博覧会に品物を出せる。褒賞に預るべき人々は。各その品の種類によりて。区別せる地に座を占め。新定の特賞に預る人々は。帝座に対して列せり。○第一時四分三に。国帝及陪従の官人。次の如くチユイロリイ宮より出立し。親衛。槍隊の笛手。同コロネル。槍隊一ヱスカドロン。一ペトロン宛縦隊にて押たり。王旗の槍隊。其次ソンアルテスアンペリアールプランセスマチルダの従官。及プランスナポレヲンプランセスユロチルダの従士。六馬に駕せる第一の車には。王妃に従へる宮女両人。宮殿の奉行。王妃の側役。同第二車には。宮の侍女両人。国帝の第一等側役。同側役。同第三車には中宮の侍女一人。親衛。都指揮使。マルシヤル太子の傅。中宮附属アシユダントゼネラール。同第四車陸軍総督、側役の頭。狩人の頭。礼式長官。同五車フラセスロチタルダ。同マルチルダ。其右側に。プランスナポレオンの馬役。左側に槍隊のカピテイン前に。六人の槍士是に従へり。第六車は八馬に駕して。国帝后妃太子及プランスナポレオン其側に馬役の頭。帝家の第一等馬役。百人組の頭。砲兵の士官。帝家の馬役左側には帝家のヱートデカン。中宮の第一等。馬役。太子のヱートデカン。砲兵の士官。太子の馬役。帝家の百人組。二隊。親衛。騎兵一エスカドロン一ペロトン宛。縦隊にて之に従へり。右の同勢時計門よりチユイロリイの庭前。コンコルドの広小路サンゼリゼー通よりアンヂストリー宮に入れり。○ガルドナシヨナル及ガルドアンペリアルといへる兵隊両側に列して。警衛厳《おごそか》を極めたり。○博覧会亜総裁ミニストルデタ始。諸掛り役。是を接し。招待されたる公子公女。其外は已に各其座に就て在り。帝其座に就かんとする時。諸人皆山呼《コダマノヒビク》して其寿を祝し。千二百人の楽工。帝徳を頌せる楽を奏せり。帝二時半に
 - 第1巻 p.515 -ページ画像 
座に就きたり。右にある者は。オツトマン帝。シユルタンアブシユルアチユスカン殿下。英国太子。荷国太子。サクセンの太子。法国太子。魯国の公主。意太利第二王子。英国第二王子。プランセスマチルダ。プランストテツキ。后妃の左には。孛国太子。サクセン太子の妃。意太利太子。都児格太子メヘメツトムーラツトヱフ・アンヂー。プランセスコロチルド。意太利第二王子の妃。チユクドリフタンベルリプランスナポレオンプランスヘルマントサクセン。都児格の第二王子。アブシユルアミツト。国帝后妃の後には。都児格シユルタンの子。ユーソフイセチンヱフ・アンヂ。ソンアルテスアンペリアル。プランストクガワソンアルテスアンペリアルルシヤンミラ。プランセスミヤンミラ。ブランスジヨアキンミラ。及び妃。同プランセスジヱーミラ。同プランスナポレオンホナバルテ。プランスアシルミラ。亦其後に帝家の貴官。宮殿のアヂユダントセネラール帝家のヱートデガン。帝家の士官、及其夫人。シユルタン附の士官。外国の公子公主に附たる士官なり。○帝家の博覧会副総裁。ソンネエキセランスモツシユルルーヱ。次申状を読上けたり。曰今日の礼式に付帝側に侍し給ふ。太子の総裁し給ふべき職掌は陛下よりの委任を受け。其事務を取行ふための趣意を。聊此に説明《ときあか》し。又其為に諸人の勉強せしこと。並に此の会の模様。及成功を上陳《じやうちん》《マウシタケ》せんとす。其事に付ては。是まで種々の故障も少からず。先シヤムデマールの地に建物築立。十五ヘクタメートルの (ヘクタメートルは百メートルにて凡我三十三丈なり十五ヘクタメートルは即八百二十五間にあたる) 大廈《たいか》《オホキナカマヘ》を造築し。展陳《てんちん》《ノベツラメ》せる産物。種々を区別するに衆多の物産。及国民等の為め各其所志《コヽロザシ》を満足せしむべし。然るに其間僅に数月間のみなり。此の度の博覧会は。これを以前の物に比すれば広大なる設なるは。言語を用ひず纔《わづか》に計数の字を挙《あぐ》れば了解《れうかい》あるなるべし。○千八百五十五年の会には。建物園囿を華美にして十五ヘクタメートルなりし。同六十二年には十二ヘクタメートル半。今玆六十七年《ことし》には。并て四十ヘクタメートル余にしてその三分一は建物たり。○千八百五十五年の会に。品物を出せし人数は二万二千人六十二年には二万八千人今玆は六万人に及ぶ。且産物の量は二万八千噸《とん》に (噸は二百七十一貫目強) 下らず。如欺衆多《かく》の品物を速妙《そくみやう》にこれを陳羅《ちんら》《ノベツラネ》するを得しは。他なし此の会の為に欧洲大地に蒸気車鉄軌《てつき》《クルマノミチ》を新営し其交際を便利にせしによれり。○器械を運動するが為に設くる所の汽力は千馬力に及び。如此大業《かゝる》を僅の日月の中に為すに。幸にして其功を奏せり。就ては此の国の為には衆人の誉を博し。また国帝の褒賞に預るべしとす。○世人博覧会に付ては万国の品物を比較《クラベ》し。学術を進歩の輔けとすること驚くべし。○已前の会には図画及工作農耕具等を区別せしかども。此の度は却て是を一所に陳列せり。此の益其術を見るに足れり。博覧会の建物。其事に適当せる様に製造し。各国の産物一覧の下に瞭然と其種品を区別し。且周囲の間地を以て。器械を列する場とし。而《しか》も重大の力ある器械。各其力を逞《たくまし》うして互に妨碍《ばうがい》《サハリ》することなく。危害を生ずることなき様にこれを経営し。且是を覧るが為に小高き所を作り。衆人逼りてこれを見るとも危きことなきは。其功を建築家に帰せざるを得ず。○此の国人及外
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国人の手細工物とを見るに。其工人と器械と並馳《へいち》して物を造り出すことを看る。又。天産物を見るに。各国の政府又は各人の数寄にて取聚めたるものにて。其富を見るに足る。又園囿に遊ぶ時は。各国の俗習。これを掌下に見るべし。中庭にはセーヌ河水を引て噴水の観を設け。ヒランクールの博覧会を見れば。此の国にある耕作の具を見るべし。陛下今玆に成功を挙るとも。これを謙辞《けんじ》を用ゆることを能し給ふまじ。乍然帝家掛《しかしながら》り役々其外輔佐のものありとも。其輩のみの力にては。かくまでには至るまじ。故に臣等勤る所は。但その第二等に位するのみ。其上等は他人にあり。今爰に其謝辞《しやじ》を陳せんとす。外国の委任を受たる人々。各其国に秀抜《しうばつ》《ヒイデタル》なる人々にて。いまだ各其国の為に力を尽し。其国の工作其真を失はずして此の会に列せしは。是皆その人々の力に依れり。しかしてかゝる可驚盛挙《おどろくべきせいきよ》に及るは。又六万人の工人預《あづか》りて其功を共にせり。然れども右様其力を競《きそ》ふ内に就て。又其最者《さいしや》を選ばざるを得ず
右は此の会掛りの者は多務なるにより。是をジユリー。アントルナシヨナール (万国の際に居て広く公監を務むる者を云) に委任せり。是は各国の物産貿易等に明らかなる人の会社なり。其人等は。各其国を思ふ心なきにあらずといへども。事皆正理に基き。私の依怙《ゑこ》を以て。其務をなさず其心をもて。各国の其先を競ふ意を押へ。其煩《わづらはしき》を計らず。功を奏するに至りしこと。今日是を陛下前に謹白《きんぱく》《モウシアゲル》す。其褒賞を頒《わか》てる数即ち左の次第を以てせり
