デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
3款 全国手形交換所聯合会
■綱文

第7巻 p.484-496(DK070063k) ページ画像

明治38年5月25日(1905年)

是日、栄一東京銀行倶楽部ニ開カレタル第三回全国手形交換所聯合懇親会ニ臨ミ一場ノ挨拶ヲ為ス。


■資料

東京交換所第二十一回成績報告 (自明治三十八年一月至同年六月)(DK070063k-0001)
第7巻 p.484-496 ページ画像

東京交換所第二十一回成績報告 (自明治三十八年一月至同年六月)
    附録
   交換所聯合会及同懇親会
明治三十八年五月二十五日午後二時より、東京銀行集会所に於て交換
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所聯合会○第三回を開き、当日出席者は三十八名にして其詳かなるは左の如し
○中略
同日午後五時より銀行倶楽部に於て聯合懇親会を開催せり、其出席者は七十二名にして其詳なるは左の如し
    来賓
 曾禰大蔵大臣 小村外務大臣 阪谷大蔵次官
 松尾日本銀行総裁 木村営業局長
○中略
一同晩餐を終るや、渋沢男爵は起て一場の挨拶を為し、次に曾禰大蔵大臣・小村外務大臣・松尾日本銀行総裁・阪谷大蔵次官の演説あり、終て豊川良平氏より謝辞を述べ、夫より更に別室に移り各自快談の上午後十時散会せり
当日渋沢男爵の挨拶、曾禰大蔵大臣其他の演説左の如し
    渋沢男爵の演説
大蔵大臣、外務大臣閣下及臨場の諸君、今晩は東京・大阪等六箇所の手形交換所を組織して居りまする、銀行者が毎年催しまする聯合の懇親会でございまして、斯る好機会に当局諸公の尊臨を仰ぎまして、種種なる御話を承りまするのは、頗る光栄と考へて、総理大臣始め陸海軍の大臣まで尊臨を請ひ上げましたが、生憎と総理大臣及陸海軍大臣は御差支のために光臨の栄を得ることが出来ませぬ、併し幸に吾々が最も営業上関係の深い大蔵大臣並に次官、又外務大臣・日本銀行総裁其他諸彦の御尊臨を得ましたのは、吾々の最も感謝に堪へぬ次第でございまする、蓋し吾々が毎年催しまするところの聯合懇親会でございまするで、折角の尊臨に対して別に御饗応を致す品もございませぬが唯だ多人数相集つて雑話を御耳に供へ得るに過ぎませぬ、御接待の不行届は只管恥入りました次第にござります、私は玆に一同を代表致しまして、臨場を辱う致しました諸公に感謝の意を表しまする
斯る好機会に於て此交換所の経過と吾々銀行者の抱持する意見とを尊聴に達しまするは敢て無要の弁でなからふと考へます、但し余り事古うございまするから、或は煩はしいといふ御嫌ひもございませうけれども、玆に一言申述へたうございまする、斯く申上げますると、下手な学校教員が経済初歩の講義でも致すやうに相成りまして、当局諸公に対し又御集りの銀行者諸君に対して、余程御耳うるさう御感じなさらうとは思ひますけれども、存じ込みました事を少し御話申上げたいと考へまするから、どうぞ御鬱陶しくも暫く清聴を煩はしたうございます
凡そ国家の富強は政治が善くなければならぬとか、教育が宜しきを得なければならぬとか、法律が完全でなければならぬとか、兵備が整ふて元気が強くなければならぬとかいふ事は、すべて緊切の要務であるといふことは論を待ちませぬが、其中に吾々が最も算へ上げたいのは即ち商工業の発達であると思ふのでございます、若し前に算へ上げました数種のものが如何に完美であつても、真の実力が進んで行かぬ国柄でありましたならば、決して富強を世界に誇ることが出来ぬであら
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うと思ひます、而して其実業の発達するといふは如何なる事に原因するか、是も亦其種類を挙げて論じましたならば実に数多いことでございまする、商売も繁昌しなければならぬ、運輸も便にせねばならぬ、工業も盛んならねばならぬ、農業も進歩せねばならぬ、保険事業も整頓せねばならぬ、斯く算へ来りましたならば、社会百般の事、皆な実業中に算へ込まねばならぬやうになりまするが、中に就て最も各般の実業をして発達せしむる大きなる機関、必要なる利器は何んであるかと云ふたら、私は金融上の宜しきを得ると否とに帰するといふことは蓋し過言ではなからうと思ひまする(拍手)、蓋し一国に通貨あるは、頗る講義に類する言語に相成りまするけれども、尚人の身体に於る血液とも申すべきもので、若し甚だ其度を過さんか必ず各所に充血を起して、壮んなる身体も健全を保つことが出来ぬ、又之を少くせんか終に貧血の病を起さぬとは申せないでございませう、故に此通貨といふものをして商工業に対して適度たらしむるといふことは、経済学者も困難するところ、政治家も困難するところ、亦吾々銀行者も困難するところで、始終相苦んで居るのでございますが、而して其宜しきを得るや、果して其国の総ての物質的事物が進んで往くといふことは、信じて疑はざるところと申して宜からうと思ひます、是に於て私共が国家の富を謀るに付て、実業が甚だ肝要であると云ふと同時に、吾々職とする銀行が其枢要なる位地にある、以て自ら重んぜねばならぬといふ事を、常に自ら信じ且つ勤勉して居ります次第でございます、銀行の日本に創立致しましたのは明治の初年でございまして、歳月を経ること最早三十年余に相成りまする、其間前に申上げました通貨流通の方法に付て、政治上からも力を注いで下され、吾々自身も亦種々に考案を尽して、常に其便利を計るといふことに尽力して成立つたのが手形の交換所であります、手形交換所の成立せない前に於ても、手形をして商業上の便利に供するといふことを務めたことは蓋し日浅くはございませぬのです、幸に一般の機運が銀行を必要とし、又手形を必要とし、終に此手形交換所といふものが世の中に、即ち実業社会に必要視せらるゝやうに相成つて、東京に、大阪に、神戸に、西京に、横浜に、名古屋に、終に全国に六箇所の規則立つたる交換所を成立せしむるやうに至つたのでございます
前に述べました通り、通貨の商売上に必要なのは、尚人体に於ける血液の必要と同じといふ例を近く申さうならば、若し此貨幣の数のみを増すと致しましたならば、忽ち物価に強い影響を惹起して価位を騰ふせしむる、さらは甚だ其数を減ぜんか、取引上に梗塞を生して商業に不便を来すといふやうな訳で、譬へば今夕の宴会に於て、若し此百名乃至百二十名の来客が、一時に食事をするに対してドレ程の給仕を要するか、時を一にし場所を等うして規則立つ運搬、便利なる配膳を致しましたならば、其給仕人の数を大に少くして其用を達することが出来る、試に百人の来客に対して十数人の給仕で用を弁ずるか、若し悉く別々に配膳せよと云ふたら、百人に対して百人以上の給仕人ならでは配膳をすることが出来ぬ、貨幣の物品に於けるも又これと同様でありませう(拍手)然らば之を節せんか、方法其宜しきを得なければなら
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ぬ、即ち此手形の流通と手形交換所の便利とが、貨幣を商業界に節約するに於て其方法の宜しきを得たるものといふことは、卑近な譬へではございまするが、前に申上げましたので或は思ひ半に過ぎるであらうと考へます、而して此六箇所の手形交換所は年一年に其交換高も進みまして、終に今日では明治三十七年の統計を一覧致しますると、六箇所で四十一億以上の高に進んで居ります、当三十八年に於てはまだ四箇月だけの統計しか見ませぬが、既に業に十数億に上つて居りまして、昨年に超ゆること殆と三億近うございますれば、或は五十億に垂んと致さうかと考へるのであります、以て此手形交換の如何に必要であるか、如何に進歩したるかといふ事が、証明し得られやうと思ふのです。
吾々銀行者が通貨に付て成るたけ便利を得たいといふのは、単に吾々銀行者のみが満足すればそれで宜しいといふ意味ではございませぬ、前にも申述べました通り、国家の富力、国家の強力といふ事を希望致す観念からしては、決して吾々の意念は日本の実業は唯だ此日本だけの繁昌のみに満足すれば、それで宜しいとは思はぬのでございます、蓋し政府は当局者の意見も吾々と同うして、朝鮮に支那に、其他の国国に務めて其開放を計つて、吾々の商売の便利を進めることに汲々致して居る、我日本の商工業を少くとも東洋に於て其中心の位地に立てたいといふことは、決して吾々銀行者のみの希望ではないといふ事は蓋し過言ではないと信ずるのでございます(拍手)
想ふに商売といふものは、国旗の光彩に依て発展するものである、又商売の進度に依て国旗の光彩が随伴する、言葉を換へて云へば、此関係といふものは何れを先にして何れを後にするかといふことは、如何なる政治家と雖も学者と雖も一朝一夕に論断をすることが出来ぬと思ふのであります。(拍手)
