デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

3章 静岡藩仕官時代
■綱文

第2巻 p.199-207(DK020011k) ページ画像

明治二年己巳十月三日(1869年)

常平倉役所ヲ静岡常慶町教覚寺ニ徙シ、尋イテ呉服町旧目付屋敷ニ移ス。


■資料

常平倉御取建一件留(DK020011k-0001)
第2巻 p.199-203 ページ画像

常平倉御取建一件留          (萩原太郎次郎氏所蔵)
(二行朱書)
前上様御慎解被仰出候間、宝台院より常平倉江御引移被仰出、俄ニ常平倉御用地上ケ被命之
    十月朔日 亥天き雨ふり
一今朝五ツ時鶴夫旅支度二而会所江罷出候処、宮崎総五罷越、水利方紙幣御取替渋沢様江願居、幸ひ申合手前ヨリモ願上候処、いづれニも御引受被下候積り、夫より総五は一旦外新田へ罷越、用仕舞次第会所へ詰合之積り
一野呂整太郎殿西米買入一件談ニ来、渋沢様江申上候事
一勝間田清次郎詰合申候
一五ツ半時清水江御出立、雨かサ壱荷持之御家来一人并鶴夫其内小川太七代り小沢戸屋伊兵衛相越一同紺屋町中程ニ参り候処
 前様御付梅沢孫太郎様ニ御出逢、急御用出来常平倉内外御見分之趣ニ付引返ス、然ル所昨夜東京ヨリ浅野次郎八様御早追ニ而御帰国、前様御謹慎御免被仰出、依之常平倉御繕之上宝台院より御引移被仰出候趣ニ付、右急御用ニ付清水出張御延引文通被遣候間、御用達中江も鶴夫より其段申遣、尤小鹿村甚太郎吉田村ニ待合候間、同人江も文通差遣会所下小使遣し申候
一御用達北村野崎米屋弥七等も当番ニ而詰合申候
一常平倉絵図面ヲ以渋沢様御城江参上致ス
一杉尾村江飛脚来ル紺屋丁平吉賃銭同村ニ而不払堀本村役人来次第受取可申候得共、平吉夫迄は迷惑之趣ニ付、一同談之上会所小入用金之内ヲ以金壱歩壱朱平吉へ渡し置、黒柳徳三郎様御承知之事、右は詰合一同承知杉尾役人来次第為談目印程出し置候
一富士郡上井才村拝借金紙幣ニ而納度趣申来候得共、右は北村懸合正金ニ而早々持参申遣ス
一島田宿平吉拝借金利済之上証文書替願来候処、第一利金性合不宜敷故早々引替可申様手代新八懸合遣ス、右は今日詰合中一同承知之事
一常平倉代リ家作市中取締村上俊五郎町《(明)》屋敷伝馬町元柳原屋敷御見分ニ渋沢様并ニ勝間田宮崎野崎小沢戸屋罷出候得共、不都合ゆへ猶外場所明ケ御願被成候積リ之談事
一御作事方鈴木忠次郎様外御壱人内外御見分、黒柳様御案被成候
一梅沢様外御壱人再度御見分、渋沢様御引合被成候
一小鹿村甚太郎清水迄罷越、待合置其内小使方通《(沢)》ヲ以罷越候間事柄相分リ、其儘帰村被為《(存)》候処、様子具ニ承リ度趣被申、七ツ時被参候間今日急ニ御模様替御出張在之段咄申候、然所同人は猶明日罷出候由申之玄関より引取申候
 - 第2巻 p.200 -ページ画像 
一追而会所いづれへ取極候共、急速御屋敷明ケ申度、夫々考候得共、場所無之、当時中泉郡政岩田様元御目付屋敷ニ仮住ニ付、岩田様近近中泉江御引移相成候ハヽ右跡常平倉ニ致度、明日渋沢様より其筋へ申上候積り、然ル所当時常平倉内ニ御勘定其外共長屋ニ六軒計仮住之処、内弐軒は常平倉御下役黒柳様萩野様是は御用達ニ而いづれケ止宿御取極め申上度事
一市中灯油払底ニ付会所持合品御払願、和田屋小平次外弐人来候処、今日は急御用出来、夫々漸々五本ならでは無之間、猶追テ可申遣段達ス、鶴夫引合
一遠州相津村大石権次郎納金未タ東京より到来無之間、今少々日延願、総五引合
    二日 天き雨ふり不申曇天
