デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
3款 特殊銀行 4. 台湾銀行
■綱文

第5巻 p.231-237(DK050054k) ページ画像

明治30年10月26日(1897年)

内閣ヨリ台湾銀行創立委員ヲ仰付ケラル。同三十二年七月四日免ゼラル。


■資料

官報 第四三〇七号〔明治三〇年一一月八日〕 叙任及辞令(DK050054k-0001)
第5巻 p.231 ページ画像

官報 第四三〇七号〔明治三〇年一一月八日〕
    叙任及辞令
             台湾事務局長  野村政明
            大蔵省監督局長  添田寿一
              正五位男爵  川口武定
                従四位  渋沢栄一
                正五位  原六郎
                正六位  高橋是清
                正六位  大倉喜八郎
                従六位  安田善次郎
                従六位  鶴原定吉
                     池田謙三
                     浜岡光哲
                     西村真太郎
                     大谷嘉兵衛
                     木原忠兵衛
  台湾銀行創立委員被仰付(各通)(十月二十六日内閣)


中外商業新報 第四六六二号〔明治三〇年八月二八日〕 台湾銀行創立委員任命遅延の内情(DK050054k-0002)
第5巻 p.231 ページ画像

中外商業新報 第四六六二号〔明治三〇年八月二八日〕
    台湾銀行創立委員任命遅延の内情
台湾銀行創立委員の候補者中には辞任を申出つるもの尠からず、当局者と候補者との間に交渉を要するがため任命の期日今日に遷延したりとは嘗て聞く所なるが、更に之が内情を糺すに、委員候補者中辞任を申出たるものは僅々たる人々に止まり、他に候補者を選定することは決して至難の業にもあらず、其今日まで任命なき次第は、恰も本件の事務を進めんとするに際し松方伯に避くべからざる要件起りたりと、且は委員の候補者中には避暑旅行中のもの甚だ多く従て委員を任命するも実際の業務は秋冷の候にあらざれば着手するを得ざれば寧ろ其間に於て充分適当なる候補者を選定せんとの方針を執りしによるものなるも、最早暑中休暇も前途一旬余となり朝野の人々も帝都に還るの期に切迫したれば来月中旬には必ず其任命あるべしと当局者は物語りぬ
 - 第5巻 p.232 -ページ画像 

銀行通信録 第一四五号・第一二三―一二四頁〔明治三〇年一二月一五日〕 台湾銀行設立委員会(DK050054k-0003)
第5巻 p.232 ページ画像

銀行通信録 第一四五号・第一二三―一二四頁〔明治三〇年一二月一五日〕
    台湾銀行設立委員会
第一回を大蔵省内に開かれ、原六郎、大倉喜八郎、高橋是清、浜岡光哲、池田謙三、川口武定、西村真太郎、添田寿一の諸氏出席し、田尻次官は大蔵大臣に代りて、同島金融の円滑を計るか為め同行の設立を要する次第なるも、奈何せむ内地経済上の事情大に熟慮を用ふべき処なれば、委員諸氏も充分の審議ありたしとの意見を演述し、終て川口武定氏を委員長に、添田寿一氏を幹事に撰定して引続き議事進行の順序を協議し、其他種々の打合をなして、次て第二回を同廿四日に開らき、川口委員長、添田幹事の外池田、原、浜岡、大倉、大谷、高橋、鶴原、木原各委員出席し、前会に引続き定款の規定中最も重要なる株式募集期日及方法等に就き協議せしが、現今の経済界大に熟考を要する問題なれば種々の議論ありて容易に纏らず、更に当年内に第三回の委員会にて決することとなり、爾来毎週水曜日に会議したる由なれども、目今の金融事情は斯る新設計を迎ふるの余地ありや否


