デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.52-55(DK040004k) ページ画像

明治6年8月2日(1873年)

同行、是日ヨリ壱円・弐円・五円・拾円・弐拾円ノ五種ノ銀行紙幣ヲ発行ス。栄一総監役トシテ之ニ与ル。


■資料

第一国立銀行半季実際考課状 ○第一回〔明治六年下期〕(DK040004k-0001)
第4巻 p.52 ページ画像

第一国立銀行半季実際考課状
  ○第一回〔明治六年下期〕
    銀行営業ノ事
○上略
銀行発行紙幣引当ノ為メ初集会株高五割入金ノ半高金七拾三万弐千弐百円ヲ七月五日ヲ以テ紙幣寮エ申立、之ヲ出納寮エ上納シ、金札引換公債証書御下渡ノ儀及紙幣注文書等ヲ紙幣頭閣下ニ出シ、八月二日ヨリ十月十八日マテニ前同高ノ紙幣ヲ受取済、十一月五日十一月二十九日ノ両度ニテ更ニ四拾五万円ノ高ヲ出納寮エ納メ、十二月二十二日マテニ同高ノ紙幣ヲ紙幣寮ヨリ申請イタシ候 ○中略
当銀行発行紙幣引換ノ為メ東京大阪ニ別店ヲ設ケ、右引換ヲ本務トシテ取扱フヘキ儀、明治六年十月三日紙幣寮エ願出、同月十二日御裁允相成申候 ○中略
    銀行紙幣ノ事
当銀行ニ於テ発行通用スヘキ紙幣御下渡シ高ハ八月二日ヨリ十二月二十二日マデニ都合三度ニテ、金高百十八万弐千弐百円ヲ紙幣寮ヨリ受取不残記名押印等相済申候、尤現今発行高等ハ第七書式半季平均高報告之通ニ有之候
株高六分通ノ紙幣可願受儀ハ銀行条例ノ成則ニ付、右不足ノ分金弐拾八万弐千弐百弐拾八円ハ来半季中ニ於テ其高相当ノ金札引換公債証書ヲ相願、之ヲ上納シテ銀行紙幣ヲ可願受見込ニ候
   ○第七書式半季平均高報告ニ依ルニ明治六年中第一国立銀行ノ発行セル紙幣高次ノ如シ。
      八月      一〇、〇〇〇円
      九月     一三〇、〇〇〇
      十月     四〇六、八〇三
      十一月    五二五、三一五
      十二月    七一二、七九二

第一国立銀行半季実際考課状 ○第二回〔明治七年上期〕(DK040004k-0002)
第4巻 p.52-53 ページ画像

  ○第二回〔明治七年上期〕
    銀行営業ノコト
○上略
当銀行発行紙幣ノ抵当トシテ可差出金札引換公債証書百五十万円新証書御出来ニ付六月三十日国債寮ヨリ御下渡相成候ニ付、銀行条例ニ従ヒ頭取支配人記名致シ更ニ上呈可致候 ○中略
 - 第4巻 p.53 -ページ画像 
    銀行紙幣ノ事
当銀行紙幣請取残ノ分廿八万弐千弐百八拾円ハ二月十二日ヨリ同月廿二日マテニ残ラズ請取記名押印相済申候
増株高六分通金三万五千五百廿円ハ四月廿三日紙幣寮ヨリ請取済、都合百五十万円ノ額ト相成申候
発行紙幣ノ内敗裂ノ分ハ千五百四拾九円、銀行条例並簿記精法ノ手続ニ従ヒ、交換ノ為メ紙幣寮ヘ差出シ、代リ紙幣御下渡相成申候


太政官日誌 明冶六年第百二十一号 ○八月二十日(DK040004k-0003)
第4巻 p.53 ページ画像

太政官日誌 明治六年第百二十一号
 ○八月二十日
 〔第三百四号布告〕
今般東京第一国立銀行ニ於テ国立銀行条例之趣意ニ拠リ、公債証書ヲ抵当トシテ本年八月二十日ヨリ別紙見本之通、二拾円・拾円・五円・二円・壱円五種之紙幣ヲ発行セシメ、海関税及ヒ公債証書之利息ヲ除クノ外租税其他一切公私之取引等総テ正金同様通用セシメ候条此旨可相心得、最右紙幣之儀ハ何時ニテモ銀行本店、並横浜・大坂・神戸之枝店ニ於テ人民之望次第無差支正金ト引換ル筈ニ付、無疑念取引可致依テ銀行紙幣見本相添此旨布告候事 見本略之


