デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 22. 株式会社帝国商業銀行
■綱文

第5巻 p.390-403(DK050085k) ページ画像

明治41年9月(1908年)

是ヨリ先株式会社帝国商業銀行ノ重役間ニ軋轢アリテ、取締役総辞職シ、新ニ男爵郷誠之助取締役会長トナル。栄一コノ間ニ斡旋スル所アリ。是月
 - 第5巻 p.391 -ページ画像 
同銀行相談役トナル。同行ノ為メニ尽力スル所多シ。


■資料

渋沢栄一 日記 ○明治四一年(DK050085k-0001)
第5巻 p.391-394 ページ画像

渋沢栄一 日記
 ○明治四一年
一月十五日 雪 寒甚シ
○上略 午前十時半日本銀行ニ抵リ高橋副総裁ニ面会シテ帝国商業銀行ニ関スル談話ヲ為ス、○中略 又日本銀行ニ抵リ松尾総裁ニ面会シテ帝商銀行ニ関スル談話ヲ為ス○下略
一月十六日 晴 寒
○上略 午前十時半兜町事務所ニ抵リ、馬越、鈴木二氏ニ面会シ、昨日松尾総裁面話ノ顛末ヲ告ク、且、総裁ニ電話シテ二氏ト会見ノコトヲ紹介ス○中略
馬越、鈴木二氏来リ帝商銀行ノコトヲ内話ス○下略
一月十七日 晴 寒
○上略 午後二時半日本銀行ニ抵リ松尾総裁ニ面会シテ帝商銀行関係ノコトヲ談ス○下略
一月二十日 曇 寒
○上略 東京商業会議所ニ抵リ○中略 中野氏ト帝国商業銀行ノコトヲ談シ、更ニ桂侯爵ヲ訪問シ、同シク協議スル所アリ○下略
一月二十一日 晴 寒
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、中野武営氏来リ昨日ノ談話ヲ重ネテ種々ノ協議ヲ為ス、○中略 午後日本銀行ニ抵リ、帝国商業銀行ノコトヲ談ス、後又松尾氏ヨリ電話ニテ同シク協議アリ○下略
一月二十三日 晴 寒
○上略 五時過キ○中略 中野武営氏来リ帝国商業銀行ノコトヲ談ス○下略
一月二十四日 晴 寒
○上略 十一時半日本銀行ニ抵リ松尾総裁ニ面会シテ帝商銀行ノコトヲ談ス、○中略 午後五時桂侯ヲ其邸ニ訪ヒ帝商銀行ノコトヲ談ス○下略
一月二十五日 晴 寒
○上略 午前十一時半帝国ホテルニ抵リ○中略伊藤幹一、馬越恭平二氏来リ帝国商業銀行ノコトヲ談ス○下略
一月二十六日 晴 寒
○上略 午飧後兜町事務所ニ抵リ更ニ株式取引所新年宴会ニ出席シ中野、伊藤其他来会者ノ多数ニ面会ス、種々ノ談話ヲ為ス、馬越氏ニ托スルニ松尾氏ヘノ書状ヲ以テス、蓋シ同氏葉山別荘ニ在ルヲ以テ特ニ使者ヲ以テ送致セシナリ、其事帝商銀行ニ関スルニヨリ馬越氏ノ手ヲ仮リタルナリ○下略
一月二十七日 晴 寒
○上略 日本銀行ニ松尾氏ヲ訪ヒ帝商銀行ノコトヲ談話ス、午後四時過中野武営、伊藤幹一氏来リ帝商銀行重役ノコトヲ協議ス、後郷誠之助来会シテ種々ノ談話ヲ為ス○下略
一月二十九日 晴 寒
○上略 五時兜町事務所ニ於テ帝商銀行ノコトニ関シ伊藤幹一、郷誠之助
 - 第5巻 p.392 -ページ画像 
二氏ト会話ス○下略
一月三十一日 雨 寒
○上略 午前十時過日本銀行ニ抵リテ松尾氏ニ会見シ、帝国商業銀行ノコトニ関シ談話ス○下略
二月一日 晴 軽寒
午前七時起床入浴ス、畢テ朝飧ヲ食ス、食後富岡俊次郎氏ノ来訪ニ接ス、又桂次郎、林謙吉郎二氏ノ来訪アリ、均シク帝国商業銀行ノコトニ係ル○下略
二月四日 曇 寒
○上略 十一時半三井銀行ニ抵リ早川千吉郎氏ニ面会シテ帝商銀行ノコトヲ談ス○下略
二月五日 雪 寒甚
午前八時起床直ニ入浴シ後朝飧ヲ食ス、伊藤幹一氏ト電話ニテ帝商銀行ノコトヲ談ス、佳侯爵ニ電話ヲ以テ明日面会ノコトヲ申遣ス○下略
二月六日 曇 寒
○上略 午前九時、三田桂侯爵ヲ訪ヒ帝商銀行ノコトヲ談話ス
二月七日 晴 寒甚
○上略 十二時第一銀行ニ於テ午飧シ、食後中野武営、伊藤幹一二氏ト会談ス○下略
二月八日 曇 寒
○上略 午後四時東京商業会議所ニ抵リ中野氏、伊藤氏ト同シク帝国商業銀行ノコトニ関シ種々ノ談話ヲ為ス、株主会スル者約四十人許リナリキ○下略
二月十日 晴 寒
○上略 兜町事務所ニ抵リ、帝国商業銀行重役候補者ニ会見シ、爾来ノ経過ヲ述へテ同意ヲ乞フ○中略 日本銀行ニ抵リ、松尾臣善氏ト帝商銀行後任者ノコトヲ談ス○下略
二月二十七日 晴 寒
○上略 十二時過第一銀行ニ抵リテ午飧シ、食後重役会ヲ開ク、中野武営氏来リ、帝国商業銀行ノコトニ関シ総会ノ顛末ヲ報告セラル、夕方馬越、浅田、鈴木三氏来リテ同シク総会ノ経過ヲ告ケ、新任者ニ引継ノコトヲ述ヘラル○下略
三月七日 雪 寒
