デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第7巻 p.71-79(DK070010k) ページ画像

明治41年2月5日(1908年)

東京銀行集会所ニ於テ貴衆両院議員中ノ銀行家及東京銀行集会所組合銀行、東京交換所組合銀行並銀行倶楽部会員中ノ有志者ノ連合懇親会開カル。

栄一出席シ、発起人ヲ代表シテ一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四一年(DK070010k-0001)
第7巻 p.71 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年
二月五日
午後五時銀行集会所ニ抵リ、全国各銀行者ノ貴衆両院ニ議席ヲ有スル人々ト懇親会ヲ開ク、其食卓上ニ於テ一場ノ演説ヲ為ス


銀行通信録 第四五巻第二六九号・第三六五頁〔明治四一年三月一五日〕 議員銀行家連合懇親会(DK070010k-0002)
第7巻 p.71-72 ページ画像

銀行通信録  第四五巻第二六九号・第三六五頁〔明治四一年三月一五日〕
    ○議員銀行家連合懇親会
貴衆両院議員中の銀行家及東京銀行集会所組合銀行、東京交換所組合銀行並銀行倶楽部会員中の有志者は二月○明治四一年五日午後五時より東京銀行集会所に於て連合懇親会を開きたり、当日出席者氏名左の如し
    貴族院
伊藤長次郎(兵庫)   糸原武太郎(島根)   男爵本多政以(石川)
土居通博(岡山)    鳥越貞敏(福岡)    千阪高雅(東京)
大谷嘉兵衛(神奈川)  加藤宇兵衛(青森)   河田与惣左衛門(秋田)
鎌田勝太郎(香川)   男爵高橋是清(東京)  田島武之助(埼玉)
久保市三郎(栃木)   佐藤伊左衛門(新潟)  沢原俊雄(広島)
森広三郎(福井)
    衆議院
伊夫伎資弼(滋賀)   市田兵七(青森)    石谷伝四郎(鳥取)
石田孝吉(島根)    井上要(愛媛)     岩元信兵衛(鹿児島)
星野仙蔵(埼玉)    田村惟昌(富山)    永見寛二(長崎)
植木元太郎(長崎)   鵜飼退蔵(滋賀)    山口達太郎(新潟)
山田平太郎(新潟)   松原九郎(岐阜)    松井源内(北海道)
青地雄太郎(静岡)   安念次左衛門(富山)  佐藤伊助(新潟)
佐竹作太郎(山梨)   沢田耕治郎(滋賀)   三輪猶作(三重)
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鈴木摠兵衛(愛知)
    組合銀行
井上準之助(日本)   池田謙三(第百)    池田成彬(三井)
稲延利兵衛(日本通商) 今村繁三(今村)    今清水乾三(両羽支店)
井沢竹衛(明治商業)  早川千吉郎(三井)   波多野承五郎(三井)
原田乕太郎(第三)   豊川良平(三菱)    和田義行(第二支店)
藁品槍太郎(新潟支店) 加納友之助(住友支店) 河合徳兵衛(麹町)
成瀬正恭(十五)    中沢彦吉(八十四)   串田万蔵(三菱)
草刈隆一(東京)    山口宗義(日本)    山口荘吉(二十)
山中隣之助(浪速支店) 松方巌(十五)     松尾吉士(正金支店)
安藤浩(川崎)     阪田実(豊国)     箕輪五助(十九支店)
志村源太郎(勧業)   男爵渋沢栄一(第一)  清水虎吉(第三)
首藤諒(日本)     杉原惟敬(肥後支店)
斯くて一同晩餐後渋沢男爵発起人を代表して開会の趣旨を演説し、千阪高雅氏来会者に代りて一場の挨拶を述べ、夫より佐竹作太郎、豊川良平両氏の演説あり、終て別室に移り各自歓談の上午後九時散会せり


銀行通信録 第四五巻第二六九号・第三四一―三四八頁〔明治四一年三月一五日〕 両院議員中銀行家並東京組合銀行有志懇親会席上演説(二月五日)(DK070010k-0003)
