デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 21. 株式会社宮城屋貯蓄銀行
■綱文

第5巻 p.368-384(DK050083k) ページ画像

明治41年5月(1908年)

是ヨリ先、株式会社宮城屋貯蓄銀行破綻ス。是月栄一他ノ数氏ト共ニ整理ヲ托セラレテ之ニ当り、十二月ニ至リテ完了ス。


■資料

竜門雑誌 ○第二四一号・第四〇頁〔明治四一年六月〕 宮城屋貯蓄銀行の整理(DK050083k-0001)
第5巻 p.369 ページ画像

竜門雑誌
 ○第二四一号・第四〇頁〔明治四一年六月〕
◎宮城屋貯蓄銀行の整理 宮城屋貯蓄銀行は明治三十一年中設立せられたるものにして、市内各質屋の質草に対する貸附を専らとし、大野清敬氏其頭取にして、資本金五万円中払込高は一万二千五百円なれども預金は二百七十万円の巨額を有せしに、本年三月中突然取附の厄に遭ひ、同月十三日より支払を停止して、爾来預金者と銀行との間に紛議中なりしが「やまと」新聞社の松下軍治氏等が主唱したる本年四月三十日新富座に開かれたる預金者大会の決議に依り、松下氏は去る五月五日青淵先生を兜町の事務所に訪問して、先生に懇談するに該銀行整理の任に当られんことを以てしたり、然るに先生は右の依頼に対し、一応之を固辞せられしも、先生亦東京貯蓄銀行取締役会長の任にありて、貯蓄銀行の信用と細民の貯蓄とには平生注意せらるゝ所あり旁々宮城屋貯蓄銀行預金者の現状に対する同情より、若し現に貯蓄銀行を経営せらる二三有力者にして自分と協力し、進んて整理の任に当らるゝに於ては、出来得る丈の力を尽すこと素より辞する所にあらずと答へられ、松下氏も其後中沢彦吉、池田謙三、田中平八の三氏に向て同様の依頼を為し、各其承諾を得たる結果、同月二十六日青淵先生と及右三氏は阪本町の銀行倶楽部に会して協議を遂げし上、左の決議を為したり
 一先つ銀行業に精通したる人物を挙げて宮城屋貯蓄銀行の内状を調査せしむる事
 一右の人選は先生に一任する事
 一右人選及調査とも至急に取運ぶべき事


竜門雑誌 ○第二四二号・第五二頁〔明治四一年七月〕 宮城屋貯蓄銀行の整理(DK050083k-0002)
第5巻 p.369 ページ画像

 ○第二四二号・第五二頁〔明治四一年七月〕
◎宮城屋貯蓄銀行の整理 青淵先生が田中平八、中沢彦吉、池田謙三三氏と共に、宮城屋貯蓄銀行の整理を引受けられしことは前号に記せる如くにして、其結果先づ同所の内状を調査する為め相当の人物を選任することゝなり、其選任は先生に一任せられしに付き、先生には爾来人選中なりしが結局前京釜鉄道株式会社重役竹内綱氏を挙げ、竹内氏は其下に脇田勇氏を使用して十分の調査を遂ぐることゝなり、六月二十六日其旨該銀行当事者に通告し、竹内氏は目下調査進行中なりといふ


竜門雑誌 ○第二四三号・第三九頁〔明治四一年八月〕 宮城屋貯蓄銀行調査の結了(DK050083k-0003)
第5巻 p.369 ページ画像

 ○第二四三号・第三九頁〔明治四一年八月〕
◎宮城屋貯蓄銀行調査の結了 竹内綱、協田勇の両氏が主として尽力中りし《(な欠カ)》宮城屋貯蓄銀行に関する調査は一先結了したるに付き、北海道出張中の青淵先生帰京の上、右調査の結果に基き池田、中沢、田中竹内の諸氏と協議の上、整理の方針を立案せらるゝ筈なりと云ふ


竜門雑誌 ○第二四六号 第六七―七〇頁〔明治四一年一一月〕 宮城屋貯蓄銀行整理方案(DK050083k-0004)
第5巻 p.369-372 ページ画像

 ○第二四六号 第六七―七〇頁〔明治四一年一一月〕
◎宮城屋貯蓄銀行整理方案 青淵先生が其他の諸氏と共に調査せられたる宮城屋貯蓄銀行整理方案は去月下旬に至りて一先結了し、之を報告せられたるより同行預金者協議委員百余名は十月二十九日新橋演
 - 第5巻 p.370 -ページ画像 
芸館に協議会を開き、其結果各区々々の預金者に対し、十分に整理案の旨趣を徹底せしめ、然る上にて預金者大会を開くことゝなり、目下其進行中なり、今其整理案を記すれば左の如し
  宮城屋貯蓄銀行調査に関する報告
    宮城屋貯蓄銀行資産負債調査
  宮城屋貯蓄銀行の現状を調査して善後の方法を提案せられたしとの事は、本年五月頃より同行預金者総代の名義を以て、松下軍治氏より余輩五名に請求せられ、同時に該銀行頭取大野清敬氏、取締役中鉢美明氏等よりも懇切に依頼ありしにより、余輩従来同銀行に対し何等関繋する所なしと雖も、其事情の黙止し難きものあるを以て、五月二十六日銀行集会所に於て初度の会見を開き、次で其二十九日渋沢事務所に於て大野、中鉢、松下氏等と会談し、爾後数回の会同を以て調査の順序を協定し、結局竹内綱氏余輩の総代として専ら同銀行資産の調査に任じ、而して計算上の実務は脇田勇氏に委托することゝして其調査に着手したり
  爾来竹内、脇田の両氏は努めて調査の進行を計り、銀行の帳簿は勿論実際財産の存在を確め、且つ所有物件、担保物件、貸付金等に付、或は専門家の鑑定評価を求め、或は対人信用に付一々精査を遂げ、又債権書類の不備違法又は遺漏の廉あるを発見したるものは、銀行当局者に向て注意を与ふる等の手段を尽して、漸く其調査(別表の通り)を了るに至れり
   但右調査は明治四十一年六月三十日現在の計算を基礎としたるものなり
  五名は必要に応じ時々会同協議をなし、八月十日渋沢事務所に於て渋沢、池田、田中、中沢、竹内、脇田の諸氏集会し、前記調査の結果に付詳細評議を遂ぐる処あり、当日の決議として、該調査書中計上したる資産が、大約如何なる時期に於て現金に引換へ得らるべきやを予定する為め、更に進んで、其調査を遂ぐる事としたり
  前項の調査も概略終了し、回収金の予算も稍稍見込み立たるにより、玆に五名は十月二十日渋沢事務所に会同して其協議の結果、別冊預金払戻案の通り、宮城屋貯蓄銀行預金約半額の年賦払戻し方法を設定して之を提出する事としたり、而して他の半額は多く滞貸に属するを以て、之を回収するは極めて困難なるべければ、結局損失たるに帰せざるを得ざるべし
   但し滞貸金の種類によりては、将来幾分の回収を得べきものなきにあらざるべきも、今日に於ては之を確言し難し
  右預金払戻案は要するに宮城屋貯蓄銀行平穏鎖店の方法たるに過ぎずと雖ども、現に該銀行が所有する債権の現状に就て之を審案すれば他に名策なきものと思惟す
   但し預金者合同して別に新銀行を設立し、以て宮城屋貯蓄銀行の現財産を引受け、同銀行と契約して別紙の方案に拠り預金を還済するものとせば、或は新銀行の経営上幾分の利殖を得て、徐ろに預金の全額を完済し得るに至らんか、依て五名は更に新
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銀行設立に関する一案を附加して預金者の参考に供す
    明治四十一年 月 日
                  男爵 渋沢栄一 印
                     池田謙三 印
                     田中平八 印
                     中沢彦吉 印
                     竹内綱 印
    宮城屋貯蓄銀行預金払戻案
  宮城屋貯蓄銀行の預金払戻しを為さんとするには、須らく同銀行の貸金等を回収し、之を以て順次支払を為さゞるべからず、今資金回収の見込基礎として預金の払戻を予定するに、其割合左の如し
  一、貯蓄預金、当座預金、小口預金、定期預金を通じ十円未満の者は全部即時払戻す事
  二、同上十円以上五十円未満のものは五割を据置き、其余の全部を明治四十二年三月払戻す事
     但払戻金にして拾円に達せざるものは拾円を払戻す事
  三、貯蓄預金にして五十円以上のものは五割を据置き、其余を各半額宛明治四十二年六月及び同四十三年六月の両度に払戻す事
  四、当座預金、小口預金、定期預金にして五十円以上のものは五割を据置き、其余は毎年六月十二月の両度に分ち、明治四十二年六月を第一回とし、以後四箇年賦を以て払戻す事
  五、前数項に依り払戻したる残余即ち据置となしたる分は差向き払戻の時期を定めずと雖も、銀行状態が支払をなし得べき時期に達するを俟ち漸次払戻す事
  六、前数項の手続に依り払戻すべき預金は、明治四十一年一月以降総て無利息とする事
  七、右の方法にして採用せらるゝを得ば余輩五名は若干の監督者を選定し、宮城屋貯蓄銀行当局者の行為を充分に監督せしめ勉めて預金者の損失を予防すべき事
     但此監督者へは相当の報酬を為すべき事
      同附加案
  一、宮城屋貯蓄銀行整理の方法として新に株式組織を以て一銀行を設立する事
  一、銀行の株式は宮城屋貯蓄銀行の預金者をして、預金を振替へ応募せしむる事
     但其振替は預金一百円に付二十五円払込済株式二株の割合たるべき事
  一、新銀行の資本額は予め宮城屋貯蓄銀行預金者の同意の多寡によりて之を定むる事
  一、新銀行は宮城屋質店並に宮城屋倉庫合資会社の業務をも継承する事
  一、新銀行は宮城屋貯蓄銀行の現存資産の内、営業什器を除きた
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る其他の全部を継承し、同時に宮城屋貯蓄銀行に対し、大要左の条件を以て債務の弁済を負担する事
      契約要件
  第一条 新銀行が宮城屋貯蓄銀行に対し負担する債務は、本契約締結の当時、宮城屋貯蓄銀行の現負債たる貯蓄預金、当座預金、小口預金、定期預金の総額を限度とす
  第二条 前条の債務弁済の方法は別に利息を附せず、宮城屋貯蓄銀行が預金払戻に要する資金を、別紙預金払戻方法に依り現実払をなす都度、新銀行より宮城屋貯蓄銀行に供給するものとす
     但別紙預金払戻方法中記載する据え置預金の払戻は、新銀行の株主配当金が年八分に達したる場合に於て、其余分の払込株金及び据置預金残高に按分し、株金に対する分は株主の所得とし、据置預金に対する分は宮城屋貯蓄銀行に供給し、以て該預金の払戻に充てしむるものとす
  第三条 宮城屋貯蓄銀行が、貯蓄銀行条例第四条に拠り貯蓄預金払戻保証として中央金庫へ預納の義務ある有価証券は、其必要の限度に於て、新銀行より宮城屋貯蓄銀行に貸与するものとす
  第四条 宮城屋貯蓄銀行の営業経費は一定の額を定め、新銀行より供給するものとす
       但営業収益により宮城屋貯蓄銀行に於て自ら支弁し得る場合は此限りにあらず


