デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 1. 三井銀行
■綱文

第5巻 p.264-266(DK050060k) ページ画像

明治9年6月9日(1876年)

是ヨリ先、栄一三井銀行ノ創立ニ関シ三井家重役三野村利左衛門ノ諮問ヲ受ケ、意見ヲ陳述シ、賛意ヲ表ス。是日三野村礼状ヲ栄一ニ贈ル。爾後三井銀行トノ関係浅カラザルモノアリ。


■資料

(三野村利左衛門)書翰 渋沢栄一宛 ○(明治九年)六月九日(DK050060k-0001)
第5巻 p.264 ページ画像

(三野村利左衛門)書翰 渋沢栄一宛(渋沢子爵家所蔵)
 ○(明治九年)六月九日
拝啓倍御機嫌能被為遊御坐奉恐悦候、然者先般三井銀行創立之儀御許可被成下置候ニ付、右御礼として西京三井同苗とも一同上京仕依之甚粗末失礼之品ニ者御座候得共献上之仕度、何卒御礼伺公之節名刺を差出候儀ニト思召被下置、御笑納被遊被下度奉願上候、猶近日参館万々御礼可奉申上候 以上
    六月九日             三野村利左衛門
    渋沢様

(三野村利左衛門)書翰 渋沢栄一宛 ○(明治九年)六月二五日(DK050060k-0002)
第5巻 p.264 ページ画像

 ○(明治九年)六月二五日
益御勇剛奉賀候、然者過日来不存寄御災難ニ而彼是御心配之御儀恐察仕候、先ニ相顕候由御同前ニ安堵仕候義ニ御座候、扨当組之義御蔭を以弥七月一日より銀行と改正仕候間此上百事宜奉願候、就右此程より御届旁両三度も罷出尚亦昨日も横浜御出港ニ候ハヽ高眉緩々御咄シ可申上と存候所懸違残念奉存候、何れ尊顔可申上候得共御風聴御届旁乍失敬以書中如此候也
    六月廿五日
                     三野村利左衛門
  渋沢栄一様


(芝崎確次郎)日記簿 ○明治九年六月(DK050060k-0003)
第5巻 p.264 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿
 ○明治九年六月
十五日 天気
 本日第十時増田氏より使来直ニ乗車銀行江罷出、成瀬氏へ引合直ニ区務所ヘ出頭調印之上譲□《(申カ)》相済銀行ヘ帰リ金員相済立別れ屋敷ヘ参リ直ニ三井銀行江出頭、川村氏ヘ引合夫より北島江寄而シテ帰宅○下略

(芝崎確次郎)日記簿 ○明治一一年四月(DK050060k-0004)
第5巻 p.264 ページ画像

 ○明治一一年四月
三日 曇
神武天皇御祭日
○上略 主人正午時三井銀行江御出張御外泊之事
 - 第5巻 p.265 -ページ画像 

(三井八郎右衛門 三野村利助)連署 書翰 渋沢栄一宛(明治一二年カ)六月二九日(DK050060k-0005)
第5巻 p.265 ページ画像

(三井八郎右衛門 三野村利助)連署 書翰  渋沢栄一宛(明治一二年カ)六月二九日
                     (渋沢子爵家所蔵)
益御勇剛奉寿候、然者起業公債募集之義ニ付而者初発来不容易御尽力被成降、畢竟当行ヘ拝命仕今日ニ至迄無滞相勤候も全ク御配慮被下候故之義と奉深謝候、就右甚以粗末之品ニ御坐候得共聊御礼奉申上候験迄、両器進上仕度御笑納被成降御慰トモ相成候ハヽ本懐之至奉存候
                           恐々頓首
    六月廿九日             三野村利助
                      三井八郎右衛門
  渋沢栄一様


(芝崎確次郎)日記簿 明治一三年(DK050060k-0006)
第5巻 p.265 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿 明治一三年
三月廿七日
例刻出頭、午後一時主君ヨリ手形ニテ五百円受取直ニ引替五円券ニテ五百円、是ハ牧羊入用之内ヘ松村泰次郎殿ヘ相渡ス分、三井銀行本店ヘ振込当店預リ券主君之宛ニテ受取、小田原同支店ニテ当座小切手取付之事ニ依頼、添手紙受取帰社、主君ヘ上申致し候○下略


執事日記 明治二五年(DK050060k-0007)
第5巻 p.265 ページ画像

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甲申京摂巡回日記 明治一七年(DK050060k-0008)
第5巻 p.265-266 ページ画像