第7巻 p.72-79 ページ画像

銀行通信録  第四五巻第二六九号・第三四一―三四八頁〔明治四一年三月一五日〕
  ○両院議員中銀行家並東京組合銀行有志懇親会席上演説
                        (二月五日)
    ○渋沢男爵の演説
臨場の閣下諸君、今夕の御会合は現に貴衆両院に御出席になりまする全国の御同業者諸君の東京に御集りを機会として、東京の銀行集会所の同業者が相会して懇親会を開かうと云ふので、此宴会が開かれた次第でございます、而して此会合は此度で三回に相成りましたが、別段規約もございませねば司会者もない、単に全国の同業者が相集つて懇親を厚うし、自然何等研究すべき事があるならば、御互に且つ談じ且つ議さうと云ふ丈けに止つて居りまするのです、過日来地方より議会へ御出掛の諸君の御様子を承知して、一日も早くと此開会を企望しましたけれ共ツイ今日に遷延致した次第でございます、斯る多数、殆ど全国有力の銀行者が御集りになりましたる場合でありますから、仮令前に申す通り至つて単純なる懇親の会合ではございますれ共、此会合を利用して銀行業又は経済上に就て多少意見のある人は、其意見を陳述して或は現在の問題ともし、又は将来研究の材料とも致します様にありたいと云ふことは、前回前々回から吾々も企望し、諸君も御要求のあらしつたことであります(ヒヤヒヤ)、昨年は二月の八日に此会が催されたやうに記憶します、其時にも此会合を機として時事問題として特に良い意見もございませなんだけれども、経済社会の事に付いて愚説を陳述したやうに記憶致して居ります、当時本席に在らつしやる千阪君から私の言に対して貴案を御添へになりまして、且つ其御言葉の中には多少御叱りのやうなこともあつたと覚えて居ります、私は一昨年からして斯る御会合の時には国家の財政と民間の経済との調理を努めて其権衡を得せしめたいと云ふことは其度毎に愚見を陳べましたが、要するに戦後の我日本の経済界は最も慎重に経営して行かねばな
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らぬ、慎重と云ふたとて右を顧み左を慮り、唯心配ばかりして居るやうでは相成らぬ、負担が重けれれば勉強も増さねばならぬ、勉強を増さうと思ふならば成るべくたけ多く事業を仕掛けねばならぬと云ふことになる、唯其事業が宜しきを失ひ、度を過せば誤つて害となると云ふことも顧みねばなりませぬから、千阪君の其時の御心付は私共誠に御尤とは感じましたが、只々民間の経済と云ふものが国家の財政に劣つて、財政と云ふものばかりが拡大して国の両輪が片廻りにならぬやうにと云ふ希望に至つては、蓋し諸君も皆御同感であつたらうと思ふのでございます(拍手)
さて三十九年以降我が政府は毎年戦後の財政経営として膨脹的予算を提出されました、之を見る度毎に吾々は未来が如何なるかと云ふことを懸念しつゝ今日に来つたと申して宜からうと思ふのです、但し三十九年に於ては戦後匆々のことであるから、戦時中の不完全な課税を整理すると云ふことは如何に速かなるを欲しても決して左様には参るまい、併しながら四十年の予算に於ては大にそれ等に注意されるであらうかと期待致した、然るに昨年の予算も吾々共期待致した如きとは思はれぬやうであつた、殊に本年に至つては最早相当な歳月も経て居るから、成るべくたけ国力の進歩を努めて、精々不生産的費用をば節約されるところの財政案が提出されることゝ希望して止まぬのでございました、然るに先頃から拝見しますると種々なる廟議の末遂に已むを得ず増税せねばならぬと云ふことに一決されて、此の案が提出されると云ふことは吾々共経済界に居る者は実に遺憾に堪へぬのでございます、但し今夕に於ては此意見を申述べまするも最早六日の菖蒲たることを免かれぬか知りませぬけれども、併し吾々は玆に今一つ申上げて見たいと思ふことがございます、果して総ての事が皆な六日の菖蒲ではない、或は九日以前の菊になるべき事柄もあるかも知れぬと思ふのでございます(拍手)