竜門雑誌 第二四七号・第六三―六四頁〔明治四一年一二月〕 ○宮城屋貯蓄銀行善後策(DK050083k-0005)
第5巻 p.372-373 ページ画像

竜門雑誌  第二四七号・第六三―六四頁〔明治四一年一二月〕
○宮城屋貯蓄銀行善後策 宮城屋貯蓄銀行調査の依頼を受け、池田謙三、田中平八、中沢彦吉の諸氏と謀り、竹内綱、脇田勇の両氏を主任として同行の内状を精査せしめ、竟に其の処分法を立案して曩に預金者に説示せられたる青淵先生は、去月廿六日午前十時半より預金者総代を兜町の事務所に招きたるに、預金者総代として南粤、西実之助、和田源内、富沢定七、岡谷平三郎、後藤定吉、山村与兵衛、郡司顕政、菅根清三、川喜多常太郎、伊藤徳三郎の十一氏、及松下軍治氏前夜来病気のため鈴木、中村、福田、藤田の四氏参会し、男爵は先づ今年五月松下氏より預金者救済のため尽力すべく依頼されたる顛末を詳説し六月十六日銀行の調査に着手し、八月上旬其の大体を終り、更に回収方法其他をも調査して十月廿日に之を終りたることを語り、尚ほ将来に対する意見をも打明けられしかば、各総代は青淵先生の高義に感激して無限の謝意と満足とを表し、南氏よりは尚多数預金者の意向を述べ、是までの御情義を以て更に何分の御指導を仰ぎたしと請へるに先生は自分相応の尽力は致すべしと答へられたり、斯くて預金者大会は十二月三日午後六時より新富町新富座に於て開かれしが、会する者約千名に及び、預金者委員総代松下軍治氏の代理として中村氏の「対宮城屋銀行交渉顛末報告」あり、次に預金者委員の一人商粤氏より「預金者委員と青淵先生との会見顛末報告」あり、次に松下氏は本問
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題に対する自己の苦心、脇田勇氏の精励、青淵先生の高義を略説し、新銀行設立に賛助を求め、左の決議案を提唱して満場一致之を可決したり
     決議案
  (一)我々預金者一同は今回渋沢男爵を始め整理委員諸氏より提示せられたる宮城屋貯蓄銀行整理附加案、即ち預金者を以て一の財団となし、新銀行を設立するの案を以て尤も機宜に適切なるものと認め該案の速に成立せんことを希望す
  (二)我々預金者一同は渋沢男爵を始め池田、田中、中沢、竹内、脇田諸氏が、多大の同情を以て宮城屋貯蓄銀行の内状を精査し、整理の方法を指示せられたるを感佩し、謹で玆に大会の決議を以て謝辞を呈し、併せて左の諸件を懇請す
    一、新銀行設立に就ては万事渋沢男爵を始め整理委員諸氏の指導を仰ぎたき事
    一、渋沢男爵を始め委員諸氏は新銀行重役に就任せられたき事
    一、新銀行設立と同時に、渋沢男爵始め整理委員諸氏の特別の配慮に依り、各預金高の一割宛を払戻されたき事
  (三)新銀行設立に就き渋沢男爵を始め整理委員諸氏の尽力を懇請するの件は一切松下軍治氏に委托する事
斯くて新銀行の名称は青淵先生の名に因み栄銀行としたき由関係者の希望にして、先生も之を内諾せられたるやに聞く


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK050083k-0006)
第5巻 p.373-375 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四一年
五月六日 晴 暖
○上略 午前やまと新聞紙松下軍次来話《(松下軍治)》シ、宮城屋貯蓄銀行ノコトニ付談話ス
五月九日 曇 暖
○上略 午後四時安楽警視総監ヨリ松井吉太郎氏ヲ以テ宮城屋銀行ニ関シやまと新聞ニ於テ記載スルコトニ関シ問合アリ○下略
五月二十六日 晴 暖
○上略 三時銀行集会所ニ抵リ宮城屋銀行善後策講究ノ為メ池田、中沢、田中及松下軍次氏等ト会話ス○下略
五月二十九日 雨 軽寒
○上略 午前宮城屋銀行ノコトニ関シ大野清敬、中鉢、松下三氏来話ス○下略
六月六日 晴 暖
○上略 松下軍次ヨリ宮城屋銀行ノコトニ関シ電話紹介アル○下略
六月二十日 曇夕雷雨 暑
○上略 午前九時半兜町事務所ニ抵リ、田中平八氏ノ来訪ニ接シ宮城屋銀行ノコトヲ談ス
六月二十六日 雨 暑
○上略 一時事務所ニ抵リテ竹内綱、中沢、田中諸氏来リテ宮城屋銀行ノコトニ関シ大野、松下諸氏ト会話ス、渡辺嘉一氏、飯田義一氏等来話
 - 第5巻 p.374 -ページ画像 
ス○下略
七月八日 曇 冷
○上略 京釜鉄道会社脇田勇氏ニ会見シ、宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
七月十日 晴 冷
○上略 午後一時宮城屋銀行ノコトニ関シ大野、中鉢其他ノ行員及整理委員ヲ会シ、中沢、田中諸氏等ト共ニ財産取締上ノコトヲ議ス、松下軍治氏来会ス○下略
八月八日 半晴 暑
○上略 十一時桂首相ヲ三田ノ私邸ニ訪ヒ、○中略宮城屋銀行整理ノコトヲモ談ス○下略
八月十日 半晴 暑
○上略 十時兜町事務所ニ抵リ、竹内、池田、中沢、田中及脇田氏等ト宮城屋銀行ノコトヲ協議ス○下略
九月九日 半晴 冷
○上略 松下軍治氏ハ宮城屋銀行整理談ヲ為ス○下略
九月十二日 曇 冷
○上略 竹内綱、脇田勇二氏来リ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
九月十八日 曇 涼
○上略 九時兜町事務所ニ抵リ、池田、竹内其他ノ人々ト宮城屋銀行善後処分ノコトヲ協議ス○下略
九月二十六日 曇 涼
○上略 脇田勇氏来リ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
九月三十日 曇 涼
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、脇田勇氏ノ来訪ニ接シテ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
十月一日 曇 涼
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、松下軍治氏ノ来訪ニ接シ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
十月十日 曇 冷
○上略 午前十一時兜町事務所ニ抵リ来人ニ接シ、事務ヲ処理ス、脇田勇氏来リ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
十月二十日 晴 冷
〇上略 十時兜町事務《(所脱)》ニ抵リ、宮城屋銀行調査及善後方案ニ関シ、田中、竹内、脇田氏等ト会見協議ス○下略
十月二十四日 曇 冷
○上略 午前十時兜町ニ抵リ、宮城屋貯蓄銀行ノコトニ関シ池田、田中、竹内、脇田ノ諸氏ト協議ス○下略
十月二十七日 晴 冷
○上略 宮城屋貯蓄銀行ノコトニ関シ、兜町事務所ニ会議アリシモ出席スルヲ得サリキ○下略
十月二十八日 曇 冷
〇上略 脇田勇氏来リ、宮城屋銀行ノコトニ関シ、昨日集会談話セシ顛末ヲ述ヘラル
十一月二十六日 曇 寒
 - 第5巻 p.375 -ページ画像 
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、宮城屋銀行ノコトニ関シテ預金者総代十数名ニ面会シテ銀行財産調査ノ顛末ヲ口演ス、松下軍次《(松下軍治)》氏ノ代理数名、脇田勇氏モ来会ス○下略
十二月七日 晴 軽寒
○上略 松下軍次、竹内綱、脇田勇氏等来リ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
十二月十二日 雨 寒
○上略 十時半兜町事務所ニ抵リ、脇田勇氏ノ来訪ニ接シ、宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
十二月十九日 半晴 寒甚
○上略 脇田勇氏ノ来訪ニ接シ、宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
十二月二十一日 曇 寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、竹内、脇田二氏ト宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
十二月二十八日 晴 寒
○上略 松下軍治、大野正敬氏等《(大野清敬)》ノ来訪ニ接シ、宮城屋銀行ノコトヲ談ス


