デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第2巻 p.208-274(DK020012k) ページ画像

明治二年己巳十一月四日(1869年)

十一月四日

是ヨリ先本年十月十八日附太政官ノ弁官ヨリ出京ス可キ旨ノ命アリ。乃チ常平倉ノ事務ヲ整理シ、同月二十六日静岡ヲ発シテ東京ニ出デ、是日民部省ノ租税正ニ任ズル宣旨ヲ拝ス。栄一辞意ヲ抱キシモ、是月十八日大蔵大輔兼民部大輔大隈重信ノ説得ニヨリ其辞意ヲ翻ス。


■資料

渋沢栄一 日記 自明治二年十月二十一日至明治三年二月十日(DK020012k-0001)
第2巻 p.208-235 ページ画像

渋沢栄一 日記 自明治二年十月二十一日至明治三年二月十日
         (財団法人渋沢青淵記念財団竜門社所蔵)
明治二年己巳十月廿一日
朝仮役所出勤、諸事取扱東京為替金三千両会計所より請取候ニ付政事庁会計局へ罷越請取済にて柿屋佐右衛門へ引渡す、昨日別紙之通御書附二通浅野次郎八殿被相渡候旨にて書記より被相達
                  渋沢篤太郎江
別紙之通弁官より被相達候間、東京江可被罷出候

其藩士渋沢篤太郎儀
御用候間東京江罷出候様可申付候也
 但到着之上ハ速ニ弁官江可差出候事
  十月十八日 弁官
    静岡藩知事殿
かく突如之御下命ニ而御用之品も分明ならねば大久保一翁に問ふに、事之仔細ハ知らされとも速に出京すへき旨を答ふ、尤一昨日友人平岡庄七東京よりの一書を得、篤之身処ニ云々の文字も添ふてありしか、もしや夫是の事共にもあらんずらんと篤の心事此際如何あらん、まつ平岡四郎と諸事を議し、当用はてゝ此日退出す、帰路呉服町多田元吉之寓居の前お通行せしか、平岡庄七の来状ありとて差出す、文中更ニ篤の身処お縷々申越したり
仮役所江帰りし後、常平倉御用達共明日一同出勤之旨書面にて申遣す
    廿二日
朝早く御用達も揃ふたれハ、篤東京行之儀相達し、御書付を拝見せしむ、一同驚愕之体なり昨夜平岡四郎お訪へ残候後事お談話す
御用達共への議事お遂て又政事庁に罷越し、来廿六日発程之儀申立る常平倉当所務ニ付見込品々大久保一翁へ申立る、更に平岡四郎小栗尚三へ議す、一同可然旨答へしかば、退出後御用達へも達し、留守中御用取扱方手続廉書可認旨を申付、一同の心得方等丁寧反復ニ申談す
 - 第2巻 p.209 -ページ画像 
    廿三日
御用達共より差出せし廉書未全なれとも心附候まゝ書綴りし由なれハ毎件仔細に差図振相認、尚心附候事共相加へ度旨申含遣す
政事庁に出御国章旅中人馬之儀監正掛へ引合、旅費其他之事共会計掛江申談、事整ふれは退出、仮役所にて御用達共江留守中之事務昨日之廉増お差図書相認、当用諸事お弁し、後事心得方取扱振まて落もなく申談す
昨日清水出張所へ申達し置たれハ、夜清水附御用達共罷出る、御用向申談し遣す
    廿四日
此日ハ政事庁休日なれハ、早朝より仮役所出勤、此程より申談残せし諸事并御用書類等逐一取調、以後取扱之者共江相渡し、御備金并緊要之御用書類券文之類迄相改引渡す、御用書類之内篤の所持すへき分ハ写取らせ、請取、清水附御用達へハ後事丁寧ニ書付上にて申示し引取らす、夕方清水出役之黒柳徳三郎来、諸事申談し書類認方抔申附遣す
    廿五日 晴
発程之期も迫れハ、此日は早天より一同取集り頗る紛冗お極む、朝より是迄之御用書類伺書引続書類等不残取広け、総而一読之上所々解釈せしめ、尚不明了之事ハ一同より質問させ、取扱振之廉書も稍全備せしかば、詳悉にこれを下知し、別ニ当用心覚書を認め、これお示し、又外ニ心得方のため壱封之秘書を認め、一同へ相達し、先公務も稍整頓したれは、是より夜に入て旅装にとりかゝる、廿一日より送別之来人或ハ暇乞とて罷越せし方もあれと私事なれハ略之
    廿六日 雷雨後に晴
早朝より理装四ツ頃迄に果ぬれは、仮役所へ出、一同にも暇を告、夫是《(マヽ)》を後事を示し、午後静岡を発す、夕方清水出張所に至り、御役所、御納屋等見分取扱振等差図し、柵矢来修理方お下知し、御用達共にも面会、船にて江尻宿着、夜に入て投宿
此日静岡㝡寄の御用達共一同町はつれの場所迄送別す、清水江尻の御用達ハ江尻宿に会同す
    廿七日
朝江尻宿を発し、初而諸事を脱却し、頗る籠外初飛之鳥、江中不繋之船の想をなす、蒲原駅に至り午餐、同所詰乙骨彦十郎といふ者、前田重吾縁者なるか旅店に来り面話す、八ツ頃半垣松永整を訪ふ、武沢市五郎《(武節市五郎カ)》、岩淵迄罷越し、同行にて開墾せし土地一覧す、夕方吉原駅に至り投宿
    廿八日 晴
早朝吉原を発し、原宿にて植松与右衛門といふ者の名園を一覧す
有詩
遺子何須書五車。慣家有法又堪誇。世間《経年》多少紛更事。不到園中濃淡花。
沼津にて午餐、同所に知人の多けれど心せかるゝまゝ其儘打過ぬ、薄暮三島駅に至り、投宿
    廿九日 晴
 - 第2巻 p.210 -ページ画像 
払暁より登途函嶺を登り、箱根宿にて午餐、此日前公之夫人御登駿ニ而同所ニ而御行過申上而御本陣江罷出、知識之者へ面会、御途上御無異之祝詞を呈す
七ツ頃小田原宿に至り、小伊勢屋といふ客舎に宿す
予曾而此地経過之節、懐古之旧製ありしまゝこゝに附裁す
将他斡地施天力《(旋カ)》。及我孤塁半壁隅。防守不全還可愕。慣家末路見遺図こハ古の事なりしか、物換り星移るに随ひ、地勢人情ともに変更あることゝ見へて去辰春之事共可否順逆ハ暫くさし置、䠖跙《(趦趄カ)》齷齪尤醜態を極めしとか路人の説もいと多かりけり
    十一月朔 曇
昧爽駅を発し、南湖といふ所にて午餐、此日ハ兼程程ケ谷駅迄旅行之積なれハ、足の乗物を早めしか、冬日の端なく夜に入ぬ、五ツ頃程ケ谷に至り、投宿
    十一月二日 晴曇
払暁より駅を発し、大森にて午餐、七ツ頃着京、春来投宿せし石街島屋甚蔵といふ旅店に卸担後、静岡発途口占之作多忙に紛れ打捨置しか、今夜稍閑なれハ聊推敲を加へて一絶を呵成す
無能儘憂自全真。懶向上揚玉塵《(一字脱)》。厭世心如霜着葉。輭紅宜見不勝春。
発程之口占にも似合ねとも、成るに任セ附裁せり、何か老成ぶり、又ハ賢人めくなどの嘲もあるへけれと、こハ篤の真情絶而矯飾なき処なれハ、後にこそ知る人もあるらめ
客歳復月初三篤欧洲より帰航、民部公子を奉し蕃浜に解纜せしハ恰昨日の如くにて㝡早一年を消除せり、真に年光如下坂丸不与我蹉跎といふ昔人之歎も宜なることゝ物に触れ事に図りてハ感慨の弥増のミ篤の客年東京着之頃ハ心事も雨後の雲のことくなりしか、兎まれ角まれ駿河の国の見まほしと袂を振ふて赴しか、其後春来再三之公務にて出京を弾指すれハ都而六度の往返をなせり、因望岳之一絶を得たれハ此に附裁す
弾鋏幾回喚渡河。週年六過富山阿。自疑雲物与人老。雪満峯頭白髪多狂詩にひとしけれとも、触感之儘記し置ぬ
意多歳月促とハ杜甫之警句矢張詩人忠厚之意念より出たるなるへし、篤の去歳仏国にて国家之傾覆を聞知し、日夜痛心難堪、翅なくとも万里之波濤を飛越し、実況見まほしくと帰期を数ふるの間いとも年月の長きを覚へしか、豈料帰国後駿地に移り、瑣々たる事務に係るも慰心の端にもやと稍其事に処せしか、又纏身の鬱累を為しさりとて、紛更之月日を送りしに今又其境を去れは、いかにも昨日の想を為すハ我意念より出て久促長短をなすことなれとも、自ら吾を疑ふへき程なり、彼岳陽楼の記中ニ喜憂己より出て物に就て感を為すの理を説しもますます古哲の予を欺かさるを知る
    三日 晴
朝上田閑江に恵借の轎を戻し遣す
新屋敷の老人阿女の迎ひとていまた滞留せしかは、朝来過訪せられ、旧話頗る鬱胸を慰めり
午後小川街に罷出、到着を御届申上、公用局江手続申談、其他知音之
 - 第2巻 p.211 -ページ画像 
者面会、夕方退出、夜老人阿ひさ其外来り、深更迄談話頗る故態を為し痴心を生す
朝平岡庄七川村三介来、景情を問、暫時談話にて帰る
静岡より書状来る封中書郷あり
    四日 晴
朝老人発足す、小川街会計方江静岡平岡四郎及留守宅へ書状托し遣す、拝借紙幣返納之儀ニ付、調書小田又蔵へ送遣す、午後和泉町にて大六お訪ひ、夫より伊勢崎町御蔵敷江罷越行方山口面会、御用向逐次談判し、帰路久松町にて平岡庄七を訪へ、夜に入帰宿
加藤成来泊深更迄談話す
    十一月五日 晴
朝八時頃小川街公用方より書状来、本日御用召之儀申来る、即刻支度を整ひ罷越す、公用局にて暫時待合せ、使役之者同行にて西城江罷出る宮中にある藩之公用局扣所にて休息、無程村井直見来る、公用方差添人也少間を経て御呼出、官省之案内て大広間縁廊下を過り柳間之入口にて扣居る、暫くして五辻少弁殿より左之通御書付被相渡、但柳之間にて被相達
                    渋沢篤太郎
任租税正

宣下候事
  十一月            太政官
受任相済之儀民部省江罷出大輔大隈従四位其他少丞并同列之者其外小吏に至迄面会、勤向夫々承合す、夕方帰宿、此夜阿部祐三租税少佑也前田重吾監督小佑也来る、夜橋本長七郎来、静岡常平倉掛附より書状来る、留守宅之書状も封入す
    六日 曇夕晴
此日休省ニ付朝より静岡行書状を裁す、大久保一翁、平岡四郎及掛所出役之者へ書状遣す、留守宅へも壱封遣す、爾来之手続丁寧ニ四郎及常平倉掛附へ申遣す
郷里へ壱封を出す、近況申遣す
大坪七兵衛来、午餐後平岡庄七へ罷越す、堀鼎福田作太郎川村恵十郎織田研斎其外等面会す五ツ過帰宿
    七日 晴
勝安房方江書状差遣す
朝八時出省
戸籍編製之儀ニ付、少丞岡本鍵三郎より申談有之
拝借屋敷之儀ニ付土木司へ引合いたす、第四時過帰宿、夜食後矢ノ倉伊東を訪ふ、不在ニて面会なし、吉田次郎面会いたす
    八日 晴
朝加納次郎作来
例刻より出省、戸籍編製之儀ニ付見込取調且当用取扱ふ邸宅之儀ニ付土木司安永土木正より調書差越す、退出後阿部祐三来、居宅之儀申聞る
静岡平岡四郎外両人より書状来
いせ崎黒川伝次郎へ相廻ス別書申遣ス
 - 第2巻 p.212 -ページ画像 
    九日 晴
朝巳屋忠次郎来、例刻より出
省戸籍之儀ニ付掛詰合之席江出張、見込取調且申談いたす、居宅之儀ニ付菅浪武三郎より申談有之、戸籍之儀ニ付岡本権少丞より申談有之、小札交換之儀林出納正へ承合いたす、第五時頃退出
    十日 晴
例刻出省、戸籍掛之者儀ニ付見込少丞へ申立る取調草案類出来す
遠州静岡藩管轄地江御貸下之紙幣之儀ニ付、岡本江承合す、夕方小川街邸に至る、織田其外有司面会す、駿河台にて邸宅見分す、松本新作を訪ふ、不在にて面会なし、夜に入帰宿、此夜尾高藍香郷里より来る、家君之書持参す
    十一日 晴
休日ニ付朝より調物宅にて認分いたし、午後南八丁堀にて郷之邸を訪ひ、夫より大少輔大少丞を訪ふ、坂出三郎を訪ふ、夜に入る迄談話す、風邪之気故同所より駕を命し帰宿す
    十二日 曇夕雨
不快ニ付出勤断之儀吉川江申遣す、斎藤六蔵来る、阿部祐三来
    十三日 雨
昨夜より熱気ハ稍消すれとも咳嗽甚しく、胸膈をせり上ル、難堪ければ伊東大典医に書状を遣し、病之よしを報し来訪を請ふ、夕方同人来る、散薬水薬等を送る、此日静岡に書状を遣、平岡小栗其外常平倉掛附御用達并宅状等遣す、爾来之手続委細申遣す
明日出勤之儀伊東より切ニ被差留
    十四日 晴
朝書状を吉川に送り今日出勤之儀断遣す、承知之旨返書来、斎藤六蔵来戸籍調之儀委曲申談遣す
昨日喜多村富之助後藤金兵衛来、午後中村玉太郎来、板見屋来、庄七帰駿之旨ニ付面会し遣す、夕方行方文五郎来、御用向申し談遣す、阿部祐三来、夜に入迄談し帰る、居宅之儀申聞ル昨日川村恵十郎来、前田重吾来、荒井江用達金廿五両之儀川村江談し遣す、加藤木来る、書籍類遣す、阿部祐三来
    十五日 晴又曇
朝比留間良八来、五ツ半頃出省、近日来調取掛たる戸籍編成之下調出来いたす、御布告案等草案し岡本江廻ス、小札引替之儀并銭交換之事林又七郎へ引合、銭ハ不出来成旨申聞る
省中諸務釐正大台本相立度旨、岡本其外江申談す
    十六日 晴
朝阿部祐三来、宿等見分ニ付同行、和泉橋辺お行天神下後藤錠太郎宅見分す、毎事祐三江申談置、柳原にて梅田を訪ふ、不逢、裏猿楽町岡本を訪、面会、省中改正之儀其外見込申談す、表二番町郷純蔵《(マヽ)》を訪不逢、夕方帰宿、夜平岡庄七を訪ふ、加藤木之事談判ス、此夕尾高帰府夫々談し遣す
    十七日 晴
此日尾高帰省ニ付、再出京之儀其外内事品々申談遣す
 - 第2巻 p.213 -ページ画像 
朝五ツ頃出省、一昨日出来せし戸籍之調物相残り候分岡本江廻ス、省中改正之儀ニ付伺書草案調いたす
民事ハ治国之根楨、諸政之基礎ニ候処、中葉以降将門弄権百事自家之臆断ヲ以経画シ、郡国之経界都邑村里之□《(郡国之経界都邑村里之称カ)》、□桑商賈《(蚕桑商賈カ)》之税、度量衡之定則其他緊要民命に関スル所務総テ紊乱シ、一定ノ法難認哉ニ奉存候就而ハ目前之事唯旧貫ニ仍候迄ニテ、真正ノ御改革無之テハ遂ニ御基本難相立、実ニ此上モナキ急務ト奉存候間、此度省中ヲエテ改正掛相立、可然人物相撰、右掛申付和漢洋古今之美意良法ヲ斟酌し、折衷ノ上一定ノ御法相立候様仕度、此段相伺申候 以上
    十一月
諸務廻し物取調いたす、省中諸事多端ニ付夜に入テ退散ス
玉乃少丞ヨリナボレオンコード之儀申談有之、郷少丞ヨリ永田□左衛門建白書被相廻一覧、岡本へ廻ス、仏国在中之儀其外ニ付卿伊達従二位殿より御談有之
    十八日 晴
昨日見廻シニナリシ田畑御払下之儀ニ付異見論文相認監督江廻ス、少丞ヘモ申達ス、同論之旨申聞調直しイタス
宮谷県御管轄地畑米納代納之儀評決ス、調直しいたす
此日改正掛之儀ニ付御書付ニテ被仰付
                     渋沢租税正
改正掛被
仰付候事
    十一月 民部省
右之通卿ヨリ御直達相成外大輔ヨリモ申談有之、掛出勤之場処取調いたす
機株願書付大隈大輔より被相廻、ナホレオンコードハ既ニ開成所にて翻訳取掛候旨伊達卿ヨリ御申聞有之、今朝右之儀ニ付栗本如雲へ書状遣す、夜静岡江書状認遣ス、平岡小栗ヘ壱封、掛附ヘ壱封ヲ裁ス、郷里宅尾高ヘ壱封宛認遣ス
    十九日
(記文ナシ)

