デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.693-699(DK030150k) ページ画像

明治六年癸酉三月三十日(1873年)

是ヨリ先、明治三年十二月在米大蔵少輔伊藤博文公債証書発行ノ議ヲ建ツルヤ、之ヲ担保トシテ銀行紙幣ヲ発行セントス。栄一等評議ノ結果公債証書ヲ発行シテ之ヲ其所有者ニ交付スルト共ニ、之
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ヲ抵当トシテ銀行紙幣ヲ発行セシムルコトトナシ、国立銀行条例稟議ノ翌日引続キテ之ヲ稟議シ、是日金札引換公債証書発行条例公布セラル。


■資料

青淵先生伝初稿 第七章五・第一二―一七頁〔大正八―一二年〕(DK030150k-0001)
第3巻 p.694 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章五・第一二―一七頁〔大正八―一二年〕
銀行条例に規定せる銀行より政府に納入すべき公債証書とは、即ち金札引換公債証書の事なり。今其発行の由来を按ずるに、明治の初年より世上に流布せる太政官札は、始め不換紙幣たりしが、同二年五月二十八日の太政官布告によりて、正貨兌換の性質に変化すると共に、明治五年を期して其引換を完了し、引換未了の者へは年六分の利子を附すべきことを天下公衆に予約し、尋で発行せる民部省札も亦之に均霑するの定めなりき。然るに新貨の鋳造意の如く進まざるのみならず、其鋳造せるものも直に之を支出に用ゐて、官省札を回収する余裕なき財政状態なりしかば、明治四年十二月二十七日に至りて、更に新紙幣の発行を布告せり。即ち此新紙幣を以て、官省札及び藩札と引換ふべき定めにて、正貨兌換となれる官省札は、再び変じて紙幣交換の性質を帯ぶることゝなれり。然れども二年五月の公約を全然放棄するは、政府の威信に関するが故に、時機を待ちて之を決行せんと欲したれども財政の不如意は尚依然たれば、期限と定めたる明治五年に入りても、正貨兌換の実を挙ぐること能はず、此に於て官省札を公債となすの議起る。
初め伊藤博文が公債証書発行の議を建つるや、之を担保として銀行紙幣を発行せんとするの意あり、されば大蔵省の評議も、銀行制度の採用と関聯して之を審案せしが、四年の夏に至り、ほゞ其発行を決定せり。然れども未だ発行に関する成案を得ず、官省札の処分につきても正金との兌換は行ふこと能はず、さりとて官省札の所有者に対して年六分の利子を支払はんとすれば、当時巨額の流通高に上り、且つ各所に散布せるが故に容易の業にあらず。此を以て先生を始め省中の評議は、公債証書を発行して之を其所有者に交付すると共に此公債を抵当として銀行紙幣を発行せしむることゝなし、銀行条例稟議の翌日、引続きて之を稟議せしに六年三月三十日に至り、遂に金札引換公債証書発行条例を公布せられたり。即ち官省札及び新紙幣を引換回収せんが為に発行せる証券にして、記名公債証書・利札附公債証書の二種あり利子を年六分と定めたるは二年五月の約束に従へるなり。而して此金札引換公債証書を抵当として銀行紙幣を発行せしむることは大蔵省当事者の意見なりしかば、銀行条例の規定には単に政府より発行せる公債とのみありて、公債の種類を限定せざりしが、此後は金札引換公債証書を抵当物たらしむるに決したり。


