デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.366-369(DK030111k) ページ画像

明治五年壬申五月三日(1872年)

是ヨリ先、在横浜 Walsh Hall & Co. ヨリ日本蚕糸業ニ関シ建議書ヲ提出ス。栄一之ヲ翻訳セシメテ訂正ヲ加ヘ「蚕紙生糸ノ説」ト題シ、是日之ヲ大蔵省ヨリ刊行ス。


■資料

法令全書 明治五年・第五七六―五八二頁 大蔵省 第六十二号 五月三日(DK030111k-0001)
第3巻 p.366-369 ページ画像

法令全書 明治五年・第五七六―五八二頁
大蔵省 第六十二号 五月三日
蚕紙生糸ノ説此度当省於テ上梓致シ候間五冊ツヽ相渡候条、各管内養蚕製糸場ヘ相達シ、一般営業ノ心得方トモ相成候様、精々世話可致事
 (別冊)
  蚕紙生糸ノ説
本邦生糸ノ品種宇内各国ニ超越スル更ニ喋々ノ弁ヲ俟タス、然レ共頻年蚕卵紙ノ濫出スルヨリ大ニ其製作ヲ減シ、品位次第ニ下劣ニシテ竟ニ名品ノ声価ヲ失ヒ、貿易ノ利、将ニ絶ントス、豈浩歎ニ堪ユヘケンヤ、抑国ニ名産アル人民資テ以テ各自ノ利益ヲ増シ、其国ノ昌盛ヲ賛クルハ古今内外ノ同シキ所ニシテ、而シテ今我邦ニ於テハ却テ国家ノ公利ヲ減損シテ商賈或ハ破産ニ及フモノアルニ至ル、苟モ之レヲ憂フルモノ徒ニ袖手傍観スルニ忍ヒンヤ、頃日偶一外商ノ説ヲ得テ之ヲ閲スルニ、開市以来蚕卵紙輸出ノ次第ト生糸貿易ノ景状ヲ詳悉シ、能ク事体ヲ審ニシテ以テ其真理ヲ証シ、実歴ニ就テ而シテ其弊害ヲ明カニス、剴切適実痛ク時弊ノ縁由ヲ弁析ス、人ヲシテ其拯救ノ術アルコトヲ了解セシメントス、謂ツヘシ、稀有ノ好書ニシテ養蚕場ノ珍宝ナリト、故ニ今之ヲ世上ニ公ニシテ以テ其業ニ服スル者ヲシテ大ニ反求スルコトアラシメントス、夫レ一郷一村ノ中トイヘ共、事ノ衆ニ損害アル者ハ必ス之レヲ患テ、各其私ヲ去テ共ニ拯救ノ術ヲ覓ム、是レ世間ノ常情ニシテ然モ吾人ノ同フスル所ナリ、況ヤ今外人尚其弊害ヲ洞知シテ之ヲ忠告スルコト如斯、苟モ此慨歎ヲ同スルモノ切ニ玆ニ注意シテ回護ノ方策ヲ尽サスシテ可ナランヤ

近年日本蚕卵紙ノ輸出夥多ナルヨリ大ニ生糸ノ製作ヲ減シ、其損害竟ニ全国ニ波及シテ貿易ノ公利ヲ失フニ至ラントス、豈之ヲ悲傷セサル可ケンヤ、故ニ吾儕今日本商賈ノ其業ニ従事スル者ノ為ニ、爾来蚕卵
 - 第3巻 p.367 -ページ画像 
種ト生糸トノ売買ニ就テ実歴ノ形状ヲ述テ以テ其事体ヲ鮮明ニシ、大ニ看破スルコトアラシメントス、庶幾クハ商賈目前ノ小利ニ迷ハス、将来ノ公益ニ注意シテ漸ク釐革ノ方法ヲ設ケ、固有ノ真利ヲ回復セハ吾儕ノ婆心モ亦万一ニ裨補ナシト云フ可カラス、蚕卵種輸出ノ生糸ニ弊害アルヲ知ラント欲セハ、生糸貿易ノ実況ヲ許悉セスンハアルヘカラス、故ニ今玆ニ日本互市開場ノ翌年ヨリ九年ノ間生糸百斤ノ平均価直ヲ叙シテ以テ其次第ヲ明ニスヘシ

