デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
2款 株式会社 東京貯蓄銀行
■綱文

第5巻 p.5-19(DK050001k) ページ画像

明治25年6月8日(1892年)

是ヨリ先、栄一、佐々木勇之助等ト株式会社東京貯蓄銀行ノ設立ヲ出願セシガ、是日承認サル。尋イデ七月一日開業ス。


■資料

東京貯蓄銀行書類 壱(DK050001k-0001)
第5巻 p.5-6 ページ画像

東京貯蓄銀行書類 壱                (東京貯蓄銀行所蔵)
明治廿五年五月廿五日        事務員 (印)
                             
    創立発起人 栄一印   (印) (印)
今般貯蓄銀行を創立いたし候付而ハ吉田省三を事務員としを《(て)》雇入れ月俸金五拾円を支給し、追而創立許可之上ハ支配人ニ任用可致と存し此段及御回議候也
  但し同人義ハ去月二十日より右創立事務ニ従事いたし居候間月俸ハ四月下半ケ月分より給与可致と存候
      ○
明治廿五年五月廿五日                事務員 (印)
    創立発起人 栄一印 (印)(印) (印)
今般創立以度し候貯蓄銀行之定款ハ去ル二十日之発起人会ニ於テ別冊之通御議決相成候ニ付、浄書之上別紙創立願書株主姓名表等を添へ区役所之奥書を受ケ東京府庁ヘ進達可致ト存候、此段及御回議候也
    地方庁ヘ出ス願書按
今般拙者共協議之上株式会社東京貯蓄銀行ヲ設立シ、本社ヲ東京市日本橋区兜町壱番地ニ置キ営業仕度候間、御許可被成下度、依テ別冊定款及株主姓名表相添、此段奉願候也
            株主総代
               住所
                      渋沢栄一
   東京府知事宛
    株主姓名表

  株数   金額     住所               姓名
 五百株  五万円   東京市深川区福住町四番地     平民渋沢栄一
 百株   壱万円   〃京橋区木挽町一丁目十一番地   士族西園寺公成
 百株   壱万円   〃麹町区富士見町一丁目卅六番地  平民三井八郎次郎
 百株   壱万円   〃浅草区北富坂町十九番地     平民須藤時一郎
 七拾五株 七千五百円 〃日本橋区北島町二丁目四番地   平民佐々木勇之助
 七拾五株 七千五百円 〃深川区万年町一丁目五番地    士族熊谷辰太郎
 - 第5巻 p.6 -ページ画像 
 五拾株  五千円   神奈川県横浜市戸部町百三十四番地 平民長谷川一彦
 合計千株 合計拾万円                   合計七人

   ○定款略ス。


稟申録 商部銀行ノ部 明治二五年(DK050001k-0002)
第5巻 p.6 ページ画像

稟申録 商部銀行ノ部 明治二五年             (東京府庁所蔵)
   貯蓄銀行設立願ニ付稟請按
              知事
 大蔵大臣殿
東京市深川区福住町四番地渋沢栄一ヨリ株式会社東京貯蓄銀行設立ノ儀別紙写ノ通願出候ニ付、調査候処不都合ノ廉無之ト認候条、商法及之ニ関スル法律実施ノ期迄承認致シ可然哉、此段及稟請候也
 (理由)本願株主等ハ相応ノ資産ヲ有スル□《(不明)》アルモノニ付身元調ノ手続ヲ省ク

今般拙者共協議之上株式会社東京貯蓄銀行を設立し、本社を東京市日本橋区兜町壱番地ニ置き営業仕度候間御許可被成下度、依て別冊定款及株主姓名表相添、此段奉願候也
           株主総代
            東京市深川区福住町四番地
  明治二十五年五月二十七日       渋沢栄一 
   東京府知事 富田鉄之助殿
(裏書)
 右出願ニ付奥印候也
            東京市日本橋区長 竹村尚義 
    株主姓名表