明治財政史 第八巻・第六六―七四頁〔明治三七年一二月〕(DK030150k-0002)
第3巻 p.694-699 ページ画像

明治財政史 第八巻・第六六―七四頁〔明治三七年一二月〕
    第二款 金札引換公債
金札引換公債ハ明治維新ノ際発行シタル太政官札、及民部省札並ニ維新後ニ至リテ発行シタル新円札即チ新紙幣ヲ引換回収スルカ為メ証券ヲ発行シタルモノニシテ、財政整理ノ為メ起シタル公債ナリ、今其起
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債ノ由来ヲ繹ヌルニ維新ノ初、兵馬倥傯、加フルニ百事頽廃ノ余弊ヲ承ケ、内治ノ費、軍国ノ用計ラレス、然ルニ当時政府ノ歳入ハ猶未タ多カラスシテ到底此等ノ費用ヲ支弁スルコトヲ得サリシヲ以テ、政府ハ財帑ノ欠乏ヲ補充シ、併セテ国内殖産ノ資本ヲ供与シ、以テ世上一般ノ困厄ヲ救済セント欲シ、一時ノ権宜ヲ以テ金札ヲ発行スルノ議ヲ決シ、明治元年閏四月十九日付布令ヲ以テ太政官札ヲ発行シタリ、其布令ハ即チ左ノ如シ
  皇政更始ノ折柄富国之基礎被為建度衆議ヲ尽シ一時ノ権法ヲ以テ金札御製造被 仰出世上一同之困窮ヲ救助被遊度 思召ニ付当辰年ヨリ来ル辰年マテ十三ケ年間 皇国一円通用可有之候御仕法ハ左之通相心得可申モノ也
   但通用日限ノ儀ハ追テ可被 仰出候事
  右之通被 仰出候間末々迄不洩様其向々ヨリ早々可相触候事
  一金札御製造ノ上列藩石高ニ応シ万石ニ付一万両ツヽ拝借被 仰付候間其筋ヘ可願出候事
  一返納方之儀ハ必ス其金札ヲ以テ毎年暮其金高ヨリ一割ツヽ差出シ来辰年迄十三ケ年ニテ上納済切ノ事
  一列藩拝借ノ金札ハ富国ノ基礎被為建度 御趣意ヲ奉体認是ヲ以産物等精々取建其国益ヲ引起候様可致候
   但シ其藩ノ役場ニ於テ猥ニ遣込候儀ハ決シテ不相成候事
  一京摂及近郷ノ商賈拝借願上度者ハ金札役所ヘ可願出候金高等ハ取扱候産物高ニ応シ御貸渡相成候事
  一諸国裁判所初メ諸侯領地内農商ノ者トモ拝借等願出候得ハ其身元原簿ノ見込ヲ以テ金高貸渡産業相立候様可致尤返納ノ儀ハ年年相当ノ元利為差出候事
   但遐邑僻陬ト雖モ金札取扱向ハ京摂商買之振合ヲ以テ取計可致事
  一拝借金高ノ内年割上納ノ札ハ於会計局截捨可申事
   但正月ヨリ七月マテニ拝借ノ分ハ其暮一割上納七月ヨリ十二月マテニ拝借之分ハ五分割上納可致事
  右御趣意ヲ以テ即今ノ不融通ヲ御補ヒ被為遊度御仁恤之 思召ニ候間心得違有之間敷尤金札ヲ以返納ノ御仕法ニ付引替ハ一切無之候事
此布令ノ明文ニ拠レハ金札ノ発行ハ単ニ世上一般ノ困厄ヲ救済スルノ主旨ニ出テタルカ如シト雖モ、是レ唯其主旨ノ一半ヲ表示スルニ過キスシテ、財帑ノ欠乏ヲ補ヒ以テ国庫ノ金融ヲ便ニスルノ一事ハ、実ニ其主要ノ目的タリシコト之ヲ其後政府カ世ニ公ニシタル種々ノ令達布告等ニ徴シテ明カナル処ナリ、而シテ此太政官札ハ其通用十三ケ年ヲ限リ各藩及農商ニ貸付シ、漸次該金札ヲ用ヰテ之ヲ返納セシムルノ法ニシテ、他ノ貨幣ト交換スルコトハ一切之ヲ許サヽルコトヽ定メタリト雖モ、実際ニ於テハ財帑ノ欠乏ヲ補フニ急ニシテ諸般ノ官費ニ供用シタルモノ少カラサルヲ以テ遂ニ回収ノ途ヲ失フニ至レリ、此時ニ当テ人民未タ紙幣ノ使用ニ慣レスシテ都鄙共ニ之ヲ喜ハス動モスレハ正金ト紙幣トノ間ニ多少ノ差異ヲ生シ金札ノ流通円滑ナルコトヲ得ス是