一今朝渋沢様文通ヲ以黒柳サマ御越、常平倉仮会所安物《(西)》十分一之処ニ而ハ如何可在之哉ニ付案内致し家作見度趣ニ付、則鶴夫案内、是上地方役斎藤禎三郎様未タ御住居ニ付、懸御目家作見之、夫より黒柳様御引取被成候事
一九ツ時会所へ罷越候処、御用達一同詰合居、宝台院様より御役人様御越会計方よりも同断、惣囲塀其外共大工左官多人数入込御取繕ひ初リ
一早々御屋敷明ケ可申事ニ付、常平倉諸道具不取敢江尻町和田平七宅へ預ケ申、万端手代新八郎寛次郎帳面へ扣申候
一渋沢様御城へ御越之上伺候処、常平倉場所元御目屋敷御渡之積リ、然ル所此節中泉郡政方岩田様御仮住居ニ付、御同人様近日中泉へ御引越迄一時常平倉仮会所教覚寺ニ相定メ、尤渋沢サマ同寺へ御仮住之積リ、黒柳様萩の様御用達之内ニ而何れへケ御宿之積り其外様は御銘々頼宿被成候積り
(付箋)
萩野北村勝間田宮崎小川野崎甚太郎柿屋小沢戸屋野呂談合 手代完次郎今日談合 人足 馬場小川北村野崎野呂等より今日差出
一今日御用達之内より人足差出し、諸荷物運ひ、明朝も猶同断之積り
一水口細工代平野様納ニ来候得共、こんさつ殊ニ黒柳様御留守故明朝被参候様申遣ス
一小栗尚助様今日御見江在之、急速明ケ渡ニ付諸向こんさつ致申候
    三日 天き曇り
一今日常平倉会所は不及申、渋沢様御長屋ニ罷在候、御方々様明ケ渡追々御繕在之、来ル五日前様御引越共被仰出候一件ニ付、手前早朝より出勤申候処、丁内石橋下ニ生れ女子壱人捨在之、一件御訴之上御捨使受候事故無余義出勤延引および申候、七ツ時仮会所常慶町教覚寺へ罷越候所、先刻渋沢様御家族共々御引移、会所諸書物等是又皆引取、御用達中詰合居申候、尤常平倉は元御目付屋敷当時岩田縁堂様御仮住居之処、御同人様各所に御引移迄貸置申候、乍去今日棒杭は打建申候
 是迄御会所へ立入候商人中江、追而本会所出来候迄仮会所教覚寺ニ致候段右後廻帖差出申候、夫より夕剋引取申候
    四日 定例之通休日 天き雨ふり申候
 - 第2巻 p.201 -ページ画像 
    五日 天き雨ふり
一九ツ時出勤、夕剋引取御別段御用無之
    六日 天き曇り
一今八ツ時罷出申候、此度御受取可相成元御目付屋敷未タ岩田様仮住居ニ候得共、取繕ひ方用意も在之候間、今八ツ半時渋沢様黒柳様萩原勝間田小川馬場野崎一同塩津正平殿を連ひ見分致し繕ひ所注文致し申候
    七日 天き吉
一今九ツ半時出勤、八ツ半時引取申候、塩田正平常平倉場所絵図持参
    八日 天き吉
一今九ツ時罷出、七ツ時引取申候
一此上御用達詰番日割取極申度、明九日定例休日、明後十日惣出勤之上取極メ可申積り
    九日 天き吉休日
    十日 天き吉
一今四ツ時罷出申候、清水出張元商法会所勘定残金并金札共御用達惣代江尻辻町甚吾本郷町望月治作両人来、帳面金高共引合相成申候
一東京ヨリ移住御印判師中井下野改名敬所当春商法会所判彫刻、其頃は八幡町ニ旅宿、当時安西壱丁目柿屋新長家同町南裏長尾ニ罷在、印稿数枚持参、今日評議之上取極メ、則商法会所古判之印材用候積尤手前ヨリ法文可致取極ニ而、古判弐ツ并中井ヨリ差出候印稿共持之夕剋帰宅申候
    十一日 天き吉
一今九ツ時帰宅、安倍川役人より払銭二百両分願上候処、百両分御聞済被成候間、其後今夕戻りかけ魚松へ立寄、弥八九郎兵衛伝兵衛三人江相達ス
    十二日 天き吉今日宮崎総吾当番ニ付手前不参
一小川太七殿親類ニ不幸在之、両三日不勤仕候段届在之、手前ヨリ明日相達可申候事
一印判弐ツ中井敬所江今朝相頼、急々彫方致候様談置申候
    十三日 天き曇り
一今九ツ時罷出、見付宿古沢外壱人江御預より文通宿使ヲ以差出ス
一清水吉野屋へ茶製荷物引当金百両御貸出ニ相成申候
