デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

3章 静岡藩仕官時代
■綱文

第2巻 p.184-199(DK020010k) ページ画像

明治二年己巳九月一日(1869年)

常平倉ヲ開設シ、旧商法会所用達等ニ常平倉取扱方用達肝煎及ビ用達ヲ命ズ。


■資料

雨夜譚 (渋沢栄一述) 巻之四・第二六頁(DK020010k-0001)
第2巻 p.184 ページ画像

雨夜譚 (渋沢栄一述)  巻之四・第二六頁
○上略 処で其年の五月頃、藩庁から商法会所として藩の資本で商業をするのは、朝旨に悖るから事実は兎も角も其名称を改正しろといふ内意があつて、種々の評議をした上で、常平倉といふ名称に改めました、これは大久保が漢の時代に行はれた古例を引て、命名したのであるが肥料の貸付も米穀の売買もすることであるから、真の常平といふ趣意には応じがたくして、詰り其名を替へたまでゝありました。


御書付留奥向 明治二己巳年六月ヨリ一二月迄(DK020010k-0002)
第2巻 p.184 ページ画像

御書付留奥向 明治二己巳年六月ヨリ一二月迄  (徳川公爵家所蔵)
同日○九月三日 同人 ○戸川平太 御渡
    政事庁掛江相達候書付
此度商法会所御廃止常平倉御取建相成候、尤場所之儀は静岡おゐて是迄之商法会所相用清水湊之方は出張所ニ相成候間可得其意候
    九月
右之通政事庁掛江相達候事


諸書付留 一 明治二年己巳八月廿六日ヨリ九月八日迄(DK020010k-0003)
第2巻 p.184-185 ページ画像

諸書付留 一 明治二年己巳八月廿六日ヨリ九月八日迄(徳川公爵家所蔵)
    ○
   郡政掛
 刑法
   市政掛
此度商法会所御廃止常平倉御取建ニ付而は、是迄会所おゐて取扱候市在御貸附産物元入金等常平倉ニ而為取纒候筈ニ付、其段兼而可被心得候事
                    渋沢篤太郎
 同文言
  右之通郡政掛市政掛江相達候間可被得其意候事
    ○
 - 第2巻 p.185 -ページ画像 
  勤番組之頭江
                  三等勤番組
                      前田重吉
                      黒柳徳三郎
右常平倉掛附出役可被申渡候、出役中為御手当壱ケ月重吉江金四両弐分、徳三郎江金四両充被下候間、其段も可被申渡、尤渋沢篤太郎可被談候
右両通共九月十一日平太殿御達し


常平倉御取建一件留(DK020010k-0004)
第2巻 p.185-186 ページ画像

常平倉御取建一件留             (萩原太郎次郎氏所蔵)
○上略
巳八月二十九日銘々各通ニ而篤太郎様より御書付被下、九月朔日罷出候処、各通御書付ヲ以役々被命候、且此節北村彦次郎入湯他行中ニ付代聟房次郎罷出申候
    巳八月廿九日
                       北村彦次郎
                       萩原鶴夫
                       勝間田清次郎
                       宮崎総五
                       (朱書)
                       右是迄商法会所御用達肝煎ナリ
 常平倉取扱方御用達肝煎被命之
             (朱書)
  右は一翁殿に伺之上申渡之 各通
                       野崎彦左衛門
                       野呂整太郎
                       小川太七
                       馬場惣次郎
                    (朱書)右商法会所御用達
                       米屋 弥七
                       柿屋 佐右衛門
                       小沢戸屋 伊兵衛
                    (朱書)右商法会所手付
                       望月治作
                       篠嶋屋 忠三郎
                       綿屋 甚五
                       西谷恵十郎
                       柴田屋 直三郎
                    (朱書)右商法会所御用達
                    (朱書)
                    新規 小鹿村 甚太郎
                    (朱書)
                     新規 聖一色村 寛三郎
   常平倉取扱方御用達被命之
                (朱書)
    右は一翁殿へ伺之上申渡之 各通
 (朱書)
篤太郎様より以御書付御談之趣
商法会所御廃止常平倉御取建ニ付而は、是迄会所ニおゐて取扱来候売買品御貸付金并御有高合共都而清算之上書類相添常平倉江御任相成候間、右引受方及向後取扱方等篤と取調見込無伏臓可被申聞事
    巳九月
(朱書)
同断
 - 第2巻 p.186 -ページ画像 
今般常平倉被建置候御趣意は、国内之融通宜敷生産品増加候様之儀は勿論、頻年物価騰貴致し此末歳之凶歉ニより僻遠之土地に至候而は、自然米穀其外時々抑滞闕乏之疾苦不少儀も可在之哉ニ付、将来於未萌ニ防候ため御設被成候儀ニ而、全国人と持久し尤民命之関する処に候条、一同厚相心得、固我偏執之念なく協合戮カ、漸国内富饒相成候様可被心懸候事
    巳九月


