デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.293-295(DK030096k) ページ画像

明治四年辛未十二月二十七日(1871年)

是ヨリ先、明治三年六月大蔵省ハ紙幣改正ノ事ヲ建議シ、太政官之ヲ容レテ同年十月五千万円ノ紙幣製造ヲ独逸ニ注文シ、尋イデ四年七月廃藩置県ニ際シ旧藩札整理ノタメニ更ニ五千万円ノ増注文ヲ発シタリ。是日、新紙幣ヲ五年二月十五日ヨリ発行ス可キコトヲ布告ス。栄一此議ニ与ル。


■資料

青淵先生伝初稿 第七章二・第五四―五七頁〔大正八―一二年〕(DK030096k-0001)
第3巻 p.293-294 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章二・第五四―五七頁〔大正八―一二年〕
先生が政府に出仕せる際は、太政官札・民部省札の両紙幣世上に行はれて、共に兌換券の性質を帯びたりしが、之を正貨と引換へんことは容易の業にあらず、且つ官省札の贋造亦漸く盛なれば、政府は之に対して何等かの処分を講ずるの必要に迫れり。太政官札発行の初は天下之を喜ばず、流通渋滞したれども其後政府が発行制限額を定め、且つ正貨と兌換することを布告せる際は、恰も二分判金の信用地に墜ちて世人皆之に苦める時なりしかば、今や却て官省札を歓迎するに至り、其価格俄に回復して殆ど正貨に伯仲せり。官省札の声価揚るに及びては贋造を謀るもの次第に多く弊害百出せり。政府は屡々禁令を布きたれども畢竟官省札の製造粗悪なるに基因せるものなれば、其改造を遂げざる限り寸効なかるべしとて、明治三年六月大蔵省は紙幣改正の議
 - 第3巻 p.294 -ページ画像 
を太政官に建議せり。先生此時租税正として兼ねて改正掛の事務を総理せしかば、亦其議に参与せるものなるべし、政府は此議を納れ、同年十月五十万円の紙幣製造を独逸に注文せり。然るに明治四年廃藩置県の挙ありて、旧藩札をも交換すべきことゝなりたれば、官省札交換の為に注文せる五千万円の外、更に五千万円の増注文を発せり。此紙幣は官省札贋造の弊を匡正し、旧藩札紛雑の害を除去する二つの目的の為に製造発行するものにて、種類は百円・五十円・二十円・十円・五円・二円・一円・五十銭・二十銭・十銭・五銭の十一種あり、五年二月十五日より先づ一円・五十銭・二十銭・十銭の四種を発行すべき予定なりき、之を新紙幣といふ。然るに幾もなく大蔵省兌換証券・開拓使兌換証券をも新紙幣と交換することゝなりて、次第に発行額を増加するに至れり。
   ○新紙幣ノ詳細ニ付イテハ「明治貨政考要」中編第六章ヲ参照スベシ。


渋沢栄一等連署 書翰 上野景範宛(明治五年四月)(DK030096k-0002)
第3巻 p.294-295 ページ画像

渋沢栄一等連署 書翰 上野景範宛(明治五年四月) (上野景福氏所蔵)
(別筆)
以書翰致啓上候其後は打絶御書状も御差越無之、其地之景況更ニ相通し不申候、先便米国廻を以一書差進置爾来之模様逐次申進置候得共、如何御落手相成候哉、尤近頃打絶御書状も無之儀は最早其地之事務整頓いたし御帰朝之手筈ニも相成候哉と想像いたし候
御滞留中御取扱可相成事務ニ付而は、毎々委詳申進置、都而他日之弊害無之様御処分有之度、且諸勘定向等は明瞭ニ御取調被成候様いたし度と再三申進置候儀ニ付、其辺ハ御手抜も無之儀と存候
紙幣之儀未タ到着無之候、如何いたし候哉、懸念之至ニ候、其外小印紙、又は紙漉器械抔御申越も有之候処、其後之様子は不相分候、且紙幣見本之儀は、最早疾ニ御差立相成候筈と存候得共、是又到着不致候去臘並当春来之出状ニ貴兄其地之事務一切整理候までハ先御滞在有之度、尤右辺聊懸念も無之様落着いたし、諸事行届候上は御引払相成候様いたし度と申進置候儀ニ付、定而其御心得ニ而御処置可被成、就而は最早夫是整頓ニ帰し候次第ニも可有之ニ付、御都合ニ随ひ御帰国相成候様いたし度候
シーボルトは如何いたし候哉、其後何たる御答茂無之不都合之事ニ候、前島は都合に寄米国伊藤方江可差遣旨先便御通達いたし置候、是又如何御取計相成候哉承知いたし度候
貴兄弥其地御引払相成候節は、フランクポルトへ注文之紙幣製作改方受取方並当地江差送方は如何にも綿密ニ御取計被成候様有之度、尤製造改方は東洋銀行に任セ切いたし候而も取締向如何可有之哉、品ニ寄留学生徒之内ニ而相当之者御撰被成、右見届方為致候様御取計有之度荷造運送方等は素より銀行江托し為取計可然事と存候
レー約定書破却之分、並銀行勘定書之儀ハ明瞭ニ御調訳相成御持帰相成候様いたし度候
鉄道公債利足之儀、当西暦八月迄全一年分は去冬並当四月両度ニ出店之銀行江相渡し申候、尤明細之勘定は本店へ相運ひ候上ニ而仕分ケ可致との事ニ候、然ル処右利之足儀レーと之約定相廃し候上は、九分之割合と相成、且先頃証書買戻し候儀も有之、夫々相減可申ニ付、其辺
 - 第3巻 p.295 -ページ画像 
も篤と御取調有之度候
利足渡済利札クーポンハ都而当地江取寄候積ニ候間、其段御承知有之度、尤出店之銀行へ書翰を以申遣候儀ニ有之候
丁銅棹銅試之為メ其地ニおゐて買却可致ニ付、凡二万斤計次便ニ差立候積ニ候、其地直段之様子柄御序御探索有之度候
右は最早御帰国之際にも可有之哉とは存候得共、為念数件可得御意如此ニ御座候 謹言
  明治四年辛未五月 日      吉田太郎
                  渋沢少丞《(朱印)》
                  井上少輔
                  大隈参議(印)《(朱印)》
                  伊達卿(印)《(朱印・宗城)》
        上野大丞殿
上野大蔵大丞殿 大隈参議 渋沢大蔵少丞
○ (封蝋) (・七三×・三二)
   ○「大隈侯八十五年史」第一巻・第三四七頁ニ『君は上野弁務使渡英の時、イギリスの工場に新紙幣の製造を委托させようとしたが、上野渡英後、寧ろ大陸のプロシヤ国フランクフルト市、ビドンドルフ工場に製造を托する方がよいと知つてそれに決した』トアルハ、此書翰ノ意味ヲ明カニスルニ資スルモノナリ。
   ○「百官履歴」上巻・第四四五―四四六頁ニヨレバ上野景範ハ、明治三年六月十七日大蔵大丞ニ任ゼラレ、同日特例弁務使トシテ英国ヘ派遣スルノ辞令ヲ受ケ、同月十八日『今般英国ニ於テ新紙幣製造監督被仰付候ニ付テハ名工相撰ヒ精良緻密贋模ノ患不生様方法便宜処置御委任候事』ト命ゼラレタリ。上野ノ帰朝セルハ明治四年八月十二日ナリ。