デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.263-264(DK030084k) ページ画像

明治四年辛未十月二日(1871年)

大坂ヨリ井上大蔵大輔ニ書状ヲ贈リ、東京横浜為替会社金券増発ノ件等ニ関シ意見ヲ具申ス。


■資料

渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治四年)一〇月二日(DK030084k-0001)
第3巻 p.263-264 ページ画像

渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治四年)一〇月二日(井上侯爵家所蔵)
火輪車疾如矢無御滞御帰京奉賀候、昨夕申上置候東京横浜為替会社金券増発行之義頻ニ懇請有之、且現今之手続にては別に懸念之事も有之間敷筈にハ候得共、既に彼三井へ為取扱候証券も十五日を限り発行可相成、旁先御差許無之方可然奉愚考候、若不得已御差許ニ相成候とも決而両所にて二十万位よりハ相登らさる様有之度、殊ニ会社之金券ハ聊景気相替り候得は、俄然正金は払地可申、既に去臘之経験も有之候之に反して此度三井組に申付分ハ、詰り官にて担保する証券に有之、其上公の上納をも為致候上ハ、無論流通無疑、新旧之貨幣交換之際に相用ゆる無上之策と奉存候、其辺ハ飽迄御了承被為在候義にて婆心を労し候迄にも無之候へとも、為念申上置候、尚一事奉煩高意候義は、仏人カズフーブと申者、亜剌比亜馬牧畜法之義ニ付建白有之候ニ付、大隈より申聞有之、右書類ハ福原へ相廻し委曲之手続ハ由良心得居申候福原之考案ハ先差止メ候方可然との事ニ候へとも、右は旧幕府より色色世話いたし来決而無用不急之事と申にハ無之、随分一種之経済方と被存候、且費用とても殊ニ聊之義と被存候間、品ニ寄御許可相成候而も可然哉、いつれ由良より委細可申上候間、篤と御聴取之程奉祈候、右横浜にて申上候心得之処失念仕候ニ付書中奉申上候
何れ不日帰京拝謁之上坂地之事共可申上と相楽居候、時令折角御厭被
 - 第3巻 p.264 -ページ画像 
為遊、御自愛之程為邦家奉懇祈候、定而毎事蝟集実に御多事之義と奉想像候、幸に殊典之御憐恕を蒙り、生之此行聊寸間を可得申歟、併造幣寮之事務ハ御承知も被為在候通不案内旁亦一の懸念関心を相増し候郵船開帆之期既迫矣匆々之執筆御判覧伏而奉希候 頓首
   十月二日               渋沢栄一
     井上閣下