デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.291(DK030094k) ページ画像

明治四年辛未十二月二十四日(1871年)

是ヨリ先、明治四年十二月十八日肥前伊万里県ノ藩士等暴動ス。時ニ県令欠員タリシヲ以テ、栄一山岡鉄太郎ヲ推挙セシガ、是日山岡ハ同県権令ヲ命ゼラレ、五年正月赴任ス。


■資料

青淵先生伝初稿 第七章六・第一七―一八頁〔大正八―一二年〕(DK030094k-0001)
第3巻 p.291 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章六・第一七―一八頁〔大正八―一二年〕
明治四年十二月十八日、肥前伊万里県の藩士等、新政を喜ばずして暴動を起すや、大蔵少丞林友幸命を奉じて急行し、之を鎮撫せんとす。
時に県令闕員なりければ、先生時に大丞乃ち旧知山岡鉄太郎を推挙せるに政府之を納れ、同月二十四日山岡は伊万里県権令を命ぜられ、翌五年正月赴任せり。任に蒞めば騒擾既に鎮撫せる後なりしかば、其利器は盤根錯節に試みる機会を得ず、幾もなく職を辞して東京に帰れり。
蓋し山岡は騒擾の鎮撫を条件として就任せしなるべし。