デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 15. 株式会社高岡共立銀行
■綱文

第5巻 p.353-360(DK050077k) ページ画像

明治28年12月(1895年)

是月株式会社高岡共立銀行設立サレシガ、発起人等栄一ニ同行支配人ヲ推薦センコトヲ依頼セルヲ以テ、第一国立銀行員大橋半七郎ヲ推薦ス。爾後栄一同行ノ為尽力スル所少カラズ。


■資料

故渋沢子爵閣下と吾が行(株式会社高岡銀行)第一―四丁〔昭和一〇年一〇月〕(DK050077k-0001)
第5巻 p.353-355 ページ画像

故渋沢子爵閣下と吾が行(株式会社高岡銀行)第一―四丁〔昭和一〇年一〇月〕
                     (渋沢子爵家所蔵)
    開業当時に於ける支配人の斡旋
吾が高岡銀行の前身高岡共立銀行は明治二十八年高広次平、故木津太郎平、故馬場道久外数氏の発起に依り創立されたるが、当時支配人を東都より聘するの要ありとし、発起人に於いて故子爵閣下に懇願の上第一銀行員大橋半七郎氏を支配人に迎へ逐日業務の発展を見しが、大正九年六月に至り別に当地に於いて明治二十二年に創立したる旧高岡銀行と新設合併をなし、其後に於いても故子爵閣下並に第一銀行の断へざる援助を蒙り今日の隆昌を見るに至れり
    本館新築に就いての御紹介
吾が行現在の本館営業所は大正三年の新築に係るものなるが、是非東都の建築家に依頼し嶄新の建物を得べく、当時の頭取故高広次平、常務取締役故大橋半七郎相携ヘて東上、故子爵閣下に御相談申上げし処清水組最も適当なるべしとて御紹介を賜り、地方に於ける最初の暖房装置ある鉄骨煉瓦造建築を現出せり
猶同時に入口正面に掲ぐる行名金文字扁額の御揮毫を辱ふし、今日尚ほ燦然の光輝を放てり
    故子爵閣下の御来訪
大正七年七月旧高岡銀行、高岡共立銀行の両行相謀り故子爵閣下の北国御来遊を願ひ出てし処幸に御高諾を賜り、当地に御滞留中両行に御来訪を辱ふし、各行員に対し一場の御訓話を賜り多大の感銘を与へられたり
当時両行の為め左の扁額二面の御揮毫を拝し、今に於いて之を楣間に掲げ、朝夕重役行員之を仰ぎ故子爵閣下の高風を欽仰せり
  業精于勤
  博施於民而能済衆
    吾が行の沿革
吾が行は明治二十二年創立せる旧高岡銀行と、同二十八年創立せる高岡共立銀行とが大正九年六月合併せるものにして、其前後に亘り左の諸銀行を合併し、猶本年に至り岩瀬銀行を買収併合したる結果、其行数十二行を算するに至れり
 - 第5巻 p.354 -ページ画像 
 旧高岡 高岡共立 福岡同盟 高岡実業 生地 共通 広通 礪波 両礪 野村 岩瀬 四方
    吾が行の成績及現状
 故子爵閣下御来訪当時の預金・貸出
大正七年上半期  預金 七、八〇〇、七〇〇円
         貸出 一二、六一四、三〇〇円
 現今の預金・貸出
昭和十年十月廿日 預金 二五、八三一、二〇〇円
         貸出 二二、五五九、五〇〇円
 資本金及積立金、繰越金
  公称資本金   一一、六三二、五〇〇円
  払込済資本金   九、五三三、二〇〇円
  法定準備金    二、七二〇、〇〇〇円
  退職給与資金     一八四、三〇〇円
  後期繰越金      一九六、六〇〇円
 営業所
本店       高岡市守山町
砂町支店     富山市砂町
富山支店     同市西町
中野支店     同市中野新町
三日市支店    同県下新川郡三日市町
横田支店     高岡市横田町
氷見北支店    富山県氷見郡氷見町加納町
呉羽支店     同県婦負郡呉羽村
中田支店     同県東礪波郡中田町
大久保支店    同県上新川郡大久保町
立野支店     同県西礪波郡立野村
四方支店     同県婦負郡四方町
出町支店     同県東礪波郡出町
岩瀬支店     同県上新川郡東岩瀬町
福町支店     同県西礪波郡石動町福町
水橋支店     同県中新川郡東水橋町
上市支店     同県同郡上市町
定塚支店     高岡市定塚町
福野支店     同県東礪波郡福野町
伏木支店     同県射水郡伏木町
福光支店     同県西礪波郡福光町
滑川支店     同県中新川郡滑川町
井波支店     同県東礪波郡井波町
魚津支店     同県下新川郡魚津町
城端支店     同県東礪波郡城端町
福岡支店     同県西礪波郡福岡町
青島支店     同県東礪波郡青島村
氷見支店     同県氷見郡氷見町
 - 第5巻 p.355 -ページ画像 
石動支店     同県西礪波郡石動町
生地支店     同県下新川郡生地町
戸出支店     同県西礪波郡戸出町
金沢支店     金沢市上堤町
橋場支店     同市橋場町
片町支店     同市片町
英町支店     同市英町
小松支店     石川県能美郡小松町
大聖寺支店    同県江沼郡大聖寺町
高松支店     同県河北郡高松町
羽咋支店     同県羽咋郡羽咋町
福井支店     福井市佐久良中町
三国支店     福井県坂井郡三国町
大阪支店     大阪市東区南久太郎町
大沢野出張所   富山県上新川郡大沢野村
五百石出張所   同県中新川郡五百石町
中伏木出張所   同県射水郡新湊町
氷見南出張所   同県氷見郡氷見町
阿尾出張所    同県同郡阿尾村
小松南出張所   石川県能美郡小松町
山中出張所    同県江沼郡山中町
山代出張所    同県同郡山代町
松本出張所    福井市老松下町
   以上支店四十一ケ所出張所九ケ所
 現重役
頭取     高広次平
常務取締役  正村六之助
取締役    菅野伝右衛門
同      荒井建三
同      宮林彦九郎
同      佐藤助九郎
同      米沢元吉
同      米田元吉郎
同      室崎間平
監査役    蓑彦九郎
同      桜井宗一郎
同      荒木文平
同      百塚庄太郎
 行員
支配人三十二名、副支配人六名、支配人代理四十二名、出張所主任九名、本部課長三名、本部係長七名、書記百七十五名、書記補三十六名、給仕七十名、雇五名、小使四十一名、計四百二十六名