常平倉御取建一件留(DK020010k-0005)
第2巻 p.186-191 ページ画像

常平倉御取建一件留 (萩原太郎次郎氏所蔵)
    九月二日 天気雨降
 今五ツ半時一同常平倉江罷出、御仕法向評儀致候処、区々ニ而決兼候間、銘々以書取明三日朝場所江差出、其上渋沢様へ入御覧候積リヲ以夕剋退散
      三日 天気雨降
 今四ツ時一同罷出清水江尻ニ而壱通、小川米弥柿屋小沢戸屋ニ而壱通、萩原勝間田宮崎野呂野崎馬場ニ而壱通差出候処、趣意は格別不違候得共、金高之見込高昂在之、将又渋沢様思召も在之趣ニ而、明四日御同人様御書取ヲ以猶又御評議可被下候段被申聞、夕剋引取申候

 今般常平倉御取立之儀は 御藩上之利を不計専細民之助益を重とし且一時之盛大を不望、永久を重とすへき御趣旨難有奉存愚存之件左ニ奉申上候
一此度商法会所御廃止常平倉御取建ニ付而は是迄会所ニ而御遣廻云々之件
一是迄会所差加え金として出金致候云々之件、
一常平倉御場所静岡清水云々之件、
一常平倉は凶荒之際細民云々之件、
一是迄会所ニおゐて取扱来候売買品云々之件
  右五廉之分は御伺書之通り私共ニおゐても別段之異存も無御坐儀ニ奉存候事
一会所元金之分は従前諸局之仕上ケ残金云々并御拝借之紙幣御返納云云之件
  此段諸局之仕上ケ残金、常平倉江差加相成候穀数と致し、年々利穀相殖し候様可仕は、御書取之通り可然奉存候、御拝借紙幣ハ常平倉江引受、御返納方之儀は右紙幣を以米穀其外諸民必用之品々買保置、時機ニ随ひ市在至当之相場より安直ニ売払候共、益金も可有之候間、右を以年々御返納方可仕候様、愚案ニ御坐候
一取扱候御用達共之内唯商事而已相心得云々之件
  此段御管轄地之内参遠両国之儀は、従来米穀輸出之趣ニ相聞、本州之儀は仮令豊熟ニ候共、人口ニ引当、食料乏御国柄ニ付、是迄他方之入津米買受 右を以取続候義ニ付、遠三両国輸出米は時之相場を以常平倉ニおゐて買保候ニ付而は、御書取之通り御用達共之内ニ而も商事手馴候者共、聊私利を去り実直ニ買入方尽力可為仕候、且大坂兵庫湊其他向々寄引合候国々之相場較量致し、備米買
 - 第2巻 p.187 -ページ画像 
入方之儀も前同断取計度奉存候
一常平倉ニて積立相成候利穀之儀は云々之件
  此段御書取之通り、年々清算之上諸入用臨時諸普請手当金を引、其余益高之分割を以取扱候者給分ニ可被下との御儀、御尤至極ニ御坐候、乍去給料被下方之儀は、御益高之内何程可被下置哉之儀御定被成候方、一同之励ニも相成可申奉存候、将又其余相残高は元穀江差加可被遊御見込、至当之儀ニ奉存候
一私共愚存ニは、是迄商法会所之儀は、米穀は勿論諸品御取扱勿論之儀ニ御坐候へ共、今般常平倉と名義御唱替被命候上は、商業ニ不落入様、諸民必用之品々買保候事と奉存付而は、米穀塩水油綿其外御管轄不足之品々相考、専他方より買受積立置、時宜を見計売払、奸商共之私利を相防候様仕候ハヽ、細民共御救助ニ相成可申と奉存候右御書取之件ニ御答并愚存一同評議之上奉申上候、弥以御仕法向御確定相成候上は、銘々篤と相心得、且不容易儀御委任被成下候ニ付而は、御用達共之内掛り分御撰挙被成下、然ル上は申合、連月休日を定、出勤日は朝何時より夕何時と相定詰合、御用向取扱候様可仕、宜敷御沙汰被成下度奉願上候 已上
一御有金口々遣道之事
  一米弐万俵   御備米
  一同五万俵    御買保米
   合七万俵    但凡壱斗五升之見積り
    凡代金拾五万両
  一塩
    凡買入代金弐万両
    右品之儀も御管轄地其外向々寄甲信江引合付候節は、可成丈買入候積り
  一水油
    凡買入代金壱万両
  一綿
    凡代金五千両
此二廉静岡市中并近在品乏節売捌候用意、其余他向江引合付候節は、可成丈多分ニ買入候積り
  一雑穀
    凡買入代金七万両
  一肥シ物
    凡買入代金弐万両
   合金弐拾七万五千両
右は常平倉御備金凡三拾五万両程之内、前書諸品代金高ニ見積置、御用達共時々熟評之上 御差図を得買入、尤其余残金之儀は市在為融通身元慥成者拝借願出候向々江、伺之上貸付候様仕度奉存候
右利益金を以諸向入用引去り、跡紙幣御返納之内江御差加相成候様被遊候而は如何御座候哉、勿論品ニ寄貸付金之儀、御用達共之内一纏ニ引請、銘々存寄を以貸出し候歟、或は一手限りニ商事いたし度見込之族可有之も難計、一時尤之儀ニ相聞候共、往々ニ至候而は不締可生基
 - 第2巻 p.188 -ページ画像 
共奉存、何れニいたし候共、諸向当御局内詰所ニおゐて衆議之上取計候方、永続基礎と奉存候
右は萩原勝間田宮崎野呂野崎馬場六人連名見込書之事
    四日 天き雨不降候得共曇
今日町年寄触、但刑法局より被命候趣、商法会所御廃止以来常平倉御取建尤是迄之場所ニ而取扱候段布告之事
今九ツ時罷出申候、一同出会、但野崎馬場小川米弥小沢戸屋柿屋不参、其外詰合、渋沢様御見込書御下ケ渡、一同評義可致様被申候、且又渋沢様へ被仰渡書左之通
  巳九月三日 戸川平太殿御渡
                   渋沢篤太郎江
 此度商法会所御廃止、常平倉被取建候ニ付、是迄商法会所ニおゐて遣廻し取計候石高拝借紙幣之分、并会所元金積金売買品御貸付金其外共、都而取調之上渋沢篤太郎江引渡候、委細之儀は同人可被談候右之通会計掛江相達候間可被得其意候
    五日 天き吉
今九ツ時野呂萩原宮崎馬場出勤、御用無之夕剋引取申候
    六日 天き曇
今八ツ時宮崎勝間田萩原詰合、七ツ時引取申候
    八日 天き吉
今八ツ時右、同断罷出夕剋引取申候
    十三日 天き吉
今九ツ時萩原宮崎詰合候処、来ル十五日四ツ時一同詰合順達廻文御渡相成、手代新八郎より差出ス、但新八郎は上桶屋町棟梁林氏之事先達而商法会所江雇入ニ相成、毎日詰合申候
    十五日 天き吉
今四ツ時一同出勤、但野崎彦左衛門野呂整太郎差合在之不詰合候、渋沢篤太郎様左之通以御書付被申渡候
       申渡
    九月十五日
  貨幣出納方取締監察兼      北村彦次郎
                  勝間田清次郎
  監察貨幣出納方取締兼     萩原鶴夫
                 宮崎総五
  監察社倉組立方兼       小鹿村 甚太郎
  貨幣出納取締方        野崎彦左衛門
                 野呂整太郎
                 馬場惣次郎
  糴糶取扱方          小川太七
                 米屋 弥七
                 柿屋 佐兵衛
                 小沢戸屋 伊兵衛
  糴糶取扱方監察兼       望月治作
                 篠島屋 忠三郎
 - 第2巻 p.189 -ページ画像 
  糴糶取扱方          綿屋甚五
                 西谷恵十郎
                 柴田屋直三郎