  見廻書類請払
  巳十二月二日ヨリ
一旧幕中張紙直段相用候儀廃止更ニ本年相場之割安ニ相立候儀
                    一覧小印済出納江廻ス
一豆州初島年貢米五ケ年季安石代之儀   一覧小印済出納江廻ス
  巳十二月三日
一青木乕之助収納御渡方願之儀ニ付弁官ヘ御掛合振 一覧小印出納ヘ廻ス
一窮民御救助之儀ニ付府県江御達之儀伺書 一覧取捨小印出納江廻ス
一彦根藩近江国御預所去々卯年租税上納期延願弁官御挨拶振伺書
                    一覧済出納ヘ廻ス
  十二月四日
 - 第2巻 p.214 -ページ画像 
一岡崎藩相伺候上野村荒地開墾之儀玉乃少丞見込モ有之聴訟掛江引渡方伺書
   十二月五日            一覧小印監督ヘ廻ス
一京都府より伺候薬園地之内藤林玄丈江貸渡方之儀ニ付弁官江懸合振伺書 一覧之上監督江廻ス
一若松県伺 社寺院寄附米之儀ニ付下知調 監督より廻ル
   十二月五日                一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月五日
一播州三日月藩申立候井上要人引渡方刑部省江可引渡旨御差図調直し伺書
   阿部租税少佑より申聞有之承置
一韮山県支配地寺領地不分明之儀伺書ヘ御附札振伺書
                        一覧小印監督ヘ廻ス
一本領安堵戸田太郎外八人半高下賜、山口新五郎等ヘ巳年物成半高渡之儀調書
                        一覧小印出納ヘ廻ス
一織田熊三郎巳年収納之儀ニ付大津県より申立も有之同所ヘ御附札振調書 一覧小印監督ヘ廻ス
一本領安堵巨勢八郎外三人三分二又ハ半高ニ而禄高被下候諏訪源太外弐人ヘ巳年分収納五分通渡候儀調                    一覧小印出納ヘ廻ス
一水原県管轄小川庄四ケ村を若松県江属し同県管轄河内谷拾九ケ村ハ如旧水原県ヘ割替之儀伺書
                        一覧小印監督ヘ廻ス
一館山藩ヘ御附札振取調伺
   十二月七日                一覧小印監督ヘ廻ス
一甲府県管轄甲州四郡之違作巳年納米之儀伺書
             壱分迄安石代
   十二月七日                一覧小印出納ヘ廻ス
一大網藩支配地報恩寺外壱ケ村之儀
   十二月七日                一覧小印監督ヘ廻ス
一京都府より相伺候非常駆付人足之儀
   十二月七日                一覧小印監督ヘ廻ス
一神奈川県より問合ニ御附札振伺書
   十二月七日                一覧小印出納ヘ廻ス
一柏崎県伺書御附札振伺書
        監督より廻ル
   十二月五日                一覧小印岡本江廻ス
一和歌山藩申立候同藩士曾根衛門収納渡調
   十二月七日                一覧小印出納ヘ廻ス
一白川県出穀相伺候江御附札振取調伺
   十二月七日                一覧小印監督ヘ廻ス
一津山町御預所美作国大庭郡外壱郡十八ケ村之窮民御救夫食伺書
   十二月七日                一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県申立候御救夫食拝借願之儀伺書
   十二月七日                一覧小印出納ヘ廻ス
一品川県申立候船荷物之儀伺書
   十二月七日                一覧小印出納ヘ廻ス
一伊那県水内郡坂上郷ヘ焼失拝借願伺書      一覧小印出納ヘ廻ス
   十二月七日
 - 第2巻 p.215 -ページ画像 
一鸖舞藩より御旗下上知村々先納之儀ニ付伺書江御附札振
   十二月八日                一覧小印出納ヘ廻ス
    駿河台鈴木町
       元岩男監督権正宿所
                 江口大録
                   純三郎
    蠣殻町
        加納通商権少佑同居
                 佐藤与之助
一本領安堵永田勝左衛門外弐人減高を以下賜候内五分通渡方調書
   十二月八日                一覧小印出納ヘ廻ス
一大津県相伺候助郷村之高掛物下渡方之儀御下知振伺書
   十二月八日                一覧小印監督ヘ廻ス
 青山銀之丞旧知之儀
一弁官江御問合振取調伺書            一覧小印監督ヘ廻ス
一韮山県相伺候豆州天城山御林之内悪木伐透之儀御下知振伺書
一怔劣米買納之儀神奈川県江御附札振伺書
   十二月八日                一覧小印出納ヘ廻ス
一間部篤四郎知行高之儀神奈川県江御達振伺書
   十二月九日                一覧小印監督ヘ廻ス
一弁官支配大久保登之助厄介之儀伊那県江御達振伺書
                        一覧小印いたし監督ヘ廻ス
一ノ関藩支配地之儀ニ付弁官江御達振伺書
   十二月九日                一覧小印監督ヘ廻ス
一長島租税大令史佐倉七牧ヘ交代ニ遣し方伺書
   十二月九日                同断
一巌原藩支配地之儀ニ付弁官江御掛合振伺書
   同日                   一覧加除いたし出納ヘ廻ス
 外国人遊猟規則
一外務省より掛合越候儀江御答振         監督より廻ル一覧小印返却
一久美浜県申立候生野予中貸下米之儀御附札振伺書
   十二月九日                一覧小印出納ヘ廻ス
一日田県申立候定免相保候村々置米取計度との儀御附札振伺書
                        一覧小印監督ヘ廻ス
一同県夫食手当米伺江御付札振伺書
   十二月九日                一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月九日
一三河国渥美郡山田村泉福寺領歳入仍旧渡し方之儀
   十二月十二日               監督より廻ル一覧小印監督ヘ返ス
一関宿藩上知収納未納之儀御附札振伺
   十二月十二日               一覧小印監督ヘ廻ス
一兵庫県申立江片桐鋠三郎旧知并尼崎藩古河藩支配地物成之儀御附札振伺
   十二月十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一福岡藩当巳凶作之趣届書            一覧小印出納ヘ廻ス
一大津県伺松禅院領歳入仍旧渡し方
           監督より廻ル
   十二月十二日               一覧小印監督ヘ返ス
 - 第2巻 p.216 -ページ画像 
一登米県開墾之儀申立候江村々故障可取調旨御附札振
   十二月十二日               一覧小印監督ヘ廻ス
一品川県申立候管轄地内上知之分一手支配ニ無之而ハ差支之旨ニ付東京府江御掛合振
   十二月十二日               一覧小印監督ヘ廻ス
       去辰        十二月十三日 監督ヘ廻ス
一泉藩上知二千石租税上納方之儀ニ付弁官江御掛合振伺書
   十二月十二日
   十二月十三日                収納高可取調旨にて内藤江下渡す
一夫食其外御貸渡之儀省中内規則之儀伺書
   十二月十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
   洪水堤切ヘ違作五分以上損毛之村
 但 風火災焼失 夫食一日男三合女弐合三十日分
   本潰金弐両半潰金壱両五ケ年賦
一本領安堵松平勝千代外五人御領之内御用上知収納平均半高渡調書
   十二月十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一三戸県より相伺候社寺寄附米仍旧下渡之儀
   十二月十日       監督より廻ル
               十二月十二日   一覧小印監督ヘ返ス
一本領安堵三分二及半高賜高御領収納渡し方調
   米津小太夫外九人
   十二月十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一神奈川県問合候石代直段之儀御附札振
   十二月十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一笠松県申立候附属助郷村々二役免除之儀追而駅逓司より相達候迄前々之通可取計旨附札振
   十二月十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一大津県相伺候前同断之儀前同断御附札振伺書
   十二月十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一甲府県救荒拝借難出来旨御附札振
   十二月十二日               一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月十二日
一京都府より申立候三ケ条江御附札振伺書
 藤林玄丈拝借地之儀弁官より挨拶有之ニ付伺書
                        一覧小印監督ヘ廻ス
一松岡藩支配所籾石高減之儀御届書
   十二月十三日               一覧小印監督ヘ廻ス
一高槻藩御預所損地高引之儀御届書
   十二月十三日               一覧小印監督ヘ廻ス
一神奈川県御届御廻米石代納村々仕訳書
   十二月十三日               一覧小印監督ヘ廻ス
一大津県伺出候御廻米運賃米弐割引方向後相廃止之儀
   十二月十三日               一覧小印出納ヘ廻ス
一堺県差出候孝義者御賞美調書
   十二月十三日               一覧小印監督ヘ廻ス
一京都府より問合候三役人給米之儀
御料ハ被下其余ハ不被下方伺書
   十二月十三日               一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月十三日
 - 第2巻 p.217 -ページ画像 
一葛飾県安石代伺御附札振
  但精々米納もし不出来分ハ巳十月東京御蔵相場之事
   十二月十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県支配地神津島江種麦貸附候儀御届書
   十二月十四日               一覧小印監督ヘ廻ス
一大垣藩御預所貢米御蔵納之節上乗ニ而取扱候儀御届書
   十二月十四日               一覧小印岡本ヘ廻ス
一佐野藩久留里藩秋月藩当巳収納損毛之儀御届書
      十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県石代納之儀伺書買納可致旨御附札振
   十二月十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一神奈川県相伺候東海道宿ニ飛脚賃給米渡船等扶持方之儀追而駅逓規則相立迄不相渡旨御附札振并同断之儀小田藩ヘ相達候儀
   十二月十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一土浦藩当巳収納損毛御届品川県支配地定免切替御届
   十二月十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一和歌山藩曾根衛門禄高減し之儀弁官江御懸合振
   十二月十四日               一覧小印監督ヘ廻ス
一津山藩御預所臨時石代納伺書ヘ御附札振
 但御蔵出米直段を以可相納之事
   十二月十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一麻田藩より支配地内租税之儀ニ付騒擾之儀届書
   十二月十四日        監督より廻ル 一覧小印 同所ヘ返ス
一上州岩鼻村江新河岸取立之儀岩鼻県より御届書
   十二月十四日               一覧小印監督ヘ廻ス
一三好時之助采地之儀ニ付堺県ヘ御挨拶振
  但上知村々租税ハ堺県にて受取時之助ヘハ東京御蔵にて相渡候積之事
   十二月十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一葛飾県畑米上納安石代願江不相成儀御附札振
   十二月十四日               一覧小印監督ヘ廻ス
一津山藩御預所畑方米引方之儀伺之通難相整段御附札振
   十二月十四日               一覧小印監督ヘ廻ス
一鰥寡孤独御賑恤之儀ニ付甲府県より凡被下扶持伺書江御附札振
    十二月十四日 監督より廻ル
               十二月十五日附札之上岡本ヘ廻ス
一浦和県相伺候正税石代納之儀七分通正納之積御下知振
   十二月十四日               一覧加除出納ヘ廻ス
  十二月十四日
一脱籍之者引渡方之儀仙台藩より伺書江其出所ヘ可引渡旨御附札振
   十二月十四日              一覧小印監督ヘ廻ス
一長寿の者ヘ被下物之儀ニ付堺県より御届書
   十二月十五日               一覧小印監督ヘ廻ス
老人共を御祝ニ而御金可被下筈ニ昨年被仰出先般取調候得共、御金繰殊之外御指支ニ付、乍御不本意不被及其儀八十歳以上扇子二本七十歳以下扇子壱本ツヽ下賜候事
   巳十一月
一本領安堵之者減高之者上知収納渡方調
   十二月十五日               一覧小印出納ヘ廻ス
                                 十二月十七日
一大津県より相届候井料米寄附米其外渡方、并旧領渡来候を廃止之分江
 - 第2巻 p.218 -ページ画像 
再調之上監督ヘ廻ス
御附札振
  十二月十五日再調之儀黒田大佑へ申談す
   十二月十五日               一覧小印出納ヘ廻ス
一大網藩支配地報恩寺白浜弐ケ村渡不足五ケ年物成詰を以相渡候ニ付弁官江御達振
   十二月十五日               一覧小印出納ヘ廻ス
  十二月十五日
一若松県管轄内米不足ニ付水原県より貢米之内壱万石廻米之儀伺書へ難相整段御附札振
   十二月十七日               一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月十七日
一大垣藩御預所貢米上納行届候ニ付御賞詞伺
   十二月十七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一伊那県増管轄之儀ニ付弁官ヘ御届振并松代藩御預所ヘ御達振
   十二月十七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一六角雄太郎上知物成渡方調書
   十二月十七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一青山銀之丞旧知物成兵庫県ヘ収納可致旨御附札振
  東京府御掛合挨拶とも添
   十二月十七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一禄制被為建候ニ付士族上知不残府県ニ而収納可致尤御高帳ハ追テ取調可相渡旨府県一統江御達振
   十二月十七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一鸖舞藩支配所名主組頭給米御料同様可取計旨御下知振
   十二月十七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一日田県申立ニ付厳原藩支配地上知之儀郷少丞議論有之日田県申立難相整旨同県ヘ御達振再調
   十二月十七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一宮谷県御廻米之儀凡弐万九千石買上納可致旨御附札振
   十二月十七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一和歌山藩紀ノ川筋流木税之儀ニ付大坂民部省ヘ御問合振
   十二月十七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一長尾藩伺四ケ条江御附札振
   十二月十七日               一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月十七日
一奈良県申立候和州吉野郡弐十三ケ村之ものニ付弁官江御掛合案
   十二月十八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一辰年中転国村替相成候華族江不足高今般上知相成候士族知行所にて可相渡右ニ付府県ヘ物成詰差出方相達候儀申上書ニ付
   十二月十八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一水原県伺江御附札振
   出納より廻ル
   十二月十八日               一覧小印岡本ヘ廻ス
一白河県相伺候御救助筋之儀御附札振
  日数十五日男三合女弐合
   十二月十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一大津県届書江御附札振
  郷蔵敷地代米石代を以可相渡旨申遣ス
 - 第2巻 p.219 -ページ画像 
   十二月十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一日光県支配村々定免切替御届
   十二月十八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一水原県伺五ケ条ヘ御附札振
   十二月十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一越後国頚城郡六日町洞仙庵領之儀ニ付高岡藩柏崎県ヘ御達振
   十二月十八日    更ニ可取調旨にて内藤ヘ下ル
                十九日 再調之上出ス 監督ヘ廻ス
  十二月十八日
一仙台藩地所不足ハ高内引ニ付不相渡積仰山村壱年過ハ受取登米県ヘ可引渡ニ付弁官江届書
   十二月十八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一神奈川県申立候石代納之儀難相成段御附札振
   十二月十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一水口藩申立候村井町と外三ケ村引替之儀難相成段弁官へ御届振
   十二月十八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一管轄内土着之者ハ其府県之貫属たるへく上知之地所ハ御籏下上知同様可相心得旨日光県江御達振
   十二月十八日   監督より廻ル      一覧小印岡本ヘ廻ス
一京都府相伺候荒所五分以上は三役免除之儀畑方ハ従前之通可取扱旨御附札振
   十二月十九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一大垣藩相伺候御預所御廻米津出し五里外三分壱里米三合五夕之旨可然旨御附札振
   十二月十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一佐倉藩小幡藩収納損毛御届
   十二月十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一竜野藩御預所定式三分一石代㝡寄相場ニ而相当之旨御附札振
   十二月十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一当巳正月中半高被下候太田彦十郎儀去辰収納、同人受取御采地取締も相勤候ニ付、去辰収納ハ半高ハ藩ヘ被下半高ハ巳年分ヘ被下差次之積御達振
   十二月十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一東京府伺武州豊島郡千駄ケ村外拾六ケ村畑方田畑成共米納相止永納ニいたし度儀難相整段御附札振
   十二月十八日               一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月十九日
一名古屋藩御預ケ地之内六万石桑名藩岡山藩同断之内弐万石、松山藩支配地ニ被仰付、其余㝡寄県々ヘ管轄可被仰付ニ付弁官江御伺振
   十二月十九日               一覧小印監督ヘ廻ス
一本領安堵鍋島□之介《(鍋島頻之介カ)》外七人減高下賜村越茂助外四人巳年物成半方渡方調
   十二月廿日             一覧小印出納ヘ廻ス
一高島藩支配地違作損毛御届
   十二月廿日             一覧小印出納ヘ廻ス
一竜野藩御預所貢米津出之儀、依旧刈屋湊ニ可致御届
   十二月廿日             一覧小印出納ヘ廻ス
 - 第2巻 p.220 -ページ画像 
一此度禄制被為建士族之内本家内分之分ハ宗家ヘ引渡、宗家より今般之禄制に基き為相渡候方可然旨伺書
   十二月廿日             一覧小印監督ヘ廻ス
一韮山県相伺候畑米石代納之儀買米を以可致上納旨御附札振
   十二月廿日             一覧小印出納ヘ廻ス
一大森県穏岐国御廻米渡船増給之儀調方粗漏ニ付再調之旨御附札振
   十二月廿日             一覧小印監督ヘ廻ス
一宮谷県申立候開墾場之儀故障相糺絵図面相添更ニ可相伺旨御附振振《(マヽ)》
   十二月廿日             一覧小印監督ヘ廻ス
一葛飾県相伺候小堀川岸高札書替下渡之儀ニ付古高札ヘ掛紙添削并浦高札ニ習ヘケ条増之儀御達振
   十二月廿日             一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月廿日
一葛飾県相伺候畑方村々引方之儀難相整旨御附札振
   十二月廿日 廿二日         一覧小印監督ヘ廻ス
一太田彦十郎旧知営繕養老扶持等渡方知行所より取立候租税之内を以可相渡旨伊那県へ御附札振
   十二月廿日 廿二日         一覧小印監督ヘ廻ス
一若森県相伺候三分一石代之儀難相整御蔵出米又ハ買米を以上納之儀御下知振
   十二月廿二日            一覧小印出納ヘ廻ス
一宮谷県相伺候畑米九千七百弐十石余安石代之願難相整、御米繰も有之御蔵出米又ハ買米を以上納可致旨御下知振
   十二月廿二日            一覧小印出納ヘ廻ス
一盛岡藩支配地不足千四百石余渡方ニ付弁官ヘ御挨拶振并江刺県ヘ御達振
   十二月廿二日            一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月廿二日
一白川県相伺候阿部基之助旧領田方損毛ニ付畑方引之儀畑方引ハ不相成且五ケ年平均帳為写取相廻し候ニ付午年より右へ見合可申旨御附札振
   十二月廿三日            一覧小印出納ヘ廻ス
     支配地
一郡上藩御届当巳損毛并難渋村々救米下渡之儀二綴
   十二月廿三日            一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月廿三日
一伊勢崎藩姫路藩烏山藩館藩磐城平藩古河藩新荘藩当巳年違作ニ付五分以上損毛又ハ損地高調等御届書
   十二月廿四日            一覧小印監督ヘ廻ス
一松代藩より荒所五分以上損毛一村限帳面共御届書
   十二月廿三日            一覧小印監督ヘ廻ス
一神奈川県申立候助郷村々高掛二役追而駅逓之御法相立候迄取立候積打合達書
   十二月廿三日            一覧小印出納ヘ廻ス
一館藩元御預所役人羽前国村山郡他国出荷改出立帰着届書
  荷物役永ハ酒田県ヘ引渡入用ハ同県より可受取よし
   十二月廿三日            一覧小印出納ヘ廻ス
一同藩伺出候元御預所口米永ハ九月九日郷村引渡候ニ付八ケ月半之分
 - 第2巻 p.221 -ページ画像 
月割を以酒田県より可受取旨御附札振并酒田県へ右可相渡旨達書
   十二月廿三日            一覧小印監督ヘ廻ス
一伊那県相伺候諏訪左源太旧采地収納ハ伊那県にて取立左源太ヘハ御蔵米を以可相渡旨御附札振
   十二月廿三日            一覧小印監督ヘ廻ス
一笹山藩安志藩鳥羽藩当巳年損地高并救米遣候儀等届書
   十二月廿四日            一覧小印監督ヘ廻ス
一長尾藩元支配地去辰収納租税米弐千六百拾七石七斗七升六合願之通買米を以葛飾県へ可相納旨御附札振
         葛飾県へ御達振共
   十二月廿四日            一覧小印出納ヘ廻ス
一長島藩舞鸖藩一関藩当巳年凶作損毛高御届書
   十二月廿四日            一覧小印監督ヘ廻ス
一本領安堵仙石松渓外壱人上知収納米五分通米九百五十弐石下渡候儀調書 永拾七〆七百五十文
   十二月廿四日            一覧小印出納ヘ廻ス
一品川県届出候内藤新宿柏木成子町ニ捨子弐人有之候ニ付救米《御手当米》三俵宛被下方之儀
   十二月廿四日            一覧小印出納ヘ廻ス
  十二月廿四日
一忍藩支配地武州埼玉郡下中条村地内見治代其外米渡方浦和県より可相渡旨同藩県へ達振
   十二月廿四日            一覧小印出納ヘ廻ス
一浅尾藩高鍋藩より此度上知之士族旧地御預願御沙汰難被及旨相違候よし弁官より申来候写
   十二月廿四日            一覧小印監督ヘ廻ス
一倉敷県当巳石代相場伺書へ㝡寄市町十月中上米平均相場を以石代上納可致旨御附札振
   十二月廿四日            一覧小印出納ヘ廻ス
一笠松県置米残金伺置米残ハ翌年新米に引替可上納旨御附札振
   十二月廿四日            一覧小印出納ヘ廻ス
一静岡藩支配地東海道原宿焼失之儀御届書
   十二月廿四日            一覧小印監督ヘ廻ス
一和歌山藩曾根衛門之外同藩ニ而五人熊本藩壱人高田藩三人旧幕より附与いたし居候地所引立方之儀伺書 十二月廿四日
  調直し之旨にて内藤へ下ル
       廿七日           一覧小印岡本ヘ出ス
  十二月廿六日
一小菅県当巳貢米皆済御届
       廿六日           一覧小印出納ヘ廻ス
一神奈川県当巳貢米怔劣見本添村限帳差出候ニ付届書
   十二月廿六日            一覧小印出納ヘ廻ス
一前橋藩ヘ為代知被下候上州村々去辰年収納先領主ヘ先納有之分三分一三分一以下之処合米四百四十一石九斗余永三千三百三拾貫余被下方伺書
   十二月廿六日            一覧小印出納ヘ廻ス
一若森県三分一石代納伺難聞届買米を以上納可致旨御下知振
   再廻し物
   十二月廿六日            一覧出納ヘ廻ス
 - 第2巻 p.222 -ページ画像 
一牛久藩関宿藩宇都宮藩新見藩より巳年収納損毛御届
   十二月廿六日            一覧小印出納ヘ廻ス
一品川県相伺候米五百六拾石余石代納之儀旧旗下上知之分ハ精々申談可成丈御廻米取計書取調可相伺旨御附札振
   十二月廿六日            一覧小印出納ヘ廻ス
一津山藩御預所《去辰》御収納米運賃御勘定伺
          伺之通御下知振
   十二月廿六日            一覧小印出納ヘ廻ス
 備前金岡湊より大阪迄 壱石ニ付運賃米四升四合五夕五才 但四分五厘九九減し
 同福島湊より大阪迄 同 運賃米四升六合五夕三才    但四分七厘九九減し
一小菅県御届農業出精孝行寄特之者御褒賞調書
   十二月廿六日            一覧小印出納ヘ廻ス
一白石県相届候賞典救恤施行之儀
   十二月廿七日            一覧小印監督ヘ廻ス
一大垣藩相伺候美濃国南宮社外四ケ寺受領地租税之儀追而御改正迄依旧相渡可申旨御附札振
   十二月廿六日 監督より廻ル     一覧小印監督ヘ廻ス
      廿七日
一江刺県より届出候同所出張民政取扱手続書及内探索及武器所持取調別冊添 武器願之儀も取調更ニ可相伺
   十二月廿六日            一覧小印監督ヘ廻ス
  但絵図記帳其外最前申送置候書類ハ早々差出可申旨御附札を以相達候事
一上山藩夫食千弐百石酒田県より買入度儀願書ヘ願之通可承届旨御附札并酒田県ヘ御達振
  但相場ハ柴橋表十二月中平均相場之事
   十二月廿六日 監督より廻ル     一覧小印岡本ヘ廻ス
一高徳藩河内国支配地五千石余下総国千葉郡其外村々と引替願之儀難相整旨弁官ヘ御達振
   十二月廿六日            一覧小印監督ヘ廻ス
  十二月廿七日
一林藤助ヘ高三百石下賜候分外御蔵米取之振合を以三ツ五分之積渡方可取計旨伺書
   正月四日              一覧小印監督ヘ廻ス
一甲府県再応相伺候巳年収納高之壱分通安石代納之儀当金石代半直段を以安石代可取計旨御附札振
  十三日監督より不相当之見込有之ニ付相当之弁下札にて答遣ス
   正月四日              一覧小印出納ヘ廻ス
一花房藩支配地安房上総ニ而弐拾ケ村巳二月中長尾藩ヘ割替相渡花房藩江ハ別ニ上総長柄郡ニ而相渡候皆済後之割替ニ付辰年物成ハ両藩とも元支配地ニ而受取可申旨両藩ヘ御附札振
   正月四日              一覧小印監督ヘ廻ス
一久美浜県伺福井藩御預所より米壱万石買入方之儀三分一直段を以て買入旨御附札振
   正月四日              一覧小印出納ヘ廻ス
  正月八日
一諸藩御預所之儀先般封土返上一般御預支配地と相成候上ハ別ニ御預所之名義不相当ニ付引上方之儀太政官ヘ伺書
   正月九日              一覧小印加筆之上監督ヘ廻ス
 - 第2巻 p.223 -ページ画像 
一館藩元御預所田方五分以上《荒所》損毛ニ付掛り三役上任免除其外とも七ケ条伺之通可然旨御附札振
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一福井藩御預所越後国巳年御廻米石数届加知山藩支配損毛届
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一去巳正月酒田県ヘ罷越候租税小令史両人帰着御届
   正月九日               一覧小印監督ヘ廻ス
一大網藩支配地羽前国長瀞附高四千石程上総国大網㝡寄にて村替可被仰付旨太政官ヘ伺書
   正月九日               一覧小印監督ヘ廻ス
一山崎藩巳年作方損毛御届
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一淀藩下妻藩巳年収納損毛御届
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県伺網代類焼拝借返納午年より十ケ年賦之積御附札振
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一伊那県御廻米差配方三河国足助局付村々之分鷲塚湊俊次郎と申者ヘ申付候届
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県届出候御廻米会所入用納日限之儀
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一相模国高野郡小山村外拾ケ村《最寄》韮山県にて高外之地桑植附取計候地所神奈川県管内ニ付同県ヘ可引渡ニ付両県ヘ達振
   正月九日               一覧加筆監督ヘ廻ス
一唐津藩相伺候浦高札太政官日誌百号案文之通心得可取計旨御附札振
   正月九日               一覧小印監督ヘ廻ス
一飯山藩志筑藩高遠藩巳年収納損毛届
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一品川県捨子両人御手当米届 但 壱人三五入三俵ツヽ
一名古屋藩去辰五月以来街道駅々附属助郷相勤候儀無之段届書
一柴山藩巳年収納減方届高須藩同断損毛届
一高岡藩収納高書附
 右四廉一綴
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一若松県伺水原県より一万石廻米之儀難出来県之有合金にて可買入旨御附札振
   正月九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一酒田県届浮役免除《独裁取扱ハ不都合之段附札を以達ス》之儀再調之儀見込調書相添桑山ヘ下ル
  正月九日  再調ニ而出ル十日      一覧小印出納ヘ廻ス
   正月九日
一巌原藩支配地日田県申立も有之割替之儀ニ付弁官江伺振
   正月九日               一覧小印監督ヘ廻ス
一小菅県支配地行徳塩役永四分一正納之分糴増御払代伺申立之通可然旨
     十日               一覧小印出納ヘ廻ス
一彦根藩御預所等角田県御救助《窮民》御届御規則に振レ候ニ付此度ハ承置候
 - 第2巻 p.224 -ページ画像 
得共以来右賃之儀無之様御附札振
   正月十日               一覧小印出納ヘ廻ス
一品川県管轄上目黒村地所其外開墾之儀《貧民》割渡ハ不都合ニ付入札払可取計旨御附札振
   正月十日 十四日 再監督ヘ廻ス    一覧小印監督ヘ廻ス
一作州大聖寺村大聖寺寄附米追而御改正迄依旧可相渡旨生野県ヘ御下知振
   正月十日 監督寺院掛より廻ル     一覧小印岡本ヘ廻ス
一東京府伺滝野村外弐ケ村貢米買納之儀伺之通可取計旨御附札振
   正月十日               一覧小印出納ヘ廻ス
一同所伺畑方納米安石代之儀ハ不相成三拾五石ニ付金三百八十三両弐分にて可相納旨御附札振
   正月十日               一覧小印出納ヘ廻ス
一同所伺石代納ハ不相成精々撰立御廻米可致旨御附札振
   正月十日               一覧小印出納ヘ廻ス
一柏崎県御届二拾年来大雪之儀
   正月十日               一覧小印監督ヘ廻ス
一白河県種籾代拝借願石巻県開拓ニ付御下金願按察府問合候処不都合之趣ニ付難出来段御附札振
   正月十日               監督より廻ル 一覧小印 岡本ヘ廻ス
  正月十日
一角田県相伺候去巳収納米七千石余之分県下救荒御払米之手当として御廻米見合度との儀難相成段御附札振
    十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
 (註、抹削シアリ)
一韮山県御届伊豆国去巳御廻米凡積湊訳書付同運賃金之儀申上
    十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一彦根藩御預所貢米怔劣石代納之儀少石数ニ付伺之通定例金納を以京都大蔵省ヘ可相納御附札振
    十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一高槻藩御預所五分以上損毛場所三役免除之儀伺書相違無之ニ付伺之通可取計旨御附札振
   正月十二日              一覧小印出納ヘ廻ス
一彦根藩相伺候御廻米運賃之儀、㝡前大津県より伺出候分と相違も無之ニ付可然旨御附札振
    十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一嘉納大三郎ヘ貢米廻船御用達申付候儀伺書
    十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一角田県相届候磐城上下戸沢宿ヘ下渡米之儀、諸駅一定之御法相立候迄ハ渡方いたし候ハ不都合ニ付、去巳年分ハ不得已候得共以来不及相渡旨御附札振
   正月十二日              一覧小印出納ヘ廻ス
一笠松県届出候新田高入等之儀県之手切を以取扱候ハ不都合ニ付以後ハ絵図面を以相伺候上可取計旨御附札振
    十二日               一覧小印監督ヘ廻ス
一東京府届出候怔劣米御蔵納之儀
 - 第2巻 p.225 -ページ画像 
    十二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一京都府より掛合越候常備金、府県同様ニ而は不都合との儀兼而御布告も有之ニ付、同様可相心得旨御附札振
    十二日 一覧之上再調之旨にて桑山ヘ返ス
  正月十三日
一一橋田安旧領知吉井従五位北条従五位支配地㝡寄府県ヘ可引渡ニ付弁官ヘ御達振
    十三日               一覧小印監督ヘ廻ス
一柏崎県夫食、買上代として拝借之壱万五千両之儀并同所置米悪金引替元として差遣紙幣共一時救助方ニ可相廻見込届書
    再調之旨にて桑山ヘ下ル
一津山藩御預所去々辰置米遣払残巳年御勘定元ニ可相立伺書可然旨御附札振
    十三日               一覧小印出納ヘ廻ス
一大垣藩知事より御賞誉御礼届書
    十三日               一覧小印監督ヘ廻ス
一笠松県石代伺御米繰にも係り難整旨御附札振
    十三日               一覧小印監督ヘ廻ス
一伊那県御廻米出帆御届救荒予備之儀
一鹿児島藩孝子節婦御褒美被下御届
    十三日               一覧小印出納ヘ廻ス
一笠松県支配所大垣藩御預所共違作ニ付畑方引御取箇帳之儀不都合ニ付調直し之積御附札振
    十三日 十四日 再調之上      一覧小印出納ヘ廻ス
  正月十三日
一角田県支配地収納米不払之儀、同所ハ類外難渋之次第ニ付別格を以伺之通可然旨御附札振別廉御達扱共
    十三日               一覧小印出納ヘ廻ス
一去巳租税之内石代納相場十月之分より相場下落ニ付、十二月ならし相場金《三十五石》三百三十七両壱分ヘ五両増金三百四十弐両壱分之積ニ而可然段伺書
    十三日               一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県支配地救夫食拝借人数九百八十四人、男弐合、女老若壱合、日数三十日分、五ケ年賦之積無余儀筋ニ付可為伺之通御附札振
    十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一葛飾県辰御廻米会所入用御届浦和県舎落成に付引移御届
    十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県支配地村々之者、窮民ヘ救助之為無期限貸遣金有之候御届ヘ御申渡振
    十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一東京府支配地葛飾郡亀戸村辰貢米延納之分、年賦願同橋場町貢米安石代願之儀難相整ニ付御蔵出米又ハ定式石代直段を以可相納旨御附札振
    十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
一品川県相伺候御林其外荒所等県限取扱度旨取難相成段御附札振
    十四日               一覧小印監督ヘ廻ス
 - 第2巻 p.226 -ページ画像 
一甲府県相伺候去巳貢米之内大積置米之儀可然旨御附札振
    十四日               一覧小印出納ヘ廻ス
  正月十四日
一甲府県相伺候去巳貢米之内御詰米之廉々偖無拠等相減し可成丈省略之上更ニ可相伺旨御附札振
 但巳年分は申立之高七千五百石本年限予備に可差出旨
    十七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一大垣藩濃州伊勢外宮外六ケ所租税米追而御法確定候迄依旧可相渡旨御附札振
    十四日  監督より廻ル  十七日  一覧小印 返ス
一和歌山藩士族北野太郎作外五人、高田藩村上弥右エ門外弐人旧幕より附与之領地上地之儀太政官ヘ伺振
    十七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一堺県より相伺候振制被為建候ニ付、同所ニ罷在候元中下大夫与力元堂上寺社領士族陣屋管内在住之者等取扱心得方六ケ条ヘ御附札振
    十四日  監督より廻ル  十七日  返ス
一三戸県伺松平慶三郎支配地天保度之高を以御渡相成候分外藩ニも同断之儀ニ付、割替難相成二ケ条管内村高反別取調ハ深雪にて出来兼三ケ条同断ニ付場限ニ渡遣可申四ケ条管轄地江刺県ヘ引渡之儀ハ聞置候旨御附札振
    十七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一東京府伺畑米石代納之儀難相成御蔵出米又ハ買上米を以上納可致御附札振
    十七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一甲府県伺定免切替其外之儀、辰年中関東八国江御達候見合不及伺承届追而廉限取調可相届旨御附札振
    十七日               一覧小印出納ヘ廻ス
  正月十七日
一笠松県申立候御膳籾御手当之儀撰籾壱石ニ付代米壱石ニ而相当之旨御附札振
    十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一元桑折県伺畑方引之儀麦作五分夏秋作弐分五厘宛之積を以篤と取調更ニ可相伺旨御附札振
    十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一度会県巳年租税米東京廻之儀半高金納取計候は不都合ニ付金納之次第取調可申立旨御附札振
    十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一東京府支配地谷中本村牧野新五郎上地辰租米石代納之儀、両ニ壱斗四升ニ而相当ニ付伺之通可取計旨御附札振
    十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一同所伺豊島郡中渋谷村外三ケ村畑田成田畑成田畑戻之儀畑戻之分反分米八斗代に当り候調にて辰年中東叡山上知村々畑米上納ヘも見合不相当無之ニ付聞届候旨御附札振
    十八日               一覧小印出納ヘ廻ス
  正月十八日
一堀江藩宮津藩去巳収納損毛御届
    十九日               一覧小印 監督ヘ廻ス
                           出納
 - 第2巻 p.227 -ページ画像 
一京都府より懸合来候常備金之儀ニ付府県一定之積ニは候得共、事実差支候廉も候ハヽ取調更ニ可相伺旨御附札振
    十九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一弘前藩生実藩二本松藩郡上藩〆四藩去巳収納損毛御届福山藩廻米房州ニ而破船御届
    十九日               一覧小印出納ヘ廻ス

