デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.520-528(DK030132k) ページ画像

明治五年壬申九月十二日(1872年)

工部省ノ建設ニ係ル東京横浜間ノ鉄道竣成シ、是日 天皇陛下ノ臨幸ヲ仰ギテ開行式ヲ挙グ。栄一供奉ス。


■資料

鉄道寮事務簿 第六巻(DK030132k-0001)
第3巻 p.520-521 ページ画像

鉄道寮事務簿  第六巻            (鉄道省所蔵)
  幸臨鉄道開行式
 鉄道開行ニ付御布達等ノ事
一九月九日東京横浜ノ間鉄道開行ノ趣国内ニ御布告、外国諸公使ニモ其筋ヨリ告達ノ事
一本日勅奏任官ハ 御所ヨリ供奉ニ列スルノ外、都テ新新橋鉄道館《(衍カ)》ニ出頭ス可ク御沙汰ノ事
  但シ着服直垂ノ事
○下略
  幸臨鉄道開行ノ式
一本日朝第九字 御出門、供奉ノ列本式ノ行装ニテ護兵ヲ列ネタル予定ノ街路 御通行、新橋鉄道館ニ 行幸 着御ヨリ御発車 ノ際 国旗ヲ挙ケ国楽ヲ奏ス 工
 - 第3巻 p.521 -ページ画像 
部省長官鉄道頭其奏任官 式部披露 ヲ率ヒ、欄廓《(廊)》ニ奉迎シ、直チニ長官頭先駆シテ館内ニ 入御、此処ニテ外国公使 礼服着用外務卿披露ス 並勅任官拝迎 此時各国公使ヘ御会釈アリ外務卿之ヲ伝フ 鉄道頭其掌管ノ鉄道図一巻ヲ奉献ス、此礼終リテ長官頭等前駆シテ 進御、出頭ノ奏任官 式部披露 南廊ノ側ラニテ拝礼此ヨリ外国公使勅任官及ヒ工部省ノ奏任官供奉ノ列ニ加ハリ、列ヲ正シ、徐ニ乗車場ニ 御進行列車ニ 入御、一同乗車
一第十字同所ヨリ十輛ノ列車ニテ 御発行、第十一字横浜鉄道館ニ 着御、 御着車ノ時国旗音楽等ノ式新橋ニ同シ 工部省長官鉄道頭先駆、供奉列ヲ正シ、乗車場ヨリ徐ニ 御進行、神奈川県令同所居合奏任官 各国領事ノ望アル者 同所ノ鉄道掛奏任官御雇外国人職長等館内ノ両傍ニテ拝迎、 県令以下式部披露 館内ヲ 御通行、便殿ニ 御着坐、供奉列ヲ始メ県令各国領事等正シク立列ス、此時外国公使祝詞ヲ上ツル、終リテ県令ヲ召ス、 式部仰ヲ奉リテ召ス 県下衆庶ヘ勅語アリテ後、外国商人頭取 便殿ノ階上ニ昇リ祝詞ヲ申上ク、外務卿 御答辞ヲ伝フ、次ニ横浜ノ我カ商人頭取祝詞ヲ上ケル、県令 御答辞ヲ伝フ、畢リテ館内楼上ノ一室ニ 御休憩
一第十二字同所ヨリ 御発車、供奉及諸式前ニ同シ、第一字新橋鉄道館ニ 還御 御着車ノ時国旗音楽前ニ同シ 直チニ同所ノ便殿ニ御着坐、供奉ノ列尽ク立列ス、奏任官亦之ニ列ス、 勅語アリ、 此時諸官員御前ニ向フ 大臣百官ノ総代ニ祝詞ヲ上ツル、終リテ衆庶ヘ 勅語アリ、東京商人頭取祝詞ヲ上ツル、知事 御答辞ヲ伝フ、後工部省長次官大少丞並局長鉄道頭及同僚ノ奏任官御雇外国人ノ職長等 式部仰ヲ奉リテ召ス ヘ 御賞詞アリ、工部省長官祝詞ヲ上ツル、各国公使ヘ 御会釈アリテ 御帰輦、夫ヨリ外国公使大臣参議勅任官工部省奏任官廷遼館ニ至ル天皇陛下ノ幸福、鉄道盛大ノ祝酒アリ


明治工業史 鉄道篇・第一二三―一三四頁〔大正一五年五月〕(DK030132k-0002)
第3巻 p.521-526 ページ画像

明治工業史 鉄道篇・第一二三―一三四頁〔大正一五年五月〕
    臨幸鉄道開行式
