デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.654-658(DK030144k) ページ画像

明治六年癸酉一月十二日(1873年)

一月十二日

是ヨリ先、五年九月十八日工部少輔山尾庸三関西鉄道会社ノ資金ヲ工部省ニテ借上ゲ、京阪間ノ鉄道ヲ建築センコトヲ正院ニ建議シテ、許可セラル。栄一之ヲ以テ大蔵省ノ権限ヲ冒シ、会計ノ事務ヲ紊スモノト為シ、正院ニ抗議ス。是日正院ヨリ自今鉄道ノ建設ハ民間会社ニ一任シ、其会社設立取扱方ヲ大蔵省ニ委任スベキコトヲ発令ス。尋イデ同年十二月二十八日大蔵省ノ稟申ニ因リ関西鉄道会社遂ニ解散セシメラル。


■資料

工部省記録 第一巻(DK030144k-0001)
第3巻 p.654-655 ページ画像

工部省記録  第一巻            (鉄道省所蔵)
  国勢開化ニ進歩シ人心鉄道ノ便ヲ暁リ、現在鉄道建築ノ為メ已ニ会社ヲ結ヘル西京会社ヲ始、其他会社願出ノ者比々有之、然ルニ西洋各国に於テ従来電線鉄道ノ義ハ人民ニ相任セ、会社持ニテ仕来リ候得共、人事ヲ便ニスルハ固ヨリ国民保護筋ニテ、会社持ニテハ種々差支等有之、政府持ニ無之テハ不相叶儀ニ付、近来英仏米等専ラ買上ノ儀差起リ、既ニ英国ニ於テハ従前会社持ノ電線ヲ莫大ノ価金ヲ以テ買上候趣ニ候、御国内ノ儀ハ今日ヨリ創始ノ儀ニテ、一旦人民ニ渡候テ又買上候様ノ儀ニテハ不体裁ニ付、幸ヒ
 - 第3巻 p.655 -ページ画像 
使節モ当時洋行中ニ候得ハ、夫是参考帰朝ノ上見込可申立候得共夫迄ノ処鉄道ノ儀ハ大段ノ費用ニ候得ハ、当今御費用多端ノ折柄夫々御行届モ不被為在儀ト被存候、依之今後願出候会社金ヲ当省ニ於テ年七銖ノ利付ニシテ借リ上ケ、建築致シ、追テ竣功開業ニ至リ候節ハ、運輸入金ノ内ヨリ七銖ノ利並運輸修補其外一切諸費ヲ引去リ、全ク利益金三分ノ一ヲ右会社ヘ被下置候事ニ致シ度、尤モ二十ケ年後ハ、当省都合ニ因リ元金悉皆下ケ渡シ候節ハ、会社ニ於テ右鉄道ニ聊関係無之事ニ定約致置候ハヽ、全ク会社金ヲ借上ケ、政府ニ建築致候儀ニテ、他日御評議ニ因リ如何様ニモ取計出来可申、御時節柄適宜ノ儀ト被存候、右ニ付諸手続等ノ儀ハ追々取調差出シ可申候得共、先見込ノ大意相伺候也
    壬申九月十八日《(明五)》
                 工部少輔 山尾庸三
    正院御中
  追テ利益金半方被下置度趣申聞候会社モ有之候ニ付、時宜ニ因リ右様取計候儀モ可有之、此段前以申上置候也

  書面之趣可為伺之通候条、官民約束之際将来之弊害無之様方法相設、手続規則等巨細取調、尚可伺出事
    壬申十月十四日 正院之印


渋沢子爵家所蔵文書(DK030144k-0002)
第3巻 p.655 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書
 写出来 渋沢閣下
別紙写之通工部省より伺出候所朱字之通御差図相成候条為御心得此段申入候也
   壬申十月十四日               史官
    大蔵大小丞
            御中
 ○別紙伺書及指令写前掲本文ト同ジニツキ略ス