    ガランプリー(六形の金のメダイル) 六十四
    金メタイル             八百八十三
    銀メタイル             三千五百五十三
    紫銅                六千五百六十五
    褒詞                五千八百〇一
 かゝる多数の褒賞ありといへども。尚其賞すべきを遺《のこ》すもの多かるべし。此の度新に建たる公監庁にても又前同様に其力を用ひたり
 此の庁にては。其品物を吟味するのみならず。其家中の制度まで。吟味せしことなれば。事更に鄭重なりとす。此の庁にて頒与《ふんよ》《ワカチアタヘル》せしものは
    ブリー               十二
    褒詞                二十
    シターシヨン            四
 陛下その中の。秀抜なるものに誥詞《こうし》《フレテシラセル》あることを許せしにより。掛り一同其謝詞《しやし》《アヒサツ》を述ぶ。又。万国の博覧会成功につきて。各国の景況《けいきやう》《ヤウス》を爰に略説《りやくせつ》《オホムネヲトク》す。此の度の博覧会は。現今《げんこん》《タヾイマ》の人にて頌賛《せうさん》《ホムル》せられ。且後世までも称美せらるべきは。世界万国の物産。具備《ぐび》《コトコトクソナハル》せざるなき故を以てなり。欧洲各国のみならず。亜米利加・亜弗利加極東の国々まで其列に入り。亜米利加合衆国は六十二年の会には。内乱ありて物産を出すを得ず
 六十七年の会には。交際上切要の国なれば今其為に十分地を卜めたり
 亜米利加の大地及。南亜米利加の国々も。各其掛りの人々によりて。
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銘々の国光《こくくわう》《クニノヒカリ》を輝《かゞやか》せり
 オツトマン。帝国都児格及。亜弗利加の西北にある。回々教国は。その品物を送りしのみならず。シヤムデマールの真中に於て。家屋の製と。往古《ムカシ》の姿とを示すべき。家室等を造立し。大に我輩の眼目を開けり。如斯《かくのごと》きは皆其君主の自ら勉精して。此の博覧会の輔佐《たすけ》をなせし。力に頼れり。東極の国是まで我輩の万国博覧に。関係《くわんけい》《カヽリアフ》する事なかりしも。今度は其地に差遣はせし。公使。商人。教師。学士等の力にて皆其列加はれるに至れり
 巴社。支那。及日本国及其附属の国々とも。皆我輩の化によれり
 斯衆国民の好意を以て。此の一場中。各其功を競ふことは。数年来開化の進歩をまず。年表と見倣《みなら》すべし。今度新たに第十種の。一類を立。斉家。使工の道を吟味せしは。心学の進歩と見るべし。大人童子の学問。其他製家の法等に至りて。人心に益あること少からず是以前の博覧会になき所にして此の度新たに。建る所なり。右に就て。褒賞を得るものは同じ工を共にするもの。其商社。及政府等の世話行届けるを賞せるものなり。故に今玆の博覧会に於ては。新たに発明せるものゝ励みなり。力を戮する時は。大業をもなすべき理を示し。貿易の自在をあらはし。各国人民の経済の道を示し。量尺貨幣等一致せば。各国の都合となるべき筋を了解せしめ。且又各国の間に相忌相悪《あいいみあひにくむ》の念《ねん》《オモヒ》を消し相敬《あひけい》し相愛《あひあい》するの意を生ぜしめ。爰に来観するもの。此の国革命の際。大乱ありしことをば打忘れて。即今太平の楽化盛《さかん》に風俗美なるを驚くなるべし。各国君主。皇族。みな此の会に来りて。その楽を共にせるより。後来は千戈の虞なく。世界太平に帰すべきの一徴《ちやう》《シルシ》を示せり
都てかくの如きもの。皆陛下宇内の。史中一葉を添ふべく。将千八百年代《はた》の盛典なるべし
右の申状を読て後。国帝左の言葉を述べたり
 諸君此の挙は。十二年前より。已来竟に再び国を富まし。人生の和。人心を開きし人々の為に。褒賞を頒つことに及べり。古希臘《ギリシヤ》の時。競馬の挙を以て極盛《ごくせい》《サカリヲキハメ》の事の如く。昔時。詩人の是を声詩《せいし》《ウタヒモノ》に播《ほどこし》て後世に伝ふるもの多かりしに。今度の挙は。全世界の人々。各その智巧を競ふこと。開化の極致《きよくち》《ソコノイタリ》には。よしや至るあたはざるも。抑其階梯《かいてい》《アシカケ》となるに。由なしとはいふべからず。当時詩人是《そのかみ》を観ば。夫れ是を何とかいはん。大地球上《ちきう》《セカイヂウ》各部より。凡百技芸《もゝの》。智巧。機具をあらはす為め。競て此の国に聚会し。各君主にも。亦各その助力を為さんが為め爰に来臨あり。故に此の挙は形而下《けいじか》《モノヽカタチノデキテヨリ》のことゝ見るものあるべしといへども。其実は形而上《けいじじやう》《モノヽカタチノデキヌマヘ》の理に関りて。人心の一致和平を輔け。四海一家共に。太平の楽を饗くべき一端をなすものといふべし。万国の民人各こゝに聚会せるより。互に相尊崇《そんそう》《タフトミアガメ》することをしり。互に相怨怒《ウラミイカル》することを忘れ。己の国の富盛は。即他国の富盛を助くる。所謂百事《いふところひやくじ》《モロモロノコト》の道理を弁《わきま》へ。全地球上。凡有《ぼんいう》《アルトアル》の物華《ぶつくわ》《サカンナルモノ》。天宝《てんほう》《ヨノタカラ》。尽くこゝに聚観《しうくわん》《アツメミル》することなれば。今玆千八百六十七年の博覧会は。実にこれをユニウヱルセール (全世界に行れたるといふ意)と。いふて不可なかるべし
 新発明の物の側に。極古代の品も羅列し。華奢一流の物品あれば。
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又実際第一の器械あり。人間凡百の智巧。自から明白なるべし
 工作の利用において。今度ほど心を用ひたることなし。即工人の。教養。厚生。及并力。同工の趣意ありては。殊に意を注ける事なり。是を以て凡有の開化皆その首を斉ふして進む勢あり。学芸日に新たなれば。万物尽く是が役《ゑき》《ツカハシ》となりて。人智従て自在を得べし。人心日に開け。鄙吝《ひりん》《イヤシキ》の念。漸々消て。人情益厚くなり得べし。諸君欧洲各国其他の君主皆我為に。此の国に来問《らいもん》ありしこと。我が栄を為すに足るを祝せられんことを望む。且此の国の盛大。文明。百事を。諸人に示せしも。亦諸君の為に誇るに足るなるべし