一日光県御届同所支配村々本途石代ハ其年十月《今市宇都宮太田原谷田見天明五ケ所》中上米相場を以取立候旨御届
    十九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一畑方引之儀其気節篤と取調之上可相伺之処去巳年ハ各県見込を以御取箇帳ヘ組入差出候向も有之不都合ニ付府県藩々御預所所所ヘ為心得御達振
    十九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一京都府より申越候城州宇治外三郡村々御所ニ非常駈附人足差出候ニ付、二役免除之儀、人足差出候節ハ賃銭被下二役ハ取立候方可然御附札振
    十九日               再調儀掛ヘ下ル一覧小印
  正月十九日
一巳年田方検見御取箇附之取計取調ニ付坪刈春法之手続可差出旨御預所共府県江御達振
    十九日               一覧小印出納ヘ廻ス
一盛岡藩箱館廻米難船御届
一同藩箱館廻米之儀ニ付御聞置
 但深雪之方延着被申訳
     廿日               一覧小印出納ヘ廻ス
一笠松県支配所御蔵納米四斗壱升入を目当にし三俵打込斗廻し納米致度儀難相成段御附札振
     廿日               一覧小印出納ヘ廻ス
但従前掉鬮撰鬮を以当り壱撰三拾六俵貫目相改猶又目差を以廻し俵弐俵取出し斗廻しいたし候事
一葛飾県小参事開墾局兼勤之儀ニ付同県より申立可然旨御附札振
     廿日               一覧小印監督ヘ廻ス
一小田藩支配地七万五千石之内江小田原免地井口村外三ケ村寺坂村外壱ケ村ニ而四百弐十弐石余組込相渡、右免地物成ハ神奈川県より当分可相渡ニ付、弁官ヘ伺書振并小田藩韮山県神奈川県ヘ達振
  廿三日 再調筋有之内藤ヘ下ル
     廿日               一覧小印監督ヘ廻ス
一久美浜県申立候、生野予中貸附米午年より七ケ年賦之積ニ付生野県ヘ申送之儀御附札振
    廿日     (抹削シテ生ルト附記アリ)
    廿二日               一覧小印 出納ヘ廻ス
一下総開墾局より伺出候同所儀本省附属に候得共、差向候細事諸官省ヘ引合之儀ハ直引合ニいたし度儀可然旨御附札振
    廿二日               一覧小印吉川ヘ廻ス
一品川県捨子御扶持方被下之儀届
    廿二日               一覧小印出納ヘ廻ス
一伊奈県より相伺候元千村平右衛門屋敷地反別見取を以飯田藩ヘ引受地
 - 第2巻 p.228 -ページ画像 
に貸渡之儀可然旨御附振札《(マヽ)》
    廿二日               一覧小印監督ヘ廻ス
一府県并藩御預所御勘定帳今般雛形ハ出来候得共、去々辰年分ハ右雛形に拘り候ハヽ延引可致ニ付、巳年分より雛形通為取計且辰年分未納之藩県催促之儀等伺書
    廿二日               一覧小印監督ヘ廻ス
  正月廿二日
一天野租税小令史種物ニ付別条御届一覧之上庶務ヘ差出す
一下総開墾局より印旛沼堀割之儀ニ付《沼 平水海水高低取調》、見分之者出役之儀御届右ニ付佐倉藩江達之儀とも申上候書附
    正月廿二日             一覧小印監督ヘ廻ス
一東京府管内武州豊島郡橋場町外壱ケ村御廻米之内百九十石余怔劣米を以御蔵納之儀可然旨御附札振
    廿三日               一覧小印出納ヘ廻ス
一度会県去巳租税御取箇帳差出方十一月中相達候案文之通に振れ、其上不分明之廉々数多有之不都合之至ニ付、右帳下戻御附札振
    廿三日               一覧小印出納ヘ廻ス
一久美浜県相届候巳去田方《(ママ)》五分以下損毛三役免除之儀
    廿三日               一覧小印ヘ廻ス
一柏崎県管内村々元桑名領之分、同所御預地ニ被成下度願書可取上筋ニ無之ニ付稠解之上下戻可申旨御附札振
    廿三日               一覧小印監督ヘ廻ス
一按察府より相伺候商物出入税金之儀追而一定之御法相立候迄、依旧可取扱旨御附札振
    廿二日 通商司より廻ル
    廿三日 一覧小印 監督ヘ廻ス
一兵庫開港ニ付、上知被仰付候古河藩尼ケ崎藩御領巳年物成東京御蔵おいて可相渡調書
    廿三日            尼ケ崎藩
        一覧小印 出納ヘ廻ス  高米百七十弐石五斗余
                    永 五百七十文三分
                   古河藩
                    高米百九石余
                    永 百六十文八分
一右馬次郎去巳残収納同人久留米ヘ留学願済ニ付、此度可渡遣旨調書
    廿三日 一覧小印出納ヘ廻ス  米四十七石 永八十六貫六百六十五文六分
一高徳藩支配地何国国之分当節宮都宮藩御預地《(マヽ)》ニ相成居候下総国之村村にて村替願之儀至当之筋ニ付太政官ヘ伺書
    廿三日               一覧小印監督ヘ廻ス
  正月廿三日
一見沼通船差配人高田小太郎より助成地間口取定其外之儀ニ付御届書
    廿四日              一覧小印監督ヘ廻ス
一花房藩公廨所其外坪数之儀高三万五千石江八万坪にて可然旨ニ而弁官江申進振
    廿四日              一覧小印監督ヘ廻ス
一倉敷県伺出候讃州塩飽島、是迄水主御用相勤一村千弐百五十石之貢物免除之儀ハ不都合ニ付、取調至当之御取箇可致旨ニ付、弁官ヘ御掛合振倉敷県ヘ御達振
    廿四日              一覧小印監督ヘ廻ス
一品川県相伺候畑米安石代之儀、難聞届十月中御蔵出米平均相場を以
 - 第2巻 p.229 -ページ画像 
可上納旨御附札振
    廿四日              一覧小印出納ヘ廻ス
一神奈川県問合右同断之儀難聞届旨御附札振
    廿四日              一覧小印監督ヘ廻ス
一神奈川県相伺候風災潰家ヘ貸下金皆潰ヘ金弐両半潰ヘ金壱両之積御附札振
    廿四日              一覧小印出納ヘ廻ス
一井上通商大令史、藤沢通商大令史、辻土木小令史、百地租税小令史石巻出張ニ付、例外人足被下方願書
    廿四日              一覧小印加藤監督権大佑ヘ渡ス
一佐藤租税小佑、駿河台甲賀町にて三百六拾坪拝借地願書
    廿四日              一覧桑山ヘ廻ス
一高梁藩上地此度支配地被仰付候残高岡山藩取締之処、既ニ一同高梁藩に引渡相成候に付右地所倉敷県ヘ引渡方ハ高梁藩より直ニ引渡可申儀岡山藩并高梁藩ヘ御達振
    廿五日              一覧小印監督ヘ廻ス
一府外上地之儀管轄之県ヘ可引渡旨東京府ヘ掛合候処、不都合之段挨拶ニ付、品川県小菅県江御達振
    廿五日 再調之旨にて  内藤ヘ下ル
一板谷租税少佑、麹町善国寺谷にて五百坪地所拝借之儀願出絵図面共
    廿五日 一覧庶務ヘ廻ス
  正月廿五日
一士族福島左衛門元知行所江預置候米四拾俵不相渡ニ付、受取方願書相対之儀ニ付、尚可及示談旨御附札振
    廿七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一角田県開拓之儀ニ付伺書其時々取調伺之上可取計旨御附札振
    廿七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一神奈川県伺藤沢宿焼失拝借金旧貫三割増《見合凡》位之当テ御貸下可然御附札振
    廿七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一津山藩御預所皆済延期御届
    廿七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一会津藩御預所租税金納方之儀并千路潟立替貢米之儀伺御預所之儀ハ追而御取調之上御下知可有之貢納ハ辰巳共従前之通可相納旨御附札振
    廿七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一石巻県貢米所払伺近々出張之者有之候付、可請差図旨御附札振
    廿七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県伺半石下米石代半石巳十月中平均石代調不相当無之ニ付伺之通可取扱旨御附札振《但下米ハ金百七拾五両弐分之事》
    廿七日               一覧小印出納ヘ廻ス
一京都府伺非常駈附人足差出候村二役免除之儀右人足之限り無之ニ付二役ハ取立相勤候節ハ御手当被下候而可然旨再御掛合振
    廿七日               間宮ヘ下ル一覧小印
一笠松県相伺候巳年石代所上中米平均直段之儀再調之儀ニ付間宮ヘ下ル
    廿七日
 - 第2巻 p.230 -ページ画像 
一松平慶三郎支配之儀ニ付、按察府より申来候掛合書江御挨拶振
    廿七日               一覧小印監督ヘ廻ス
一和歌山藩水野太郎作外八人江旧幕より附与之地所引上方之儀ニ付、再廻し一覧之上大隈大輔ヘ差出ス
  正月廿八日
一京都府より伺候鰥寡孤独窮民救助之儀、去巳七月中関東奥羽江御達相成候処を以京都府其外関西江御達振
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
但夫食種籾類焼農具買入代拝借ハ無利足を以貸下年賦にて返納之積尤臨時御救願ハ其時々相伺可申候事
     巳七月中御達之大意
一大洲藩御預所摂州予州貢米金上納御猶予之儀一覧もの
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一園部藩支配所凶作之儀ニ付御届矢嶋藩支配所損毛高御届
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一笠松県御届御廻米運賃金四拾八両ニ取定候由
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一土浦藩支配所磐城国村々夫食差遣ニ付手当米五百六十俵運輸之儀御届
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一山城国知行給知之儀ニ付京都ヘ御指図振
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一郷帳村鑑帳御林帳ハ地理掛之内分課に取調掛相立、御取箇帳大積明細帳ハ本掛之内《是迄之通》にて取調旨省中伺振
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一長尾藩伺安房国船形村海高三拾五石之儀、陸高同様支配地被仰付度旨、追而諸藩上知其外物成法を以取調之節申立之通致而可然、夫之処可相待之積を以御附札振
    廿八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一鶴見亦吉外四人身分願之儀通商司より伺不相当ニ付、願書可下戻旨同司ヘ御達振
    廿八日  監督より廻ル       一覧小印丞ヘ出ス
一静岡藩支配駿遠村々旧地頭ヘ先納之分下渡、同国川々御普請御手当金ハ同藩より百差出九差引之内皆川鏈之助外弐人之分先納差引、静岡藩ヘ相渡候ニ付其者ヘハ不相渡、静岡藩ヘ引渡候取調伺書
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一諸藩御預所等常備金之儀諸県之振合を以御達振
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一元三戸県支配村種籾拝借之儀ニ付、按察府より申越、尤本書ハ県印を以可申立旨并右藩那須真小一取調向行届候儀書翰
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一韮山県管内御林山之内、三町余権現社領之内三拾町歩余開拓之儀ニ付、太政官江御伺振韮山県ヘ御附札振
    廿八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一竹中丹後元家来之儀ニ付笠松県より伺、追而一定之御処置有之迄一家三口宛可被下旨御附札振
    廿八日  監督より廻ル       一覧小印監督ヘ返ス
 - 第2巻 p.231 -ページ画像 
一松代藩御預所租税金皆納御届
   廿八日                一覧小印出納ヘ廻ス
一吹上藩去巳貢物損毛御届
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一諸県并藩御預所より去々辰年租税御勘定帳追々差出候処取調不都合ニ付引直し方御下知振
    廿八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一葛飾県伺、東京御廻米運賃五里内は不被下ニ付調直し可差出旨御下知振
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
  正月廿九日
一諸藩御預所并一時取締被仰付候場所江其後外県ヘ引渡方取調之儀ニ付、藩々ヘ御達振
    廿九日               一覧小印監督ヘ廻ス
一岩鼻県伺無石盛并反別見取場検地ハ日限取扱検地帳にて相伺度趣ハ難相成、旧高入可相成場所ハ其時々取調可相伺旨御附札振
    廿八日               一覧小印監督ヘ廻ス
一彦根藩御預所二条御詰米牛車運賃、去々辰年より二割改減三石五斗ニ付米壱斗弐升五合ニ而可然旨御附札振
    廿八日               一覧小印出納ヘ廻ス
一白河県管轄村々違作ニ付籾拝借之儀、内規則ニ見合壱反七升積壱斗六升五合替を以代金にて伺之通三ケ年賦返し之旨御下知振
    二月二日            一覧小印出納ヘ廻ス
一元大森県差出候御取箇帳取調向不都合ニ付、下札之上御達振
    二月二日            一覧小印出納ヘ廻ス
一一橋従二位家来申立候旧領地引渡之儀、来五月迄猶予難出来旨御附札振
    二月二日            一覧小印監督ヘ廻ス
一租税大令史岡田鎌三郎受次町屋敷上地武家地拝借之儀願書
                    一覧之上黒田ヘ渡ス
一神奈川県支配所相州門沢橋村平兵衛奇特之儀ニ付金四千疋可被下旨同県ヘ御達振
    二月三日            一覧小印出納ヘ廻ス
一名古屋藩申立候御取締所元桑名領辰租税米之内村々ヘ貸渡候分桑名藩ヘ申送可取立、養老扶持其外ハ巨細取調更ニ可申立旨御附札振
    二月三日            一覧小印出納ヘ廻ス
一堺県伺石川恩智川大和川堤防之儀、窮民御救普請旁修理致度并県下米納場所石代納取計度之儀、御普請ハ無拠儀ニ付大坂出張土木司ヘ相達、石代納ハ租税司見込も有之附札之通可相心得旨御下知振
    二月三日            一覧小印少丞ヘ出ス
一見沼通船差配人高田小太郎浦和県おいて差支無之ニ付、差配差免し小太郎ハ東京府ヘ入籍可致ニ付同人ヘ御達并東京府ヘ御挨拶振
    二月三日            一覧小印監督ヘ廻ス
  二月三日
一豊橋藩元管轄地今切関門附村々辰年租税金三ケ年賦返納願済之残金
 - 第2巻 p.232 -ページ画像 
四千《六百》両余銭八拾八貫余当節及当暮両度ニ上納可致旨御下知振
 但願書ハ三ケ年賦之積
    二月五日            一覧小印出納ヘ廻ス
 外ニ同藩代知として相渡候上総村々租税金宮谷県より引渡無之趣ニ付同県ヘ御達振
一貢米御蔵納之儀神奈川県伺ヘ御附札振
    二月五日            一覧小印出納ヘ廻ス
一津山藩御預所美作国村々臨時石代納願之儀、難聞届巳十月平均相場壱割安金三百四十五両替を以上納可取計旨御附札振
    二月五日            一覧小印出納ヘ廻ス
一岩槻藩申出候旧領山城国相楽郡祝園村高三百石上知武蔵国埼玉郡にて代知御渡候処弁官より御達も有之候ニ付、如前御振替相成候様との儀ハ不都合ニ付、替地相成候方可然旨弁官ヘ御掛合振
    二月五日            一覧小印監督ヘ廻ス
一東京府伺葛飾郡亀戸村田方辰年御貸米巳年返納之分五ケ年賦ハ難出来、本年新米を以返納可致御附札振
    二月五日            一覧小印出納ヘ廻ス
一士族山川三五郎、田原兼三、鴨下甫三郎元高之儀、其節之類例に随ひ伺之通可被下方ニ付御下知振
    二月五日  監督より廻ル    但弁官伺済之見合物添 一覧小印 監督ヘ返ス
一江刺県より御届松代松本両藩より地所請取方相済候儀一覧す
    二月五日            一覧小印出納ヘ廻ス
一彦根藩御預所江州伊香外四郡村々三役免除之儀
    二月七日            一覧小印出納ヘ廻ス
一岡部□八郎《(岡部陸八郎カ)》旧地貢物之儀ニ付岸和田藩より堺県ヘ申立之旨も有之同県より掛合ヘ御挨拶振
   再調之旨にて内藤ヘ下ル
一森租税少佑本所緑町にて百拾坪拝借地願
  二月七日内藤四郎ヘ渡ス 庶務ヘ出ス
  二月七日
                     監督正江
判任中職務進退ハ各司之正より掛之丞江申出之上惣而監督正に於テ官員増減人物可否トモ紊乱無之様検査之上猶丞江可申出候事
                     民部省
    二月               大蔵省
右之通相達候条此旨相達候也
     二月七日            本省
       各司正
一荒地連々可起返荒地起返候地所取下年季等取調之儀《ふ》ニ付、府県藩御預所ヘ御達振
   二月七日             一覧小印監督ヘ廻ス
一十津郷高野山領其外奈良県堺県之内より割地新県御取立之儀ニ付太政官伺書兵部省御達并奈良県 堺県ヘ御達振
   二月七日   二月八日 再調之上吉川ヘ廻ス 一覧小印監督ヘ廻ス
一下総九十九里開墾之儀ニ付、各藩并宮谷県ヘ御達振
 - 第2巻 p.233 -ページ画像 
再調之積を以内藤ヘ下ル
   二月八日 調直し官員出役之積ニ成 一覧小印吉川ヘ廻ス
一浅野磯三郎租税少令史受領地、小日向馬場西槙町百拾坪土地ニ付、神保小路にて弐百八十五坪拝借地之分受領願
   二月七日             一覧内藤ヘ渡ス
  二月八日
一名古屋藩取締所美濃国午南午北両新田高千三百五十六石余、笠松県ヘ相接取締都合宜ニ付、同県江引渡可然旨弁官江御届振
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一高梁藩去巳租税用捨引致候儀御届調書共
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一韮山県申立候駿州村々丑年物成之内百八十七石余、巳年新穀を以御廻米申渡置候処、違作ニ付午新穀を以御廻米可致段御届
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一彦根藩御預所取下ケ場年季巳年より未迄三ケ年季申付季明之節増方取調可相伺
 田方五分以上損毛三役免除ハ伺之通たるヘく旨御附札振
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一松屋町忠八儀常州鹿島郡浜手村々開墾願出候ニ付、若森県ヘ故障取糺方御達振
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一韮山県御届東京御廻米出帆日限上乗船頭名前同県管轄私領検見入租税取箇調
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
  但私領之分ニ付右取箇相極候分旧地領ヘ申達候ニ付同県より申立候事
一同県御届伊豆国租税米買納石数調
   二月八日 米三百弐十九石六斗五升 一覧小印吉川ヘ廻ス
一同県御届豆州松崎浦難船御届并紀州新宮浦増手船水主牛浦沖にて溺死御届
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一三日月藩より再応伺出候井上要人儀刑部省より同藩ヘ申達候趣も有之、罪科無之者ニ付東京出生ニ候上ハ同所ヘ引渡可申旨御附札振
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一登米県管轄村々去巳貢米米怔不宜ニ付、不払金納申立候ニ付実地取調方石巻出張ヘ掛合振
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一東京府より申立役渡船賃銀并船運上増方之儀役船ハ運上船賃共七割増日除船ハ倍増長崎納之分ハ二倍増にて可然旨、尤五ケ年季之積を以可取計旨御附札振
   二月八日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一和州北山郷去巳年御年貢木檜弐百四本奈良県より相廻り土木司ニ而受取御遣方相成候段申立書付
   二月八日 土木司より廻ル     一覧小印吉川ヘ廻ス
一大泉藩支配地之内高千四百石余社寺領之分、天保度旧幕之節同藩より差出候調不都合ニ付、右地所籠メ高ニ相成候間、此度御割足被下度申立候ニ付、実地酒田県ヘ取調之儀御達振
   二月九日             調書書面共加除之上内藤ヘ下ル
 - 第2巻 p.234 -ページ画像 
一大津県管内近江国雄琴村外壱村前々借米七拾石拾ケ年賦返上之儀、御届并松本藩管内去巳違作損毛高御届
   二月九日             一覧小印出納ヘ廻ス
一東京府より届出候去巳年より市中郡村経界相立候ニ付、市中の村々年貢高掛物免除一村限調書
  但年貢ハ地税之積を以東京府市政局ニ而取立之積
   二月九日             一覧小印出納ヘ廻ス
一品川県御届捨子壱人有之候ニ付、御手当米三俵宛被下方之儀
   二月九日             一覧小印出納ヘ廻ス
一下総須賀山村其外㝡寄開墾、大縄反別取調ニ付、土木司打合鯰江少令史、萩原少令史出役之儀伺
   二月九日 一覧小印 大縄反別ハ租税主役ニ付少佑壱人出役之方可然旨ニて内藤ヘ下ル
一倉敷県租米大豆石代相場之儀ニ付、再応之申立ヘ三分一十分一石代納之分張紙相場之例に引付申立候儀は難相成段御附札振
   二月九日             一覧小印出納ヘ廻ス
 大小丞分課
藩士族卒
府県往復
租税      中村権大丞
出納      郷少丞
鉱山
通商
用度
諸為省往復
省中庶務
造幣      坂本少丞
聴訟      玉乃少丞
社寺
建白
土木
駅逓
 二月九日
一駅逓御改正ニ付御布告案并諸御掛合振諸官員人足遣高表宿々地子被下、飛脚給米被下高其外取調書類
   二月八日  駅逓より廻ル
一浦賀表東西に相分れ居候を合併いたし同所へ取立候商社にて、箱館産物其外取扱、且神奈川県出張之官員を通商司商社掛兼勤為致、商税其外通商司にて可取扱旨見込伺書
   二月九日  通商より廻ル
一東京府管内武州豊島郡千駄ケ谷外拾六ケ村畑米百九十石余百七十五両弐分之石代といたし度伺之通ハ難出来、十月上米平均相場へ壱割安三百四十五両替を以上納可致御附札振
   二月十日             一覧小印出納ヘ廻ス
一同府伺東叡山上地并旧籏下斎藤惣左衛門上知村高弐百石余皆畑之処外御料村之振合不可六尺給米之分伝馬宿入用米直段を以上納之儀可然旨御附札振
   二月十日             一覧小印出納ヘ廻ス
一柏崎県伺長岡桑名旧領租税米所払之儀不得已儀且十一月中伺之趣も
 - 第2巻 p.235 -ページ画像 
有之ニ付、精々吟味之上所払可取計御附札振
   二月十日             一覧小印出納ヘ廻ス
一大阪府兵庫県伺貢米石代辰巳共上中下米直段平均を以取立候ハ不都合ニ付、辰年ハ過去ニ付不得已候得共、巳年分ハ仍貫ニ引直し可申旨御附札振
   二月十日             一覧小印吉川ヘ廻ス
一兵庫駅ハ両組共駅役差除今津外村々水主米引方ハ是迄通為相納候積税所長蔵より申立書面
   二月十日             一覧小印出納ヘ廻ス
 二月十二日ヨリ新簿ヘ記裁候事
  ○右ニ掲ゲタル自筆日記ノ記事ニハ、改正掛長トシテ取扱イタル事項モアレドモ、大部分ハ租税正トシテ取扱イタル事項ナルヲ以テ、一括シテココニ掲ゲタリ。右ニ掲グル所ハ日記ノ記事ノ全部ナルモ、ソノ前ニ常平倉関係辞令、常平倉取扱振ニ関スル伺書等ノ記載アリ。コレラハ前ニ掲ゲタルモノト同一ノモノナルヲ以テ、ココニ掲ゲズ。


