デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.509-510(DK030127k) ページ画像

明治五年壬申八月六日(1872年)

三井・小野両組既ニ連署シテ国立銀行創立ヲ願出タレドモ、実ハ協同経営ヲ懌バズ、之ヲ辞セントノ意アルヲ以テ、栄一等ハ是日俄ニ為替方ヲ廃止シ、三井・小野組合銀行ヲ組織セシメテ為替方ノ事務ヲ玆ニ移シ、以テ其決心ヲ促セリ。


■資料

青淵先生伝初稿 第九章上・第二三―二五頁〔大正八―一二年〕(DK030127k-0001)
第3巻 p.509-510 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章上・第二三―二五頁〔大正八―一二年〕
三井・小野の両組は既に連署して願書を呈出したれども、元より其本志にあらず、故に其以後に於ても、協同経営を辞せんとするの意向ありしかば、先生等は八月六日俄に為替方を廃止し、三井・小野組合銀行を組織せしめて、為替方の事務を玆に移し、以て其決心を促せり。
三井家大元方の日記其日の条に、「今日より為替方改三井小野銀行と相唱候事」と見ゆ。新に銀行と唱へたるも形式の事にて、実は為替方の改称のみ。かくて両組は組合銀行の名によりて、従来の官金出納の任務を継承せしが、此組合銀行は国立銀行の素地を為すものなれども、其取扱へる事務は今日の所謂銀行事務にあらず、従来為替方として奉仕せる官金の出納なれば、要するに両組の組合事業に銀行なる名称を附したるに過ぎず。
 - 第3巻 p.510 -ページ画像 
  ○此項他ニ資料ヲ見ズ。