  社倉組立方          聖一色村寛三郎
 右は一翁殿江伺之上申渡之
    巳九月十五日
右之通以書付被申渡其外常平倉組立仕法書夫々為見届御渡相成、明日より銘々出勤商法会所より引渡物可受取様被申候
去十二日前田重五郎様、黒柳徳三郎様両人、渋沢様手付被命候処、今日又々前田様被召出、大蔵省御用東京出勤被命之候趣
今日御渡被成候御書付、当方へ写書取置、本紙宮崎氏へ相渡置候
    十六日 天き吉
今四ツ時一同出勤、商法方諸帳面証文類請取渡相始申候、其外屋敷地不用之場所々取縮談判在之
江尻辻町綿屋伊兵衛、二月六日金壱万両、同月廿日限日歩三ノ利証文金壱万両三十日限年壱割五分利証文三月四日金五千両卅日限証文三通皆済、未タ金証文伊兵衛へ御戻し無之処、是は野呂整太郎、萩原四郎兵衛、加印在之間、両人江受取、両人判削候而序之節伊兵衛方へ差戻候積りニ而、萩原へ預り置申候、七ツ時一同退散、但シ野崎氏今日出勤無之
    十七日 天き雨ふり
今四ツ時一同出勤、諸証文引合七ツ時退散、但野崎望月不参
    十八日 天き曇り
今九ツ時常平倉江出勤、引渡書物金札其外立会取調申候
    十九日 休日
    二十日 天き吉
今四ツ時罷出申候、且野崎彦左衛門殿一向出京《(参)》ニ付ロ渋沢様江申上候処御同人より彦左衛門心得方御聞被下候積り、且北村彦次郎殿一昨夜入湯より帰宅、今日始メ而会所へ詰合、小鹿村甚太郎殿差懸り病気之趣ニ而不罷越、清水江尻御用達中十八日夕剋一先引取、昨十九日小川太七殿清水出張所罷越有米等見分致し昨夜泊り今日滞留
    二拾一日 天き吉
安倍郡中之郷村松たけ山江
三位様御越御供ニ付常平倉へ不参、尤昨日渋沢様へ申上置候事
    二拾二日 天き吉
聖上御誕辰御日抦《(柄)》ニ付諸局休日と存候事勿論ニ候、尤未タ其段常平倉より不申来候事
             (以下朱書)
    二拾三日 天き吉 今日より御用始メ
今四ツ時罷出宮崎萩原馬場野崎米弥詰合今日ヨリ詰所序々《(席カ)》取極銘々机直し御用取扱申候、尤出勤留帳日記帳等仕立申候、七ツ時定剋引申候、但し別段御用無之明廿四日休日之処昨廿二日休ニ付政事庁も
御出仕有之趣ニ付、常平倉も出勤可致積りニ相成申候
嶋田宿是迄商法御用達塚本弥兵衛改孫造被参候間、兼而文通致置候得共、幸ひ被参候間常平倉付御用達被心得居候様達し申候
 - 第2巻 p.190 -ページ画像 
    二拾四日 天き吉
今四ツ時罷出、見付宿古沢五兵衛其外へ文通并掛川宿彦十其外へ文通、渋沢篤太郎様より御沙汰之趣ヲ以宮崎総五ニ為認宿便ヲ以差出し申候、初午祭礼入用御用達奉納金引之金四拾両并当春仕立候杉机代料金弐両壱分弐朱五百四拾八文共御下ケ鶴夫清二郎彦左衛門 総五連印受取差上鶴夫へ預り近日割合相渡可申事夕剋引取申候
一初午入用左之通
  金弐拾弐両壱歩銭四貫百三拾八文   新通大工町 大工久次郎払
  金六両壱分一朱銀六匁        江川町 肴屋万吉払
  金弐拾両一分三朱弐拾四文      茶屋 村田屋半兵衛払
  金壱両三分             巽五 大黒屋六右衛門払
  金壱両四貫七百文          野崎彦右衛門払
  合金五拾弐両弐分三百拾六文
   内金五両一分三朱七拾弐文 賽物引之
  残金四拾六両弐分一朱弐百四拾文
 右は二月中野呂整太郎殿取扱調方致し、此払金追々仕治致候迄之間、彦次郎彦左衛門鶴夫清次郎総五惣二郎太七整太郎八人ニ而則壱人金五両三分一朱百弐拾四文ツヽ差出置申候、此外未タ払不申丁ちん張替入用札之辻丁扇子屋まん十代等合金壱両三分一朱拾四貫七百文共ニ合金四拾八両壱分弐朱銭十四貫九百四拾文此度御下ケ願上候、尤此合金四拾九両三分一朱五百四拾四文之内、同九月二十四日出会面々ニ而談ノ上、金九両三分一朱五百四拾八文御用達八人ニ而奉納ニ致し金四拾両御下ケ受取