銀行通信録 第四五巻 ○第二七〇号・第五四―五五頁〔明治四一年四月一五日〕 宮城屋貯蓄銀行の取付(DK050083k-0007)
第5巻 p.375-377 ページ画像

銀行通信録 第四五巻
 ○第二七〇号・第五四―五五頁〔明治四一年四月一五日〕
    ○宮城屋貯蓄銀行の取付
京橋区三十間堀なる株式会社宮城屋貯蓄銀行は三月十日午後三時頃より貯金の取付に遭ひ、同日は本支店代理店を通じて三万円余、翌十一日は十万円余を支払ひしが、超へて十二日に至りては一層激烈の取付となり、同日中に三十万円余を支払ひしも、取付の勢毫も衰へざるより、同夜重役其他関係者一同鳩首凝議の末、遂に同月十九日まで一時支払猶予を求むるの已むなきに至れり、同行は明治三十一年十二月の設立に係り、資本金五万円内払込済一万二千五百円にして、預金二百七十万円を有し、頭取は大野清敬氏にして、従来専ら市内各質店の質草に対する貸付及倉庫の証券に対する融通を営業とし来りしが、同行は現時経済界の状況に鑑み、去二月以来新規貸出を一切中止したるに此事図らずも一部質屋業者の悪感を買ひ、種々中傷的の浮説を流布するものありて、遂に斯る取付を見るに至りしものなりと云ふ
斯くて同行に於ては直ちに善後策に着手し、種々資金の調達に奔走する所ありしも、何分同行担保品の多くは有価証券にあらずして普通の商品なるより、一時に融通を付くること能はず、漸く二十万円許の調達を得て取敢へず通帳記載額十円以下の預金に対し支払を為すことゝなり、予定の如く十九日午前九時より順次支払を開始せり、而して十円以上の預金支払方に関しては其後銀行側より飯田宏作、大槻直信、中村徳重郎、八巻知道の四氏を整理委員に嘱托し、左の如き整理案を作りて預金者の承諾を求むることゝなれり
 一、未払込株券三万七千五百円を払込む事
 二、十円以上の預金者に対し協議纏り次第平等に預金額の一割を支払ふ事
 三、銀行の基礎を鞏固ならしむる為更に資本金を一百万円迄に増加する事
 - 第5巻 p.376 -ページ画像 
   但し株主は預金者中より募集する事
 四、五十円未満の預金には年二朱の利子を附し、本年十二月半額を支払ひ、残半額は四十二年十二月支払ふ事
 五、五十円以上の預金にして株金と振替なきか、又は株金に達せさる端金は年二朱の利子を附し、四十二年六月に其一割を支払ひ六箇月目毎に一割宛支払ふ事
斯くて同行に於ては、四月一日千円以上の預金者を、同二日五百円以上の預金者を、芝区烏森町寄席玉の井に招集して整理案の承諾を求めしも、議論紛々として決定に至らず、更に預金者中有志の発起にて五日芝区日蔭町鳥羽小学校内に預金者全部の集会を催ふし、預金者側より整理委員を挙げて銀行当事者と交渉せしむることゝなれり、因みに同行重役より預金者会に提出したる三月二十日現在の貸借対照表を示せば左の如し
    貸借対照表
  借方
                    円
 貸付金           三、五五〇・〇〇〇
 当座預金貸越       二〇、〇五八・五六〇
 割引手形      二、一八三、八九二・六九〇
 預け金         一一八、二八七・五五七
 代理店勘定        三一、四五〇・〇〇〇
 雑勘定             五〇〇・〇〇〇
 国庫債券         三六、八〇〇・〇〇〇
 株式          一八八、八一五・〇〇〇
 未払資本金        三七、五〇〇・〇〇〇
 支払利息          六、三七七・九三〇
 諸給            一、〇五〇・〇〇〇
 雑費              七三八・三二〇
 諸税及公費             五・五九〇
 営業用什器           一九一・五〇〇
 金銀勘定         四七、八四二・八六一
  合計       二、六七七、〇六〇・〇〇八
  貸方
 貯蓄預金        五二三、七七九・二一八
 当座預金        一四二、八五九・五五〇
 小口当座預金    一、〇四四、八五九・四二〇
 定期預金        六四二、五四七・八八〇
 割引手形(内入金)    二一、二一七・一六〇
 借入金          九二、五九八・四四〇
 支店勘定         四九、四九九・一五八
 資本金          五〇、〇〇〇・〇〇〇
 積立金          二六、五〇〇・〇〇〇
 前期繰越金        六三、九一四・七九二
 割引料          一六、七八四・三九〇
 公債利息          一、〇〇〇・〇〇〇
 - 第5巻 p.377 -ページ画像 
 株式利息          一、五〇〇・〇〇〇
  合計       二、六七七、〇六〇・〇〇八


銀行通信録 第四五巻 ○第二七一号・第七八―七九頁〔明治四一年五月一五日〕 宮城屋貯蓄銀行整理の成行(DK050083k-0008)
第5巻 p.377 ページ画像