雨夜譚(渋沢栄一述)巻之四・第二七―三〇丁〔明治二〇年〕(DK020012k-0002)
第2巻 p.235-236 ページ画像

雨夜譚(渋沢栄一述)巻之四・第二七―三〇丁〔明治二〇年〕
処が其歳○明治二年の十月二十一日に、朝廷からの御用とあつて其頃太政官に弁官といつて大弁中弁小弁といふ官職があつたが、其弁官から自分に宛てた召状が来て、早速東京へ出ろといふことであると藩庁から通達を受けました、併し自分は是まで取掛つた事務も多いから、至急に上京は出来ぬ、何卒半ケ月も御猶予を願いたいといつた処が、イヤ其れはならぬから直様に出京しろと大久保一翁から厳達があつて、自分も大に落胆しました、なぜといふに、此れ迄の丹精を以て、新創の事ながらも、稍ヤ其端緒に就いた商会の事を負担して、種々前途に企望もある場合だから、自分は是れで一身を終る精神で居る、それゆゑ今更朝廷へ仕官することなどは好まぬ、成る事なら藩庁から、御免を願つて、出京を辞するようにして貰ひたいと、大久保へ内請したけれども、それは決してならぬ、若しも藩庁から右等の請願をしたら、それこそ静岡藩は朝旨に悖つて、有用の人才を隠蔽するといふ説を受けて、詰り藩主の御迷惑となることだから、何でも朝命を奉じて勤仕をしろとの事であつたから、已むを得ず一応出京して、御用召に応ずることに決心しました、
そこで常平倉の事務に就ては、自分が出京の留守中には、斯様斯様に取扱はれたいといふ事を掛員一同へ委しく申残して、静岡を出立して其歳の十二月初旬に東京へ着き、太政官へ出ると、思ひも寄らぬ大蔵省租税司の正といふ職を仰せ付られたから、直に大蔵省へ出頭して、拝命の事を披露はしたけれども、当時大蔵省には一人の知友もない、又其職務とても、少しも実験のない事だから、如何して宜いか更に様子が分らない、ソコデ自分も独りで可笑しくなつて全体、何者が自分を推挙したのか、誰れが自分の名を聞込まれたのか、余り方角違ひの事であると思ふた、併し早く御免を願つて静岡へ帰らうと決心はしたが、其四五日は風邪気で、石町の島屋といふ旅宿に平臥して居て、十二月七日に、始めて出勤したけれども固より不経験の職掌だから、妙案も奇想も出やう筈はない、先づ大蔵省で権勢のある人は誰々である
 - 第2巻 p.236 -ページ画像 
かと尋ねてみると、卿といふは伊達の老公で、これは門閥によつて、此の位地に居られるものと推察した、其次は大輔少輔で各一人つゝ、大隈重信と伊藤博文といふ人で、大隈は肥前の出身、伊藤は長州藩だとの事、省中すべての事務は多く此の両人の管理に帰して行はれる由であるから、自分は一日大隈大輔の宅を訪ふて身の上の略歴を話して、実は駿河で斯々の計画をして専ら従事して居る事であるから、聊も経験のない今日の職務に居るのは、頗る迷惑するに依て、速に御免を蒙りたいと思ふ、勿論辞表を捧げる心得ではあるが、一応事実を陳述して置から早速の御許容を願ふといつた、然るに其日は大隈大輔が多用で、緩々談話する時間がないから更に十八日来いといふて、其日は別れて、再び十八日に大隈の宅へいつて、種々談話したが、大隈のいふには、辞職なぞといはずに、駿河の事務を片附けて、其上で十分大蔵省に勉励せらるゝが宜い、足下が、事を知らぬといふけれども、知らぬといへば、誰でも実験のあるといふものは一人もない、今足下の履歴を聞くに、矢張我々と同じく新政府を作るといふ希望を抱て、艱難辛苦した人である、されば出身の前後は兎も角も元来は同志の一人であります、畢竟維新の政府は是から我々が智識と勉励と耐忍とによつて、造り出すもので殊に大蔵の事務に就ては少しく考案もあるから、是非とも力を戮せて従事しろと、懇切に説諭せられて、今更強て辞退も出来ぬ事になつたから、然らば自分にも愚説がある、それを御採用あるやうにしたいといつて、玆で始めて大蔵省に奉職するといふ意念になつた、是が仏蘭西から帰国して、朝廷の官に就くまでの履歴であります、
  ○弁官トハ太政官ノ局名ナリ。左弁官局、右弁官局ノ両局アリ。少納言局ト共ニ三局、各局トモ大、中、少ノ三弁、大史二人、少史二人、史生十人、官掌二人、使部八十人ノ職員アリ。左弁官局ハ中務、式部、治部、民部、右弁官局ハ兵部、刑部、大蔵、宮内、各四省ヲ分管シ、諸官省、諸国ヨリ申出ヅル庶務ヲ弁理シテ納言ニ上申シ、宣旨、官符、官牒ヲ書キ、其他太政官内ノ文書ハ総テ其取扱フ所ナリキ。
  ○談話中出京ヲ十二月トスルハ十一月ノ誤ナリ。


雨夜譚(渋沢栄一述)巻之五・第一―三丁〔明治二〇年〕(DK020012k-0003)
第2巻 p.236-237 ページ画像

雨夜譚(渋沢栄一述)巻之五・第一―三丁〔明治二〇年〕
○上略 偖て何にしても合点のゆかぬ事といふは、誰れが自分を推挙して、今日の場合になつたのであるかといふ一事であります、成程幕府を廃して新政府を立てやうといふが自分の初志で、それが為には随分艱難困苦もしたことであるが、其廃立の機会を待つの暇もない急阨に遭遇して、已むことを得ず、一時の権宜を以て、一橋家に仕官をしたが、それが縁故となつて、終に幕府の禄を食むことになり、中心不愉快に堪ん処で、彼の洋行一件が起り、僅か二年ばかりの留守中に、見事幕府は顛覆して、此の新政府が立つたので、斯くしやうといふ初志は、二三強藩の力によつて行はれたけれども、此の身は現に亡国の臣となり果てたのだから、意想の反対は実に夢幻の感がある、斯様の境界に陥つた場合だに依て、仮令初志は兎も角も、表面上は歴然たる旧幕臣で、新政府から見れば正反対に居る身分、殊に今日の朝廷には、一人
 - 第2巻 p.237 -ページ画像 
の知己もない身の上であるから、旁々以て今日の任命は、何人の推薦といふことが詳ならぬ訳であつたが、後に聞けば、全く大蔵卿の伊達正二位が、曾て自分の名を承知して居られたのと、其頃別に面識はなかつたが、郷純造といふ人も、何処でか自分の事を聞き及んで居た処から、詰り此の任命の事に及んだのであつたといふことが分りました、斯様の訳で、其推薦とても十分の信認を受たことゝも思はれませんから、大隈に面会して、切に辞職の事を請求したのである、然るに大隈のいふには此の維新の世となつて真成の国家を創立するには、当世有用の人々が非常の奮励努力を以て先ツ第一に理財なり法律なり軍務教育なり、其他工業商業とか、又は拓地殖民とか、又大蔵省の事務に就ては、貨幣の制度、租税の改正、公債の方法、合本法の組織、駅逓の事、度量の制など、其要務はなかなか枚挙する遑もない位である、而して今日此の省務に従事して居る人々は、足下も僕も皆同一で、決して此新事務に就て、学問も経験もあるべき筈はないから、勉めて協力同心して、前途の成功を期する外はない、故に今足下のいふ駿河に起した新事業といふも、これを日本全体の経済から見る日には、誠に瑣細の事だから、其小を棄てゝ大なる方に力を尽すのが、日本の人民たる一分からいつても相当する訳であろう、と理を推し言を尽して説得しられたに依て、自分もそれでも強てとは言はれず、又其説も一々緊肯に当つて尤な事と思つて、翻然として思ひかへしたから、然らば辞職して駿河へ帰る意念を止めて、朝廷に微力を尽しませうといつて、其日はそれで別れを告げました、