唯今申述べ掛りましたる増税問題に至つては、既に大勢定つたと致しますれば吾々又何をか言はんでございますけれども、併し斯る場合に一体の国力が真に是に堪へ得るものであるか、或は過度であるかと云ふことの考察は詰り一国の未来の発達を障礙するかの関係大なるものと致しますれば、是は御互に経済界の枢要の位地に居る銀行者としては、唯単に人が言ふから宜からう、議会が同意したから吾々も同意しやうと云ふことだけに経過するのは少し粗忽な考にならうかと思ふのでございます(拍手)蓋し今日の有様が種々なる必要からして、歳出予算が段々に増加して来ると云ふことは是れは国の進歩と共に免かれぬことでございまして、吾々此大戦役以後一等国民となつたと云ふことを歓び迎へる心としては、申さば良い品物を買つて来た後に、代価が高いからと云うて其支払に不平を言ふやうな意気地ない考を持つてはいかぬと思ふのでございます、畢竟大きな価を出さねば良い品物は買はれぬ、さりながら一方から顧ると果してそれだけの品物をどれだけ買ひ得て、他日の懐中勘定が差支はないのであるが、十分に堪え得るや否やと云ふことは精密に考感せねばならぬ、果して一家の間口を段段拡げ過ぎて奥行を進めて行くのは気遣はしいと云ふことがあるなら
 - 第7巻 p.74 -ページ画像 
ば、場合に依つては此間口を拡げることを躊躇して呉れと云ふことも吾々奥行に関係する人民としては努めて論ずるだけの権利もあり、又考慮もなくてはならぬと思ふのでございます(拍手)
併し是等の観察は皆な銘々に思ひ、銘々に論ずることでございますから、縦令私が甚だ過重であると申しても否なそれだけの力があると云ふ御説も十分生じませう、此御席上にもさう云ふ方々が沢山居らつしやいませうが、自分等の始終考へて居りますところでは、或る一例に依りましても如何であらうかと恐れるのは、他の国々の貿易の高と歳出の高との比例を論じて見ても、我が国の有様は甚だ多きに居ると云ふことを申すに躊躇致しませぬ、試に英吉利に於ては貿易の総計から比較して見ますと、其歳出が一割五六分である、仏蘭西などが大層多いと云うても三割位になつて居る、然るに我帝国に於ては貿易の総計から比較しますと六割五六分殆ど七割に近い、斯様に数字を此処に現はすとして見たならば、国家の力が平然と之に堪ゆると云ふことは或は言ひ難んじはしないかと思ふのでございます(拍手)故に吾々はどうしても此戦時税の整理が必要である、此必要を先んぜずに更に増税と云ふことは甚だ宜しくないではないかと只管政府に反省を望みます、併し是は今申上げまする通り最早大勢動かすべからざることでございませう、唯此処に御集りの諸君が或は御一同此説が真に尤もだと思召されたならば、十分なる利剣を持つて居られる不動尊の御揃ひであるから、或は之を動かすことが出来ぬと云ふこともなからうと思ふのでございます(拍手)
而して更にもう一つ申上げたいのは吾々銀行集会所中にございます手形交換所で、所得税法に付いて提案になつて居るものをも取調べて見ました、是はまだ前に申上げました通り十日の菊ではございませぬ、七日か八日の菊と申して宜からうと思ひます(拍手)此案も大に経済界の秩序を紊乱する案だと論ぜねばならぬやうに思ひます(ヒヤヒヤ)蓋し私自身が金持でございませぬから、事に依つたら米国大統領に同意して金持征伐の旗を立てゝ出まいものでもございませぬ(笑)さりながら日本の今日の有様は若し政治家がルーズベルト氏を学んで金持を征伐しやうと思ふならば、取りも直さず植えたばかりの木を枝葉の繁茂を恐れて其芽を摘むやうなもので、是から大に繁茂しやうとするのを枝が邪魔だと云ふので其枝を摘むに至つては殆んど馬鹿な沙汰だ、阿呆な所業と論じなければならぬ(拍手)果して然らば此所得税案は若し金持征伐と云ふ意味であつたならば、まだ日本の金持は縦令三井や三菱が大きいと申したところが私から言へばまだ植へた木の芽生である此芽生から直ぐ枝を摘まうと云ふ考は、抑ろ時勢を見誤つた考である恰も軍人社会などでは戦時に際して吾々が必死の力を尽して軍費を負担したから、平日此通りに日本人民の力が増して居るのだらうと思ふて、更に課税するのと同じ誤解に陥つたとも申して宜からうと思ふのでございます(拍手)
