デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
3款 全国手形交換所聯合会
■綱文

第7巻 p.470-484(DK070062k) ページ画像

明治36年3月20日(1903年)

第一回全国手形交換所聯合会ヲ東京銀行集会所ニ開ク。栄一会長ニ推サレ、開催ノ趣旨ヲ述ブ。翌日元老大蔵省及日本銀行関係者ヲ招キテ聯合懇親会ヲ帝国ホテルニ開ク。栄一開会劈頭一場ノ挨拶ヲ為ス。


■資料

東京交換所第十七回成績報告 (自明治三六年一月至同年六月)(DK070062k-0001)
第7巻 p.470-484 ページ画像

東京交換所第十七回成績報告 (自明治三六年一月至同年六月)
      附録
  全国交換所聯合会附懇親会概要
全国交換所聯合会ハ三月二十日午後二時五十分ヨリ東京銀行集会所ニ於テ開会、当日出席者ハ左記ノ如ク合計六十二名ニシテ、日本銀行ヨリハ総裁山本達雄・営業局長木村清四郎両氏臨席セリ
   ○出席各地交換所組合銀行会員氏名ヲ略ス。
開会ニ先チ、松本重太郎氏(大阪、百三十銀行)ハ渋沢男爵ヲ推シテ本会ノ会長トセンコトヲ発議セシニ、満場異議ナク之ニ同意シ、同男爵亦之ヲ承諾シ、之ト同時ニ同男爵ハ東京交換所ヲ代表シテ一場ノ挨拶ヲ為シ、東京交換所カ本会ノ開会ヲ主唱シタルハ交換所ノ発達ニ従ヒ交換事務取扱上ノ打合ヲ為シ、併セテ将来ノ発達ヲ講究スルノ必要アルヲ認メタルニ依ル旨ヲ述ベ、次ニ東京交換所ノ沿革ヨリ従来同所ニ於テ講究企画中ニ係ル左ノ件ニ付評議セリ
 一納税ニ小切手ヲ使用スル件
 一地方手形交換開始ノ件
 一代金取立手形手数料一定ノ件
 一決算期改正ノ件
 一送金手形代用ニ小切手使用廃止ノ件
 一政府勘定ニ厘位廃止ノ件
    小切手納税ノ件
ニ就テハ一二ノ質問応答アリシ末、志立鉄次郎氏(住友銀行神戸支店)ノ発議ニテ、本件ノ実施ヲ希望スルノ決議ヲ為スコトニ決シ、次ニ
    送金手形ニ小切手代用ノ件
ニ就キ各地ノ取扱振ニ就キ打合アリシガ、各地概シテ其代用ヲ廃止スルノ傾向ナルモ、池田謙三氏(東京、第百銀行)ハ、今日ノ如ク参着払為替手形ノ印紙税カ他ノ手形ト同一ナルコトハ、右代用廃止ニ関係スル所少ナカラサルヲ以テ参着払為替手形ニ限リ印紙税ヲ一銭トスヘシトノ説ヲ述ヘシニ之ニ賛成スルモノアリ、一歩ヲ進メテ無税トスヘシト云フモノアリ、成ルヘク其廃止ヲ希望スルノ決議ニ止ムベシト云フモノアリ、継続シテ調査スヘシト云フモノアリ、諸説区々ナリシカ結
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局小切手代用ハ成ルヘク廃止スルコトヲ希望スト云フコトニ帰着シ、次ニ
    政府勘定ニ厘位廃止ノ事及補助貨ノ集散ヲ適当ニスルノ件
ニ付豊川良平氏(東京、三菱合資会社銀行部)ヨリ発議アリシニ、満場異議ナク厘位廃止ハ之ヲ希望スルコトニ決シ、補助貨集散ノ件ニ就テハ各地ノ情況ニ依リ各其筋ニ注意スルコトヽナリ、最後ニ
    本聯合会ヲ毎年一回開会スルノ件
ニ付松本重太郎氏(大阪、百三十銀行)ノ発議アリ、其発議ニ依リ爾後毎年一回本会ヲ開会スルコトヽシ、規則起草其他ノ事ハ之ヲ東京交換所ニ一任スルコトニ決シ、午後五時閉会セリ
   ○全国手形交換所聯合会ハ東京交換所ノ主唱ニ依リテ開カレタルガ、其発唱事情ニツイテハ本章第一節第二款東京手形交換所明治三五年一二月八日ノ項(本巻第三九六頁)参照。
    聯合懇親会
全国交換所聯合会ヲ機トシ、三月二十一日午後六時ヨリ、全国交換所聯合懇親会ヲ帝国「ホテル」ニ開会セリ、当日来賓トシテ臨席シタルハ、大隈伯・曾禰大蔵大臣・阪谷総務長官・松尾理財局長・山本日本銀行総裁・高橋日本銀行副総裁及木村営業局長等ニシテ、宴酣ナル比、渋沢男爵ノ挨拶アリ、夫ヨリ曾禰男・大隈伯・山本日本銀行総裁及阪谷総務長官其他ノ演説アリタリ、今其ノ速記ヲ掲グルコト左ノ如シ
 但伊藤侯・松方伯・井上伯・渡辺子・松田正久・岩崎男・富田鉄之助ノ諸君ハ差支欠席
    渋沢男爵挨拶
今晩は東京手形交換所か主唱しまして開きました大阪・神戸・横浜・名古屋等各手形交換所当業者の聯合会を機会と致しまして一の懇親会を催ふして、明治の初より経済の事に就て御関係のある諸元老、又現に財政事務御担任の大蔵大臣始め総務長官其他の御来臨を請ひまして小宴を開ひた次第で御座りまする
御来臨を願ひました諸元老の中伊藤侯爵・松方伯・井上伯・渡辺子爵等の諸君は種々なる御差支あらるゝと云ふ事で御来臨を得ませなんだのは、私共の大に遺憾とする所で御座ゐます
去りながら、幸に大隈伯・曾禰大蔵大臣其他現在財政御関与の方々、日本銀行総裁等の諸君の御来臨を得ましたのは、我々に取つて誠に忝く感謝致し且つ光栄と致す所で御座ゐます
玆に取設けました小宴は我々相寄て懇親を重ねると云ふに過ぎませぬ、斯る我々同業者の会合に大家諸公の尊臨を請ひ上げましたのは寧ろ恐縮の次第で御座いますが、此手形交換所の今日に至りましたのは其沿革を考えて見ますと随分年久しい事で御座いまして、種々の変遷も御座ゐましたが、先づ今日はイクラか進歩したと云ふ事を申し得られ様と思ひます、而して此処に聯合会を開きました理由は、昨日も会場に於て東京手形交換所を代表して私から申上げましたが、交換所を改正設立したのが、明治廿四年で、今日迄十余年に相成ります、其歳月の間扱振も多少進歩致しましたのみならず、其交換高に至りまする