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ニ於テ政府ハ其流通ノ梗塞シテ通貨タルノ効用ヲ遂クル能ハサルヲ憂ヒ屡々布令ヲ発シテ厳ニ流通阻礙ノ行為ヲ禁シ、又府藩県ニ訓諭シテ専ラ朝旨ノ普及貫徹ニ努メタリト雖モ、此等ノ禁令及訓諭ハ偶々以テ政府ノ弱点ヲ示シ、却テ益々通用ヲ嫌忌スルノ念ヲ助成スルノ傾向アリ、仍テ政府ハ大ニ規画スル所アリシ結果、遂ニ明治二年五月二十八日ニ至リ左ノ布令ヲ発シ、金札ノ発行高ヲ限定シ且ツ引換ノ期限ヲ立テ、若シ期限ニ至ルモ引換ヲ終ラサルモノアルトキハ各人ノ所持高ニ対シ一定ノ利子ヲ附スヘキコトヲ公約シ、為メニ漸ク金札ノ信用増加シ玆ニ始メテ其流通ヲ疏開スルコトヲ得タリ
  金札之儀ハ十三ケ年限通用ヲ以テ御発弘相成候処今般御仕法被改別紙ノ通引替ノ道相立候ニ付テハ第一御金繰ニ相関シ候ニ付先般御布告相成候五千万両ノ製造増被差止候尤是迄御製造相成候総高ノ内千三百万両余ハ府藩県石高ニ応シ貸付千四百五十万両余ハ昨夏以来之御入費払出相成凡五百万両相残候得共右当年貢税相納候迄ノ御入費ト被相定候外ニ府藩県石高拝借相残候分有之候得共国力ニ不応御振出相成候テハ弥御引替ノ道難被相立候ニ付前件御員数三千二百五十万両ノ外御振出断然被差止製造機械焼棄被 仰付候間此旨相達候事
  金札引替ノ道被相定候ニ付相場被廃正金同様通用可致旨御布令相成候処此度天下ノ侯伯ヲ被為召会議ノ上全国ノ力ヲ併セ前途会計ノ基礎ヲ被定当冬ヨリ新貨幣鋳造来申年迄之間引替可被下候若右年限中引替相残金札所持致候者ハ一ケ月五朱ノ利息ヲ以テ七月十二月両度ニ割合御払下被 仰付候間今後万一 御趣意心得違候者於有之ハ別紙控書ノ通処置被 仰付候間此旨相達候事
 (別紙略ス)
又太政官札ノ券面金額ハ拾両、五両、壱両、壱分、壱朱ノ五種ニシテ拾両札ノ如キハ最モ多ク発行セラレ其高二千三十三万有余円ニ上リタレトモ、壱分及壱朱ノ如キ小札ハ其数甚タ寡ク、壱分札ハ五百十六万有余円、壱朱札ハ百五万有余円ニ過キサルヲ以テ民間ノ融通上不便少カラス、加之銅銭市場ニ払底シ民間ノ小取引困難ナリシヲ以テ政府ハ更ニ小紙幣数種ヲ発行シテ従来ノ大札ニ換ヘ、以テ此不便ヲ除カンコトヲ計リ、民部省通商司ヲシテ弐分、壱分、弐朱及壱朱ノ小札ヲ発行セシメ、明治二年九月十七日之ヲ全国ニ布告シタリ其文左ノ如シ
  金札之儀大札之分僻遠ノ地ニテハ流通ニ差支下民難渋ノ趣モ相聞候間今般民部省通商司ニ於テ弐歩壱歩弐朱壱朱等小札至急ニ製造追々引替ニ相成候尤引替候大札之分ハ断截候条兼而為心得相達候事
  但引替之期限ハ追而従民部省可相達事
太政官札及民部省札発行ノ由来前述ノ如シ、而シテ太政官札ハ明治元年閏四月ヨリ二年七月マテノ間ニ四千八百万両、民部省札ハ二年十月ヨリ三年十月マテノ間ニ七百五十万両ヲ発行セリ、其太政官札ノ発行高ヲ前掲二年五月二十八日布告ノ制限高ニ比シ千五百五十万両ノ超過アルヲ見ルハ、蓋シ同年六月六日ノ達ニ拠リ各府藩県石高割付貸与ノ為メ六月及七月ノ二箇月間ニ於テ制限外ノ発行ヲ為シタルニ由ルナル
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ヘシ、又民部省札ハ其発行ノ布告ニ明言セルカ如ク、全ク太政官札中ノ大札ト引替ノ為メ発行ス可キモノナレトモ、実際国用不貲ナルカ為メニ後漸ク此目的ヲ逸シ、啻ニ之カ単独ノ発行ヲ為シタルノミナラス一旦交換回収シタル太政官札ヲモ再出スルノ止ムヲ得サルニ至リタリ、是ヲ以テ究極民部省札ハ之ヲ回収スルモノニアラスシテ太政官札ト相駢ンテ二年五月二十八日ノ布令ニ基キ新鋳ノ貨幣ト交換セラルヘキモノト為リタリ