  明治五年壬申九月十二日天気晴朗
 天皇御道衣を着せられ、四馬の御車に召、朝第九字御出門東京府知事大久保一翁騎馬にて前駆近衛騎兵前後を警衛し、供奉の衆官亦数輛の馬車に乗じ、本式に行装にて近衛歩兵三大隊を布列したる大手より桜田御門練兵所脇左へ、幸橋外左へ同じく東京鎮台歩兵三大隊を布列したる街路御通行新橋鉄道館に行幸。門内右側に近衛歩兵一大隊を横隊に布列し、通御の節捧銃式を行ひ、刺叭オーシヤンの曲を奏し、左側に工部省判任官羽織袴にて立列拝礼す。着御より御発車の際国旗を挙げ、雅楽万歳楽を奏す。
 ○中略
 第十字 御発車。此時近衛砲兵隊日比谷繰練場に於て祝砲百一発す 但し予め鉄道官員一名を同所に遣し置旗の合図を以て発砲の時限を誤らざらしむ 又品海碇泊の軍艦二十一発づゝの賀砲を放つ。楽隊又楽を奏す。第十一字横浜鉄道館に着御。此時東京府鎮台砲隊祝砲百一発す。同港に碇泊せる軍艦亦二十一発づゝの賀砲を放つ 御着車の時国旗を掲げ雅楽慶雲楽を奏す 。工部省長官及び鉄道頭先駆供奉列を正す此所に於て出張の鉄道助 式部披露 御雇職長 工部長官披露 奉迎拝礼し、直に工部長官鉄道頭の前に分れ立ち列に加り、乗車場より徐に 御進行

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図表を画像で表示列立次第

         列立次第 一車 近衛護兵   二車 近衛護兵   三車 工部少輔 山尾庸三  橋本式部助                        鉄道頭  井上勝   四辻正三位           侍従 侍従長   侍従  同     侍医        四車 副島外務卿  侍従  御文匣    御      有栖川二品親王    三条太政大臣      西郷参議           侍従 御剣  侍従  侍従長    侍従  侍医  訳官             通弁官  ナリー、イ、ライス      書記官 シーボルト   書記官 ニコラスリウヱロ   伊太利全権公使       書記官  イクレルトデヘルソー    澳地利弁理公使     西班牙代理公使    コントアレキサンドロフヱ 米理堅同 チヤルレス、イ、デ、ロンク   ヘンリーガリツヒ   ヘクレヲロドリケセムノス     大隈参議         板垣参議             後藤議長          大木文部卿  書記官    ウイコントタリユ     五車                書記官 クリスチアン・ウイリヱム・ローシンス  右同兼通弁官 レヲン             魯西亜代理公使        同   ヱルテストサトウ  仏蘭西同   コント、ヂ、チエレン       ヱウゲニービヱツツオフ   大不利顛代理公使 アー、ジー、ワツトソン   蟻峨教部卿《(嵯峨教部卿)》                       同   マルチンドーメン   和蘭書記官                         江藤司法卿          同   エシスリー       フアンデルプルーク                              伊地知副議長  