デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.90-95(DK030021k) ページ画像

明治四年辛未二月三十日(1871年)

是ヨリ先大蔵少輔伊藤博文財政講究ノ命ヲ奉ジテ米国ニ在リ、三年十二月二十九日附ヲ以テ欧米ノ実況ニ鑑ミ書ヲ大蔵卿伊達宗城ニ上リ我ガ国貨幣本位ヲ銀ヨリ金ニ更革セザル可ラザル旨ヲ建議ス。是日大蔵卿・参議大隈重信・大蔵少輔井上馨及ビ栄一等連名ニテ、当分金銀両本位ニ定ムル旨ヲ返書ス。


■資料

明治貨政考要 上編・第五八―六四頁(明治前期 財政経済史料集成 第一三巻・第六一―六四頁〔昭和九年七月〕)(DK030021k-0001)
第3巻 p.90-92 ページ画像

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世外井上公伝 第二巻・第三三五―三四四頁 〔昭和八年一二月〕(DK030021k-0002)
第3巻 p.92-95 ページ画像

世外井上公伝 第二巻・第三三五―三四四頁 〔昭和八年一二月〕
  第三節 新貨条例の制定
 造幣寮が既に竣成し、本式に新貨の鋳造を開始したのは、三年十一月下旬のことであつたが、新貨幣の形状・品目及び種類は如何に定められたか、その決定は実に当事者の尤も苦心を要した問題であつた。何故となれば、この制定は造幣上最も枢要にして、幣制の興廃は一にこの当否如何に係るものであるからである。初め二年二月に政府が造幣局を設け、新貨鋳造の実施を試みることに決定した時、その目的は唯貨幣の品質改良といふ点に在つた。而して貨幣の形状及び価名の如きは、旧に依つてその形は方を主とし、価名も朱・分・両を用ひる方針であつた。然るに当時参与大隈八太郎及び造幣判事久世治作喜弘は、実際の利用上から見て貨幣の形を円形とし、価名は十進一位を採用すべきであると論じ、三月四日に新貨の形状・価名改正の意見を建議した。廟議は新貨を円形にすることには別に異議なく可決したけれども価名の改正に対しては、習慣久しきに亘つてゐるものを遽かに変更しては、必ず民心の疑惑紛擾を免れ難いから、姑く旧制に従ふに如かぬと頗る反対があつた。併し大隈等の弁明主張により、遂に廟議は新貨の価名を十進一位にすることに決定した。
 これに次いで重要な問題は品位・量目の決定であるが、『皇国造幣寮濫觴之記』に拠れば、六月十五日に公は大隈・伊藤及び久世判事等と共に、横浜運上所に於て東洋銀行代理ロバートソンと会見し、造幣の事を謀り、新貨の品位量目に関して審議したとある。併し今その協議の詳細を明かにすることは出来ぬが、要するに公が東京から大阪へ赴任する前には、既に新貨の品位量目に就いて研究し、大略方針が内決してゐたことは明かである。この事は公が七月七日に大阪から大隈・伊藤両名に宛てた書中に「一、銀銭之目方並銅銭等ロブスン考へと書
 - 第3巻 p.93 -ページ画像 
物御渡シ之分相違候故、新ニロブスン・ウヲートル抔相談之上、別帋之目分、且減ジ方ト相成申候。ケ様ニ不相成候而ハ我政府の損失多ク、且我銀銅銭共外出可仕候故、定て早速ロブスンヨリ先生方え申上候様申事ニ候間、御聞取可被下候。一、金銀銭之形ハ英国え御注文之方可然との事ニ候。銅銭之分ヲートルス受合候都合ニ相成申候、一、銅銭目方並減方等御違存有之候ハバ早々御申越シ可被下候。」大隈侯爵家文書とあるによつても、察するに難くない。而して又、「一、模様ハ随分大ク御書せ被成候てよろしく由《(マヽ)》。弟相考へ候ニ御地之画工当地より工ミに可有之と奉存候。爰元も京都を置書《(マヽ)》せ可申候。御地にても御書せ可被下候。爰元之分ハ出来次第差出可申候。」同上 とあつて、貨幣の鋳紋に就いても公等の手により著々研究が進められつゝあつたことが知られる。
