デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
2款 東京手形交換所
■綱文

第7巻 p.354-357(DK070046k) ページ画像

明治29年5月1日(1896年)

従来阪本町東京銀行集会所内ニ設ケアリシ交換室ヲ新築日本銀行本館ノ一室ニ移ス。栄一一場ノ挨拶ヲ為ス。更ニ後三十一年十二月一日同行第二建築楼上ニ移セリ。


■資料

交換所委員廻議 第二号 自明治二九年至同三〇年(DK070046k-0001)
第7巻 p.354-355 ページ画像

交換所委員廻議 第二号 自明治二九年至同三〇年 (東京手形交換所所蔵)
明治二十九年四月二十四日 東京交換所監事(印)
 委員長(印)
 委員(印)(印)
  当手形交換所事務来ル五月一日ヨリ日本銀行新築内ニ於テ取扱之儀ニ付、同行総裁ヨリ別紙之通々知有之候ニ付、回答案並組合銀行ヘ通知案御回議申上候也
    日本銀行ヘ回答案
拝啓、貴行新築之上ハ当手形交換之事務御行内ニ於テ取扱致候様仕度兼而御依頼申上置候処、今般御竣工ニ付来ル五月一日ヨリ引移リ差支無之旨御通知被下委細敬承仕候、早々組合銀行ヘ相達シ、同日ヨリ相願可申候、此段御回答申上候也
  明治二十九年四月 日
                東京交換所委員長
                      渋沢栄一
    日本銀行総裁宛

    組合銀行ヘ通知案
拝啓、陳ハ当手形交換所事務来ル五月一日ヨリ日本銀行新築内ニ於テ取扱可申筈ニ相成候間、左様御承知可被下候、就而ハ同所ハ御承知之通ナル建築ニ付、下駄・駒下駄ノ類ニテ昇降致候ハ極メテ不都合ニ可有之ニ付、右引移後交換方ニハ靴ヲ相用ヒ候様致度、此段御通知申上候也
                東京交換所委員長
  年 月 日
                      渋沢栄一
(別紙)
  明治二九年四月二三日
文第一七一号
兼テ本行ニ於テ手形交換事務取扱相成度旨御依頼有之候処、右場所モ
 - 第7巻 p.355 -ページ画像 
此程竣工致候ニ付、来ル五月一日ヨリ事務取扱相成差支無之候間、此段及御通知候也
                   日本銀行総裁
                      川田小一郎(印)
    東京交換所委員長
        渋沢栄一殿


銀行通信録 第一二六号・第六三―六五頁〔明治二九年五月一〇日〕 東京交換所移転(DK070046k-0002)
第7巻 p.355 ページ画像

銀行通信録  第一二六号・第六三―六五頁〔明治二九年五月一〇日〕
○東京交換所移転 従来東京銀行集会所内ニ設ケアリシ東京手形交換所ハ、本月一日日本銀行新築建物ノ一部内ニ移転シ、日本銀行ヨリハ三野村・与倉ノ両理事、安田・森村ノ両監事並山本・薄井・河上・鶴原・中山・三田・市原・志立等ノ各局課長臨場セラレ、又交換所ヨリハ渋沢委員長、佐々木・池田ノ両委員ヲ首メ組合銀行ノ頭取・支配人交換所監事山中譲三氏等出席シテ、手形交換所ノ事務ヲ開始セリ、是日川田総裁ニモ臨場セラルヘキ筈ナリシ処、微恙アリテ欠席セラレタルニ依リ、山本営業局長ヲシテ代リテ一場ノ演舌ヲ為サシメタリ、其大意左ノ如シ
 明治二十四年三月、従来ノ手形交換所ヲ改良シ今日ノ組織ヲ以テ手形交換ヲ開キタル以来、月一月、年一年、駸々乎トシテ進歩スルノ状アルハ予カ諸君ト共ニ大ニ歓フ所ナリ、而シテ今ヤ本行新築竣工シ、其一部室ヲ以テ此ノ経済機関ノ要具タル東京手形交換所ニ充ツルハ、自他双方ノ便宜ヲ謀リ、益此事業ノ隆盛ナランコトヲ希望スル所ナリ、且又爰ニ一片ノ婆心ヲ陳ヘンニ、近時我邦ノ経済事情ヲ察スレハ、征清ノ役以降非常ノ発達ヲ来シ、尚将来益膨脹セントスルモノヽ如シ、実ニ国家ノ為メ大ニ祝スヘシト雖モ又此膨脹ノ時機ニ際シテハ、苟モ経済機関ノ運用ニ任スルモノヽ静思熟考シテ以テ遠キニ処スルノ略ナクンハアルヘカラス、万一ニモ其措置ヲ誤ルトキハ、豈唯リ其銀行ヲ害スルノミナラス、延テ国家ノ発達ヲ阻碍スルニ至ルヘケレハ、其辺ノ注意ハ最モ緊要ナルヘシ、況ンヤ交換所組合銀行ハ信用尤モ鞏固ナル銀行ナレハ、其挙措ノ如何ハ自ツカラ他ノ同業者ノ標準トモナルヘキモノナルカ故ニ、其組合ノ規約ハ之ヲ厳守シ、苟クモ其約ニ背クモノアレハ決シテ仮借スルコトナク之ヲ厲行シテ、愈此団体ノ鞏固ナランコトヲ祈ル
爰ニ於テ渋沢委員長ハ立テ曰ク
 抑東京手形交換所ハ明治二十年十二月之ヲ創立シ、爾来三星霜ヲ経過シタリシカ、其組織完全ナラサルヲ以テ二十三年十一月之レカ改良ヲ謀リ、遂ニ日本銀行当坐勘定ヲ以テ振替ノ便宜ヲ与ヘラレタルニヨリ、第一銀行外十行申合、二十四年三月更ニ今日ノ交換所ヲ開始シタルニ、其組織方法ノ宜キヲ得タルト、一般ノ事業進歩ニ伴レ手形取引ノ習慣漸ク旺盛ナラントスルノ時季ニ際会シタルトニヨリ金融機関トシテ頗ル有益ナル便利ヲ感シタルハ、畢竟日本銀行ノ助力与リテ多キニ在リト陳謝シ、且ツ川田総裁ノ注意ニ至リテハ拳々服膺スヘキ旨ヲ述ヘ
了リテ三鞭酒ヲ上ケテ其隆盛ヲ祝シ、午後一時下退場セリ
 - 第7巻 p.356 -ページ画像 