前に申上げました両様の事は東京銀行集会所に於ける人々が多数一致して、皆な共に希望するとまでは申上げ得られませぬが、殆ど集会所の輿論と申して宜しうございますから、幸に御集りの諸君には隻手に
 - 第7巻 p.75 -ページ画像 
は経済の剣を持つて居られる、隻手には立法の剣を持つて居られる、此立法の剣を持つて居られる諸君に向つて吾々の論ずる所は斯く斯くであると訴へる、蓋し或は素町人の泣言と諸君は思召すかも知らぬ、若し泣言と思召すならばそれは泣言であるから斯う考へて大夫丈だと云ふことを御諭しを願ひたい、若又其御諭しがないならば大体に於て御同意下さるものと認めます、若し御同意下さるならば其御同意の方に御力を入れて戴きたい、以上は特に集会所の者共を殆ど代表の意味で御臨場下すつた諸君に一言の謝辞を述べました次第でございます、玆に御臨席の皆様の御健康を祝します(拍手)
    ○貴族院議員千阪高雅君の演説
諸君の御希望に付いて私が貴衆両院を代表して渋沢さんに御挨拶を致します、男爵閣下は民間に於て経済界の覇王とも謂ふべき御方でございます、昨年はチト貴衆両院を代表して失礼なことを申したかも知れませぬ、さりながら経済の大勢はどうも私の言つたことが反古でなく其趨勢で往つたと云ふことは信じて疑ひませぬ、今日男爵閣下の御演説は一々感服致して、昨年とは反対でございます(笑)さりながら此増税問題の如きに至つては既に業に男爵閣下の仰せらるゝ通り、衆議院の大勢は既に定つたがまだ貴族院の態度は定らぬ、全体増税の事、予算の事はどうしても重きを衆議院に置いて、多少捨置き難いと思ふ事は随分貴族院に於て反対も致し修正も致して協議会を開くこともあります、併し今日貴族院の大体を達観致しまするに、どうも衆議院で昨日既に決定した暁には、貴族院で之を動かす或は之を修正すると云ふことは余程難かしからうと思ひますが、唯此所得税等の事に至つては未だ衆議院の方でも議決になりませぬし貴族院の方では努めて男爵閣下の御趣意を遵奉する様に力を尽して見ます、唯是に付いて私は衆議院諸君に厚く御依頼しますが、是が衆議院を通過して貴族院に廻りますると、貴族院と云ふものは今予め大要を御話した如き態度でありますから、何分どうも増税の事やら税源の事は動かし難うございますから是は衆議院諸君に厚く御望を致して置きます(ヒヤヒヤ)今年は男爵閣下が此会を御開きなさるのが少し遅れた、どうも平生の御注意深い御方には似合はない為され方と思ひます(笑)併しそれを御咎め申すと云ふ次第ではございませぬが、どうか此態度を今年に限つたことでなく明年にも持越されて、さうして如何に多数の政友会と雖も此国民の大多数の希望を容れて、結局此処で言ふのは少しく忌諱に触れますけれども、海陸軍の経費を縮めるとか或は諸官省の改革等をして、兎に角不生産的の費用を節して、さうして生産的の事に力を尽されるやうに、どうぞ男爵閣下に於ても御尽力あらんことを希望致します、之を以て御挨拶と致します(拍手)
    ○衆議院議員佐竹作太郎君の演説
唯今渋沢男爵閣下より懇々御説示がありまして、謹んで拝聴致しました、続いて又貴族院議員たる千阪君より衆議院議員に反省せよと云ふ御説示がございました、爰に至りまして私は衆議院議員の一人でありまして、殊に政府党の一員に列して居りまするので(笑)唯今渋沢男爵の御説示も政府の政策が或は悪いが如く御述べになりましたやうであ