一金弐両壱分弐朱五百四拾八文 商法会所御開之節仕立只今用居候杉机八丁硯箱八ツ廻帳箱五ツ燭台三山桑七殿へ可払分
  右も今日御下ケ受取彦右衛門総五清次郎鶴夫連印受取書渋沢様へ差上ル、初午方も同断、但桑七分此儘払方可致事
 初午方仕訳左之通
一金四拾両也 惣体之分此度御下ケ
    内金壱両三分一朱四貫七百文 丁ちん張替并まん十代等可払分
     残拾貫文
      合金三両三分三百弐拾四文也
    〆金三拾六両弐分三朱三百文
     此分御用達八人ニ而取替払置候分江割合金四両弐分一朱弐百六拾丸文ツヽニ相成、尤取替金五両三分一朱百弐拾四文ツヽ之処内金壱両壱朱銭四百七拾五文ツヽ奉納相成候訳也
    二拾五日 天き吉
一今四ツ半時出勤致申候、金幣出納等之儀渋沢篤太郎様より以書付申渡在之、且又清水湊松本平八殿近日大坂へ上り、当春残用片付方ニ罷越候積り、同人今日御招之品々談在之、尤今日詰合面々いづれも評決之事
                  貨幣出納方取締
  九月廿五日御渡         監察江
                  貨幣出納取扱方
  金幣出納之儀以来出納方取締并出納取扱方之包立封金幣ヲ以融通
 - 第2巻 p.191 -ページ画像 
為致候付、諸納物等都而銘々自宅おゐて等《(相)》改封印之上持参候様可致、尤包立分限等之儀は納人江可被申談候事
    但右封金之内万一惣金包不足等在之節は無論改人持ニて候得共、自己之融通金ニ混雑無之ため常平倉おゐて見届印いたし置候筈ニ付、別而入念不都合無之様可被取扱候
  右之通可被心得候事
      巳九月
                  貨幣出納方取締
    九月廿五日         監察 江
                  貨幣出納取扱方
                    小川太七
                    米屋弥七
                    柿屋佐右衛門
                    小沢戸屋伊兵衛
    貨幣出納取扱方可被致兼勤之事
   右之通小川太七外三人江申渡候間可被得其意候
一初午入用之内扇子まん十代金壱両并丁ちん張替代小沢戸屋伊兵衛殿へ可相渡分金三分一朱今日詰合、柿屋佐右衛門殿へ届方相頼受取書取之、当四月商法会所御用之節本弐桑名屋七兵衛殿へ相頼候机其外代金弐両壱分弐朱五百四拾八文右相払受取書取之申候
一今夕剋渋沢篤太郎様ニ御目ニ懸り遠州新開場一件願書案文并絵図弐枚上ケ置申候
    二拾六日 天き吉
一今四ツ半時罷出申候
一元商法会所ニ而貸付金村々返済期日之分取調廻帳差出候談致申候
一初午入用野呂勝間田馬場北村へ相渡ス
一松本平八儀近々大坂出立ニ付、諸用向談ニ付北村松本両人渋沢様御用承り、其上矢村小次郎様方へ廻り申候
一今夕剋勝間田萩原宮崎小鹿甚太郎并黒柳様共ニ渋沢様方へ御招ニ相成、御酒飯被下品々珍説等承り暮六ツ半時一同引申候、外詰合は七ツ時定剋ニ引申候
   廿七日 天き吉
一今四ツ時出勤野崎小川へ初午入用渡宮崎分は取替払も在之候間頼通預り申候
   廿八日 天き吉
一今九ツ時常刻より遅剋之儀は外用在之無拠次第申立出勤、今日遠州新開一件渋沢サマ御筆ヲ入て下書御渡相成申候
   廿九日 休
   三十日 天き雨ふり
一今四ツ半時罷出申候、明日清水湊江渋沢サマ御越ニ付、萩原小川小鹿甚太郎罷出候積り