渋沢栄一 書翰(大橋半七郎宛) ○(明治三六年)三月二〇日(DK050077k-0002)
第5巻 p.355-356 ページ画像

渋沢栄一 書翰(大橋半七郎宛)        (大橋家所蔵)
 - 第5巻 p.356 -ページ画像 
 ○(明治三六年)三月二〇日
爾来益御清適御坐可被成奉賀候、過日ハ御細書被下候処、当方よりハ多忙ニ紛れ御疎音ニ打過候段多罪之至ニ候、貴銀行営業之近況及御地金融之有様等御申越被下拝承仕候、東京も春来金繰ハ閑慢にて利足ハ引下候のミニて銀行者ハ安心ニハ候得共、収益ニハ懸念不少義ニ御坐候、下季ニも相成候ハヽ幾分引立候歟とも存候得共、先此処余程大なる変化ハ有之間敷哉ニ被存候
利足低下之為各鉄道其他之会社ニて社債募集之事流行いたし候、夫も可なりニハ相応候者も有之候得共、将来之懸念全く消除と申迄ニハ至リ兼候哉ニて、割合ニハ応募者少き様被存候
経済界之将来ハ第一ニ次之臨時議会如何ニ成行可申哉、又一方ニハ地方養蚕之作柄と秋季之豊熟とニよりて種々之影響相生し可申と存候間何卒向後右等政事上又ハ農業上之事共好都合ニ相運候様致度ものニ御坐候、右貴翰拝答旁一書得御意候 匆々不一
  三月廿日
                     渋沢栄一
    大橋半七郎様
         拝復
  「富山県高岡 高岡共立銀行」 大橋半七郎様 拝答 渋沢栄一
  「明治三十六年三月二十日」