○上略 此日ハ帝国商業銀行新重役会ニ出席ノ請求ヲ受ケ、且其前日清汽船会社ノ重役会モ約束アリシカ、共ニ出席シ得サルニヨリ八十島親徳ヲ招キ、両会ニ対スル意見ヲ示シテ出席伝言セシム
三月八日 半晴 軽寒
○上略 郷誠之助、薄井佳久二氏来リ帝商銀行ノコトヲ談ス○下略
三月十二日 曇 寒
○上略 午後四時日本銀行ニ抵リ松尾総裁ニ面会シテ帝商銀行ノコトニ関シ詳細ノ談話ヲ為シ救護ヲ乞フ、尚ホ明日井上準之助氏ト談話スルコトヲ約ス○下略
三月十三日 晴 寒
○上略 午飧ヲ食シテ後日本銀行ニ抵リ郷誠之助、薄井佳久二氏ト共ニ井
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上準之助氏ニ会見シ帝商銀行ノコトニ関シ種々ノ談話ヲ為ス○下略
三月十四日 晴 寒
○上略 十時三田ニ桂侯爵ヲ訪ヒ帝商銀行ノコトニ関シ爾来ノ経過ヲ述ヘ助言ヲ乞フ、更ニ松方侯爵ヲ訪ヒ、種々ノ談話ヲ為ス○中略 日本銀行井上準之助来リ、帝商銀行ノコトニ関シ松尾総裁ヨリノ伝言アリ、依テ郷、薄井二氏ト協議シテ、再考ノ後最後ノ一案ヲ定メ、月曜日ヲ以テ松尾総裁ニ請願スヘキコトトス○下略
三月十六日 雨 寒
○上略 午前十一時日本銀行ニ抵リ、井上準之助氏ニ面会シテ帝商銀行ノコトヲ談ス○下略
三月十七日 半晴 寒
○上略 四時、帝国商業銀行重役会ヲ兜町事務所ニ開キ、将来ノ経営ニ付種々ノ協議ヲ為ス○下略
三月十八日 小雨 軽寒
○上略 十一時半三井集会所ニ抵リ鰻会ニ出席ス、○中略 午飧後例ノ帝商銀行ノコトヲ談ス、四時日本銀行ニ抵リ、松尾氏ニ面会シテ帝商銀行ノコトヲ談シ○下略
三月二十五日 曇 軽寒
○上略 十二時銀行倶楽部ニ抵リテ午飧シ、○中略 帝国商業銀行ノコトニ関シ豊川、池田、佐々木ノ諸氏ト談話ス○下略
三月二十八日 曇 寒
○上略 午前十一時兜町事務所ニ抵ル、郷誠之助氏来話ス、○中略 日本銀行ニ抵リ井上準之助氏ニ面会シ、帝商銀行ノコトヲ談話ス、三井銀行ニ抵リ早川氏ニ同断ノ談話ヲ為ス○下略
三月三十一日 晴 軽暖
○上略 五時過帝商銀行重役及中野武営氏来議ス○下略
四月十二日 雨 軽寒
○上略 薄井佳久氏来リ帝商銀行ノコトヲ談ス
四月十四日 曇 軽寒
○上略 午前十時日本興業銀行ニ抵リ添田氏ニ面会シテ帝商銀行ノコトヲ談シ、更ニ日本銀行ニ於テ同様ノコトヲ渡辺秘書役ニ托シテ松尾総裁ニ伝言シ、又三井銀行ニ於テ池田成彬氏へ談話ス○下略
四月二十七日 晴 軽寒
 (欄外)
 ○上略 帝商銀行郷誠之助氏来話ス
四月二十七日 雨 暖
○上略 郷誠之助氏来リ帝商銀行ノコトニ関スル談話アリ○下略
五月五日 晴 暖
○上略 夕方浜町常盤屋ニ抵リ帝商銀行郷氏等ノ招宴ニ出席ス、中野氏其他来会ス○下略
七月五日 曇 冷
○上略 《(朝)》食後堀井、管沼二氏ノ来訪ニ接ス、又浅田正文氏ノ来訪ニ接ス、帝商銀行ニ関スル取引上ノコトヲ談ス○下略
七月三十一日
○上略 帝国商業銀行郷其他ノ諸氏ト会見ス○下略
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八月四日 晴 暑
○上略 《(午前)》十一時兜町事務所ニ抵リ梅浦氏、郷、小野二氏来リ帝商銀行ノコトヲ談ス○下略
八月七日 曇 夜大風雨 暑甚シ
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ帝国商業銀行ノコトニ関シ委員等六名来訪シ、其協議ノ次第ヲ述ヘラル、依テ午後ヲ約シテ現重役ニ談話スルモノトシテ委員等ハ帰リ去ル○中略 午後二時帝商銀行重役五名来会シ談話ノ末根津梅浦二氏話シテ来ル十日ノ臨時総会ニ関スル協議ヲナス
九月九日 半晴 冷
○上略 中野武営氏来リテ帝商銀行ノコトヲ談ス、○中略 午前十一時兜町事務所ニ抵リ、藤山、梅浦、中島、石崎、伊藤ノ五氏来リ、帝商銀行ノコトニ関シ種々ノ意見ヲ述ヘラル○下略
九月十八日 曇 涼
○上略 午後五時浜町岡田屋ニ抵ル、帝国商業銀行ヨリノ招宴ニヨル、食事後、郷、薄井其他ノ重役及曾テ委員ノ撰挙ヲ得タリシ藤山、梅浦、石崎、中島、伊藤等ノ諸氏ニ対シ余及中野、原三氏ノ同行相談役ヲ承諾セシ理由ヲ口演ス○下略
九月二十六日 曇 涼
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ帝国商業銀行重役会ニ出席ス、中野武営、原六郎氏等来会ス、現状ヲ詳悉シテ善後策ヲ議スルモ恰好ノ案ヲ得ス、再度ノ集会ヲ期シテ散会ス○下略
十二月三十日 半晴 寒
○上略 午後四時兜町事務所ニ抵リ○中略 郷誠之助、薄井佳久氏ト帝商銀行ノコトヲ談ス○下略