井上大蔵大輔   勝海軍大輔    宍戸教部大輔     黒田開拓次官   陸奥租税頭  山県陸軍大輔   福岡司法大輔   万里小路宮内大輔   土方大内史    西郷陸軍少輔  河(川)村海軍少輔   六車 松本司法権大判事   吉井宮内大輔   渋沢従五位  黒田教部少輔         玉乃司法権大判事   上野従五位    佐野従五位  福羽従四位     三浦陸軍少将     篠原陸軍少将  中牟田海軍少将  巌谷小内史  大久保東京府知事  島(鳥)尾陸軍少将  谷陸軍少将   野津陸軍少将   伊藤(東)海軍少将  宮内丞   七車 中山従一位   二条正二位   大原従二位    池田従二位  宮内丞      徳川従一位   松平正二位   中御門従二位   毛利従二位  沢従三位   島津従三位   池田従四位                 八車                        正使  伊王子尚建                 琉球公子   副使  宜野湾親方向有恒  亀井従三位  細川従一位          賛議官 喜屋武親雲上向維新  式部侍従               九車 式部侍従   吉井工部大丞   太田鉄道助        竹内正義 伊東勅典   大野工部少丞   正七佐安永弘行      公津直孝   下村鉄道助 



 - 第3巻 p.523 -ページ画像 
 あらせらる。道傍に神奈川県権令大江卓其奏任官 式部披露 及び出張の鉄道の判任官奉迎拝礼し、終りて県令は館内に進み、外国領事官の左に立ち、其奏任官は便宜の処に退き候す。又同所居合の工部奏任官 式部披露 御雇職 工部長官披露 館外の両傍に奉迎拝礼す。館内
 御通行の間同所居合の奏任官 式部披露 及び各国領事 県令披露 の願ふ者左右に拝礼す。便殿の御椅子に 御腰を居させられ、供俸例《(奉列)》を始め、県令各国領事等正しく左右に立列す。此時中外衆庶へ 勅語あり
 東京横浜間の鉄道朕親ら開行す。自今此便利に依り、貿易愈繁昌庶民益富盛に至らんことを望む。
 次に外国公使祝詞を奉る。伊太利全権公使コントアレキサンドロフエ之を奏す。其訳文に曰、闕下に拝奏す今日の大典に列せしめんため恭しく
陛下の寵呼を蒙り、公使一列斉しく其誉を受る限りなし。今此鉄道の首線を開くの祝典は美政の光運玆に発見せる所以にして、而かも 貴国の此より駸々歩を進め、照然たる文明の域に伍列するの徴験なり。予輩も近年親しく見聞を経、且、欧米両洲に於ても深く心意を注ぎたる此の如きの大業を
陛下及諸政官の黽勉止むことなきの偉力を以て忽ち成功に至らしめたり。仍て庶希くは衆庶之より尚幸に物足り性修まり、福禄益増進し全国の威力も其栄誉も共に成隆の地に至らんことを、是れ各国公使一列の均しく
陛下に切実欣希し奉り、併せて敬意と賀悃を呈奏する所なり。即ち勅答あらせられ、
 我国鉄道の首線を開行するの日に方て、列国公使等斉しく来て祝意を表せらる。朕欣喜の至に堪へざるなり。朕更に庶幾くは自今中外人民共に鴻利を享け、永く幸福を保ち、公使等の祝詞に負かざらんことを祈る。
 次に外国商人頭取便殿の階上に昇り、英人マルシヤル惣代として祝詞を奏す。其訳文に曰、