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りますが、是は私はもう今日は弁解を致しませぬ、又増税案に付きましては既に昨日衆議院に於て通過を致したのでありますから、之に付いても私は何等申上げる必要はないと信じます、それで此税制調査会に於きまして調査された事柄に付いては、唯今渋沢男爵閣下より御話の如く未だ六日の菖蒲でもなく十日の菊でもありませぬ、是に付いては私共も大に意見がありまするのでございます、是は十分努めます積りでありますから、どうか今晩はもう政府の政策、又税法改正に付いては是だけに御止めを願ひます、其以上の事は唯今申上げまする通り別段説明する必要もなし、又説明する義務を持ちませぬ、私は唯最後に一言申上げたいのは、吾々衆議院議員として当席の斯う云ふ宴会に加はりまするのは今晩が最終、吾々はもう任期満了に当つて居ります更に再選をされまして出て参りますれば衆議院議員として諸君に面謁を致しまする栄を得まするかも知れませぬが、甚だ其事は覚束ないのであります、今晩は衆議院議員として御目に掛る最終の会と御承知下さることを希望致します(拍手)
    ○豊川良平君の演説
諸君、私は今夕手形交換所の委員長として増税問題に就て政友会の諸君、進歩党の諸君其他各派の諸君に御交渉を申さなければならぬと思ふて居りましたところが、唯今千阪さんの御演説を承はりまして最早其必要は無いかの如く感じました、けれども、此処で高橋男爵の御出になつて居ることに考付きまして一言財政上の事に就て申上げざるを得ざることゝなり、知らず識らず此に立ちました、訥弁ながら暫時清聴を汚します(謹聴々々)
さて明治三十七八年の役に我国は露西亜と戦つて其結果は我は彼に勝つた、何故に我国が勝つたかと云へば上 天皇陛下の御稜威に由ることは勿論でありますが、海陸軍の上長官が帷幄の内に居られて作戦計画其宜しきを得、将校下又士卒の勇敢なる、時の政府の内治外交の宜しきを得たる事等が綜合して戦勝の光栄を占め得たことと考へます、併しながら其勝つた主因は何であるかと云へば此席に居られる高橋是清君の尽力大に与つて力ありと謂はねばならぬのであります、即ち高橋君は明治三十七年の二月下旬に新橋を立つて倫敦に往かれた、而して五月上旬我か黒木将軍は鴨緑江を渡り続いて一千万磅の外債が成立した、其前には五百万磅の外債も六つかしいと云ふ評判であつたのに高橋君の非常なる苦心尽力に依つて一千万磅の外債が成立ちましたのですから、啻に陸海軍の将校達が安心したのみならず国民挙つて非常に喜んだ、又内地に於ては二月の十三日に此集会所へ有数の銀行家が寄合ひ内相談をした末遂に一億と云ふ公債を募りました、其結果はどうかと云へば四億五千二百万円と云ふ応募額を得まして四倍半余と云ふ好況でありました、さうして一方に於ては我海軍は旅順を封鎖し陸軍は鴨緑江を渡つた、此二つの事は内外債を募る上に於て非常なる便宜を与へたのであります
高橋君は戦時中三度欧米に往来せられた、私は数字は明確に記憶致しませぬが此間に外債を募つた高が前後六回で合計一億三千万磅――借替となつた分を差引き一億八百万磅と心得て居ります、之を我が金に
 - 第7巻 p.77 -ページ画像 
換算すれば約十億八千万円、又内債は第一回の国庫債券が一億円、続いて第二回が一億円、第三回が八千万円、其後また一億円づゝ二回出来まして前後五回で内債が四億八千万円、内外債を合せれば即ち十五億六千万円先づ十六億と云つて宜い、諸君、若しも此金が出来なかつたとしたならば如何でありましたらうか、一方に於ては東郷大将は上村、片岡の聯合艦隊を率ひて旅順を封鎖し、一方に於ては対馬海峡で敵艦の来るのを待構へて居つた、又黒木将軍は鴨緑江を渡り、奥将軍は大石橋に向ひ、乃木将軍は旅順の背面を攻撃し、又遼陽には大山元帥野津将軍が居られて遂に奉天迄進んで往きましたが、若も前申上げた軍費が出来なかつたならば到底終局の勝利は得られなかつたらうと思ふ、否若し此外債が出来なかつたならば、決して遼陽奉天の戦は出来なかつたらうと思ふのであります(拍手)