図表を画像で表示--

   年                       価        彼        我           弗   千八百六十一年    文久元辛酉        三七〇   千八百六十二年    文久二壬戌        四〇三   千八百六十三年    文久三癸亥        四五九   千八百六十四年    元治元甲子        五〇〇   千八百六十五年    慶応元乙丑        六一七   千八百六十六年    慶応二丙寅        七四四   千八百六十七年    慶応三丁卯        七六五   千八百六十八年    明治元戊辰        七四一   千八百六十九年    明治二己巳        八〇〇 



右年間ニ於テ千八百六十八年ヲ除クノ外ハ其価常ニ騰貴セリ、是レ欧邏巴洲ニ於テ非常ノ蚕病行ハレテ大ヒニ繭ノ生産ヲ減損スルニ由リ、自ラ他国良好ノ生糸ヲ要セシタメナリ、今其事実ヲ明ニスルニハ左ノ形態ニ就テ之レヲ推知スルヲ得ヘシ
千八百五十三年ニハ仏蘭西一国ニテ生糸ノ作ハ生繭四千三百万斤ニ及ヒタリ、然ルニ千八百六十五年ニ至テハ僅ニ六百七十万斤ニ減シタリ、然レハ十二ケ年ノ間ニ於テハ殆ト八割五分ノ減損ナリ
伊太里・伊斯巴尼亜・其外欧邏巴中生糸ヲ生スル諸国ニ於テモ其損耗大略是ニ同シ
是レニ由テ之ヲ考フレハ、日本生糸ノ欧洲ニ貴長セラレテ次第ニ其価ノ進ミシハ更ニ驚クヘキコトニハ非サルナリ
然シテ日本生糸ノ価直次第ニ騰貴セシ間ニ於テ、之ヲ他国ノ生糸ト比較スル時ハ其品位ハ却テ漸々ニ劣リタリ、此品位ノ劣リタルハ其繭ノ性質ノ善カラサルニ由リ、其性質ノ善カラサルハ蚕卵ノ輸出ヲ制セサル事ヨリ馴致セシハ是レ智者ヲ俟タスシテ知ル所ナリ。
良糸ヲ得ント欲スルニハ必良蚕ヲ求ムルヲ以テ第一ノ先務トナスヘシ而シテ諸製糸家ノ能ク了知セル如ク、彼良糸ハ唯春蚕ヨリ之ヲ製スル事ヲ得ルモノナリ
蚕卵ノ自由貿易品トナリタルハ千八百六十五年ニ始マリ、其以前ニハ此輸出未タ免許セラレサリシ故ニ、生糸性質麤悪ニナリタル原因ハ何レノ時ヨリ始マリタルト云フコトハ、吾儕容易ニ其時日ヲ明指スルヲ得、且ツ事実ヲ挙ケ形態ヲ示シ審ニ其縁由ヲ解明スヘシ、今是ノ事実形態ヲ論究スルニハ先ツ一ノ要旨ヲ前言スヘシ、其前言トハ即チ日本生糸ノ為ニ第一ノ市場タル竜動ニ於テ、相州・上州・武州・信州・越後ヨリ産出シテ、生糸中其輸出最夥多ナル提糸ト唱フル物ノ価直ニ在リト知ルヘシ
サテ千八百五十九年ヨリ千八百六十四年迄ハ蚕卵ノ輸出未タ免許セラレサリシカ、此時伊太里糸ノ平均価直「一ポンド」我量目百二十一匁六分ニ当ル ニ付
 - 第3巻 p.368 -ページ画像 
