デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.491-496(DK030120k) ページ画像

明治五年壬申六月(1872年)

杉浦靄山ト共著ニ係ル航西日記六巻刻成ル。


■資料

航西日記 (渋沢栄一・杉浦靄山共著) 第一巻(DK030120k-0001)
第3巻 p.491-493 ページ画像

航西日記 (渋沢栄一・杉浦靄山共著) 第一巻
航西日記叙
慶応丁卯。余与靄山杉浦子基。従我公使。使於泰西。会法京巴里有博覧会。五洲列国与法締盟者。各差王族貴胄。以莅其会。或其君主有親自来観者。而我公使与焉。盖法之此会踵於英昔年之挙。而更恢其規摸。洵曠世之偉観。足以震耀他邦也。会畢。公使回歴瑞白荷伊英諸邦。靄山有故途帰。余終始従事。而其所経歴。各有所筆。累々成冊矣。東帰之後。同移屋於不二山下。耕読之余。対牀把臂。出往日之記。談往日之事。与夫西邦城邑之壮。文物之盛。以至炎海雪山。滊船鉄路。風俗景物。出於意想之外。目眩而舌吐者。共成一夢境。而唯此区々冊子。足以中於雪泥瓜痕也。乃有合輯纂正之約。無幾。余辱 徴書。靄山亦先後出山。王事鞅掌。不能遂前約。頃者。大蔵卿伊達公伝聞。慫慂上梓。嗚呼。吾儕所記。特身所歴已。耳目不遍。語言不通。要是漆桶苕帚。安足悉全象。而世有未渉其境者。或因為臥游之資。亦不為無益也。然則恧焉而蔵之筐底。寧如靦焉。而公之世上。遂与靄山謀。公退之余。挑灯纂輯。以附剞劂。因思方今法与孛戦。兵敗王降。当時称雄嗚予。
 - 第3巻 p.492 -ページ画像 
震耀他邦之蹟。俯仰之間。不可復観。何其衰之忽諸哉。読此書者。或有感於此事。則将有得於此書之外。則吾儕所記。亦将不止於区々臥游之資也。
 明治三年庚午冬十月
                      青淵渋沢栄一識
凡例
 斯編《へん》。我儕自閲《わかさいじゑつ》に供《きう》する為《た》め手録《しろく》せし私記《しき》なり。交際公務《かうさいこうむ》を除《のぞく》くの外。凡遭際見聞《さうさいけんもん》する真況《しんきやう》にて。途中風漂《ふうひやう》。雨泊《うはく》。郵亭《ゆうてい》。旅館《りよくわん》の状《じやう》《カタチ》より宮室《きうしつ》。寺観《じくわん》。山水。林園。の景《けい》を略記《りやくき》す。其間従容《しやうよう》。探討《たんとう》せし有。倉卒経過《そうそつけいくわ》せしあり。故《ゆゑ》に其景状《けいしやう》を収拾《しうしう》する。詳略同《しようりやく》からず。其事実を探摭《さいせき》する。疎密《そみつ》。斉《ひと》しからず。到底《たうてい》。所際《さい》と所見《しよけん》の寛促《かんそく》に従《した》へバなり。
一帝王《ていわう》。謁見《えつけん》の礼典《れいてん》。交際《かうさい》の例式《れいしき》。に至りてハ其接待《せつたい》の鄭重《ていぢう》。周旋《しうせん》の真率《しんそつ》なる。我儕《わかさい》。随従《ずゐじう》。陪与《ばいよ》して之《これ》を目撃《もくげき》せしと雖《いへど》も。躬《みづから》から之《これ》を主掌《しゆしやう》せしにあらず。故《ゆえ》に其事を叙《ついづ》るや。公例《こうれい》に准《しゆん》ずる循序《しゆんじよ》。及《および》文書贈答《しよそうたう》の類《たくひ》より。聘問《へいもん》。往来《をうらい》。辞令応酬《しれいをうしう》。等の事。姑《しば》らく之を闕略《けつりやく》に附《ふ》し。関係《くわんけい》なき尋常《じんじやう》。礼典《れいてん》の大概《がい》を録存《ろくそん》するのみ