  株数   金額     住所               姓名
 五百株  五万円   東京市深川区福住町四番地     平民渋沢栄一
 百株   壱万円   同京橋区木挽町壱丁目拾壱番地   士族西園寺公成
 百株   壱万円   同麹町区富士見町一丁目廿六番地  平民三井八郎次郎
 百株   壱万円   同浅草区北富坂町拾九番地     平民須藤時一郎
 七拾五株 七千五百円 同日本橋区北島町弐丁目四番地   平民佐々木勇之助
 七拾五株 七千五百円 同深川区万年町一丁目五番地    士族熊谷辰太郎
 五拾株  五千円   同本所区向島中之郷町九十三番地  平民長谷川一彦
 合計千株 合計拾万円                   合計七人



株式会社東京貯蓄銀行定款(DK050001k-0003)
第5巻 p.6-10 ページ画像

株式会社東京貯蓄銀行定款
(表書)

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 株式会社東京貯蓄銀行定款 



壱銭証券印紙 

  第壱章 総則
   第壱条
本社ハ株式会社東京貯蓄銀行ト称ス
 - 第5巻 p.7 -ページ画像 
   第弐条
本社ハ本店ヲ東京日本橋区兜町壱番地ニ設置シ、漸次便宜ノ地ニ支店又ハ代理店ヲ設クヘシ
   第三条
本社ハ貯蓄預金ノ兼務ヲ営ムヲ以テ目的トシ、其他ノ事業ニハ一切関係セサルモノトス
   第四条
本社ノ資本金ハ拾万円ト定メ、之ヲ壱千株ニ分ケ壱株ヲ百円トス
   第五条
本社株主ノ負担スヘキ責任ハ其所有株式ノ全額ニ止マルモノトス
   第六条
本社資本入金ノ半額ハ之ヲ利附国債証券ニ換ヘ日本銀行ニ保護預ケトナスヘシ
  第二章 株式
   第七条
本社ノ株金ハ其四分ノ一壱株ニ付弐拾五円即チ弐万五千円ヲ開業前ニ於テ払込ミ、残額ハ取締役ノ決議ニ従ヒ其全額又ハ幾分ヲ払込ムヘキモノトス
 但開業後ノ払込ハ一ケ月以前ニ通知スヘシ
   第八条
株主株金ノ払込ヲ怠ル時ハ本社ハ其払込ヲ催告シ、及延滞利子ヲ徴収スヘシ
 但延滞利子ハ金百円ニ付日歩参銭ノ割合トス
   第九条
前条催告後三十日以内ニ払込ヲナサヽル時ハ本社ハ其株主ニ向ヒ株式ノ所有権ヲ失ヒタル旨ヲ告知シ、其株式ヲ公売ニ付スヘシ、若シ其公売代金ニシテ催告シタル払込金及延滞利子公売諸費等ノ支払ニ不足スル時ハ其不足額ヲ前株主ヨリ追徴シ剰余アレハ還付スヘシ
   第十条
本社ハ株式壱株毎ニ株券壱通ヲ作リ、其券面ニ株金額及株主ノ氏名発行ノ年月日番号社号ヲ記載シ、社印ヲ鈐シ、取締役記名調印シテ交付スルモノトス
 但株金ノ払込全額ニ満タサル間ハ仮株券ヲ交付スヘシ
   第十壱条
本社ハ株主名薄ヲ備ヘ、株式所有権ノ移転ヲ登記スヘシ
   第十弐条
株主株式ヲ売渡シ又ハ譲渡シ其所有権ヲ移転セントスル時ハ、其旨ヲ本社ニ申出テ前条ノ登記ヲ受ケ、且株券ノ裏面ニ取締役ノ証印ヲ受クヘシ、若シ此手続ヲナサヽル時ハ本社ニ対シ其所有権移転ノ効ナキモノトス
   第十三条
売買譲与其他ニ由リ株式ノ所有権ヲ得タルモノハ前条ノ登記ヲ了リタル時ヨリ前株主ト同一ノ権利義務ヲ有スルモノトス
  第三章 役員
   第十四条
 - 第5巻 p.8 -ページ画像 
本社ニ左ノ役員ヲ置ク
  取締役
  監査役
  支配人
  書記
   第十五条
取締役及監査役ハ株主総会ニ於テ本社ノ株式参拾株以上ヲ所有スル株主中ヨリ撰挙スルモノトス、取締役及監査役ノ定員ハ各三名トス
   第十六条
取締役ノ在職年限ハ三ケ年トシ、監査役ハ二ケ年トシ、皆再撰ニ当ルコトヲ得
   第十七条
取締役ハ在職中其所有ノ株式参拾株ヲ本社ニ預クヘシ
   第十八条
取締役ハ本社一切ノ業務ヲ統理シ、本社ノ義務ニ付テハ連帯無限ノ責任ヲ負フモノトス
 但其責任ハ解任後満一ケ年ヲ以テ消滅ス
   第十九条
取締役ハ同僚中ヨリ会長壱名ヲ撰挙スヘシ
   第二十条
取締役ハ時々本社ニ集合シ社務ヲ処理スヘシ
   第廿壱条
取締役ハ一般ノ社務ヲ処理スル外、其決議ヲ以テ左ノ事項ヲ処分スルコトヲ得
 一 貯蓄預金規則ヲ編成シ及改正スル事
 二 代理店ヲ設クル事
 三 本社ニ関スル争訟事件ニ於テ其原告若クハ被告トナル事
   第廿弐条
監査役ハ左ノ事務ヲ担任スヘシ
 一 取締役ノ処理シタル事件法律命令定款其他成規ニ違背セサルヤ否ヲ監査スル事
 二 計算書・財産目録・貸借対照表・事務報告書及配当金《(業)》ノ分配案ヲ検査スル事
