デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2021.9.1

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
2款 東京手形交換所
■綱文

第7巻 p.394-396(DK070054k) ページ画像

明治34年12月26日(1901年)


 - 第7巻 p.395 -ページ画像 

銀行倶楽部ニ於テ当交換所組合銀行忘年会ヲ開催ス。栄一一場ノ挨拶ヲ為ス。


■資料

銀行通信録 第三三巻第一九五号・第九〇―九五頁〔明治三五年一月一五日〕 東京交換所組合銀行忘年会(DK070054k-0001)
第7巻 p.395-396 ページ画像

銀行通信録 第三三巻第一九五号・第九〇―九五頁〔明治三五年一月一五日〕
    ○東京交換所組合銀行忘年会
東京交換所組合銀行は昨年十二月二十六日午後五時より、銀行倶楽部に於て忘年会を開きたり、当日は来賓山本日本銀行総裁・高橋同副総裁・本村営業局長・中山出納局長等を始め出席者三十八名あり、晩餐終るや委員長渋沢男爵は起て一場の挨拶を為し、尋て山本日本銀行総裁及委員豊川良平二氏の演説あり、主客歓を罄して午後九時一同散会せり、当日の演説筆記は掲げて本号の演説欄内にあり
    ○東京交換所組合銀行忘年会に於ける
     渋沢男及豊川氏演説
  渋沢男爵演説
正副総裁閣下及臨場の諸君、今晩は此交換所組合銀行が忘年会として、玆に年末の最終会を開きましたのでございますが、其席に日本銀行正副総裁其他局長諸君の尊臨を得ましたのは、我々に取つて光栄此上もございませぬで、珍客に対して第一に尊来を忝うした感謝の意を申上ます、今夕此処に集りました組合銀行の、日本銀行に対する関係の親密にして、又今日は勿論将来に離るべからざるは殊更申すまでもございませぬ、既往を顧みますれば、十四五年以前に手形交換といふ方法を企てゝ、亜米利加の交換所の遣り方を取つて雛形を作りました
以来、常に日本銀行のお蔭を蒙りて、二十四年に此組合が成立ちましたが、其後日本銀行は或は監督の位地に立ち或場合には保護を下すつて、遂に大体交換の仕事も増進し且つ其事業も発達して参りました、是れは我々の共に感銘して忘れむと欲して忘れることは出来ぬのでございまする、斯様に我々が此交換所に力を入れると云ふものは、一には己れの事業の為めとは云ひながら、モウ一歩進んで言ふたならば国家の信用を発達せしむる一の方法であつて、単に自家の利益と考へることは出来ませぬ、然らば日本銀行が斯様に保護奨励を下さるのも、金融機関の甚だ重要なと云ふ事から保護されることであらうと思ひまするで、未来と雖ども尚ほ弥増しに斯るお世話も亦た御懇親も継続するであらうと、私は信じて疑はぬのであります、前申す通り、此十四五年の間に於て其事業は大に拡張されましたが、昨年若くは当年あたりは我々の眼前に多少憂ふべき事柄がございますけれども、是は我々共も亦た自ら能く警戒して、将来に此憂ふべき事が数多く生ずる事のないやうに、不祥な言語の出ないやうにお努めあらむことを希望するのであります、それで、今年の交換高は十一億円幾らで昨年の交換高十四億円に比して二億円余を減じたのは一面悲むべき事のやうではあるけれども亦他の方面から見れば、是れは私が平素戯れに申しておりますが、謂はゞ脂肪の部分が減じたものであつて、正味の肉は益々殖へ且つ固くなつたと申して宜からうと思ひます、誠に言葉卑しうございますが、或は事実を穿ち得たと自ら信じて居ります、どうかお互ひに固く育つて、此脂肪沢山で妙な頓死頓病の起らぬやうにしたいと考
 - 第7巻 p.396 -ページ画像 
へます、今日相互ひに会した処で、之を珍客のお礼と致したうございまするで、一言お礼旁申上げましたのでございます
  ○豊川良平ノ演説略ス。