デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.321-323(DK030104k) ページ画像

明治五年壬申二月(1872年)

是ヨリ先、造幣寮ニ輸送セラルヽ地金銀欠乏ス。仍テ当局者ハ一時権宜ノ方法トシテ、是月三井組・為替会社及ビ東洋銀行等ノ外国銀行ニ命ジ、旧金銀貨ヲ買収セシメ、以テ鋳造ノ材料ニ供ス。是レ栄一ガ参議大隈重信・大蔵大輔井上馨等ヲ助ケテ施設スル所ナリ。


■資料

青淵先生伝初稿 第七章二・第三三―三五頁 〔大正八―一二年〕(DK030104k-0001)
第3巻 p.321-322 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章二・第三三―三五頁 〔大正八―一二年〕
さても造幣事業は、最初当局者の予想する所によれば、造幣寮の開業せる明治四年二月十五日以来、向ふ十箇年間に新金銀及び銅貨約二億五千万円を鋳造する筈なりしが、種々の事情ありて意の如くなる能はざりき。蓋し、我国は金銀鉱山に乏しき上に、採掘の技術未だ発達せず、且つ其資本にも乏しく、又金銀貨及び地金銀が多く海外に流出する等の為に、造幣寮に輸送せらるゝ造幣地金銀の著しく減退せるにより、古金銀預り証券の如きも、遂に明治六年五月二十八日限り廃止せらる、これ新貨発行の初めに当り、三府並に開港場を除くの外は、概ね貨幣改正の真旨を了解するもの少く、国民一般其所有に係る旧金銀貨
 - 第3巻 p.322 -ページ画像 
等の改鋳を希望せず、新貨によりも寧ろ金札を喜ぶの奇観を呈したるによれり。此等の事情は詳しく下文にいふべしかくて造幣地金銀の欠乏により、当局者は一時権宜の方法として、三井組為替会社及び東洋銀行・上海香港銀行等の外国銀行に命じ、旧金銀貨を買収せしめ、以て鋳造の材料に供したるが、是等の事は皆先生が大隈・井上等を助けて施設せる所なりき。


明治貨政考要 上編・第一一九―一二三頁(明治前期 財政経済史料集成 第一三巻・第一〇二―一〇五頁 〔昭和九年七月〕)(DK030104k-0002)
第3巻 p.322-323 ページ画像

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