デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.82-87(DK030016k) ページ画像

明治四年辛未二月十七日(1871年)


 - 第3巻 p.83 -ページ画像 

大蔵省是日ヨリ数日ヲ期シ、横浜外四港ニ於テ外人所有ノ封緘ニ分金ヲ墨銀ニ交換セントス。栄一監督ノ為メ前日ヨリ横浜ニ出張ス。然レドモ交換ヲ乞フ者僅ニ一名ノミ。乃チ十八日帰京ス。


■資料

大蔵省出納寮之部 自元年至四年 貨幣第一類第二冊(DK030016k-0001)
第3巻 p.83 ページ画像

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大蔵省会計書類 第一〇冊(DK030016k-0002)
第3巻 p.83-84 ページ画像

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法規分類大全 第一編 政体門制度 雑款四 第四四四頁(DK030016k-0003)
第3巻 p.84 ページ画像

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大蔵省本省之部 自明治三年至四年六月七日 第二冊(DK030016k-0004)
第3巻 p.84-85 ページ画像

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青淵先生伝初稿 第七章二・第四三―四九頁 〔大正八―一二年〕(DK030016k-0005)
第3巻 p.85-86 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章二・第四三―四九頁 〔大正八―一二年〕
新貨幣の製造と共に政府が苦心せるは、旧貨幣の中、偽造又は粗悪の者ありて、諸外国との交渉を開くに至れることなり。旧幕府の時、財政の窮乏を補はんが為に、安政以来劣位二分金・一分金を鋳造せること多く、諸大藩亦私に貨幣を鋳る者あり、維新の初には、政府の力未だ諸藩の私鋳を禁止する能はざるのみならず、自らも亦幕府の政策を踏襲し、江戸・大阪の両金座に於て、盛に劣位二分金・一分金・一朱金を鋳造せり。かくて悪貨の流通漸く多く、内外人共に之に苦しみしが、就中外国商人は、外国の公使・領事に対して救弊を訴ふるもの引きもきらず、よりて公使等も捨て置き難く、明治二年正月以来屡々我が政府の反省を促したり。政府乃ち金座に於ける劣位貨幣の鋳造を停止し、又金銀貨鑿封所を東京に、貨幣改所を京都・大阪・横浜・兵庫・長崎に設け、貨幣偽造贋貨取引の禁令を布くと共に、弊害の最も大なりし二分金の処分につきては、特に外国公使と交渉を重ね、二年七月各開港場に於て、外人の所有せる二分金を撿査し、其真贋を分ちて各紙包となし、封印を施せしが、其贋貨は十月悉く真貨と交換せり。かくて封印せる二分金の真貨は外人の手に残りたるが、或は封印を偽造し、或は贋貨と入れ替へて利を貪るなどの事ありて、紛擾絶えざれば、政府は更に真贋の封金をも悉く洋銀と交換する策を定め、明治四年二月九日、外国公使との間に二分金貨交換方案を議定せり。かくて東京・横浜は同月十七日、神戸・大阪・長崎・新潟・箱館はやゝ後れて其取扱を開始したるが、二分金二百両につき墨銀百ドルラルの割合なりき。最初封包の際には先生未だ仕途に就かず、元より之に関係せざりしが、四年引換の時には大蔵少丞の職にありて、前後省議に参与
 - 第3巻 p.86 -ページ画像 
せしのみならず、同年二月十七日には検査官として横浜に出張し、引換の事務を総理せり。同日先生が井上等に寄せたる書翰に、「当港外国人所持の封印二分金引換方の義、今日夫々手筈相調へ、刻限通県庁にて相待候処、僅に壱人持出候而已にて 仏人ジブスケ商会百両也 相済申候、諺に云蛇も出べき景況にて、蚊も不出は抱腹の至、定て諸港とも同様の事と先安心仕候」といひ、又「封印二分金之義ハ、存外見込相違ひ、別紙申上候通に御座候、併是ハ強て引換いたし度義にも無之、先安心仕候、御降心奉祈候、就ては昨日申上候オリエンタルバンクより借入金にも及申間敷、是も明朝相断可申と存候」といへり、外人が引換を希望せざりし事由は詳ならざれども、当時の有様は此の如くなりしなり。元来此封印二分金は納税に使用するを許したるが、今回外国公使との間に調印せる約定によれば、「各港共に此交換順序に照らして交換を完了せる以後は、鑑封二分金貨を納税に充つるあるも、運上所決して之を領収せず、唯造幣寮のみ実価に準算して之を領収すべし」とあれば、引換未了の分は造幣寮に提出して新貨幣に改鋳せられしなるべし。



〔参考〕大蔵省出納寮之部 自元年至四年 貨幣第一類第二冊(DK030016k-0006)
第3巻 p.86 ページ画像

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〔参考〕別存監督庶務司之部 第二冊【大蔵省】(DK030016k-0007)
第3巻 p.86 ページ画像

別存監督庶務司之部 第二冊        (大蔵省旧蔵)
 辛未二月達方通商司へ相托し候事
 以書翰啓上いたし候、然者兼而拙者より御引合およひ置候通、今般我政府ニおひて外国人所持之封印弐分金引替方ニ付、入用洋銀又は手形請取之為、不日渋沢大蔵少丞其地へ出張いたし候ニ付、同人申出次第、右金高御渡有之候様いたし度存候、此段申人候 謹言
  辛未
   二月十四日
                    井上大蔵少輔
  千八百七十一年四月三日
  横浜ニ在ル
    オリヱンタルバンクコルホレーシヨンロツセルえ


