デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 9. 第六十九国立銀行
■綱文

第5巻 p.323-325(DK050070k) ページ画像

明治15年10月(1882年)

是月、日本銀行開業スルニ当リ、栄一斡旋シテ第六十九国立銀行代表者トシテノ岸宇吉ニ日本銀行株式百株ヲ引受ケシム。岸ハ数年後同株式ヲ売却シテ数万円ノ利益ヲ得タルガ、栄一ノ勧告ニ従ヒ此利益金ヲ行員ノ救済資金トナス。


■資料

岸宇吉翁(小畔亀太郎編)第三五―三九頁〔明治四四年一〇月〕(DK050070k-0001)
第5巻 p.323-325 ページ画像

岸宇吉翁(小畔亀太郎編)第三五―三九頁〔明治四四年一〇月〕
    第五章 翁と銀行業
○上略
銀行の発展は即ち土地の発展を意味するのである。各商業家の唯一機関たる銀行がズンズン発展する一面に於て、諸々の会合が翁に依りて計画され、組織せられて、絶えず新空気が長岡に注入された。然れど喬木には風の当りが強いといふ譬の通りに、時には翁に対して随分色色の非難があつた。従つて其間を切抜けてゆく翁の苦心は一と通りではなかつたであらうと思ふ。既にして第六十九国立銀行は営業満期前特別処分法に依りて其組織を変更し、株式会社六十九銀行として之を継承する事となつたが、同時に資本金を三倍にして百五万円にした。
 - 第5巻 p.324 -ページ画像 
是は明治三十一年一月一日のことである。
此業務継承に際し、端なくも翁は世人の大なる誤解を招いた。それは特別財産引渡請求の訴訟を、株主某より提起されたことで、実に馬鹿気切つた話である。今事の次第を記して見やう。翁は日本銀行が創立された当時、即ち明治十五年に渋沢男爵の好意で同銀行株百株を引受けられたが、其際に、翁は三島氏と相談の上、銀行として株式を引受くるのは宜しくないといふ事から、個人として銀行より正当に金を借入れ、それで引受けられたのであつた。然るに四五年後に於て、市場の相場が殆んど三倍以上に暴騰したので、翁は東京へ出た序に其株式を売却することに決し、内九十株を売られたに、二万幾千円の差益を生じた。そこで翁は二千円に熨斗を付けて渋沢男を訪れ、聊か御礼の印だといつて叮重に差出した所が、男爵は甚しく立腹し、『岸さん、貴下は此の渋沢を見損じられたのか』と詰責し、併せて懇ろに其差益金の利用法を諭されたので、翁は只管其無作法を詫びて持帰られた。是より翁は渋沢男の説諭に基き、此差益二万幾千円を行員の不時救済資金として全部積立て、或は臨時の費用、若くは損失の塡補に支出し、自からは一銭も身に着けられなかつた。斯の如くして保管した金は組織変更当時迄も相応に有つたから、翁は之を以て関係者の特別慰労金及び満期の祝賀費に充つる考であつた所が、起訴者は其帳簿及び残額を挙げて銀行に引継ぐべしと主張したのである。然れども此訴訟は敵本主義から出たので、起訴者の内心を探つて見ると、元来岸の行動は専横である、銀行の岸か、岸の銀行か分らぬ、此機会に於て銀行を攪乱し、其結果、幸に岸の非行を捉ふることを得ば、之を法網に羅致しやうといふのであつたらしい。幸に至正公明なる法官が財界の平和を重んじて熟談を勧告せられ、一方に、同業者も亦仲裁して平穏に局を結ぶことが出来、翁は不相変多数株主の同情と信任とを得て頭取に就職し、六十九銀行は幸福なる生命を保ち得ることとなつた。勿論騒擾はあつたものゝ、翁には一点疚しいことが無いので、大蔵省に検査を稟請し、銀行課から吏員が出張して検査したけれども、何等失体のあらう筈がなく無事に終了したが、翁は尚ほ所謂別途財産の調査をも請求された。其結果、出張の吏員は翁に向つて『あなたも随分お人よしだ、詰りあなたの私財ではないか、其れを救済資金に積立ながら、其為め却て社会の疑惑を惹起するとは馬鹿々々しいじやありませんか』と言つて笑つたそうだ。然し斯る疑を受け、嗤を招く所に、翁の本領があるのであらう。
斯く訴訟沙汰迄起つたから、銀行としては大騒ぎといはねばならぬ。然るに危惧心を以ての取付は一金もなく、預金は愈々増加して来た。然し是には原因がなければならぬ。当初から翁は、本事件に対して何等憂慮の状が見えなかつたが、是は翁が、自分は公明正大である、一点疚しい処がないといふ確信があつたからであらう、加ふるに翁は常に一身を銀行に捧ぐるといふ確固たる信念があつたので、一時は翁に危害を加へんとする者があつたにも拘らず、夜間など平気で外出された。或る夜、翁に似た身長の人が銀行から出たのを見て、空瓶の礫を投げ付けた曲者があつた、幸に其人に中らなかつたのみならず、其人
 - 第5巻 p.325 -ページ画像 
は翁で無かつたが、斯ることは度々あつたさうだ。然し斯る際に於ける翁の毅然たる態度が、一面に於て一層翁に対する信用を高め、翁に対する信用が銀行に対する信用となつて、愈々営業の成績を良好ならしめたのであらうと思ふ。然しながら翁も亦世間の非難に省みる所があつて、三十一年以後は独断専行を慎み、相変らず鋭意銀行の為に奮闘せられた。斯くして三十八年には第一銀行の好意に依りて其新潟支店及び長岡出張所の営業を六十九銀行にて引継ぐことになり、同時に第一銀行新潟支店長たりし松井吉太郎氏を聘して専務取締役に推挙されたが、是より翁は閑地に就て専ら老後を養はれた。然れども社会は尚ほ翁の閑居を許すべくもあらずして各方面より翁を煩はしたのであつた。
○下略