雨夜譚会談話筆記 下・第七九八―八〇一頁〔昭和二年一一月―五年七月〕(DK020012k-0004)
第2巻 p.237-238 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第七九八―八〇一頁〔昭和二年一一月―五年七月〕
先生「○中略ところが世の中の事と云ふものは一から十まで自分の思ひ通りには行かぬもので、折角商法会所の仕事がうまく行きかけてゐるとき、新政府から呼び出しがあつた。実は私は全く行く気はなく厭だと辞退したら、大久保一翁氏が『それでは困る。静岡藩が何かたくらみでもしてゐるやうに取られては困るから是非行つて呉れ。先方へ行つた上で、厭なら訳を云つて帰つて来れば差支へないではないか』との事であつたから、已むなく東京へ出て行つた。これが明治二年の秋であつた。そして或る日築地の大隈さんを訪ねて自分の考を話した。大隈さんはその頃大蔵省の大輔をしてをられたから、その日は辞表を懐にして、大蔵省をやめる覚悟で行つたのである。ところが、反対に大隈さんから説服されて暫く止まる事になつて仕舞つたのである。その時大隈さんは、私の云ふ事を黙つて聞いてをられたが―勿論私も云ひ方がまづかつた、全くの書生論を述べたものだから―『渋沢君、君の云ふところによれば君は何にも知らないと云ふが、そうすると如何にも僕等は何でも知つてゐるやうである。ところが僕等も全然知識がないのだ。そうだらう、一体新しい事をやるのに、従来の習慣などは役には立たぬ。新政府が計画してゐる諸制度に就いて、参考になるべき昔の法律などと云ふものはありはしない。強いて申さば、大宝律令位なものだ。然し此大宝律令など、今日にあてはめられるものではない。凡てが新規蒔き直しである。
 - 第2巻 p.238 -ページ画像 
それには欧米の進んだ新知識が必要である。その点になると君は却つて我々よりもよく知つてゐるではないか。それを実行して貰へば結構である』と、如何にも理窟の通つた議論であつた。私も此時は真に自分の蒙を啓いて貰つたやうな気持がした。○下略


竜門雑誌 第二五一号・第八頁〔明治四二年四月〕 【明治五年の財界】(DK020012k-0005)
第2巻 p.238 ページ画像

竜門雑誌 第二五一号・第八頁〔明治四二年四月〕
○上略 私が大蔵省に職を奉じたのは明治二年の冬であつた。当時大蔵省の中に租税司と云ふものがあつて、司の主脳が正といふものであつた。其の租税正を私が拝命した。詰り今の主税局長のやうなものであるけれども、当時大蔵省はまだ草創の際で僅に幕府の土地だけが政府の支配すべき土地であつて諸藩は別になつて居たから全国の租税を統一すると云ふ程ではなく、従つて百般の事が極く小さい。而して総ての土台が何も立たなかつた故に大蔵省としても何と云ふ良い思案もなしに幕府の仕来りを其儘襲踏するやうな有様であつた。○下略
   ○右ハ東京日日新聞ガソノ創刊三十七年記念号ニ掲載シタル「明治五年の財界」ト題スル栄一ノ談話ノ一節ナリ。


実業之世界 第七巻・第五号 第九―一〇頁〔明治四三年三月〕 【余が七十年の生涯を通じて忘れ難き先輩の一言】(DK020012k-0006)
第2巻 p.238-239 ページ画像

実業之世界 第七巻・第五号 第九―一〇頁〔明治四三年三月〕
今日までに、多くの先輩や友人の言はれた言葉で、吾輩の肝に銘じて居るものは沢山あるが、其中で折々思ひ出して、味へば味ふ程興味ある訓戒と思ふのは大隈伯の一語である。
それは、明治二年、吾輩が大蔵省の租税正を拝命して間もなく其職を辞さうとした時、言はれた言葉である。
吾輩は其前年に慶喜公の令弟と仏蘭西から帰朝して領地の静岡藩に居たのである。さうして、藩中の商人十二人と共同して商法会所と言ふものを起して、吾輩は其頭取になつて居た。此の商法会所と言ふのは、農工商の三つの仕事を兼ねて居たので、当時の情況に応じて、肥料を買つて百姓に貸したり大阪米を安く買い込んで置いて米屋に売つたりすると言ふ様な事をやつて居た、その為めに百姓も商人も非常に喜んで商法会所の仕事は着々其の緒についたのである。処が突然、吾輩のところへ太政官からのお召し出しが来て役人に採用される事になつた。併し折角やり出した商法会所の仕事を今更捨てゝ行くのは如何にも残念である。而已ならず、吾輩が去つてしまつては其後を主宰してやつて行く人がない、それに吾輩はもとから役人になるのは余り好まなかつた其処で藩に頼んで御召出しを断はつて貰はうとした。処が藩の人の言ふのには、それはどうも断る訳にはいかない。若し此際断つたならば政府の人達に徳川は朝廷に帰伏して居るやうに見せかけて、何事か陰謀を企てゝ居るのではあるまいかと言ふやうな疑念を起されないとも限らない、お前も厭ではあらうが爾ういふ事情だから是非太政官のお召出しを受けて呉れと懇に言はれたのである。当時慶喜公は四十万石《(マヽ)》で静岡藩に社稷の祀を残したばかりの時であつた。其処で已むなく商法会所の方は三人の人を選んでその人達に托して、吾輩は直ちに上京して太政官に出頭し、当時の弁官土方伯から租税正の辞令を受けたのである。其の時の大蔵卿は伊達宗城侯で、大蔵大輔が今の大隈伯、
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大蔵少輔が先達亡くなられた伊藤公爵であつた。
  ▲八百万の神達神計りに計りたまへ
其翌日愈々吾輩は大蔵省に出仕したのである。処が行つて見ると、何から手を着けて宜いのか分らない、吾輩には恁う言ふ方面の知識が少ない上に、未だ創設したばかりで更に仕事の緒口と言ふのが開いて居ない、毎日夢我夢中で出仕して居るやうな有様であつた、其処で吾輩はこんな事をして居るよりも、吾輩が静岡に残して来た商法会所の仕事を経営した方が宜いと考へたから、大隈伯を訪ねて其旨を語りどうか爾ういふ事情だから辞職さして貰いたいと話した。
 処が大隈伯は黙つて吾輩の言ふ事を暫く聞いて居たが、吾輩の言葉が終ると同時に突然八百万の神達、神計りに計りたまへ、と言ふ文句を知つて居るかと言はれた。吾輩は其質問の余り突飛なのに驚いたが、それは祝詞の文句で知つて居ると答へて、伯が如何いふ事を言ひ出すかと待つて居た。すると、伯は膝を進めて、今の日本は幕府を仆して王政に復したのである、併し、其丈では吾等の任務は未だ全ふしたとは言へない。更に進んで新しい日本を建設するのが吾々の任務である。だから、今の新政府の計画に参与して居るものは即ち八百万の神達である。其の神達が寄り集まつてこれから如何いふ工合にして新しい日本を建設しやうかと相談の最中なのである、何から手を着けて宜いか分らないのは君ばかりではない、皆分らないのである、これから相談するのである、今の所は広く野に賢才を求めて、之を登用するのが何よりの急務である、君もその賢才の一人として採用されたのだ、即ち八百万の神達の一柱である、君が慶喜公の鴻恩を思ふて公の為めに尽したいと言ふのは無理もない話であるが、何にも傍に居ないからとて尽さうと思へば充分尽す事が出来る。成程商法会所の経営も宜からう、併し其仕事は僅かに静岡県の一部に限られて居る仕事である。所が、吾々がこれからやらうと言ふ仕事はそんな小さなものではない日本という一国を料理する極めて大きな仕事である、如何か君も折角八百万の神達の一柱として迎えられたのだから此大きな仕事の為めに是非骨を折つて貰い度い。と淳々説かれたのである。吾輩は予め大隈伯が一代の談論家で、多くの人が其舌端に巻き込まれてしまうと言ふ事を聞いて居た、併し何も吾輩は当時の政府に媚びる必要もなければ、要路の人達に諂ふ必要もない、吾輩は自分の思つた事を遠慮なく言ひ通す積りで大隈伯を訪ねたのである。処が、伯のこの奇問に逢ふて辞職を思ひ止まるの余義なきに至つたのである。八百万の神達、神計りに計りたまへと言つた大隈伯の言葉は、今猶忘れることの出来ない極めて妙味ある言葉の一つである。
  ○右ハ「余が七十年の生涯を通じて忘れ難き先輩の一言」ト題スル栄一ノ談話ノ一節ナリ。


早稲田学報 第三二五号・第三二六号〔大正一一年四月、五月〕 【博愛の人】(DK020012k-0007)
第2巻 p.239-241 ページ画像

早稲田学報 第三二五号・第三二六号〔大正一一年四月、五月〕
○上略 私が侯爵に初めて御目に懸つたのは高田君からまだ十五年前のことであつて、老人の申す事は諸君のおぢいさんより他は知らない事がありますが、或機会にはさう云ふ事が多少諸君の御参考に供せられる
 - 第2巻 p.240 -ページ画像 
かと思ふのである。当時私は駿河に幕府が新しく封ぜられた、静岡藩といふ藩に居つたものである。丁度私は明治政府に呼出されて東京に参りました。蓋し其以前に私は所謂攘夷鎖国を唱へて慷慨悲憤の士で多少人の真似をして世間を押歩いた結果、大に窮して一ツ橋家に奉公した。其一ツ橋慶喜といふ御人が将軍を相続されたに就て、遂に幕人と相成つた。其以前は討幕を主張した私が、廻り廻つて幕府の人になつたと云ふことは、心より快しと思ひ兼ぬるやうな奇遇であつたのです。殊に其頃欧羅巴に旅行しまして、水戸の民部公子といふ人に随従して帰つた。帰へると即ち御維新の時である、言葉を換ヘて申すならば私の旅行中に討幕の事は決定して、明治政府となつたのであります。帰りまして駿河の静岡藩に跼蹐として居つた其渋沢が、明治二年に大蔵省に呼出されて大蔵省の役人に相成つた。其時の大蔵省の全権は即ち故侯爵であつた、是が私の初めてお目に懸る縁であつた。忘れもしませぬ明治二年の十一月の多分十八日であつたと記憶する、故侯爵は御記憶が好かつたから私も今日は記憶自慢に申上げるのです。其お屋敷で御目に懸つたのであるが、其事は今に記憶に残つて居る、其音声が今に耳に残り、其態度が目に残り、其趣旨が心に銘じて、実に忘れることが出来ないので、其時の事は幾度か人に申しますが、幾等申しても、私の心にはまだ申し切れぬやうな感じがするのであります。其時私が侯爵に御話申上げたことは斯うであつたのです。自分は今迄頻に攘夷鎖国を唱へて、所謂慷慨悲憤の人と交つて、甚だ浅薄な者ではありますが、命を捨てゝ国家の為にならうと思ふたが、段々に窮して遂に幕府の家来になるやうな変な気分を起した。尚其鎖国論は甚だ考が違つたと思つて、遂に欧羅巴の旅行をして此の程帰つたが、何等私には学んだ事がないから、大に得た所があるなどとは決して申しませぬ。殊に大蔵省の租税の頭を仰せ付かりましたけれども、私は租税を取ることも何も存じませぬ。全く知らぬ者を御使ひ下さるよりは私は駿河で必ず欧羅巴式に出来るとは申しませぬけれども最早政治界の観念はやめましたから、多少商工業で日本の国の富むやうにして、日本に尽したいと思ふから駿河でさう云ふ事業を起しますから、どうぞ大蔵省の職務を解いて下さい、私は帰りたうございます。駿河藩の首脳者に申しますと、駿河では決して朝廷から命ぜられたことに対して藩の都合で御免を蒙むることは出来ない。自分で申上げて御免を蒙むるならば宜いけれども、若しさもない時には藩の迷惑になるからといふことを人々が申しますから、大蔵省で御受けはしたけれども、右様の次第でありますから、知らぬ私に租税の頭を御申付けになるよりは、駿河で仕事をさせた方が畢竟私が日本に尽す所の効果が多少あらうと思ふから、御辞退したい。御聞置き下さるやうにと申した。私は大変尤もな事を言ふた積りであつたが、頭から大変に反対されまして、甚だしく云ふと叱られた。其叱り方が今に尚耳に付き様子が目に付き、其道理が心に銘じたと申す次第であります。先ず斯う云ふ言葉であつた。君の素性を一通り聞き大蔵省に呼んだ、私一人が呼んだのでない。予めさう云ふ人柄であるといふことを聞き知つたけれども、姑く其人の素性は第二にして、租税の事に関して何も知らぬと言つたが、
 - 第2巻 p.241 -ページ画像 
然らば反対に問ふが、今大蔵省に居る人々が皆今日の政務に対する手続を完全に知つて居ると思ふのであるか、若し君が知つて居ると思ふとするならば、君位愚昧な人は無い訳である。斯く申す大隈も何も知らぬ、是から先如何にして財政をやつて行くか、又如何にして租税を取つて宜いかといふことを明瞭に知つて居らぬ。平たく申せば日本に知つて居る者は一人も無いといふても過言でない。蓋し初めから本式の仕事をしやうといふのは間違ひで、お互に宜い所を取つてやるのが今日の勤めではないか。大きな言葉で言ふならば、丁度高天原に神が集つた時のやうに、神にならんとして居る所だ、君も其一柱の神になつて、さうして知らぬ事を新しく創造したら宜い。即ち創造を是からやらうではないか。君は知らぬと言はれるが、誰が知つて居るか、私も知らぬ、皆罷めなければならぬではないか。罷めたら国はどうなる、で成程是から先商工業に力を尽した方が自分の長所であるから国家に利益があるであらうが、それは私は知らぬ、何れが長所であるか初めて会つた人であるから分らぬ。彼れに長ずる之れに長ずる人といふことは、試みに問ふが商工業といふものは、唯だ単に商工業だけで進むと思はれるか、是はどうしても財政が進み、経済が伴つて行くといふ自らの順序があるではないか、貨幣はどうする、其融通法は如何にするか、さう云ふやうな事は仮令知らぬでも、考慮してなければならぬ。然るに是から先日本の為に商工業を以て国を立つて行くといふ意思があるならば既に其事の一部は知つたと言はなければならぬ。其知つたといふのに大蔵省に行くのは己は厭やだと云ふ、是位分らぬ話はないぢやないか。其地盤は何で出来るか。唯商工業だけで独立して行けるか。斯う考へると君は全く其先を知つて本を知らぬといふことになりはしないかと思ふから、辞退といふ事の趣旨に於ては諒とする点がないでもないけれども、どうしても其根本を誤つて居るやうだから、此所を一つ考を変へたら宜からうと思ふ。其他淊々たる懸河の弁で仰しやつたやうでありますが、先づ大趣意は是で、私はギユーと閉口して何とも御答のしやうがない。それから畏りました、私の知慧が至らぬで、実は御免を蒙らうと思つて、御目に懸つて御話したが宜いと他の人が言ひましたからそれで御目に懸つたのだが、今の御説得に依つて考を変へて私は務めませうと申したのが、抑々初めての御面会でありました。随分に酷しい言論若くは理由を以て御説得を蒙つて、此事は今尚存じて居りますが、夫以来色々に御指導を受ける場合にも種々なることがありました。○下略
  ○右ハ大正十一年二月十九日早稲田大学校庭ニ於テ開催サレタル大隈重信追悼会ニ臨ミ栄一ノ述べタル「博愛の人」ナル追悼ノ辞ノ一節ナリ。


諸書付留三 明治二年己巳九月晦日ヨリ十一月廿九日迄(DK020012k-0008)
第2巻 p.241-242 ページ画像

諸書付留三 明治二年己巳九月晦日ヨリ十一月廿九日迄 (徳川公爵家所蔵)
                         渋沢篤太郎江
 別紙之通弁官より被相達候間東京江可被罷出候
 其藩士渋沢篤太郎儀
 御用候間東京江罷出候様可申付候也
  但到着之上ハ速ニ弁官江可差出候事
 - 第2巻 p.242 -ページ画像 
    十月十八日 弁官
   静岡藩知事殿
 右十月廿一日次郎八殿御達し


渋沢栄一 書翰 大村昇・芝崎角次郎[芝崎確次郎か?]宛(明治二年)一一月四日(DK020012k-0009)
第2巻 p.242 ページ画像

渋沢栄一 書翰 大村昇・芝崎角次郎[芝崎確次郎か?]宛(明治二年)一一月四日
  清三郎より理七へ壱封御届可被成候
発程後途中無事一昨二日東京府着いたし候、此段御休意可破成、其地一同無異と存候、折角留守中心附候様いたし度候
新屋敷老人おひさ、迎として罷出居面会今日帰郷被致候、家郷一同清寧之よし、藍香も廿八日東京お発し帰省と申事也、右等於千代へも可被申通候
此方事多分近々帰駿も難出来哉ニ存候、いつれ成行次第早々尾高を為差登可申候間、其段可被心得毎事譲後便無事着府之報知迄如此也
    十一月四日
                     篤太郎親裁
   昇殿
   角次郎殿
  時令折角被相厭家事不取締無之様可被心附、先日被差出候書状ハ昨日到手いたし候、田舎へも東京着之儀ハ既ニ申遣置候


渋沢栄一直筆 履歴書(DK020012k-0010)
第2巻 p.242 ページ画像

渋沢栄一直筆 履歴書 (渋沢子爵家所蔵)
宿所東京湯島天神中坂下     祖父  渋沢只右衛門 死
                父   渋沢一郎   存生
一 世扶持四人扶持             渋沢篤太郎
                        午歳三十一
 慶応二寅年九月七日一橋勘定組頭使役兼帯より被召抱元高現米四石壱人半扶持被下陸軍附調役被命同年十二月八日民部太輔《(民部大輔)》殿御附添仏蘭西国行被申渡同十二月廿一日御勘定格被命勤候内百俵高ニ被成下慶応四辰年二月十四日仏国おいて外国奉行支配調役被命並之通御足高御役扶持とも被下候同年十一月七日民部大輔殿御附添仏国より帰着同十二月十二日於東京御奉公御免勤仕並小普請被命同日大目付附属被命同十二月十九日御附添御用相済静岡表着同廿四日御勘定組頭被命御役金弐百五拾両被下明治二巳年正月十三日御役御免御勘定頭支配同組頭格御勝手掛中老手附商法会所重立取扱被命同八月廿七日会計掛附常平倉掛被命政事庁書記次席御役金弐百五拾両被下候旨被申渡同十一月五日於東京任租税正 宣下之旨被 仰付候


青淵先生公私履歴台帳(DK020012k-0011)
第2巻 p.242 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳
明治二年 十一月四日 任租税正 太政官


百官履歴 下巻・一四〇貢〔昭和三年二月〕(DK020012k-0012)
第2巻 p.242 ページ画像

百官履歴 下巻・一四〇貢〔昭和三年二月〕
明治二年 己巳十一月四日 任租税正


大蔵省沿革志 租税寮第二・第六五丁(明治前期 財政経済史料集成 第二巻 第二五一頁〔昭和七年六月〕)(DK020012k-0013)
第2巻 p.242-243 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