   第廿三条
支配人ハ取締役ノ指揮ヲ受ケ、諸務ヲ担当ス
   第廿四条
書記ハ長上ノ指揮ヲ受ケ諸務ニ従事ス
   第廿五条
支配人・書記ハ取締役ノ決議ヲ以テ任免スルモノトス
  第四章 株主総会
   第廿六条
本社ノ定式株主総会ハ毎年二月及八月取締役ノ指定スル日時及場所ニ於テ之ヲ開ク、其通知ハ開会ノ日ヨリ十四日前ニ之ヲ発スヘシ
   第廿七条
 - 第5巻 p.9 -ページ画像 
定式総会ニ於テハ取締役ヨリ、前半季ノ計算書・財産目録・貸借対照表・事務報告書《(業)》ヲ示シ、配当金ノ分配案ヲ議決スルモノトス
   第廿八条
取締役及監査役ハ何時ニテモ臨時株主総会ヲ招集スルコトヲ得
   第廿九条
臨時総会ヲ召集セントスル時ハ、開会十五日前ニ会議ノ議案ヲ添ヘ開会ノ日時場所ヲ通知スヘシ
   第三十条
総株金ノ五分一以上ヲ有スル株主ヨリ請求アル時ハ、取締役ハ何時ニテモ臨時総会ヲ招集スヘシ
臨時総会招集ノ請求書ニハ其招集ヲ要スル趣意ヲ明記シ、請求者連署シテ本社ヘ差出スヘシ
   第卅壱条
取締役前条ノ請求ヲ受ケタル日ヨリ三十日以内ニ招集ノ手続ヲナサヽル時ハ、株主ハ自カラ之ヲ招集スルコトヲ得
   第卅弐条
総会ノ議事ハ定式総会ヲ除クノ外株主総員ノ半数以上出席シ、其株数総株ノ半数以上ニ当ラサレハ之ヲ開クコトヲ得ス
   第卅三条
株主事故アリテ総会ニ出席スル能ハサル時ハ、他ノ株主ニ委任状ヲ附シ代理セシムルコトヲ得
   第卅四条
総会ノ議長ハ取締役会長之ニ任ス、若シ会長事故アル時ハ取締役又ハ株主中ヨリ選挙スヘシ
   第卅五条
総会ノ議事ハ出席株主ノ有スル議決権ノ過半数ニ依テ決ス
   第卅六条
株主ハ其所有スル株数五拾株マテハ壱株毎ニ壱個ノ議決権ヲ有シ、五拾壱株以上ハ拾株毎ニ壱個ノ議決権ヲ有スルモノトス
   第卅七条
総会議事ノ要領ハ議事録ニ記載シ議長検印シテ本社ニ保存スヘシ
  第五章 営業
   第卅八条
本社ハ日曜日大祭日祝日其他一般ノ休日ヲ除キ、毎日午前第九時ヨリ午後第四時マテ業務ヲ取扱フヘシ
   第卅九条
貯蓄預金ハ左ノ各項ニ従テ運用スルモノトス
 一 貸附金
   但国債証券又ハ地方債証券ヲ質物トシ、且其期限六ケ月以内ノモノニ限ル
 二 手形割引
   但支払資力ノ確実ナル弐名以上ノ裏書アル為替手形又ハ約束手形ニ限ル
 三 国債証券及地方債証券ノ買入
 - 第5巻 p.10 -ページ画像 
  第六章 計算
   第四十条
本社ノ諸勘定ハ毎年六月三十日及十二月三十一日ノ両期ニ決算シ、二月八月ノ定式総会ニ於テ之ヲ株主ニ報告スヘシ
   第四十壱条
本社ノ利益金配当方法ハ総益金ノ内ヨリ一切ノ経費・創業費償却高《(ノ)》、役員賞与金等ヲ扣除シ、基残額ヲ純益金トナスヘシ
   第四十二条
前条純益金ノ内ヨリ相当ノ積立金ヲナシ、其余ヲ株主ニ配当スヘシ
 但積立金ハ純益金ノ十分一以上トス
  第七章 任意解散
   第四十三条
本社ハ臨時総会ノ議決ヲ以テ任意ノ解散ヲナスコトヲ得
   第四十四条
本社ハ任意解散ヲ決議シタル日ヨリ一切ノ業務ヲ停止スヘシ
  第八章 定款変更
   第四十五条
此定款ハ臨時総会ノ決議ヲ以テ之ヲ変更スルコトヲ得
 但本条ノ場合ニ於テハ其筋ノ認可ヲ請ベシ
右ノ条項株主ノ衆議ヲ以テ決定シタル証拠トシテ一同記名調印致候也
        株主    東京市深川区福住町四番地
                       渋沢栄一
              東京市京橋区木挽町一丁目十一番地
                       西園寺公成(印)
              東京市麹町区富士見町一丁目三十六番地
                       三井八郎次郎(印)
              東京市浅草区北富坂町十九番地
                       須藤時一郎(印)
              東京市日本橋区北島町二丁目四番地
                       佐々木勇之助
              東京市深川区万年町一丁目五番地
                       熊谷辰太郎(印)
              東京市本所区向島中之郷町九拾参番地
                       長谷川一彦(印)
   ○右ハ明治二十五年五月二十七日、第二課主任属ノ提出セシモノナリ。