然らば内外債が何故に出来たかと云へば、明治十八年から財政整理、行政整理を実行し、其他国家の事業は総て民業に移すと云ふ方針を執つて、北海道の鉄道も払下げる、長崎の造船所も払下げる、神戸の造船所も払下げると云ふ風に、総て官業を民業に移すと云ふことに相成つたのであります、又一方では鉄道の敷設を日本、山陽、九州等の各鉄道会社に許した、そうして二十三年に至つて国会を開いた、其国会に於て財政整理、行政整理と云ふ事を民党が主張し、時の政府も之を容れて整理を遂げた結果、明治二十七年には剰余金二千六百万円を生じた、然るに二十七年の七月に外交が破れて支那と戦争を開いた、当時に欧米人はどう云ふ考を懐いたかと云へば、迚も日本は戦が出来ない、縦し兵が勝つたにしたところが決して軍費は続かぬと観て居りました、然るに戦争の結果は案外にも日本が勝つた、そこで欧米人は一方に於て日本の海陸軍の将卒の忠勇なるに驚嘆すると同時に一方に於ては日本の経済即ち一の外債に頼らず内債のみにて軍費の調達をしたと云ふことに驚いたのであります、のみならず償金として三億余万円を取つたので益々驚いた、ところが其後三十三年の北清事変も済み、旁々致して居る中に三十六年となり、翌三十七年の二月六日に至つて日露の外交が破れて八日の晩から九日に亘り旅順を攻撃した、此時に当つて欧米人は果して如何に考へたか、日本は迚も露西亜には勝てない、如何となれば軍隊は後備予備までも召集して居ると云つたではないか――実は吾々も頗る危ぶんだのである――さう云ふ有様で日本は到底露西亜の敵ではないと欧米人は思つて居つた、然るに何故其時に外債が成功したかと云へば、曩に日清戦争の際に日本は外債に頼らずして軍資を調へた、さうして遂に三億の償金を取つた、是が殖産興業の基となり忽ち発展して其貿易は二十六年には僅に一億七千八百万円であつたのが、三十六年には六億六百万と云ふ高に達して居る、斯まで経済が発達して居る以上は政府には金が無くても民間に屹度金があると斯う鑑定した、然るに一方の露西亜はどうかと云へば、御承知の通りに久しく東欧の覇王として西欧諸国より畏怖されて居りました、クリミヤ戦争の時にはどうであつたかと云へば英、仏聯合して土耳古を助け露西亜と戦つた、又七十八年の伯林会議に於ては何をしたかと云へば露西亜が勢を得ては困ると云ふので、是亦英、独が主となつて
 - 第7巻 p.78 -ページ画像 
土耳古を助けて露西亜の頭を押へた、斯の如く西欧諸国より畏れられたところの露西亜が、日清戦争の後には露・仏・独三国同盟の主権を取つて我が日本を圧迫し其極旅順を取り遂に東清鉄道を拵へた、斯の如く露西亜が各方面に手を拡げるのを見て、西欧羅巴各国は是では困ると思つて居たところへ日本から戦をしかけた、そこで西欧羅巴は干戈を以て日本を助けると云ふ訳には行かなかつたが、責めて金を以て可愛い日本を助けてやらうと云ふので極力我国に同情を寄せたのであらうと思ひます、又一方では経済発達と云ふ点から日本は十分に利息を払ひ得ると信じた、そこで或る部分に対しては税関を抵当とし或る部分に対しては煙草専売を抵当として十数億の外債が出来たのであらうと思ひます、若し此金が出来なかつたならば、私は此戦争は予期の如く継続し得なかつたであらうと思ひます(拍手)