○第二七一号・第七八―七九頁〔明治四一年五月一五日〕
    ○宮城屋貯蓄銀行整理の成行
過般破綻を暴露せる宮城屋貯蓄銀行にては前号(五二二頁)に記載せる整理案に付、其後引続き預金者を招集して談合する所ありしも決定に至らず、預金者は各自随意に団体を組織し代表者を選定して重役及整理委員と交渉中なるが、其中預金の一割は取敢へず従来の回収金を以て之を払戻すことゝなり、五月一日午前九時より毎日三百名を限りて支払を開始せり、尚同行資産の実況を聞くに貸付金二百三十万円の内二百十六万円は割引手形にして、其内頭取大野清敬氏の流用分七十九万円、質店への貸付分八十万円、倉庫への貸付分十九万七千円、国光社へ五万円、酒井勝之助氏へ十二万八千円、其他一万円以上の者は僅かに二名に過ぎず、他は孰れも小口貸金のみにして此外十六万余円の現金は前記一割の預金支払に充つベく、又二十二万余円の有価証券は貯蓄銀行条例に拠る四分の一保証金として其筋に提供しあり、而して大野氏の流用金七十九万円の回収如何は同銀行の死活に大関係を有するものなるが、内四万円は有価証券、五万円は不動産、二万円は動産此合計十一万円は担保として提供しあり、尚ほ取締役中鉢美明氏五万円、同浅井利兵衛氏一万円、同栗村朗吉氏千五百円、此合計六万千五百円の資産提供ありて差引不足は六十一万円内外となる勘定なるが、大野氏が山内家の林有造、伯爵板垣退助氏等と共同着手せし神奈川埋立工事総坪数六万坪の内四万坪は既成地、二万坪は未成地にして今日まで已に百二十万円内外を投じ、其の内七十万円は仙台の素封家斎藤善右衛門氏に一番抵当権の設定あり、既成地四万坪を仮りに一坪三十円に売却し得るとすれば百二十万円を得べく、此の内七十万円を差引残額五十万円の内十万円は大野氏の当然収得すべき報酬金にして、他に是れまで山内家より支出すべき二十五万円を大野氏に於て立替へ居れば、合計三十五万円は同銀行へ回収し得べきものなりと云ふ


銀行通信録 第四五巻 ○第二七二号・第四四―四五頁〔明治四一年六月一五日〕 宮城屋貯蓄銀行預金者大会(DK050083k-0009)
第5巻 p.377-378 ページ画像

○第二七二号・第四四―四五頁〔明治四一年六月一五日〕
    ○宮城屋貯蓄銀行預金者大会
宮城屋貯蓄銀行整理の任に就ては其後「やまと」新聞社長松下軍治氏等の発意に依り、渋沢男に整理を依頼することに決し、松下氏預金者を代表して同男に面会交渉の結果、他の貯蓄銀行業者両三名の協力あるに於ては整理の任に当るも可なりとのことなりしより、五月十二日新富座に於て預金者大会を開き、松下氏より右の顛末を報告し、終て左の決議案を可決せり
    第一決議案
吾人は男爵渋沢栄一氏が深く吾々の現状に同情し、宮城屋貯蓄銀行整理の任に当る事を承諾せられたるに感謝の意を表す
    第二決議案
吾人は男爵渋沢栄一氏の承諾条件に伴ふて我財界に重望ある中沢彦
 - 第5巻 p.378 -ページ画像 
吉、池田謙三、田中平八の三氏が渋沢男爵と協力して宮城屋貯蓄銀行の整理に当られんことを懇請する為め、総代松下軍次《(松下軍治)》氏を三氏の邸に派することを決議す
    第三決議案
吾人は宮城屋貯蓄銀行の整理に関し一致の行動を取る為め、玆に従来の各団体を解散し、「やまと」新聞の発起したる宮城屋貯蓄銀行預金者同志会に加盟し、其目的を達せんが為め左の事項を協定す
 一「やまと」新聞社を本部とし必要なる各所に支部を設くること
 一各支部には若干の委員を置くこと
  但し従来の各団体を代表したる各委員には無償にて新たなる支部の委員たることを嘱托する方針を取ること
 一「やまと」新聞社は其目的を達する迄無償を以て其任に当り、関係の諸報告は勿論支部の費用等総て之を負担し、一切預金者より申受けざること
 一「やまと」新聞社長松下軍次氏を預金者同志会委員長に推すこと
斯くて松下氏は其後池田、中沢、田中三氏に交渉したる上五月二十六日渋沢男以下銀行倶楽部に会合協議の結果、兎に角同行の内状を調査することの承諾を得たるを以て、同月三十一日更に預金者大会を新富座に開き前記の次第を松下氏より報告し終て左の決議案を可決せり
    決議案
 吾人は男爵渋沢栄一君と共に中沢彦吉、池田謙三、田中平八の三君が宮城屋貯蓄銀行整理の任に当ることを承諾せられ、既に整理の端緒を開かれたるを感謝すると同時に、右四君に深く信頼し玆に区々の行為を中止し偏に四氏の解決を俟つことゝし仍て左の事項を決議す
  一 第四回大会は整理の報告を俟ちて開会すること
  一 右大会前に臨時協議を要する場合に処する為め協議委員若干名を挙ぐること
  一 協議委員は「やまと」新聞社の指名に一任すること
  一 整理の状況は時々「やまと」新聞紙上を以て報告すること


銀行通信録 第四六巻 ○第二七三号・第三四頁〔明治四一年七月一五日〕 宮城屋貯蓄銀行調査委員決定(DK050083k-0010)
第5巻 p.378 ページ画像

銀行通信録 第四六巻
 ○第二七三号・第三四頁〔明治四一年七月一五日〕
    ○宮城屋貯蓄銀行調査委員決定
宮城屋貯蓄銀行整理に就ては、前号(八四〇頁)に記するが如く、渋沢男爵、中沢彦吉、池田謙三、田中平八の四氏其任に当ることを承諾せしが、第一着に調査委員を挙げて同行の内状を調査することとなり、渋沢男爵より竹内綱氏に依頼せり


銀行通信録 第四六巻 ○第二七四号・第六四―六五頁〔明治四一年八月一五日〕 宮城屋貯蓄銀行調査委員追加(DK050083k-0011)
第5巻 p.378 ページ画像

○第二七四号・第六四―六五頁〔明治四一年八月一五日〕
    ○宮城屋貯蓄銀行調査委員追加
宮城屋貯蓄銀行にては、既記(前号三四頁)竹内綱氏の外、脇田勇氏を調査委員に挙げ引続き調査進行中なり


銀行通信録 第四六巻 ○第二七七号・第六五―六六頁〔明治四一年一一月一五日〕 宮城屋貯蓄銀行整理案(DK050083k-0012)
第5巻 p.378-380 ページ画像