稟申録 商部銀行ノ部 明治二五年(DK050001k-0004)
第5巻 p.10-11 ページ画像

稟申録 商部銀行ノ部 明治二五年
 貯蓄銀行設立願ニ付指令按
東京府指令第 号
  (割印)      株式会社東京貯蓄銀行株主総代
   (印)
            東京市深川区福住町四番地
                     渋沢栄一
明治廿五年五月廿七日附株式会社東京貯蓄銀行設立願ノ件商法及之ニ関スル法律実施ノ期迄承認ス 但開業ノ月日更ニ届出ヘシ
 (理由)別紙ノ通大蔵大臣ヨリ指令ニ付本按ノ如ク指令ス
 - 第5巻 p.11 -ページ画像 
(別紙)
大蔵省指令第一一四〇号
                東京府
廿五年五月廿八日第三三七〇号稟請貯蓄銀行設立之件稟請之通
 但承認並開業之月日更ニ届出ツヘシ
  明治廿五年六月四日
             大蔵大臣 伯爵松方正義
(別紙)
  貯蓄銀行設立承認御届按
                 知事
 大蔵大臣殿
株式会社東京貯蓄銀行設立願ニ関シ本月 日承認候条此段及御届候也
   ○右ハ明治二十五年六月六日、第二課主任属ノ提出セシモノナリ。