 如此して。猶古の国の盛大を不見《みず》。此の国の開化を鄙しむものあらば。是却て。各己か国を愛する念なきものといふべし。此の国は近頃までは。国内も穏ならず。或は外境までも。侵擾《しんじやう》《オカシミダス》することありしが。今は既に。太平富饒にして。却て他国の開化を誘《すゝ》め。同じく文明の域にいたらしむと。其ため国人の驚くべきほどに。心を用ゆることは他の国人もこれを許す所なり。已が本国の為に。その面目を存することに。心を用ゆるとも是皆己を利し。人を害するの道にあらずといふことは。聊事理を解するものは。知る所なるべし。故に此の国に。暫時にても在留せる。外国人は。此の国人の。他国人の為に愛恕《あいじよ》《アハレミオモヒ》の念深く。尊敬《タフトミウヤマフ》の意厚きことは。了解し得べし。朕。今掛り役。鑑定の人々に対し。各その所職を尽し。勉力ありしことを爰に謝すべし。且年いだま幼冲《ようちう》《オサナキ》なるを以てせずして幸に。此の盛挙に預れる。我少子の為。並せてこゝに謝詞を述ぶ。千八百六十七年の博覧会は。万民。開化の階梯たること。朕尤期《き》する所にして。皇天幸に。其運を輔け宝祚を永久に保持し。国人を安寧にし。人心。慈愛の源を闡《ひら》き。道心。正理の捷《せう》《チカミチ》を報するに至ること。朕。敢て是に任せり。
国帝この詞を伸ぶるの間は。衆人称美するが為め往々その詞中断せしかは。人々亦これを聞んとて立上るものあり。掛り副頭領ソンヱキセランスモツシユールホルカード次の順席に依りて褒賞を受る人々を呼出せり (中略)
ガラトプリーを得るもの。其第一にあり。レシオントノール中の。最《さい》たるものシバリヱーのもの其次に立り。各種に分てる人々。各その頭領に導かれて。帝座辺に進みガラントプリー。及尋常。及最上の等《とう》にあるもの。各その賞牌《しやうはい》を得るために。帝前に上り行きけり。
其賞牌《しやうはい》《メタル》は副頭領ソンヱキセランスマレシアールウユルランより兼て帝に呈したる者なり。
其他の賞牌は。各部の頭領より。是を頒つべき旨帝より命ぜられて後は。新建の公監所にて。与ふるものなりき。○仏国人の。家室建築の事につき。国帝に献ずべき賞牌は恰も皇子を経て是を領掌あられし。其事了《をは》りて後。国帝后妃。及シユルタン各国公子一同。其国の部分を巡覧せる時。博覧会総裁モツシユルプレーミニストルデクによりて其名を披露せり。其間楽工の頌歌と。衆人の祝詞相響応《きやうおう》《ヒヾキアヒ》して。どよみ夥しかりし
此の礼三時四十分を以《も》て了《をわ》り。シユルタン去て後国帝も退去あり。其
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去《さる》に臨みて。一応掛りの者へよろしく沙汰あるべき様。ミニストルデタに命せられたり
右の如く各国。帝王。列班厳粛《れつぱんげんしゆく》《ツイデタヾシク》にして天下の品物。珍奇。善美を尽し役々。鑑定。批評公然と。優劣を決判し。順次を以て。褒賞を行ふ異同甲乙ある右の如し。其内我邦の褒賞。部分各々差《しな》《タガヒ》ありといへども是を略せり
六月朔日 (西洋七月二日) 晴。朝八時シベリヨン。来り商人とも。茶店の事によりて。談話せり
同二日 (西洋七月三日) 晴。午後また。博覧会を観るに陪す。博覧会。褒賞本邦へグランプリイの功牌《メダイル》を鑑定役書記官。シヤングルドア。シベリヨン同道にて来り。さし出せり
同三日 (西洋七月四日) 小雨。無事
同四日 (西洋七月五日) 曇。無事
同五日 (西洋七月六日) 晴。夕五時。町会所にて。都児格帝のため舞踏を催せしが墨是可帝《メキシコ》。殺害に遭ひしと聞て。仏帝遠慮あれば。舞踏やみぬ都乙人《ドツ》ラインラントル。交易学。政事学をもて。自薦書《じせんしよ》を出せり。仏人の僧某の姉妹にて。日本の事を著述せる書を差出せり
同六日 (西洋七月七日) 晴。無事
同七日 (西洋七月八日) 晴。荷蘭学生等。帰国せるにより来り見ゆ。仏帝の側役バロンクルテ旅行すとて。来見ゆ
同八日 (西洋七月九日) 晴。博覧会。コンシユルセネラールプレイ。モンブランの事によりて。往復の書簡の写を添て。其書簡を出せり
同九日 (西洋七月十日) 晴。無事
同十日 (西洋七月十一日) 晴。午前十一時より川舟にて。セイヌ川を逆《のぼ》り。巴里郊外に遊ぶに陪す。舟のゆく十三里程下りて。岸につき一村落に抵り。しばらく憩て。汽車にて。暮七時頃帰る
同十一日 (西洋七月十二日) 小雨。仏国ミニストルより。博覧会の謝書を呈せり。荷蘭公使館附。書記官より。書冊を呈せり
同十二日 (西洋七月十三日) 曇。無事
同十三日 (西洋七月十四日) 曇。朝七時。土人。医師シロウドウの別業《べつげふ》《シモヤシキ》を看るに陪す
同十四日 (西洋七月十五日) 晴。無事
同十五日 (西洋七月十六日) 曇。便船に因りて。各本邦へ。寄書す
同十六日 (西洋七月十七日) 曇。銃砲を試るに陪す
同十七日 (西洋七月十八日) 曇。午後一時フロリヘラルト来る。此の日博覧会につきたる。新聞を得たり
第七月十七日
博覧会中亜細亜。亜弗利加。諸国の部を。巡行せは竟に。誇詡《こく》《オゴリホコル》の私意を生せざる能はず。かかる遠距《えんこ》《カケハナレ》の国々まで。此の会に列すること。是この国の声誉《せいよ》《ホマレ》なるべし。全亜細亜中にありて。最全備し。最華盛なる産物は。無論これを日本に帰す。其産物を取聚めて。又是を法国に送りし。其品物は。小箱鏡のつきたる銀・象牙細工の小家具。青銅器《せいどうき》・磁器《じき》・玻瓈器《はりき》・日本にありては。殊に稀少《きせう》《マレ》にして。貴人の外は。所持し得ざる。卵殻《らんかく》と唱ふる。磁器銅。又は木材に鞘《さや》を製し極鍛錬《たんれん》せる刃
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を蔵《ぞう》《オサム》するもの。天然水晶にて細工せる玉。日本婦人の美麗を想望《さうぼう》《オモヒヤル》すべき様に製せる像。其他すべて欧羅巴洲。好事家《かうじか》を眩惑《げんわく》すべき諸玩物。家具とすべき蒔絵漆器。是木造の器に恰も彫刻せる如く高低を分ちて画《ゑが》けるものにて。真に価ある物なり。其漆は漆の木といへる樹液《じゆゑき》《シル》にて。三才程の樹に刀を以て刻劃し。其液エラスチツリゴム木の如く。流れ出せるを。取りて作り出せるものにして。顔料 (画具)を雑へ。各種の色を出し。是を銅板上に練りて。金銀などをも取交へ画くなり。○日本人の最愛するもの。長寿のものと見えたり。即鶴亀松の樹なり。又意匠をもて画き出せる虚形の動物を愛せり。譬ば亀の尾に濃毛を生《しやうぜ》しめ竜頭馬形《りうとうばけい》にして鹿足有怪獣《ある》など是なり。其国中に名ある富士と帆懸船《ほかけ》と魚の水中に溌溂《はつらつ》《ハネアガリ》せる様など。其最好みて描く所なり。○又烟管の奇製あるも爰に述べざるを得ず。其管は極て怪むべき形を彫 《てうろう》《エリチリバメ》せる木。または牙にて製せるものにて。是を飾れり。此の物は日本に在りては。男子の佩具中にて。最欠くべからざるものたり。蓋絹製の紐を以て是を衣服の扣鈕《ヒモツゲ》に附てこれを佩ぶ。其管は蘆管《ろ》《ヨシ》にして。其雁首は小青銅を用ふ。僅に火を保つに足る。故に是を吸ふには指頭《しとう》を以て。烟糸豆大《マメノオホキサ》に捏《でつ》して。これを管頭に盛るゆゑに。唯一吹にして熄《やま》ず。是を以て日本の烟客は往々日に百管を吸ふものあり。烟草は黄色にして都児格の産のものに似たり。是を刻むこと細糸の如く。其香。人をして悦しむべし。其上品は薩摩及長崎に産せり