 曾て 帝国の恩恵を蒙り、其政府の保護を受け、以て横浜に覊住する各国人民今幸に
天皇陛下照臨の機に際し、甚だ歓喜に堪へず。殊に 帝国史伝にも未だ曾て有らざる鴻益緊要なる此機会に臨み衆庶に代りて今其慶賀を陛下に謹言す。既に鉄道を開行せし国に在り、其便宜に因て許多の利益を得たり。則ち其国繁栄を生じ、阻礙を脱却し、之が為隔絶地も自から近隣の如く、従つて財貨を起し、普く利潤を分つの益あり。
 今日右開行の時に当り
天皇陛下親ら照臨し賜ひしは豈隆盛ならざるべけんや。
天皇陛下今此規式に照降し玉ひしかば諸民も此大業に感激し、後来の繁栄を醸成するに至らん。貴国政府の開化たる此大業を既に開行し賜ふ上は、未だ其衆益弁利を暁知せざる者も、之が為め終に開化の域に至り、此の如き大業益広大愈進歩せんこと敢て疑を容れざるに至り、国中専ら勉励し平和繁栄を起すこと疑なきを知れば、今 帝国の商法を広大に為し、永世不抜の基礎を立てんと、帝国自から
 - 第3巻 p.524 -ページ画像 
尽力されんことを希望す。
 然る時は
陛下の権威益輝き、貴国人民の安寧を増し、貴国政府と各国政府との友誼愈親睦広大なるに至るべし。
天皇陛下国家の為め公工を施行し玉ひし赫々たる叡慮普く国中に彰明し、貴国人民も深く之を感佩し、其御趣意に感激し、歓喜正に溢れんとす。外国より此景況を観る時は誠に
帝祚の殷富洪福なるを証するに足るべし。玆に此協和繁栄の人民に対し、此の如く深恵の公工を作し賜ふに当り
天皇陛下の宝寿長久繁蕃にして、其成課叡覧し賜はんことを、誠惶懇願するを容れ賜ふべし。在横浜千八百七十二年第十月十一日
 奏し畢りて、副島外務卿仰を承りて御答辞を伝ふ。
 横浜居留の外客より今呈奏せる趣を朕聴納して深く嘉悦す。
 我帝国に住せる人は元より、此地に生れ出たる者も仮に此地に寓せる者も、偶然此地に来会せるも、自ら好んで航渡せるも、保護に泄れず権義を失せず、康福今より猶進まんとす。且、我が国歩をして文明に向はせんと猶此事業を盛大にし、既に両間に存せる和楽の交誼の永く続かん其限りは、中外の人民をして洽く提撕の下に在らしめん。
 次に横浜の我が商人頭取等進んで祝詞を上る。惣代として原善三郎之を奏す。其文に曰、
 方今皇国隆運の勃興に際し、聖徳洪荒の表に洽被し、当横浜の如きは日に繁華に赴き、諸商も栄昌に至り、且つ郵便行はるゝ以来、四方の通信自在を得、就中鉄道の成功に及び、隔地も比隣の如く、東京往復は一日数回に至れり。而して輜重の運輸も之に准ぜり。右は文明各国中の最巧奇機にして、近頃之を 皇国に伝へたり。其神速便捷にして、貨則を興し、利潤を生ずる、誠に口舌能く尽せる所に非ず。殊に当港は貿易首場の地なれば、商旅の者共其仁恩を蒙る亦た甚だ夥し。抑 皇国の開化に赴ける、僅に数年の前に基ゐせり。
 然るに夙く斯る盛大の偉業を開かせられんこと、既に各国人も欽称嘆美して措かざる所なく、尚此上 宝祚の悠久に従ひ、殷富洪福の基礎を興立し、永世不抜の事業を成就し、五洲万国に卓立傑出せんこと必せり。衆庶一般今日に在つて将来を想像し奉り、奮激勉強せんと欲す。実に剖判以来未曾有の 御鴻徳にして慶賀に余り有り。就ては今般御照臨の折柄港内衆庶聊か敬祝の儀を表し、一同歓楽を縦まにし、恭しく 宝祚の万々歳を寿し奉り賤民等衆庶に代り、謹て祝辞を奉る。恐惶恐懼。謹言
