デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.369-370(DK030112k) ページ画像

明治五年壬申五月十三日(1872年)

是ヨリ先、明治四年四月、尋イデ同年六月栄一等ハ在米大蔵少輔伊藤博文ニ銀行紙幣一千万円ノ製造ニツキ命令セシガ、是日栄一等在米中島信行ニ対シ更ニ五百万円ノ増製ノ命令書ヲ発シタリ。


■資料

青淵先生伝初稿 第七章五・第一―三頁 〔大正八―一二年〕(DK030112k-0001)
第3巻 p.369-370 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章五・第一―三頁 〔大正八―一二年〕
銀行紙幣につきては、明治四年四月先生は大隈・井上等と連署し、一千万円を以て製造額と定むべきを通達し、尋で六月にも同じ命令を発
 - 第3巻 p.370 -ページ画像 
せることは上文に述べしが、其種類は一円紙幣・五円紙幣・各三百万円、十円紙幣・二十円紙幣・各二百万円なりき。かくて米国ニューヨルクなる紙幣会社をして其製造に著手せしめ、中島信行は吉田二郎と共に監督の任に当りしが、同年十一月米国銀行制度採用の議決するに及び、更に増註文を命ぜんとするの際、恰も中島・吉田の両人より、金額の大なる紙幣は流通上不便尠からざるが故に、更に二円紙幣三百万円・一円紙幣二百万円を増製すべき旨を大蔵省に建議せり。先生等之に従ひ、五年五月十三日、其増製に関する命令書を中島に発送せり、此に於て紙幣の種類は二円紙幣を加へて五種となり、製造総額一千五百万円に達したり。然るに同月以降米国より到来せる紙幣を検するに、二円・五円・十円の三種を合せて四千五百円の不足あると共に、一円紙幣九百六拾円の過剰あり、即ち其過剰を以て不足を補ふも、尚三千五百四十円の不足を生じたれば、実際の製造額は一千四百九拾九万六千四百六十円なりき。
   ○命令書ハ「明治貨政考要」等ニ掲ゲラレズ。



〔参考〕明治貨政考要 下編・第二三三―二三四頁(明治前期 財政経済史料集成 第一三巻・第四三五頁 〔昭和九年七月〕)(DK030112k-0002)
第3巻 p.370 ページ画像

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