同十八日 (西洋七月十九日) 雨。公使より。教師の事を国帝に頼み遣されしより。国帝陸軍ミゝストルへ命じ。陸軍士官の内を撰み教師として伝《ふ》《カシヅキ》せんとて。其次第を言ひ越されたり
同十九日 (西洋七月二十日) 曇。本邦。曲芸松井源水等来り。此の都にて。伎芸をなせり。催主。英国カビテインより招待によりて。夜之を看るに陪せり
同廿日 (西洋七月二十一日) 晴。無事
同廿一日 (西洋七月二十二日) 晴。朝十時より。又博覧会を看るに陪し。本邦商人の出せし茶店へ休憩《きうけい》《ヤスム》す。此の日ヒガロ新聞を得たり
 第七月二十二日
 日本の手品遣ひの一組。今度テヤトトルヂユフランスアムペリヤルに出張せるに。其評判は現今米利堅にある一組の最有名なるより従て其名を得たるものなるべし。然れども源水の族の独楽《こま》の芸に於ては驚くべき力なしとは。いふべからず。又魔法《まほう》《フシギ》を以て蝶を使用する。有名なるアサキチも称すべしとす。又亀吉。小竜。タラキチも又頗る感ずべし。今謂らく渠輩の場に上るは。大君の軍を御すと同じく兵を練る士官は余りに。多弁なるを好まず。我輩。議事官に在るにあらざればなり。又用意遅緩にして。人に不快を抱かしむることなくば。一箇のよき見物なるべし。又独楽を廻す坐低き所にありて。衆人僅にこれを見るを得。又は見るを能《あたは》ざる程なれば。是を一害とす。○法国人は物に堪ゆることなく。又外国人を敬することなき性質なれば。其伎を誉むるものなきにあらざれども。亦これ辱しめて閉口せしむるに過《まさ》れり。男子婦人小児輩の一組一列に羅坐して。前面にある其国の人々に向ひ礼をなせり。其時。アサキチの口上は衆人に対
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せるにや。又神明を祝せるにや。我輩固より其語を解せず。且縦ひ是を学ぶとも深く其曲折を尽す能はざるべし。○手品の仕方はいかにも奇麗なりしが。其為す所衆人の目に触るる様なり。是更に狭き座敷に於て是を旋《めぐら》すに適すべし。○アサキチ盃中に水を盛り。是を倒し。其下に敷ける白紙の中より画たる紙を引出せし業は。工なりといへども。是を見るもの少かりし。○紙の紐二重箱の伎は未熟といふべし。衆人側にある撒《ま》きちらし紙に属目せる間に。傘中に於て虎の形に変じ。其態を学びしは小児を怖すには。事足るべし。○独楽の伎は人の意量の外に出づ。空中に擲ち。これを竹竿の頭に受取り。直上の縄扇の紙の縁《ふち》。及刃の上に渡らしむる事。且村舎の景色。即橋梁。道途。社寺等に独楽の歴訪する様をなすなど。頗る新奇にして驚くべしといへども。口上もなく。音楽もなく。且駿速にこれをなすべし。爾時其村舎《そのとき》に招待ありて。独楽中途に駐りたりしは日本人のソルフヱリー (意太利東国と戦争ありし地名) といふも可なり。○軽業の方は極て人を怕れしむ。一人足を以て舞台に倒懸し。手を以て一の両長竿を附たる三角形の物を持たり。他の日本人。手或は足を以て。其竿に容易に身を置き。又其竿をすべりて止《とま》り木に止りたり。其間凡二十分時程は半愛半怕《はんあいはんぱく》《オソレ》の両態をなしてこれを見せたり。法人《フランス》もし此の如き伎をなさば。人皆あんじてこれを見ざるべし。されども日本人なれば十分に是を恐れざるなり。我背後に在て見物せし小児其母に問ふて。渠《かれ》もし落ることあらばといひしかば。只毀損すべしと答へたり。是日本人を磁器漆器と同視せるなるべし
 曲馬。又は紙圏を蹴脱し。(紙圏を蹴脱するは曲馬中の一伎なり) 又は種々の戯劇《きげき》《キヤウゲン》などありて。衆人の心浮立たる後に。かかる静かなる芸をなすは。其折宜しからず。是を半場になす方。人意に適《てき》《カナフ》すべし
同廿二日 (西洋七月二十三日) 曇。午後一時。公使帝宮へゆく。折節葡萄呀王妃《ポルトガル》に面会せり。(何れも礼服を着す) 此の日カリナニ新聞を得たり
 第七月二十三日日本の向化
 日本人の心術行書に就て。東洋にありて。一議論起れり。先年初て日本と貿易を開《ひらき》し頃。外国人の日本習俗を論ずるものの説には。日本人は平生。心術所行といふものなく。只淫楽に耽るを事とするのみなりとせり。其訳は彼国茶肆の摸様を以て考証せり
 先年シルルーセルホールトアールコツク。日本の内部を旅行せし時茶肆の制。宜しからざるを見て。其流弊を恐れ。茶肆の外は好旅舎のなかりしもこれに泊するを嫌ひ。別に旅宿を設けらるることを請たりといへり
 又支那上海にある。曾て寧波《ニンポー》の教士として。現に東印度電信社の佐たる米人ドクトルマクゴウアン前の説を主張して。亜細亜学会の坐に於て。日本人の懶惰。淫逸にして。汚俗《をぞく》なるを以て。其性情も日に下り。其人口も年に減ずべきよしを述たり。然るに近来其説蔓延して。竟に上海に刊行せる支那文の新聞紙に載たるを以て漢字を解する日本人。支那古文字にて其駁詞を書せり
 侠勇《けつゆう》《オトコダテ》の気を具へたる日本児其挟む所の長刀にかへて。筆を以て議論することを始ることは最好む所なりといへども。其筆を用るとも。
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其殺伐の気味あることを含めるは。又驚くべしとす。其ドクトルマクゴウアンに反せる説に云。是日本の形勢を悉《つく》さず。妄りに如斯説《かゝる》をなす。若其人日本にあらば日本の少年勇壮の輩。皆兵器を携へて是を撃んと計るべしといへり。然るに双方とも仔細に其理を説に及ばざりしは。遺憾なり。マクゴウアンの説は国内の人口欧洲人の考る所の其実は浮たり。其実は僅に千六百万に過ず。古は頗る多かりしが今は稍々減少せんとす。其故は其俗の淫縦なるによるといへることを述たるのみなり。是に反して日本人の自ら述る所にて千六百万はさて置。五千万に幾《ちか》く。其他殖する所計るべからずと。ドクトルマルゴウアンの説も全く偽にあるまじと雖とも。日本の男子は身体強壮にして。能其事を勤め。其婦女は病なく血気美なりとの事は凡其地に選するもの皆説く所なり。ドクトルマクゴウアンの説は。全く是に反せり。近来日本人。西洋の発明を仮用ゆることに於て力を尽し。其知能。事実に見るるを見るに既に千八百五十九年。港を開けるより以来。日本政府及大名等にて買来せし。欧洲風の船八十艘。蒸汽船其数多あり。且其蒸汽船上には士官。水夫とも。全く日本人のみにして能く之を使用せり。或諸侯のみにても軍務貿易の為め。十七艘の蒸汽船を買入たり。政府にては。今現に買入たるのみにては未だ足らずとし。更に欧洲及米利堅へモニトル及装鉄船の数多を誂たり。今まで買入たる船の価。墨是可トルラル七百五十万余即大凡百二十万ポントステルリング計を費したり。是に因てこれを観れば。日本は近く衰弱すべき人種には非ず。曾て航海を好める時は。支那及無来由の海岸。加之遠《しかのみならず》く印度海太平洋を越す。米利堅の西岸までも達せし古俗に復し。再び盛んなるべきを徴せり。又日本人長崎に於て。其蒸汽船を修復すべき為め。大費を厭《いと》わず工作場を築造せり