渋沢栄一 日記 ○明治四二年(DK050085k-0002)
第5巻 p.394-395 ページ画像

 ○明治四二年
一月八日 晴 寒
○上略 二時兜町事務所ニ抵リ大日本水産会社調査委員会ヲ開ク、畢テ帝商銀行整理ノ件ヲ委員諸氏ト談話ス、中野、原二氏、根津其他ノ諸氏来会ス○下略
一月九日 曇 寒
○上略 午前九時半銀行集会所ニ抵リ帝商銀行ノコトヲ談ス、郷誠之助、薄井佳久、吉田幸作、旧委員ニハ根津、藤山、梅浦等ノ諸氏来会シ種種協議ス○下略
一月十日 雪 寒甚シ
○上略 午飧後東京ヨリ根津、梅浦二氏来リ○栄一是日大磯ニ居ル帝国商業銀行ノコトヲ談ス○下略
一月十一日 晴 寒
○上略 午前十時過東京ヨリ郷誠之助、吉田幸作二氏来リ帝商銀行ノコトヲ談ス、又根津、梅浦、藤山氏等来リテ、同行ノコトニ付種々ノ談話アリ、終ニ相共ニ会談スルニ至ル○下略
一月十三日 雪 寒甚
○上略 又帝商銀行郷誠之助、吉田幸作二氏来話シ、尋テ旧委員数名来議ス○下略
一月十四日 曇 寒
 - 第5巻 p.395 -ページ画像 
○上略 午後大磯着、夜梅浦精一氏来リ広島水力電気会社ノコト、帝国商業銀行ノコト及石川島造船所ノコトヲ談ス
一月十五日 晴 風寒
○上略 帝商銀行ノコトニ付郷、大崎、伊東三氏話ス○下略
一月二十六日 晴 寒
○上略 十時兜町事務所ニ抵リ帝商銀行ノコトニ関シ梅浦、福沢、指田ノ諸氏ノ来訪ニ接ス○中略 午後四時再ヒ事務所ニ抵リ郷、吉田二氏ト帝商銀行ノコトヲ談シ○下略
一月二十七日 晴 寒
○上略 十時兜町事務所ニ抵リ梅浦氏等ト会シテ帝商銀行ノコトヲ談ス
一月二十九日 晴 寒風強シ
○上略 畢テ中野武営氏ト共ニ帝国商業銀行ノコトニ関シ栗生、織田、半田諸氏ト会談ス○下略
二月六日 晴 寒
○上略 郷誠之助氏来リテ帝商銀行ノコトヲ談ス○下略
二月八日 晴 寒
○上略 中野武営氏来リテ帝商銀行ノコトヲ談ス○下略
六月十九日 雨 冷
○上略 郷誠之助氏来リ帝商銀行相談役辞退ノコトニ関シ談話アリ○下略
七月二日 雨 冷
○上略 午後六時浜町常盤屋ニ抵リ郷誠之助氏ノ案内ニ係ル帝国商業銀行ヨリノ招宴ニ出席ス○下略


銀行通信録 第四五巻第二六九号・第五三頁〔明治四一年三月一五日〕 帝国商業銀行重役更送(DK050085k-0003)
第5巻 p.395 ページ画像

銀行通信録  第四五巻第二六九号・第五三頁〔明治四一年三月一五日〕
    ○帝国商業銀行重役更送
帝国商業銀行にては取締役全員及監査役末延道成氏辞任に付二月二十七日午前十時より東京銀行集会所に於て臨時総会を開き右改選に関する件を附議したり、当日は前任取締役会長馬越恭平氏議長席に着き、中野武営氏より取締役一同辞任並に同行善後策に付渋沢男爵と共に種種尽力したる顛末を報告し、夫より議長は取締役五名監査役一名の補欠選挙は投票を省略して中野武営氏の指名に一任せんことを諮りしに満場異議なく之に決し、中野氏より郷誠之助、薄井佳久、浜田市助、小野金六、吉田幸作の五氏を取締役に、富岡俊次郎氏を監査役に指名し、尚前重役に対しては新重役に於て次期総会に相当の慰労金贈与の提案を望む旨を述べて満場の同意を得、最後に重役に対する俸給現額及加俸現額総計五千五百円は之を取締役全体に対する俸給とし、其割当は取締役会の決定に一任する件を可決し、新重役の挨拶、馬越氏の謝辞ありて午前十一時三十分散会せり、尚同行取締役会長は互選の結果郷誠之助氏当選就任することゝなれり