青淵先生伝初稿 第七章一・第一―一〇頁〔大正八―一二年〕(DK020012k-0014)
第2巻 p.243-244 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章一・第一―一〇頁〔大正八―一二年〕
静岡藩における常平倉の事業漸く其緒に就き、先生も亦力を此に致さんと思ヘる際、はしなくも先生の境遇に一大変化を生ぜしめたるは政府の徴召なりき。即ち明治二年十月二十一日太政官なる弁官より、先生を至急上京せしむべしとの御用状静岡藩府に到着し、藩府は之を先生に伝達せり。然れども先生は新政府に仕官すること其素志にあらず、よりて藩の執権たる中老大久保一翁を訪ひて、出来得べくば其徴召を辞し、辞すること能はずんば、今暫く常平倉の処置を了するまで数ケ月間、上京の猶予を得んことを懇談したるに、一翁は之を不可となし、「朝命は重し、藩としていかでか辞することを得べき、若しさることあらば、藩は朝命に悖り人才を隠蔽せりとの嫌疑を受け、藩主の迷惑を来さんこと必定なり、足下宜しく再考すべし」とて切に其上京を慫慂せしかば、先生も力及ばず、命のまゝに上京すれば、十一月四日思ひもよらず租税正に任ずる宣旨を拝したり。租税正は租税司の長官にして、今の主税局長に相当するものなり。かくて三年三月廿日正七位に叙せらる、これを先生が任官叙位の始と為す。
当時の官制を按ずるに、租税司は民部省に属したれども、原来民部大蔵両省の事務彼此互に交渉する所多く、衙門の分立は不便少からざるが故に、二年八月十二日便宜之を合併せり。当時合併と称したるものの、其一方を廃したるにはあらず、並に其省を存しつゝ、両省の卿轄以下互に兼任せしめたるにて、先生も亦民部省の官吏として、兼て大蔵省の事務にも携はれるなり。然るに三年七月十日再び両省を分離するに及び、租税司は大蔵省の管轄に属したれば此後先生は永く大蔵省の官吏となれるなり。先主が任官の際其長官及び同僚たりしは、民部卿兼大蔵卿伊達宗城、民部大輔兼大蔵大輔大隈重信・大蔵少輔兼民部少輔伊藤博文・民部大丞兼大蔵大丞井上馨・造幣頭井上勝・出納正林信立・監督正田中光顕等なりき。
先生の租税正を拝命するや思へらく、予はかゝる方面の事務に慣れず、又省中一人の知己あることなし、任に就きたりとも果して何事をか為し得べき、寧ろ従来手がけ来れる常平倉の事業を完くするに若かずと、辞職の意甚固かりしが、折しも病により数日を経て、十一月七日始て出勤し、省中を見渡すに、卿は伊達宗城にして大輔は大隈重信、少輔は伊藤博文なり、伊達は門閥を以て地位を擁するのみ、実権は大隈伊藤の両人にあるを察知したれば、一日大隈を訪ひて辞意を訴へんとしたれども、多用にして閑談しがたしとありければ、同月十八日再び之を訪ひて辞任の意を申出たり。大隈は先生の言の畢るを待ち徐ろに口を開きて曰く、「足下のいふ所誠に一理なきにあらず、然れども学問も経験もなしといふは余とても同様なり、豈独り余と足下とのみならんや、政府にありて事を執るもの悉く皆然らざるはなし、足下は我国の古伝説に八百万の神々が高天原に集合して事を議したることある
 - 第2巻 p.244 -ページ画像 
を知らん、今日は恰もそれと同じく、八百万の神が国家を創造せんとする時代なり、余も其八百万の神の一人なれば、足下もまた其一人なり、維新後の新政府は、有為の士相集りて新に国家を創造するの覚悟なかるべからず、此時に当り宜く眼を大局に注ぎ、広く国利民福の為に図るべきのみ、一藩の盛衰何かあらん、静岡藩の為とか佐賀藩の為とか、或は薩藩長藩の為とかいふは局量の狭き考なり、我々は新しく国を造り直す神たらざるべからず、余はかく信じて事に当れり、足下も神の一人として、神謀りに謀るの覚悟を定めんこと肝要なり、此時に際し省中に知己を有する有せぬなどは問ふ所にあらず、畢竟維新の政府は我々が知識と勉励と耐忍とによりて造り出すものにして、就中本省の事務たる財政経済民政には、改革を要するもの枚挙に遑あらず而して事の成否は国家の消長に関すれば、ただ一致協力、互に相助けて前途の成功を期せんのみ、足下が静岡に起したりといふ事業の如きは、日本全体の経済より見れば、真に瑣々たる事業に過ぎず、小を棄てゝ大に就くが国民の本分にあらずや」と、理を推し言を尽して諭され、而も其説く所概ね肯綮に当りたれば、先生も翻然として大に悟り遂に其言に従ひ、然らば微力を君国の為に致さんと誓ひて、辞職の事は思ひ止りたり、当時先生を政府に推挙せるものは、伊達宗城と郷純造の二人にして、二人は共に先生と一面識あるものにあらざりしが、先生の有為の資を知りて玆に及べるなりとは、後に至りて知られたりといふ。此時に当り薩長土肥四藩の俊才、廟堂の枢軸となりて事に任じたれども、概ね実務の経験を有せざる青年なれば、実際大政料理の衝に当るに及びては、殆んど望洋の歎なきを得ず、是に於て多く旧幕府の遺臣を引いて各省に配置し之を指導者となせり、就中民政財政海軍の如きは、幕府士人の技能遥に諸藩士の上に出でたれば、此方面に重用せられしもの多かりき。先生はもと農家に生れ、年少より地方《ヂカタ》の事情に通ぜる父の膝下に見聞を重ねし上、早く一橋家に仕へ、後ち幕府に召され、静岡藩に用ゐられて、専ら財政経済の方面に当り、民政にも参与して成績多かりければ、政府が先生を招致せるもの故なきにあらず、況や維新後の施設は、古き因襲を打破して智識を海外に求め、欧米の文明を日本に移植せんとするにあれば、外国の事情に通じたる者を、政府に網羅すること最急なるをや、先生は欧洲に留まること数年、鋭敏なる観察を遂げ、新事業の計画に必要なる智識を蓄ふること深きが上、実務の才に富みたれば、明治政府の渇望せる人才としては最満足なるものなり、政府が先生に期待せる所も亦此にあるべし。
○下略


実業之日本 第一二巻・第一四号、第二一―二三頁〔明治四二年七月〕 渋沢男が初めて世に出でし当時の大元気(伯爵大隈重信)(DK020012k-0015)
第2巻 p.244-246 ページ画像

実業之日本 第一二巻・第一四号、第二一―二三頁〔明治四二年七月〕
 渋沢男が初めて世に出でし当時の大元気 (伯爵 大隈重信)
  △男を初めて世に引だせしは我輩
○上略
○そもそも渋沢君を初めて世の中に引出した者は我輩であつた。それで我輩と渋沢君との関係は特別である。
  △男を余に推薦せしは郷君
 - 第2巻 p.245 -ページ画像 
○当時渋沢君は旧幕臣で、明治政府には出ないといつて居つた。我輩が大蔵省に入つて人材を求めて居ると、郷純造君が洋行帰りの渋沢君を推薦して来た。
○郷氏はなかなか人物を見る眼があつた。氏の薦めて来た人物は皆よかつた。前島君(密男爵)も其一人である。
○それで郷氏の推薦なら使つて見やうと言つて話して見ると、渋沢君はなかなか頑固で容易に出仕を肯じない。
  △余は如斯にして男を説伏せり
○今でこそ君は常識円満の大人であるが、当時まだ二十歳時代で一見壮士の如く、元気当るべからざるものがあつた。
○無論両刀を帯びて、一つ間違つたら一本参らうといふ権幕、家に居る時でも一刀だけは腰より離さないといふ勢で、会ふといつても容易に出て来ない。
○それで説伏するにはなかなか難しかつたが、我輩は、八百万の神が寄合つて新日本を作るのだから、君も一つ神様になつて呉れいといつて遂に承諾さした。
  △男の抜擢は同僚の大反対を招けり
○処が又一方には我輩が旧幕臣たる渋沢君を用ゐたといふので、旧幕臣中にも新政府中にも反対があり、殊に大蔵省の官吏達は大不平であつた。
○彼等は殆んど同盟罷工といふ様な勢で我輩の処へ遣つて来て、あんな壮士見た様な幕臣を我々の上に抜擢するのは何事だといつて非常にやかましい談判であつた。
○其中でも最も猛烈に反対したのは玉乃世履(後大審院長となり自殺せし人)であつた。渋沢君を玉乃の上へ抜擢したといつて非常に怒つた。
  △目覚ましき男の働き振り
○其頃は井上侯もまだ大蔵省へ入つて居なかつた。我輩は四方の反対を抑ヘて、マー見て居れといつて渋沢君に思ふ存分働かしたが、君の働き振りは実に精悍なものであつた。
○当時の大蔵省は、財政の事は無論今日の農商務省、逓信省、又は司法省の或一部の仕事、それに地方行政なども持て居たので、繁劇なることは非常なものであつた。
○渋沢君は八面鋒といふ勢で働かれた。財政の事、地方行政の事、殖産興業の事、有らゆる方面に活動された。
  △先きの反抗者が謝罪に来た
○考へもよく、計画も立ち、それに熱誠以て事に当られたから六ケ月も経つと、先に反対した者等は大いに驚いた。
○今度は不平党が謝罪に来た。最先に反対に来たのも玉乃であつたが最先に謝罪に来たのも玉乃であつた。
○彼等曰く『渋沢君はとても我々の及ぶ所でない、誠に得難き人である。先に無礼な事を言つたのは我々の思違ひであつて、実に相済まぬ』といつて後には皆渋沢君と懇意な間柄となつた。○下略
  ○コノ談話ト略同内容ノ談話竜門雑誌第二〇五号所載「本社第三十四回春季総集会に於ける大隈伯の演説」(「曖依村荘雑話」ト題シテ「大隈伯百話」
 - 第2巻 p.246 -ページ画像 
ニモ収禄セラル)中ニアリ。


鴻爪痕 (前島弥発行) 三・第二―三頁〔大正九年四月二七日〕(DK020012k-0016)
第2巻 p.246 ページ画像

鴻爪痕 (前島弥発行) 三・第二―三頁〔大正九年四月二七日〕
  一 掘出し物
幕末から御一新の界に掛けて幕府に仕へた人のうちで人材は無論尠くなかつた訳であらうが、玆に幕臣と云ふ系統から引き抜かれて明治の新天地を造るに非常の働きをなした者が二人ある。其一人は即ち前島翁其人で、他の一人は渋沢男である。
此二翁が全く掘出し物であつたと云ふことは、大隈老侯の常に語らるる所で、現に此二翁の面前に於ても、しばしば語られたものであるが、当時は幕臣といへば、世人が皆嫌疑の眼を以て見たものである。仮にも幕府に仕へた者であると云ふと、或は二心を抱いて居りはせぬか、間諜ではあるまいか等と自然人から危まれたものである。其時代に於て、嘗て幕臣であつた所の此二人を、明治政府に推薦したのは、大蔵省で久しく役人をして居つた郷純造と云ふ人であつた。郷君と云ふのは、今実業界で名のある郷誠之助男の親父である。
大隈老侯が笑ひながら語らるゝには、郷と云ふ男は金を溜るの才はあつたが、最もあの男にエライとして伝ふべきは、前島・渋沢二翁を明治政府に推薦した一事であると。実際大隈老侯は、現に郷君の推薦を容れて翁を採用した人であつた。其時分、明治の新天地を開拓するについて、大蔵省内に取調局と云ふものが置かれた。今で云へば研究所の如きものでなんでも勝手に議論をさせたものである。
  ○当時ノ大蔵省大官中栄一ニ関係深キ人々ノ官歴ヲ参考ノ為左ニ掲グ。
   △伊達宗城ハ明治二年九月十二日、民部卿ニ任ジ、大蔵卿ヲ兼ヌ、同三年七月十日民部卿ヲ免ジ、大蔵卿ニ専任セラル。(「大蔵省沿革志」ニヨル)
   △大隈重信ハ明治二年七月八日大蔵少輔、同八月十二日民部大輔ノ職ヲ以テ大蔵大輔兼任ヲ命ゼラル。(「大隈侯八十五年史」附録年表ニヨル)
   △伊藤博文ハ明治二年七月十八日大蔵少輔ニ任ゼラレ、同年八月十一日民部少輔ヲ兼ヌ。(「大蔵省沿革志」ニヨル)
   △井上馨ハ明治二年六月二十一日会計官判事ヲ以テ通商司知事勤務仰付ケラレ、同年十月十二日民部大丞兼大蔵大丞ニ任ゼラル。(「世外井上公年譜」ニヨル)
   △郷純造ハ明治元年十月二十七日出納司知事、同二年六月二十四日会計官権判事、同二年七月十八日大蔵少丞、同年八月十七日民部少丞ヲ兼任ス(「大蔵省沿革志」ニヨル)
   △前島密ハソノ自叙伝(第八七―第八八頁)ニ『明治二年十二月二十八日、召されて民部省に出頭すれば、同省九等出仕改正局勤務を命ぜらる。○中略 明治三年正月五日出局すれば、図らざりき、余は局員の上席にして独り渋沢栄一氏のみ、奏任官たる租税正にして本局に兼任したり。』ト記ス。


雨夜譚会談話筆記 下・第八一二頁―第八一三頁 昭和二年一一月―同五年七月(DK020012k-0017)
第2巻 p.246-247 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 下・第八一二頁―第八一三頁 昭和二年一一月―同五年七月
○上略
敬「静岡の商法会所はお祖父様が、東京へお出でになつてから、どうなりましたか」
先生「藩が直ぐなくなつたので、当然商法会所、後に常平倉になつた
 - 第2巻 p.247 -ページ画像 
が、自然解散した。そして解散の時は、藩が政府から借りた太政官札は、残つてゐた丈けは政府に返すし、また民間から借りてゐた金は、それも民間へ返した事と思ふ」


常平倉御取建一件留(DK020012k-0018)
第2巻 p.247-258 ページ画像

常平倉御取建一件留          (萩原太郎次郎氏所蔵)
○上略
     二十二日 天き吉
一今四ツ時出勤申候処、北村勝間田小鹿弥勤馬場米弥是又出勤、昨廿一日渋沢篤太郎様 東京ヨリ召帳到来到来《(衍カ)》之趣
                     渋沢篤太郎
  別紙之通弁官より被相達候間、東京江可被罷出候

   其藩士渋沢篤太郎儀
   御用候間東京江罷出候様可申付候也
    但到著之上は速ニ弁官江可差出事
     十月十八日         弁官
       静岡藩知事殿
 右ニ付御同人出立後、常平倉取計伺今日より談始メ、尤来廿六日御出立被成候積り
一商法会所添地ニ相成候元明屋敷御茶小屋跡鍛冶町裏散田米五俵八升地当作方之義、米弐俵ニ而納方致勘弁呉候様作人清水尻与助申来候間、此段御頭へ申上置可然様取計被申付候事
一今夕一同引取申候
    廿三日 天き吉
一今九ツ時出席夕剋退散之事
    廿四日 天き吉明廿五日撿見ニ付諸仕度在之間不勤
    廿五日 天き吉御撿見ニ付不勤
    廿六日 天き小雨ふり
一今九ツ時出勤申候渋沢氏今日御出立ニ付、廿四日廿五日日勤ニ而諸向伺上書取致置候事、八ツ半時御立ニ相成御用達一同下横田迄送リ申候
    廿七日 天き吉
一今四ツ時出勤、拝借金日限延其分《(之)》呼出し、書付認メ追而合《(郷カ)》宿取極可申共、差当リ書付送リ方丹波屋平兵衛ヘ申付積リ、一同相談致し、引取之節手前小鹿弥勤丹波屋ヘ立寄申談書付相渡、受取帳へ連印取之置申候
一井出村納金ニ付、昨夜片羽町広吉殿被頼金性見届兼候趣被申候間、右は役所江持参、改テ為受度、井出村郷宿菱屋舎弟為蔵殿役所ヘ被参候間此段申遣ス
一明廿八日常平倉役所岩田氏引渡ニ付、萩の氏会計所ヘ罷越懸合候処、五ツ時之積ニ取極メ候段、萩野氏より文通到来、其節未タ手前帰宅不致故、忰取計北村彦次郎殿ヘ遣し候趣、依之右正五時出勤可致様小川米弥柿佐野崎ヘ文通急順廻差出ス
 - 第2巻 p.248 -ページ画像 
一上小使壱ケ年給金三拾六両、門番金三拾三両と今日取極メ其段申渡候事

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 (貼翰) 只今会計所より別紙之通申越就而は七分限早々尊宅江向出張致し候間御同行被下度御打合之上は一同教覚寺江出勤之積之処右達しニ付御同様は彼之寺江向罷越候趣ニ付、御用達衆五ツ時後御役所江御出務之上御用物取纏メ、大手前江運送等御取計有之候様いたし度乍御手数くわしく御通達可被下候 早々                   萩野健太郎   萩原鶴夫様       御用向    会計懸より萩の様江之御書付   岩田弥六住居向明廿八日五ツ時相渡候趣ニ付、御請取有之候様致度此段御達申候 以上    十月廿七日 



    廿八日 天き吉
一今朝五ツ時萩野様御立寄ニ付同道致し、元御目付屋敷ヘ罷越候処、岩田様御出立ニ相成跡御侍衆二人残リ掃除致し居、夫より御引渡受取申候、其内清水より黒柳様御越、萩の氏と御両人ニ而政事庁ヘ御届相済
一棟梁塩津茂七郎職人引連専ら繕ひ致居申候
一御用達一同詰合、教覚寺より書物其外引取今日教覚寺引払相成申候
一今日北村馬場宮崎三人不参
一別移祝儀之処、代金三百疋分勝間田取計倉調一同食し申候
一塩津氏ヘ金七拾両也取繕入用之内渡、勝間田清次郎宅ニ而可相渡積リ
一明廿九日定式休日之積リ
    廿九日 天き吉 休日
    十一月朔日 天き吉
一今四ツ時罷出申候
一北村彦次郎病きニ付当分不勤頼合在之
一去月分月調勘定引合致申候
    二日 天気吉
一今九ツ半時出勤
一会計掛平岡次郎様今日御見廻リ在之
    三日 天き吉 地方御用ニ付不参
    四日 天き吉 休日
    五日 天き吉 初申ニ付早仕舞之積リ
一今朝四ツ時罷出申候岡部宿平兵衛殿より願候田地書入拝借金未タ御上ヨリ御沙汰無之間、御下知次第三階屋迄可達段申遣ス
一遠州村々貸付金取立方一件ニ付、見付宿石沢五平《(古沢五平)》、中泉村青山宙平山田次八郎江仕立飛脚ヲ以問合状今日認メ、御願可差出様中之店丹波屋平兵衛ヘ申付候
一当春以来勘定明日より取懸リ可申積リ、掛リ萩原鶴夫勝間田清左衛門
 - 第2巻 p.249 -ページ画像 
小川太七小沢戸屋伊兵衛四人引受候事
一今夕刻仕舞早く八ツ半時引申候、尤手前は明日明後日両日之間何分出勤難出来段相断置申候
    六日
    七日 祝儀日
    八日
      右三ケ日は当方次男嫁取祝儀在之間、役所へ不勤
    九日 定休
    十日 天き吉
一今九ツ時出勤致し申候
    十一日 天き吉 今日明屋敷地割残取調ニ付不参致申候
    十二日 天き曇り
一今日四ツ半時出勤致申候
    渋沢篤太郎様より東京御状到来、十一月十一日御沙汰左之通
    十一月五日皇城柳間ニおゐて五辻少弁殿御渡
                    渋沢篤太郎

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  (朱書)  渋沢様猶又租税正改正方被仰付候間十二月十五日御家族静岡表御引払相成尤是迄常慶町教覚寺ニ御止宿被成候事 任租税正 右 宣下候事  十一月 太政官 