 ○第二七七号・第六五―六六頁〔明治四一年一一月一五日〕
 - 第5巻 p.379 -ページ画像 
    ○宮城屋貯蓄銀行整理案
宮城屋貯蓄銀行整理に就ては渋沢男爵以下整理委員の委托に依り竹内綱、脇田勇の両氏専ら調査中なりしが、愈々調査結了し整理案と共に其報告ありしに付、十月二十九日取敢へず新橋演芸館に於て曩に選定せられたる評議委員百余名の集会を催ふし、種々攻究する所ありがし追て一般預金者の大会を開き之を評議する筈なり、尚同行整理案は預金払戻案及同附加案の二案より成るものにして、其全文左の如し
     預金払戻案
 宮城屋貯蓄銀行の預金払戻しを為さんとするには須らく同銀行の貸金等を回収し、之を以て順次支払を為さゞるべからず、今資金回収の見込基礎として預金の払戻を予定するに其割合左の如し
 一、貯蓄預金、当座預金、小口預金、定期預金を通じ十円未満の者は全部即時払戻す事
 二、同上十円以上五十円未満のものは五割を据置き、其余の全部を明治四十二年三月払戻す事
    但其払戻金にして十円に達せざるものは十円を払戻す事
 三、貯蓄預金にして五十円以上のものは五割を据置き、其余を各半額宛、明治四十二年六月及び同四十三年六月の両度に払戻す事
 四、当座預金、小口預金、定期預金にして五十円以上のものは五割を据置き、其余は毎年六月十二月の両度に分ち、明治四十二年六月を第一回とし以後四箇年賦を以て払戻す事
 五、前数項に依り払戻したる残余即ち据置となしたる分は、差向き払戻の時期を定めずと雖も、銀行状態が支払をなし得べき時期に達するを俟ち漸次払戻す事
 六、前数項の手続に依り払戻すべき預金は明治四十一年一月以降総て無利息とする事
 七、右の方法にして採用せらるゝを得ば、余輩五名は若干の監督者を選定し、宮城屋貯蓄銀行当局者の行為を充分に監督せしめ、勉めて預金者の損失を予防すべき事
   但此監督者へは相当の報酬を為すべき事
     同附加案
 一、宮城屋貯蓄銀行整理の方法として新に株式組織を以て一銀行を設立する事
 一、新銀行の株式は宮城屋貯蓄銀行の預金者をして預金を振替へ応募せしむる事
    但其振替は預金一百円に付二十五円払込済株式二株の割合たるべき事
 一、新銀行の資本額は予め宮城屋貯蓄銀行預金者の同意の多寡によりて之を定むる事
 一、新銀行は宮城屋質店並に宮城屋倉庫合資会社の業務をも継承する事
 一、新銀行は宮城屋貯蓄銀行の現存資産の中、営業什器を除きたる其他の全部を継承し、同時に宮城屋貯蓄銀行に対し大要左の条件を以て債務の弁済を負担する事
 - 第5巻 p.380 -ページ画像 
   契約要件
 第一条 新銀行が宮城屋貯蓄銀行に対し負担する債務は本契約締結の当時宮城屋貯蓄銀行の現負債たる貯蓄預金、当座預金、小口預金、定期預金の総額を限度とす
 第二条 前条の債務弁済の方法は別に利息を附せず、宮城屋貯蓄銀行が預金払戻に要する資金を、別紙預金払戻方法に依り現実払戻をなす都度、新銀行より宮城屋貯蓄銀行に供給するものとす
   但別紙預金払戻方法中記載する据置預金の払戻は、新銀行の株主配当金が年八分に達したる場合に於て其余分の払込株金及び据置預金残高に按分し、株金に対する分は株主の所得とし、据置預金に対する分は宮城屋貯蓄銀行に供給し、以て該預金の払戻に充てしむるものとす
 第三条 宮城屋貯蓄銀行が貯蓄銀行条例第四条に拠り貯蓄預金払戻保証として中央金庫へ預納の義務ある有価証券は、其必要の限度に於て、新銀行より宮城屋貯蓄銀行に貸与するものとす
 第四条 宮城屋貯蓄銀行の営業経費は一定の額を定め、新銀行より供給するものとす
   但営業収益により宮城屋貯蓄銀行に於て自ら支弁し得る場合は此限りにあらず


銀行通信録 第四六巻 ○第二七八号・第六二頁〔明治四一年一二月一五日〕 宮城屋貯蓄銀行預金者大会(DK050083k-0013)
第5巻 p.380 ページ画像

 ○第二七八号・第六二頁〔明治四一年一二月一五日〕
    ○宮城屋貯蓄銀行預金者大会
宮城屋貯蓄銀行にては前号(六五五頁)に掲載せる整理案に付、十二月三日新富座に於て預金者大会を開きしに出席者約千名あり、鈴木英也氏司会者となり、南黽氏より十一月二十六日預金者総代十余名にて整理委員渋沢男爵を訪問したる顛末を報告し、次で松下軍治氏より今日の場合整理案中の第二案に従ひ新銀行を設立するの外なきことを述べ夫より満場一致を以て左の決議案を可決せり
    決義案《(議)》
 一、我々預金者一同は渋沢男爵を始め池田、田中、中沢、竹内、脇田諸氏が多大の同情を以て宮城屋貯蓄銀行の内状を精査し、整理の方法を指示せられたるを感佩し、謹で玆に大会の決議を以て謝辞を呈し、併せて左の諸件を懇請す
 一、新銀行設立に就ては万事渋沢男爵を始め整理委員諸氏の指導を仰ぎたき事
 一、渋沢男爵を始め整理委員諸氏は新銀行重役に就任せられたき事
 一、我々預金者一同は今回渋沢男爵を始め整理委員諸氏より提示せられたる宮城屋貯蓄銀行整理附加案、即ち預金者を以て一の財団となし新銀行を設立するの案を以て最も機宜に適切なるものと認め、該案の速に成立せんことを希望す
 一、新銀行設立に就き渋沢男爵を始め整理委員諸氏の尽力を懇請するの件は一切松下軍治氏に委托する事
 一、新銀行成立と同時に渋沢男爵始め整理委員諸氏の特別の配慮に依り各預金高の一割宛を払戻されたき事
 - 第5巻 p.381 -ページ画像 


〔参考〕竜門雑誌 第二四五号・第二一―二七頁〔明治四一年一〇月〕 ○宮城屋銀行に就て(青淵先生)(DK050083k-0014)
第5巻 p.381-384 ページ画像