元来吾々銀行者などは、成るべくたけ遠慮し成るべくたけ謙遜するといふことは、恒に心掛けねばならぬのである、故に此政治若しくは軍務等の事に就きましては、余り副はないといふことが常でございます例へば政治家又は軍人などは比較上多く物を費消するを務むるのである、吾々は物を生産するを務むるのである、こゝで孟子の所謂矢人、函人即ち鎧を造る人と矢を造る人の譬の如く「矢人惟恐不傷人函人惟恐傷人」殆と其性質が相反対して居ります、丁度これと同じやうに吾吾は常に物の生産力を進めやうと考へて居る、軍人は――或は其中に政治家も入るかも知れませぬが、物を費消するといふことを考へて居られる、大蔵大臣抔は無理槍に租税を御取りなさるが(笑)、一言に之を論したならば、マルで正反対のやうに考へられまするが、蓋し此費消たるや、大に生産力を増すための費消と解釈致しまするから、吾々は其費消に対して不平も云はなければ苦情も云はない(拍手)、単り平日に於て不平、苦情を云はないのみならず、万一国家有事の際、即ち国家危急の場合に出会つた時に奉公の念を逞うして、明治二十七八年であれ、又明治三十七八年であれ、国家に報する務めとして軍費に対する供給といふものは、此処に居る銀行者が卒先して力を致したと云ふても宜からうと思ふのでございまする(拍手)、斯様に平日余り相副
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はぬが如く見へる者が左様に力を致すといふのは、即ち相共に国を愛するといふ赤誠から玆に至つたのであるといふ事を、私は諸君の御面前に於て申上げたいと思ふのでございます(拍手)、但し此事を申上げまするに、陸海軍大臣の尊臨を得なかつたのは、私は少し遺憾に思ひますが、但し斯く大きな声で申しましたならば、私の如き中耳炎を煩はぬ陸海軍大臣であられたならば、御耳に入るだらうと考へるのであります。(笑声拍手交々起る)
吾々は国家に対して尽すといふ事は、念々忘れは致しませぬ、が唯だ悲しいかな未だ歳月も十分に経過致したとは申されぬ、又一方には吾吾の才も足らず力も乏しく致して、事志と相添ふ訳に至りませぬから総ての事が彼の欧米抔の進んだ有様に比較すると、甚だ慚愧に堪へませぬのです、支那の言葉に「士三日不会刮目可相待」僅に三日で大に面目を革めるといふ事を形容してございます、又此東京が昔江戸と云ふた時分の極く卑近な諺に「江戸ツ児は三年経てば三つになる」といふことがございました、是は蓋し物の成長して往く、歳月の順序を意味したものと考へます、吾々は「三日不会刮目可相待」といふ程にはまゐりませぬ、一年経過しても唯だ僅に一割進んだとか一割五分進んだとか申す位であります、十年経つても十にしか成長せぬといふ有様ではございますけれども、併ながら明治初年の未だ銀行の成立しない前と比較し、又近くは手形交換所の真正の成立は明治二十四年と考へますが、此明治二十四年頃と比較し、若は近く日清戦争の時期と此日露戦争の大時局とを比較して見ましたならば、或は三年経つて三つになつたと申すことが言ひ得られやうかと考へられます、但し政治上若は軍事上の進歩は三年にして十くらゐ御進みなさるやうでございますから、其進歩に対しては後へに瞠若たらざるを得ませぬ、併し吾々も背は低くとも足は短くともセツセと歩いて居るといふことだけは、どうぞ当局の諸公に御承認を願ひます。
今夕は御忙がしい中を御繰合を戴いて、御饗応も甚だ手薄いのに、斯く失礼なる言語を発して此尊臨を謝し上げまするのも、蓋し吾々共銀行者の衷情赤誠と御聴きなしを戴きましたら、実に有難い仕合でございます、玆に尊臨諸公の健康を祝しまするために祝杯を挙げます。
                                 (拍手)
    曾禰大蔵大臣の演説
諸君、私は今夕御招きに預りました御礼を簡単に申述べます、此御会合は、今年で確か三箇年目と私は思ひます、昨年も私は御招きを受けましたが、少々病気で出ることが出来ませなかつた、今年も少々病気でございましたが、今日此機会を利用しまして、一つ御礼を申したいと云ふ考で推して出て参りました、此手形交換所の効能のことに就て、実は御話を申したいと云ふ考でありました、所が其効能は、今渋沢さんが縷々御説きなされまして、又皆さんの御職掌となさつて居ることですから、私よりも能く御承知になつて居るに違ひない、故に私は之を再び繰返すことは致しませぬ、唯私がそれを約めて申上げますると外の事ではございませぬ、謂ゆる「メルカンチール、システム」と「クレデー、システム」との差です、少し講釈めいて居りますが、
