デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.514-516(DK030129k) ページ画像

明治五年壬申八月十五日(1872年)

政府嚮ニ三井八郎右衛門、小野善助等ノ出願セル国立銀行創立ヲ許可シ、既ニ組織セラレタル三井小野組合銀行ニ対シ第一国立銀行ノ名称ヲ公許ス。栄一、大蔵大輔井上馨等ト共ニ之ニ与ル。其ノ後モ実際ニ取扱ヘル事務ハ大蔵省ノ官金出納ニシテ、明治六年六月以後ノ第一国立銀行トハ性質ヲ異ニセルモノナリ。


■資料

銀行全書 初篇之一(DK030129k-0001)
第3巻 p.514 ページ画像

銀行全書  初篇之一
三十四号 壬申八月十日同十二日受上局江出ス
     同十四日往復課達済
     八月十五日伺済(朱字)
   (渋沢・朱印) (芳川・朱印) (朱印)
  輔(印)     頭(印)     属(印)
      (義方・朱印)
       丞(印)
    正院江伺案
三井八郎右衛門外七人儀別紙之通組合銀行創立之儀願出候間、名称は第一国立銀行と為相唱、願之通承届候様仕度、尤開肆免状其他之取扱向は兼而伺済之条例成規ニ照し、追々可及指令、差向右銀行創立免許之儀、別紙之通可相達と存候、依而指令案左ニ相伺申候
  指令案
   書面銀行創立之儀願之通り承り届候条名称第一国立銀行と相唱可申、且開肆之儀は追而可差図事
    壬申八月               紙幣寮判
     (朱字)  (朱字)
     伺之通  正院之印
      (朱字)
      八月十五日
 - 第3巻 p.515 -ページ画像 

大蔵省沿革志 紙幣寮第一・第六三丁(明治前期 財政経済史料集成 第三巻・第八〇頁〔昭和九年五月〕)(DK030129k-0002)
第3巻 p.515 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
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明治貨政考要 下編・第二二四―二二五頁〔明治二〇年五月〕(明治前期 財政経済資料集成 第一三巻・第四二九頁〔昭和九年七月〕)(DK030129k-0003)
第3巻 p.515 ページ画像

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青淵先生伝初稿 第九章上・第二五―二七頁〔大正八―一二年〕(DK030129k-0004)
第3巻 p.515 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章上・第二五―二七頁〔大正八―一二年〕
三井・小野組合銀行の成るや数日を隔てたる同月 ○八月 十七日を以て前日の出願に対して、「書面銀行創立之儀承届候条、名称第一国立銀行と相唱可申、且開肆之儀は追而可及差図事」といへる指令を下し、始めて第一国立銀行なる名称を公許せり。此時国立銀行条例は官裁を経たれども未だ公布に至らず、然るに斯る指令を下せるは、其出願は政府の内命に出づればなり。其開業は条例公布の後に期せしめたるなり。 明治財政史に十七日を十五日に作るは誤なり
かくて三井・小野組合銀行は第一国立銀行と公称したれども、民間には尚東京銀行・東京銀行組・三井小野組合会社・三井小野東京銀行組など呼ばれたるは、第一国立銀行と称して後も、依然たる大蔵省の官金出納の事務を取扱へるにて、実際三井小野組合銀行と同一なればなり。されば最初の第一国立銀行と、六年六月以後の第一国立銀行とは全く其性質を異にせるものと知るべし。
  ○「十五日に作るは誤なり」トアルモ、其根拠明カナラザルヲ以テ、前掲銀行全書所掲指令案ノ日附ニ拠リ十五日トス。


第一国立銀行半季実際考課状 第一回〔明治七年一月〕(DK030129k-0005)
第3巻 p.515 ページ画像

第一国立銀行半季実際考課状  第一回〔明治七年一月〕
当銀行創立ノ願請ハ発起人等ヨリ去ル明治五年六月書面ヲ以紙幣寮エ願出、同年八月同寮ノ裁允ヲ得、即チ第一国立銀行ノ名称ヲ公許セラレ候


三井銀行五十年史 第二二―二五頁〔大正一五年九月〕(DK030129k-0006)
第3巻 p.515-516 ページ画像

三井銀行五十年史 第二二―二五頁〔大正一五年九月〕
○上略 三井組は一たび銀行の創立に頓挫 ○四年七月ノ三井組バンクヲ指ス せしと雖も、爾来其方針を固執し之が準備として先づ内部の整理に努むると共に五年二月三井弁蔵 当時二十二歳前三井鉱山株式会社々長 同貞次郎 当時二十一歳米国にて客死 同武之助 当時十八歳前東神倉庫株式会社々長 同長四郎 当時十六歳現三井合名会社々長三井八郎右衛門 同養之助 当時十七歳前三井物産株式会社々長 の五名を抜擢して手代野依周吉郎 当時二十八歳 吉岡常太郎 当時二十歳 同伴銀行業見学の為め米国に派遣したり、今日より見れば日常茶飯事に過ぎざるも当時にては誠に一大英断なりしと云ふべし、然るに政府にては既に国
 - 第3巻 p.516 -ページ画像 
立銀行案成り頒布の上は、第一国立銀行を東京に創立し、三井・小野両組をして其経営に当らしめんとするの意ありしものの如く、先づ両組に対し両組共同銀行の創立を慫慂せり、されど三井組の方針は本来一手創立に在りたるを以て最初固辞せしが再三の勧説に接し、遂に五年六月三井八郎右衛門・同次郎右衛門・同元之助・小野善助・同善太郎・同善右衛門の六名連名にて紙幣寮に左記創立願を提出したり。
政府は該願書に対し同八月十五日「書面銀行設立之儀聞届候条名称第一国立銀行ト相唱可申、且開肆之儀者追而可及差図事」と指令し三井・小野両組の為替方御用を解き更に三井小野組合銀行なる名称にて大蔵省為替御用達を申渡したり、されど指令面より見れば三井小野組合銀行なるもの存在すべき理由なく、按ずるに一時の権宜上政府の命名に係りたるものの如く、其実第一国立銀行の創立準備機関にして本両替町旧為替方会所に其店舗を設けたり、されば国立銀行条例の頒布せられ 五年十一月 同条例に則り三井八郎右衛門・小野善助・三井三郎助・小野善右衛門・三野村利左衛門の五名発起の下に六年六月十一日第一国立銀行を東京に創立するや三井小野組合銀行は其名を撤し、第一国立銀行之に代れり、同行当時の資本金は二百四十四万八百円にして内百万円宛は三井・小野両家の引受に係り、頭取外八名の役員中三井側よりは頭取三井八郎右衛門・副頭取三野村利左衛門・取締役三井三郎助・同永田甚七・同斎藤純造各就任し同七月二十日より開業したり。当時既に三井組は三井組ハウスを第一国立銀行に譲渡し、爾後為換座名義を廃して単に三井組と唱へ、第一国立銀行の経営に与ると雖も、其素志に基き銀行一手創立の念愈々切なるものあり。 ○下略