東京経済雑誌 第五八巻 ○第一四四八号〔明治四一年七月一八日〕 帝国商業の減資案(DK050085k-0004)
第5巻 p.395-396 ページ画像

東京経済雑誌  第五八巻
 ○第一四四八号〔明治四一年七月一八日〕
○帝国商業の減資案 帝国商業銀行は来る廿五日の定式総会に引続き臨時総会を開催し、議案として資本金八百万円を六百万円に改め十
 - 第5巻 p.396 -ページ画像 
六万株を十二万株となすの件を附議する由、減資の理由は整理勘定に属する金一百三十八万七千五百三十九円三十九銭は回収の見込なき貸出金なれば之が銷却整理の目的に出でたるものにて、減資の結果切捨つべき三十五円払込二万株金一百四十万円《(四)》の内整理勘定に該当する前記百三十八万七千五百余円を銷却し、残り一万二千四百六十円六十一銭は滞貸準備積立金に繰入れんとするに在り、減資の方法は三十五円払込株式四株を併合して同額払込株式三株とし、此割合に基きて旧株券と引替に新規株券を交付する事となし、一株未満の端株に付ては其処分を取締役会に一任すべしと

東京経済雑誌 第五八巻 ○第一四五二号〔明治四一年八月一五日〕 帝国商業銀行総会の紛擾(DK050085k-0005)
第5巻 p.396 ページ画像

 ○第一四五二号〔明治四一年八月一五日〕
    ○帝国商業銀行総会の紛擾
帝国商業銀行は其整理勘定に属する金百三十八万七千五百円は回収の見込なき貸出金なるを以て、之が銷却整理の為め資本金八百万円を六百万円に減資すべく、去る廿五日を以て総会を開きて衆議に諮りたるに端なくも紛擾を来し、遂に同日決議の運びに至らざるのみならず、十名の委員を設けて再調査に付し、総会は本月十日迄継続することに決したるが、爾来委員間に種々の暗闘を見るに至り、総会当日には一層激甚なる紛擾を来すベしと予期せられたるに、果せるかな十日の総会に於ては、先づ委員根津氏より委員会の経過及び欠損の見方に就て重役と委員の間に見解を異にせる点を述べ、貸借対照表に関し委員修正の要点は貸付金額は千二百九十九万五千五百二十五円三十八銭を訂正して千三百六十七万九千百六十円と為し、中整理勘定に属するもの元百三十八万七千五百三十九円三十九銭を二百七万千百七十四円九十六銭と為し、同時に当季純益金に十万三百八十九円十五銭を出し、前期繰越金と合せて之を後期繰越金と為すと云ふに在りて、之に伴ふ報告書左の如し、
 一今回提出したる整理及び損失金勘定を今期に於ては整理を為さず次期総会迄見合すこと
 一前項の諸勘定は審査し且つ之れが整理を為さしむる為め百株以上を有する株主中より委員若干名を選挙すること
 一当期利益金は後期繰越金と為し置くこと
 一委員は重役と協議し別項の諸勘定に対し適当の処理を為し其の結果を次期総会に報告すること
右の報告を了るや、重役攻撃の声は多数の株主より起り、之に続て委員の調査杜撰を叫ぶものあり、弁難攻撃何時果つベくも見へざりしが、結局調査委員の報告案に依り採決することとなり、損失金二百七万余円は損失と見做さず整理勘定となすこと、当期利益十万余円は後期繰越となすに決し、整理委員設置に就ては種々議論ありしも、重役より一個月以内に臨時総会開催の手続を為し、監査役二名の新選、整理委員若干名を置き、次期総会迄に整理を遂ぐることの案を提出することとなり漸く散会を告ぐるに至れり

東京経済雑誌 第五八巻 ○第一四五四号〔明治四一年八月二九日〕 帝国商業銀行紛議問題(DK050085k-0006)
第5巻 p.396-397 ページ画像

 ○第一四五四号〔明治四一年八月二九日〕
    ○帝国商業銀行紛議問題
帝国商業銀行総会は七月廿五日並八月十日の両度とも紛擾の裡に延期
 - 第5巻 p.397 -ページ画像 
となりたることは既報したる処にして、其以来種々の暗闘行はれたるも此程に至り稍や薄らぎ来りたるものゝ如く、取締役会にては愈よ九月九日総会を開くことに決し、其旨株主へ通告したるが、去る十日の総会に於ける問題たりし協議委員を設け、来る一月の定時総会まで整理勘定調査の任務に当らしむるの件は、法律其他の関係上穏当を欠くの嫌あるに依り、之に代ふるに相談役を設けて関与せしむることに重役に於て決したる趣にて、来るべき総会には、監査役二名の補欠選挙並に相談役設置の件を附議する筈にて、相談役には渋沢男及び中野武営、原六郎の三氏に内定し居れりと