 爾来公等は百方意を用ひ、反覆考究を重ねた結累、漸く十一月に及んで新貨幣の品位・量目並びに種類の大要決定を見たので、その要款を奉げて我が締盟各国公使並びに領事に通告した。その通告書の概要を摘記すれば
(一)新規発行の貨幣の本位とすべきものは、品位純銀十分の九にして、量目四百十六グレイン、トロイより減ずることなき銀貨。即ち墨西哥ドルと同品位のもの。
(二)この本位銀貨の外に、五十セント貨二百八グレイン、トロイより減じない二十五セント貨百グレイン、トロイより減じない十セント貨四十一グレイン、トロイより減じない五セント貨二十グレイン八より減じないの品位各々十分の八たる四種の小銀貨と、本位銀貨の十箇・五箇・二箇半に相当する三種の金貨幣、及び本位銀貨の百分の一並びに千分の一に当る二種の銅貨を鋳造する。
(三)以上の新貨幣鋳造は、我が政府に於て雇傭する欧洲造幣技師の来著を俟つて、更にその方法順序を詳細に定め、造幣寮開業前に之を布告する。
(四)西暦一八六六年六月の条約に随ひ、我が政府に於て新貨鋳造の費用として受取るべきものは他日商議の上通知し、貨幣は地金を請取りたる後三十日を遅延せざるやう造弊寮より之を渡す。
(五)又何人と雖も現時通用の日本貨幣及び外国貨弊並びに地金を持参して新貨に交換しようとするものは、鋳造費用を控除した上、その残額に相当する新貨幣を受取ることを得。
(六)我が政府は漸次新貨幣流通の途を講じ、旧貨幣を排除することを希望するが、併し旧貨幣に対し急激な処置を施さぬ、といふのである。
 右の通告に対して、英・仏・独・米四箇国公使は大体に於て異議はなかつたけれども、二三の事項に関して異見があり、翌三年三月に夫夫その意見を具して、我が政府に照会した。その大要は
 第一、新規発行する銀貨の通用には、欧洲通行慣例の如くその制限を設くべき事。
 第二、旧貨幣一分銀は一八六六年六月二十五日慶応二年五月十三日の条約に拠り、之を新貨に交換せらるべき事。
 第三、劣位二分判の内外国人より政府に収納したるものは再び之を
 - 第3巻 p.94 -ページ画像 
使用する事なくして、必ず之を新貨に改鋳すべき事等であつた。
 而してこの時会々香港から赴任して来た造幣首長キンダーにも亦我が新貨の品位量目に就いて意見があり、一篇の意見書を東洋銀行に寄せてこれを論じた。同行支配人ロバートソンは、キンダーの意見に賛同し、四月四日に我が伊達大蔵卿にキンダーの意見を添へて一書を提出し、「日本政府は宜しく一ドルラル銀貨を以てその本位貨幣と為すべきが故に、金貨に於ては本位を設くる勿れ。何となれば金銀複本位の制は、従来欧洲各国積年の経験上に於て実際その非を認めたり。然れば日本若し誤りて、複本位の制を用ふる時は、為にその造幣上の利益を減じ、公益を損害するに至らん事必せり。」法規分類大全と勧告した。政府はキンダーの意見書を審査して、之を採用することとなり、更に新貨幣補助銀貨の第二種二十五銭を停め、二十銭を鋳造することに決定した。
 然るに公は大阪に於てキンダーの意見に従ひ、試験的に地金を作製せしめたところ、その成績は決して思はしいものではなかつた。公は六月十一日に大隈・伊藤宛に書翰を送り、右に就いて意見を述べる所があつたが、その書中に
   過日弟持下リ候キンドルス気附書之内、金銭ハ一部ノ利益ヲ政府え受候様有之度、附而は金九銅一之標差出候分ヲ以算勘仕り申候時は、勿論スタントアールトハ一円銀に候得共、割合ノ位別紙之通りに相成申候。左スレバ外国より金銭ノ真金ヲ以形斗偽物ヲ作り持来り、日本銀銭ヲ買時、英ノポンドステルリングニテも別紙之通りニ相成候為、金ヲ不滅元之通目方《(マヽ)》にて滅じ《(マヽ)》候方可然哉と奉愚考候。又金九銅一之地金ヲ合セ、金見改之人抔に見セ候処中々以不同意、銅中え金少々入候物歟杯と申居候。人民此金銭ヲ不好時は実ニ当時弐分金之如シ。仮令性合ハ宜敷共、上向見苦敷時ハ、又政府より偽金作り出セしと人々嘵《(マヽ)》ニ必然ノコトナラン。終ニは銀銭迄も不評ヲ受候ては込り申候。就而ハ在来之通少々銀ヲ取交、割合ヲ以地金入尊覧入申候《(マヽ)》。金十二ノ一ヨリ金九銅五銀五ノ方正しき物と見改人ハ申立居候。伊藤公爵家文書