竜門雑誌  第二四五号・第二一―二七頁〔明治四一年一〇月〕
 ○宮城屋銀行に就て(青淵先生)
   此篇は先生が中央新聞記者の請に応じて談話せられたる所にして、同新聞の「宮城屋銀行は何うなるか」と題したる記事中十月十日より同十七日に至る紙上に連載せられたるものなり
  宮城屋銀行は何うなるか(九)
    △渋沢男爵の談話
私は元来宮城屋銀行とは何等の関係縁故もないのでありますが、去る六月中やまと新聞の社長松下軍次君《(松下軍治)》が来られての懇談に、「今回の宮城屋銀行の不始末に就ては、自分が頻りに心配して居る」と云ふ事で、其松下君の頻りに心配して居る理由が那辺に在つたかは、そりや私は知らず、又鄭寧に聴く必要もなかつたが猶松下君は種々と事情を述べて「今回の宮城屋銀行の不始末に就ては、如何にも多数の預金者に気の毒であつて、特に労働者的の人々が其預金者中に多い、彼等は厚く同銀行を信用して居たのに、あゝ云ふ有様で彼があの儘で解散にでもなれば、預金者の惨状は実に悲惨極まるであらうと思ふ、就ては閣下《あなた》は仙台の第七十七銀行を始終世話して居られる縁故ある事なり、宮城屋銀行も仙台に縁故があつて、其名を宮城屋と付けて居る位であるから、如何かして第一銀行の主脳たる渋沢男爵として是れに同情して一つ心配して戴きたい」と云ふ懇談でありましたが、渋沢が第一銀行主脳としての同情心配は断然御断り致しました。
    △関係辞退の理由
其理由は私の始終世話して居ると云ふ仙台の第七十七銀行は、明治十一年に時の宮城県知事其他から、創立の際に私に相談があつて、其の頭取も私が推薦し、始めは第一銀行の支店を置いて迄も世話した様な始末で、其当事東北は金融未た開けず、各地共に追々文明的の事業を推捗せしめなければならんと云ふ理想を私が有つて居たものですから当初斯の如くに私の微力を添えた訳です。
然るに爾来七十七銀行は、其勢ひに乗じて手を張り過ぎ、遂に不始末に陥つて遠藤は死ぬ、随つて知事、市長、頭取と云ふ様な人達から、其整理を私に依頼せられたが、私も最初は力を添えたものゝ其後関係が中絶して居たので、一応整理の任を断はりましたが、懇々厚く依頼せられて、最初の関係もあり、遂に断り切れず、到頭整理の任に当つて、今猶引続き世話をして居ると云ふ様な縁故関係があるのです。
所が仙台に縁故があるからと云ふて、第一銀行が何でも御座れに御世話申すと云ふ訳には往かない、又渋沢一人自分が身体を出す為に、法人たる第一銀行を煩はすと云ふ事は法人の迷惑此上もない事で、そんな事をすれば渋沢は第一銀行を辞さなければならんのですから、私は此理由を申し述べて、松下君からの御依頼は断然一応御断はり申したのです。
第一銀行主脳としての渋沢が宮城屋銀行の始末に同情関係する事は、私は断然御断り申したのは、前述の通りですが、すると松下君から再応の相談として「閣下のお話は実に御尤もであるが、現在の宮城屋の
 - 第5巻 p.382 -ページ画像 
重役等は、此苦境に処して未だ何等の覚悟もなく、殆んど皆浮き足で何となるか解らず、一般の預金者は悉く途方に暮れて居ると云ふ有様ですから、此際資金の注入や其他の大助力は不可能としても何か安全なる方法を発見して貰ふ事は出来まいか」と云ふ是れは再応の懇談でありました。
其所で私は申したのですが、そりや成程宮城屋の今日の不始末は、多数の預金者に対して、如何にも気の毒千万ではあるが、実は預金者とても好くない、宮城屋重役等の遣り方と云ふものは、貯蓄銀行の重役としてある間敷き事を為て居たにも拘らず、平気で是れに預金を入れて、砂上の楼閣に安心して居たと云ふものは是りや多数の預金者にも罪があると云はなければならん、併し多数の預金者中には、一々夫れだけの見識を備へて居ない人達もあらうから、今此場合に多数の預金者を罪して見た所で仕様があるまい、仕様は無らうが云度い事は沢山にある。
    △貯蓄銀行の経営
実は私も東京貯蓄銀行を監理して居ますが、是れには吾一身の財産を傾注するの覚悟なるのみならず、経営の方針としては、其預金の八割迄は国家的信用のある公債、大蔵証券に是れを投じて、現金二百万円の預金に対し、其大部分は今望めば今現金になるものに廻はし、仮令ひ如何なる事変に遭遇すとも、三十万円か四十万円の現金があれば、応急の手段の施せる様に為て居るのです、斯う云ふ方針で遣れば其利益も至つて少い代りに、其心配も亦至つて少い、然るに宮城屋銀行の如きは、其重役が銀行の預金を引き出して、埋立地に使用するなどは言語道断の話しである。
私は敢て埋立事業其のものが悪いとは云はない、私自身も門司の埋立を遣らせた事がある、私は関係しなかつたが、釜山の埋立も勧めた事がある、是れから北海道の埋立に関係する様になるかも知れない、右の如く埋立事業其ものを私は敢て非難しない、併し、自己の財産でない所の貯蓄銀行幾十万の預金を引き出して、何時売れるか又如何なるか、実際何の位の価値があるか、解りも為ない埋立事業に注ぎ込などは、貯蓄銀行重役としてある間敷き行動である、夫れを預金者が知らずに盲信して預けたのは、如何考へて見ても預金者の方も悪い。
併し此宮城屋銀行の不始末に関して、私の最も恐れる所は、此影響に依つて我国民の貯蓄思想を破壊する事である、申す迄もなく国民の貯蓄は一国の富を増殖するの要素で、私は力の及ぶ限り国民の貯蓄思想を養成したい、併し私は富籤的の貯蓄は余り賛成しない、彼の債券の如き、甚しきは競馬札の如きものは、彼れは売らない方が好い、馬の改良が大事か人間の改良が大事か、馬の改良が出来た所で、人間を破壊して仕舞つては差引非常の大損になるから、私は射倖心の伴はない貯蓄を大に奨励したいと思ふのである。
然るに今回の宮城屋銀行の不始末事件などが起つて、折角盛んにならんとする国民の貯蓄思想を破壊する様な影響を与へるは、甚だ悲しむ可き事である、玆に於てか私も考へた、私は大野君に対しても恩怨なく、宮城屋に対しても縁故関係はないから、是れは松下君に頼まれた
 - 第5巻 p.383 -ページ画像 