一元常平倉添田地租税米三俵可納様代人清水尻与助先日申来候得共、夫ニ而は如何ニ付、今日同人相扣四俵可納様申談遣ス、いつれ猶又可申出旨申之候事
一此度之常平倉添地三拾四間四方之処、今日棟梁茂七郎来黒柳氏鶴夫立会間数相改抗《(杭)》打立其上早々囲可致積リ
一此度常平倉役所并御頭住居向繕共合金百七拾七両銀七匁弐分之仕払之処、御頭之儀ハ東京ヘ罷越候事故追而いづれニ可相成哉ニ付、其儘差置役所向囲等之分計為取繕候処、金百弐拾七両弐朱銀壱匁内金七拾両先日勝間田氏より相渡、并先日仮役所教覚寺より引移ニ付、諸人足賃金五両壱分銀三匁五分此分差引金明日受取度趣茂七郎申之候間書付取置、明日談之積リ
一今日黒柳氏出勤、萩野氏風邪ニ付不勤
一遠丹村々江肥物代金貸付取立金千五拾両野崎氏ニ而相改候処、悪金八拾弐両引之良金九百六拾八両納ニ相成、外ニ壱両札八百六拾九両小札金壱《(両)》分弐朱銀四百拾文戻し差様被申候得共、悪金之分引替不相成候も惣体細リニも不相成、猶又返納六ツケ敷分来午年迄猶予願書等も被遣候得共、猶追而評義之上可申遣段、文通認メ其外七月廿八日青山善一郎江貸付金千五百両先達而皆済分証文戻し呉候様申越候間、改之上今日見付宿使丹後屋忠七殿ヘ文通并金子札共ニ仮受取悪金之分将又青山請文共封入可仕被致候内、郡政役所より助郷一件御呼出在之間何分右文通等封入難仕居小鹿甚太郎其外ヘ相頼申候事
    十三日 天き雨ふり申候
一御印判師中井敬所江先達而願置候印判三面出来受取
一四ツ半時出張申候清水出張所ヘ浦賀売払塩代札早々当地ヘ廻し船は
 - 第2巻 p.250 -ページ画像 
兵庫廻し取計候様申遣ス
一渋沢篤太郎様ヘ恐悦状今日詰合之者より連名ニ而申遣ス
一中井氏ヘ可払金札壱両弐分受取、早々中井氏へ相渡可申事
一明十四日休、明十五日朝之間詰合申積リニ付、其段小鹿甚太郎殿ヘ文通丹平便ヲ以遣し申候 一棟梁茂七郎殿ヘ役所繕ひ入用之内金五拾両野呂氏より渡ス
    十四日 休ミ
    十五日 不参
    十六日 天き吉
一今九ツ時出勤
    十七日 天き吉
一今四ツ時出勤、昨夜見付宿古沢中泉村青山来候間、遠州御貸付取立方談致申候処、今日役所ヘ被参黒柳氏勝間田手前申談会計頭ヘ伺ニ上リ候処、御退出ニ付明朝伺候積リ致し申候
一今日清水御払米萩野健一郎様小鹿甚太郎小川太七罷越手前も罷越候積リ之処、郵政役所御用出来他行六ツケ敷候間不参之趣萩の様ヘ文通上ケ差様申之、小川氏へ頼申候
一惣囲垣根一件伺ニ塩津茂七郎殿来候間、猶明朝談之積リ
一トソロ箱ニ相用候椿の油小徳利入壱ツ代銀五匁真書五本代七百五拾文也、手前今日役所ヘ持行此代料明日受取可申積リ
一遠州両人丹波屋平七方ヘ止宿致申候
    十八日 天き吉
一今四ツ時出勤申候、萩野様清水より御払米済御引取相成申候
一清水松本手代吉兵衛と申者、大坂より帰リ之趣ヲ以被参、大坂ニおゐて取集候金札弐百両、飛脚ニ差出候間、不遠内著可相成趣申之
一富士郡内野村より拝借願金百五拾両引当紙荷物大宮高瀬預リ書并同人より当方并勝間田江文通在之候間、一同ヘ申談貸付之評決相成申候
一遠州貸付金取立方一件ニ付、萩原宮崎小鹿ニ差添萩野氏御城ヘ罷出平岡次郎様ヘ委敷申上候処、御同人様被仰聞候は得と御評議も在之候間、一両日中之処古沢青山両人止宿為致候様被仰候間、其段両人ヘ談申候
一御役所囲矢来は入用不懸様致度候、菱矢来ニ取極塩津茂七郎ヘ申付候事
一渋沢様ヘ差上候干鯛割合壱人ニ付、金弐分四百六拾四文ツヽ勝間田ヘ銘々今日相渡ス
一昨日御役所へ差出候椿油代、壷共ニ銀五匁、真書筆五本代七百五拾文黒柳氏より受取申候
    十九日 休日
    二十日 天き吉烈風
一今四ツ時出勤、二分金取扱方ニ付鶴夫総五甚太郎三人江黒柳氏差添政事庁へ罷出、御勘定頭平岡次郎様小栗尚三様ニ御目通致し伺上候処、惣体不受取被申儀も難出来、成丈吟味之上取扱候様被仰付候
一明廿一日清水御払米鶴夫出罷、尤黒柳様并柿屋佐右衛門出張之積リ
一外御用伺出来候間、八ツ半時引取申候
 - 第2巻 p.251 -ページ画像 
    二拾壱日 天き吉
(上袋貼付付箋)

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 清水出役十一月廿一日昼夕廿二日朝出、役所ニ而食事、廿一日夜泊リ廿二日引取於役所丹平より昼飯取食ス     巳十一月 



一今朝出立かけ常平倉役所ヘ立寄候処、未タ一人も詰合無之
一宮崎総五殿と平岡次郎様ヘ伺上、在々在之候残米御払願上度候処、御出勤被遊候間、今夜総五壱人ニ而伺上候積り、夫より手前は清水ヘ罷越、四ツ半時出張所著、黒柳氏先剋着致候趣
一江尻清水御用達皆立合之上、御払米俵数帳出し申候
一御納屋御修ふく之儀、黒柳氏と見分致し申候
一今昼飯出張所ニ而食ス、柿屋佐右衛門昨夜著致し居候事
一夕剋商人中立会入札相成申候、落札直段上之方壱斗五合五勺替、下之方壱斗壱升弐合替ニ落札人証文受取、仕度代黒柳氏より相渡し申候
一夕飯食ス御用達中帰宅
一出張所手代弥右衛門給金拾両ニ致呉候様御用達中被申候間、静岡ニおゐて得と評議候様可申積リ
一出張所黒柳氏萩原泊リ申候

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 (貼紙) 十一月十一日出共著  兵庫湊爪屋彦七出し  肥後 肥前  八両三分一弐朱  備前 備中  八両弐分一弐朱  播州     八両一分弐朱より  かゝ米    八両弐分  大坂米百三拾九俵  筑後米百五拾三俵  〆弐百九拾弐俵        朝比奈屋 幸兵衛    壱斗一升弐合       川本屋  梅吉 十一月十七日御払米 八百九拾八俵          板屋   忠三郎                 近江屋  善兵衛                 乾屋   久右衛門                 浪花屋  喜右衛門  中国米七拾八俵  同  百弐拾九俵  津山米九拾五俵  筑前米九拾四俵  〆三百九拾六俵   金壱両ニ付米壱斗八合替                 白子屋  仙蔵                 水口屋  万右衛門  豊前米六拾五俵  庄内米    八両一分弐参朱  以下p.252 ページ画像   南部大つ   六両弐三分  南京大つ   五両弐分一弐朱  同米     六両より弐三分  糯米     九両より一分  相州小麦   六両より一分  川越麦    六両内外   にしん   五貫匁 合七百六拾九俵  十一月廿一日御払  播州米百弐拾七俵  肥後米百七拾七俵  〆三百四俵壱斗五合五勺                 川本屋梅吉  豊前六拾壱俵  同 六拾参俵  同 三拾一俵  同 弐拾一俵  〆百七拾六俵 壱斗五合五勺  小川屋藤七  同 六拾一俵  同 九拾五俵  同 百八十六俵  〆四百七俵    金壱両ニ付壱斗九合壱勺替                 白石屋 仙蔵                 水口屋 万右衛門  摂州米九拾五俵    金壱両ニ付壱斗壱舛弐合五勺替 



    二十二日 天き吉
一今朝出張所印判等改、元商法会所印不用分静岡へ持返り、猶改刻之差遣候積り
一御用達中被参候事
一四ツ時出立、尤昨夜より飯代夜具代出張所賄人へ黒柳氏より払申候
一九ツ時役所へ帰り、昼飯丹波屋平兵衛方より取食ス
一昨夜平岡様へ弥勤参上、伺一件都合能趣咄在之
一清水より持参候印判萩の氏へ相渡ス
一会計方ニ而壱両札金四千両分御入用、五両札拾両札と引替候様昨日被仰聞、市中問合候処、百両ニ而金八両打相請右ニ而も宜敷趣ニ付夫々手配致し申候、柿佐一旦帰り候得共、此一件ニ而又々直ニ清水ヘ罷越ス
一野呂整太郎殿自分用ニ而来廿五日東京へ出立之趣ニ付、高木ヘ筆注文并封印新彫壱箱願候処、同様宮崎も入用将又同人実印彫共ニ野呂氏へ相頼ミ申候
一夕刻平岡次郎様御立寄在之申候
 - 第2巻 p.253 -ページ画像 
一引取之節安部《(相場)》方組頭両人百姓代壱人途中迄伺ひニ来佐行一件談在之候間、則夕飯も一同食し度馬場町魚いく方へ立寄食ス、夫より一旦手前帰宅、直ニ佐行一件談天王社へ罷越申候
    廿三日 天き吉
一今四ツ時常平倉役所へ出勤、手前所持壱両札合百弐拾五両渡、打金は追而受取可申積、代り拾両札六拾両、五両札六拾五両黒柳氏より受取申候
一遠州道田郡横山村青山善右衛門代源右衛門、山林又は材木書入、来午六月限公金五千両拝借申度趣、同州長上郡市野村三郎兵衛綿肥物代金五百両、来年綿荷物書入拝借申度趣、宿丹波屋平七案内ニ而来候得共、御金操も不都合殊ニ書入品不都合ニも在之、第一遠州御用達ニ而添状無之而は談も難出来段申遣候、将又下小杉村ニ而金四百両拝借願、岡部宿平兵衛金五百両拝借願申来候得共、今日之談ニ行届不申候
一役所屋敷囲竹矢来、其外繕入用金拾八両一分二朱銀六分五厘、塩津茂七郎江皆済御下ケ相成申候
一小栗尚助様御見廻り在之、役所付土蔵は元市中囲米土蔵相用可然段被仰聞候
一三位様御手元金六千両、御用達共へ御預ケ、其上常平倉へ差加候様被遊度趣、得と申談候様被仰聞候間、一同申談御請可申上積り
一壱両札御引替御頼一件、今日出来候分萩の様黒柳様御両人ニ而会計所へ差上ニ御越被成候
一昨日平岡様より被仰聞候江戸深川之者願立候当国丈榧の実油絞り一件他向之者ニ候就而は国内百姓迷惑致候段、御受書萩原小鹿両人印形ニ而書面認メ、萩の様より御差出被下候事
一柿屋佐右衛門殿、清水より引取一両札引替持参、都而此札一件萩の氏黒柳氏進退致申候
一明廿四日、定例之通休ミ
    廿五日 天気吉
一今九ツ時罷出申候
一壱両引替差出申候合金百弐拾五両分打合札拾両一枚受取
一清水御払米出役、金弐分永弐百文黒柳様より御渡受取申候
    廿六日 天き吉
一今九ツ時出勤申候
    廿七日 天き吉 今日不参致ス、但し田方苅分一件用在之
    廿八日 天き吉
一明屋敷上地之内、戸塚積斉殿元扣地呉服町五丁目北裏地面此度常平倉御囲込ニ被仰付、尤右江引続呉五呉六境之処、明屋敷高辻ニ而巾五間八寸奥行丁並之屋敷地在之、前ニより建家致し、戸塚方扣ニ相成居貸家之処、此場所も此度常平倉囲込ニ相成候間、家作取払、入口ニ可致積ニ付而は、戸塚氏ニ而入用ニ候ハゝ早々取押可申、又は払物ニ致候ハゝ、常平倉ニ而代金拾両位なら引取可申段、今日手前出勤序病院へ立寄、積斉殿ニ申談候処、追而挨拶可致田申《(由カ)》之
一常平倉泊り番之儀、何分御用達ニ而は難引受段、今日政事庁へ総五
 - 第2巻 p.254 -ページ画像 
甚太郎両人罷出申上候事
一萩の様黒柳様御住居此度常平倉御囲内へ建度段、是又総五外壱人より御勘定頭平岡様へ申上候処、其積り取極候間、棟梁茂七郎殿ニ入用積方為致申候、将又常平倉土蔵建度是又積り方申談候事
一宮崎総五入用ニ付金弐百五拾両拝借、日歩利十二月廿日限萩原引受印致ス
    廿九日 休日
    三十日 天き吉
一今日九ツ時罷出申候
一遠州横山村青山善右衛門殿より常平倉御金拝借願ニ付、濤物師丁長次郎殿《(鋳物師丁長次郎殿カ)》取次、手前へ菓子持参、其内ニ肴代金札弐両差入在之、甚タ不都合一件ニ付、長次郎方へ今日返し受取書取之
一萩野氏黒柳氏長屋常平倉御構内へ建一件伺上候処、御下知ニ候、早々取懸り可申様、塩津へ申聞ル
    十二月朔日 天き吉
一今九ツ時罷出申候
一御土蔵弐棟、新き建一件議し申候、上伺候事伺之通被仰付候
一呉服丁五丁目丁頭方へ近々御囲丁屋敷入用ニ付、借家取払ニ相成候間、借宅罷在候者へ其段達し呉候様申遣し、返事到来致候
 (付箋)

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 常平倉御構内南方ニ在之候古馬屋壱棟、此度西之方江引、商人寄場ニ致候ニ付、出入大工棟梁塩津正平事茂七郎江申談候処、新規障子四本、雨戸四本、畳拾弐畳、此代金五両五分弐朱、引越大工人足弐拾人、此代金五両、床板根太ヲヒキ六坪代金弐両、敷居かも居戸箱共此代金壱分弐朱、土台四寸角代金三分五匁、釘代金壱両、合金拾四両三分五匁ニ而可引受旨申之 常平倉江日々手代ニ相雇来候棟梁上桶弐《(屋)》丁新八郎ニ引請させ候処、畳床其外は別ニ而金七両三分ニ而引受候段申之、日勤も致居候間、兎も角も同人ニ為請負申候 御掛り萩野徳太郎様黒柳徳三郎様両人御長屋御構内へ建候積り、三等勤番長屋之振合ヲ以取調会計方御頭平岡次郎様小栗尚助様江申上、御両人より参事様方へ伺上候処、御聞済相成、弐軒ニ而惣入用金九拾五両ニ而是は入札なし、塩津茂七郎江為引請、十二月一日より取懸り、日数十五ケ日之内ニ建可申積り 



    二日 天き吉
一今日刑法局より御触、常平倉御構内へ新き土蔵梁間四間、桁行九間弐棟出来候間、望之者は来五日六日両日之内同所ニ罷出、名前帳ニ付仕様写取翌七日入札之積
    三日 天き吉
一今四ツ時罷出申候
一馬屋ヲ引、商人溜り所ニ致し、請負人上桶屋丁新八引受、昨日引建
 - 第2巻 p.255 -ページ画像 
申候
一呉服丁五丁目、北側内屋敷上り地ニ在之、建家取払之義、市政懸りへ御掛合済相成候
    四日 天き曇り寒の入
一今日休日ニ候得共詰合、垣地売買仕上勘定致ス、夜四ツ時退散、天き晴、西風荒吹也
    五日 天き吉
一今九ツ時常平倉江罷出申候、御土蔵注文入札人追々来、仕様帳写し行申候
    六日 天き吉
一今日より隔番勤ニ相成、日割左之通
 (付箋)

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 十二月六日より隔番日割   四九定例除之休日 六日 十日 十三日         監察《(朱書)》   小鹿村甚太郎 十七日 廿一日 廿五日       出納取扱《(朱書)》 小川太七                   糴糶方《(朱書)》  米屋弥七 七日 十一日 十五日        監察《(朱書)》   萩原鶴夫 十八日 廿二日           出納取扱《(朱書)》 馬場惣次郎                   糴糶方《(朱書)》  小沢戸屋伊兵衛 八日 十二日 十六日        監察《(朱書)》   野崎総五《(宮崎総五)》 二十日 廿三日           出納取扱《(朱書)》 野崎彦左衛門                   糴糶方《(朱書)》  柿屋佐右衛門 (七日 十日 十二日 十五日 十七日 二十日 二十二日 二十五日                   出納取締(朱書)  勝間田清次郎 (六日 八日 十一日 十三日 十六日 十八日 二十一日 二十三日                   同《(朱書)》    北村彦次郎                             代房五郎 



    七日 天き吉
一今日常平倉江罷出申候、御土蔵入札開致し申候、此上伺候積り
 (付箋)

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 御土蔵弐棟新規目論見 但桁九間梁間四間軒一丈三尺  内一ケ所入札己十二月七日惣札  数拾三通之内  壱番           紺屋町  金六百八拾壱両弐分     大工 安次郎                同  源次郎  弐番           新通大工町  金六百九拾九両壱匁弐朱   大工 久次郎  三番           同五丁目  金七百両          大工 松次郎  高直           八幡町  金千弐百八拾九両一分三朱  大工 半次郎           銀九分  以下p.256 ページ画像   御出入棟梁塩津茂七郎札   金七百八拾六両     永百五拾六文三分 



    八日 天き吉
一今日一同常平倉へ詰諸勘定致候
一平間次郎様小栗尚三様御見廻り在之、品々伺上御役所廿五日限ニ取極申候
一今夜四ツ時迄諸勘定致し申候、平岡様よりすし一重被下、且今夜食丹平へ申付、一同食ス、助金之内ヲ以遣払之積り、但今夜黒柳氏萩の氏萩原様勝間田北村竹中野崎馬場小川柿屋四ツ時迄詰合申候
    九日 天き吉 休日
    十日 曇り夕剋より雨ふり出ス
一今四ツ半時出勤致申候
一弥勒町宮崎総五手前両人ニ而役所備金千両来午五月廿五日限年壱割五分利ニ而拝借之積り、引請人小川太七加印定文言証文今日認メ明朝受取可申事、夕剋引取申候
    十一日 天き吉
一今九ツ時出勤、金千両也拾両札ニ而請取、五百両ツヽ割合申候
一今夜諸向勘定夜仕事致し、四ツ時引取申候
    十二日 天き吉
一今九ツ時罷出申候
一会計所江鶴夫総五清次郎罷出、平岡次郎様ニ懸御目常平倉江御引渡可相成、御米壱万五千俵村割俵数書差上申候
一渋沢様御跡役会計方権少参事宮田文吉様ニ仰付、今日平岡様御同道常平倉江御越被成候事
    十三日 天き吉
一今四ツ時出勤致し申候
一小鹿村甚太郎金弐百両拝借、午正月十六日限日歩利之積、引受人萩原鶴夫加印致し申候
一江尻辻町綿屋伊兵衛、本郷町高橋屋源一郎両人ニて金三千両拝借、午正月三十日限、但し書入諸品預り書清水薩摩屋十兵衛書付御用達柴田屋直三郎奥印之源一郎殿持参、引受人萩原鶴夫、宮崎総五加印致し申候
一明十四日常例休日之処、御都合ニ付政事庁は十五日休之趣、会計所より御書付到来ニ付、常平倉も其積りニ致し、明日休ミ無之段当番へ相達し申候
一渋沢様御家内明後十五日東京ニ御引払之趣、右ニ付北村萩原宮崎勝間田小鹿五人ニ而、桑雪形重弐組、籠きせ硯箱三ツ渋沢様へ、同硯箱弐ツ御家内御兄尾高様へ呈上之積、江川町破風より調野呂野崎小川馬場米弥柿佐小沢戸谷《(小沢戸屋)》より桑大重箱壱組、渋沢様へ差上分、其外籠きせ小硯箱三ツ、御家来方へ之分、是又破風屋ニ而今夕剋調、御旅宿教覚寺へ北村代並萩原勝間田宮崎小鹿小沢戸屋罷出差上申候
一夕剋七間壱丁目江戸そばニ而一同そは食し、代払取替払申候、小沢
 - 第2巻 p.257 -ページ画像 
戸屋取扱申候
一御掛り宮田文吉様高匠町御宅へ惣代として萩原小鹿北村代聟房五郎罷出、御役所《(被)》蒙仰候段恐悦申上候、夫より一同引取申候
  此ヨリ弐番日記ニ相成
  (以下三葉共裏表紙裏面ニ貼付シアルモノ)
常平倉御銭是迄平屋町和田屋小平次殿方へ預ケ置候処同人方ニ而も迷惑之趣申立、尤至極ニ付御用達六軒江五箱ツヽ預り、尤野崎彦左衛門殿今朝小平次方へ罷越差配致し申候、弐百四拾貫文宛入之由 巳十二月十二日 覚 一青銭弐百四拾貫文入 五箇 右之通御預り置仕候 以上
                常平倉
                 御用達
    萩原鶴夫殿
巳十二月十二日預り銭十七日返ス 但今日会計所ヘ引渡之由也 覚 一青銭弐百四拾貫文入 五箇 右者常平倉御備銭御預ケ置候分此切手引替御渡可被成候 以上
                     常平倉
    巳十二月十七日           御用達
    萩原鶴夫殿

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 ○金弐百五拾両但五札《(両脱)》ニ而弥勤町宮崎総五日歩利ニ而、拝借引請人萩原鶴夫加印致ス十一月二十八日拝借十二月廿日限 ○金千両但拾両札来午五月廿五日限宮崎総五萩原鶴夫両人ニ而拝借引請人小川太七加印十二月十一日則金五百両ツヽ割賦致し申候 


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 ○金弐百両 五両札百両拾両札百両 十二月十三日小鹿甚太郎拝借午年正月十六日限日歩三ノ利引受人萩原鶴夫 ○金三千両二分金十二月十三日江尻辻町綿屋伊平本郷町高橋屋源一郎引受人萩原鶴夫宮崎総五午正月三十日限日歩三ノ利足但南京豆油百五拾箱大豆七百俵此石弐百拾壱石舶来砂糖弐百俵百斤入清水港薩摩屋十兵衛預リ書御用達柴田屋直三郎奥印在之 