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と、初は僅に一年間の交換高が五六千万に過ぎなかつたのが遂に十四五億迄に進んだと云ふ有様で御座います、而して其初は東京交換所を開いたのみであつて、各地に悉く成立と云ふ事には至ませぬで御座ゐましたが、今日は既に六箇所の多きに至たと云ふ有様で、実に其進歩も著しいと申さねばなりませぬ、蓋し交換所の進歩すると云ふ本色は銀行の事務にある、其銀行の事業の沿革を尋ねて見ますると、前に申しました通り尊臨を請ふた方々が種々なる点から関係を持ち御高配を下すつたので御座ゐます、蓋し日本銀行事業の今日に至ましたのは此数多の諸公の御高配から生出したと申しても過言ではなからうと信じます、抑々此国立銀行の初めを考て見ますると、現に此処にお出の大隈伯が其当時大蔵大輔と仰しやつた頃で、今夕御尊来を請ふことが出来ませぬでしたが夫の伊藤侯が大蔵少輔と云て居られた頃に、初めて欧米の財政の有様を取調の為に人を派遣すると云ふ事になりまして、僅の歳月では御座ゐましたが銀行事務などは余程丁寧に御取調になりまして、或は公債証書の発行の仕方とか、若くは諸官省事務の取扱振といふ様な事をも取調べて帰られたのが、国立銀行を起すの原因と相成りました、併し此調べて来られた伊藤侯爵自身が其法律を日本に布くといふ事に直接御従事致されませぬで、其方案を受継で明治五年八月で有ましたが、法律として出す迄に至つた其間御配慮下すた御方はドナタであるかと申ますると、之も今夕尊臨を得なかつたのは残念で御座ゐますが、井上伯で御座ゐます、井上伯が大蔵大輔の時に其事務を執られたので御座ゐます、続て明治六年に井上伯が大蔵大輔の職を去られまして其役が承継がれたお方はドナタであるかと申しますれば今夕御来臨を得ました大隈伯で御座ゐます、伯は其以前から銀行事務若くは財政事務其他の事柄に付て種々御苦心を下さいましたが、大蔵大輔になられてから種々なる事柄に就て御高配下すつた次第でござゐます、次て明治十五六年頃に、松方伯が財政事務に御当りになりまして、丁度国立銀行といふ頃に我々を種々なる点に就て御誘導を与て下され、次で国立銀行制度の改正其他の事柄に就ては多く同伯かお当りになつた様に記臆致して居ます、其間国立銀行に致せ私立銀行に致せ、種々なる変遷を経、種々なる困難に逢ひ、遂に今日に至りましたので、唯一時に進で参た訳ではありませぬが、幸に一般経済界の進運と相伴ふて銀行事務も共に進で参りましたので、ソウ申すと少し自ら自分の事を誉める様に聞えますが、イクラか整理して参つたので御座います、而して其銀行事務の発達すると共に、手形交換所の事務も今申上まする如く漸を逐て進で参たといふ次第で御座います、此手形交換所の今日に及びましたのは其本色たる銀行事業の進歩と相伴て参つたに就て、此銀行の事務に就ての景況を時々の会議で相共に話し合ひ、又今日の盛運に至つた喜を述べ、且つ将来を鑑るといふ事はお互に有益な事であると考ます、況んや斯る機会に其事に深く御心配下されて事々物々誘導訓戒の労をお執り下すつた此政事界の名高い諸公の貴臨を請で、我々が不肖乍ら銀行事務に就て心配を致し、以て今日に至りましたと云ふ事をお話し申上ると云ふ事は、之はイロイロ御高教下すつた御方々も喜んで御聞き下さる事と思ひます、又今日喜ふと同
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時に、昔日はコウいふ事があつた、未来はコウであらう、コレヂヤアまだ満足の出来ぬと云ふ様な廉々に就て、重に年を取つた老輩の方々から我々に向て種々なる御注文もあらうと考へます、ドウか其等の点に対しましては、充分御注文なり御注意なりお与へ下さる事を希望致すのでござゐます、斯る希望を以て居りまするから、今日一場の小宴を開き我々が寄集つて、ヤレ久し振であつたとか何とか云つて御分れ申すよりも、モ少し有益なる宴会と相成りはしまいかと考へたのでございます、所が不幸にして諸公の中悉く尊臨を得ないのは誠に遺憾千万でございますが、之に引替て大隈伯・曾禰大蔵大臣其他の諸君の尊臨を得たのは誠に喜はしき事でございます、智者之を創め能者之を述ぶ、一人にして事成るに非さるなりといふ事は、多分蘇東坡の言葉であつたと考へますが、世の中の事は如何なる大智者と雖も一人で物を成すことは出来ない、況んや銀行事務経済上の事柄は一朝一夕にして完成するものではありませぬ、所謂智者は物を創め能者は物を述へなければならぬ、即ち我々が考へますると大隈伯若くは井上伯、松方伯伊藤侯爵等の諸公が智者の地位に立たれて事を創められたのである、而して我々は能者として是を述べなけれはならぬ地位に立ちました、蓋し其能者は不能者かも知れませぬ、併し乍ら我々が後進者に対しては智者の地位に立ち、ソウして彼等を能者として今一層此事務を盛大ならしむる様に努めなけれはならぬことであると存じます、斯る最も喜はしき宴会に於て甚だ不能の弁を持ちまして申上けるのでありますから、臨場諸閣下に感謝の意を表することは出来ませぬ、又遠方から尊来下すつた諸君に対してお礼申す言葉にも足りませぬが、蓋し言葉が少ふして意を尽さぬことが多いのでございますから、其辺は宜しく御諒察を希ひます
    曾禰大蔵大臣の演説
会長及諸君、私は今晩手形交換所の御方殊に遠方より御出になつた御方が熱心に御尽力なすつた結果が、従来益々盛にならうといふことが今日始めて分りました、かう申しますると、大蔵大臣は妙なことを言ふやつだと思召ましやうが、実は私は考へた処が大分異つて居ります、まだどうであらうかどう成行くものであらうかといふ事の疑を今日迄存して居りました、処が一昨年以来御存知の通り金融界の有様が随分困つた事柄になつて居りますが、幸に之を助けたものは何であるかと云ふことを心窃に研究致して見ますと、大に此交換所の力が有つた、此交換所がつまり聯絡して互に相助けるといふ力を拵へた、故に是迄考へて居りましたのは少し杞憂であつた、今日此会合に呼ばれまして此会合に連なるのは誠に私の満足をし且又将来希望する所がございます、其希望は外でもございませぬ、前に申した通りに日本では甘く行くか知らんと疑つて居つたものが、今日に於きましては是程急に進む位になつて来ましたものでございますから、是は慎むで――慎むでと申します言は弊があるか知りませぬが、余り濫用せぬ様にしまして、互に慎重に御取扱になつたらば、必ずや将来には大に効能を顕はし、且先刻渋沢君の言はれた通り銀行が本であると言はれましたが、共通に銀行の困難を是からして救ふことが出来ましやうかと、斯様に