渋沢栄一 書翰(大橋半七郎宛) ○(明治三七年)一〇月一二日(DK050077k-0003)
第5巻 p.356-357 ページ画像

 ○(明治三七年)一〇月一二日
華翰拝読再来益御清適之条奉抃賀候、老生も追々快方ニて昨今ハ日々出勤いたし少々宛事務取扱居候、併大病後ニ付兎角感触致し易く候間切ニ加養罷在候、御降心可被下候
貴方ハ此際米穀出盛之時期ニて金融忙敷よし御尤と存候、第一銀行との御取引ニ付而ハ過日も掛員より承及候間精々御便宜相成候様打合置候義ニ御坐候、乍去何事も十分ハ溢るると申諺も有之候ニ付七八分ニ御止め取引先之御精撰尤以肝要と存候、右等御如才も無之とハ存候得共為念申上候、来示御返事旁此段一書申上候 匆々不備
  十月十一日
                  渋沢栄一
   大橋半七郎様
  尚々先頃御出京之際ニハ御過訪之処匆卒之至り欠敬拝謝仕候、乍略儀頭取其他之方々へも御伝声頼上候

  「越中高岡共立銀行」大橋半七郎様 拝答 「東京兜町」 渋沢栄一
 - 第5巻 p.357 -ページ画像 
  「明治三十一年十月十二日」 (附箋)

   (附箋)
   便郵消印ハ三十七年ナリ、三十一年ハ誤ナラン。

渋沢栄一 書翰(大橋半七郎宛) ○(明治三八年)五月一二日(DK050077k-0004)
第5巻 p.357 ページ画像

 ○(明治三八年)五月一二日
貴翰拝見仕候爾来益御清適御坐被成候由拝賀仕候、然者近来京坂其他之各地とも同業者間ニ破綻相生し為メニ世間之物情騒然と相成候ハ実ニ苦々敷事ニて、詰り銀行全体之信用を損候様相成可申と苦心仕候
貴行ニてハ常々事業ニ慎重を主とし、精々蹉跌等之弊害を避候様御経営被成候由至極御同意之事ニ候、弊行抔も可成前ニ誉あるよりハ後ニ毀無之様と期念し、時々佐々木氏と其辺打合罷在候、右ニ付御意見之次第同人へ御申越之由其中承合せ、尚存附も有之候ハヽ無遠慮申上候様可仕候、呉々も御注意御懈怠無之様企望仕候、到底今日之病症ハ短日月ニてハ回復無覚束と存候間持重策専一と奉存候、其辺ハ貴行重役諸君へも宜敷御伝声可被下候居常多忙御疎音ニ打過候御海容可被下候
右拝答旁一書得御意候 匆々不一
  五月十二日
                     渋沢栄一
   大橋半七郎様
        拝復