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渋沢さんが言はれた通り、金が充満した時には物価が騰る、それで斯ういふことをしなければならぬ、と云ふのは取りも直さず「メルカンチール、システム」が「クレデー、システム」の方へ移つて来ることと思ひます、如何にも御尤もな御話で、私共も其事に就ては苦心して居ります、これは固より其通りでなければなりませぬ、故に唯金の融通だけと思召さずに、信用を総ての商業上に植付るといふことを御考へ下すつて、将来尚以て御誘導なさつて下さることを偏に希望致します
又別に御礼を申上げたいのは、これまで再三私の所へ御出を願つた御方もございまするが、用のある時ばかり呼付けて置いて、用のない時には知らぬ顔をして居るといふ御感じもあるか知れませぬが、実は大抵ならあなた方を呼ばぬやうにするのが私の望む所でございます、けれども已むを得ず御呼び申さなければならぬことが度々生じました、御存じの通り、此時局も初めから御覚悟のある通り尚前途遼遠でございます、どうか将来共十分に御勉強且つ御周旋下されまして、物の円滑に参るやうに致して貰ひたいといふ考でございます、さうして今日までの経済界の景況に於きましては、蓋し私も皆さんも斉しく、大方斯くまでに旨くいけやうとは、戦を始めました時には思はなかつたのです、所が随分お互に誇つても宜いやうに旨くいつて居ると私は思ひます、これは畢竟皆さんが謂ゆる協力一致を以て総べての事に御当り下さるから、斯ういふ工合に順調になつて行くと思ひます、是は偏に御礼を申上げます、且つ是から先は渋沢さんが先刻言はれた通り、物価が騰るといふことが少しづゝ見えて居ります、此辺は一つ皆様の金融上の御注意に依つて、平準を得せしめて余り昂騰せぬやうに致したいと思ひます、成程或る物品に就ては、其欠乏の為めに価格の騰貴するのは致方がございませぬが、物が十分あつて而して其価格の騰るといふことは、これは遣りやうが宜しくないと外申されまいと考へますから、どうか金融の円満を図ると同時に、或る時には又引締むるやうに御注意下されまして、其当を得るやうに致したいと思ひます、これだけを以て今日の御礼に代へ、且将来に向つて御頼みを申上げて置きます
    小村外務大臣の演説
今日は御招待に預かりまして、又先刻渋沢君より御懇篤なる御言葉を頂戴致しまして、又御卓見の在る所も承知致しまして、誠に難有感謝致します
今日此時局に関しまして、一言申し上けて置き度ひと考へます、偖て此開戦当時に於きまして、官民共に非常なる決心を以て、、此国の存亡運命を決すると云ふ大戦争に従事した訳で御座ゐます、国の存亡を賭して戦争すると云ふ事は、素より事已むを得ざるに出でた事で御座ゐます、其の決心を致しまするに当りましても、国家の地位を全う致します為に已むを得なかつたと云ふ事は其当時我々国民は決心を致した所であるのみならず、今日に至りましては露国を除くの外世界全体に於て之を確認して居りまする、斯る事情の下に此戦争を開いた故に、今日日本に対する世界の同情と云ふものも、全く必要已むを得なかつ
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たと云ふ事情を能く能く見抜いた結果であろうと云ふ事を、深く信じて居りまする、免に角、此戦争は斯の如き決心を以て始まつて今日に至りましたので、其間の経過は私が申上げなくても、何故に今日迄連戦連捷の結果を得たかと云ふ其原因に付ては、能く諸君が御承知の事であらうと考へる
ソレは素より陛下の御稜威、海陸軍人の忠勇、国民の意気に依ると云ふ事は無論の事で御座ゐます、其間に此開戦の当時に於て、日本人自らも最も怪み、又日本に同情を表して居る列国民も、最も疑を懐いて居りましたのは、戦時の財政と云ふ事である、此点が即ち日本の最も弱点であると云ふのは、自らも懸念致しまするし、世界列国も最も疑を懐いて居つた事であります、然るに開戦後一箇年半に垂んとする際に於て、意外の結果を生じて居る、之は素より財政当局者の計画、其宜しきを得た事でありませうけれども、亦日本の経済界に居られる諸君の御尽力が最も与て力あると、私は予てより深く感じて居る所で御座ゐます、又此開戦後十有余箇月間に於て、日本の財政が斯る好成蹟を得たのに就きましては、心ある外人等が此点に最も重きを置ひて居るので御座います、素より軍事上の働と云ふ事は、世界が之に向て賞讃を惜まぬ所で御座ゐますが、此財政経済上の事に就て効を奏したと云ふ事に就ては、心ある外人等の最も意