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考へますでございます、私の希望します処は、諸種の点に於きまして整理改善して参りませねは如何にも出来ぬ事でございますけれ共、能く発達して居るのは、申す迄もなく此業の発達して居るのは、倫敦並紐育であつてあの位にすぐゆくとは思ひませぬが、諸君の御熱心に由りましたならばそう時をかけずとも参りましようかと、こういふ希望を持て居ます、是丈あなた方の御勉強を謝すると共に、将来益々慎重に事務を執て御出でなすたならば、私の今日迄の疑つて居ました事はあなた方の実行上で必ず行かうと今日は考へて居ますから、益々私も務める事があつて幾分かの御助けになる事でございますれば、充分やります考でございますから、猶今後一層の御勉強を願はうと考ます、是丈を以て今日の御礼に一言申して置きます
    大隈伯爵の演説
会長及諸君、今夕は手形交換所の集会に御案内を受けまして、特に大阪・京都・横浜・神戸・名古屋抔の年来の銀行者諸君に御目にかゝつて、且御叮重なる御もてなしに預かる事は甚だ喜に堪えぬ次第で、諸君に対して感謝の意を表します、一昨日渋沢会長より何か今日出たならば演説を致すやうにと申す事でありますが、承りますと今日は伊藤侯・井上伯・松方伯其他大分名高い財政家・政治家、殊に時々欧米に旅行されて従来の経験と学識の上に近々に観察された処の吾々の尊敬すべき方々が御出になつて御演説になるといふ事でありましたから、私も其席末を汚して斯の如き名士の演説を拝聴の為に出やう、私の演説は御免を蒙るといふ事を申して御辞退をして置きましたが、不幸にも伊藤侯も見えない、井上伯も松方伯もお出にならぬ、而して銀行若くは財政に就ては殆ど上古の人たる私が玆に罷出ました、夫程の学識経験があると申儀でもなし、外国抔に旅行するといふことのない私が、年来実務に従事して居らるゝ諸君の前に私の議論を述べるといふ事は、甚だ迷惑な訳でありますが、不幸にも殆ど避くべからざる有様に陥て仕方がない、何とか責を塞ぐ為に御礼を兼ねて申上げなければならぬといふ場合に立至つて甚だ迷惑致ます、此場合何とも仕方がない、其処で一寸此表を見ましたから始めに是を述べて見たいと思ふ、此表は少し違があると思ふ、一寸一見した処で考へますと、此席には阪谷君といふ統計の先生がお出になります、尤も交換所の方ではない大蔵省の方でありますが、私は先づ第一に交換所に向て充分なる熱心を以て感謝の意を表します、近々十有五年の間に斯く進歩したと云ふ事は全く銀行者諸君の力である、銀行者其者が充分なる利益を収むると同時に国家に貢献した力は偉大なものである、国の資本を裕にして生産の上に大なる力を現したといふ事は、国家に大なる貢献をなしたといふ事に就て私は少しも疑はないのである、殊に大蔵大臣の御話の如く、始めは斯く進歩するであるや否やといふ事に就て、多少疑を抱いて居ましたが、実に驚くべき進歩である、今日の進歩は此数字を以て見れば些のものである――其処で此表の中に在る仏蘭西・独逸、是が私は少し数字に間違があると思ふ、どうも仏蘭西・独逸は是程迄に進むで居ない、乍併是は全国を合したものであるか或は仏蘭西の総ての市府を合したものであるか少しく私の記臆して居る処とは数字が違
 - 第7巻 p.475 -ページ画像 
ふやうである、先づ仏蘭西は日本の十倍である、仏蘭西といふと大き過ぎるが先づ巴里と東京に比べて見ると十倍を出でぬと私は信じて居る、独逸は却て是では少なく見えるやうであるがモウ少し大いやうに思ふ、是は御承知の通り、大陸は如何なる原因であるか手形が流通しない、銀行も当座の約束を盛に行はない、無論行はれては居るが英米に比較すると比較的に余程少ない、交換といふ事が余程後れて起つた日本に先立つ事近々二十年か二十五年前に起つたのである、英国は御承知の通りモウ既に三世紀に渡りますので、其処で日本と英国はどうであるかといへば、即ち倫敦の八十分の一であります、紐育はどうかと云ふと百二十分の一である、倫敦・紐育の交換の盛なる事は実に驚くべきものである、乍併日本も近々十五年間に十三億、既に三十三年には十四億万以上に達したといふ事は実に盛なものである、又大阪にもあり、京都にもあり、名古屋にもある、殊に横浜は僅か昨年か一昨年開いたに拘らず是もなかなか盛である、玆に於て知るべし、日本は手形が必ず盛になる、必ず当座の約束が余程盛に起るといふ事は卜するに足ると思ふ、其盛になるに就てはなかなか急には参りませぬか知らぬが、漸次に倫敦若くは紐育の如く盛んな交換が必ず起つて来るに相違ない、と斯く信ずるのであります、是は申す迄もない、此の如く手形の交換の盛なるといふ事は取りも直さず資本を倹約するといふ事である、言換ゆれば資本の流通を裕にするといふ事である、資本の流通を裕にすると云ふ事は即ち国の生産力を増すといふ結果を惹起して来るのである、御承知の如く英国は僅々たる資本を以て世界に冠たる商売を為し、今日英国は衰へたりと雖も尚ほ商業国として製造国として首位を占めて居る、殆と英国と競争して英国を圧倒するといふ日耳曼、又古く商業国として名高い仏蘭西、此両国の外国貿易は之を合して英国の貿易と等しい、両国の外国貿易を合して八十億、英国は即ち八十億、然るに英国は仏蘭西の三分の一の資本を以て仏蘭西の殆ど二倍半といふ外国貿易を為して居る、外囲貿易が二倍半といふならば内地の貿易は更に大なる貿易を為して居るのである、斯の如き商業斯の如く生産業の盛なる処の英国は僅々たる資本で僅々たる貨幣を以て夫丈の事を為して居るのは