法規分類大全 第一編 政体門 制度 雑款 六 第二一七頁(DK040004k-0004)
第4巻 p.53 ページ画像

法規分類大全 第一編 政体門 制度 雑款 六 第二一七頁
 紙幣寮ヨリ第一国立銀行ヘ達 六年八月二十三日
其銀行紙幣ノ儀本日ヨリ発行差許候条此旨相達候事


大蔵省沿革志 紙幣寮第二(明治前期 財政経済史料集成 第三巻・第一〇三頁〔昭和七年六月〕)(DK040004k-0005)
第4巻 p.53 ページ画像

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第一銀行五十年史稿 巻二・第七―九頁(DK040004k-0006)
第4巻 p.53-54 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻二・第七―九頁
   銀行紙幣の発行
更に銀行の本務たる一般金融事務を一瞥せんか、先づ銀行紙幣につきて考ふるに国立銀行条例に規定せる手続を履行して本年○明治六年八月二日より十二月二十二日までの間に前後三回に渉りて金百拾八万弐千弐百円を大蔵省紙幣寮より受領し、記名押印を畢へて次第に発行せしが其種類は壱円・弐円・五円・拾円・弐拾円の五種なりき、銀行条例によれば「五円以下の紙幣は総高の五割より多からざるべし」と見えた
 - 第4巻 p.54 -ページ画像 
れども当時貨幣の流通上大額の紙幣は融通宜しからず、寧ろ五円以下のものを必要とせるがゆゑに、本行は紙幣発行の初において特に条例の規定を超えて小額の紙幣を下付せられんことを申請し、大蔵省もまた事情已むを得ざるものとして之を聴許せり、爾来下付紙幣の種類は専ら融通の便否を主として必ずしも条例の規定に従ふことなかりき、かく銀行紙幣の発行あるや同年八月二十日太政官布告第三百四号を以て「第一国立銀行が銀行条例に拠りて発行せる五種の紙幣は海関税及び公債証書の利息を除くの外、租税其他公私一切の取引上総て正金同様に通用すべく又右の紙幣は何時たりとも銀行本支店において望次第正金と兌換すべきがゆゑに疑念なく取引すべし」との旨を布告し、併せて紙幣の見本を添付せり、此布告は見本紙幣と共に各府県に令達掲示せられしかば、本行の信用之が為に厚きを加へ紙幣の流通は円満に行はれたり、尋で同年十月発行紙幣兌換の為、日本橋兜町本店構内と大阪高麗橋通り四丁目支店西隣とに別店を設けて引換事務を開始せり
   ○栄一ハ総監役トシテ本件ニモ当然関与セシモノト推定セラル。



〔参考〕第一銀行五十年史稿 巻一・第三四―三七頁(DK040004k-0007)
第4巻 p.54-55 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻一・第三四―三七頁
   国立銀行条例の制定公布
国立銀行設立の議決するや、政府は直ちに大蔵省に命じて、国立銀行条例の起草立案に従事せしめ、更に討論修正の後ち明治五年十一月を以て之を布告頒布せり。本行の前頭取たりし渋沢栄一は、当時大蔵大丞兼紙幣頭の任にあり、専ら条例の調査起草の事に当りたり。ナシヨナルバンクを国立銀行と訳したるがごとき実に其撰定に係るといふ。今同条例の要点を挙ぐれば、国立銀行は少くとも五万円以上の資本を有することゝなし、且資本金の十分の六は政府紙幣を以て大蔵省に上納し、之と同額の公債証書を同省より受取り、更に其受取りたる公債証書を抵当として、大蔵省に納め、同省より同額の銀行紙幣を受取りて之を流通し、又資本金の十分の四は、本位貨幣を以て銀行に貯蓄して、発行紙幣の交換準備に充つると共に、此準備は常に紙幣発行高の三分の二を下る可らずといふにありき。条例の眼目が政府発行紙幣の銷却と金融の疏通とを兼ぬるにありしこと、此を以て察すべきなり。此時政府は金札引換公債証書を発行し、まづ従来の政府紙幣を公債証書と交換し、他日時機の熟するを待ちて、更に正貨交換を行はんとするの議を定めたる際なりしかば、いま銀行をして紙幣を発行せしむるに当り、この金札引換証書を以て其抵当に充てしめんとしたるなり。なほ同条例によれば、人口の多寡によりて其の地に設立すべき銀行の資本金に制限を加へ、其発行紙幣は、壱円・弐円・五円・拾円・弐拾円・五拾円・百円・五百円の八種とし、公債の利子と、海関税とを除くの外は、租税運上・貸借の取引、俸給、其他公私一切の取引上、正金同様に通用すべき能力を附与すると共に、此条例による外は、総ての紙幣金券等の発行を禁止して、政府以外における紙幣発行権を専有せしめしが、其営業に関しては、為替・両替・預金・貸金・諸証券・及び貨幣地金の取引等を以て本務となすべしと規定し、なほ政府の命
 - 第4巻 p.55 -ページ画像 
令あらば、国庫金の取扱に任ずべき旨をも載せたり。