一航海中《かうかいちう》。正午《せいご》の測量《そくりやう》ハ。法国巴黎都府《ほうこくぱりとふ》《フランス》。よりの経度《けいど》《タテスジ》を算《さん》し。上陸場《りくば》各地《おのおの》の経度。英国緑威《えいこく》《イキリス》《ぎりんんつち》より筆《ひつ》す。海程《かいてい》《ウナジ》ハ航海里法《りはう》《ミチノリ》。陸程《ろくてい》《クガヂ》ハ法の里法を用ゆ
一叙事《じよじ》。行分《こうぶん》の体裁《たいさい》一ならさるは。爾時触景《そのときそくけい》《ケシキニフレ》。随筆《ずいひつ》により《フデニシタガヒ》。自ら異《こと》なる所以《ゆえん》にて。稚馴《がしゆん》《ミヤビ》を要《よう》せず。富麗《ふれい》を務《つと》めず。惟其《たゞ》景況《けいきやう》《アリサマ》の天真《しん》《ソノマヽ》を存《そん》するを主とす。読者《もの》。文字の蕪陋《ぶろう》《イヤシキ》を咎《とが》むる勿れ
一各国《かくこく》の名。地名を記す。或漢字《あるひハかん》。或片仮名《かな》を以てす。皆傍に《みなかたわら》=[二重傍線]を加《くわ》へ。 官名人名 ハーを加て。之を分つ。且原語《かつげんご》《モト》の物名《ものゝな》。熟字等《しゆくじたう》の類ハ。悉《こと》く片仮名を以て之を記して読官《よむひと》に便《べん》す
一新聞紙ハ。一時看過《かんくわ》《ミスグシ》し了《をハリ》。故紙《こし》《ホウゴ》に属《ぞく》すべき物なれども。其撮訳《さつやく》《ツマミトキ》を挿記《さうき》《ハサミシルス》するハ、其事由《じゆう》《コトノヨシ》。の曲折《きよくせつ》を発《はつ》明する而已《のみ》ならす。欧州《をうしう》。毎事《まいじ》。伝播《でんハ》《フレツタヘル》。の神迅《しんしゆん》《スミヤカ》なると。人民論議《ろんぎ》の根柢《こんてい》あるとを概見《がいけん》すべきにより。之を附載《ふさい》す。亦当時の景況を。想像《さうそう》《オモヒヤル》するに足れり
一博覧会の如き。凡網羅《もうら》。臚列《ろれつ》。せし。万彙《ばんる[ばんゐ]》《ヨロヅノタグヒ》。其品類《ひんるい》を枚挙《まいきよ》せは。累々数巻《るいるいすうくわん》にして足らず。而《しか》して其壮宏《さうかう》《サカンナル》の規模《きぼ》。塊偉《くわゐ》《オヽイナル》。の景象《けいしやう》に至りては。丹青《せい》の妙筆《めうひつ》を倩《やと》ふも。猶其真を措写《びやうしや》《カキウツシ》し難《かた》し。況《いはん》や我儕の庸墨陋筆《ようぼくろうひつ》に於てや。故に其会に列せる国名。及品類部《ひんるいふ》分等の大要を記す而已
一法の一フラングは、凡我銀十文目にして。二十フラングハ。一ナポレオンとす。即チ我金三両一分に当る。英のポントハ。我金四両二分余にして。其二十分一を。一シルリングとす。即チ我銀十三文目五分余に当る。其他各国の貨幣《くわへい》。皆其価を異にすといえとも関係《くわんけい》なけれバ之を備《つぶさ》にせず