(商法会所)日記 明治二年己巳 従七月(DK020010k-0006)
第2巻 p.191-192 ページ画像

(商法会所)日記  明治二年己巳 従七月
                  (萩原太郎次郎氏所蔵)
 - 第2巻 p.192 -ページ画像 
○上略
    八月廿九日 雨
一懸一同出勤
一小杉屋長吉千五百両日歩利納之上書替相成ル
一御用達一同明朔日常平倉江御用召状差出ス
    九月朔日 雨
一御用達一同常平倉御用被命候事
一松屋住吉三千両七月廿六日日歩拝借相成候処今朔日元金并利金とも皆上納相成候事
一常平倉掛御用達被 命候旨向々江達書差出ス、一同名前は別紙御申渡案有之
一御書院組差加金四口合金弐百拾八両、内金五拾両同組桜井九右衛門御貸附金三両弐分引去残金札ニ而百六拾四両弐分差戻し候、いさゐ内訳は証書案綴込中ニ有之
    九月二日
    同月三日
    同月四日
    同月五日
    同月六日
 元商法会所取扱中取調物出来ニ而篤太郎殿小四郎政事庁江相越候事

(常平倉)日記 明治二巳年九月(DK020010k-0007)
第2巻 p.192-193 ページ画像

(常平倉)日記 明治二巳年九月(萩原太郎次郎氏所蔵)
    九月朔日 雨
一渋沢篤太郎矢村小四郎坂本柳左吉田亨黒沢謙蔵前田重吾黒柳徳三郎出勤候
一北村彦次郎萩原鶴夫勝間田清次郎宮崎総吾甚太郎
 右常平倉取扱方御用達肝煎被 命候旨篤太郎申渡ス
一野崎彦左衛門野呂整太郎小川太七馬場惣次郎米屋弥七柿屋佐右衛門小沢戸屋伊兵衛望月治作篠嶋屋(屋)《衍カ》忠三郎綿屋甚吾西ケ谷恵重郎柴田屋直三郎小鹿村甚太郎聖一色村寛三郎
 右同断御用達被 命候旨篤太郎申渡之
    九月二日 快晴
一渋沢篤太郎矢村小四郎坂本柳左吉田亨前田重吾黒柳徳三郎出勤
一御用達并手代共一同出勤
    九月三日 雨
一渋沢篤太郎坂本柳左矢村小四郎前田重吾黒柳徳三郎出勤
一御用達并手代一同出勤
一黒沢徳蔵《(黒沢謙蔵カ)》昨二日刑法方並被 命候ニ付今日より当方江は不勤之旨申聞
    九月四日
一渋沢篤太郎矢村小四郎坂本柳左吉田亨前田重吾黒柳徳三郎出勤
一田中彦八明五日西京表江出立ニ付為暇乞相越ス
一御用達萩原鶴夫野口《(野呂整太郎カ)》整太郎并手代共出勤
    九月五日
一渋沢篤太郎矢村小四郎坂本柳左吉田亨前田重吾黒柳徳三郎出勤
一御用達并手代共出勤
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一小杉屋長吉より千両日歩拝借之分返納相済
    九月十二日分
一清水より御用状来り
一前田重吾黒柳徳三郎常平倉掛出役被 命久世平九郎より引渡ニ付篤太郎義受取