、全く信用組織、即ち銀行組織、手形交換といふ如きあらゆる信用組織の発達の結果で、僅かの貨幣で随分大なる仕事が出来ると云ふ事を充分証拠立てる事が出来る、日本に於ては資本の欠乏といふ事をいふ、又或人は資本にあらずして人の欠乏であるといふ事をいふ、両方相待つて居るだらうと思ふ――人材の欠乏、資本の欠乏――人材欠乏といふ事は今は別問題だから是は除て、資本の欠乏に就て述べると、資本の欠乏はドーして欠乏を来すか、外資輸入といふ事は近来少しく声が下火になつた、どうすれば善い、実際今日でも東京に於て十三億万といふ手形の交換高が決算されて居る、若し此手形の交換がなければ非常な金があつても今日の大なる商売は出来ぬ、是は全く銀行の発達、殊に手形即ち手形の流通は皆信用組織から成り立つものである、而して最も巧妙なる諸種の機関は何であるか即ち交換所である、是は交換所の功に帰しなければならぬと思ふのである、乍併、日本の商売は仮令十倍にならうとも、生産力が十倍の生産
 - 第7巻 p.476 -ページ画像 
力であらうとも、銀行の発達、手形交換所の発達に於て充分であつたならば、今日の貨幣を増すことなくして充分やつて行くことが出来ると私は信ずるのである、是は疑なく英国の例を以て充分証拠立てる事が出来る、英国は百八十億万《(マヽ)》の商売をしてゐる、日本銀行は一億万円の準備金を有つてゐる、英国は三千万磅乃至四千万磅の間の準備金を有つてゐる、尤も英国は金貨は訳山商人間に流通してゐるに相違ないが、又なかなか有力なる銀行が沢山あるからさういふ処に正金を持て居る、日本は多数の銀行はあるが恐らく正金を持て居る銀行は余程少ないだらうと思ふ、日本銀行を除くの外はないのである、大蔵大臣抔も少しく心細く思召すだらうと思ふのである、英国は誠に吹けば飛ぶ様な三千万磅実に哀れなものである、哀れであるが八十億万円の外国貿易をやつて居る、世界に冠たる生産業を有て居る、英国の所謂日本銀行、中央の銀行にはいくら有つて居るかと云ふと、三千万磅、四千万磅、さうすると金の上から云へば四分の一、四分の一は日本銀行が有て居る、日本銀行総裁は英国に行つてもさう恥かしくない様に思ふ併し国の富、生産業殊に外国貿易上に於てどういふ有様といふと、日本は英国の十六分の一の商売――哀れな話である、其処でどうであるかといふと、手形の交換、手形の交換は充分盛んになつて来るに違いない、乍併手形其ものがどうであるかといふ事を吟味することが必要である、日本の手形といふものは果して充分の信用があるや否やといふことが最も大切な問題である、是れは私は素人である、乍併往々不渡の多いには驚くのである、尤も金高は誠に僅かなものである、数が多い、御覧なさい、倫敦に行つて御覧なさい、年に一辺でもあゝいふ不渡の為に首を切るといふ事はない、死刑の宜告を受けるといふことはない、死刑は廃止である、信用制度が発達した所は死刑は廃止である、近年刑法学者抔が死刑廃止といふ事を熟考して居る、日本には死刑が多い、死刑の多い事は実に盛なものである、首斬が甚だ多い、首を切る事が無慈悲かといふとソーではない、悪い事をするものが多いから仕方がない、乍併、どうかすると首を切る主権者か主権者自ら首を切られものが無いかと思ふ、無論交換所の仲間の銀行者に於ては先ないと私は信ずるのであります、乍併、まだ幼稚な国でありますから時々多数の銀行員の中には種々雑多の下役達が居て、心得違があつて時々其者の心得違から大騒動が起る、昨年であつたか一昨年であつたか、松本君の銀行抔も大分大騒動があつた、松本君は御存知ないかも知らぬが外国に対して余り面白《(目カ)》の善い話でない、私は手形といふものは余り知らない、又自分自ら誠に不器用な且古風な、先刻御話する通り上古の大蔵大臣、当世向の事を知らぬ、殊に自ら余り手形をやつた事のない私、尤も本では少し読むだ、が私が思ふとどうも段々後戻りをするやうである、既に世の中は白昼になつてゐるが、或部分は暗黒で妖怪が出る、其処で余儀なく死刑の宜告を致さねばならぬと云ふ事が起ると私は思ふ、是が止まなければ銀行が盛にならない、御覧なさい、倫敦の銀行にかういふ事がありますか、私は断然無いと思ふ、たまに万年に一辺位あるか知りませぬが先づない、実に稀なものである亜米利加はどうか、亜米利加はまだ幼稚な国で荒つぽい、誠に手荒い
 - 第7巻 p.477 -ページ画像 
御承知の通り、亜米利加には銀行の破産が夥しい、日本は又破産の少い事世界無類、私は破産の少ないのは御目出度といふ事はいへない、まだどうも総て秩序が立たないから破産が無いのではないかと思ふ、相場師抔が泣とか笑ふとかいふ事は相場の話であるが、銀行者間には泣とか笑ふとかいふことは或場合には善いやうだがよくない、矢張破産がなくてはいかぬのである、病気をして医者の薬を飲むよりは平生健康術を講じて病に陥らぬ様にせなければならぬ、其れが必要である乍併、手形を善くといふことは手形交換の発達に最も必要なる要件の一でないかと私は信ずる、是は実に平凡極まる話だが、平凡な事に真理がある、近来道徳家抔が起つて倫理の教育抔を講ずる、其道徳家自身が縛られてしまう、爰で第一に私は渋沢会頭に向つて、諸君と共に感謝の意を表したい事がある、渋沢君は明治二年私が政府に居る時に私が推挙して官途に就かれた人であります、其時はなかなか若者で、今日の言葉でいへば壮士といふか、大小を差して小倉の袴をはいて衣は骭に至りといふ風で甚だどうも多数の人が軽蔑して居る、処が孔子が魯に入つて政を執つたらば魯が三箇月にして治まつたといふ事がある、渋沢君が来た時には薩摩人や長州人が若いものが来たもんだから戦争後では沢山な給料をやるのは不埒だといつて小言を喰つたが、六箇月の間に薩摩人も長州人も閉口してしまつた、なかなか敏腕でどうも是には叶はぬといつて、現在私の処に来て六箇月の中に小言を言つたものが又皆慚悔をするやうになつた、第一、日本の財政の上に就ては、実に幕府の後を受け継で三百藩の我儘ものから政府の方へ直接に収入するものは一年に二百万石余りで、其れを以て内治外交総て一国の政治をするといふ其困難な時に当つて、余程力を尽された、次で三百の藩を廃して廃藩置県といふことになつて、此の三百藩の始末といふものが非常の混雑であつた、なかなか大名抔といふものはえらさうな顔付をして居るが、実は破産したものが沢山ある、其やり方が誠にまづい、其やり方のまづい事沙汰の限りで、高利貸から金を借りるやら其混雑は非常である、其れを整理された脳力は非常なものである、是は渋沢君か財政上に於ける明治維新の困難な所に現はれた功蹟で、銀行に関係ない事であるが、乍併、其れが他日銀行者として社会に現はれて銀行事務の上に貢献された処の練磨はそれから導かれた――天才は有つて居られたに相違ない、其れから導かれて政府自らも銀行をやつて見やうといふ考になつて、渋沢君と相談をして、大阪などに為替方といふものをやつて大失敗をした、其始末に余程苦しむだ、而して渋沢君は明治六年に政府を引かれまして、先刻渋沢君から御話のあつた国立銀行条例といふものが明治六年に出たのです、是れは亜米利加の国立銀行条例を翻訳したもので、其処で是れが第一より第百いくつに至るといふ勢で第一銀行が出来た、一番大株主は三井小野組といふものであつた、銀行は出来たが扨てどうしてやつて善いのか一切分らぬ、其処で渋沢君が官を罷められたのを幸に是非渋沢君にやつて貰いたいと云ふ事で、三井及小野組から御頼みをして而して第一銀行の頭取となられた、明治六年から此銀行の頭取として殆ど卅三年の間力を尽された今日、御集会の方の中には渋沢君も少し歳を取られたので
 - 第7巻 p.478 -ページ画像 
おれは学問もあるえらいといふやうな考を持たれる方か見えるか知らんが、なかなか昔取た杵柄でうまくやつて居られる、今日そういふ御方が出来たならば、渋沢君は喜ばれるに相違ない、今度は智者となつて能者に譲らうといふ意志を有つて居られるに相違ないと思ふ、乍併、斯く銀行の進歩するに就ては、渋沢君の凡ての銀行者を導いて行かれたので、初めは銀行はどういふ仕事をするのか、帳面はどうつければ善いかという事迄、実は第一銀行に聞きに来るという有様で、第一銀行で児供を養つて置いて地方から望んで来れば地方に出してやるという様な訳で、大阪などの銀行に就ても渋沢君が余程尽力された、是は冗談ではない、真実力を尽された、大蔵大臣も直接銀行者達を世話して行く訳にはいかぬ、まあ是は渋沢君に任して銀行の世話をさせたら善からうといふ事で、商売以外に渋沢君は只利己的に自分が金を儲ける丈ではない、国家の為にしたいとの意志を有て居られる、故に大蔵大臣は今日でもさういふ事があるかも知らぬが、昔は始終そういふ事があつた、其為に渋沢君は自分の常務を忘れてやられた位で、社員達は時々愚痴を言つた事があるか知らぬと思ふ、此交換所も其通り、明治廿年に交換所を企てるに就て渋沢君が主張されたといふ事を聞いて居る、凡て日本の銀行業務に就ては、渋沢さんが御尽力になつた事は私が記臆して居る丈けに向《(マヽ)》つても余程多いと思ふから、銀行に従事して居る処の諸君は充分御承知の事であると思ひます、けれども幸ひ此席に大阪其他の各地方の銀行者諸君が御集まりになりましたから、共に渋沢君が三十年間銀行に力を尽された、殊に交換所に力を尽された事に就て、諸君と共に渋沢君の健康を祝したいと思ふ
尚終に、渋沢君の健康を祝する間に、一言諸君と共に我々の尊崇する所の大蔵大臣及要務の局に当つて居る所の方々に向て、此交換所に対する意見を申上げるのも決して無用の談でないと思ます、一言申述べ様と思ひます、私は多年経済上に手形の流通程偉大なる効を奏するものはないと信じてゐる、既に英国の話をした通り、実に英国に於ては此手形と云ふものは盛に行はれてゐる、欧羅巴の大陸の方を見れば仏蘭西・独逸あたりでは手形は寥々たるものであるが、英国は実に盛なものである、英国は手形の流通が盛な者であるから、日本も英国の如く手形流通の発達せんことを望むのである、其の如く手形の流通が発達さへすれば、決して国家が貧乏であるとか、生産業が幼稚であるとか云ふ心配はいらぬ、国は一夜で盛になるものではないが、一度盛になる目的に就けば進むあつて退くことなく、漸次に盛になるに定まつて居る、近年亜米利加は非常に盛になつた、亜米利加の盛になつたのは実に南北戦争後一世紀の四分の一後に盛になつたのである、三四年前迄は、亜米利加は未だ欧羅巴に向ては借方の国であつたが、近年に至つては、貸方の国になつて、国の勢が駸々と進む傾になつて来たのである、所が日本は頻に倫敦あたりから金を借りて来てゐるが、外の国に向て金を貸すといふ事はイツコウない、此に於て手形の交換を成る丈け盛にしたいと考る、為に手形の性質を先刻御話しましたが、之は銀行者自ら努めなければならぬことである、今度大蔵大臣に向て、諸君は何とかして貰ひたいと云ふ様な事を決議なすつたとか云ふ事を