一安倍川役人へ願之通金百両分銭御払下ケ金札受取銭は平九町小平次土蔵ニ預ケ在之分黒柳様并御用達馬場野呂小鹿罷越川役人伝兵衛へ相渡、并会計局ニ而此度
 皇后御通輿、宿々入用銭壱ケ宿金百両分ツヽ拾ケ宿分合金千両札受取、銭御渡是又小平次土蔵より荷《(前)》出後《(役)》一同ニ会計局筆生江引渡相成申候
一清水出張所ニ萩野健太郎様是迄詰合罷在候処、明後十五日黒柳徳三郎様御出役御交代相成積り
一呉服丁弐丁目布帒屋平七外壱人、小豆百九拾七俵余清水松本平八郎預りヲ以金五百両拝借申出、一同談之上貸渡、右証文江切手相添黒柳様改済相成申候
 - 第2巻 p.202 -ページ画像 
一東京詰会計方行方様山口様へ御頭より文通御差出相成申候
一大坂へ罷越候松本平八江御頭より文通御差出相成
一魚問屋仁左衛門改二恵茂殿是迄之通拝借金致度願書持参之処、少々趣意払書違在之間、案文加筆之上遣ス
一常平倉場所取繕方棟梁塩津正平殿、絵図面ヲ以伺出、御頭より委細御差図在之
一今夕刻一同帰宅
    十四日 休日之事
    十五日 天き曇り
一宮崎総吾当番之処風邪之由ニ付、一両日代り合頼ニ付九ツ時出勤致候
一清水著水油市中油屋中江売払談致ス
一黒柳徳三郎様今日清水江御越、萩野様と御交代之積り
一魚問屋二恵茂拝借金願書并弐元証文取極メ申候
一来十七日
 皇后宮御通輿ニ付役所休日之積り
一今夕剋弥勤江廻り来、十七日休日之趣宮崎惣吾江相達し申候、夫より帰宅
一今夜雨ふり出し申候
一常平倉役所、元御目付屋敷其後郡司役所之処、此度御渡ニ相成候処場狭ニ而土蔵建場無之候間、増坪御頭より御伺被成候処、御伺之通御下知ニ相成候事
  常平倉御場所増坪之儀相伺候書付
                     渋沢篤太郎
 常平倉御場所之儀元郡司御役所江御引移相成候ニ付而は急速御貯穀御納屋も取立度候処、在来之地所坪数少く、且は市街江相接し非常之懸念御座候ニ付、此度別紙絵図面江朱引之通御囲込相成、御納屋出来候様仕度、尤右地所之儀は明屋敷地ニ而外方差支も無之候、依之別紙絵図面相添此段相伺申候以上
   巳十月 渋沢篤太郎
   伺之通可被心得候事
    十六日 天き吉
一今九ツ時出勤申候
一市中銭払底ニ付、常平倉御備之内壱万貫文御払下ケ可致段町年寄人宿町三丁目丁頭惣太郎同壱弐丁目組頭壱人共ニ相招き渋沢様御申付通り談し遣申候
一昨日御注文筆拾五本并今日唐筆五本共代金弐分三百拾六文、渋沢様より受取申候
一明十七日御通輿ニ付休日ニ取極申候
    十八日 天き吉
一今日四ツ半時詰合申候、清水詰萩野健太郎様一昨夜帰岡、今日より詰合申候
一富士郡上井出村拝借金、当月廿五日限之処、不都合ニ付月延願来候得ども不相成、依之加判致候者一同被参候様北村彦次郎挨拶致遣ス
 - 第2巻 p.203 -ページ画像 
一清水詰黒柳徳三郎様江文通御差出、魚問屋へ届方相頼ミ申候
一魚問屋へ御貸付一旦元利御引上ケ、今日改て御貸渡相成申候北村取扱候
一米屋弥七儀常平倉貯米遠州ニ而買入、世話致し金三百両也内金御貸付仮証文差出仮証文帒江取入
一米屋弥七方より東京伊丹屋善助へ為替手形今日差出ス
一市中江壱万貫文御払銭代金十両也取集方来ル廿二日迄日延願書町年寄始四組年番連印之上御用達中江差出候間、野崎北村萩原三人連印之上御頭江差出置、右ニ而御聞届相成申候
一今夕剋談合申談明十九日定休日之処、廿日夷講休と致し明日は相詰メ可申治定
一今夕剋弥勤宮崎氏へ廻り、明日出勤可申様談、夫より引取申候
    十九日 天き吉不参
    二十日 休
    二十一日 天き吉
一今日九ツ半時出勤七ツ時退散
一夕剋御頭ヨリ廻状、明廿二日御談在之間、北村萩原勝間田宮崎当非番ニ不拘出席被申越候事