青淵先生伝初稿 第六章・第六六―八五頁〔大正八―一二年〕(DK020010k-0008)
第2巻 p.193-196 ページ画像

青淵先生伝初稿 第六章・第六六―八五頁〔大正八―一二年〕
是より先八月二十五日、先生は藩府より、「此度商法会所御廃止、常平倉御建立に付、御場所の儀は静岡商法会所相用可申候、尤清水湊之方は出張所と相心得、両所共都而其方え取扱被命候間、委細之儀は猶取調可被申聞候」との命を拝し、越えて二十七日、会計掛附常平倉掛となり辞令に「会計掛附常平倉掛を命ぜらる、中士と心得べし」とあり九月三日には、「此度商法会所御廃止、常平倉被取建候に付而は、是迄商法所《(会脱)》おゐて遣廻し取計候石高拝借紙幣之分、并会所元金・積金・売買品御貸附金・其外共、都而取調之上渋沢篤太郎え引渡、委細之儀は同人可被談候、右之通会計掛え相達候間、可被得其意候。」同月七日には、「此度商法会所御廃止、常平倉御取建に付而は、是迄会所おゐて取扱候市在御貸附・産物元入金等都而常平倉に而為取纒候筈に付、其段兼而可被心得候、右之通郡政掛・刑法市政掛え相達候間、可被得其意候」との通達に接したり。此頃藍香も亦開業方手附御雇を命ぜらる。かくて先生は商法会所に於けるが如く、常平倉に於ても亦重立ちて其事務を取扱ひ、下に黒柳徳三郎・前田重吉《(マヽ)》等数名の常平倉掛を置く。先生の推挙せる北村彦次郎・勝間田清次郎・萩原鶴夫・宮崎総五・野崎彦左衛門・野呂整太郎・馬場惣次郎等十余名は用達として鞅掌し、改革全く成就せり。先生の初の立案によれば、官選の常平倉社長一名を置きて総理せしむる筈なりしが成立の後は社長の名称を用ゐざりき。其組織は大体に於て商法会所と相似たり。常平倉壁書に曰く、
 一常平倉は異邦古昔之経済に長ぜし主之建法ニ而、豊凶ともに米価之常平を得るための設なれば、既に穀賤則増価以糴、穀貴則賤価以糶、随宜以済其民と有之、全其土之米穀狼戻闕乏等之患を除くの術にして、千歳不易之良法は申迄も無之候得共、当国おいては素より出産之米穀、食之の人員より少く、他国之輸入を仰ぎ候土地候間、自ら常平之術古法と小異無之而は被相行間敷に付、膠柱鼓瑟之誤無之様、一同活法に注意し、自然諸方え取引、国内之米穀其他諸物品之価、穏当適宜、細民之疾苦無之様、取扱方可心掛事。
 一常平倉は在々ニ而組立候社倉之根楨となるものに付、社倉之法無之而は常平之功験も少き筋に候様可致事。
 一頻年諸物価騰貴いたし、此末万一荒凶有之候ハヾ、僻遠之土地は自然米穀払地候様之儀も可相生哉に付、縦令其時々十分引足候程に無之とも、常平倉おいて相応之御囲穀いたし置、時々目前之小利を不謀実物を以非常之預備に宛置候様可致事。
 一其国之富饒は、農事宜お得、生産品増加候に有之候得は、只管一法墨守之俗見無之、産物蕃殖之儀、精々心掛可取扱事。
 一商賈は有無を通し、物価之低昂を宰するの私権を有するものに付
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心得違之者有之節は、詐術を以諸物之偽価を作為し、私利を営之害も相生し可申候間、能々注目し、往々均平之法を以、其私権を奪却候様可致事。
右之廉々、常平倉取扱方之綱目に候条、一同厚相心得、協和戮力尤方正廉直に従事し、永く国人と持久候様可心掛事。
    九月                常平倉掛
常平倉社中規則に曰く、
 一今般常平倉御取建相成候御趣意は、委細壁書面にて御教示相成候間、一同厚く体認し、奮励耐忍、漸々国内富饒相成候様之儀可心掛事
 一常平倉積穀、其外御有合之金幣遣廻方之儀は、別紙見込書に素き出精取扱可申、自然右之内相改度儀有之候ハヾ、壱ケ年御試之上、衆議お尽建法可有之事。
 一御用達肝煎・御用達共、此度掛り分被命候に付而は各其職掌勉励候儀は申迄も無之、誰にても存附候儀は、無伏臓申合、聊も固我偏執之念無之、和睦専一に可致、乍去和睦候とて、雷同脅従之弊無之様可被心附事。
 一銘々出動割合并休日之儀は、別紙張出し之通相心得無怠懈相勤可申、尤病気其外無拠頼合等致度節は、順番に申談、出勤之者欠員無之様可致、尤申送等別而行届候様可心掛事。
 一年末惣勘定、御囲穀積替、其外廉立候儀等有之節は、一同罷出、衆議の上取扱可申、平常之所務は、当番之者ニ而相決可申事。
 一毎月出入、差引御有高等、望晦毎に出納取締監察に而篤と取調、小印之上、常平倉掛え差出し、見留印請可申、尤商用融通方共、日々之出納は、其掛々取扱候者にて小印いたし置可申事。
 一糴糶方おいて売事見込相立候節は、出納方取締監察え申談、常平倉掛之允裁を得取扱可申、尤差向候儀は、直に常平倉掛え申立候儀も可有之候事。
 一右見込相立候売事、決議之上取掛り候ハヾ、終始其手にて引請、損益共明了に決算之上差出可申、尤売事は臨機の処置も有之候儀に候得共、可成丈、一事取纒候上にて一事を起し候様可致候事。
 一輪出入品取扱引宛品見届等之儀に付、常平倉掛并御用達肝煎、御用達共之内、自然出役等有之候節は、別紙御定之通、諸雑用代、常平倉年分諸入用金之内より可被下、尤商用に付外出之分も、凡其見当を以売事益金之内より可被下候事。
   但買事之儀は、一定之法難相立に付、其時々申合取究可申事。
 一常平倉差加積穀之儀は、追而社倉之法取立、利穀相殖候様取扱出来候迄、年八銖之利金差出し、融通之口え相廻し候様可取扱、右利金は盆暮両度に算当相渡可申事。
 一常平倉日用之筆・墨・紙・炭・茶其外手代・小遣等給分之儀は、年分諸入用金之内より遣払相立可申、尤壱弐ケ月相試候上ニ而定金相立綿密に仕払可致事。