近時露西亜の勢力が最も振つた時は何時であつたかと云へば、彼のウヰツテが大蔵大臣になつてさうして西比利亜に鉄道を敷き又旅順を取り東清鉄道を敷いた時であつたらう思ひます、此盛んであつたのは何故であるかと云へば露西亜が仏蘭西と同盟した、其同盟に迷はされて仏蘭西人が露西亜に金を貸した結果ではないかと思ひます、即ち其借りた金は百十三億二千万法を上ると云ふことに聞いて居りますが、露国は此借りた金を以て西比利亜に鉄道を敷き旅順に軍事的設備を為し東清鉄道を敷いたと云ふ訳である、さうして露国は一方では酒も官営煙草も官営、何も彼も官営としてしまつて人民に重い税を課した、其結果到頭露国には金持が無く多数の者は地主さもなければ劣等の人民と云ふ有様になつた、さうして日本と戦争をした結果が敗北と云ふことになつた、而して今日はどうかと云へば仏蘭西は露西亜に金を貸し過ぎて嫌になつて余り構はぬと云ふことになつた結果、露国は以前とは打つて変つて萎微振《(靡)》はぬと云ふ有様になつたのであらうと思ひます然るに我が日本は高橋君の御尽力で募つた外債が約十一億円、尚其前に四千三百万の軍事公債、一億円の四分利の英貨公債、それから桂内閣の時に五千万の裏書をして売り出した、其上東京市債、関西鉄道、炭鉱鉄道等が各一千万円借りて居る、是等を合せて見ると日本が今日外国より負ふて居る借金は恐らく十四億以上に上つて居ると思ひます扨斯うなつて見ると西欧羅巴の人民は猶日本の民間に富があると見て居るか如何でありましようか、西欧羅巴の人民が是から以上我が日本の国家が公債を募るとすれば之に応ずべきや否や、私が思ふには恰も仏蘭西が露西亜に金を貸し過ぎて嫌になつたと同じやうに、杞憂の念を持ちはせぬかと思はれるのであります、又一方より見れば喬木は風に嫉まれると云ふ比喩があるが、三十六七年頃の日本は角力に譬へて見れば十両取以下の幕下で英吉利が東の横綱、露西亜が西の横綱と云ふ有様であつた、此横綱の露西亜と幕下の日本と戦争を始めたのだから、見物をして居る西欧羅巴の人民は非常な興味を以て迎へて、弱い幕下の日本をして強い横綱に勝たせたいと云ふ念慮から声援を与へ外債に応じて呉れたので、其結果首尾能く日本が露西亜に勝つて一等国となつたが、其以後は欧米の人々の日本を可愛いと思つた心が一変して或は之を制抑しやうと云ふ気が起りはせぬかと恐れる、して見れば
 - 第7巻 p.79 -ページ画像 
是から先は余程吾々は勉強して国家を維持するに努めざるを得ぬと思ふのであります
然るに今や渋沢男爵の仰しやる通り増税問題は既に決定したが後に残つて居る所得税法案、又営業税法案それから織物税、種々な法案即ち非常特別税の整理法案はまだ六日の菖蒲ではない、十分論議するの余裕があると思ふ、処で私が考ふるに日本の経済の発展は何から出て来たかと云へば上に 天皇陛下を戴いて居りまして家族主義で成立つて居る国柄である、亜米利加流の個人主義ではなくして家族主義であります、それと伴つて総ての事業は家族主義で発展しなければいかぬと思ひます、ところが所得税法案などを見ると是は企く此家族主義を打破する処の法案ではないかと思はれる(拍手)同じく西洋主義を用ゐたとしても商法では合名、合資、株式と云ふことが規定してある、是は日本の有様から見て必ずしも時の法律家が西洋を鵜呑みにして拵へた法典ではないと思はれる、然るに今回政府から議会へ提出されて居る所得税法案が通過すれば、一方では家族主義で生ひ立つて居る経済社会を打壊はし、一方では一国産業組織の基礎を税制で以て打壊はしはせぬかと云ふ疑を持つて居ります、尤も是丈は千阪君と佐竹君が議会を通過させない様に大に尽力すると仰しやつた――私が斯う云ふ事を申上げると或は豊川が三菱に奉公して居るから我田引水のことを言ふと仰しやるか知れませぬが、決して左様な次第ではない、私は国家を主として論を立てるのであります、さういふ汚ない根性は起さずに淡泊に政治上の問題なり実業上の問題なりを講究したいと私は思ひます
即ち日本人も「アングロ、サクソン」人の如く淡泊に、経済上なり政治上なりの問題を論議する様にありたいと云ふことを上下両院の御方方に望むのであります、下手の長談議になりまして甚だ失礼でございました、是を以て御挨拶に代へます(拍手)