東京貯蓄銀行書類 壱(DK050001k-0005)
第5巻 p.11 ページ画像

東京貯蓄銀行書類 壱        (東京貯蓄銀行所蔵)
明治廿五年六月九日         事務員 (印)
                       
     創立発起人栄一印   (印)      (印)
                       
貯蓄銀行設立之件別紙之通承認相成候ニ付供廻覧候也
(別紙朱書)
東京府指令二八六四号
        株式会社東京貯蓄銀行株主総代
        東京市深川区福住町四番地
                      渋沢栄一
明治廿五年五月廿七日附株式会社東京貯蓄銀行設立願ノ件商法及之ニ関スル法律実施ノ期迄承認ス
 但開業ノ月日更ニ届出ヘシ
  明治廿五年六月八日
               東京府知事 富田鉄之助 


稟申録 商部銀行ノ部 明治二五年(DK050001k-0006)
第5巻 p.11-12 ページ画像

稟申録 商部銀行ノ部 明治二五年
  株式会社東京貯蓄銀行開業御届按
                知事
 大蔵大臣殿
東京市日本橋区兜町一番地株式会社東京貯蓄銀行取締役須藤時一郎ヨリ来ル七月一日ヨリ開業候旨届出候間此段及此届候也《(御)》
 (理由)前議ニ添付セル大蔵大臣指令但書ニ拠リ本按ノ如クス

本月六日附御承認相成候株式会社東京貯蓄銀行之義ハ役員左之通相定来ル七月一日ヨリ開業仕候間此段及御届候也
  明治二十五年六月廿七日
             株式会社東京貯蓄銀行 
                取締役 須藤時一郎 (印)
 - 第5巻 p.12 -ページ画像 
   東京府知事 富田鉄之助殿
          取締役 渋沢栄一
          同   西園寺公成
          同   須藤時一郎
          支配人 吉田省三
   ○右ハ明治二十五年六月二十九日、第二課主任属ノ提出セシモノナリ。
   ○「本月六日附御承認相成候云々」ハ本月八日附ノ誤リナランカト思ハル。


東京貯蓄銀行書類 壱(DK050001k-0007)
第5巻 p.12 ページ画像

東京貯蓄銀行書類 壱              (東京貯蓄銀行所蔵)
明治二十五年六月廿四日            事務員 (印)
    創立発起人栄一印 (印)  (印)
東京貯蓄銀行開業ニ関スル諸般ノ準備稍相調候ニ就テハ来ル七月一日開業之事ニ定メ、別紙之通新聞紙ニ広告致度候、此段及回議候也
 時事新報     商業新報     日本新聞
 毎日新聞     やまと新聞    読売新聞
 東京朝日新聞   都新聞      改進新聞
 報知新聞     朝野新聞     日々新聞
  但三日間広告之積


雨夜譚会談話筆記 下・第八八〇―八八三頁 〔昭和二年一一月―五年七月〕(DK050001k-0008)
第5巻 p.12-13 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 下・第八八〇―八八三頁 〔昭和二年一一月―五年七月〕
    東京貯蓄銀行の設立動機に就て
先生「私の記憶としては、貯蓄銀行を設立したのは、私の考よりも佐々木さんがよからうと云つたからだと思ふ」
敬三「三井が第一銀行を乗取らうとしたから、別に東京貯蓄銀行を建てゝ、其処に立て籠らうと云ふお考があつたと云ふ事を私は耳にした事がございます」
先生「それはどうだかよく覚えないが、三井の益田孝氏は別にそんなところはなかつたが、中上川と云ふ人は妙に人を圧迫すると云つたところがあつて、『あれがどうするか判らない』と云ふ気持は私にもあつた。けれども三井は頻りに第一銀行の株を売つたヨ。何でも日清戦争が済んだあとで、明治二十九年頃と思ふが、売つたが利益になると云つて、売つたヨ」
敬三「けれども大分後まで、三井は第一銀行の株主名簿に載つて居りました。最近まで見当りました」
先生「三井八郎次郎氏は後まで重役をしてゐたやうだつたネ。然し此人は別に役に立つ人ではなかつた。あつてもなくてもいゝやうな人だつた」
一、附
佐々木勇之助氏談(東京貯蓄に就て)
 (昭和六年六月廿七日午前渋沢事務所に於て佐治承る。――本記録八八〇・八八一両頁読上す)
佐々木氏「三井のさういふ風な態度なので、乗取らうとは考へなかつたが、到底あれでは心細い――まあ乗取られはしないかと考へた。
 - 第5巻 p.13 -ページ画像 
貯蓄の創立は何時でしたか。」
佐治「廿五年七月の開業でございます。」
佐々木氏「それより一二年前から熊谷氏が本店の支配人となり、私と二人でやつてゐたが、熊谷君の考で『我々はとても第一銀行に居られぬかも知れぬ、それだから何か一つ小さな貯蓄でも立てゝ其処へ立籠るといふ事にしようじゃないか』といふ説があり、至極それがよからう――店《みせ》(三井の事)の人がだんだん入つて来て、我々が居られぬやうになるかも知れぬといふので、子爵にも御同意を得て立てる事になつたのです。丁度貯金局長であつた吉田省三氏が暇で――熊谷氏の友人で――その人をつれて来てやらせようと――あそこへ小さなものを作つたのです。――まあ主として熊谷君のさういふ考から起つたのでした。
  此話は敬三さんに話したから、それでさういふお話になつたのでせう。」