二十八「シルリング」 凡我新貨五円八銭二厘ニ当ル ニシテ、第一等ノ提糸ノ価ハ二十七「シルリング」凡四円九十銭五毛ニ当ル ナリ、故ニ伊太里糸トハ唯僅ニ三分五厘ノ差違ナリ、千八百六十五年ヨリ六十六、六十七年マテノ間蚕卵紙輸出ノ数ハ毎年一百六十万内外ナリ、而シテ此時伊太里糸ノ価ハ三十八「シルリング」凡六円八十九銭七厘ニ当ル ニシテ、第一等提糸ノ価ハ三十五「シルリング」凡六円三十五銭二厘五毛ニ当ル 故ニ伊太利糸トハ既ニ九分ノ差違ヲ生セリ
千八百六十八年ニ於テハ蚕卵ノ輸出二百三十万ノ巨額ニ登レリ、而シテ右員数ノ内ニハ上等ノ春蚕卵最多シ
其翌年ニ至リテ伊太利生糸ノ価ハ四十六「シルリング」凡八円三十四銭七厘三毛ニ当ル ニシテ、上等ノ提糸ハ三十五「シルリング」凡六円三十五銭二厘五毛ニ当ル ナリ、故ニ其差違モ亦二割五分余ノ多キニ至レリ
千八百六十九年ヨリ七十一年ノ間蚕卵紙輸出平均ノ員数ハ毎年一百三十万枚余ナリ。時々伊太利生糸ノ平均相場ハ三十四「シルリング」凡六円十七銭一厘ニ当ル ニシテ上等提糸ノ価ハ二十九「シルリング」凡五円二十五銭当ル三厘五毛ニ当ル トナレリ、故ニ比較ノ差違一割七分ナリ、又試ニ支那生糸ノ景状ヲ説明セハ前段ニ論述スル事理ヲ猶委シク了解スル事ヲ得ヘシ、支那ニ於テハ聊モ蚕卵ノ輸出ナキ事ヲ以テ能ク之ヲ推知スヘシ
千八百六十一年ヨリ六十九年マテ九ケ年ノ間平均相場ヲ以テ之レヲ論スレハ、日本上等ノ提糸ハ支那ノ極印セシ生糸「ツアトリー」糸名ナリ 第三番ノ価ヨリモ二割二分ノ高価ナリシ
然ルニ千八百七十年、七十一年ノ間ハ上等提糸ノ平均相場支那糸ト其価位ヲ同フセリ
目今即チ千八百七十二年ニ於テ極印シタル支那生糸ノ価ハ、竜動ニテ二十九「シルリング」凡五円二十五銭三厘五毛ニ当ル ニシテ、上等提糸ハ二十八「シルリング」凡五円八銭二厘ニ当ル ニ売リ難シ
竜動ノ市場ニアル残糸ノ事ヲ論シテ尚此外ニ前段ノ考証ニ供スヘシ、是ハ竜動商賈ノ庫中ニ在テ売残リタル日本生糸ノ員数ヲ毎月詳細ニ調査シタル実験ノ説話ナリ
千八百六十年ヨリ千八百六十八年マテ竜動ニ於テ、日本生糸ノ売残リシ額ハ八十斤一ト箇ニテ六千箇ニ登レリ
昨千八百七十一年中ハ生糸ノ輸出殊ニ減少セリトイヘトモ、当七十二年ノ始ニ於テ九千五百箇ノ残額ナリ、而シテ其中ニハ提糸最多ク大概古物ノ下品ニシテ、織工ノ之ヲ買フコトヲ欲セサルモノナリ
今此ノ二三ノ事体実歴ニ就テ之ヲ推案セハ、蚕卵ノ自由貿易ハ実ニ日本生糸ノ産出ニ大害アルハ更ニ疑ヒヲ容ルヽ事ヲ得サルヘシ、是啻ニ生糸売買ノ価直ニ於テノミ減耗アルニアラスシテ、今世界中ノ大市場ニ於テ有名声価ヲモ損傷スルニ至レリ、此声価ヲ損傷スルコトハ恐ラクハ売買ノ価直ヲ減セシヨリ其損失更ニ大ナルヘシ