青淵先生伝初稿 第七章五・第五〇―五二頁〔大正八―一二年〕(DK030144k-0003)
第3巻 p.655-656 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章五・第五〇―五二頁〔大正八―一二年〕
○上略
然るに同年九月山尾工部少輔は正院に上書して、「鉄道会社金は当省に於て、年七朱の利付として借上げ建築致し、追て竣功開業に至り候節は、運輸入金の内より七朱の利並に運輸修補其外一切の諸費を引き去り、全く利益金三分一を右会社へ被下置候事に致し度し」と請へり、これ鉄道経費収支の権を工部省に収めんとするなり。十月十四日正院は之を許可し、旨を大蔵省に伝ふるや、先生大に驚き、かくては大蔵省の権限を冒し、会計の事務を紊乱するものなりとて、正院に抗議して曰く、「鉄道建築の工事に於ては素より同省の主任に付、敢て贅言は不仕候得共、人民の資金を湊合し、償還の利子に界限を設け、且つ其利益をも附与可致との義は、会計上に於て官民結約の筋にも有之右等悉く工部省の所轄に帰し候ては、終に会計の派脈相分れ、到底の
 - 第3巻 p.656 -ページ画像 
御都合如何可有之哉。若又右辺の事務に於ては、敢て工部省而已に御委任無之同省見込尚申立候上にて、当省へも御下議可相成との高案に候はゞ、当省打合の上可申出、工部省へも御指令相成、当省へも御沙汰有之候はゞ、工事に属するは同省の審案に帰し、会計に関するは当省の所見を以て、夫是協同熟議いたし、却て両省の際に於て事務煩冗の患無之哉に被存候、右は大事業に付、定て充備の御目算も可有之候得共、為念此段相伺候也」と。政府先生の言を納れ、会社金の借入を工部省に委ぬることを中止せり。さて会社は初は単に鉄道会社とのみいへるを、鉄道の起点も会社の所在も京都にあるが故に、其株券には西京鉄道会社と記し、又西京鉄道株といひしを、六年五月に至りて関西鉄道会社と改称せり。此月先生は辞表を捧げ、参議大隈重信大蔵省事務総裁となり、十四日には先生等の辞任となりたれば、此後の処分は挙げて大隈の手に移りしが、同年十二月、将来見込の募金おぼつかなく、成業期し難しとの理由を以て、会社を解散せり、之が為に政府の損失は、五十余万円に及べりといふ。


工部省記録 第三巻(DK030144k-0004)
第3巻 p.656 ページ画像

工部省記録 第三巻              (鉄道省所蔵)
                        工部省
鉄道取建之儀自今人民会社へ被任、右会社取結方等之義ハ大蔵省へ御委任相成候条、其旨相心得可申、先般伺出之書面ハ難被及御沙汰候事
 但建築取掛居候分ハ是迄之通可心得事
  明治六年一月十二日             太政官
別紙写之通大蔵省ヘ御達相成候条、為心得此段相達候也
  明治六年一月十四日               正院
        工部省

(別紙)
                      大蔵省
鉄道取建之儀、自今人民会社ヘ被任、右会社取結方等之儀者其省ヘ御委任ニ相成候条、規則方法取調可伺出事
  明治六年一月十二日