 一静岡集会所并清水出張所共、破損繕方之儀は、其時々見分之上、無拠分は仕様相立、常平倉掛え申立候而取繕いたし、明細に仕払
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相立可申事。
   但平常小破は、年分御入用金之内より仕払、廉立候取繕は、臨時手当金之内より遣払可申事。
 一常平倉附廻船御納屋破損取繕方は、其運賃、蔵敷等積立置相弁可申、尤右積立方、仕訳帳を以出納可取扱事。
   但右取扱之儀は、地利之便も有之に付、清水附之者引請取計、仕訳帳を以、時々常平倉掛え可申立事。
 一常平倉にて取扱候定限之物品相場立は、市在之標準と相成可申に付、糴糶取扱方に而篤と申合、不相当無之様、常平倉相場帳え相記し可申、尤諸物価共、一時多分之低昂有之節は、別し而取調、穏当之相場立可致、自然他之商賈共之内、不相当之売買致候者有之候ハヾ、早速取糺し可申出事。
  右之廉々一同堅相守、精勤可被致、尚相洩候儀は其時々申談、廉増可致候事。
    九月
                   常平倉掛
                   御用達肝煎
                   御用達
常平倉社中取扱物品之定限と題せる規定に曰く
 一米 雑穀 水油 菜種 塩 綿 紙 砂糖 肥し物 魚〆粕 干鰯 油糟 薪 炭 材木
  焼酎粕之類
  南京米并雑穀 水油 其外実用之舶来品
  右之通
    九月                常平倉掛
これ皆先生の起草に成り、専ら米穀の売買により物価の平均を保たしむるを目的とせるものにして、郷村には又社倉をも設けんとするなり。抑常平倉、社倉の法はもと支那に起り、官府の財力を以て穀物を売買し、市場の価格を平均せしむる者を常平倉といひ、士民等が備荒儲蓄の意味にて互に出資し、其郷村に貯穀せる者を社倉と名附く。静岡藩の常平倉は此二つを兼ねし者なれども其原資金は官民より出したれば、古の所謂常平倉とは同じからず、殊に雑貨の売買をも営まんとするにあれば、名は常平倉なれども、其実は商法会所と相似たる者なりたゞ商法会所は商業に重きを置き、常平倉は米穀の貯蔵を専らとせるを異にせるのみ。かくて其用達中に、貨幣出納方、交商取扱方、糴糶取扱方、社倉取立方等の担当を定めて、各事務に鞅掌せしめ、大綱は即ち先生之を総攬せり。公衙の静岡にあるを集会所といひ、清水にあるを出張所といふ。
常平倉の事業は、常平の為に米穀を貯蔵するを主眼とすれば、納屋即ち倉庫を清水出張所に営み、時々新穀と交換し、古米を売却することとなし、更に用達并に一般商人へ営業資本を貸附け、村々へ肥し物又は肥物代金を貸附くるの外、水油、塩、其他かねて定め置きたる貨物の買入、売却等の事に従ひ、又用達肝煎萩原鶴夫、宮崎総五の建策を容れ、先生の指導監督の下に、遠州国内の附洲、寄洲等開墾の業をも
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起せり。かくて計画の緒に就かんとする時、十月十八日附弁官の御用状静岡藩知事に達し「其藩士渋沢篤太郎儀御用候間東京え罷出候様可申付候也但致着之上は速に弁官え可差出候事」とありしかば藩府は出京の命を先生に伝へたり。先生の其途に就かんとするや、常平倉の用達等は書を先生に呈して、先生の不在中事務所弁の事につきて指令を仰ぎしかば、詳に批答する所あり、尋で又之に関しての訓示を授くるなど、十分の注意を払ひたる後上京すれば、意外にも民部省租税正に任命せらる、詳しくは第七章に記すべし。
按ずるに先生の起草せる商法会所の決算に関する書類を見るに、同会所の資本を説明して、「諸局残金取纒、商法会所の元金に相立候分。」「商法会所へ差加金。」「拝借紙幣の内、商法会所へ引請遣廻取扱候分。」の三種に区別せり。最後の分は、藩が其石高に対して政府より借用せる紙幣、即ち太政官札の中なり、蓋し藩が借用せる紙幣総額は七十万両なるが、其中三十八万五千九百余両を割きて会所に交付し、利殖の道を講ぜしめたるものとなす。此紙幣は元利成崩しの方法を以て、毎年借用高の一割を金札にて返納せしめ、十三箇年間に完済するの制度なりしかば、会所に於ても永久の流通資本となすことを得ず、藩より交付せられたる金額に応じ、同じく之を政府に返納するの義務を有したり。前にも述べたるが如く此紙幣は民間に於て信用薄かりしかば、正金との間に差額を生じたるが故に、会所にても時の相場を以て流用せるに、正金同様に通行し、決して相場を立つべからずとの布達二年四月の事なりの結果、会所は其交付を受けたる三十八万五千九百余両に対して、六万五千両の損失を招きたれば、之を差引きたる残金三十二万九百両余となる、即ち常平倉設立当時、会所より引継ぎて流用せる紙幣の総額なり。此に於て先生は此紙幣消却の方法を定め、損失となれる六万五千両は、返納期限十三箇年目の末に至り、積立利益金の中より弁償することゝなし、現在の流用紙幣総額三十二万九百両は、二年の冬に至りて取立つべき利金一万五千両を加へ、合計三十三万五千九百余両の中、同年冬政府へ三万八千六百両紙幣総額の一割を返却すべし、其残額二十九万七千三百両は、或は貯穀を買入れ、或は商業の資本となし、或は商人及び郡村に貸附けて其利を収め、毎年三万八千六百両づゝを消却し行かば、十三箇年目には、相場の差より生じたる六万五千両を償ひたるが上に、優に一万石以上の貯穀を為し、尚三万余両を残し得るの予定なりき。