〔参考〕渋沢栄一書翰 吉田清成宛(明治三年)七月二〇日(DK030016k-0008)
第3巻 p.86-87 ページ画像

渋沢栄一書翰 吉田清成宛(明治三年)七月二〇日
            (京都帝国大学 文学部国史研究室 所蔵)
 - 第3巻 p.87 -ページ画像 
  尚々本文之旨趣郷殿へも申上候処、兎も角も貴君早々御出省相成候様可申上候旨被申聞候
拝読昨日御相談御坐候弐分判受取方禁止之義ニ付、寺島君とも御協議之上、今日者外務省へ御越之趣御苦労奉存候然処、小生今日出省、大隈へ相伺候処にてハ丸テ禁止と申事を外国公使へ申遣候ハ不都合ニ可有之、矢張壱両と壱円と対等之論ニ押付候外致方ハ有之間敷との申聞ニ御坐候、御書中にては昨日之御見込御貫にも可相成之由ニ候得共、右大隈参議之論も有之候間、其御労し申上候次第に候、右御決定前早早御出省相成郷殿大隈参議へも御相談之上御決定相成候様仕度、此段御答申上候也
  七月廿日
  昨日ハ光臨之処失敬之至御海恕可被下候
   吉田盟台                 渋沢栄一
   ○本項ニ引用シタル大蔵省旧蔵文書ハ総テ故沢田章氏ガ原本ニツキ謄写シタルモノナリ。
   ○徳川時代末期幕府及ビ諸藩ガ劣位貨幣ヲ鋳造シテ財政ヲ補ヒシヨリソノ風明治ニ及ビ、新政府モ亦コレニ倣フニ至レリ。明治二年正月以後外国公使等政府ニ対シ反省ヲ促スコト数回、政府遂ニ意ヲ決シテ悪二分金ノ引換ニ着手シ、七月八月ニ亘リ各外国人ノ所有セルモノヲ検査シ、真贋ヲ分チテ紙包トナシ贋貨ハ十月ニ至リ真貨ト交換シタリ。然ルニ封緘二分金ハ各港ニヨリテ文字印記等ヲ異ニシ、或ハ内容ヲ贋貨ト交換シ、封緘ヲ偽造スル者等アリテ弊害絶エズ。ヨツテ政府ハ一旦封緘ヲ廃シ商社ヲシテ再ビ封緘セシメントシタルニ、外国公使ハ之ニ反対シ、封緘ノ儘新貨ト交換センコトヲ求メタリ。然ルニ政府ハコノ方法ヲ好マズ、一旦墨銀ト交換セントシテ外国公使ト交渉シ、明治四年二月九日鑑封ニ分金交換手続ヲ調印シタリ。ソノ要旨ハ交換スベキ二分金ハ政府ノ手ニテ封緘シタル真貨ニ限リ鋳造料百分ノ二ヲ引去リテ二分金二百個ヲ墨銀百弗ノ割合トシテ交換シ、西暦千八百七十一年七月二日以後ニ至レバ任意ニ鋳造料請取証書トソノ金高ニ相当スル墨銀トヲ差出サシメテ改メテ新貨ト交換スルニアリ。而シテ二分金ト墨銀トノ交換ハ東京横浜ニ於テハ同年二月十七日大阪長崎新潟箱館ニテハソノ数日後正銀又ハオリエンタルバンク手形ニ交換スルモノニシテ、東京横浜ヲ除ク各港ニ於テハ或ハ領証ヲ交附シ、後ニ利子ヲ附シテ支払フヲ得ルモノナリ。政府ハ大蔵省官吏ヲ各地ニ派遣シテ交換ヲ開始シタルニ東京箱館ニテハ交換ヲ申出ヅル者ナク、横浜大阪ハ各一人ニ過ギズ。神戸ハ二人アリシモ共ニ贋貨ナルヲ以テ交換ニ応ゼズ。長崎ニテハ予メ二人ノ申込アリシモ当日交換ニ来ラズ、新潟ニテモ二人アリシモ共ニ商社包ナルヲ以テ交換ヲ拒絶シタリ。
    外人ノ交換ヲ希望セザル理由ヲ按ズルニ、封緘二分金ハ真貨ナレバ内地人トノ商取引ニモ使用セラレシナルベク、当時ノ金銀比価ヲ見ルニ金一ニ対シ倫敦ニテハ銀一五・五七ニシテ我国ニテハ一五・一〇ナリ。ヨツテ国外ニ流出シタル額モ多カルベク、仮ニ外人ノ手ニアルモ必ズシモ二分ノ鋳造料ヲ支払ヒテ一旦墨銀トナシ更ニ新貨ニ交換スル必要ハ感ゼザリシナルベシ。(以上沢田章著「明治財政ノ基礎的研究」ニヨル)
    ○「貨政考要」上編 第四章及ビ「世外侯事歴 維新財政談」上《六 贋貨二分金の処分》ヲモ参照スベシ。