同廿三日 (西洋七月二十四日) 雨。無事
同廿四日 (西洋七月二十五日) 曇。無事
同廿五日 (西洋七月二十六日) 雨。試砲あり
同廿六日 (西洋七月二十七日) 霽。無事
同廿七日 (西洋七月二十八日) 晴。英人附添て。本邦芸人等。来る
同廿八目 (西洋七月二十九日) 晴。国帝の選挙にて。公使留学中の伝役《ふやく》《ツキソヒ》たる。コロネル。ウヒレツト。初て来る
同廿九日 (西洋七月三十日) 晴。本邦。足芸浜錠定吉。米利堅国より当都へ来り伎芸を催せり。座元ヘンクスといふものより。招待によりて。これを看に陪す
七月朔日 (西洋七月三十一日) 晴。無事
同二日 (西洋八月一日) 晴。今日より。伝者コロネル。来り相語る。夕四時同人并フロリヘラルト。クレー。ジユレーカシヨン。ウヱルベ。等へ夜饌を具す。此の日ヒガロ新聞を得たり
 第七月三十一日
 昨夜シルクナポレオンに於て伎を呈せし。新来の日本曲芸者の一組は。疑もなく政府御用を勤る者なり。アメリカンにある曲伎者は曾て寵を蒙り。今は既に黜《しりぞ》けられたるもの。新来《アラタニキニイリ》のものに抵抗せんとす
 - 第1巻 p.523 -ページ画像 
るが如し
 新来の一組は。先に来れる者よりは。更に巧に且身体の自由なること殊に優《まさ》れり。此の曲芸師の日本政府御用を勤るその証《しるし》は。当時巴里に在留する公使見物の席にて吝惜《りんしやく》《オシム》の色なく。二千五百フランクの金を賜りしにて明らかなりといふべし
 リユリポウといへる国帝。其執政を選むに。長き棒を建て人をしてこれに攀らしめたりとの古き説あり。もし其人をして昨夜此シルクにあらしめば。直に此の経世学者 (曲伎者をいふ) を挙て是を執政の長となすべし。併リユリポウ国にてかくまで是を登庸することも只其伎芸の巧みなると。平準を能くすると物に怖るることなき徳を称するのみにて。いまだ足ずとす。其職を尽すに泰然たる様も最称すべきなるべし。我輩即欧洲の曲伎者は其伎芸を務るため。金銀などにて装ふ事多し。然るに日本人は只汽車轍路の番人の如き衣服を着したれども。有名のレオタルトが国政を議する時よりも更に渕穆沈重《ゑんぼくちんちう》《ソコフカクオチツキ》の姿あり。○其伎を呈する前に脊髄《せきずい》《セズイ》の地に傾くこと。バルベフリウのボペスリ国をして心酔《しんすい》《ホレホレ》せしむるに足る。○其なす処シルクアメリカンにあるに同じといへども。その所為。更に多し。我輩をして議院にあるが如き想をなさしむることすくなし。葢我輩解し得ずといへども。嘖々の語看者に厭悪《ゑんを》《イトヒニクム》を生ぜしむることなく。全く其伎をなすものを励ましむるまでに用ふるものなり。此の戯場に在りては。児童輩。尤その上乗たり。就中オーライトといへる小童最も勝れたり。其容貌頗る美麗《びれい》《ウツクシク》愛すべく。其身を独楽のごとくに廻し。素足にて撓める竹にからみたり。足を以て盥を廻らすこと。こはれ階子。又独楽《こま》の旅行オーライトの肩の上にとまる業など。最新奇の伎なり。且一つの仕ぞこなひもなく。衆人いたく是を称せり。故に其公使より賜ふ所も衆人感称する処の意に比すれば。いまだ十分とはいひがたし。此の度の博覧会によりて。諸国帝王も来会し。平和の会議楽工の。合奏。製薬者の会論ある上は世界五洲より曲伎者の会聚することなき理なし。此の度の曲戯によりては。只娯楽のみならず体術《たいじゆつ》《ワザマヘ》を以て交際の道に喩へ。平準の方は国民経済の上に用ひ。独楽《こま》を使ふ為めに長刀を抜く機合弁口の流るるが如き。議政官の様なるなど。是開化の進歩を翼《たすく》る姿ありといふべし
同三日 (西洋八月二日) 晴。朝カシヨン来て。其著述の書を戯す
同四日 (西洋八月三日) 曇。朝八時。瑞西ミニストルレレイ来る。此の日新聞を得たり
 千八百六十七年第八月二日雑報《ざつぽう》《ヘテトプルス》
  日本戯場
 殆んど一月前。二君子ありて我家に来り。其名刺《ナフダ》と一幅の紙とを出せり。我その幅を開看せしに。藍色にして中に一男子の両足を天に朝せしめたる姿を画き。その一足の上には驚くべき高竹を竪て。其竿頭に黄色の豹に類せるものある形なり。我其来賓に其図の意を問しに。両君子の一モツシユルウヱランといふ人。法語を以て。只英語解する。モツシユールマギールを引合せたり。其人は則巴里に来りて。日本の曲伎を奏する人の世話人たるよしを自から述。其曲伎
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者は必其功を成すべき見込みを以て。一宵千フランクの価を以てシルクテナポレオンの座を借切たり。尤その曲伎者。八日の内に到着すべし。但今日は一日の謬語《べうご》を正さんことを望むために来れるといへり。我因て其正すべき条を問ひしに。此の雑報中に新約基《ニウヨルク》の新報に拠《より》て。日本の曲伎者の随一なるもの趾《あし》を怪我せし由を載られたり。其事は大に実を失へり。尤其伎を為す。小童高処より落たることあれども。今は其痛む所。既に愈て其伎を奏するに妨なしといへり。爾時其持越したる黄藍一色の引札をも見たりしに。いかにも珍らしく覚たれば。即時其詞に随て雑報を改正せり。○諸新報家。日本曲伎者の来るべきを述べ。又諸方の壁上に引札を張たる折柄日本の第二の曲伎者其名を盗んで。シルクシユプランスアンペリアルに出たり。然るに竟にマキヽルウエランの世話にて。黄色の人を載たる船。海神の助けを以て此の地に来着するに及べり。○火曜日にシルクナポレオンもシルクシユプランスアンペリアルと同じく。灯を点じ看者をして。両曲伎者優劣を定むることを得るに至れり。○月曜日の朝。此のマキールウヱラン。両君より新名刺。及青色の紙上に人形を絵きたる引札を受取たり。此の両君より其夕の招待を受たり。其家に至り入口より廊下《ろうか》を過《よぎり》て明るき場所に至りて。自在に椅子を択むことを得たり。是に於て日本人の一組。舞台へ出て手をつき頭を垂《たれ》て衆人に向ひ。一礼をなせり。其人々は皆此の頂上を剃り。其髪を巧に畳み上げ。頂上に墨を以て画けるが如くに横《よこた》へたり。髪色青黒。顔色黄にして。眼中は安祥《あんしやう》《オタヤカ》。且聡明《そうめい》《カシコキ》なる相《さう》を顕はせり。鳶色にて繍《ヌイモノ》ある羽織を以て身の上部を掩ひ。衣服は濶き袖あるものを着せり。一礼畢て衆人立上りたる時。頭取とおぼしきもの短き口上を述たれとも。一語も解することを得ざりき。爾時両小童に指示《しゞ》《シメシ》して其身を輪転せしめ。他の日本人拍子木を打たり。これは其戯の勤めをなさゞる者なり。楽工はいつも舞馬を娯《たのしま》しむる為の調子にて是を勤めたり。此の伎の内。三戯尤も驚くに堪たり。第一は父の名を浜碇サダキチといへる。子息は三キチといへるもの此の内の選なり。此のサダキチの肩の上に十五フート。凡一丈五尺の長さある直竹竿を竪るに。半ミニユト間にして其長竿平準を得たるを待て。三キチ直に其上に登る。其頂上に至る時は竹竿曲繞して既に看者をして殆落んとするものと疑はしむる程なるに。其下にある父。其肩を上下して其平準を保ち。竹竿再び其平を得るに至る。其童子得意の声を発しながら。或は足のみにて其身を保ち。又手のみにても保てり。又風身の如くに身を廻転せり。第二は定吉臥褥上に仰臥し。其両足を天に向け。其足上に大階子を安置し。三キチ又其上に攀ち。十分の高さに至り。彼扇をあふき居る時。下にあるもの。階子の片方の螺旋をはづして是を去るに。彼猶その一端の頂上にありて旧に依りて扇を使ひ居たり。第三は其父は毎に仰臥して足上に一の大桶を置き。