外とする所で、此点に最も重きを置ひて居るのであります、其故は、素より国を建て国を護る以上は、此武力と云ふ事は最も必要である、又平時に於て兵力を養成して、一朝事ある時に後くれを取らない様にせなくてはなりませんが、併し武力の働をするのは毎年ではない、国家等あるの時タマに働きを顕はすのである、併しながら此経済力……経済上の力を玆で示せと云ふ事は如何であろうか、と世界列国が非常に疑を懐て居つた点であります、此は平時に於て時々刻々世界の商工業の競争上に於て日々此力を感ずるのでありますから、之に最も重きを置いて居るのであると私は考へて居る、ソコで即ち此反動の結果で御座ゐまして、最初余り日本の経済力を軽して居りました所が、今日其力の容易ならん事を悟つて、之に非常に重きを置ひて来ましたから、此戦争後になつて日本との競争は容易ならんと云ふ観念を持ちまして、心ある外人等が之に当る準備を必ず忽にせないと信して居ります、ドウカ戦後に於て、此経済力即ち今ある所の経済力を益々占めて行くと云ふ事に就きまして、今外国人等の最も強き注意を払つて居ると云ふ事を預期して居りますから、此預期を空くせない様にドウゾ諸君の御尽力を仰ぎたいと考へます
此戦争は前途尚遼遠で御座ゐます、之は相手のある仕事で御座ゐますから、自分の注文通りにはならぬ、故に最初国家の運命を賭して此大戦争を起して其目的を達する迄には、ドウあつても之を罷める訳には行かぬ、罷める訳に行かぬ以上は、平生出来得る丈けの事はドウしても諸君の御力を借りなければならん事でありますから、第一に此御覚悟を願ひたい
第二には、此戦後に於て日本の人が今持つて居る経済力を益々伸ばすと云ふ方の事に就ても、御力を添へられん事を願はねばならぬ、第三
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に、経済力の発展と云ふ事に就きましては、内国に於て之より起すべき事業が多々ありまして巨多の資本と巨多の労力を要します、内国の事は無論で御座ゐますが、尚此海外の事業に手を伸すと云ふの考へを之から願はなければならぬ、実は此前の日清戦争の結果として、日本の対外事業が余程伸びるであらうと云ふ考を持つて居りましたが、実は案外で誠に微々たるものでありました、ソレで今度の此戦争が対外事業を伸ばすと云ふ動機になるので、凡そ物は機会で御座ゐますから此機会を逸せんように、今回はウント力を伸ばしてウント海外事業を盛にせねばならぬと思ひますから、ドウカ御計画を建てられ、充分に力を添へられん事を希望致します
丁度今日は京釜鉄道の開通式で御座ゐますが、此鉄道も出来て見ると何でも御座ゐませぬ、僅に二百七十六哩の鉄道、金は二千五百万円か二千七百万円かで、出来て見るとナンでも御座ゐませぬが、之は既往十年間渋沢君始め其の他有力なる諸君方に対して、ドノ位ゐ御苦労をかけたか之はわからん事である、所が此鉄道が今日出来まして、京城に於て開通式を今日挙ると云ふ訳で御座ゐます、此鉄道は決して大事業とは申しません、哩程から申しても、資本から申しても、大事業とは申しませんが、大和民族か海外に於て事業をしたのは之が始めてである、此事業は大事業では御座ゐませんが、此事業は対外事業の発端であるから、之から努めて益々進んで行くと云ふ御決心があつたならば、此鉄道は実にエライものである、此鉄道を軽する訳には行きませぬ、之が対外事業の根底になるのである、私は之より愈々進むであろうと考へますから、今日は諸君に対して此御厚情を謝し、同時に私等は倶に此京釜鉄道の成効を祈りたひと思ひますから、太白を挙げられん事を希望致します
    松尾日本銀行総裁の演説
諸君、今夕は此御宴会に御招待を蒙りまして、此席に列しまするは誠に光栄と存じます、開戦の当時より数へますると、本月で既に十五箇月を経過致します、之に要しましたる費用も非常に巨額なものでございます、けれども我経済上には格別な影響を与へずして、之を支弁しつゝあることは、誠に皆さんと共に国家の為めに慶賀の至りに堪へませぬ次第でございます、昨年開戦当時に於きまして、銀行家諸君と共に非常な心配を致しましたのは、此巨額な軍費を如何にして供給し得べきや、又は海外に支払ふ所の正貨は、如何にして之を準備すべきや、兌換の制度を如何にして鞏固に保たしむるや、又内地の経済社会を乱さずして此事を如何にして遂行し得るや、といふの点に在りました、此等のことに就ては、内閣諸公は勿論のこと、吾々銀行家も大に此事には心配致したのでございます、殊に其際心配致しましたのは、我国は世界の経済市場の中心から、地理上といひ、又これまでの商業上の関係といひ、其聯絡といふものが、着かぬとは申しませぬが、極めて薄弱であつたのでございます、それがため内外資本の共通といふものが乏しいことでございました、斯の如き場合に於て、此日露戦争の経費を支弁し、財政上又は経済上にも大なる影響を与へずして、之を為し得るには、どういふ道を取つたなら出来得るであらうかと云ふ