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新聞で見ましたが、ソレは何であるかと云へば手形を以て税を払ふと云ふことである、之はナカナカ有益なことである、之は独り金の携帯上のみならず、実は日本銀行の取扱上に大なる便利がある、ソウして小切手が納税の上に行はれる様になれば、是迄我々の如く余り銀行取引をして居ない様なものや、金を持て行くと日本銀行の人に小言を言はれるのが面倒だと云つて忌やがつて居る様な人も、非常に便利を感じて、知らず識らず取引をする様になる、ソレに就ては、先刻来不渡と云ふことがありましたが、私は不渡があつて少し位政府が損をしても差支なからうと思ふ、英国あたりでは既に其方法が行はれて居りますが、少しも心配なく行はれてゐる、損があつた所が誠に僅なものである、少し位損をしても、小切手を以て納税に代えると云ふ事になると、国の富を増し国の生産力を増すと云ふ事になるのである、近頃地租などの事に就て大分八釜しい議論が起つて、少し災害でもあると免税とか云ふ様な論も起る位であるから、少し位の損があつても差支はあるまいと考へる、ソレもやり方に依つて左様に損をしなくてもいけるのである、決して納税者が不渡だからと云ふて納税の義務を解除されたのではない、やり方に依ては少しも損をせずにいけるものであるから、此等は別に法律も何もいらぬ、大蔵大臣の御考一つで一片の命令を御出し下されは実行が出来るのであります、私は此小切手を納税に用ゐると云ふことは、国の生産力を増す上に於て大なる力を以て居ると信じますから、幸爰に大臣閣下、殊に財政に於て名高い学者殊に統計家経済家と云ふ総務長官も御出になつて居りますから、此両君の前で諸君と共に――私は誠に新聞で切々に見た許りで判りませぬが、此方法は大なる利益を経済社会の上に顕はすことに考へますから、序ながら一言附加へて置きます、而して更に戻つて、渋沢君の健康を祝します
    山本日本銀行総裁の演説
今夕は此盛大なる宴会に末席を汚すの栄を得まして誠に有り難くお礼を申します、而して今大蔵大臣閣下・大隈伯閣下からイロイロ有益なるお演説がありまして、殊に大隈伯よりは実に我々が覚えず耳を傾け時間を費して拝聴する程の有益なる演説がありました、其後に至つて私に何か話せと云ふ御請求で、実は迷惑千万であります、併し兎に角起て一言御礼を申し上げなければならぬ場合になりましたが、私は御承知の如く、只日々算盤を持て立つ仕事に従事してゐる者でありますから、理窟めいた事は申上げる事は罷めます、手形交換の事でありますが、既に皆さんの御承知の通りて、手形交換所は明治廿年でございましたか開けましたので、其当時は総て亜米利加の形を採つたのでございます、其間数年実験をした上に於てイロイロな不便又は不利な事がありまして、丁度二十五年の春と思ひますが、委員長の渋沢男爵閣下が日本銀行に向て相談がありました、何とか之はモウ少し有力な者に改良したいものであると云ふ御相談がありましたが、其時に私も其交換所の改良を致す時に創立委員の一人として、イロイロどうしたらヨカロウこうしたらヨカロウと云ふ楽屋の一人になつたのでございます、所で其当時も今も同じくでありますが、此交換所の参考になすべ
 - 第7巻 p.480 -ページ画像 
きものは亜米利加の交換所と英吉利の交換所とが一番参考になりますもので、其他欧洲大陸の交換所なるものは殆と参考となす価値のないものでありました、ソレで、御承知の如く亜米利加の交換所は組合が交換を致しまするが、其上に就て此交換尻を決済すると云ふ場合に親銀行がないのであります、ソレで其親銀行がない為に、更に各銀行が更に現金を預け或は公債を預け、ソレで以て日々現金を以て決済する、即ち交換所の手形の外に小額の交換は銘々金銭を以て事務を扱ふと云ふ有様であるケレとも未だ尽しては居らぬ、ソレから英吉利はドウかと云ふと、其親銀行を作りて各銀行者が其親銀行に向て取引を開いて帳尻を決済すると云ふ様になつて居ります、而して一長一短であるが此交換の進みと云ふものはソレは亦紐育に比べると英吉利は整理して居らぬ、御承知の如く一日に本店の銀行が二度やる、支店銀行が一度やる、ソーして八時から五時迄は組合銀行が交換所に常に出張して居つて、殆ど交換所を事務所として仕事をして居ると云ふ有様であります、ソコで交換の仕組なるものは紐育が整頓して居りますが、親銀行といふものはドウしてもなければならぬ、之に就ては日本銀行が決済の元をすると云ふ事になり、而して此交換の方法なるものは重に紐育の型を採りまして起したのであります、之が先づ始の起原でありますが、其他彼と違つて居るのは、親銀行なる英蘭銀行は自身債権となるべき手形は交換所へ持て出て交換を致しますが、債務となる手形は交換所へ出しませぬ、之では面白くないから同じ親銀行にするなら債務も債権も両方共に手形交換所に持出す方が便利でヨカロウと云ふことになつて、英吉利を手本にしたのであります、ソレでコウ云ふ事で進みましたが、尚其時に此創立委員の方々の約束が、ドウモ日本が大阪にしろ東京にしろ手形交換の仕方が不規則である、時間も違ふ、又同時に決済も出来ないと云ふ訳で困るから、先づ此位のことにして置て一つの習慣を作つて、一のモデルを拵えて然る後に実行しよう、ソレ迄は仮令不便であつても、手形が少なくともドコ迄も此習慣を作る迄は僅の銀行でやらう、ソウして多くの銀行に及ぼさうと云ふ事で其当時日本銀行を合せて慥か十二行でありましたが、此十二行が始めて実行したのであります
ソレが始め中は僅か五六千万円の交換でありましたが、ダンダン習慣が付て厲行をして、之ならば加入者を促しても習慣の破れる様なことはあるまいと云ので、ダンダン加盟を促して、十二年後の今日はイクラあるかと云ふと、実に銀行が六十五行、其上に郵便局、ソレから日本銀行之を合して六十七と云ふ多きになつて居ります、而して其手形の交換高は十三四億余円と云ふ容易ならぬ高になつて来ました、続て京都に起り、名古屋に起り、神戸・横浜に起り、ダンダンに起つて参りまして、其高と云ふものは今日二十八九億殆ど三十億円に垂とする様な盛なる高に上つて参りました、斯の如く盛になつて参りましたが尚此交換所の必要なる事は、今一箇年に此位でありまするが、一日に今年の春の如きは交換所で以て千二百万円と云ふ高に上りました、其千二百万円の高は先刻も大隈伯が倫敦或は紐育の事を述べられて信用が誠に微弱であると云ふ事を申されましたが、成程信用は彼等に対す
 - 第7巻 p.481 -ページ画像 
