デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
2款 東京手形交換所
■綱文

第7巻 p.375-379(DK070051k) ページ画像

明治34年4月18日(1901年)

主務官省銀行等ノ関係者ヲ銀行倶楽部ニ招キ、当交換所組合銀行春季懇親会ヲ開催ス。栄一出席シテ一場ノ挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK070051k-0001)
第7巻 p.375 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三四年
四月十八日 晴
○上略
手形交換所懇親会ヲ開ク為メ銀行倶楽部ニ抵ル、大蔵省・日本銀行等ヨリ来会者二十人許、其他組合銀行ノ会スルモノ六十名余ナリ、食卓上一場ノ挨拶ヲ為シ、来賓中目賀田氏・山本達雄氏・添田寿一氏・三崎亀之助氏等ノ演説アリ○下略


会議録 第一号 従明治廿四年二月至同卅五年十二月(DK070051k-0002)
第7巻 p.375-377 ページ画像

会議録 第一号 従明治廿四年二月至同卅五年十二月 (東京手形交換所所蔵)
 - 第7巻 p.376 -ページ画像 
    ○交換所組合銀行春季懇親会録事
明治三十四年四月十八日午後四時ヨリ、銀行倶楽部ニ於テ、組合銀行春季懇親会ヲ開キ、組合銀行来会者三十三行其出席会員五十八名ナリ
是日委員長ノ請招ニ応シ来会セラレタル賓客ハ、日本銀行総裁山本達雄・大蔵省主税局長目賀田種太郎・専売局長仁尾惟茂・同書記官佃一予・若槻礼二郎・秘書官塩川三次郎・同書記官片山貞二郎・台湾銀行頭取添田寿一・日本銀行理事山口宗茂及木村清四郎・伊藤欽亮・鈴木知雄・因藤成光・阪田実・伊東祐之・東京興信所々長森下岩楠ノ諸君ニシテ、宴酣ナルニ及ヒ委員長渋沢男爵ハ立テ賓客ノ来意ヲ謝シ、尋テ当地ニ手形交換所ヲ創立シタル起原ヨリ今日此隆盛ニ至リタル沿革ノ大意ヲ述ベテ挨拶ヲ了リ
夫レヨリ目賀田主税局長・山本日本銀行総裁・添田台湾銀行頭取・三崎正金銀行副頭取ノ演舌アリ、主客歓ヲ罄シテ午後十時下退会セリ
 但渡辺大蔵大臣・田尻総務長官・松尾理財局長・阪谷主計局長・石塚官房長・斎藤銀行課長・高橋日本銀行副総裁(入院中)・森村同理事・小野英次郎ノ諸君ハ差支ノ趣ニテ参会セラレズ
 当日速記録ハ別冊ノ通
      出席会員人名左ノ如シ
               委員長    渋沢栄一
               委員     豊川良平
               同      池田謙三
               第一     佐々木勇之助
                      西脇長太郎
               第三     安田善四郎
                      河東田経清
                      松本万助
               十五     園田孝吉
                      伴野乙弥
                      成瀬成恭
               二十     佐々木慎思郎
                      山口荘吉
               二十七    安藤三男
               三菱     三村君平
                      桐島像一
                      植松京
                      藤岡歓次
               三井     池田成彬
                      上柳清助
               安田     安田善之助
                      安田善弥
                      中根乕四郎
               鴻池     松村両平
               浪速     小守政雄
                      山中隣之助
 - 第7巻 p.377 -ページ画像 
               帝商     島甲子二
                      大谷登喜雄
                      橋本正彰
               川崎     杉浦甲子良
                      安藤浩
               東海     吉田幸作
                      笹井慎次郎
               四十一    益子右馬助
               七十七    成沢武之
               七十八    松尾謹次
                      関谷和三郎
               百十三    鈴木重恒
               中井     菅沼慶蔵
               東京     草刈隆一
                      伊藤恕一
               八十四    山田丈太郎
               八十九    岩下敏之
               第二     大村清鋭
               新潟     藁品槍太郎
               第十     山本彦吉
               十二     山村為介
               三十五    鈴木金平
               三十九    長尾三十郎
               明商     安田善助
                      金原
               十九     堀田金四郎
                      内藤尚
               四十     根岸盛太郎
               正金     三崎亀之助
                      川島忠之助
                      高道竹雄

               肥後     上田充
            客員 集会所    戸田宇八
               監事     山中譲三
                但シ伊藤銀行支店ハ不参


銀行通信録 第三一巻第一八六号・第七四八―七四九頁〔明治三四年五月一五日〕 東京交換所組合銀行懇親会に於ける渋沢・山本・添田三氏の演説(DK070051k-0003)
第7巻 p.377-379 ページ画像