銀行通信録 第一四六号・第一三八頁〔明治三一年一月一五日〕 台湾銀行創立委員会と其設立(DK050054k-0004)
第5巻 p.232 ページ画像

銀行通信録 第一四六号・第一三八頁〔明治三一年一月一五日〕
    台湾銀行創立委員会と其設立
台湾銀行は去年十一月頃より創立委員の会合となり、十二月廿四日に其第三回を大蔵省に開らき、前回に引続き協議する処ありたる由なるが、其議事は一切秘密に附し居るを以て其詳細を知る能はざるも、最早略ぼ定款の起草も終はりしが、何分目下の経済界に於て急に株金募集を決行する時は失敗に陥るを以て、金融の平順に帰する期節を持つ考なりと云ふ、左もありなん


銀行通信録 第一四七号・第二八五頁〔明治三一年二月一五日〕 台湾銀行創立の見合せ(DK050054k-0005)
第5巻 p.232 ページ画像

銀行通信録 第一四七号・第二八五頁〔明治三一年二月一五日〕
    台湾銀行創立の見合せ
同銀行は松方伯の計画に係り、本誌の屡々記載せし如く昨冬創立委員の任命あり、漸く二三回の委員会を経たれども、台湾には已に日本銀行出張所のあるあり、官金の取扱等差して不便もなきを以て、金融の事情今日の如くなるにも拘はらず之を新設するの要もあらざるべしと思ひしに、果せる哉井上新大蔵大臣は十月十九日の委員会に臨み、財政の方針は目下考案中なるを以て其確定する迄一時創立委員会を中止ありたしとの旨を述べ、其儘閉会したりと云ふ


中外商業新報 第四八七七号〔明治三一年五月一四日〕 台湾銀行設立委員会と特別補助(DK050054k-0006)
第5巻 p.232-233 ページ画像

中外商業新報 第四八七七号〔明治三一年五月一四日〕
    台湾銀行設立委員会と特別補助
台湾銀行設立委員会は其後久しく中止したるが、台湾幣制に対する政府の考案も決定したるより、一昨十二日前回に引続き設立委員会を開き、当日は井上大蔵大臣も臨席して種々協議する所ありし由なるが、結局委員会の考にては、台湾銀行は法律に規定しある五円以上の無記名式一覧払の手形発行の恩典のみにては充分に其の発達を期し難きを以て他に何等かの特別補助を要すといふにありて、当局者も其意見を容れ、政府は案を具して第十二議会に補助案を提出し、其通過を待て
 - 第5巻 p.233 -ページ画像 
愈々株式募集に着手することに決し散会したる由、又設立委員長は便宜上添田寿一氏其任に当り、吉井友兄氏幹事と為りたりといふ


銀行通信録 第一五五号・第一五〇八頁〔明治三一年一〇月一五日〕 台湾銀行創立委員会(DK050054k-0007)
第5巻 p.233 ページ画像

銀行通信録 第一五五号・第一五〇八頁〔明治三一年一〇月一五日〕
    台湾銀行創立委員会
台湾銀行創立に関しては政変其他の事情より昨今まで延引し居たるが台湾に於ける公金取扱を始め其他一般金融機関として益々必要を感ずること深きを以て松田大蔵大臣は其創立の急を認め過般創立委員を招集し種々協議する所ありたるが、当初議会の協賛を経て無担保貸与と為すべしとの方針なりしが這回其議を廃すると同時に政府より三百万円の貸与をも為さヾることとなし単に株金のみにて営業せしめんとする由、若し可決せば株金募集に影響を及ぼすことは無論にして万一全株数に満たざる時は政府之が残株を引受くるや否や日清貿易機関と為さんが為め組織の一部を改むる等の議論委員中に存するを以て、到底一会合にて協議纏るべくもあらざれば猶引続き開会する筈なりと云ふ