 小童其上に登る。其仕方。人智外に出て。いかにも安祥鎮重なるがゆゑに。傾転の患なく。猶又許多の小桶をも重ね得るなり。最後に小童桶にて製せるピラント上に在るとき。其父その片足を引て。動揺せしむるとき。恰も傾崩すべき想なれども。小童自若として仏の
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如き体にて扇を使ひ居れり。其挙止いかにも寧静閑雅にして余地あり。他の人々は尽く舞台の上にありて。彼小童の声を発する毎に是に応《こた》ふ。サダキチは扇を使ひ。世話人は拍子木を打。見ることに人目を駭《おどろ》かし。此の一区の曲伎場にありて数千里外に遊ぶ想を起さしめ。金飾ある衣服を着し。王椅に坐し給ふ大君も爰に臨み給へる也と探望する情を発するに足る。隅田川松五郎すこし長過る名なれども是又日本中の驚くべき一人物たり。此の者は天井より竹竿をつるし。宛《あたか》も舞台の中間にあり。隅田川その竿の端にあり。一人其端を把《とれ》り。其竿に上りて其身を平準に保ち。急に手を放して其竿を滑下《かつか》《スベリオチル》す。其速なることは驚くべき程にして。若地に墜ることあらば其頭顱《とうろ》《アタマ》は打毀すべき位なるに。忽ち巧みに其下端に至りて止まり。数々其身《しばしば》を上下せり
 以上の曲技。皆看者に思胎を懐かしめし跡に継て。独楽まはしの松井菊次郎。一笑口を開くべき伎を呈せり。此の者妙に。一小独楽の縄をまき附け。其身を転ずるはづみに。独楽を空中に擲ち。また手に戻し。腕《うで》より肩につたはしめ。脇腹より足に及び。また再びもとの道を戻ること皆其身を転捩《てんれい》して。其独楽の游行することを得せしむるものなり。又渠その独楽を竿端に廻らしめ。又刀刅上を伝《つた》はしめなどす。其終りに独楽激してとゞまらず。日本人皆楽屋に入るといへども猶自ら舞台上にまはり居り
 右様都ての伎を見る内。拍子木の合図。何を為すためなりや知得ざれば。其事を問ふ為め舞台の後口にいたり。ウヱラン君に尋ねたりしに。知らざるよしにて。マキール君を呼び英語をもて是を問ひしに。答ふるにサタキチに問ふべしと云つゝ。日本人の座敷に聚居《しうきよ》《アツマリオル》せる処にいたり。空中に指示し種々の手真似にて。我新聞紙を記せるものなることを示したりしに。サダキチ我傍に来り。手を振りてフランスとの一語をいひ出せり。又円月の如き顔色なる小童礼をなし及両婦人は咲《ゑみ》を含みて立て礼し。其他の人々も皆種々の仕方にて一礼を伸《のべ》たり
 シルクナポレオンにある曲技者は。重立たるものなるよし。其ものは格別に身を傾けて礼を為さず。それに次く者は多く身を傾け。其下に至りては尽く身を俯したり。封建の制度ある日本の国俗はシルクの物にありとも其身分の位階を守ると見えたり
 中入りの節。日本人。食を喫する折なれば。幸ひにこれをも観たりしに。飯台の上に小菓子。及乾饅頭を盛たる大皿あり。日本の女子男子打交りて。是を食するに頗遽にせす。時々水を飲み。又乾饅頭を食ふさま。其伎備を旋すがごとく優游余地あり。其眼光黒くして。安祥怜悧の相あれども。我輩より是を美なりとは云がたし。是其身体。短小。且其手と同じく用をなす足の形頗る宜しからず。唇翻《くちひるかへ》りて面の遍乎《へんこ》なること。人種に固有《こいう》なる佼儈刻薄《かうくわいこくはく》《ワルカシコクナサケナキ》の相をあらはす故なり。やがて日本人とも菓子喫するが為に。又我輩を顧《かへり》みざるにより我輩却て其傍に安座して詳に是を見るを得たり。其短小の身材。広濶の衣袖。褐色の頭顱。真に我輩をして巴里にありて数千里外に身を置くの想をなせしむ。冬時はシベリヤのごとく寒く。又夏時は
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セネガルの如く暑き。一稀有《けう》《マレナル》の国土のことにおいて今爰に一夢想をなす
 爾時マキール君の為に提撕《ていせい》《ヒキタテ》せられて曰く。彼世話人の敲く拍子木は人に注意せしむる為の用をなすものにて。衆看者の為に敲くとのよしにて。其響は此の次に出せるものは。先のものより更に勝れたれば。殊に注目せよとの意を表する也といへる折柄。恰も其響を聞しかば。我隅田川松五郎と。松井菊次郎に。幾千歳の繁昌を祝する詞を述てもとの桟敷に戻りき
                     トンネールビヨン
  日本の家屋
 現今日本の家屋は博覧会中。珍物の随一たり。此の家はパルク (園地) の内にて。支那地所に隣りたり。初め日本よりは組立ずに持越し、此の地にて結構せり。総て日本の家屋皆かくの如しといふにはあらざれども。小商人の住家及茶肆の雛形を示せるものなり。其茶肆といへるものは。往来の傍において。過客の為め煮たる魚肉に米飯を雑へたるもの。及日本にて尤貴ぶ所の米より製作せる酒。等を饗するものなり。種々に彩色せる紙の提灯《ちようちん》を檐《のき》に遶《めぐ》らし。小池などの傍に蜒蜿《ゑんゑん》《ナガクツヽク》せり。其周囲は松の薄板を竹に取付て。頗る高き塀障となせり。格別堅牢ならざる故に。盗賊を防ぐに用をなさず。只人の見透くことを防ぐのみなるべし。入口の門を入て。尤人目を驚《おどろ》かすべきものは。四本柱につるされたる釣鐘なり。且縄をもて。一の木棍《もくこん》《マルタ》長さ一メートル半周径十五。乃至二十サンチメートルもあるべきものを水準につるし。これを鐘に撞あてて響を発せしむるものなり。日本の家屋は。総て木を以て造れるにより。火災数々《しばしば》起れるものから。如此《かくのごとき》の釣鐘は何れの場所にも是を設け置。火災起れる時はこれをしらすものなるよし也。家屋も囲塀と同じく尽く木を以て製造せり。松の薄板を竹に取付け。上は藁をもて葺たり。家は両区に分ち中に廊を設け、入口の方は飯台を設けて茶酒を客に供する為にす。奥の方には。三少婦人のおすみ。おかね。おさとといへるものあり。或は独楽のごときものを弄《もてあそ》び。又は其国体に従ひて。小管を以て烟を吹き。辛《からう》して日消せる様なり。其管は烟草一指撮《しさつ》《ヒトツマミ》に過ぎず。纔に一吹して尽るにより数度これをつぎかへて吹なり。此の家にて最見ものとするは。庭の端に一廡を設け。其国俗種々の人形を列せるなり。右は日本の貧賤なるものより。貴富の者まで各種の俗を示せるものなり。其人形を見。又は家の後ろに羅《つら》ねたる日用雑品の売物と見ば。一時間にして。些《ちつと》の苦労もなく遠く日本に旅するものといふとも可なり