 神奈川県権令大江卓 御答辞を伝ふ。
 祝詞喜はし。汝等自ら其意を体し、其功を奏せよ。
 畢りて館内楼上の一室に 御休憩あらせらる。第十二字同所御発車 供奉及其他の諸式前と同じく雅楽陵玉を奏す 第一字新橋鉄道館に
 還御あらせらる 同じく国旗を挙げ雅楽還城楽を奏し楽隊亦楽を奏す 直ちに 御車より下らせられ、工部長官、鉄道頭前駆徐々 御進行便殿に設けある所の御椅子に 御腰を居させられ、供奉の列及び奏任官等左右に立列し、御前
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に向ふ。此時百官へ 勅語あり。
 今般我国鉄道の首線工唆るを告ぐ。朕親ら開行し、其便利を欣ぶ。
 嗚呼汝百官此盛業を百事維新の初めに起し、此鴻利を万民永享の後に恵まんとす。其励精勉実に嘉尚すべし。朕我国の富盛を期し、百官万民の為之を祝す。朕更に此業を拡張し、此線をして全国に蔓布せしめんことを庶幾す。
 太政大臣三条実美百官の総代として祝詞を奏す。其文に曰、
 東京横浜の間鉄道の工成り、爰に我
天皇陛下群臣を率て親臨其開業を落す。臣等 此盛典に於て謹んで一辞を奏し、之を祝す。抑国益を興し、民利を与ふるは、経世の要治国の務とす。
陛下大政維新の始より夙夜励精、百度皇張、大に更始する所ありて、全国の景象漸く昌盛の運に進まんとす。乃ち此工業の如き、国に益あり、民に利なる、固より言を俟たす。是偏に
陛下の励精と群臣の協力とに由れり。臣等 更に望むらくは此挙を首歩とし、其大益厚利を全国に洽からしめ、人民をして永世感戴して不朽に伝へしめんことを。
 奏し了て再拝本位に復る、此時衆庶へ勅言あり 文横浜の勅語と同じ 即ち東京商人頭取斉しく進んで祝詞を上る。三井八郎右衛門之を奏す、其文に曰
 己巳の春東京を 帝都と御定め 御遷座遊ばさせられし以来、官能く束縛の政を解き、民自ら自由の権を得るの勢ひ日に進み、保護を蒙り生業を安ずるは、全く上 至尊より下庶人に至るまで、共に天賦の福を亨け、共に地有の利を分たんとの厚き 御仁恵なること言はずして明なり。恐ながら其美挙屈指に遑あらざる程多き中に、今般東京横浜の間鉄道成れりとて、忝も 幸臨ましまし御躬親ら之を開せられ、其大典の縦観を庶人に恩許あるのみならず、勿体なくも有難き 勅言を賜ること、我国千古未曾有の成業を開御の機に当り、又千古未曾有の慈心を示し賜ふ。衆皆手の舞ひ足の踏むを知らず、熟ら鉄道の利を惟るに、東京横浜の間僅に一日の里程を隔つるすら、従来人の往還、物の運輸障碍少からざりしに、今や之を瞬間に縮め、貿易は勿論諸事便を得ること多し。況や此線全国に蔓布するの日に於て乎。其便に依りて人皆遠隔の地を近隣の如く自在に往復するを得、国民和親の情因て厚く、財貨融通の便因て大ならんこと、更に疑を容れず。終には挙国協力同心して商の業を盛に興し、国の富を大に進め、以て有名の外国と峙立するの基とならん。此盛業を朝政一新国事多端の央に興し賜ひ、奉命の官員勉力して急に其功を奏するは全く奇巧の機関人智より出世上の便を助くることを我等衆庶に示し、頓に愚昧の夢を醒し、漸く人知を開き、普く文明開化の域に至らしめんとの厚き 御意ならんと唯感泣の外はあらず。嗚呼我等衆皆何の幸か此の如き明徳を備へさせらるるの君を戴き、此の如き鴻恩に浴するの民となること、豈千歳の一遇に非ず乎。然らば我等衆皆愚蒙と雖も、而今憤発し協力同心して以て我国益の一端をも助け奉り、此鴻恩の一毛なりとも酬い奉らずんばある可らず。故