はゝその落葉 (穂積歌子著) 巻之一・第一五丁〔明治三三年〕(DK020011k-0002)
第2巻 p.203 ページ画像

はゝその落葉 (穂積歌子著)  巻之一・第一五丁〔明治三三年〕
○上略 其年○明治二年の九月、前の将軍家にハ御謹慎ゆるされ給ひ。宝台院を出でさせ給ひ。我等が住ミける家おまし所となるべきにより。我家
[img地図]御土蔵并御長屋御取建場所麁絵図 西 @@@家 @@@ @@町 町家 @@@@ @@@道@ 、町家 @@@@@@ @@@@角@地 @@ @@ @@@ 大久保@@@@ 南
ハ常慶町なる松江山教覚寺と云ふ寺の客殿を借りて移り住む事とハなりぬ。こゝハ真宗にて。妻もあり。子もあり。やから多かりしかば。
寺とハいへど。ことにさびしとも思はざりき。


御書付元 明治二己巳年六月ヨリ一二月迄(DK020011k-0003)
第2巻 p.203-204 ページ画像

御書付元 明治二己巳年六月ヨリ一二月迄  (徳川公爵家所蔵)
 - 第2巻 p.204 -ページ画像 
 政事庁掛江相達候書付
今般在職之者住宅之儀御役宅と被合候《(マヽ)》ニ付而は在来家作ニ而割当不足之分ハ新規御取建ニも可相成ニ付、向後御役宅建家坪数其外別紙之通凡坪当りを以御渡可相成、尤依願候而は代金ニ而も御渡可相成候間委細之儀は会計掛可被談候
右之趣当地在職之者江不洩様可被達候
  十月
   別紙
    覚
  地坪凡五百坪
一 建坪五拾坪    程  大参事
  畳数五拾畳       権大参事
  長屋弐軒八坪
              少参事
  地坪凡三百坪      勤番組之頭
一 建坪三拾坪    程  権少参事
  畳数四拾畳       勤番組之頭並
  長屋壱軒四坪      病院頭
              同並

              開業方
              学問所一等教授
              同二等同断
              病院弐等医師
  地坪凡弐百五拾坪    同三等医師
一 建坪弐拾五坪   程  航運方俗事重立取扱
  畳数三拾畳       同 取締役
              同 一等
              書記
              公用方差添人
              郡方改役
              常平倉掛

              航運方弐等
              同 三等
              学問所三等教授
              病院三等医師並
              公用方中役
              藩政補翼附属
              学問所四等教授
              同 組頭
  地坪凡弐百坪      郡方
一 建坪弐拾坪   程   下監正
  畳数弐拾三畳      会計方
              刑法方
              使役取締
              学問所組頭勤方
              郡方並
              刑法方並
              公用方下役
              病院調役組頭
○中略
右之通政事庁掛江相達候事
  十月十八日
  ○右ニ常平倉掛トアルハ、栄一ナルベシ。
 - 第2巻 p.205 -ページ画像 


〔参考〕川村とよ女史談話 昭和四年七月(DK020011k-0004)
第2巻 p.205-207 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。