東京経済雑誌 第五八巻 ○第一四五六号〔明治四一年九月一二日〕 帝国商業総会の終了(DK050085k-0007)
第5巻 p.397 ページ画像

 ○第一四五六号〔明治四一年九月一二日〕
    ○帝国商業総会の終了
過般来紛議の裡に延期となり居たる帝国商業銀行総会は、予定の通り本月九日東京商業会議所に於て開催されたるが、兼てより下相談の纏り居たることとて、今回は格別の紛擾もなく、監査役二名の補欠選挙は中島行孝、石崎政蔵の両氏就任に決し、二百七万円の整理勘定に対し協議委員を置くの件は、兼て報道したるが如く之を取消し、新に渋沢栄一、中野武営、原六郎の三氏を相談役に推選することに決し、尚ほ曩に推選されたる委員中村豊次郎氏よりは郷会長に対し左の意見を陳ベ、同会長も之を諒として無事終了を告げたり
 第一条 更に営業資金の充実と其運用の妙とを計るべき事
 第二条 取引先及び世間一般をして銀行経営当局者に対して不安の念なからしむる事
 第三条 整理を為すに当り最も慎重に処理の道を講ずべきは勿論直接整理及び間接整理の工夫を考ふるの可なるを信ず、若し夫れ整理の方法宜しきを失すれば徒らに経済界を攪乱するの憂あるのみならず、至大の損害の新に銀行及び会社株主に加ふるの恐あるべけれは苟も妄断あるまじき事
 第四条 損失に帰すべき勘定の原因及び責任を明かにし、前任役員に対し相当の掛合致すべき事
 第五条 諸損失の確定したる上は速かに最良の方案を立て株主の利益を保護すると同時に可成株主をして後顧の憂なからしむる事
 第六条 債務者をして心置なく取引せしむるは最も手腕を要する所とす、当局者は之に対し適当の処置を施すべき事


銀行通信録 第四六巻第二七五号・第五五―五六頁〔明治四一年九月一五日〕 帝国商業銀行整理問題(DK050085k-0008)
第5巻 p.397-399 ページ画像

銀行通信録  第四六巻第二七五号・第五五―五六頁〔明治四一年九月一五日〕
    ○帝国商業銀行整理問題
帝国商業銀行整理に関し七月二十五日株主総会を開き資本金二百万円減少の件を提出したるも決定に至らず、八月十日更に総会を開きて之を附議することゝなりしことは、前号(一九五頁)記載する所の如し
然るに七月二十五日の総会に於て次期総会迄の条件にて選挙せられたる協議員十名は、其後再三会合して善後策に就き種々協議する所ありしも各自の意見一致せず、中にも協議員の一人たる中村豊次郎氏は専断を以て委任状の蒐集に着手したりとて他の委員連名にて之に関知せ
 - 第5巻 p.398 -ページ画像 
ざる旨を言明する等事態益々紛乱に赴かんとしたるが、結局重役提出の整理案は慎重の研究を要するものとして其決定を次期総会迄見合すことに決し、八月十日東京商業会議所に於て開会したる株主総会には協議員の一人たる根津嘉一郎氏より左の修正案を報告せり
 一、今回提出したる整理及損失金勘定は今期に於ては整理を為さず次期総会迄見合す事
 一、前記の諸勘定を審査し、且つ之が整理を為さしむる為め百株以上を所有する株主中より委員若干名を選挙する事
 一、委員は重役と協議し前項の諸勘定に対し適当の整理を為し、次期総会に報告する事
 一、当期の利益金は後期繰越金となし置く事
即ち右修正案に依れば、原案の整理勘定百三十八万七千五百三十九円に、当期損失金六十八万三千六百三十五円を加へて二百七万千百七十四円と為し、而して当期純益金十万三百八十九円、前期繰越金一万六千百二十六円、合計十一万六千五百十五円を後季繰越金とするものにして之に対し会長郷誠之助氏は重役を代表して同意の旨を言明せり
然るに右の言明終るや議論大に沸騰し、一方には又現重役不信任案を提出するものありて、紛々擾々殆んど其の帰着する所を知らざるの状なりしが、結局不信任案は否決となり、修正案は多数を以て可決せられたり、依て大修正案に基き更に協議委員の選挙に移りたるに、又々議論沸騰したるを以て一旦休憩の上、結局監査役及協議委員選挙の件は三十日以内に臨時総会を開きて之を提出することゝなり、午後四時半より同十時に渉りて漸く総会を終りたり
斯くて一旦総会を終りたるも重役及株主間の確執は容易に融和に至らず、動もすれば破裂の状況あるより、中野武営氏は両者の中間に立ちて種々調停する所あり、其結果本月九日を以て更に臨時総会を開き、同総会には単に監査役選挙の件のみを提出することゝし、前総会に於て宣言せる協議員選挙の件は法律の精神に背反すとの理由の下に之を取消し、更に取締役会の決議を以て渋沢栄一、中野武営、原六郎の三氏に相談役を委嘱することに決し、左の如く株主に通知せり
    決定議項
 一、当銀行監査役二名選挙の件
    以上
 追て本月(八月)十日株主定時総会終了の際本文監査役選挙の件と併せて協議委員選挙の件提案の儀宣言置致候処、其後法律上の見解にに付研究の結果、法定機関以外に右の如き特別機関を設くるは法律の精神に無之、従て株主総会は其選挙を為すことを得ずとの解釈に帰着致候に付、不得已右宣言を取消し候事に致し候、就ては更に当初右委員を挙げて慎重に事を処理せんとしたる趣旨に基き取締役会の決議を以て男爵渋沢栄一、中野武営、原六郎の三氏に相談役を委嘱の事に致度所存に御座候、元来右協議委員選挙の儀は予て提案致し候整理勘定の処理に付去月(七月)二十五日総会に於ける株主各位の意嚮に基き臨時推挙せられたる協議委員より提案せられたるものに有之、当行の大問題に付慎重に事を処するに於て至当の儀と相認
 - 第5巻 p.399 -ページ画像 
め同意致し候儀に有之候処、前陳の次第にて中途取消の不得已結果に相成候段宜敷御諒承被下度、此段申添候也
然るに九日の総会に於ては内部の協議纒まり居りしことゝて何等の紛擾なく中島行孝、石崎政蔵の両氏を監査役に選挙し、渋沢男爵以下相談役推薦の件も原案の通り可決せり