と試験の結果を報告し、性合の重大なるを憂慮して、大隈の下阪を促したのである。而して又一方新貨の図様についてキンダーに意見があり。公も之に賛成してその改正を申込み、「造幣一条ニ付而は、キンドルス種々気付筋有之、一々密ニして、尤と奉存候。新金裏大陽之工合甚以よろしからず、且菊と桐多ク、何ノ主意たる哉不相分由。彼云、此新金人気キレイナ金ト心ニ思ふ時ハ、人心一般好と云処ニ立至りて流通克ク相成、人気キタナイ金ト思フ時、自ラ広ク不流通之基ニ候との事。随て極印師当時何の所業も無之候事故、為試新ニ彫刻ニ懸らセ申シ、又外ニ新十円金・半円銀同形故、若し上海辺にても右半円銀之表半の字ヲ十ノ字ニ作り替エ流金スル時ハ、必十円金之内ヱ紛込候必然故、是非裏之模様ヲ替ザルコト不能由。是も為試当節彫刻為仕候。出来次第一ツ銀貨幣作り入尊覧可申候。画ニて能ク分り兼申候。」と鋳紋上の欠点を指摘して注意する所があつた。
 爾後再三公は上京して新貨の鋳紋・品位・量目に就き協議したので
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あるが、八月には公等の意見の如く鋳紋も決定し、半円を五十銭と改字し、又品位・量目とも一先づ確定を見た。こゝに於て十月二十九日に外務省より各国公使に公文を送り、過る三月彼等から我が新貨鋳造に対して寄せた質疑に答へると共に、右確定した新貨幣の品位・量目等を通告した。
 この時既に造幣寮の造営完成し、四年正月に開寮の期日が発表されるに至つた。政府はこの発表と共に、一般国民に対して造幣寮の設置及び貨幣改正新鋳の趣旨を徹底せしめ、且つ嚮に決定した新貨幣の品位・量目、その他通用制限及び造幣規則等を公布する予定であつた。然るにこゝに端なくも一問題が起り、その発表を開寮後に延期せねばならなくなつた。それは曩に米国出張中の伊藤大蔵少輔から、本位更革の意見が伊連大蔵卿に寄せられた為である。即ちその意見書中に、「抑貨幣ヲ鋳造スルニ当リ、其原位ヲ定ムル、金銀何レカ基礎トナルベキ当否ハ、既ニ方今文明欧洲諸国ノ碩学多年ノ経歴ヲ以テ、金貨ヲ原位ト定ムルノ議略一轍ニ帰ス。然レドモ墺地利・和蘭等ノ諸国ニ於テ銀貨ヲ以テ原位ニ用フルハ、従来ノ法ヲ変革スルニ多少ノ妨碍ナキ能ハザルヲ以テナルベシ。今若シ新ニ貨幣ヲ鋳造スルノ法ヲ創立スル国アレバ、必ズ金貨ヲ原位ト為ス疑ナカルベシ。是以見レバ、我国今日新ニ貨幣ヲ鋳造スル、宜シク他邦従来ノ経歴ニ基キ、或ハ学者ノ議論ヲモ折衷シテ、至当ノ正理ニ法ルベシ。然レドモ銀貨ヲ原位トセザレバ、現今全国ノ損害トナルベキ実験アル時ハ止ヲ得ザルベシ。然ザレバ金貨ヲ原位ト定ムルニ如クナシ、金ヲ原位ト定ムレバ銀ヲ助金ト為シ、通用払高ノ定限ヲ定ムベシ。尤已ニ銀貨ヲ以テ原位トスルノ議決定セシヲ以テ、今遽ニ変ズルコト難ケレバ、別紙ノ表ニ掲示シタル通リ、金ヲ助金トシテ通用セシメ、漸々金貨ヲ原位ニ至ラシムルト雖モ、別ニ憂ヲ生ズルコトナカルベル。」別紙略す とあつて、伊藤は金本位制を採用すべきことを進言したのである。
 政府はこの伊藤の意見に接し、一先づ新貨幣に関する諸規則の発表を見合はせ、直ちに慎重協議を行つた。尋で造幣寮開業式に列席した大隈等は、式後尚数日大阪に於て東洋銀行支配人カーゲルを加へ、この問題に就いて審議を重ねた。而して衆議は伊藤の意見を参酌折衷し、当分金銀両本位を採用することに略々決したので、二月三十日附を以て、大隈参議・伊達大蔵卿及び同少輔たる公・渋沢少丞等の連名を以て、右決定の趣を在米の伊藤へ通報した。○下略