デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.661-662(DK030146k) ページ画像

明治六年癸酉一月下旬(1873年)

租税頭陸奥宗光ト共ニ富岡製糸場ヲ視察シ、租税権大属尾高惇忠等ヲシテ該製糸場ヲ管セシム。


■資料

富岡製糸場記 【渋沢子爵家所蔵】(DK030146k-0001)
第3巻 p.661 ページ画像

富岡製糸場記              (渋沢子爵家所蔵)
明治六年一月下旬、三等出仕大蔵少輔事務取扱正五位渋沢栄一、租税頭正五位陸奥宗光来リ、繰糸就業ヲ視、庶務ヲ聴断シテ返ル


富岡製糸場記 【原製糸部所蔵】(DK030146k-0002)
第3巻 p.661 ページ画像

富岡製糸場記               (原製糸部所蔵)
六年一月下旬
 大蔵少丞渋沢栄一既ニ正五位ニ叙セラレ三等出仕ニ遷リ、大蔵少輔事務取扱ヒヲ以テ正五位行租税頭陸奥宗光《(マヽ)》ト来テ繰糸就業ヲ視、庶務ヲ切断《(マヽ)》シテ帰リ、租税権大属尾高惇忠、中属佐伯秀明、少属出野経迪等ト共ニ此場ヲ管セシム。尾高惇忠ハ即故ノ民部庶務少佑ナリ。場ノ建築凡ソ二年ヲ経テ始テ成レリ。


富岡製糸場史(DK030146k-0003)
第3巻 p.661 ページ画像

富岡製糸場史             (原富岡製糸所所蔵)
  三 政府経営時代
明治六年一月、大蔵少丞渋沢栄一、租税頭陸奥宗光ト共ニ来リテ繰糸就業ノ状況ヲ視察シテ帰リ、租税権大属尾高惇忠、中属佐伯秀明、小属出野経迪ヲシテ此ノ場ヲ管セシムルニ至ル。同時ニ陸奥租税頭ハ富岡製糸場伝習生徒ノ誓書ヲ定メテ各誓書ヲ出サシメタルガ、当時入場ノ伝習生徒十二名ニ過ギザリシト云フ。
  ○誓書ニ関シテハ、明治三年閏十月七日ノ条ヲ参照スベシ。


雨夜譚会談話筆記 下・第五九五―五九六頁〔昭和二年十一月―五年七月〕(DK030146k-0004)
第3巻 p.661 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  下・第五九五―五九六頁〔昭和二年十一月―五年七月〕
陸奥宗光氏との御関係に就て
○上略
篤二「陸奥さんは古河さんとは何んな関係から懇意になつたので御座いますか」
先生「二人が柳橋で一処に遊んだと云ふやうな事が初めである。明治五年だつたか陸奥さんと私とが富岡の製糸場を見に行つた時、古河氏を連れて行つて、先方で馬鹿騒をした事がある。古河氏はあの時大変閉口して『もう貴方々の御伴は懲り懲りだ』とこぼして居た」
   ○此時古河ヲ同伴セシ理由ハ明カナラザレドモ、栄一ノ「備忘日録」ノ五年四月十二日ノ条ニ「小野善助富岡製糸場用達之事」ナル一節アルヲ以テ察スルニ、小野組ノ番頭ナル古河ヲ同伴セルハ私的ノ理由ニ非ザルベシ。



〔参考〕渋沢栄一 書翰 大久保利道[大久保利通]・伊藤博文宛(明治六年)一月一五日(DK030146k-0005)
第3巻 p.661-662 ページ画像

渋沢栄一 書翰 大久保利道[大久保利通]・伊藤博文宛(明治六年)一月一五日 (伊藤公爵家所蔵)
〇本文略(前出)
  第一月十五日夜
                             (朱印)
                       渋沢栄一拝具
    大久保大蔵卿閣下
    伊藤工部大輔閣下
 - 第3巻 p.662 -ページ画像 
○中略
 伊藤閣下御骨折之繰糸場も漸其功を竣メ、新糸出来いたし候ニ付博覧会へ差出候積ニ御坐候
 (行間行書)
 「陸奥同行近日発程、一覧之心得ニ御坐候」 ○下略
   ○コヽニ言フ博覧会トハ此年オーストリア首府ウイーンニ開催セラレタル万国博覧会ヲ指ス。