竜門雑誌 第二四四号・第六九―七〇頁〔明治四一年九月〕 ○青淵先生帝国商業銀行の相談役となる(DK050085k-0009)
第5巻 p.399 ページ画像

竜門雑誌  第二四四号・第六九―七〇頁〔明治四一年九月〕
○青淵先生帝国商業銀行の相談役となる 帝国商業銀行にては九月九日午後三時東京商業会議所に臨時総会を催ふせしに出席人員六百五十八名株数五万一千八百六十三にして取締役郷誠之助氏会長席に着き監査役二名選挙の件を提案せしに結局指名委員を設くることゝし、会長より藤山雷太、中野武営、伊藤茂右衛門三氏に之を依嘱することとなり、三氏は協議を経て中島行孝、石崎政蔵の両氏を挙げ満場異議なく之に決し、次に会長は八月十日の総会に際し協議委員の件提案の議を宣言せしも其後法律上の見解に付研究の結果法定機関以外に特別機関を設くるの不当なるを認め、右宣言を取消し、更に取締役会の決議を以て青淵先生、中野武営、原六郎の三氏に相談役を委嘱せる旨を報告したり


(八十島親徳) 日録 明治四二年(DK050085k-0010)
第5巻 p.399 ページ画像

(八十島親徳)  日録  明治四二年
一月十三日
○上略
男爵ハ九日ニ大磯ニ被赴十一日ニ一寸帰京直ニ引帰《(返)》サルヽ筈ノ処、大日本製糖会社ノ紛紜又ハ商国商業銀行《(帝)》ノ事件等続出シ、今日ナドモ終日来客ニテ忙殺セラル此大寒ニモ七十ノ老先生カク鑠可驚モノ也○下略


銀行通信録 第四七巻 ○第二八〇号・第六八―六九頁〔明治四二年二月一五日〕 帝国商業銀行減資案可決(DK050085k-0011)
第5巻 p.399-400 ページ画像

銀行通信録  第四七巻
 ○第二八〇号・第六八―六九頁〔明治四二年二月一五日〕
    ○帝国商業銀行減資案可決
帝国商業銀行にては昨年減資案を株主総会に提出したるも種々の反対ありて延期となりしが、今回更に之を改訂の上一月三十一日東京商業会議所に於て株主総会を開き之を附議することゝなれり、然るに右の減資案に於ては株主中尚ほ反対を唱ふるものあり、就中栗生武右衛門半田庸太郎、織田昇次郎等の諸氏は前日檄文を株主全体に配付して委任状の取纏めに奔走する所あり、旁々当日の会議は必らず多少の紛擾を免れざるべき形勢を示したり、斯くて当日は取締役会長郷誠之助氏議長席に着き、先づ昨年下半季の定時総会を開き、左の利益金処分案を議に附したり

                       円
 当期純益金          二五三、六一二・九五〇
 前期繰越金          一一六、五一五・九九〇
 合計             三七〇、一二八・九四〇
   内
  法定積立金          一五、〇〇〇・〇〇〇
  新築費積立金        一四〇、〇〇〇・〇〇〇
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  後期繰越金         二一五、一二八・九四〇
然るに福沢桃介氏は減資案を附議せんとする場合に新築費積立金を置くは不当なりとて配当説を主張し、其他種々の議論出でしが、結局中野武営氏の発議に依り利益金処分案を左の如く変更し、即ち四分の配当を為すことに決したり
                       円
 利益金            三七〇、一二八・九四〇
   内
  法定積立金              二〇、〇〇〇・〇〇〇
  利益配当金(年四朱即ち一株七十銭) 一一二、〇〇〇・〇〇〇
  後期繰越金             二三八、一二八・九四〇
右終て愈々臨時総会に移り、左の減資案を議に附したり
    資本金減少の件
  左の方法に従ひ当銀行資本金八百万円を四百万円に減少するものとす
  一、一株の金額五十円既払込金三十五円の株式二箇を合併して一株の金額百円既払込金七十円の株式一個とし、其合併したる株式に付未払込金三十円既払込金二十円を切捨て結局一株金五十円全額払込済の株式とする事
  二、前項の手続は四十一年十二月三十一日現在の株主名簿によりて之を実行し、前陳割合により旧株券と引換に新株券を交付す
  三、第一項併合の結果生ずべき一株未満の端数に付ては其処分を取締役会の決議に一任する事
    切捨資本及繰越金処分の件
  別項貸借対照表中に示せる整理勘定の内金九十一万三千三百二十二円八十九銭は回収の見込特に乏しき貸出に属するが故に、先づ繰越金二十一万五千一百二十八円九十四銭及前条資本減少の結果生ずべき切捨既払込資本金一百六十万円の内を以て銷却し、其結果生ずべき切捨既払込資本金の剰余金九十万一千八百六十五円五銭と《(を)》滞貸準備金に振替へ(従来積立たるものと併せて金一百十二万六千八百六円五銭となる)整理勘定残額一百七万五千四百十四円三銭の処理上生ずべき損失補塡に充つるものとす
斯くて栗生武右衛門氏は劈頭起て原案反対を唱へ、以て半田庸太郎氏より反対の理由を説明し、議場頗る騒然たりしも、結局人員五百七十三名、株数三万九千三百八十一株に対する人員千三十八名株数六万七千四百八十七株の多数を以て原案可決となりしが、唯出席者法定数を欠くこと十二名なりし為め、仮決議とするの已むを得ざるに至れり、而して取締役五名を七名とするの件は次回に延期さるゝことゝなり、同銀行の減資問題も玆に一段落を告げたり