時事新報 第三三八〇号〔明治二五年六月二八日〕 東京貯蓄銀行開業広告(DK050001k-0009)
第5巻 p.13 ページ画像

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東京日日新聞 第六一九五号〔明治二五年六月一一日〕 東京貯蓄銀行 設立(DK050001k-0010)
第5巻 p.13 ページ画像

東京日日新聞 第六一九五号〔明治二五年六月一一日〕
   東京貯蓄銀行 設立
   東京貯蓄銀行
 ○渋沢栄一、西園寺公成、三井八郎次郎、須藤時一郎、佐々木勇之助、熊谷辰太郎、長谷川一彦の七氏が資本金十万円を以て日本橋区兜町一番地へ題号の如き銀行設置願は昨日聞届けられしを以て、取締役監査役、支配人、書記等を選挙するよし。


東京経済雑誌 第二六巻第三〇号〔明治二五年七月二日〕 東京貯蓄銀行の開業(DK050001k-0011)
第5巻 p.13-14 ページ画像

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青淵先生伝初稿 第九章下・第八三―八七頁〔大正八―一二年〕(DK050001k-0012)
第5巻 p.14 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章下・第八三―八七頁〔大正八―一二年〕
    貯蓄銀行の沿革及び東京貯蓄銀行の創立
箇人の零細なる預金を貯蔵して、小民の勤倹貯蓄を奨励する機関は、古来曾てなかりし所なるが、政府は国民の勤倹を奨励し、貯蓄心を養成せんが為に、明治八年始めて駅逓貯金の法を設く、即ち今の郵便貯金の起原なり。会々山梨県下に山梨興業社《(マヽ)》といへる小銀行ありて、小額の貯蓄を募り、複利法を設けて小民の便宜を計り来りしが、十年三月其第十国立銀行となるに及び、五銭以上預り金と称して、貯蓄預金の業を継続し、十一年三月之が取扱規則を定めて、大蔵卿の許可を得たり。国立銀行にして貯蓄預金を開始せること、実に玆に始まる。此後各地の国立銀行にして貯蓄預金の業を営む者尠からざりしが、十三年三月に至り、始めて貯蓄を専業とせる東京貯蔵銀行設立せられしより、此種の銀行漸く多きを加へ、私立の普通銀行にして貯蓄預金の業を兼営する者次第に其数を増したり。
    貯蓄銀行条例の公布
此に於て政府は其業務の性質上、普通銀行と同一視すべからずとなし明治十七年以後は貯蓄銀行条例の制定まで、暫く其創立を許さず、既設普通銀行にして之が兼業を為す者も、亦之を許さざるの方針を採れり。二十三年三月に至り貯金取扱内規並取扱手続を設け、同年四月商法発布せられて会社法規の整頓するに及び、八月貯蓄銀行条例を公布し、翌二十四年一月より施行すべき予定なりしが、会々商法の実施延期せらるゝに及び、本条例も亦明治二十六年七月一日より実施すべきに改めらる。然れども貯蓄銀行の設立は、二十三年公布の貯金取扱内規並取扱手続に準拠せば認可せらるゝこととなりたれば此種の銀行の新設せらるゝ者各地に起る。先生も亦第一国立銀行の株主と謀り、相共に出資して二十五年七月東京貯蓄銀行を設立せり。資本金は十万円にして先生自ら取締役会長の任に膺れり。