甲申京摂巡回日記 明治一七年(株式会社第一銀行京都支店所蔵)
六月六日晴、午前六時ノ汽車ニ駕シテ敦賀ニ抵ル、柳ケ瀬墜道ハ此間ニアリ、八時敦賀ニ達ス、米屋某ニ投宿ス
三井銀行分店石田某中村室山等諸子来訪、相携フテ地方ノ勝景ヲ遊覧ス、金ケ崎神社観音堂ニ詣シ、金ケ崎駐車場ニ添フタル波止場ヲ一覧ス、午後再三諸子ノ誘引ニ依テ松原ニ至ル、松原ハ港内ノ一勝地ナリ武田伊賀其他数士埋骨ノ地ナルヲ以テ、水戸ノ人士碑ヲ建テ其事ヲ記ス、原頭海ニ接スル所ニ於テ開筵小酌シ、網シテ魚ヲ得、煮炙以テ酒ヲ侑ム頗ル清興ナリ、蓋シ地方諸子余カ来遊ヲ慰ムル為ナリ、午後七時帰宿ス、此夜諸子来会談話ス
      ○
六月十一日曇、早朝本願寺渥美池田来ル、八幡銀行頭取西川貞二郎来ル、敦賀倉庫会社創設意見ヲ議ス、堀口、森両氏来ル、同ク敦賀之コトヲ談話ス、三井銀行能勢其他ノ諸氏来ル、西陣敦賀等ノコトヲ談ス午後四時三井高福老人ノ招ニ応シテ其木屋町ノ楼ニ至ル、盛宴満酌歓ヲ尽シテ帰ル
      ○
六月十三日曇、○上略能勢、堀口、森ノ数子前後来訪ス○下略
      ○
六月廿五日曇、朝来告別ノ来人多シ、午前大阪支店ニ至リテ諸氏ニ別ヲ告ケ、三井銀行五代氏等ヲ訪フテ告別ス、午後三時汽車ニ駕シテ西
 - 第5巻 p.266 -ページ画像 
京ニ赴ク、汽車場ニ来リテ告別スル者亦多シ、五時西京ニ至リ松力楼ニ投宿ス、三井銀行能勢、支店増田、三木、敦賀出張員沢木、住田、岩本等来リ会シテ敦賀倉庫会社設立ノコト及西陣買継所ノコトヲ談話ス


渋沢栄一 書翰 井上馨宛(年未詳)一月一二日(DK050060k-0009)
第5巻 p.266 ページ画像

渋沢栄一 書翰 井上馨宛(年未詳)一月一二日   (井上侯爵家所蔵)
○上略
又先頃一寸申上候三井銀行と第一銀行之間ニ相生し候一紛議も漸く示談相整候ニ付小生も二念なく三井家ヘ尽力出来候様相成候、是又御省念被下度候、右等申上度旁拝趨仕度と存候際風邪ニて時日遷延仕候ニ付一応書中御詫申上候、尚近日参上詳陳可仕候 匆々不一
  一月十二日
    世外老閣              渋沢栄一
          侍史


渋沢栄一 書翰 斎藤峰三郎宛(明治二七年)一〇月三日(DK050060k-0010)
第5巻 p.266 ページ画像

渋沢栄一 書翰 斎藤峰三郎宛(明治二七年)一〇月三日(斎藤峰三郎氏所蔵)
○上略
取引所一条ニ付三井銀行ヘ返却之金四百円ハ立替として此際出金可致ニ付、是又尾高ヘ此書状を以申入今日受取、大倉氏之分と共ニ三井ヘ返入、証書取戻し候様御取斗可被下候
○下略
  十月三日
                      渋沢栄一
    斎藤峰三郎様

渋沢栄一 書翰 斎藤峰三郎宛(年未詳)三月一四日(DK050060k-0011)
第5巻 p.266 ページ画像

 ○(年未詳)三月一四日
今日取締役会相開度旨一昨日支配人ヘ打合置候得共、出勤時刻も延引ニ付今日ハ見合申度候間、其段尚支配人ヘ御伝言可被下候、尤も午後五時三井銀行ヘ会同之筈ニ付其前時間無之時ハ欠席仕候、是又御申上可被下候○下略
  三月十四日
                      渋沢栄一
    斎藤殿



〔参考〕集会日時通知表 大正一五年(DK050060k-0012)
第5巻 p.266 ページ画像

集会日時通知表 大正一五年
十月廿八日 木
午後六時三井銀行創立五十年祝賀会(帝国ホテル)