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ことが、最も苦心の重い所でございました、然るに事実に於て海陸の戦争は陛下の御稜威と、陸海将士の忠勇に依りまして、連戦連勝といふ地位に何時も立ち、又挙国一致といふことは、これまで口でも申し又耳にもして居りましたが、此度の挙国一致と申しするますることは、実に非常な堅いものと考へます、陛下の大御心に我国民の心が総て御添ひ申したのみならず、天地も即ち之にむすぼれて金鉄の如く堅く挙国一致といふことが出来ましたやうに存じます、それで何事も挙国一致、天地人の気の一致して、金鉄の如く固まりました所のものが動力となつて、今日の好結果を見ることに至つたのではあるまいかと考へます、即ち昨年来の生産、殊に農産物天産物に至つては、千古未曾有の豊作を見るを得たのは、是実に天祐と考へます、又此軍費の支弁の為めには議会を二度まで開かれて、巨額の増税を為されましたが是亦国民一人として之を拒むものがございませぬ、皆悦んで此増税を納付して居る次第でございます、通常の歳入が二億五千万円よりございませぬのに、臨時増税の為めに一億七千万円も増加せられ、さうして其納税の成績を承りますると、一億七千万円より尚数千万円の増収入があるといふことでございます、之を以て見ると、我国の資力は実に非常なものであつたことが証明されるのであります、我国は未だ国勢の調査統計等も十分にございませぬが故に、判り兼て居りましたが、余程の実力がありましたものと見えます、又之を納付しまするに一言の苦情もないと云ふのは、実に挙国一致の結果に外ならぬと思ひます
此軍事費の為めに内国の公債、即ち国庫債券の募集をされました高が前後五回で合計四億八千万円になつて居ります、これも吾々銀行家が此募集に堪得るものであるや否やといふことは、最初甚だ心配を致しましたが、之を事実に徴しますると、実に非常な高になつて居ります政府が内国債即ち国庫債券の募集をせられました高は、四億八千万円でございますが、之に対する応募申込高は、二十億四百二十五万円といふ巨額になつて居ります、実に斯の如き好結果を得やうとは皆様も思召さなかつたらうと思ひます、私は無論さうは存じませぬでございました、斯の如き国力の強勢なることを事実上に於て現はしましたことは、実に前申上けました挙国一致の泉源より流れ出でました結果と私は考へて居ります
それから前に申上げました内外資本の共通と申しますること、即ち我経済社会と外国の金融市場との連絡、此事も非常に心配を致しましたけれども前に申上げました如く、我国力に於て、事実の上に非常なる結果を現はしましたが為めに、自ら欧米市場にも我国の資力といふものを認識せられ、又一方には陸海軍の連戦連勝に依り、我武力を認められ、又一は挙国一致、上下心を一にして其堅きこと金鉄の如きもので犯すべからざる団体《(国)》であると云ふことを認められ、又巨額の増税を為し、巨額の公債を募り得るといふものは、之に対する金融機関が整ひて、其機関が健全に発達して居るものであると云ふことが認められ総て是等の事が外国に知られました結果でありませう、外国に於て公債を募集せられました高も、前後三回に五億二千万円であります、之
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に対して英米の市場に於て、応募申込のありました高が、五十一億七千五百万円といふ巨額になつて居るのであります、而して又此外債の価格は如何であると申しますると、発行しました直段よりは非常に高くなつて居るのであります、今日までの中で一番高かつたのは、六分利付の一番初めの公債で、百に付きまして九七五、即ち百円に付て九円七拾五銭といふものが、最高発行額より高くなつて居ります、それから新たに発行しました六分でも矢張九円五拾銭高といふ計算になつて居ります、一番下つたといふ一昨日の計算に致しましても六円七拾五銭高といふものが発行額より上つて居るので、誠に此価格の上に於