銀行通信録  第三一巻第一八六号・第七四八―七四九頁〔明治三四年五月一五日〕
  ○東京交換所組合銀行懇親会に於ける渋沢・山本・添田三氏の演説
    渋沢男爵の演説
銀行事業が成るべく手形取引になるやうにしたいと思ひましたのは、殆ど国立銀行の日本に起きますると共に思ひ起した希望であつて、それに就ては此集会所若くは今日交換所に集つて居る銀行家は共に共に充分なる力を尽しました次第でございます、併し奈何せむ、日本の商
 - 第7巻 p.378 -ページ画像 
人の全体は余り銀行を利用することがありませぬし、又銀行も商売人に対して充分に尽すと云ふ習慣も少なかつた、少ないと云ふより寧ろなかつたのであります、旁々して此手形取引を実行するには多少の苦心を致しました
それで明治十四五年頃から追々其端緒を開きまして、幾分か手形取引の形が見へるやうになりましたので、此交換所を形つたのが二十年であつた、十数行集つて手形の交換をしやうと云ふことになつて、此頃模範に取りましたのが亜米利加の交換所の方法であつて、之に依つて形造りをしたのが抑も交換の初めである、併し其頃からして四五年の間は其名あつて其実なし、手形の取引すら甚だ乏しい位であつたから交換所のさまで繁昌すべき筈もございませぬ、一方には日本銀行が十五年に創立されて、追々に其事業を拡張して参りましたに就きまして二十四年でございます、交換所の仕組が今日の有様では迚も真正なる拡張は見られない、是非日本銀行に於て交換尻の決算の付くやうにしたいと云ふことから、それまで組立にてゝ居りました処の交換所は、丁度二十四年の三月廿八日《(二)》でございました、閉鎖して、さうして更に四月《(三)》に於て組織した、是が先づ交換所の嚆矢と云ふて宜しいのであります
丁度其頃までの手形交換の高を数字に致して見ますると、凡そ一年の交換高が二千万円であつたが、今申した二十四年の改正に依つて、取扱ひました交換所は大に便益を得ましたし、又各銀行の事業、押広めて申せば、東京の一体の商人の取引が手形に依る範囲が広まつたと同時に、手形も進んで二十四年には一躍して一億の計算を見るやうになりました、而して年一年に其度は進んで参りまして、昨年三十三年の数字に於ては十四億と云ふ交換高に相成りました、是れ十年の経過としては先づ相当なる進歩と申して宜からうと思ひます
殊に三十二年に於て、銀行の手形をも合せて交換の出来得べき方法を開きまして、府下の銀行が皆此便利を得るやうになりました為に、此交換所の及ぼす便益も増しましたし、随つて交換事務の繁昌を見るに至りましたのでございます、之を海外の英吉利とか亜米利加とか云ふものに比較して見ると、漸く彼の国の二百分の一若くは三日分の仕事しかないと申されますが、それは大きな物へ持て行つて較べたので、所謂奈良の大仏と丈較べをする話である、翻つて隣りの子供と較べて大分成長したと云ふ感念を持つのであります
唯だ恐るゝは、或は進んで行く便益と共に、又一の弊害の伴ふて来ることは理に於て免れざることで、手形の取引の大に進んで来ると同時に戒めねばならぬことは、已に業に見へて居りまする、此処にお集りの諸君は未来に斯くありたいと云ふ観念を有ち、又現在も大同小異の情を持て居らるゝと思ひます、それで我々同盟会員は共に々々注意して其利を進め弊を防いで参りたいと考へます、殊に此手形の便益は一の利器とも申すものでございますから、其利の有る処又弊のあるは自然の理に於て免れぬことではありまするが、此両三年の経済社会の有様からして、甚しきは手形を進めたから寧ろ弊害の種子を撒いたのであると、或部分に付ては怨を懐かれることがないとは申されませぬか
 - 第7巻 p.379 -ページ画像 
ら、其弊を防ぐと云ふことに心掛けたら宜からうと考へます
丁度交換所を改めて玆に十年でございますが、尚ほ向ふ十年を経過しましたならば如何に相成るか、我々は此以前の十年に比較して、それ丈けの高は進まんと云ふことを思はねばならぬか知れませぬ、願くは既往十年に較べて、是から先き今申すやうな弊害を除き、どうぞ着実に歩を進めたいと云ふことを希望するのでございます、幸に此交換所に対しては、大蔵省又日本銀行は我々の交換所の母として推尊する処でございます、其諸公の尊臨を得た処に於て、玆に此既往の経過と未来の希望とを申上げ、我々以て自ら鑑ると云ふ考を有ちますから、一言申述べ、会員一同に代つて諸君の臨場を深謝致します
  ○山本日銀総裁・添田台銀頭取ノ演説略ス。