デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 21. 株式会社宮城屋貯蓄銀行
■綱文

第5巻 p.385-390(DK050084k) ページ画像

明治42年7月22日(1909年)

去年栄一等ニ因リテ整理セラレタル宮城屋貯蓄銀行ノ預金者ノ組織セル東京栄銀行創立総会ヲ開ク。栄一演説ス。


■資料

銀行通信録 第四七巻第二七九号・第五五―五六頁 〔明治四二年一月一五日〕 宮城屋貯蓄銀行の整理と東京栄銀行の設立(DK050084k-0001)
第5巻 p.385-386 ページ画像

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渋沢栄一 日記 ○明治四二年(DK050084k-0002)
第5巻 p.386-387 ページ画像

渋沢栄一 日記
 ○明治四二年
二月十六日 晴 風寒
○上略 脇田勇氏来リテ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
二月二十四日 曇 寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ脇田勇氏ニ接シテ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
六月二十二日 曇 冷
○上略 脇田勇氏来リ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略
七月二十二日 晴 大暑
○上略 午前十時東京商業会議所ニ抵リ東京栄銀行創立総会ニ出席シテ、宮城屋銀行破綻ノ際調査ノコトヲ依頼セラレシヨリ、此銀行設立案ヲ提出セシ沿革ト理由トヲ説明ス○下略
 - 第5巻 p.387 -ページ画像 
八月五日 晴 大暑
○上略 竹内綱氏来リ宮城屋銀行ノコトヲ談ス○下略

渋沢栄一 日記 ○明治四四年(DK050084k-0003)
第5巻 p.387 ページ画像

 ○明治四四年
一月二十六日 晴 寒
○上略 午前十一時商業会議所ニ抵リ東京栄銀行株主総会ニ出席シテ一場ノ演説ヲ為ス○下略
七月二十六日 晴 暑
○上略 十時東京栄銀行株主総会ヲ商業会議所ニ開クニヨリ出席シテ一場ノ演説ヲ為ス○下略

渋沢栄一 日記 ○大正三年(DK050084k-0004)
第5巻 p.387 ページ画像

 ○大正三年
一月二十三日 半晴 寒威強シ
○上略 午前十一時事務所ニ抵リ竹内松下田中脇田及磯部氏等来リテ栄銀行ニ関スル談話アリ○下略


東京経済雑誌 第六〇巻・第一五〇一号〔明治四二年七月三一日〕 栄銀行創立総会(DK050084k-0005)
第5巻 p.387 ページ画像

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銀行通信録 第四八巻第二八六号・第六〇―六一頁 〔明治四二年八月一五日〕 東京栄銀行創立総会(DK050084k-0006)
第5巻 p.387 ページ画像

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東京日日新聞 第一一七一五号〔明治四二年七月二三日〕 栄銀行創立総会(DK050084k-0007)
第5巻 p.387-388 ページ画像

東京日日新聞  第一一七一五号〔明治四二年七月二三日〕
    ○栄銀行創立総会
宮城屋貯蓄銀行の預金者に依り、資本額百万円を以て組織したる栄銀行の創立総会は、二十二日午前より商業会議所に於て開会し、松下軍治氏従来の経過を報告し、次に渋沢男は本邦に於ける貯蓄銀行と世界
 - 第5巻 p.388 -ページ画像 
に於て最も発達したる仏国貯蓄銀行とを比較し、本邦の貯蓄銀行法改正の必要を述べ、進んで宮城屋の破綻及び其整理に就き、自身の斡旋せる処を詳説し、更に、其後身たる栄銀行の前途に関しては、成績の良好を確保するは困難なりと雖も、余が経験に徴せば、当局者の励精と株主の耐忍如何に依りては、末だ必ずしも悲観すべきにあらずと述べ、之より総会の目的たる創立の議事に入り、脇田勇議長席に着きて創立に関する一切の事項を提出したるに、何れも異議なく承認し、取締役並に監査役の選挙は渋沢男及び発起人等協議の上、取締役に竹内綱、脇田勇、田中元三郎、監査役に松下軍治、山本忠秀等を選定し、次で商法百三十四条承認の件を決して散会したるが、同行株主は宮城屋銀行に対する五十円以上の預金を有するものにして、其の債権額五十円に対し銀行は二十五円払込の五十円券を渡し、年八分以上(配当)の利益を生じたる場合、其利益を以て残額払込の方に組入れ、以て全額払込の株券となす筈なりと