航西日記経過順目次
 巻之一
  楊子江《ヤンチーキヤン》 上海《シヤンハイ》 香港《ホンコン》 柴棍《サイコン》
 - 第3巻 p.493 -ページ画像 
  新嘉埠《シンカホウル》 錫蘭《セイロン》 亜丁《アテン》 西紅海
 巻之二
  蘇士《スエス》 該禄《カイロ》 亜歴散大《アレキサントル》 墨西拿《メシナ》
  撒丁《サルジテイー》 歌爾西克《コルシカ》 馬塞里《マルセイル》 視水底術
  功牌《メタイ》 黎昂《リヨン》 仏都巴里《パリス》 養魚所
  邦破烈翁[那破烈翁] 墳 夜茶会 仏帝謁見 風船
  劇場《シバヰ》 舞踏 凱宮《アルクトトリヨンフ》 チユロリー 宮
  小舞踏 戦争図 テヤートルシヤツトルイ シヤルクラン 館
  ホワテフロン 公園 アツクリアタシヨン 園 埋地道
 巻之三
  競馬 巴里調練 魯帝危難
  巴里新聞 病院 英国新聞
  横浜新聞 博覧会 儲水
 巻之四
  博覧会 褒賞 セイヌ河 博覧会 新聞
  独楽 手品 カリナニー 新聞 足技
  ヒカロ 新聞 雑報
 巻之五
  那破烈翁 誕辰 回歴初途 瑞西《スイツル》
  説法所 伯爾尼《ベルン》 ツーン 蓄熊
  日内瓦湖《ジユネイ》 メイトロホール ハロンロウチーユル
  ヌーシヤテル ランヌ河 荷蘭 議事堂
  荷王謁見 アムストダム レイデン
  荷王再謁 白耳義《ヘルギイ》 火技 アンヘリス
  劇場 シラアン マリートヲワヱヒト 畋猟
  調練 燕見 マストリウツク サンミセール
  伊太里 石細工 王謁見
  別都 ミラン ヒイサ 畋猟
 巻之六
  水軍調練 噴火山 瑪児太島《マルタ》
  戌兵調練 的打 集議場
  水師調練 英国 倫敦府
  議政堂 王謁見 劇場 新聞紙局
  ウーリツチ 調兵 大砲 製造所
  キリストルバンイス マリウスベリ子ス 大砲打様
  鉄台場 貨幣局 海軍器械
  セラゼス 狙撃船 海上試砲
  三兵調練 浮梁 屯兵所


(杉浦譲)家記 十二(DK030120k-0002)
第3巻 p.493-496 ページ画像

(杉浦譲)家記 十二      (杉浦翠氏所蔵)
 - 第3巻 p.494 -ページ画像 
 ○明治三年
十月十六日 晴 休省
 夕与家父遊広徳寺前、夜閲航西日配

 ○明治四年
正月十七日 晴 風寒 出省
 午後家父訪本所津軽前井沢平助、促航西日記浄書、不在、托其妻
同廿四日 晴陰 出省
 一家父訪渋沢氏、歯痛、且遺航西日記二冊願下書
二月二日 晴、暁二時、牛込神楽坂火 方四丁程延久云 出省
 一与渋沢氏同上書於大学校、如左
航西日記 二冊 但巻之一巻之二 蔵板ニいたし度候間、開板御允許被成下度奉願候也 辛未二月 杉浦譲 渋沢栄一 大史局御中