銀行通信録 第一五六号・第一六四二頁〔明治三一年一一月一五日〕 台湾銀行創立に決す(DK050054k-0008)
第5巻 p.233 ページ画像

銀行通信録 第一五六号・第一六四二頁〔明治三一年一一月一五日〕
    台湾銀行創立に決す
台湾銀行の創立委員会は十月三日永田町の大蔵大臣官邸に開会し、松田大臣は該銀行設立の須急なるを述へ速に設立の運ひに至らんことを希望したる由なるが、当日の議事は(一)政府自ら三百万円の資金を投して該銀行の株主となるか(二)将又三百万円の銀塊を該銀行に貸与し之を準備として一覧払の小切手を発行せしむるかの利害得失論に在り、同委員は頗る親切に之を討論審議し、結局(一)政府は自ら百万円を投して該銀行の株主となる事、(二)又二百万円の銀塊を貸与し、之を準備として一覧払の小切手を発行せしむるの便利を与ふべしと云ふことに決定し、政府に於ても之に同意を表することゝなり、之が実行に関する相当の案を具し、第十三議会に提出することゝなりたり


中外商業新報 第五〇九七号〔明治三二年二月三日〕 台湾銀行設立委員会(DK050054k-0009)
第5巻 p.233 ページ画像

中外商業新報 第五〇九七号〔明治三二年二月三日〕
    台湾銀行設立委員会
台湾銀行設立委員会は予記の如く一昨一日午後六時より大蔵省に於て開会せられ、松方大蔵大臣、田尻次官、松尾理財局長、平山参与官、下阪参事官等列席し、渋沢、益田、大倉、安田、高橋、鶴原、大谷、西村、池田、後藤、水野、森田、楢原等の各委員出席し、先づ安田氏の提議に係る該銀行組織変更の件に就て討議し、それより銀券発行の利害等に就て熟議したるも、結局従来の計画を遂行することに決定して同十一時頃散会せりと云ふ


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK050054k-0010)
第5巻 p.233-234 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三二年
四月八日
 添田寿一氏来ル、台湾銀行ノコトヲ談ス
六月十五日
 六時帰宅更ニ松方大蔵大臣邸ニ開キタル台湾銀行懇親会ニ列ス、一
 - 第5巻 p.234 -ページ画像 
場ノ演説ヲ為ス


銀行通信録 第一六四号・第一〇三九頁〔明治三二年七月一五日〕 台湾銀行の設立(DK050054k-0011)
第5巻 p.234-235 ページ画像

銀行通信録 第一六四号・第一〇三九頁〔明治三二年七月一五日〕
    台湾銀行の設立
台湾銀行株式募集の結果は前号に記する如く申込人員五百十四、申込株数十五万八千五百七十の処、按分割当及抽籖の結果募入確定人員四百九十、株数四万にして、此証拠金四十万円なるも、募入確定者の申込株数に対する証拠金より、募入確定株に対する証拠金を引去りたる残高五十九万九千八百四十円ありて、之を予定の如く第一回株式払込金(一株に付証拠金を差引き十五円、総額六十万円)に充つるときは、新に払込を要する分僅に百六十円(人員十四名)に過ぎざることゝなれり
斯くて六月十日を以て第一回の創立委員会を大蔵省に開かれ右の結果其他に付き添田委員長より報告あり、二三の協議を為したる上即日大蔵大臣に設立認可の申請を為したるに、越て十二日午後四時認可の指令あり、越て十五日大蔵大臣より左の如く正副頭取の任命ありたり
    株式会社台湾銀行頭取被仰付  法学博士  添田寿一
    株式会社台湾銀行副頭取被仰付       柳生一義
創立委員は同日を以て事務所を大蔵省より麹町区八重洲町二丁目大審院跡に移し、翌十六日創立委員より頭取に事務の引渡あり、後藤新平以下二十一名の創立委員は七月四日を以て委員を免ぜられたり
斯くて七月五日を以て神田青年会館に第一回株主総会を開き、諸般の報告を為し創業費及頭取以下給料報酬の件を議定し、理事候補者八名監査役三名の選挙を行ふことゝなり、又同月十日を期して株金第一回の払込を為さしむることゝなり各株主に其旨を通知せり、既にして七月五日に至り予期の如く株主総会を開き、添田頭取先つ創立以来の経過を報告し、夫より創業費九百余円の承認を得、頭取以下の給料報酬の件は原案の如く
 頭取以下の給料は左の如く定む
  頭取 一箇月 四百円     副頭取 一箇月 三百円
  理事 一箇月 三百五十円
 台湾又は清国在勤の者に限り右金額の十分の五に相当する手当を支給す
 監査役報酬は左の如く定む
  監査役 一箇年 五百円
に決し、夫より理事候補者八名及監査役三名の選挙を行ひしに左の如く当選せり
    理事
   土岐僙   川崎寛美   辰野宗義   下阪藤太郎
   田中平八  安部幸兵衛  田辺貞吉   山本亀太郎
    監査役
   大倉喜八郎 大谷嘉兵衛  西村真太郎
斯くて理事は土岐、川崎、辰野、下阪四氏に任命せられ、本月八日第一回の役員会議を開き、理事の担任は左の如く定まりたり
  本店詰国庫係 土岐僙    台南支店長 辰野宗義
 - 第5巻 p.235 -ページ画像 
  同営業係   川崎寛美   神戸支店長 下阪藤太郎