第一銀行五十年史稿 巻四・第二九頁(DK050001k-0013)
第5巻 p.14-15 ページ画像

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〔参考〕銀行便覧 第六八一―六八四頁〔大正七年〕(DK050001k-0014)
第5巻 p.15-17 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕稿本日本金融史論 (滝沢直七著) 第五九七―六〇一頁 〔大正元年〕(DK050001k-0015)
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稿本日本金融史論 (滝沢直七著)第五九七―六〇一頁 〔大正元年〕
  第二項 政策上より来たりし運動
    第一、貯蓄銀行の濫興
戦後○日清戦争後資本の民間に散布せらるゝもの頗る多く、従て奢侈に流れんとするの際、これを吸集して生産資本の欠乏を補ひ且つは国民に貯蓄の風を養はしむるには好時期であつたのである。政府はこゝに見る所あり、二十三年発布の貯蓄銀行条例が資金連用の制限頗る厳にして(一)運用方法は貸附、証券の割引並に国債及地方債証券の買入に制限し(二)而して貸附はその期限六個月以内にして国債、地方債を質と為したる場合に限り、(三)割引は支払資力に付き疑ふべからざる者二名以上の裏書ある為替手形約束手形に限り、(四)国債及地方債の定期売買を為すことを得ざらしめたが、これを寛にし以て貯蓄銀行の発達を促さんとして、二十八年同条例を改正してこれ等の覊束を除き、貯蓄払戻保証担保は資本の半額であつたものを四分の一に減少し、資本運用の方法の如きは全く自由ならしめたのであつて、貯蓄銀行設立の大なる奨励とはなつたのである。されば貯蓄銀行の設立は滔々として止まざるの有様となり、且つ普通銀行にして貯蓄部なる一部門を設けて、貯蓄銀行業を兼営すること流行となり、銀行にして貯蓄預金を取扱はざるは恥辱なりとするものゝ如くに貯蓄預金取扱の流行し来り、大に貯蓄銀行業は発達したのである。
然れどもこれやがて普通銀行に累を及ぼすべき一弊害の根源を作つたのであつた。即ち預金の額に於ては少額なるも、人員に於て多数に上り、中流以下の国民であるから、一朝浮説起らば盲目的に取付け、労働者の多数を含む取付は騒擾を惹起し易く、その預金に於て多額に上らざるも、遂に支払を停止するの已むを得ざるに至る。また余儀なきことであつた。
先づ貯蓄銀行業の発達を数を以て示そう。

  年次            行数               払込資本金               総預金残高
                 行                     円                    円
  二十八年末         九二             一、八八九、三五五           一二、一七八、二六八
  二十九年末        一九三             五、〇三九、三八一           一八、二一四、二〇〇
  三十年末         三〇八            一〇、八八五、五八六           二五、三九三、四五三
  三十一年末(普通銀行兼営)二五九一五四(普通銀行兼営) 一一、六三八、六六三 三、三二七、五七九 一二、六六五、〇三五
  三十二年末(同)     三三三一九八(同)      一五、四二九、五一二 四、五四九、六三九 二二、八九二、二八一
  三十三年末(同)     四一九二六二(同)      二一、〇四〇、〇六〇 五、七九四、八九七 二九、四二三、〇六一
  三十四年末(同)     四四一二七三(同)      二三、三七〇、〇一七 六、二三八、六七〇 三〇、一八八、六三〇
  三十五年末(同)     四三一二六八(同)      二二、四一二、八二〇 六、四一八、三一一 三三、三一九、〇八八