 - 第3巻 p.526 -ページ画像 
に今爰に数行の賀言を叙べ、以て
天皇陛下の明徳億万世の下に垂れ、我億兆の民余慶を蒙らん事を謹んで仰ぐ。君万歳 君万歳
 東京府知事大久保一翁仰を承け、御答辞を伝ふ
 祝言喜ばし汝等自ら其意を体し其功を奏せよ
 次に式部仰を承て、工部長官次官大少丞及び局長並に鉄道頭同寮の奏任官御雇職長を召す。一同拝進此時
 御賞詞あり。
 汝等殊に勉力事に従ひ、遂に此功を奏す。朕満足の至に堪へず。且是れ外国人の職長等熟練の 力に依る、朕之を嘉賞す。
 衆官祝詞を上る工部少輔山尾庸三之を奏す。其文に曰。臣等誠恐謹言す今般東京横浜間の鉄道成功に因り
天皇陛下 臨幸大に開行の典を挙げさせられ、百官万民に勅宜の後、当承の官員奨労の綸諭を蒙る。臣等幸に聖時に遭逢し、盛儀に拝列し、又此 恩諭を蒙り、歓忻悚懼並至り、感激に堪へず候。臣等恭しく恩惟仕候に、抑此大業の竣功を得たるは其始め二三の重臣衆口を顧みず、苦慮建議を致せしと
陛下の叡智明断とに因り、太政維新国事多端の際に於て、此大工作を創起せられ、大蔵又能く広費を度支して竟に此首線を成就し、始て鉄道の至便を衆庶に明示するに由り、朝野挙て此鴻業の興隆を企望するに至る。是全く
陛下の大仁等しく即ち万民の幸福なり。臣等叨りに微労を有して敢て恩賞に当らんや。更に今又其盛典を挙行せらるるに当り
陛下皇国の富盛を期し、此線を全国に蔓布せんことを庶幾し給ふ旨
 勅諭有らせられ臣等愈感励に堪へず。更に夙夜努力して此鴻業皇張の時に迨びて、聖恩の万一に報ぜんことを期すべく候。仰ぎ願くは皇国の工事日月に盛大を成して、聖旨速かに貫徹し、愈国益を興し、愈国民を利して
陛下の大功徳を万々歳に垂示し給はんことを。臣等誠恐誠恐謹言
 畢て長官鉄道頭前導、徐々御進行、衆官及び外国公使等正列随行、最前の所に於て外国公使へ御会釈あり。一列欄廊に奉送す。是より馬車に召させられ 還幸夫より大臣参議諸省勅任官工部省奏任官及外国公使等延遼館に至り、
天皇陛下の幸福、鉄道盛大の祝酒あり。
  ○明治二年十一月鉄道起業ノ廟議決シ、先ヅ東京横浜間ノ起工ヲ令シ、三年三月民部大蔵両省所管ノ下ニ鉄道掛事務局ヲ創置ス。同年閏十月二十日工部省設置セラレテヨリ鉄道ハ該省ノ管掌スルトコロトナル。四年八月横浜機関車庫落成、五年五月七日品川横浜間仮開業、同年九月十二日開業式臨幸アリ。(始メ予定九月九日是日ニ延期セラル)翌十三日ヨリ新橋横浜間運輸開始ス。
  ○列立次第ハ鉄道寮事務簿ニモ記載サルヽモ明治工業史ニ詳細ニ載ルガ故ニ後者ヲ採ル。


鉄道寮事務簿 第八巻(DK030132k-0003)
第3巻 p.526-528 ページ画像

鉄道寮事務簿  第八巻           (鉄道省所蔵)
 - 第3巻 p.527 -ページ画像 
