デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.393-394(DK030118k) ページ画像

明治五年壬申六月九日(1872年)

是ヨリ先、大蔵大輔井上馨等ト共ニ華士族家禄及ビ賞典禄処分ノ事ヲ謀ル。是日滞英中ノ大蔵少輔吉田清成ニ井上等ト連署ノ書状ヲ寄セ、禄制処分ノ苦心多キ事情ヲ報ズ。


■資料

世外井上公伝 第二巻・第一四―一六頁 〔昭和八年一二月〕(DK030118k-0001)
第3巻 p.393-394 ページ画像

世外井上公伝 第二巻・第一四―一六頁〔昭和八年一二月〕
○上略 各府県貫属の内では、旧藩の時から適宜の計らひとして、士族・卒の倅並びに二三男・隠居等へ給禄或は終身の扶持方を与へてゐた所もあつたが、それはその藩の旧慣であつて、今日区々の処分では甚だ不都合であるといふので、五年二月九日に公はこれが廃止を正院に建議し、裁決を得てその旨を公布した。又各府県貫属の内では、改正禄高の外に、旧藩々適宜の計らひで、救助手当米その他種々の名目を以て、禄・扶持を与へてゐた所もあつた。然るに府県合併に当つて同一管内に異様の方法を立ててゐたのでは、政令帰一の趣旨に戻り、且つ家禄の外に救助手当米などを給する謂はれは無いといふことで、四月十日に公は之を正院に建議し、決裁を得てこれが廃止を公布した。公がかくのごとく士族・卒の整理に努力したことは、乃ち家禄を処分する前提であつて、これが調査を急いでゐたのではあるが、愈々調査完了したのは、六年三月で廃藩後の秩禄 華族士族平民家禄・皇族及び華族士族平民賞典禄・社寺禄 支給高を金額に直して年額合計二千二百六十五万七千万余円《(衍カ)》といふ多額に上つた。それでも廃藩直後の年額に比してはその減少したこと百分の四十三半強であつたから、この上にも一層の減額を計らねば到底政府として将来を支持することが出来ぬ状態であつた。五年六月九日附、公及び渋沢・上野から滞英中の吉田清成宛の書中に、「当年米価凡平均三両一歩位ト見込候外無手段候、当年歳出凡二千万円計り不足ヲ生ジ候見込、殊ノ外苦心ノミ、世間ヨリモ忌憚ヲ蒙リ、実ニ困却ノ次第ニ御座候、尤士族卒禄ハ先著手不仕、華族ハ兼テ決議ノ通リ早々禄制ニ決定仕度心組ニ御座候、且中々此禄制位ニテ不足ヲ償不申、其他ハ凡テ諸省月給迄定額ニ取定、是迄ヨリハ少々宛減少シ、其他ハ新札ヲ以
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テ是間ニ合セ可申ト相考ヘ居候」 大蔵省文書 と述べたのでもわかる。○下略