同五日 (西洋八月四日) 曇。朝八時半。瑞西ミニストルロレイ来る


航西日記 巻之五・第一―四丁 〔明治四年〕(DK010040k-0003)
第1巻 p.526-528 ページ画像

航西日記 巻之五・第一―四丁 〔明治四年〕
慶応三丁卯七月六日 (西洋千八百六十七年八月五日) 晴。無事
同七日 (西洋八月六日) 曇。無事
同八日 (西洋八月七日) 曇。朝十時博覧会掛ドナ来る
 - 第1巻 p.527 -ページ画像 
同九日 (西洋八月八日) 晴。無事
同十日 (西洋八月九日) 晴。荷蘭学生本邦人并に荷蘭人ボウトエレ到着ス
同十一日 (西洋八月十日) 晴。此の日巡国従行并に留守の人を定めらる
同十二日 (西洋八月十一日) 晴。無事
同十三日 (西洋八月十二日) 晴。無事
同十四日 (西洋八月十三日) 晴。条約済の各国公使館へ引合の事あり。
同十五日 (西洋八月十四日) 晴。午時各国公使館へ尋問の使者出る。此の夜仏帝初代那破烈翁誕辰の前宵につき市街灯光盛にて。人群をなす
 此の日は先帝誕辰の当日にて仏国中の大祭日なり。四民各其職業を廃し美服盛飾にて遊息し或は知音を往来し。終日群聚して歓を尽す夜に入ば王城の前面よりアルクデトリヨンフまで両線の市街は瓦斯灯《がす》又は小提灯など多く点じ。路傍に沿ふ。瓦斯灯は更に其数を増し五色の玻璃を以て火色を彩り恰も白昼の如し。又毎歳の恒例にて其余各所に細工火の挙あり。就中アルクデトリヨンフの観火を最第一とす。夜九時頃より始め第二時過に至る青紅紫白金色銀色の火光絶間なく空中を装塡し尤壮観なり。市街には満都の人士長幼となく往来縦観して殆と立錐《りうすい》の地なきに至る。各戸の階上には其知音を集ひ盛宴を開き楼に倚て看ものも亦多し。夕方より馬車通行を遏む。益行人多くして過ちあらんことを恐てなり。大概暁に徹して止む。此の夜フロリヘラルト其宅に招待せるに陪す
同十六日 (西洋八月十五日) 晴。午前十一時。荷蘭新公使ソイレンデンーヘル来る
同十七日 (西洋八月十六日) 小雨。無事
同十八日 (西洋八月十七日) 晴。午後二時コロネルを尋問せらる。フロリヘラルトクレイ来る。シイボルト。其国許より至る。○英国ミニストル来り。来廿二日英国へ巡覧の事を言ひ遣はされしが。女王其別業へ参られ外国事務大臣にも陪従せしに因て。しばらく猶予あらんことを請ふ。尤それが為に各国へも巡回せられざらむは王にも本意なければ。各国巡歴済させられ。内端略礼にて招待いたし度由を申越されたり
同十九日 (西洋八月十八日) 晴。無事
同二十日 (西洋八月十九日) 晴。夕シイボルト英国へ発するによりて来り。告別す
同廿一日 (西洋八月二十日) 晴。無事
同廿二日 (西洋八月廿一日) 晴。此の日荷蘭公使へ問合の事あり
同廿三日 (西洋八月廿二日) 晴。無事
同廿四日 (西洋八月廿三日) 晴。無事
同廿五日 (西洋八月廿四日) 晴。此の日英国に留学せる生徒来候せり
同廿六日 (西洋八月廿五日) 晴。生徒英国へかへりぬ
同廿八日 (西洋八月廿七日) 晴。夜雷雨。此の日語学教師来りフロリヘラルトも来候す
同廿九日 (西洋八月廿八日) 晴。朝より各語学を始むシーボルト。英国より帰り来候す
八月朔日 (西洋八月廿九日) 晴。此の日。本邦より書信至る
 - 第1巻 p.528 -ページ画像 
同二日 (西洋八月三十日) 晴。遽急の事あるによりて靄山外三人帰国を命ぜられ。本草学生某も事充て。共にかへらしむ。○仏都博覧会の挙も。稍々事充て。各国の帝王も追々本国に帰りしかば。我公使は兼て期したる如く各国を巡廻せんとて。巴里斯に在留せる。瑞 (スイツル)。孛 (フロイセ)。荷 (オランダ)。白 (ベルキイ)。意 (イタリヤ)。葡 (ホルトガル)。公使へも打合の使者を出《いだし》。各国便宜に従ひ路次の都合を謀り。先端西国より回歴せんとおもひ立れたり
同三日 (西洋九月一日) 晴。フロリヘラルト来り。巡国の発軔程期を伺ふ。近日に巡歴出軔の期を定めらる。此の日人々博覧会を又覧るに陪す。午後三時帰る。夫より靄山はアベンユーデモンタンクへ行て。卯三瑞穂屋等に会し。ガレリーに至り。同僚等にも告別す
○下略


(向山隼人正) 御用留(DK010040k-0004)
第1巻 p.528 ページ画像

(向山隼人正) 御用留 (静岡県立葵文庫所蔵)
○上略
同 ○慶応三年六月 十八日 雨 七月十九日
第三時より隼人正石見守外国局え相越シヨフロハに教師之義引合有之国帝より軍事ミニストル江命令有之陸軍将官之もの相撰御保伝と被致候趣ニ付右御謝詞外国ミニストル江申伝候様申入置候事、篤太夫六三郎礼事一見之為罷出候
○中略
同 ○同年七月 三日 晴 八月二日
○中略
御旅館之義ニ付骨折相勤候趣を以て太一俊太郎文次郎愛蔵篤太夫貞一郎六三郎江金子被下候事


渋沢栄一 書翰 尾高惇忠宛 (慶応三年)八月二日(DK010040k-0005)
第1巻 p.528-529 ページ画像

渋沢栄一 書翰 尾高惇忠宛 (慶応三年)八月二日 (尾高定四郎氏所蔵)
 京地発途後は歴魚隔絶音問杳々遂に半歳余の年算を異域の塵埃に韜晦し孤島流罪一般の態を為し候、弥再後御平寧可有御座随而小生無異并而両地の平安共不労話下候仏都着以来家大人江度々書信申越、其節御伝語申上置候、実ニ西洋の開化文明ハ承及候より弥増し驚入候事共而已、真ニ天下の気運所詮人知の智り得る処ニ無之候、右ニ付而も今便愚存家大人江申越候間御覧可被下候、扨此便申上候儀ハ今般急御用ニ而仏より帰国いたし候外国調役杉浦愛蔵と申人。是迄御用中永々同居無此上親睦其為人を尽し候、実ニ稀有之懇篤家切実無二然も議論有之者ニ御座候、小生出身の際并吾兄平昔之御持論并御動作の事共申聞置候処、是非面会も仕度同人も申居候、夫ニ付奉願候ハ小生万里外永々の在住只書信而相頼候処如何いたし候哉成一郎子よりも音問相絶し、実苦念此事而已、然処右杉浦と申人ハ外国局之人ニ而時々便宜も有之候間、幸ニ好人物是非共吾兄同人江御面会被下、右等打合□下候様奉懇希候《(被カ)》、家大人江も委細申越候間御商議之上小生之微情御汲取御取斗被下度万希此事ニ御座候
一当春大坂表各国使節御逢引続両都二港御開一件大御英断之処、何か
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其後諸藩くづくづいたし候由、苦々敷事ニ御座候、当節御議論ハ如何御座候哉、愚見ハ所詮深く外国え接し其所長をも相学ひ我稗益と為より有之間敷、是則天理所依来と被存候、先年とは反復之様ニ候得共、中々此際独立関鎖抔思ひもよらぬ事と被存候、御高論伺度候
○当地物価の高き事、御国五六倍ニ御座候、然処金銀融通は誠自在を得、尤紙幣流通いたし、正金より貴く通用いたし候、当分之勢御国内而巳の物価ニ無之、外国交際之上ハ外国必適之金幣ニ為し候より物価を定候御策は有之間敷と奉存候
