公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第3巻 p.158-159(DK030046k) ページ画像
明治四年辛未五月十一日(1871年)
第三女伊登子生ル。夭ス。
出産届(DK030046k-0001)
第3巻 p.158-159 ページ画像
出産届 (渋沢子爵家所蔵)
○
(附箋)
出産御届 渋沢篤太郎
私妻今十一日第十時分娩 子出生母子無恙罷在候此段御届申上候 以上
辛未五月 渋沢篤太郎
- 第3巻 p.159 -ページ画像
(附箋) 三女糸子出生 五年六月十日歿
○
恒例
産穢 七日 五月十一日ヨリ十七日マデ
右之通出仕差扣候様可仕哉此段奉伺候也
辛未五月十一日 大蔵権大丞渋沢栄一
○
写
別紙渋沢権大丞産穢御届書御廻シ申進候然ル処同人取扱御用ニ付来ル十四日頃ヨリ坂地出張不申達候而者差閊候儀有之候間右等御差含之上宜敷御取計有之度此段申進候也
辛未五月十一日 大蔵省
弁官宛
青淵先生子孫一覧(DK030046k-0002)
第3巻 p.159 ページ画像
青淵先生子孫一覧
渋沢栄一――伊登《(三女)》
母ハ同上(前配尾高氏、明治四年五月 日生、同五年六月十日逝、三女ナリ、
ははその落葉 (穂積歌子著) 巻の一・第十七丁〔明治三三年〕(DK030046k-0003)
第3巻 p.159 ページ画像
ははその落葉 (穂積歌子著)巻の一・第十七丁〔明治三三年〕
あくる明治四年五月母君にハ又女の子をうませられ。糸子と名づけ給ひけり。かへらぬくり言ハ人の云ふだに常にいたう嫌はせ給ひて。いさめとどめ給ふ祖父君もこたびハ市太郎がかはりをとこそ思ひつれ。とぞ仰せられしとかや。
○巻の一・第十九丁
ことし夏の頃。常ハいとすくよかにて日に月に愛らしうなり増りける糸子ハ。脳膜炎といふ病にかゝりて。俄にいたくわづらひけり。兄君失せましける頃とハかはり。世に名ある医師の人々をもむかへ。未だ其頃ハめづらかなりける函館の氷もて頭を冷しなど。さまざま医療に力を尽しけれど。つゆも其しるしなく。終に六月十日。まだ莟なる撫子は。夏野の露と消えはてぬ。あはれたらちねの君たちハ。生さき長くうちはへてめでたきさちをも結べかしとて。糸てふ名をバおハせ給ひけんを。みじかゝりける玉のをハ。はかなく絶えてなかなかに。ながきなげきを残しけるこそ悲しけれ。