ても十分なる価位を示して居ると存じます、此頃承りますと民間の事業にも幾らか資金を外国より輸入するといふ相談も彼是あるやうに承つて居ります、で開戦前には外国の資金と共通するといふことに乏しいと存じましたが、今日は稍其の緒が開けて参りましたことゝ考へます、それで此景況、此方針に依て進んで行きますれば、今外務大臣より未だ戦争は前途遼遠であるといふ御沙汰でございましたが、或は是より長く続きましても、軍費の供給にはさう差支へることはあるまいどうぞさう差支へることのないやうに致して、我経済社会を安全に保たせることにせぬければならぬと、偏に祈る所でございます、而して又吾々銀行当業者諸君に御諮り申上げたいと思ふことがございますのは、今戦時の際に於きまして、前に申上げました通りに、内外資本の共通は漸次出来つゝございますけれども、之を商業上若くは工業上に直接間接に此資金の共通せらるゝ様に、どうしても致さなければならぬことゝ存じます、それで此上商工業に対して、外国の経済界と聯絡を着けまして、資本の共通といふことに御同様に尽力を致したいと存じます、此戦争が何時止むか知れませぬが、止みますれば此事業の勃興といふことは、これはドウしても生ずることと思ひます、今御話のございました通り、外国即ち清韓に向つても新たに事業の発展をしなければならぬことでございますから、他日平和の克復致しました暁には、外国の資本の此商工業に注入せらるゝことに十分尽力を致したいことと考へます、で此銀行業者の最も努むべきことは、経済社会の維持といふことに、大に重き関係を有つて居るものでございますから、お互に銀行業を執りまするものは、其行為に依りまして、外国資本家が安んじて我経済社会に放資するやうな行動を採りたいものと考へます、それを申しますると種々ございますが我会長閣下も最前御話でございました通り、此信用の交換、信用の程度を高めると云ふことが、これが第一のことでございます、既に諸君はそれに勤められつゝあつて、昨年四十一億の交換は今日は五十億にならうといふことでございますが、尚一層此信用の高まりまするやうに、お互に尽力を致したいと存じます、それには尚種々なものがございませうが、重要なる事業の成績といふものが、外国人に能く解りますやうに致したいことがございます、又民情風俗の違ひより誤解せられて居ることがございませう、それは外国人が誤解して居るばりではない、内国人も誤解して居ることもございませう、是等のことは誤解を解くやうに致したい、商工業の風紀を改めるといふことも、是非しなければならぬことと思ひ
 - 第7巻 p.494 -ページ画像 
ます、内外人の交際も密接にしなければならぬ、是等のことを数へますると、幾らもあらうと思ひますが、如何の手段を取りましても、我経済社会と外国の経済社会を密接に結付るといふことが、第一の必要であらうと考へまする、何卒銀行家諸君、即ち私共の当業者は卒先して此任に当りたいと存じますから、共々に御研究下されて、国家の為めに御尽力あらんことを偏に希望致します、一言御礼に代へまして所感を申上げます
    阪谷大蔵次官の演説
私は、私の方の大臣から御話が済みましたから立つ必要はございませぬが、頻に御催促でございますから一言申上げて置きます
唯今段々御説のありました通りに、此戦争後の結果と致しましては、私等の考へますには、非常に此日本の生産品の販路が殖えるといふことは、今日より其兆候が見えて居ると斯う考へます、それは既に政府の専売になりました煙草の事業に就きましても、非常に満洲・朝鮮、それから支那、又ヅーツと先きの海峡から先きの方迄販路が殖えて来て居ります、それは一つには煙草の製作が一手に帰しまして、信用が確実になつた、又大なる規模で機械力を利用して、生産費を大に減じて来た、亦商標も決して偽りがない、斯ういふ事が原因を為して居るであらうと思はれます、即ち之を引請けまするところの商人が皆安心して販路を拡張する、最初販路を拡める時分にはどうしても多少の損を広告其他の手段に就て見込まなければなりませぬ、けれども此製造が止みはせぬか、直段が騰りはせぬかといふ懸念があると、海外の出先に居る人は非常に心配である、現に亜米利加あたりの商業に経験のある人々の話を聞いて見ても、例へば羽二重にしましても、緞通にしましても、大変値が安くて亜米利加に向くと思つて売拡める、所が今度日本の方へ見本に由て注文して見ると、期限通り品物が来ない、偶偶来た物はエライ粗末だといふやうな訳で、森村君其他の有数なる商業家も