○文物の富、器械之精ハ兼而承及処其実を見候而ハ一段驚歎途不拾遺行者譲路抔其実際ニ御座候。将水火の運用便利なるハ如何にも驚愕全都地中総而水火道ニ而火ハガスと申形なくして燃へ、光焔尤も清明、夜ハ満面ニ照映して市街道途とも昼にことならす、水ハ総而噴水ニ而処々少さき吐水有之、其口より水を灑て塵を鎮し、人家ハ七八階、大概石ニ而築立、其座敷の壮麗は公侯の居処にも難見及、婦人の美麗なる事実に雪の如く玉の如し、尋常平凡の婦人さへも揚子西氏の魂を𩲡《(褫カ)》ひ可申、既に博覧ニ付、日本支那とも両三人宛婦人罷越、実際の比見ニ而論定り申候、何もかも唯歎息之事共而巳ニ御座候
○公子も御康健御勤学被遊候、各国御巡行も両三日間御発途之積、尚諸邦実験之上可申上候、公子ハ実ニ御怜悧ニ而末御頼母敷御方と後来の楽事此儀ニ御座候
○御渾家御平寧奉万賀候、成一郎子も其後転局候哉、同人江戸住ニ相成候ハヽ荊妻も江戸江住居為致度、家大人えも申越候、夫ニ付平九郎子小生養子之旨甚以如何敷候得共、今般仏行ニ付申上置候、依而小生之心事ハ同人同行ニ而住居帰国相待候ハヽ、聊鬱寥相慰可申懇希此事ニ御座候、宜御勘考御処置可被下候、夫ニ付而ハ御相談判《マヽ》之相手ニハ杉浦と申者一方骨折呉候間、よろしく御相談被下度、何となく御労申上恐入候得共偏ニ奉願候
○東寧も赦免相成御帰郷被成候哉、宜奉願候、治助は如何是又奉願候杉浦出立其期に迫り執筆匆々
 書不尽言尚後鴻可申上候、頓首拝
(慶応三)卯八月二日于時灯花
     如蛍夜色耿々
                       篤太夫
      藍香大兄
 尚々大慈母君御平康奉賀候、宜御鳳声奉希其他同盟諸兄えよろしく御致語奉希候
 小生も当時は語学大ニ上達いたし大低自用ハ足り申候、中々面白き物ニ御座候、文物の簡易にも驚入申候


渋沢栄一 書翰 川村恵十郎宛 (慶応三年)八月三日(DK010040k-0006)
第1巻 p.529-531 ページ画像

渋沢栄一 書翰 川村恵十郎宛 (慶応三年)八月三日 (川村久輔氏所蔵)
尚々黒川も帰府後別に相替不申候哉、御逢候ハヽ宜御伝声奉希候水島は矢張在京候哉又は帰府候哉是もよろしく奉願候
 - 第1巻 p.530 -ページ画像 
京地御分袂以後商参隔遂に半歳有余之星霜を閑消し候、辰下残炎赫々之候弥御健康御座可被成奉南山候、小生無異公子御陪従罷在候、是御省含可被下候小生も不存寄此度の行身に取候而は難有候得共、何分御案内通永々之在京其上尚又更に遠隔ニ処し候は乍愚痴心緒難堪時々故山夢想仕居候御垂憐可被下候、併此度の挙は実ニ御国の盛典進歩之根基とも相成候儀、其上妙齢の公子隔地の御留学夫え御随従努力いたし候儀聊以御為筋にも可相成儀と唯々夫而巳相楽勉励罷在候
公子の御英姿は兼而拝承之処、段々御側に接し候而は実に敬服の事共末頼母御儀《(敷脱)》と御同慶此事ニ御座候
博覧会展観も誠ニ盛大壮栄之段、凢宇内万国之物品実用虚美之器械等星並羅列毎事目を驚し候、御国の物品評判も至極よろしく已に鑑定家の品評ニ而英米利堅孛漏生其他両三国同様㝡上の功牌を請候儀一段之御国光御同慶之至ニ候
仏は欧洲中の華麗艶美に長し候との事、尤文物の富める開化の融なる事実に驚歎之至ニ候、第一水火の運用には如何にも感服仕候、当代の仏帝は五十有余ニ而先代那破列翁の姪のよし、中々政刑に長し候様子ニ御座候、併人情は兎角浮薄虚飾の風有之、純美とは難申唯々政度に鎮圧被致無事平寧に有之哉ニ被存候
公子各国御巡歴も追々遷延いし、漸本月上旬御出発と相成候、何れ各国廻歴之上新聞も可有之候間尚追々可申上候
公子も先頃より語学御初メ之処、御怜悧故か御上達も早く頃日は教師と御噺も出来いたし候、小生も御相手申上候追々進歩自分用には間ニ合候
面壁九年も学問の一術夢にも知らぬ横文も習慣の久ニ而少しは相分り候様相成候、御一笑可被下候
御帰府後は定而御栄転も被為在候《(マヽ)》何れニも御尽力御回復之処奉懇希候当春坂城各公使謁見之儀御盛典を尽し候由、幸甚此事に御座候、欧洲ニ而も大評判ニ御座候
兵庫御開市ニ付而は御所ニ而少々論説有之候よし、平寧相済候様懇希此事ニ御座候、右は匆々得御意候迄尚後鴻万々可申上候
                        頓首再拝
    八月三日
 川村恵十郎様               渋沢篤太夫

 尚々去冬中は京地ニ而御令弟御大病其後如何御座候哉御案し申上候
 御帰府候後ハ御令閨も御迎ひ枕衾之間旧苦辛の御説話も可有御座御羨敷事ニ御座候、御序ニよろしく御鳳声奉希候
 平岡庄七君先頃は御気の毒千万御逢も御座候ハヽよろしく、小田井は如何候哉是又よろしく奉懇候
 成一郎も音問杳々総而航海以後ハ御国の信は更ニ無之候流罪同様之成行御垂憐可被下候
 - 第1巻 p.531 -ページ画像 
江戸 川村恵十郎様 平寧 仏国 巴里 渋沢篤太夫


竜門雑誌 第三九〇号・第三九頁 〔大正九年一一月〕 【新聞の思出】(DK010040k-0007)
第1巻 p.531 ページ画像

竜門雑誌 第三九〇号・第三九頁 〔大正九年一一月〕

▲初見の新聞 私が初めて新聞と云ふものを知つたのは慶応三年欧洲視察に行つた時のことで、当時仏国はナポレオン三世の盛んな時代であつたが、当時巴里は世界流行の中心地であつて、有名なユーゼニー皇后が豪奢を極めて居た時なので、之れに倣つて巴里の流行界は婦人の帽子にしてもやれガリバルジー型だの、ビスマーク型だの、やれルイ何世型だのと云つた調子に、色々の流行を生み出して居たが、是等は日々の新聞紙で詳しく報道されて居ました。又其時に巴里で開かれた世界大博覧会の開会式に於て三世ナポレオンが試みた演説の如きも翌朝の新聞に報道されて、私共仏語の読めないものでも之れを翻訳さへすれば直に内容を知る事が出来ました。何でも其演説は非常に雄大なもので殆ど世界を睥睨せんかの意気を示し、其自尊心の強さ事恰も仏国が全世界の最高権威者であるかの如き感を起さしめた様に記憶して居る。斯くの如く始めて見た新聞紙と云ふものは小にしては世間万般の出来事より、大にしては国家緊要の重要問題に至る迄、一々之れを報道して世間一般に広く知らしめると云ふ誠に面白いもので、同時に非常に重宝なものであると思ひましたが、併し之れは外国で始めて存在し得るもので、日本には近き将来に之が出来やうとは思はなかつたのである。
▲新聞へ仲間入 其後始めて新聞紙に関係したのはそれより十五六年過ぎてからの事で、帰国と共に新聞の重宝を福地源一郎氏へ話して是非日本にも出来るやうにと望んで居たが却々思ふ様に行かなかつた、其後機が熟して愈々福地氏が東京日々新聞を起す事になつたから仏国で感じた所を思ひ起し、大にしては国威を世界に発揚し、小にしては諸般の是非善悪を断じ、或は種々の出来事を報道して国家社会の為に尽す処ある可きを思ひ、資金を投じて、之に仲間入りすることになつた、併しそれは余り永い間ではなかつたが、兎に角私が直接に新聞に関係した始めである。
○下略
   ○右ハ「新聞の思出」ト題スル栄一談ニシテ、大正九年十月三日ノ大阪時事新聞ニ掲載セラレタルモノヽ一節ナリ。