官報 第四八〇二号〔明治三二年七月五日〕 叙任及辞令(DK050054k-0012)
第5巻 p.235 ページ画像

官報 第四八〇二号〔明治三二年七月五日〕
    叙任及辞令
           台湾総督府民政長官  後藤新平
             大蔵省理財局長  松尾臣善
               内務書記官  森田茂吉
            公使館二等書記官  楢原陳政
                 正四位  水野遵
                 従四位  渋沢栄一
             従四位法学博士  添田寿一
                 正五位  原六郎
                 正六位  高橋是清
                 正六位  大倉喜八郎
                 正六位  柳生一義
                 従六位  安田善次郎
                 正七位  下阪藤太郎
                 勲五等  大谷嘉兵衛
                      池田謙三
                      浜岡光哲
                      西村真太郎
                      木原忠兵衛
                      松尾寛三
                      佐藤里治
                      土岐僙
  台湾銀行創立委員被免(各通)(七月四日内閣)


雨夜譚会談話筆記 上巻・第三〇二―三〇九頁〔大正五年一〇月―昭和二年一一月〕(DK050054k-0013)
第5巻 p.235 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 上巻・第三〇二―三〇九頁〔大正五年一〇月―昭和二年一一月〕
    第十一回雨夜譚会
  昭和二年七月廿七日午後五時より飛島山邸にて雨夜譚会を開く。出席者は青淵先生、敬三氏、増田氏、渡辺氏、白石氏、小畑氏、高田氏、岡田、泉。
○中略
敬「台湾銀行に就てのお話を願ひます」
先生「台湾銀行も同じく松方さんの創立だらう。何んでも松方さんが一度海外旅行をして帰つてから、特殊銀行の創立を主唱したのである。之は台湾の統治に対するもので、私がどうしたと云ふ関係はありません。時々会議に出た事を憶へて居るが、それは創立委員であつたからであらう。初めの頭取は添田寿一氏で二代目が柳生一義氏であつたと思ふ」



