デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.520(DK030131k) ページ画像

明治五年壬申九月一日(1872年)

是日三野村利左衛門・斎藤純造、栄一ヲ訪レ、三井・小野両組協同経営ノ事決定シ、コレヨリ第一国立銀行ニ関スル大体ノ方針定マルニ至レリ。


■資料

青淵先生伝初稿 第九章上・第二七―二八頁〔大正八―一二年〕(DK030131k-0001)
第3巻 p.520 ページ画像

青淵先生伝初稿  第九章上・第二七―二八頁〔大正八―一二年〕
第一国立銀行設立の許可既に下り、其名称をも公許せられて後も、三井・小野の両組は尚各々一手にて設立せんことを希ひて已まず、而して此希望は三井組最も強かりしものゝ如し。先生之を憂ひ、戒論説得再三に及び、九月一日に至りて協同経営の事始めて定まり、此日三井組の三野村利左衛門・斎藤純造は、先生を訪ひて其決心を語りたれば、先生大に喜び、即日井上・芳川と共に三野村の邸に臨み、両組の主従を会して大体の方針を授け、且つ頭取には三井八郎右衛門・小野善助を挙げ、取締役・支配人・副支配人等を指名し、日本橋兜町に新造せる三井組の為替座を営業所に充つることも此日に決したるなり。


渋沢栄一 書翰 井上馨宛(明治五年)八月二九日(DK030131k-0002)
第3巻 p.520 ページ画像

渋沢栄一  書翰 井上馨宛(明治五年)八月二九日  (井上侯爵家所蔵)
○本文略
   申八月廿九日夜十二時二十五分
                      渋沢栄一
  井上老台
     閣下
 明後一日ハ三井小野打寄せ、銀行営業之順序、開店之都合、其外頭取支配人之取究、紙幣押印及名面書入等まて取究申度ニ付、願くハ明夕御帰京奉渇望候、もし又右集会明後一日にて御差支も御坐候ハハ、其段明日電信にて御指揮被下度候 ○下略