渋沢栄一 書翰 木津太郎平宛 (明治三八年)七月七日(DK050077k-0005)
第5巻 p.357 ページ画像

渋沢栄一 書翰 木津太郎平宛 (明治三八年)七月七日   (木津家所蔵)
六月二十五日附満州より御発之尊書両三日前落手拝見仕候、然者貴台ニハ先般一年志願兵として御出身相成候後今般之戦役ニ付後備役将校として軍籍ニ列せられ、昨年暮旅順方面ニ御出征被成、近頃は満州方面ニ御転進相成、爾来数度之戦闘ニ御従事被成候も寸疵小創も無之益御壮健ニ御従軍之由拝承、実ニ邦家之為御勤労を感謝すると同時ニ其御壮健を奉遥頌候
御細書ニよれハ貴台ニハ御亡父之御名を襲承し且高岡共立銀行ニ関しても同しく重役之御位地ニ有之候由委細拝承仕候、御亡父とハ先年大橋半七郎御随伴御出京之際拝眉致候様記憶仕候、幸ニ平和克復之日ニ於て御無事御帰国の上ハ右銀行事務ニ御担当も可被成、経済界之将来ニ付而も他日拝眉之上種々御協議も可致義と今日より期待仕候、何卒此上とも充分御愛護被成、名誉之御凱旋御坐候様奉待候、右不取敢拝復まて早々如此御坐候 不一
  七月七日
                     渋沢栄一
   木津太郎平様
        拝復


渋沢栄一 書翰 大橋半七郎宛 ○(明治三九年)九月三日(DK050077k-0006)
第5巻 p.357-358 ページ画像

渋沢栄一 書翰 大橋半七郎宛(大橋家所蔵)
 ○(明治三九年)九月三日
貴翰拝読益御清適之条奉賀候、然者満州鉄道会社株式募集ニ付申込取
 - 第5巻 p.358 -ページ画像 
扱方御希望之由来示了承仕候、乍去右ニ付而ハ既ニ先頭之常委員会ニ於て夫々決定いたし通達も相済候義ニ付、此上特別之心配も出来兼候間、不悪御承引可被下候
過日木津君より御書状ニて右株式引受方見込御申越有之候得共、世間一般中々之人気と被存候間、申込時日決定候ハヽ早々御取斗之方と存候、此段乍序申添候、御伝声可被下候
右拝答如此御坐候 不備
  九月三日
                     渋沢栄一
    大橋半七郎様
         拝答

  「越中国高岡市高岡共立銀行」 大橋半七郎様 拝答 渋沢栄一
  「明治三十九年九月三日」


渋沢栄一 書翰 大橋半七郎宛 ○(明治四〇年)一月一三日(DK050077k-0007)
第5巻 p.358 ページ画像

 ○(明治四〇年)一月一三日
一月九日附貴翰落手拝見仕候、益御清適御坐可被成奉抃賀候、東京ハ昨年来企業勃興いたし毎々種々之会社成立候ニ付而ハ、貴地高広、木津両氏抔ハ相応之資力も有之新進之気象を存候人々ニ付、右等新会社ニ加入も被成度御考も有之候間適当之ものハ老生より御勧誘いたし候様との義拝承仕候、来示之如く昨年来近頃ハ別而会社熱強く相成、老生抔却而懸念不少義ニ候得共、一方より相考候得者戦後大負担を有する我邦ハ将来弥増商工業之拡張を企図せさるヘからす、故ニ人気相進候際ニ新計画を為すハ相当之時務とも被存、就中適実と見込候ものニハ賛同経営罷在候、乍去新規之事業ハ神ならぬ身之善悪良否を識別し得るものニ無之候間、他人を勧誘候ハ頗る困難之事ニ御坐候、就而ハ目下新計画中之ものニて其成立之模様概略取調其撰択ハ貴方之御見込ニ任せ候様之方法を以て、御望も御坐候ハヽ御加入相成候方法相立申上候様可仕候、いつれ其取調書ハ廿日頃老生帰京之上ニて差上候様可仕候右之段両君へも宜敷御伝声可被下候、拝答旁此段一書申上候
                           敬具
  一月十三日
                     渋沢栄一
   大橋半七郎様
        拝答