交換所委員廻議 第三号 自明治卅一年至同卅二年(DK070046k-0003)
第7巻 p.356 ページ画像

交換所委員廻議 第三号 自明治卅一年至同卅二年 (東京手形交換所所蔵)
明治三十一年十一月廿九日     東京交換所監事(印)
 委員長(印)
 委員(印)(印)
  東京交換所事務取扱場所移転ノ件ニ付、日本銀行文書局長ヨリ別紙通々牒ニ付、回答案御廻議申上候也
    日本銀行ヘ回答案
当手形交換事務之儀ハ、是迄貴行御本館ノ一室拝借取扱居候処、今般第二御建築落成ニ付、其階上ノ広間ヲ以テ右交換所ニ御充用可被下ニ付而ハ、来ル十二月一日ヨリ同所ニ於テ事務取扱候様御通牒之趣、承知仕儀、此段及御回答候也
                東京交換所委員長
  年 月 日
                      渋沢栄一
    日本銀行文書局長 植村俊平殿

    組合銀行ヘ通知案
当交換所事務之儀、是迄日本銀行本館内ニ於而取扱居候処、今般同行第二建築落成ニ付、其階上広間ヲ以テ右交換所ニ充用スヘキニ付テハ来ル十二月一日ヨリ同所ニ於而交換事務取扱相成度旨、同行ヨリ通牒有之候間、右御承知相成度、此段及御通知候也
  年 月 日               東京交換所
(別紙)
  明治三十一年十一月廿七日
文第一一〇七号
貴所手形交換事務之儀ハ、是迄当行本館内ニ於テ御取扱相成居候処、第二建築落成候ニ付テハ、其階上ノ広間ヲ以テ交換所ニ充用可致事ニ相成候間、来ル十二月一日ヨリ同所ニ於テ事務御取扱相成度、此段及御通牒候也
             日本銀行
               文書局長 植村俊平(印)
    東京交換所委員長 渋沢栄一殿
  ○東京交換所ノ交換室移転ノコトハ、明治二四年発足当時ノ加盟銀行十一行ガ明治二九年十八行ニ増加シ従来ノ東京銀行集会所ノ交換室ガ狭隘ヲ告ゲタルタメニ起リタルモノニシテ、交換室ノミノ移転ニ止マリ、事務所ハ依然日本橋区阪本町四十番地ノ東京銀行集会所内ニ置カレ(本巻三七二頁、明治三三年八月一日ノ項参照)大正五年同集会所ノ麹町区永楽町二丁目五番地ヘ移転トトモニ同所ニ移リタルモ、交換室ハ引続キ大正一二年マデ日本橋区本両替町一番地日本銀行第二建築階上広間ニ置カレタリ。
   (「東京手形交換所五十年史」ニヨル)



〔参考〕銀行通信録 第一五七号・第一八一三頁〔明治三年一二月一五日〕 東京手形交換組合銀行手形交換所の移転(DK070046k-0004)
第7巻 p.356-357 ページ画像

銀行通信録  第一五七号・第一八一三頁〔明治三年一二月一五日〕
    ○東京手形交換組合銀行手形交換所の移転
日本銀行の新築落成と共に、同行東側の一棟を以て是迄東京手形交換
 - 第7巻 p.357 -ページ画像 
組合銀行の交換所に充てられしか、今回日本銀行前の新建物落成せるを以て、本月一日より同所に移転したり、因に記す今回移転せる同建物は去る廿九年六月一日起工し、本年十一月三十日に竣工せるものにして、其建坪は百十九坪なり


〔参考〕中外商業[中外商業新報] 第五五三号〔明治三一年一二月一〇日〕 東京手形交換所新築して二階住ひ(DK070046k-0005)
第7巻 p.357 ページ画像

中外商業[中外商業新報]  第五五三号〔明治三一年一二月一〇日〕
    ○東京手形交換所新築して二階住ひ
是迄日本銀行内に仮設したる東京手形交換所は、本月一日より日本橋区北鞘町新築の同銀行附属建物の二階を借受け、之に移転したり、此の建築は故川田総裁の時代に辰野工学博士設計し、去廿九年六月一日より起工し、本年十一月三十日に至り全部竣功するまで、同博士専ら工事を監督し、其建坪は百余坪の建物なれば、辰野博士が手腕に取りて易々たる小工事の如くなれども、其の敷地は本両替町北鞘町に亘れる不正五角形の地なれば、之に相当する家屋を造り、而かも外観に於て奇形を感ぜざるの構造成れるは、博士か尤も苦心せし所なりと、部室二十一の内、最も広きは四十四坪五勺あり、階上に在り、東京交換所は即ち此の位置を占め、階下は横浜正金銀行の出張所となす予定なる由。