屡々困難せられて、中には殆どそれがために失敗せんとするまでの、困難に遭遇せられたことがあると聞いて居ります、是は海外に営業する所の人が皆共に苦む所でございますが、煙草に於ては之を引請けた商業家諸君が誠に安心して働ける、政府の煙草であるが故に供給が約束通り間違ふことはない、是程安心の事はないと云ふて居るのであります、其故でもありませうか、専売事業の結果から得ました成績は、実に予想外の好成績でございます、大蔵大臣は収入をこそ目的にして居られましたが、輸出の方に於ては専売といふものは伴はぬものであるといふ事を現に明言せられた位に、輸出の方の事は断念をせられたのであります、所が意外にもさういふ結果を得ました、是を以て考へて見ますると、日本の商工業を拡める上に於ては、やはり此実験といふものを大に利用しなければならぬと考へる、政府が之をするから此信用が保てる、民間ですから此信用が保てぬといふ道理はない、等しく智識を集め組織を大にして、さうして此信用を確実にしたならば、現に紡績に其他の事業に多々有望なものがあるのでございます、燐寸の如きは千万円の輸出を保つて居りますが、併しながら此燐寸は如何、片端から駆逐せられつゝあるといふ景況であります、又羽
 - 第7巻 p.495 -ページ画像 
二重にしましても、米国は勿論東洋の方にも販広が拡められて居りまするが、是も亦片端から駆逐されつゝあるといふ有様であります、是に反して煙草は如何、却て向ふに侵入しつゝあるのであります、即ち玆に於てか日本には商品を拡張する実力もあり亦智力もある、併しながらそれに添ふたものが何か欠乏して居つたのではないか、此煙草の輸出の拡つて往くといふ事に就て考へて見て、他の商品の販路如何に考へ及ぼしたならば、更に多く発明する所があるであらうと思ふのであります、而して此煙草の売拡まるといふのは、政府の専売一点張といふ為め許ではない、即ち今日の時局が助けたにに相違ないのであります、此の戦争は総ての事に就ての広告であつて、即ち我商品に就てのヤハリ広告であるのです、日本の煙草であるから一つ吸つて見やうといふ訳から、多数の人々に著くさういふ気を起さしめたのであらうと思ひます
それで此戦争が平定の後に於ては、素より支那・朝鮮の門戸開放の主義といふものが安全に設定せられる、今日迄は其門戸開放の主義に危害を及ぼさんとするものがあつたゝめに頗る不安心でありましたが、其不安心の念慮が此度の戦争の結果全く取除かれるに違ひない、して見れば、既に此煙草の製作に就て経験を得た以上は、我国の商工業を大に諸君と共に鞭撻を加へて往けば、日本は盛んなる商工業国となり得るの市場を有して居るのである、而も近い眼の前の所に其市場を有して居ると考へます
で戦争は前途尚遼遠であると外務大臣も言はれ、亦日本銀行総裁も言はれましたが、それは成程何時まで戦が続くか分りませぬ、併しながらサウどうも何十年も戦をして居るといふ事は人生社会に於て有るべからざることでございます、三十年間も戦争をするといふやうなことは昔はありましたが今日はさういふ馬鹿な事はして居られませぬから或る相当の時機に於て戦争は終るものと見なければならぬ、戦争が終つた後には私の今申したことにならうと思ふのであります、それに付きましては、十分に商工業の機関に於きまして、又銀行即ち金融機関である所の日本銀行若しくは正金銀行などに於きましても、それぞれ是に応ずる覚悟がなければなりませぬ、三十七年前の日本は御維新といふもので即ち此国を建て直したのでありまする、日露の戦争は再び此日本の国を私は造り直すことにならうと斯ふ考へますので、総ての機関――商工業の機関も銀行業の機関も、小さな現在の儘では今私の申した希望に副はぬと考へるのであります、故に政府に於ても既に種種計画をして居るので、既に前の議会を通過した議案もございまして其中の一つは既に韓国に於ける貨幣制度の勅令として現はれて居りますが、尚是に準ずべき事に就て政府に於ては目下調べつゝあるのであります、併しながら、政府のみが進んで民間の人の勇気奮発が伴はない時には、残念な事がないとも限りませぬから、私は此平和克復後には、今申上まげした如く既に今日の煙草の問題の如き事実見るところに依て、将来を確実に推すことが出来やうと思ひますから、どうか其辺に就て十分なる御覚悟を持たれまして、此第二の御維新即ち此明治元年に出来たのが第一の御維新でございますが、更に第二の御維新を
 - 第7巻 p.496 -ページ画像 
完成したいといふ希望を述べて置きます