日本政府及人民ノ其業ニ従フモノ能ク此理ヲ了解シテ其弊害ヲ弁知セハ、早ク之ヲ拯救回護ノ方法ヲ設クヘシ、是レ固ヨリ政府ノ職掌ニシテ決シテ忽セニス可ラサルコトトス
今政府既ニ国民ノ便宜ニ注意シテ外国製ノ器械ヲ購入シ、以テ日本生糸ノ進歩ヲ計ルハ甚称美スヘキ事ナリ、然レトモ良蚕保護ノ処置ナケレハ恐ラクハ其功ヲ奏シ難カルヘシ
 - 第3巻 p.369 -ページ画像 
良糸ハ悪蚕ヨリ得ル能ハサルハ人ノ共ニ通知スル所ナリ、今良蚕卵ヲ残ラス輸出スル時ハ如何ニシテ良蚕ヲ得ルノ道アルヘキヤ、是レ独リ吾儕ノ苦慮ノミナラス、横浜ニ在留スル欧米諸国ノ商賈ノ等シク顧慮スル所ニシテ、日本政府ノ早ク此蚕卵ノ濫出ヲ制止スルコトヲ希望セリ、然リ而シテ吾儕ノ所見ハ現ニ此事ヲ行テ其効ヲ致サンニハ、実ニ奥州米沢・柳川・信州上田・上州島村等ノ春蚕卵ハ全ク其輸出ヲ禁止スルヨリ他事ナカルヘシ
千八百六十五年以来日本政府蚕卵自由貿易ノ許可アリシニ由テ、欧邏巴ノ人民ハ大ニ其便益ヲナシタルハ更ニ疑ヒナカル可シ、然ルニ今日ニ於テハ欧邏巴諸州蚕ノ疾病漸ク将ニ消セントセリ、而シテ仏朗西・伊太里・伊斯巴尼亜ニ於テハ此二三年来ハ殊ニ多量ノ良蚕ヲ産セリ、故ニ日本ノ蚕卵、欧邏巴ノ市場ニテ売買セラレタル価直ノ次第アルニ就テ之ヲ証明スルヲ得ヘシ、其故ハ当初日本上等ノ春蚕卵ハ紙一枚ニ付三十「フランク」凡四円二十六銭ニ当ル ニ売レタルニ、此二三年間ニハ僅ニ六「フランク」凡八十五銭二厘ニ当ル ヨリ十五「フランク」凡二円十三銭ニ当ル ノ相場トナレリ
既往ノ事ヲ詳論シテ以テ将来ノ務ヲ推案セハ、日本政府ニ於テ吾儕ノ忠告ヲ採用シテ之ヲ実際ニ施行セラルヘキ機会ハ実ニ今日ニ限レリト云フヘシ、而シテ此保護ノ事即チ其国ノ自守自防ニシテ聊モ他ノ障碍ナキノミナラス、是乃チ外国交易ノ関渉スル最大緊要ナル産業ヲ自国ノ為メニ回護スル実務トイフヘシ
サテ頗ル長文ニ渉ルトイヘトモ更ニ一ノ警語ヲ録メ以テ前章数言ノ照応ニ供スヘシ、其警語ハ即チ日本在留某国公使館ノ書記官ヨリ其本国政府ヘ送達シタル日本ノ養蚕事務ヲ報告セル信書中ノ一語ニアリ
其書翰ノ全文ハ不急ノコトナレハ之ヲ贅セス、唯其日時ハ日本江戸ニ於テ千八百七十年一月十二日ト記シタリ、其文ニ曰
  日本ノ最良ナル州郡ヨリ上好ノ蚕卵ヲ夥シク輸出セル事ハ実ニ日本生糸ノ麤悪ニナルコトヲ媒介セリト
嗚呼実ニ是レ明識ノ確言ニシテ決シテ疑ヒヲ容ルヘカラス、殊ニ日本養蚕場諸商賈ノ為メニハ真ニ頂門ノ一針トモ云フヘシ
   ○「蚕紙生糸の説」刊本ハ渋沢子爵家所蔵ノモノアリ。和紙一九字八行一三丁ノ小冊子ナリ。
   ○渋沢子爵家所蔵文書中千八百七十二年三月二十五日付 Walsh Hall & Co. ノ建議原本及訳文アリ。ソノ宛名ハ不明ナルモ、訳文ニハ栄一自筆ニテ諸所ニ訂正ヲ加ヘアリ。