〔参考〕銀行便覧 第四二九―四三一頁〔大正七年三月〕(DK050054k-0014)
第5巻 p.235-237 ページ画像

銀行便覧 第四二九―四三一頁〔大正七年三月〕
台湾ハ内地ト全ク民情ヲ異ニシ、習慣ヲ同フセス、其我ノ領土ニ帰セシヤ僅ニ数年ヲ経ルニ過キス、故ニ政府ハ此新領土ノ経営ニ向テ其施
 - 第5巻 p.236 -ページ画像 
設シタル所既ニ尠ナカラスト雖トモ、諸事尚ホ創始ノ際ニ属シ、保安尚ホ鞏固ヲ欠キ信用未タ普及セサルモノアリ、故ニ所謂金融機関ナルモノヽ設ケナシ、凡ソ経済上ノ発達富源ノ開発ニ向テ金融機関ノ必要ナルハ論ヲ俟タサル所ニシテ、台湾ニ於テ金融機関ヲ設置シ、商工業ニ向テ金融流通ノ途ヲ開キ、紊乱セル幣制ヲ整理シ、以テ経済上ノ発達ヲ計ルハ最大急務ナリトス、故ニ第十回帝国議会ノ協賛ヲ経テ明治三十年三月法律第三十八号ヲ以テ台湾銀行法ヲ制定発布セラレタリ、即チ同銀行設立ノ趣旨及法律ノ要領ヲ略叙スレハ左ノ如シ
  台湾銀行ハ台湾ノ金融機関トシテ商工業並ニ公共事業ニ資金ヲ融通シ、台湾ノ富源ヲ開発シ、経済上ノ発達ヲ計リ、尚ホ進ンテ営業ノ範囲ヲ南清地方及南洋諸島ニ拡張シ、是等諸国ノ商業貿易ノ機関トナリ、以テ金融ヲ調和スルヲ以テ目的トス、今ヤ台湾ニ於テ金融機関トシテ見ルヘキモノ甚タ微々タル景況ニシテ、金融疏通ノ途ナキカ為メ非常ノ高利ニ苦シメラレ、又各種ノ事業ハ本邦人ノ経営ニ係ルモノ甚タ稀ニシテ、概ネ外人ノ専有スル所トナレリ、故ニ此新領土ノ人民ヲシテ金融機関ノ信用ヲ悟ラシメ、同時ニ我国人□□《(欠)》次ニ台湾ニ於テ事業ヲ為スニ便益ヲ与ヘ以テ之ヲ誘掖スルノ途ヲ開カサルヘカラス、又台湾ハ我本土ト遠ク隔離セルカ故ニ経済上同島ノ独立ヲ計ルハ最モ必要ニシテ、一朝事アルニ当テモ能ク経済上ノ独立ヲ維持シ得ヘキ方策ヲ施設スルヲ要ス、又台湾ニ於テハ内外ノ貨幣雑然流通シ、幣制殆ント紊乱ノ極ニ達セルヲ以テ、台湾銀行ヲシテ幣制整理ノ任ニ当ラシメントス、是速ニ台湾銀行設立ヲ必要トスル所以ナリト云フニ在リ
台湾銀行法既ニ発布セラルヽヤ、明治三十年十一月七日創立委員ノ任命アリテ創立事務ニ着手セリ、其後同法第二十三条ヲ改正スルノ必要アルヲ認メ、即チ主務大臣ハ必要ト認ムルトキハ貸付金額及貸付方法ヲ制限シ得ルノミラス無記名式一覧払ノ手形発行高ニモ制限ヲ加ヘ得ルコトヽシ、三十一年六月二十四日比改正法律ヲ発布セリ、又創立委員会ハ左ノ決議ヲ為シ以テ政府ニ上申セリ
  台湾銀行ハ特ニ無記名式一覧払手形発行ノ特権ヲ附与セラレタリト雖トモ、台湾ハ諸事創設ニ係リ保安ノ道未タ鞏固ナラス、信用ノ効用未タ普及セサル所アルヲ以テ、発行営業ノ困難ヲ免カレス殊ニ設立当初若干年間ハ相当ノ利益ヲ収ムルコトスラモ殆ト望ミ難ク、本邦人ノ台湾事業ニ投資スル頗ル危険ノ感念ヲ懐クノ事情アリ、依テ銀行成立ヲシテ容易ナラシメ、且ツ利益ニ乏シキ創業当初ノ困難ヲ軽減センカ為メ政府ノ保護ヲ仰クヲ要ス、云々