れば九牛の一毛である、一日に一千二百万円と云ふ数は我国にとりては少くない数でありまするが、仮りに目の子勘定をして現金を受渡すと云ふ事をして見れば、先づ日本銀行の金庫で始終金を扱ひて居る熟練者は一日五時間働いてイクラの金を数へると云ふと、先づ五時間の間に七千枚数へる、七千枚数へるとして見ると、十円札を千二百万円数へるに就ては丁度百五十人の人がいる、一円札を数へんとして見れば丁度其十倍であつて千五百人の人が一日に要することになります、其千五百人の人が一日の間数へて交換所でもつて僅に十時半から十一時迄三十分の間でやる仕事をやるに過ぎない
之を以て見ましても、交換所の実に金融機関として有益なる事は云はずして明かなる事であります、尚玆に当局者も御出で御座ゐますが、実際不便を感じて居る一例を申しますれば、東京に電話の数が一万二千程あります、而して此一万二千の交換を三箇月毎に電話料を政府に納めなければならぬ、即ち年に四度納めなければならぬ、而して其一回は十六円五十銭宛納める事になります、之を納める時になりますると日本銀行にイクラ人が来るかと云ふと、東京市の電話の加入者が少なくも一日に千五百人、多い時には千七百人と云ふ人か十六円五十銭の電話料を払ふ為に日本銀行にやつて来るのであります、平生の商売をして居る其上に、交換料を払ふ為に一日に千七百人の人が参つて、日本銀行の営業部は殆ど人の山を築くと云ふ有様であります、其中にはお爺さんもあれば小供もありお婆さんもあり殆ど押合ひへし合ひ、一時は「ステーション」で汽車に乗る様な有様で、其混雑は一方ならぬ、泣く者もありわめく者もあり実に大騒であります、遂に朝から午後の三時迄待つても用を果さずして明朝又車に乗つて十六円五十銭の電話料を払ひにやつて来るといふ有様であります、其千七百人一日に来る人の金を扱ふ為に、営業部の者は飯も喰はれぬと云ふ様な有様であります、ソウして其金高はイクラ勘定するかと云へば僅に二十四五万円の金であります、僅に二十四五万円の金を受渡す為に一日に千七百人の人が来て、営業時間一日懸て漸く納税をして行くと云ふ様な訳で、現金で受渡をすると斯の如き不便を来すのであります、コウ云ふ所を以て見ますると云ふと、益々此交換所と云ふものが唯何十万とか云ふ現金を以て之を数へて渡すとか、又数へて受取るとか云ふ其相互の間の面倒を見たならば、非常な利益の事で、ソレ故に此機関を全国広く行ひましたならば時を非常に節減し、金銭の授受の煩労を省き、金銭携帯の危険を避け、イロイロな便があつて、金融機関上なくてはならぬ必要なものである、ソレ故に之を必要と見たならば、今申し上げる様な事に就ては、遂々其局に当つて居る方々か改正の途を図つて下すつたならば、経済社会に及ぼす利益と云ふものはナカナカ容易ならぬことであらうと私は確信します
ソレで尚、今の交換所なるものは、前に申上けました通り亜米利加と英吉利の仕方を折衷して、長を取り短を捨てたものであるが、世界に於て日本の交換所より勝れた交換所がドコにあるか、私は例を出して貰ひたいと思ふ、私は実に世界で殆ど最良の機関であると自負して居るのであります、ソレに就て、之は仕事に亘りますか、一言諸君に御
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忠告して御参考に供したいと思ひますのは、其当時亜米利加でもつて交換をする時には手形を宛てられた銀行には添書を附けて廻はします、其小切手及総ての信用の器具なるものはチヤンと袋に入れて、中にドンな書類が這入て居るかわからん様にして封印の儘で宛てられた銀行に配ると云ふ、少なきは二人多きは三人でやつて居りますが、直に一人もつて帰てしまう、交換所では決して勘定しない、其儘持つて行く、其通りにするには未だ早いから私が起草委員であつた当時、未だ早いから小切手はイクラ、送金手形はイクラと一々改めてやる事に致して来ましたが、今日の如く進むで参れば、矢張紐育あたりの例に倣つて、交換所に於ては数を改める事はしないで、添状の上に百枚なら百枚、十枚なら十枚と書いて袋に入れて封印をして置いて、其儘内に持つて帰つて勘定をする様にしたらよからうと考へる、然らば今の面倒なる手数を省いて、尚一層時間を節減して行く事が出来るであらう、まだまだ今日はよう御座ゐますが、年々歳々此事業が進で参りますとトテモ一人や二人で多くの小切手を之が善いの悪いのと云ふて勘定をする様なソンナまどろツこひ事は出来ない、既に今日聯合会の諸君も紐育あたりの例に倣つて、添状の儘内に持つて帰つて勘定をし、若し間違があつたならば、宛られた銀行と宛た銀行との間に於て、ソレソレ勘定すると云ふことにしましたならば、一層の便利であらうと考へますから、此事を一言申上げてソウして今日御招待の御礼を申上げます
    阪谷大蔵総務長官の演説
小切手納税問題に就て、大蔵省が何か邪魔をして居るといふやうな風に、御聴取の御方があるやうですから、決してそうでないといふことを簡単に申して置きます、此小切手を納税に使ふが宜いといふことは明治三十一年に農商工高等会議が開かれた際、私も其委員の一人でありましたが、田中源太郎君・高橋君、其の他の御方々から一の建議が出ました、其後段々此小切手を納税に使ふといふ事が便利であるといふ声が大きくなつて、銀行集会所の委員の御申込があつて、大蔵省から当局のものが銀行集会所へ出張して、委員とも相談したことがございます、其席には法学博士なども招待されて、話が大分進行して居りましたが、玆に困つた事は日本には金庫といふ制度があつて、「コンミッショナー」なる制度を採つて居らないのです、「コンミッショナー」なるものは、御承知の通り、自分の指定した銀行の保証した手形を取つて居るといふ事になつて居ります、それで私も銀行を指定して、三井銀行・第一銀行あたりの手形なら取つても宜いといふことにしやう、と考へたこともございましたが、それ等は大に苦情を惹起すべき基であると考へました、則ち指定せられぬ銀行が、大なる不平を訴へて来ると云ふことであります、それで今日は放任してありますが、それはどういふ結果になつて居るかと云へば、金庫を持て居る銀行は、自分の手形を取るといふ事になつて居りますから、全く手形は納税に用ひられぬ訳ではない、漸次手形が納税に用ひられて居るのであります、政府に於ても、其事は深く希望して居るので、既に大阪商業会議所あたりから建議が出ました節、私から其事は最も希望する所