銀行通信録 第四七巻 ○二八一号・第五三頁〔明治四二年三月一五日〕 帝国商業銀行減資案(DK050085k-0012)
第5巻 p.400-401 ページ画像

 ○二八一号・第五三頁〔明治四二年三月一五日〕
    ○帝国商業銀行減資案
帝国商業銀行にては一月三十一日の株主総会に減資案を提出したるも出席者法定数に充たざりし為め、仮決議の儘確定を見るに至らざりしかば(前号三一八頁参照)、去る二月二十七日商業会議所に臨時総会を
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開き、曩に仮決議となりし資本金八百万円を四百万円に減少するの件並に資本金減少の方法、切捨資本及繰越金処分等及之に伴ふ定款改正の件を附議せしに孰れも原案の通り承認せり、次に取締役五名を七名に増加するの件は賛否の論盛んにして容易に決せざりしかば、協議の末増員問題は無期延期とすることゝなし散会せり
  ○帝国商業銀行ハ明治二十七年八月資本金五百万円ヲ以テ東京大阪其他各都市ノ株式取引所関係者ニヨリ設立セラレ、爾来証券業者ノ機関銀行タリシモノニシテ、明治四十年取締役会長浅田正文辞職シ、馬越恭平之ニ代リシガ、ソノ頃ヨリ重役間ニ軋轢ヲ生ジ、取締役全部辞職シ、新ニ男爵郷誠之助取締役会長トナレリ。栄一、中沢彦吉ト共ニコノ間ニ斡旋スル所アリ。相談役ニ就任シタルモノナリ。
  ○帝国商業銀行ハ明治四十一年七月二十五日ノ株主総会ニ於テ、資本金八百万円ヲ六百万円ニ減少スルノ議案出デシガ遂ニ決定ニ至ラズ。(「銀行通信録」第四六巻第二七四号第六三頁〔明治四一年八月一五日〕)


帝国商業銀行取締役会決議録 一三(DK050085k-0013)
第5巻 p.401 ページ画像

帝国商業銀行取締役会決議録  一三 (株式会社第三銀行所蔵)
  第弐拾八回
明治四十一年九月九日
一本日臨時総会結了ニ付、別紙株主ニ通牒セシ趣旨ニ基キ、男爵渋沢栄一、中野武営、原六郎ノ三氏ニ相談役ヲ委嘱ノ為メ、左ノ書面ヲ送附スル事
    文按
 拝啓秋冷相催候折柄、愈御健勝奉恭賀候、陳ハ予テ御高配被下候当銀行臨時総会モ去九日無事結了仕候、就テハ曩ニ株主へ通牒致置候通、当初協議委員ヲ挙テ慎重ニ事ヲ処理セントシタル趣旨ニ基キ、今般取締役会ノ決議ヲ以テ閣下並ニ中野武営、原六郎ノ両氏ヘ当銀行相談役ヲ御依嘱申上候間、事情御諒察ノ上御聴容被成下候ハヾ幸甚ノ至ニ不堪候 匆々敬具
   九月 日
  男爵渋沢栄一殿
    中野武営殿
    原六郎殿           (朱書)(九月十一日発送)


帝国商業銀行重要記録 明治四一年(DK050085k-0014)
第5巻 p.401 ページ画像

帝国商業銀行重要記録  明治四一年 (株式会社第三銀行所蔵)
九月十四日
 九月臨時総会ノ結果石崎、中島両監査役当選就任ノ件、並ニ取締役会ノ決議ニヨリ、相談役ヲ男爵渋沢栄一、中野武営、原六郎ノ三氏ニ委嘱セシ所何レモ承諾相成タル旨ノ通知書ヲ発送ス