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二十七年に三十一行なりしもの二十八年に於ては三倍に増加し、払込資本金もまた三倍に増進し、貯蓄預金は二倍に増加した。三十一年及三十二年の増設は更に著しく、三十二年に入りては貯蓄銀行は濫設となり、また貯蓄銀行にして失敗せしものもあつて、貯蓄銀行の濫設は一問題となつた。こゝに於てか濫設に伴ふ弊害を救はんとして資金運用方法を制限せんことを主張するものあり、政府も三十二年十二月預金運用に関する法律案を貴族院に提出し、二十三年の貯蓄銀行条例に復旧せんとしたほどであつたから、貯蓄銀行業の発達著しく貯蓄預金の増進となり、なほ且つ貯蓄銀行間には互に競争して奨励方法を案出し、以て預金を吸集するに努めたのである。
    第二、政府及識者の貯蓄奨励
戦後は一年として輸出超過となりしことなく、二十九年より連年輸入超過し、兌換の基礎を危ふすることなきかと為政家のみな憂慮せし所であつて、国家経済上これが救済を策せざるべからず。而して戦後官民の事業勃興は多大の資本を散布し、通貨に変性したりしを以て、勤倹貯蓄に依てこれを矯正せんとするの意見は多くの財政家が唱ふる所であつた。即ち大蔵大臣井上馨及び松方正義を始めその他経済研究会員は勤倹貯蓄を盛んに鼓吹した。三十一年井上大蔵大臣は貯金奨励を各地方長官に訓示し、各地方長官は更に各郡長に訓示を発し、以て貯蓄を奨励した。当時金融は逼迫して居り、散布しある零砕の資金を吸集して、戦後経済の資本窮乏を救はんとする政策であつたのである。
これより先き外資輸入論一時盛んに起つたが、その到底行はるべくも見えざるを以て、勤倹貯蓄の説これに代はりしものにして、所謂元勲がこれを唱道し、朝野幾多の有力者がまた鼓吹したのである。
また三十三年となりて金融逼迫となる。こゝに更になほ勤倹貯蓄諭は井上馨によりて主張せられ、世の実業家はこれに賛同し、有楽会の如きはその方法を講究したるが如きことあり、次で松方正義は地方長官諮問会に臨みて地方官に訓令し、地方の百官百僚みなこの意を体して地方の行政に臨み、勤倹貯蓄の風大に起つた。松方正義は井上馨と共に勤倹貯蓄の奨励に尽砕《(マヽ)》し、三十三年三月大阪経済会例会の席上に於て勤倹貯蓄の演説を為し、奈良倶楽部の歓迎会にもその演説を為してその奨励に尽力したのである。山本日本銀行総裁は同年十月宇都宮に開きたる下野実業団体懇話会に勤倹貯蓄の演説を為し、終に臨み慈善的貯蓄銀行を設立せんことを慫慂し、而して下流の奢侈を説明して曰く、
  「……先づ二十九年より今日まで外国貿易上輸入超過の総額は三億円以上に達し此金額は政府の新造軍艦の代金支払を除きたる計算で皆横浜神戸等に輸入した商品其他貨物の代価で之に対して三億円以上の金貨は外国に輸出された勘定となる……先刻申した通り殆んど四億円に近き大金を僅に四個年に消費して其間に金融逼迫事業不振の歎声も起つたが其実困難を甞めた者は極めて小数の人士なる中等以上の社会にして中以下なる大多数の国民は殆んど不景気の何物たるを知らざる有様で過ぎ来たつた恐らく二十八九年より今日に至るまで数年一日の如く不景気知らずに奢侈浪費に
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意を置かずに暮したのであらう其結果が自然経済界に現はれ挙国之が為に苦痛を感ずることとなつたのである若し二十八九年の頃より互に勤倹貯蓄の徳を実行して生活向き万事に奢侈を禁じたならは今日は日清戦争以前より遥に上中下の国民が富有で随て国家にも余裕が出来て居つたらう……」
と。金融逼迫の年この言を為す、資本窮乏を充すは一に資本を吸集すべき貯蓄によらざるべからずと為すものである。