政府ハ委員会ノ意見ヲ容レ、遂ニ之ニ保護ヲ与フルコトニ決セリ、即チ其方法ハ一方ニハ弐百万円ヲ円銀ニテ無利子貸付ヲナシ、以テ主トシテ銀行券引換ノ準備ニ充テ、一方ニハ同銀行ノ資本金五百万円中政府二於テ百万円ヲ引受ケ、且五箇年間此政府引受株ニ対スル配当金ヲ準備金ニ加ヘ、以テ株式募集ノ困難ヲ軽減シ、他日ノ基礎ヲ鞏固ニスルノ目的ヲ以テ法律案ヲ具シ、之ヲ第十三回帝国議会ニ提出シタリ、此法案ハ帝国議会ノ協賛ヲ経テ明治三十二年三月一日法律第三十五号ヲ以テ発布セラレタリ、即チ台湾銀行補助法是レナリ、又台湾銀行ノ
 - 第5巻 p.237 -ページ画像 
成立ヲ容易ナラシメンカ為メニ同銀行法第八条ヲ改正スルノ必要アルヲ認メ、改正法案ヲ具シテ是レ亦第十三回帝国議会ニ提出シ、其協賛ヲ経テ明治三十二年三月法律第三十四号ヲ以テ公布セラレタリ、其法律案提出ノ要旨ハ凡ソ左ノ如シ
  台湾ニ於テハ一般取引ニ専ラ銀貨ヲ使用スルカ故ニ、金貨払手形ハ其発行困難ナルノミナラス取引上甚タ不便ナリトス、加之台湾銀行ハ同島ノ金融機関トシテ商工業並ニ公共事業ニ資金ヲ融通シ同島地方銀貨市場ノ商業貿易ノ機関トナリ、以テ金融ヲ調和セントス、且台湾ハ経済ノ程度尚ホ低ク、日常ノ取引ニ小貨幣ヲ使用スルニ馴ルヽ民俗ナルヲ以テ台湾銀行ヨリ発行スル銀行券ヲ壱円銀貨一枚以上ノモノトスルノ必要アリ、又台湾ニハ内外ノ貨幣混淆シテ流通シ、取引上甚タ不便ヲ感スルヲ以テ漸次ニ之ヲ統一セサルヘカラス、故ニ台湾銀行ヲシテ銀貨引換ノ銀行券ヲ発行セシメ、其発行力ヲ伸長シ以テ流通ノ便ヲ与フルノ必要アリト云フニ在リ
右ノ改正ニヨリ台湾銀行ハ五円以上ノ無記名式一覧払手形発行ノ代リニ壱円銀貨一枚以上ノ銀行券ヲ発行スルノ特権ヲ得タリ、爾来創立委員ハ設立ノ準備ニ従事シ、定款ヲ議定シ三十二年三月大蔵大臣ノ認可ヲ得、同年四月十五日株主募集ノ公告ヲ為シタルニ、其申込ハ頗ル多ク、株数十五万八千五百七十株ニシテ募集株数ヲ超過スルコト三倍九六余ニ達セリ、依テ公告ノ旨ニ従ヒ按分比例ヲ以テ募入割当ヲ為シ、一株ニ満タサル端数ハ抽籤ノ方法ニ依リ之レカ引受人ヲ定メタリ、又帝室御所有株壱万株モ一般応募株式ト共ニ按分比例ヲ以テ割当ヲナシ株主募集ヲ了リタルヲ以テ台湾銀行補助法ノ規定ニ従ヒ、政府引受株式ニ対スル申込証下付ヲ申請シ、六月二日申込書ヲ領シ、玆二全ク株式募集ノ件ヲ結了シ、同月十二日設立免許ヲ受ケタリ、同十五日頭取並副頭取ノ任命アリタルヲ以テ、創立委員ハ同十六日其事務ヲ悉皆銀行ニ引継キ、七月五日株主臨時総会ヲ開キ、理事及監査役ノ選挙ヲ行ヒ、役員ノ給料並ニ報法院ニ於テ設立ノ登記ヲ受ケ、明治三十二年九月二十六日営業ヲ開始セリ