常平倉勘定帳 巳年九月より申年正月に至る(DK020010k-0009)
第2巻 p.196-199 ページ画像

常平倉勘定帳 巳年九月より申年正月に至る   (渋沢子爵家所蔵)
    巳年九月元商法会所より常平倉江引継高
一金三拾八万八百九拾七両三分
            永百五拾八文五分六厘
    但正金并札共
   内
  金壱万六千六百弐拾八両弐分
            永拾文八分四厘
 - 第2巻 p.197 -ページ画像 
    但正金
   是は会所元金ニ而常平倉ニ仕法替後元知事殿江引渡候ニ付除之
  金千四百五両壱分
        永五拾六文四分壱厘
    但正金并札共
   是は会所積金ニ而前同断
  金壱万八千六百弐拾五両弐分
             永四拾壱文七分
    但同断
   是は諸向差加金ニ付除之
  金七万千九百五拾壱両壱分
            永四拾六文九分
    但札
   是は元商法会所遣廻し高之内仕法替後元会計所江引渡候ニ付除之
 小以
  金拾万八千六百拾両弐分
           永百五拾五文八分五厘

〆金弐拾七万弐千弐百八拾七両壱分
              永弐文七分壱厘
   是は巳年常平倉元立金
    外
一金千四百両
   是は安政年間より取設候静岡市中常備穀代金残常平倉元立金ニ差加候様元権大参事差図ヲ以静岡元町年寄より請取元ニ入
高金四万三千八百五拾六両三分永百三拾文七分弐厘之内五千弐百六拾
 両永弐百四拾八文壱厘は差加金利足下ケ渡候ニ付除之
一金三万八千五百九拾六両弐分
                 永百三拾弐文七分壱厘
   是は巳年九月より当申正月晦日迄貸附利足取立之分
合金三拾壱万弐千弐百八拾三両三分
              永百三拾五文四分弐厘
   此訳
 当壬申二月朔日御役所有高
  金三万八千五百三拾七両三分
                永六拾文弐分九厘
    但正金并札共
 同断御貯穀有高
  米五千九拾八石六斗壱舛弐合壱タ
   此元代金弐万弐千九百弐拾壱両
               永弐拾壱文六分
 同断所々貸附高
  金弐拾万七千五拾三両壱分
             永九拾七文五分弐厘
 - 第2巻 p.198 -ページ画像 
 同断追々売却残高
  大高紙鼻緒弐千三百足
   此元代金弐拾五両永五拾壱文七分
 巳年中御返納高之内
 常平倉より操出し高
  金三万七百七拾五両弐分
           永六拾四文三分
 常平倉御構内御土蔵取建元代金
  金七百四拾五両
 清水港納屋取建并御役所出来元代金
  金三千七百五拾九両三分
           永弐拾八文三分
 巳年九月より当申年正月迄
 静岡清水御役所向并御土蔵御納屋
 風損修復其外小破取繕并御構内御
 長屋新規出来其外模様替共
  金千五百四拾壱両三分
          永五拾弐文八分五厘
 同断静岡清水両所御役所小買物并
 書役小遣給分御貯穀手返し賃且海
 上運賃共
  金三千九両三分
          永八拾壱文八分五厘
 ホンフ壱柄買上代
  金五百拾五両
 巳年より去未年迄御用達其外御手当
  金弐千八百両
      永百弐拾七文壱厘
 小以金三拾壱万九百六拾四両壱分
              永八拾五文四分弐厘
    内
  金弐万六千三百拾四両弐分
           永百五拾八文
   是は諸向差加金并渋沢姓より家令宛ニ而仮預り差出し有之候分共元立金之外ニ付除之
 引残而
  金弐拾八万四千六百四拾九両弐分
              永百七拾七文四分弐厘
合金と
  差引
  金弐万七千六百三拾四両
           永弐百八文
   是は巳年九月より当申正月晦日迄之御損失
 右之通有之候也
 - 第2巻 p.199 -ページ画像 
   壬申三月調