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であるといふことを申上げて、当時新聞にも出て居るやうな訳であります
又もう一つ、欧羅巴の納税者と日本の納税者との気組が余程違う、といふことを一つ御話しなければなりませぬ、それは年々大蔵省から人を出して各国の納税の有様を調べて見ますると、欧羅巴の納税人は納期前にさつさつと納める、納税は国民たる者の第一の義務であると考へて、滞納処分などを受けるものが非常な恥辱と考へて居る、然るに日本はどうであるかと云ば、それと反対で、納税をさせるのに余程むづかしいので、納期に一般の者に滞りなく納めさせるといふには収税官吏か非常な骨折をしなければならぬといふ有様であるのみならず、近来納税を怠つて日歩を取るといふやうなことが始まつて、一度や二度督促しても日歩を勘定してなかなか納めぬのです、手形で取ると不渡りのものがある、不渡りになると尚日歩が儲かるといふ勘定をして居る者もある、先刻大隈伯から手形其者から直さなければならぬといふ御話がありましたが、是は如何にも御尤なことで、私は銀行者其者の信用から先づ直つて来なければいけぬだらうと考へます
さういふ様な訳で、当局者は僅かな損はしても差支ないと考へて居りますから、成るべく便利なことならば手形の発行を希望するのです、決して法律がどうであるといふやうなことを固執する訳ではありませぬが、如何せん手形は銀行の手形ならば宜いといふことは甚だ言ひたくないのです、大隈伯が財政の局に当て居られた時の為替方のやうな制度ならは宜しうございますが、大隈伯が大蔵省を去られてから、国庫金の発達はどうであるかと云へば、金庫制を主に奨励して来た、即ち三井・小野組で扱つて来た為替方の権力を取上げて日本銀行に移してしまつたのです、さういふ訳で、今日収税官吏が直接に金を取ることになつて居りませぬから、是が小切手納税の実行の上に困難な一つであります、併ながら近来段々銀行集会所あたりで、手形其者の信用で差支なく往くやうに御研究になつて居るやうでありますから、それは大蔵省に於て賛成のことでございます、それでどうか手形其者が間違なく、又た滞納をして日歩を取るといふやうなことでなく、間違なく実行が出来れば誠に都合が宜いのであります、大隈伯から段々の御言葉がありましたので、其御言葉に対して、敢て御答申すといふ意味ではありませぬが、当局者が総ての事を等閑に附して居つたといふ訳ではない、余程心配して居りますので、是は今夕の会長渋沢君などは御承知のことであらうと思ひますが、既に銀行集会所の委員諸君が渋沢君の御調になつたものなどを印刷して御配付になつたやうな訳で、着々此問題を解決する方に進んで居るのであります、其解決の一日も速かならんことは当局者に於て希望して休まぬのでございますが、さういふ行掛りで何処に差支があるかと云へば、右申した二つの点が差障りになつて居るのでありますから、大隈伯の御演説に対しては趣旨は固より賛成です、先刻大隈伯の演説に対して大分拍手喝釆がありましたが、拍手喝采をするに付ては、此引掛つて居る問題を速に解決せられんことを先づ以て希望するのであります、大蔵省が銀行を指定したならば、多数諸君の中に必ずや不平が起るであらうと思ふ、併しな
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がら皆指定するが宜いかと云へば、諸君自らも首を斬るやうな銀行があるといふことですから、首を斬るやうな銀行を指定する訳にはいきませぬ、其困難を解くには「コンミッショナー」といふものに銀行を選ませるの外はない、其銀行は自らの信用する銀行の外選まぬといふことになりますから、総ての責任は「コンミッショナー」に帰しますが、日本では「コンミッショナー」が直接に取らぬで金庫が取る、金庫は矢張銀行者でありますから大に諸君の希望に反対するやうなことになるだらうと考へます、之等を能く御考を願ひたいのであります大隈伯の御親切なる御注意に対して、一言従来の経歴と問題が何処に引掛つて居るかといふことの御話を、簡単に申上けて置く次第であります
   ○右同記事銀行通信録第二一〇号・明治三六年四月一五日ニアリ。



〔参考〕交換所組合銀行聯合会規約 明治三十七年十月十四日第二回聯合会ニ於テ議決(DK070062k-0002)
第7巻 p.484 ページ画像

交換所組合銀行聯合会規約 明治三十七年十月十四日第二回聯合会ニ於テ議決
本会ハ東京・京都・大阪・神戸・横浜・名古屋交換所組合銀行ノ申合ニ依リ設置シタルモノトス
第一条 本会ハ交換所組合銀行聯合会ト称ス
第二条 本会ハ手形交換及経済上ニ関スル利害得失ヲ談論商議シ、併セテ各交換所組合銀行ノ交誼ヲ厚フスルヲ以テ目的トス
第三条 本会ハ毎年一回之ヲ開クモノトス
  但本会ノ庶務ハ各地交換所ニ托シ、輪次年番ヲ設ケテ之ヲ整理セシメ、其開会時期及会場ハ年番交換所ニ一任ス
第四条 開会通知ハ会日二週間以前ニ年番交換所ヨリ各交換所ヘ通知スルモノトス
  但緊急ノ場合ハ此限ニアラス
第五条 各交換所又ハ組合銀行ヨリ本会ヘ意見ヲ提出セントスルトキハ、可成開会一週間以前ニ直接各地交換所ヘ送付スルモノトス
第六条 本会々議ノ会長ハ当日出席者中ヨリ之ヲ選挙スルモノトス
第七条 本会ハ総テ協議会ノ体ニ依ルモノトス
  但決議ヲ要スル場合アリタルトキハ議事体ニ依ル
第八条 本会ノ経費ハ出席人員ニ割合平等ニ支弁スルモノトス
        以上