  越中高岡 高岡共立銀行 大橋半七郎様 親展 国府津ニテ 渋沢栄一
  「明治四十年一月十三日」
 - 第5巻 p.359 -ページ画像 

渋沢栄一 書翰 大橋半七郎宛 ○(明治四〇年)三月七日(DK050077k-0008)
第5巻 p.359 ページ画像

 ○(明治四〇年)三月七日
華翰拝読、先日御出京之際ニハ、多忙中匆々之拝接いたし欠敬仕候、殊ニ御出立前田中屋ニ御招宴之時ハ、風邪気ニて欠席致し、別而不本意之至ニ候、右等御序を以て貴台より木津氏外諸賢へ可然御伝声被下度候
御出京之節、日本汽船会社株式之義ニ付御申聞有之候処、充分之割当出来兼候由、跡ニて承り及残念ニ御坐候、右者是非御企望と申事ニ候ハヽ、木津基他之各位とも、五百株宛ハ都合相成可申と存候ニ付、自然御入用なれハ電報ニて御申越可被下候、右拝答旁一書得御意候
                           不宜
  三月七日
                     渋沢栄一
   大橋半七郎様
        拝復

  「越中国高岡共立銀行」 大橋半七郎様 拝復 渋沢栄一
  「明治四十年」 三月七日


渋沢栄一 書翰 大橋半七郎宛 ○(明治四〇年)一〇月二六日(DK050077k-0009)
第5巻 p.359 ページ画像

 ○(明治四〇年)一〇月二六日
華翰拝読、爾来益御清適御坐可被成是賀、老生不相替無事拮据罷在候
御省念可被下候、然者貴方米価追々引上候ニ付而ハ、取引も頻繁ニ相成商況随而生気相見候由、御同慶之至ニ候、各地ともニ其景気有之候得共諸物価頻ニ騰上候ニハ大ニ寒心可致事と存候
貴行との御取引上ニ付縷々来示ハ佐々木へも御書通被下承知仕候、即今日之重役会ニて、来示之如く是迄之高より弐三万円増加之義ハ、米穀輸出時季ニ限り一時之御取引ニ候ハヽ御引受可申事ニ決定いたし、其段支配人より申上候筈ニ候間御承引可被下候
老生ハ平素兎角御疎音ニのミ打過候、乍憚貴行重役御一同へも宜敷御致声可被下候、右拝答まて一書如此 匆々再拝
  十月廿六日
                     渋沢栄一
   大橋半七郎様
  尚々御如才も無之事とハ存候得共、事業ハ可成丈漸進を好といたし候、苟も急激ニ其進歩を謀る時ハ動もすれハ蹉跌致候ものニ御坐候、弊行抔も毎々其轍ニ陥候義ニ付御注意申上候、常々御用心専一ニ奉祈候

渋沢栄一 書翰 大橋半七郎宛 ○(明治四一年)五月二七日(DK050077k-0010)
第5巻 p.359-360 ページ画像

 ○(明治四一年)五月二七日
華翰拝読、貴台益御清適御坐可被成奉賀候、然者経済界之近況ニ付種種御痛心之由、且貴方米穀出廻之模様及金融之現状等詳細御申越被下拝承仕候、東京ハ引続き何分金融逼迫之姿ニ有之、下半季之処も緩和と申事ハ難期哉ニ存候、詰り戦後諸事業之勃興せし反動と政費過度ニ膨脹せし結果と存候間、其病原除却せされハ真成之回復ハ如何哉と存
 - 第5巻 p.360 -ページ画像 
候、就而ハ此際ハ精々御注意ニて進て利益を得候よりハ退而過失を予防候外無之と存候、呉々も御用慎専一ニ御経営可被下候
貴行御営業之事ハ幸ニ貴台ニよりて安心いたし候得共、重立たる重役中常々時勢ニ注意せられ進退取捨其処を得候義肝要と存候、其辺充分御協議有之度候、右等拝答旁一書申上候 匆々不一
  五月廿七日
                     渋沢栄一
   大橋半七郎様
        拝復

  越中国高岡 高岡共立銀行 大橋半七郎様
  「明治四十一年五月廿七日」 (甲) 事務所印 渋沢栄一