    ○
旧冬佐野大丞ヨリ渋沢大丞江御引合申候横浜鉄道線野毛浦埋立地代金七万六千三百両差引之義京屋清七ト旧臘談判及ヒ候次第ハ、其節両同人《(マヽ)》より委詳申進候通ニ而、右は夫々午年中下ケ渡可申処、当今迄打過居候義ニ而、全ク別廉ニ付、当省定額金外ニ御心得有之度候
猿江木蔵ヨリ請取相成候鉄道寮用木材代金弐万四千四百両、去未十月前迄之分ニ而、全ク定額外之義ニ付、更ニ御渡有之度、尤前両条共請取之上直ニ御省ヘ返納取計候義ニ付、右弐廉拾万七百両当省遣払相建被成度候、此段及御掛合候也
  壬申正月十八日           山尾工部少輔
    井上大蔵大輔殿
  追而本文京屋清七利足等之義ハ、佐野大丞ヨリ御引合申候事ニ而同人義当時在出中ニ付、帰京之上猶御面悟可申義と存し候、此段も兼而申置候也
    ○
横浜鉄道線野毛浦埋立地代金七万九千弐百四拾五両永弐百弐文四分ヲ以御買上、右代金之内貸下金七万六千三百両差引之儀京屋清七江旧臘御談判相成、右者去々午年中下ケ渡し可申処、方今迄打過居候儀ニ而全ク別廉ニ付、定額金之外ニ渡度旨御申越、然ル処去ル十二月廿九日御省江清七御呼出し、前書之金高ヲ以地所御買上之積其節御取極之趣を以同人より差出、同日附之請書写等御達し有之候儀ニ而、仮令前年中予約有之候とも取極之期ヲ押へ候儀ニ付、定額金外ニは難相立儀ニ有之、且猿江木蔵より御請取相成候木材代金弐万四千四百両去未十月前定額外ニ付更ニ請取度趣御申越之処、右者御省出納掛リ江出納寮より突合之廉及往復候通辛未十月以後渡方之分ニ付、是又前同様定額之内ヲ以仕払候儀と御心得可有之、此段回答およひ候也
  壬申二月廿七日
                     井上大蔵大輔
    山尾工部少輔殿
    ○
横浜表京屋清七埋立地鉄道御用相成候ニ付、右入費金下ケ渡之儀神奈川県ヨリ申立候趣有之、去午五月中金壱万五千両同県江下渡相成居候処、右埋立地之儀者今般金七万九千両余ニ而御買上相成候地坪之外ニ候趣過日御面話之節承知致し候処、右は弥其通相違無之哉、此段及御問合候也
  壬申二月八日             渋沢大蔵大丞
    佐野工部大丞殿
  猶々前書七万九千両余之分も利足歩合之儀ニ付過日御示談有之候処、其後御申越無之、右は如何之御都合ニ候哉、乍序申入候也
    ○
横浜表京屋清七埋立地鉄道御用相成候ニ付、右入費金神奈川県ヨリ申立之趣も有之、去々午五月中金壱万五千両同県江下渡相成居候処、右埋立地之義ハ先般金七万九千両余ニ而御買上相成候地坪之外ニ候哉御問合之趣致承知候、右は過日御面談申候通先般鉄道之為メ御買上相成
 - 第3巻 p.528 -ページ画像 
候七万九千両丈ケ之地坪は、横浜出張出納え《(寮脱カ)》御請渡之金七万両元利ニて引合相済、壱万五千両は全ク其外ニ相成申候、尤鉄道線路は右柵出来外道敷地料御用《(マヽ)》ニ可相成分モ有之赴ニ付、壱万五千両之差引等は同県江御打合相成度候 ○下略
右御回答旁申進候也
  壬申 三月二日            佐野大蔵大丞
    渋沢栄一殿
   ○工部省ト大蔵省トノ往復文書中、定額ニ関スル件ニツイテハ、本書二三四頁(明治四年八月)及六二九頁(明治五年一一月二八日)ノ項ヲ参照スベシ。