同六日 晴 休省 ○持玉乃氏添書中外堂代来 本町書肆紀国屋源兵也 問括字板並
 航西日記彫刻之事、不在、家父接
同七日 晴出省 ○早朝中外堂代来、報玉乃氏
同八日 晴午時急雨 出省
 一航西日記開板允許如左
(大史局検査之印)開板之儀聞届候、刻成之上三部
         上納可致事
          辛未二月                大史
        一航西日記 巻之一巻之二
         右私共蔵板ニいたし発兌仕候間、開板御允許被成下候也
                               両名
一右渋氏達之
同十一日 雨 休省 ○夕中田氏来、出航西日記筆工七枚
同廿一日 晴 休省 ○大平来出彫試板
同廿五日 晴 出省 ○家父談剞劂之事大平、午後渋沢氏遣航西日記
 三巻閲了、其彫刻用費金五十両
三月十一日 晴 風 休省 ○石塚信吉来、出航西日記筆工 青山権田原之人
四月四日 陰 出省 ○午後家父訪渋沢氏、謝過日贈物、且達航西日記三四編
 ○明治四年
五月廿二日 霽 出省
 一航西日記三四巻開板願如左

図表を画像で表示--

 航西日記三      渋沢大蔵権大丞 四編開板願      杉浦駅逓正 


図表を画像で表示--

 開板之儀間届候 刻成之上三部 上納可致事  辛未五月 大史 [img図](官許朱印) 航西日記 三編 四編 (大史局割印) 開板之節官許 官准等之字彫 刻候儀不相成事 



 - 第3巻 p.495 -ページ画像 
 右者先頃初編二編開板発兌之儀願済相成候処、書面之通三編四編共引続開板仕度、此段奉願候也
              大阪御用中ニ付無印
  未五月廿二日               渋沢大蔵権大丞
                       杉浦駅逓正印
           大史
             御中
同廿八日 晴 暑 夕遠雷小雨 ○家父訪筆工樵山
七月廿三日 晴 出省
 ○家父訪樵山 談筆工 訪大平責督、剞劂期来月五日
八月十八日 陰 出 朝
 ○大平来 出航西日記彫刻二冊
九月四日 晴 冷 不 朝
 夕須原茂兵衛来 遣航西日記成刻一部 但一二巻
同十五日 晴 朝蜺 出 朝
 ○夕退後促大平製本
十月三日 晴 暁小雨 出 朝 ○朝大平来、乃遣製本料五十二円三分
同四日 陰 出 朝
 夕須原屋来 謝彫刻遅緩 且告発兌之許
同六日 陰 小雨 休 朝 暁地震
 寄書静岳、向山黄村先生贈航西日記一部、山高氏同一部
十一月三日 霙晴 出 朝 ○家父訪西氏 不在、訪筆工樵山、訪南谷於名倉家 未帰 訪渋沢氏、留守
同六日 晴 休
 ○須原屋来、出三四巻製本一冊、遣同本稿本二冊並伺書
十二月晦日 為歳末登宮
 ○須原茂兵衛納航西日記代之内金百両

 ○明治五年
二月三日 陰小雨 出 朝
 ○航西日記 五六 編発兌 文部省允許 渋沢氏達
三月二日 曇 出 朝
 ○須原茂兵衛来、遣航西日記五六巻
四月大朔 甲寅休 ○午後訪渋沢氏 達航西日記出版入費之内百三十円
五月晦日 晴 出 朝
 ○須原家納留板一枚 五巻三十五三十六 摺三百枚宛帰
六月八日 晴 出 朝
 ○航西日記 五六 巻三百部帙朱印遣
同九日 陰 出 朝
 ○須原茂兵代来請、乃遣五六巻二冊並官許伏一通
同廿四日 晴暑 出 朝
 ○須原屋使代来、納航西日記二十部 五巻一冊六巻一冊
同廿七日 晴暑 痔痛 不出 朝
 - 第3巻 p.496 -ページ画像 
○家父訪西氏田辺氏渋沢氏大岡氏良之助氏、午飰于渋沢氏、午後一時帰
○達航西日記 五巻六巻 十部於渋沢氏
 ○航西日記ノ全文ハ「青淵先生六十年史」第一巻並ニ昭和三年一月日本史籍協会発行「渋沢栄一滞仏日記」中ニ収録セラル。而シテ前ニ其ノ全文ヲ分載セルヲ以テコヽニハ掲ゲズ。