男爵郷誠之助氏談話 (昭和一一年一〇月九日於同氏邸)(DK050085k-0015)
第5巻 p.401-403 ページ画像

男爵郷誠之助氏談話  (昭和一一年一〇月九日於同氏邸)
  青淵先生観と財界に於ける先生との関係
   概目
 一、青淵先生観
 二、私の父と青淵先生
 三、帝国商業銀行との関係
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 四、日本郵船の紛争
 五、東洋製鉄会社設立
 六、郵船と東洋汽船と合併問題
 七、徳育についての思出話
    一、青淵先生観
 渋沢さんは非常に大きな人で、円熟した人でした。あれでもお若い頃は侃々諤々の人であつたのが、だんだん円満になられたのです。
 最初私が逢つたのは、渋沢さんがもう五十以上の時でした。当時既に円熟してをられ、そして何処までも誠心誠意の人でした。
私の青淵先生観といふものは日比谷で行はれた追悼会の席で、私が演説した、あれに尽きている。あれは御世辞で言つたのではないのだから、あれ以上他に言ふことはありません。
 先生は、善をなす一つの権化であつた、と私は思つてゐる。こゝが偉いとか、あそこが秀でてゐるとか、又は敏腕なところがみえるといふわけではなく、全体的に偉かつた。
    二、私の父との関係
 これは父から聞いたのだが――父は元やはり美濃の百姓で、幕府の役人になつてゐたのを御一新によつて明治政府に呼出されたのです。その頃の明治政府は天下国家を論ずる三十歳前後の若い者ばかりで、実際の事務を執れる者がゐなくて困つてゐた。その為め私の父も引張り出されたのです。そして、確か大隈から私の父に、実際上の事務に明るい者を推薦してくれと言はれて、渋沢さんと前島密を世話したと言つてゐた。
 当時は藩閥が盛んで閥外の者には中々勅任になれなかつた。私の父も余程後になつて三等出仕になつた位でしたが、渋沢さんは私の父を追越して三等出仕になられ、大さう早く出世をされた。
 私がまだ子供の頃のことだが、初夏の季節になると渋沢さんがよく玉川の鮎をざるに持つて来られたのを記憶してゐます。だから渋沢さんが大蔵省をお止めになつてからも何かと交際はあつたものゝやうです。
 私がお目にかゝつたのは私が道楽をしたあげくのことで、明治二十六、七年の頃でした。私は其の時分ちつぽけな会社の整理をやらされてゐたが、私の父が渋沢さんに――その頃、渋沢さんはもう実業界の大家になつてをられました――大蔵省以後絶えず交際があつたので、実業家になるのだつたら渋沢さんに逢つて来いといわれて、兜町の事務所に行つたことがある。その時は渋沢さんは大分お忙しさうで、私は二時間ばかり待たされた。そこで私の将来の事を頼んだわけだが、渋沢さんは別段気にも留めてくれなかつたやうでした。しかし其後、私もあちこち仕事をするやうになつたので、お目にかゝる機会が多くなりました。
 最初は王子製紙をやることになつたが、これは渋沢さんのお世話でしたから、その為に私は取締役になつた。当時渋沢さんも王子製紙に関係されてをつたが、何しろ三井が資本の過半か十分の八、もつとそれ以上もつてゐた。それが破綻して藤山、大川などがやつたけれども
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うまくいかず、鈴木梅四郎もうまくいかず、その後を私が相談を承けて引受けた。爾来、渋沢さんにお目にかゝることが多くなつた。
    三、帝国商業銀行との関係について
 これは馬越恭平と浅田正文が喧嘩した問題で、何しろブーム時代の借金を銀行がうんと背負ひ込んで困つてゐたのを私が引受けたが、これは成功しなかつた。銀行といふものは一度大きな借金をしたりして信用を失ふと、中々回復出来ないものです。
 私がこの銀行を引受けたのは子爵と中野武営の二人から依頼されたものでした。その時分から私は整理屋の様にみられてゐた。
 渋沢さんもよく色々の世話をされた。はたで見てゐる者が気の毒な位に親切で、一寸みるとまァ意気地がない位だつた。頼まれれば何処へでも直ぐ飛んで行かれる、向ふで来て下さいといへば向ふへ行かれ、こつちで呼べばこつちへ来られるといふ風だつた。しかし、そこが偉い、極言すると子供の使走りみたいだが、普通の者にはなかなか出来ないことだ。それを渋沢さんは根よく労を厭はずやられた。実に親切でした。平凡にみえるが、そこが偉いところでせう。
 その後は何といふことなしに御交際をお願ひした。私から申せば失礼だが、渋沢さんの晩年ほど私は認められたと思つてゐる。
○下略                 (編纂委員太田慶一記)


財界随想 (郷誠之助著) 第二五五―二五六頁〔昭和十四年五月〕(DK050085k-0016)
第5巻 p.403 ページ画像

財界随想  (郷誠之助著) 第二五五―二五六頁〔昭和十四年五月〕
    「帝国商業銀行」のこと
 次に引受けたのが「帝国商業銀行」だ。丁度、馬越と浅田とが喧嘩して色々ゴタゴタしてゐたのを、渋沢さんと中野(武営)が相談して、私に引受けろといふので取締役会長を引受けたのだがこれだけは成功しなかつた。
 一体銀行といふものは、二二が四で総て細かい計算の上に立つて行くものだから、一度躓くと立直りが容易でない。一般の産業会社ならば、その時の風の吹き工合によつて、好い時までじつと我慢して、いざといふ時波に乗ると、パツと成功するものなのだが、銀行は厘毛から段々積んで行く商売だから、その手が利かない。
 私はさういふことを云つて弁護するわけではないけれども、これにはとうとう成功しなかつた。