抑明治二年五月二十八日ノ布令ニ拠レハ金札ナルモノハ全ク正貨兌換ノ紙幣ニシテ、即チ政府ハ天下公衆ニ向テ明治五年ヲ期シ其引換ヲ予約セシモノナリ、然ルニ新貨幣ノ鋳造ハ財政上及経済上至重至大ノ関係ヲ有スル事業ニシテ容易ニ其功ヲ竣ヘ難ク、殊ニ当時政府ノ財政ハ最モ困難ノ極ニ達シ歳計動モスレハ不足ヲ生シ易ク財帑常ニ欠乏ヲ訴フルノ窮況ニ在リシヲ以テ、仮令新貨幣ノ鋳造漸次其成功ヲ告クルモ直ニ之ヲ用ヰテ紙幣ヲ回収スルノ余裕ヲ有セス、二年五月二十八日発令ノ予約ハ殆ント之ヲ実践スルノ見込ナキニ至レリ、是ニ於テ従来発行セル紙幣ノ製造粗拙ナルヲ以テ之カ贋造ヲ予防シ、且各種ノ紙幣ヲ劃一ニセンカ為メ更ニ精巧ナル新紙幣ヲ製造シ、漸次官藩二種ノ金銀銭札ニ引換フルノ議ヲ決シ、四年十二月二十七日ニ至リ更ニ左ノ布令ヲ発シタリ
  維新已来太政官並ニ民部省発行ノ金札製造粗ナルニヨリ贋造ヲ謀ル者間々有之且従来旧藩々ニ於テ発行ノ金銀銭札ハ其管轄限リ通用ノ儀ニ付一般流通ノ便ヲ失ヒ其弊害不少依之今般御多端ノ折柄莫大ノ入費ヲ不被為厭精工ノ新紙幣百円五拾円弐拾円拾円五円弐円壱円五拾銭弐拾銭拾銭五銭ノ各種ヲ製造シ来壬申年二月十五日ヨリ右各種ノ内差向壱円五拾銭弐拾銭拾銭ノ四種ヲ発行セシメ追追製造成功ノ都合ニヨリ従来官藩両様ノ金札ト引換候条厚キ御趣意ヲ体認シ無疑念通用可致尤一般引換ノ都合ハ尚ホ追テ相達候儀モ可有之依テ各種ノ新紙幣相添此段相達候也
右ノ布告ニ依テ明治五年四月ヨリ漸次新紙幣ヲ発行シ十二年六月マテノ間ニ於テ其高七千五百五十一万五千四百十円ノ多キニ達シタリ(外ニ西南征討費支弁ノ為メ其他種々ノ必要ニ応シ漸次発行シタルモノ六千八百六万余円アレトモ玆ニハ単ニ官藩両様ノ金札ニ引換ノ目的ヲ以テ発行シタル高ノミヲ掲ク)内五千弐百八拾九万七千百六拾五円余ハ官省札引換ノ為メ十二年一月マテニ発行シ弐千弐百六拾壱万八千弐百四拾四円余ハ旧藩札引換ノ為メ同年六月マテニ発行シタルモノナリ
前掲明治四年十二月二十七日ノ布告ハ全ク正貨兌換ノ性質ヲ変シテ紙幣交換ノ金札ト為シタルモノニシテ、二年五月二十八日付布告ノ目的ニ対シ聊カ矛盾スル所アルニ似タリト雖モ、当時人民一般ニ漸ク紙幣ノ使用ニ慣熟シ大ニ其軽便ヲ喜ヒ之ヲ使用スルコト却テ正貨ニ優ルノ傾向ヲ呈シタルヲ以テ、故ニ此時機ニ投シテ変革ヲ施シタルナリ、而シテ二年五月二十八日ノ布告ニ於テ公衆ニ予約シタル条件ハ固ヨリ其履行ヲ怠ルヘキニアラスト雖モ、如何セン維新以後国費ハ連年多端ナルニ反シ歳入ノ景況予期ノ如クナル能ハスシテ期定ノ五年ニ至ルモ尚ホ金札兌換ノ実ヲ挙クルコトヲ得ス、是ニ於テカ金札所持人ニ対シ約
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ノ如ク利子ヲ交付セントスルモ当時巨額ノ金札普ク全国ニ流通シ、各所ニ散布セルヲ以テ其所有者ニ向テ一々利子ノ仕払ヲ為スカ如キハ固ヨリ容易ノ業ニアラス、依テ大蔵卿ハ明治五年六月十八日左ノ稟議ヲ正院ニ提出シタリ