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  北村彦次郎様  萩原鶴夫様          渋沢篤太郎       貴下 



     (表ニ月ノ梅ノ模様アリ)
 - 第2巻 p.258 -ページ画像 
十二月廿三日 (朱書) 巳十二月廿三日東京民部省租税正渋沢篤太郎様より出同月二十八日受取元常平倉御掛リ也
其後御無音之処各御清迪是賀生幸ニ無事勤次是又御降心偖常平倉儀も弥此度宮田掛被命候よし各にも先御安意遥察候、爾来引続き御勉励之よし諸調物も揃《(捗)》取毎事修理整頓御納屋御長屋等、夫々取掛候との事、嘸御多事御察申上候、過日ハ家春とも一ト先東京へ引取候ニ付波々《(津カ)》ひと《(て)》御厄介相成、御餞別等御恵送千謝此事也、併生迚不遠又帰岡之心地《(得)》何分急速にも難相成痛心罷在候、松岡連開発之儀ニ付、厄介之尾る《(マヽ)》日夫々御談話申上候よし、右は常平倉より少々出金し置候方ニ存候、追々養蚕之道相開候抵機《(楷梯カ)》とも可相成、縦一時ハ失し候とも他日相償可申況哉既ニ目算も相立可申事、於生も同論候間御含迄申進候、松本平八と坂地都合能引帰候《(揚カ)》との事幸甚不過之候、御骨折にて返納紙幣も無滞届済大慶此事也、左而近況申述度如此候也
 十二月廿二日
                篤太郎
   彦次郎様
   鶴夫様
   佐次郎様
   総五様
   甚太郎様
  尚々時令御加護専一、本年ハ至而厳寒御座候、当地異聞無之候、諸事先平穏之姿併本月中中下大夫禄制之御布告にて何か騒々敷と申事、両三日前中弁伊藤某と申者へ切掛候者有之候抔之珍事有之りしハ、肥前藩にて同藩士之仕業六人にて三人ハ即坐割腹、伊東もさしたる深手ニ無之と申事御坐候、外御用達へも御伝声可被下候
   ○右日記中直接栄一ニ関スル記事ハ散見スルニ過ギザレドモ、上京後ノ栄一ト常平倉トノ関係並ニ其後ノ常平倉ノ事情ヲ知ルニ足ル。故ニ其ノ全文ヲ掲グ。


常平倉有米金調書(DK020012k-0019)
第2巻 p.258-259 ページ画像

常平倉有米金調書             (渋沢子爵家所蔵)
   常平倉有米金調書
 金壱万八百二十三両余
 米五千九拾八石余
   此凡積代金弐万三百九十弐両余
 大高紙鼻緒弐千三百足         壬申二月朔日 有高
   此凡積代金弐拾五両余
一金弐拾万七千五拾弐両余      貸渡 有之分
 合金弐拾三万八千弐百九拾弐両余
  常平倉元立
   金三拾壱万六百両
        内
 - 第2巻 p.259 -ページ画像 
    金三万七百七拾五両余 石高割拝借己巳返納金大蔵省納
   残金弐拾七万九千八百弐拾四両余
   差引
    金四万千五百三拾弐両余 損失
 右之通候也
    壬申二月               静岡県


渋沢栄一伝稿本 第六章・第一四〇―第一六五頁〔大正八―一二年〕(DK020012k-0020)
第2巻 p.259-263 ページ画像

渋沢栄一伝稿本 第六章・第一四〇―第一六五頁〔大正八―一二年〕
 (標紙)
 明治二年巳十月廿二日
    当局御掛東京え御出立ニ付諸向伺廉書
                 常平倉御用達
一今般御頭様従天朝御用御召ニ而、近々御出立相成候ニ付、御留守中御用向取扱振奉伺置候件々。
一御留守中御用取扱振ニ付、御下知伺度事件有之節は御勘定頭様え申立、御差図を受取計候様仕度奉存候。
  但御出立前、肝煎之者一応御引合被成下候様奉願候。
 留守中諸般之事務ハ、会計掛平岡四郎・小栗尚三・取扱進退可致ニ付、得其意可取扱事、尤事件に寄、肝煎中申合之上、両三人ツヽ四郎・尚三・自宅え罷出申立候様可致事、其前一同引合之儀致承知候
一御用書物之内、券文類并金銀出入御貸付帳等、別而大切ニ付、如何取扱可仕哉、洋銀入鉄箱は堅固之品ニ付、右え入置候而可然候とも奉存候。
  元郡司御役所取繕出来、当御役所引移相成候儀は、諸券文及緊要之書類迄、鉄箱入ニ而可然、夫迄之処は、掛々にて分配御預いたし、朝夕に運搬いたし候方歟。
一岩田緑堂様御出立次第、御役所え御引移相成候儀ハ勿論ニ奉存候得共、其節御勘定頭様え猶伺之上取計可申と奉存候。
  但引移ニ相成候ハヽ、萩野様・黒柳様之内、不取敢御引移、御役所御仮住居被成下候様仕度、左候ハヽ諸事都合も宜と奉存候。
 拙者東京之御用向ハ、相分リ次第、彼地より可申越候間、夫迄之処ハ、緑堂引払済にても、掛附両人住居ハ見合候様可致候、自然無人不取締懸念ニ候ハヽ、手代ニ泊番為致候而も可宜事。
  緑堂引払は本月廿七日頃と決定之趣ニ候事。
一金壱万両、御会計所より御頼ニ而御為替御取組相成候処、内金三千両は受取相成候趣、跡金之儀は、定而不遠内代リ金御受取方ニ可相成候得共、為念伺置奉存候《(マヽ)》。
  拙者東京着之上、彼地之模様可申越間、右便宜次第、催促およひ請取可申事。
   但右之儀ハ、前書四郎・尚三も心得居候事。
一清水港御納屋御貯米は、元来古米之儀ニ付、時宜ニ寄新穀と御積替相成候方と奉存候。
  糴糶適宜ハ常平之綱目ニ付、無手抜取扱度、併見識宏遠に無之而
 - 第2巻 p.260 -ページ画像 
は、却而細民之耳目お驚愕《(マヽ)》する而已にて、事ニ益なきものニ付、尤可注目事。
   但来春之模様懸念ニ付、可成丈糶米無之様致度事。
一同湊御出張御彼所之儀は、御用達え委任ニ相成、一先黒柳様御引揚相成候而如何可在御座候哉、御納屋開閉其外共、御取締向は御仕法可有之奉存候、乍去明日は御用達御呼寄相成候儀ニ付、見込之趣御問尋之上、御治定被成度奉存候。
 至極尤之儀ハ候間《(マヽ)》、右之通取扱申度、尤同所御用有之候節ハ、掛附及肝煎壱人ツヽ出役いたし取計可申事。
   但右治定之儀は、出立前書状にて申達置候様可致事。
一御買貯物品御貸付金共、諸事是迄之通リ取扱方相心得候而宜敷儀と奉存候得共、為念伺上置候、尤其時々一統衆儀《(マヽ)》を尽し取計可申候。
  常平倉御仕法書之定則に随ひ取扱可申、尤成丈旧章遵守いたし度候得共、時勢と事機と弁別いたし度、変更得宜度事。
   但商人え之御貸付は、手数も省ケ、事も手広にて、益多キ様には候得共、夫のみニ泥み候ハヽ、大害お生じ《(マヽ)》可申間、何程慥成ものにても、引宛品見届方専一ニいたし度事。
一遠州肥シ物代金御貸付之儀、当年は木綿作違ニ付、返納方延年も可願出哉、兼而申越も有之候儀ニ付、同国御用達壱両人呼立、事情承届、当年御貸付金は、是非御取立之上、猶明年も引継御貸付相成候方可然と奉存候。
  駿遠ともニ同様心得度候、縦令何様延期申出候とも、取用無之様可致、是は苛刻之処置ニ無之候復言履行《(マヽ)》ニ無之而は、民風一洗いたし兼候間、唯々御貸附之利益ニ着目いたし候而取扱候様之俗見無之、金銀借貸之流幣洗除え《(マヽ)》注意いたし度事。
一御会計所より当御局へ、当座御操合金等御頼御座候節は、御用立候は勿論ニ候得共、御済方等は御厳密ニ被成下度奉存候、此段屹度御掛合被成置度奉存候。一藩之済利を主宰するハ会計所之御主任ニ付、決而偏頗之御処置、浮薄之御見識も有之間敷候得共、尚篤と拙者より御掛衆へも申立置候儀ニ有之候事。
  但其年之御収納を御見当ニ、一時之融通ハ御談有之事も可有之哉其節ハ屹度御約定相立取扱候筈ニ候事。
一天朝より御拝借之紙幣御返納方之儀、当御局御引受之高御取揃之上は御会計所より御引渡ニ相成候而宜敷義と奉存候。
  書面之通心得可被取扱候、尤本年之分ハ、大坂表之便宜次第、十分手宛も有之ニ付、余分之紙幣ハ、融通之口、又ハ商事ニ用候も可然候、尤明年之分も、六七月より心掛候様無之候而ハ、整頓六ツ間敷《(マヽ)》ものニ候間、蓄念有之度事。
一常平之御名義ニ被対候而も、肥シ物は専ら御買入ニ相成、郡中村々え御貸渡相成候方可然候奉存候《(マヽ)》。
  但代金ニ而御貸渡相成候方、御手数も無之哉と申説も有之候、如何可有之哉。
 遠州肥シ物御貸付云々之件は、弁白いたし置候。
  但手数相掛候とも、成丈品にて取扱候方、深切之筋と被存候、都
 - 第2巻 p.261 -ページ画像 
而恵民を主とし候ハヽ、利ハ其中ニ可生候、真益虚利、能御分別いたし度事。
一御役所え御引移ニ相成候ハヽ、早々目論見、御蔵造立仕度被存候、尤御注文書を以、諸向え入札為致候様可仕候。
  但今般増坪御願済被成候内、町並建家之場所、戸塚積斎拝借地ニ致居候趣も承り候間、是は其御筋より、積斎へ拝借戻し御申渡相成候様致し度、就而は右建家ハ同人持分ニ付、様子次第常平倉え買受申度、尤右買受候ハヽ、取崩御構内え何歟建物ニ可相成と被存候、
  可然候、拝借地之分ハ本年限にて御藩之制度既に御改革相成候趣ニ付、別而積斎え申談候半ても有之間敷、建家之儀ハ、談次第如何とも可相成候、尤五間間口ニ二軒之借家人、移居困却させ候様之取扱無之様いたし度候事。
   但建家之御崩等ハ、便利次第取計度事。
一御拝借之紙幣返納方之儀、前廉伺手続等は承知仕候へ共、右御引宛は、坂地小野屋仁右衛門え御預ケ相成候金札弐万両、并柏崎米御買入可相成約定ニ付六千両御渡方之分共、都合弐万六千両也、右御用は松本平八承り上坂致居候義付云々被仰置候義も有之、請取戻シはすらすら可参候得共、万々一異変も有之節は、如何之ものニ可有之哉詰り御受取戻しは、聊子細有之間敷候得共、御返納期限も有之候儀ニ付、取計方為念伺置度、尤平岡様・小栗様・御賢慮も可被為在候へ共、思召之処、全私共心得方迄ニ承知仕度被存候。
 緊要之当務ニ付、夫々配《(カ)》念も致置候儀ニ候得共、万一平八より延期等申来候ハヽ難相成段厳重可申遣、品に寄更ニ壱人出張為致、取纏可申、尤十一月中返納之筈ニ付、一時御有合正金を加へ、如高東京へ相廻し申度、変換ハ東京おいて取計可申事。
  但会計方矢村小四郎・平島直一郎・両人共前々より取扱来候儀、毎事心得も有之筈ニ付、拙者より右両人へも申談置候儀ニ有之候事。
一郡中村々御貸渡相成候種大豆は、御厠《(マヽ)》生産之品買入可然哉、尤相場之向ニも寄候義ニ付、糴糶方分別も可有之候得共、御見込も可被為在と被存伺置候。
  相場之模様も可有之儀ニ付、時宜次第取計度、尤糴糶申談、東京浦賀達引金、奥大豆之方御貸付相成候様いたし度事。
一干鰯・〆粕は、房州買入可申哉と被存候、是は幸御出京も被遊候義ニ付、夫々御引合之上御文通被下度奉願候。
  東京問屋規則も有之事ニ付、不差響様取計申度、自然東京滞在中手心も可有之事と被存候事。
一常平倉御構内え御納屋御取立之義、坪数造営向、御差図被置候様仕度奉存候。
  見込相立置と申儀も難出来候、坪数、地位と御貯品々積とニ応じ修理いたし度、造営向ハ御貯穀之ためニ付、痛米不出来候事衆儀之上可取扱事《(マヽ)》。
    御用向取扱振廉書
 - 第2巻 p.262 -ページ画像 
一元会所元金壱万六千六百両余、積金千四百両余、都合壱万八千両余之処、壱万六千両は先頃御家より常平倉差加金と相成、残弐千両余ハ、右元金之内仕上不相済廉有之ニ付、引分置、追而差加金と相成候積を以、渋沢篤太郎より御家令溝口八十郎《(マヽ)》外両人え証書相渡置候事。
  但右仕上ハ東京にて相訳次第可申越事。
一諸向差加金之内、元会所より引継、当九月迄利足相渡、有之分ハ、向後壱ケ年未満ニ而下戻し相願候者へハ、三ケ月之利足不相渡候様取扱可申事。
一会計所御繰替金差引は、此度金札七万千九百両余之手形え添、差引調書有之ニ付、入用之節ハ相改承知可致候事。
一年壱割五分、并三厘日歩ニ而、御用達及常平倉附其外市在諸商賈え御貸附之分ハ、限期早見帳を以取調、其時々催促およひ、万一不罷出向有之候ハヽ、常平倉より差紙を以呼出し、吟味之上、郡政掛刑法市政掛等え御達済にも相成居儀ニ付、手続取調、掛合書面を以引合可申事。
  但産物元入肥し物代御貸附も同断之事。
一東京おいて取扱有之候事務ハ、拙者滞在中相済候分ハ、夫々取纏可申、尤手続ハ時々従彼地可申越候事。
一坂府取扱之儀ハ、先日松本平八差遣し候節、廉書相渡有之ニ付、右ニ基き取計可申事。
一松本平八引請、坂地其外ニ而取扱候諸事仕上ハ、商法会所・常平倉・引継取調廉書之内ニ有之候間、夫々仕上為相立候様可致事。
   但右廉書之内ニ相洩候分も有之候ハヽ、同人坂地買入物仕上之内ニ而相改可申事。
一東京買入之大麦ハ、篠島屋忠三郎より買請書可差出、搗麦并小麦ハ、遠州屋清三郎より糴糶方買請書可差出候間、売揚帳え入帳可致事。
  油屋仲間え御払之水油三拾樽も同断之事。
  但売揚帳之分、是迄之精調無之ニ付、可相改、以後売買品とも明細ニ認入申度事。
一組合商法として、諸向出金之分ハ、其口々にて取調可申、調算当ハ組合人より為差出、尤元商法会所中之分ハ、益金之弐割積金之儀も、先規則に随ひ可申事。
  但常平倉と相改候以後ハ、組合之論無之ニ付、糴糶方引受切ニ而取計可申、右出納ハ、出入帳其外糴糶出入迄、取調帳様之帳面仕立、口々認入可申事。
  右之内、六月頃差引相済儀塩売買之内、益金之積立無之様相覚候ニ付、書類取調清算可致事。
一常平倉持廻船三艘之分ハ、元帳仕立置、壱上下毎ニ仕上清算為致、本御役所へ留置、取扱ハ清水附御用達ニ進退為致可申事。
  但是迄両三度往復いたし候得共、仕上清算無之ニ付、可相改事。
一遠州屋清三郎へ申付為取計候別口商法金千三百拾三両弐分之分ハ、早々仕上為相立可申事。
  但有品ハ其儘預備ニいたし置其余ハ正金を以上納之積取扱可申事
一東京買付鼻緒類ハ、相場見計売却可致事。
 - 第2巻 p.263 -ページ画像 
右は巳九月中、元商法会所より常平倉え引継取調廉書之内、諸務記憶之廉々認置候、尚相洩候分ハ、諸書類見合、入念取扱候様致度候事。
  巳十月廿五日             渋沢篤太郎


青淵先生伝初稿 第六章 第八五―八八頁〔大正八―一二年〕(DK020012k-0021)
第2巻 p.263 ページ画像

青淵先生伝初稿 第六章 第八五―八八頁〔大正八―一二年〕
○上略 此の如く先生は商法会所の設立より、引つゞきて常平倉の経営に力を注ぎ、常に其中心となりて鞅掌し、鋭意事に当り、成績見るべきもの多かりしが、今や政府の徴召に応じ租税正に任命せられて、中央政府の官吏となりたれば、遂に常平倉と手を別たざるを得ず、其当初は尚遥に東京より指導せしこともあれど、後遂に辞任せり。辞任の年月詳ならず先生が会所及び常平倉の事に任ぜしは、通じて一箇年に過ぎず、事業の見るべきは寧ろ将来にありしなり、然れども当時の日本が先生に期待する所は、区々一藩の事業にあらず、されば先生が静岡を去りて中央政府に仕へ、上游に拠りて大局を察し、其経綸を実地に施すを得たるは、国家の為に慶すべきことゝいはざるべからず。
抑我国が欧洲の制度に傚ひ、所謂合本組織の商事会社を組織せるは、慶応三年の末に勘定奉行小栗忠順の計画に基き、京阪地方の富豪を勧誘して設立せる「商社」俗に兵庫商社を最初とす、然れども此商社は完全に其組織を了せざる前に解散したれば、取り立てゝいふべきほどの事なし、維新の後に及び、政府は明治元年三井八郎右衛門等府下の富豪に内諭して貿易商社後に東京商社と改称すを、大阪の富豪三井権右衛門等を勧誘して摂津米油会社を起さしめ、二年また三井組、小野組、島田組を始め各地の富豪を慫慂して、三府、五港及び其他の商業地に通商会社初め開商会社といふと為替会社とを設立せしめ、或は貿易を行ひ商社貿易の如き米油の限月取引を許し、摂津米油会社の如き或は広く商業に従事し、通商会社の如き或は民間の金融機関となすなど、為替会社の如き商業の振興に力むる所あり。これらの事は後章に於て別に細叙せんとすこれらは孰れも商業会社の起原と見るべき者なれども、多くは五六の富豪の合資組織に止まり、比較的多数の出資者を集めたる為替会社とても、要は発起人の勧誘に応ぜし者のみに限られたり、先生によりて静岡藩に企てられたる商法会社が、藩内に布告して出資者を公募せるが如きを見ず。蓋し上述の諸商社は、今の合資会社の如く静岡の商法会所・常平倉は寧ろ今の株式会社と相似たり、等しくこれ合本組織なれども、先生の理想とする所夙に一頭地を抜き、広く一般民衆の資本を合本せんとせしことは特筆に値すべし。此辺の事は、なほ貿易商社乃至為替会社等につきて研究を重ねたる上にて更に訂正修補する積りなり。



〔参考〕竜門雑誌 第二四五号 第八二頁〔明治四一年一〇月〕 ◎平田、佐藤両翁偉績表彰講話会(DK020012k-0022)
第2巻 p.263-264 ページ画像

竜門雑誌 第二四五号・第八二頁〔明治四一年一〇月〕
  ◎平田、佐藤両翁偉績表彰講話会 秋田出身の改平田篤胤、佐藤信淵両翁偉績表彰講話会は九月二十日午後一時より帝国教育会に於て開かれ当日は山路弥吉・織田完之・一木喜徳郎 横井時敬 井上頼圀・新渡戸稲造諸氏の講演ありしが、我青淵先生も亦請に応じて一席の講話を試みられたり、其大意左の如し。
自分も元は百姓である、恰度廿二の歳迄は自ら犁鋤を執つて蚕を飼
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ふ、畑を耕す、藍を作る、さうして夜とか雨でも降るとかいふ時は多少の読書をした、佐藤信淵先生の著書も実は其頃少しく手に触れて見たので、閑雅にいへば、此頃の境遇は所謂晴耕雨読とかいふものであつたらう、其れから三十歳の時、今の大隈さんが大蔵卿をして居て私を大蔵省の租税頭にした、以前百姓をして居たから税を納める丈は知つて居たが、租税頭になつて俄に税を取立てる役になつた処でどうして取立てゝよいか判らない、之れには私も殆んど当惑した、今日なれば種々専門な学者も居て、税源も沢山あるけれど、其頃は単に百姓からばかり取立た、玆に於てか此取立方法を急に研究する必要から、佐藤信淵先生の農業本論を読んだ処、其等の事が非常によく知れたのみならず先生の卓見に大に敬服した事がある、


〔参考〕竜門雑誌 第五九七号・第二―一四頁 〔昭和一三年六月〕 租税正及改正掛長としての青淵先生の事業の概観(土屋喬雄)(DK020012k-0023)
第2巻 p.264-274 ページ画像

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