と云ふよりも、国民の貯蓄思想養成の助けに、幾分でもなる事ならばせめて私の親切心を以て、同じ多数の預金者が損失を免かれないにしても、成る可く其損失を少くするの方法はなからうか、其方法を調査する事も、私が国民の貯蓄心を大切とする心得から、多数の預金者に対して与へ得られる同情ではなからうかと。
    △関係の範囲条件
其所で私は松下君に云つた、今回の宮城屋銀行の不始末に関して、他の銀行が余力を以て援けて呉れる様な事があれば、そりや実に結構であるが、私共はさう云ふ迷惑を第一銀行にかける事は、平に御断りをする、さらば日本銀行に助けて貰へるかと云ふに、是れ亦不可能である、一番好いのは国家が是れを援けて呉れると好いけれども、私共は宮城屋が国家に援けて貰ふ様な、そんな理由は少しもないと思ふ、併し夫れは別問題として、今日の所宮城屋銀行が他の援助に依つて其不足欠損を補ふ事は難事である、さう云ふ方面の事を私に心配せよとの御依頼なれば、私は無論御免を蒙むるが、併し現在の重役連中に任して置くは多数の預金者にとつて不安心であるから
 第一 跡仕末の方法を立てる事
 第二 銀行財産の隠匿等を防ぐ事
以上の二条件を範囲として其世話係りを宮城屋銀行からも、又預金者からも、私に対して望まれると云ふ事ならば、私は一ト通調べて見た上で、如何云ふ方法に為たら宜しいか、其方法を案出して、是れを銀行なり何処へなり知らせても宜しいが、夫れも私一人では困る、若し東京市内で貯蓄銀行に関係のある人々、例へば池田謙三、中沢彦吉、田中平八と云ふ様な人々、是れは私から指名する訳ぢやないが、斯う云ふ貯蓄銀行関係の同業者が前述二条件の依頼に応ずる事を承諾されるならば、私も共に遣つて見ても宜しいが併し呉れ呉れも予じめ断つて置くのは我々が入つたからとて、宮城屋欠損の大金が天から降つて来る訳でもなければ、地から湧て出る訳でもない、渋沢等が仲に這入つた以上は、何処からか何とか為て心配して来るだらうと云ふ様な了簡が多数預金者の頭にあられては、非常の迷惑であるから、是れは断然明白に為て置きたいと斯様に私は申したのです。
私が前述の二条件を固持して、結局前記の人々も承諾する上は、私も貯蓄思想の破壊を防く為めに、幾分の助力にでもなる事なら、一応調べた上で、其調べ上げたものを土台にして、何か方法がないか、之を案出するだけの事なら依頼に応じても、好いと云つた所が、松下君の云ふには「閣下の人格と信用を見込んで、此事を御依頼するのであるから、そんなお付き合の事を云はれては困る、何とか、法はなからうか」と云ふ話しであつた。
其所は私は折り返へして斯う云つた「君は新聞社で私は銀行業者であるから、自ら境遇を異にして居る、君が宮城屋銀行に飛び込んで世話を為るのは好いかは知らんが、渋沢はめ組の親分ぢやあるまいし、頼まれたからと云て喧嘩を買て出る訳には往かない、君が敵として私を攻撃するなら、何時でもお出なさいだが、親切に依頼に来るのに、さう無理に勧めて呉れては困るぢやないか」と云ふので、松下君も終に
 - 第5巻 p.384 -ページ画像 
私の云ふ二条件の下に、池田、中沢、田中、夫れから竹内綱の此四君から承諾を求めて来たので、私も共に前述の二条件の下に宮城屋の調査に加はる事を承諾致したのです。
    △脇田の調査報告
私の見る所では、京釜鉄道に居る脇田勇と云ふ人が、こりやなかなか計算が綿密で、落付て調査の出来る人であるから、私は其人を私かに心当てに為て居た、所が竹内君も果して私と同意見であつたから、共に此脇田君に宮城屋の専務調査を嘱托した所が先生は自分の道楽として快よく引受けて呉れて、無論何所から報酬が出た訳でもないのに、六月より今日に至る数箇月間刻苦精励、悉皆調べて、既に脇田君の調査報告は出来上つて居るのです。
此間関係の一同が寄合つて相談した事は殆んど八九度、彼是十遍もありましたか、或は宮城屋銀行に集まり、或は私の宅に来て、其中には宮城屋の重役や松下君の混じた事もあり、又、混じない事もあつて、会一会と脇田君の調べを基として、他の委員の見る所も述べ、又私の見る所をも申し述べて、それぢやいかんから斯く斯くに為て貰ひたいと希望を云て、又直し又直し為て、遂に今日の脇田調査報告が出来上つたのであるから、脇田調査報告は随分精確に又綿密に出来上つて居るものと私は確信して居るのです。
私が宮城屋の調査に関係する事になつたのは確か六月下旬で、七八九と三月経つては居ますが、此間脇田君の下調べは却々に面倒で、地所家屋から下質地質を悉く調べなければならん、夫れから又権利の明らかになつて居ないものは、権利の性質を確め権利を確めなければならん、是れは私が脇田君に八ケ間敷く云つて、地所家屋は夫れ夫れ商売人に当り、権利は夫れ夫れ明らかに確めて貰つたが其中で質物の如きは、何千と云ふ数のものですから是れを一々検査して居れば、徒らに時がかかるから、質物は抜き検査と云ふ事を遣らせた、彼の米などで廻り俵の抜き検査と云ふ事を行ひますが、夫れと等しく、数千の質物の中から、此れを出せ彼れを出せと云つて、夫れを商売人に見積らせて、其全体を平均評価させたので、今日では各種の表も出来て居るし又是れだけの財産是れだけの欠損であるから、今日宮城屋を解散するとすれば、幾分の預金額に就て、幾分の払ひ戻しに当つて、是れを如何して返すかと云ふ様な、一方には宮城屋銀行解散の処分法に関する調査案と、夫れから又他方には、今是れを解散せずに、仮令へば同じ煙草盆に為ても、是れを壊して仕舞へば、使用に堪へないが、是れを其儘に使用して、是れから相当の利益を生み出させると云ふ方法、即ち宮城屋銀行と云ふ一の財団として経営させて、其経営の利益から、元金は取らんでも利子を取ると云ふ方法、一口に云へば預金を株式に直して、相互に経営の利益を取ると云ふ整理案と、此二様の下調べが出来上つて居りますから、至急此下調べを、私が一応見た上で、更に各委員を会して評議を凝らし、是れを解散するならば、斯う為たが好からう、又是れを立てゝ往くならば斯うも為るが好からうと、案を備へ方法を立てゝ是れを銀行に通知して遣る事になつて居るのであります云々。