  明治戊辰年御発行ノ太政官金札ノ儀ニ付テハ明治己巳五月二十八日御布告ノ趣モ有之候処其後引続万緒御多端ノ際ニ会シ既ニ新貨幣追々御鋳造流通相成候得共未タ右金札正金引換ノ運ニ難立至此儘遷延致候テハ遂ニ政府ノ公布モ一時ノ遁辞ニ等シク相成到底御威信難被為立ニ付爾来日夜考察ヲ凝ラシ適正ノ御処分相立度ト奉憂慮候得共何分方今ノ会計向ニ於テハ兼テ実況上達仕候通ノ儀ニテ所詮右兌換ノ余財可相設様ノ手段無之ハ申上候迄モ無之目前ノ諸経費ニ於テモ実ニ供給ノ術無覚束程ニ候間差向右金札ハ前書公布ノ一項ニ拠リ所持人ノ望次第政府ノ公債トシテ公債証書ヲ交付シ年々定規ノ利息ヲ下渡シ漸ヲ以テ償還ノ道相立候様仕度依テ御布告案相添此段相伺候也
   但右公債証書発行ニ付テハ其証書ヲ抵当トシテ紙幣発行ノ銀行ヲ創立セシメ候ハヽ別段通貨減少シテ流通渋滞ノ患モ有之間敷ト奉存候ニ付右銀行創立方法ノ儀ハ別紙ヲ以テ相伺候儀ニ有之候公債証書発行ニ付爾後取扱振諸規則ハ追々相伺候様可致将又御布告中発行時日ノ儀ハ尚当省事務ノ都合見計申上候様可致ト存候
   御布告中民部省札並ニ新札共ニ掲載致候儀ハ右両種共全ク太政官札ニ引換通用セシメ候品類ノ筈ニ付同様公示致候儀ニ御座候也
右稟議ノ結果六年三月第百二十一号布告ヲ以テ金札引換公債証書発行条例ヲ頒チ、同月十五日ヨリ金札ノ所有者ヘハ其望ニ依リ年六分ノ利付公債証書ヲ交付シ、併セテ新円札所有者ヘモ之ヲ交付スルコトヲ許シ、以テ一般ニ流通紙幣ヲ回収スルノ途ヲ設ケタリ、之ヲ起債ノ由来トス、其六年三月第百二十一号布告ノ前文ハ左ノ如シ
  明治元年戊辰大政更始ノ際官省札ヲ十三ケ年限リ発行候処速ニ収却ノ議ヲ決シ己巳ノ冬ヨリ壬申年中ニ新貨幣ヲ以テ交収シ遺残ノ札ヘハ一ケ月五朱ノ利子毎年七月十二月両度ニ割合払渡ヘキ旨己巳五月二十八日布告候処政府ニ於テ尚収却ノ都合ニ至兼候ニ付金札所持人ヘハ約ノ如ク一ケ月五朱ノ割合ヲ以テ利子可相渡候得共各所散在一々難払渡ニ付明治六年三月十五日ヨリ金札所持ノ者ヘ一ケ月五朱即チ年六分ノ利息付公債証書ヲ可下渡候条別冊公債証書発行条例ヲ遵奉シ証書譲渡等可致候若此条例ニ違犯スルヨリ差起リタル訴訟等ハ一切裁決不致候此段兼テ相達候事
   但金札所持人ノ勝手ヲ以テ証書ヲ不望者ハ其意ニ任スヘキコト
然レトモ該条例ニ拠ルトキハ此公債ノ利子ハ月ノ十五日前後ヲ以テ区別シ、十五日以前ニ払込ミタル者ニハ其月ヨリノ利子ヲ付シ、其以後ニ払込シタル者ニハ翌月ヨリ之ヲ付スヘキモノナルヲ以テ官省札所有者ハ到底該条例発布以前ノ利子ヲ受クルコト能ハサルニ至リ、其処置明治二年ノ公布ニ対シ稍々失当ノ嫌ナキニアラサリシニ由リ、明治六年
 - 第3巻 p.699 -ページ画像 
七月第二百四十五号布告ヲ以テ此布令到達ノ日ヨリ四十日間ニ其引換ヲ願出ツルモノニハ同年一月二十九日即チ旧暦正月元日ヨリノ利子ヲ付スヘク、此期限ヲ失スルモノニハ同年三月十四日以前ノ利子ヲ交付セサル旨ヲ公布セリ、是ヨリ後数年ヲ経明治十三年ニ至リ大ニ条例ヲ改定シ随テ其目的ニ多少ノ変更ヲ来シタリ、蓋シ旧条例ニ於テハ当時紙幣ノ流通未タ全国ノ需要点ヲ超過スルニ至ラサリシヲ以テ其目的トスル処ハ通貨ノ減少ヲ計ルニアラスシテ専ラ明治二年ノ公布ニ基キ金札所有者ニ対シテ利子ヲ交付スルノ便法ヲ設クルニ在リシト雖モ、明治十一年以降流通紙幣頓ニ増加シ其高市場ノ需要点ヲ超過シ価格漸ク下落セシヲ以テ政府ハ其過剰高ヲ以テ回収シ頼テ以テ紙幣ノ価格ヲ回復スルノ急務ナルコトヲ察シ遂ニ此改正ノ挙ニ出テタルナリ