大隈侯爵家所蔵文書 【拝稟、昨日参殿奉願置候…】(DK030144k-0005)
第3巻 p.656-657 ページ画像

大隈侯爵家所蔵文書
拝稟、昨日参殿奉願置候各省定額公達並鉄道之義民費ニ御決定、会社方法大蔵省へ御委任之件、及司法裁判所御引戻之件ハ、何分今日公書御達下御坐候様奉願候
井上も例之通之切迫家ニ付、もし延引候ハヽ亦別段之懸念を起し、遂ニ紛紜を増し候而已と存候間、偏ニ御高配奉祈候、各省定額之内月給拾三ケ月割之処、御改暦にても前議同様可相成義ハ奉命可仕候へとも鉄道之事司法定額之事 ○中略 は明瞭ニ御達御坐候様仕度奉存候、夫是尚参朝ニ而申上候方可然候ハヽ、御沙汰次第可罷出候間、何分にて今日御下命之程奉仰候 頓首敬白
  一月十二日
                      渋沢栄一
    大隈閣下
 - 第3巻 p.657 -ページ画像 
  ○上掲資料ニ見ユル如ク正院ハ六年一月十二日附ヲ以テ「鉄道取建ノ儀自今人民会社ヘ被任右会社取結ノ儀ハ大蔵省ヘ御委任相成候」ト通達シ、以テ私設会社ニ関ル事務ハ大蔵省之ヲ主管スベキコトヲ明カニセリ。斯クシテ会社事項ハ大蔵省ノ主管ニ帰シタリシガ、畢竟会社ノ設立ガ資金調達ノ点ニ於テ政府ノ財政ニ関係スル所大ナル故ニ斯ク定メラレタルモノナラン。シカモ鉄道会社ニ関スル事項ハ政府ノ財政ニ関係ナキ限リ依然工部省之ヲ掌リ現ニ七年十一月及十二月ニ於ケル大阪堺間鉄道ノ請願ハ同省之ヲ受理シ太政官亦同省ヲシテ之ニ指令セシメタリ。後九年ニ至リ太政官ハ会社ニ関スル取扱ヲ明示スルノ必要アリトシ、六月十九日第六十六号達ヲ以テ鉄道其他ニ関スル会社設立ノ請願ハ工部省之ヲ主管スベキコトヲ定メタリ。是ニ於テ主管事務ノ範囲法文上ニ於テ明確ニ帰シタリ。
   其達ニ曰
   第六十六号                   使府県
   鉱山鉄道電信灯台等ニ係ル会社設立願出候節ハ自今工部省ヘ可何出此旨相達候事
    明治九年六月十九日        (日本鉄道史ニ依ル)
  ○京都大阪間鉄道建築予算ハ其後明治六年三月四日工部省ノ調査報告書ニ拠レバ総計百五十六万四千五百十弗ニ増加セリ。(工部省記録第一巻)依テ鉄道会社ハ同年五月三十日大蔵省ト契約ヲ結ビ、前年ノ会社規則書ノ条件ヲ変更シテ年利七分ヲ以テ出資シ、益金ハ之ヲ折半スルコトヽナレリ。此時ハ既ニ栄一退官ノ後ニシテ、爾後大蔵省事務総裁大隈重信ノ所管スルトコロトナリシモ同年十二月遂ニ会社解散スルニ至レリ。日本鉄道史上篇・第一二三―一二八頁ヲ参照スベシ。



〔参考〕鉄道寮事務簿 第十一巻(DK030144k-0006)
第3巻 p.657 ページ画像

鉄道寮事務簿 第十一巻
  関西鉄道会社之儀ニ付伺
関西鉄道之儀去壬申十月以来京都府申請之趣も有之、工部省ヘ協議之末、会社取結資金相募、費額百六十万金ヲ以建築需用ニ相供候筈ニ而其方法規程は工部大蔵両省京都府並会社之者共予定書取調、本年五月中相伺御許可相成候付、右会社規則取調、是又稟請可致心得ニ有之、種々精思熟案致候折柄、頃日西京方景況日々衰弊ニ赴キ、彼地限リ会社募金之儀実際如何可有之哉、強て人民不得意之築費ヲ募り、枉て会社不応力之事務を課し候様ニ而は、到底成業難期、就而は是迄之方法ニ而は将来見込通之募金は無覚束候得は、此際右会社は断然解散為致更ニ工部省へ協議之上、適当之別法を設け、建築相成候様致度、然処右会社之義は当初説諭誘導上より結約予定相調候義ニ付、是迄之失費ニ対し、今般解散為致候節ハ、壱万金乃至壱万五千金御下渡相成可然猶建築費額募り方別法之義は、追而精細ニ取調具陳可致候、此段相伺候也
  明治六年十二月廿四日
                      大蔵卿 大隈重信
    右大臣 岩倉具視殿
  (朱書)
  伺之通
   明治六年十二月廿八日


〔参考〕工部省沿革報告(明治前期 財政経済史料集成 第一七巻・第一五二頁〔昭和六年九月〕)(DK030144k-0007)
第3巻 p.657-658 ページ画像

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