デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 20. 日英銀行
■綱文

第5巻 p.366-368(DK050082k) ページ画像

明治39年10月(1906年)

栄一日英銀行顧問ト為ル。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK050082k-0001)
第5巻 p.366 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳
一日英銀行相談役   三十九年十月 同 ○四十二年六月六日辞任


竜門雑誌 ○第二二一号・第五四頁〔明治三九年一〇月〕 日英銀行の東洋業務拡張(DK050082k-0002)
第5巻 p.366 ページ画像

竜門雑誌
 ○第二二一号・第五四頁〔明治三九年一〇月〕
○日英銀行の東洋業務拡張 予て大倉、浅野氏等の外人と共に発起設立せられたる日英銀行は今般大に東洋に業務を拡張する為め
  日本顧問  青淵先生
  地方取締役 大倉喜八郎、浅野総一郎両氏
を選定せりと云ふ

竜門雑誌 ○第二二二号〔明治三九年一一月〕 青淵先生と新会社関係(DK050082k-0003)
第5巻 p.366-367 ページ画像

 ○第二二二号〔明治三九年一一月〕
○青淵先生と新会社関係 青淵先生が発起人又は創立委員として創立を賛助せられたる新会社のことに就ては、前々号に記載したる如く
 - 第5巻 p.367 -ページ画像 
は相談役、又は顧問たることを承諾せられたりといふ
  一名古屋瓦斯株式会社    相談役
  一中央製紙株式会社     相談役
  一東亜製粉株式会社     相談役
  一営口水道電気株式会社   相談役
  一東京毛織物株式会社    相談役
  一日英銀行(ゼ、アングロ、ジャパニーズ、・バング)
                顧問《アドバイザー》
尚左記の三会社に対しても設立後、各重役の懇請に依り相談役たることを承諾せられたりといふ
  一名古屋電力株式会社    相談役
  一万歳生命保険株式会社   相談役
  一大日本製糖株式会社    相談役
又左記の諸会社の発起に就ても、各主唱者の懇請に依り、下記の如く加入を承諾せられたりといふ
  一明治製糖株式会社     創立委員長
  一大船渡築港鉄道株式会社  創立委員長
  一日清生命保険株式会社   発起人
  一帝国劇場株式会社     創立委員長
  一株式会社高等演芸場    発起人
  一株式会社東洋亜鉛錬工所  創立委員長
  一満洲豆粕製粉株式会社   創立委員長


竜門雑誌 第二二三号・第四六頁〔明治三九年一二月〕 ◎日英銀行披露晩餐会(DK050082k-0004)
第5巻 p.367 ページ画像

竜門雑誌 第二二三号・第四六頁〔明治三九年一二月〕
◎日英銀行披露晩餐会 今回登録を経て愈々横浜に支店を開始する日英銀行の披露並に在日本支配人テーロル氏紹介の為め同行の顧問たる青淵先生及同行の重役たる大倉喜八郎、浅野総一郎、門野重九郎の諸氏主人側となり本月三日夜華族会館に於て晩餐会を催ほしたり、来賓は松岡農商務大臣、末松男、後藤男、三井男、添田寿一、山川勇木氏其他京浜の有力なる銀行家二十余名にて松岡及び添田両氏は日英銀行を歓迎して其前途の昌盛を祈り、末松男は英語にてテーロル氏歓迎の辞を陳ベて日英両国の間には現に政治上の同盟あり之に加へて経済上の同盟を生じ来りたるを祝すと云ひ、テーロル氏謝辞を述べ、最後に青淵先生及び大倉氏の来賓に対する挨拶あり、主客談笑に刻を移し十時散会したりと云ふ


東京経済雑誌 第五三巻・第一一三六号〔明治三九年五月一二日〕 日英銀行の新設(DK050082k-0005)
第5巻 p.367-368 ページ画像

東京経済雑誌 第五三巻・第一一三六号〔明治三九年五月一二日〕
    日英銀行の新設
倫敦に於ける著名なる銀行家の発起により日英人合同して、新たに設立せらるべき日英銀行は、英国に於て大に歓迎せられ、株金募集の如きも非常の好成績を見たりと云ふ、該銀行の資本金は二百万磅、一株十磅にして五磅丈けの払込を為し、残金の五磅は精算を為す場合の資金として保留せらる可し、株の募集価格は額面通りにして、総資本金中半部のみ一般公衆より募集せらる可し、役員は大倉喜八郎、浅野総
 - 第5巻 p.368 -ページ画像 
一郎氏、顧問役は渋沢栄一氏にして、本店を英国に置く、英国方の重役は蘇格蘭ユニオン銀行重役ジエームス・スミス・パーカー、メキシコサウスアメリカ銀行重役ジヨーズフマカンドリニー、濠洲ユニオン銀行重役サー・ウエストバイ・パーセヴアル、波斯帝国銀行重役ロイテル男、マーチヤントバンキングカンパニー重役ハーバート・エヅルマン等の諸氏にして、既に払込十万磅に達したり、本銀行は夫の香上銀行、正金銀行等の如き普通の銀行営業を行ふのみならず、英国の資本に対し日本に於て好箇の使途を与へんとするものなりと、英国新聞に見ゆ、尚ほ役員間の権利の如き従来外国人との合同事業と多少趣を異にし、日英人間に全然平等に分配せられるものにして、支店開設業務の開始は支配人来朝の上、万事協議の後決定すべしと云ふ、其成否は未だ確然たらざるものあるも、聞くままに之を記す


銀行通信録 第四二巻第二五四号・第四六頁〔明治三九年一二月一五日〕 日英銀行支店設置(DK050082k-0006)
第5巻 p.368 ページ画像

銀行通信録 第四二巻第二五四号・第四六頁〔明治三九年一二月一五日〕
    日英銀行支店設置
日英銀行が株金半額の払込を終り、資本金総額百万磅となりしことは前号(六三三頁)に記せしが、同行は普通銀行業務の外、信託業を営む目的にて、ジエームス・ウオルター・ロス・テーロア氏を代表者とし、横浜市山下町十一番地に支店を設置することゝなり、十一月三十日其筋の認可を得、尋で本月三日右披露の為め渋沢栄一、大倉喜八郎浅野総一郎三氏は朝野の貴紳を華族会館に招待して宴会を催ふされたり
  ○日英銀行ハ大倉喜八郎浅野総一郎等外人ト共ニ設立シタルモノニシテ、明治三十九年十月東洋ニ業務ヲ拡張スルタメ先生ヲ日本顧問ニ委嘱シタルモノナリ。


渋沢栄一 日記 ○明治四〇年(DK050082k-0007)
第5巻 p.368 ページ画像

渋沢栄一日記
 ○明治四〇年
八月十七日 晴暑              起床六時就蓐十一時三十分
○上略 大倉、門野二氏来リテ日英銀行ノコトヲ談ス○下略

渋沢栄一 日記 ○明治四一年(DK050082k-0008)
第5巻 p.368 ページ画像

 ○明治四一年
三月二十二日 晴暖
○上略 此日ホテルニ於テ日英銀行重役某英国ヨリ来着セルニ会見ス
四月八日 曇寒
○上略 十二時半葵町大倉氏邸ニ抵リ阪谷男爵及新来ノ日英銀行取締役会長等ノ招宴ニ出席ス○下略