やまと新聞 第七三四四号〔明治四二年七月二三日〕 栄銀行総会に於ける演説(渋沢男爵演説)(DK050084k-0008)
第5巻 p.388-389 ページ画像

やまと新聞  第七三四四号〔明治四二年七月二三日〕
  ○栄銀行総会に於ける演説
    (渋沢男爵演説)
只今松下軍治君から御紹介を戴いた渋沢でございます、今日東京栄銀行の創立総会を開かるゝは慶賀に堪えず、私は此銀行に対し利害関係は持ち居りませぬけれども、只今松下君が御述になりました通り、昨春から此所に至る迄の御協議に与つて居りますから、創立総会に当つて今日迄の経過を陳述するは強ち無用の言でなかろうと思ひ、発起人諸君の御依頼に依つて出張致した次第でございます。
    (貯蓄銀行の性質)
昨春宮城屋貯蓄銀行の支払停止と云ふことに立至りましたことは、銀行社会では大に憂慮す可きことと、私共深く懸念に堪へませなんだのでございます、殊に此の銀行は大分多勢の預金者を有つて居つて、其人々が俄かに非常な非境に遭遇いたしたに就て、種々困難を来すであらうと云ふことも、当時新聞若くは噂さにも聞いて居つたので、私等も銀行業者たる一方には貯蓄の利金を以て経営して居るので、斯かる場合に臨んでは、同情を持たなければならぬ職分でございます、一体貯蓄銀行は、我が銀行の貯蓄者に安心を与へることを其の本分として居ます、海外の様子も細かには取調ませぬけれども現に仏蘭西あたりの貯蓄銀行の状態は経利《(マヽ)》ではない、寧ろ多数の人に貯金を奨励さることになつて居る、然るに我国の銀行は一方貯金を受て一方は之を利殖する方法を取らなければならぬのであります、宮城屋貯蓄銀行が果して其の精神を取失つたでは無からうかと思ひますけれども、併し今日仏蘭西の例を述べた通になつて居りません、其の始めから経営せられて居る為に、利益を収めたいと云ふので、堅固のものに而已投資することが出来ないで、若し取付けでもある場合に、危険に立至ることは頗る憂ふ可きことと私共は常に考へて居るのでございます。
    (男と宮城屋銀行)
而して此宮城屋貯蓄銀行の昨年の春の場合は、今申します如き注意が
 - 第5巻 p.389 -ページ画像 
或は欠けたものと見えて、偖取付けが激しくなつたが、是れに対して完全に払ひが出来ぬ種々なる非境を惹起したのでございす、私一身に於ては、私の経営して居る銀行には、何等の関係を有つて居りませぬが、或る日松下君が御出になつて、此の宮城屋貯蓄銀行の為に松下君の監理して居る「やまと」新聞が大に力を添へて何とか整理の道はありはせぬかと云ふ決心をして居る、一臂の力を添よと云ふことを申されました、御事情は御察しするけれ共、私一身で其間に這入て力を添ると云ふことは差支るので、一応御断しましたが松下君は、道理であらうけれども宮城屋貯蓄銀行は今日は其所までに注意が至らなかつたと思ふが、併し其の期に達した以上は、夫を救ふことを講ぜねはならぬのである、貴方は経済上にも相当の理想を有つて居らるゝと見て御依頼するのであると、再三の御依頼でありましたから、私一身で是れに立入ることは甚だ差支へますが、同業に種々なる貯蓄銀行もございますから、是等の人々と共に御相談になつて、何か法案が立てば其の方針を考へ出す位のことなれは私も其の一員に加はつて忠実に取調ることを努めやうと云ふことを申した、松下君も止を得ない、夫れで宜しい、然れは他の貯蓄銀行当業者の方々を御尋して見やうと云ふことで、池田謙三君、中沢彦吉君、田中平吉君《(田中平八)》など打寄まして宮城屋貯蓄銀行の現状を能く調べて将来宜からうと云ふ立案書を出すことを承諾しませうと云ふことになりまして、其の通り極りましたのは多分七月の末でございましたか、爰に於て私共特に其のことを取調る為に稍々計算などに熟練と思ふ人に托しまして、此の方針に依り此の手続に随ふて、預金の種類はドウである、債権の種類はドウである、財産の現状は如何である、と云ふ様に調査を遂まして叮嚀なる立案を致す取調方を托しましたのでございます、此の取調の出来ましたのは、九月か十月であつたか、其の取調に依りまして、極く精確に考へて見ますると、我々の考案では、ドウも悲しい哉宮城屋貯蓄銀行に関する預金者諸君は、極端に申せは半額は御損と計算を立てさるを得ない、勿論半額は回収が出来るか百円の半額は損害されさるを得まいと思ふ、夫れは今ある所の財産現状に対して、左様にしかならない、其所で其の半金も即時に回収し得るかと云ふと、サウは行かぬ数年を要するのである。


銀行通信録 第四八巻第二八八号・第四〇頁〔明治四二年一〇月一五日〕 東京栄銀行開業(DK050084k-0009)
第5巻 p.389 ページ画像

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〔参考〕長岡銀行回答文 昭和一五年(DK050084k-0010)
第5巻 p.389-390 ページ画像

長岡銀行回答文 昭和一五年
    記
株式会社長岡銀行ニ於テハ大正十年十一月五日株式会社東京栄銀行合
 - 第5巻 p.390 -ページ画像 
併ノ決議ヲナシ翌十一年一月一日左ノ通リ之レヲ合併シタリ
 一、合併ニ因リ増加シタル資本ノ総額 金百万円也(弐万株)
 二、合併ニ因り増加シタル各新株ニ付払込シタル株金額参拾七円五拾銭(壱万五千株)
 三、支店ヲ左ノ四個所ニ設置ス
  東京市京橋区南伝馬町二番地    京橋支店(元東京栄銀行本店)
  同 市同 区三十間堀一丁目四番地 三十間堀支店(同 三十間堀支店)
  同 市牛込区早稲田町六拾弐番地  早稲田支店(同早稲田支店)
  東京府南葛飾郡亀戸町三千八百二十三番地 亀戸支店(同 亀戸支店)
 四、業務ノ目的ヲ銀行事業但東京市内ニ限リ倉庫業兼営トスト変更セリ、蓋シ元東京栄銀行ニ於テ倉庫業ヲ兼営セルニヨリ之レヲ継承セルモノナリ
 五、大正十一年一月十八日脇田勇氏(元東京栄銀行重役)監査役ニ、木村弘蔵氏(元東京栄銀行支配人)京橋支店支配人ニ就任セラレ、其他行員モ其儘長岡銀行行員ニ採用セラレタリ
  ○昭和十五年十一月十一日長岡銀行ヨリ本伝記資料編纂室へ寄セラレタル回答ナリ。


〔参考〕銀行通信録 第七三巻第四三五号・第七二―七六頁〔大正一一年一月二〇日〕 【株式会社長岡銀行及同…】(DK050084k-0011)
第5巻 p.390 ページ画像

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