デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東京海上保険株式会社
■綱文

第7巻 p.557-579(DK070073k) ページ画像

明治11年5月13日(1878年)

旧東京鉄道組合同盟曩ニ鉄道払下条約取消ニ依リ還附ヲ受クベキ既納金ノ運用方法トシテ、海上保険事業ヲ創設セントシ栄一ニ準備調査ヲ委嘱シタリシガ、其調査草案成ルヲ以テ、是日海上保険事業開設ニ関スル会議ヲ設ケ栄一之ヲ衆ニ示ス。


■資料

旧鉄道組合同盟海上保険事業開設ニ関スル決議 明治一一年五月一三日(DK070073k-0001)
第7巻 p.557-560 ページ画像

旧鉄道組合同盟海上保険事業開設ニ関スル決議
            明治一一年五月一三日(株式会社第一銀行所蔵)
明治十一年五月十三日、旧鉄道組合同盟ノ新ニ海上保険事業開設ノ為メ、第一国立銀行ニ会同シテ左ノ件々ヲ決議セリ
              会同人名
                 亀井玆監代理
                      羽野中道
                 榊原政敬代理
                      塩谷正直
                 池田輝知代理
                      川崎真胤
                 大村純熈代理
                      山川前曜
 - 第7巻 p.558 -ページ画像 
                 松平慶永松平茂昭代理
                      武田正規
                 松平頼聡代理
                      三宅十郎
                 久松勝成久松定謨代理
                      池内久親
                 徳川慶勝代理
                      鈴木重永
                 井伊直慶井伊直安代理
                      金田師行
                 池田章政代理
                      三谷峻
                 毛利元敏代理
                      難波舟平
                 毛利元忠代理
                      柏村信
                 前田利嗣代理
                      北川亥之作
                 山内豊範代理
                      前野久米
                      伊達宗城
                 蜂須賀茂韶代理
                      林厚徳
                 伊達宗徳代理
                      西園寺公成
                      渋沢栄一
              欠席人名如左
                      池田徳潤
                      九条道孝
                      池田茂政
                      前田利同
                      毛利元徳
前日鉄道組合解礼《(体)》ノ際ニ於テ、旧同盟一同ハ更ニ海上保険事業開創ノ一案ヲ以テ、其方法撰定ノコトヲ渋沢栄一ニ属托セリ、同氏之ヲ諾シテ其書類ヲ撰定シ、本日ノ会同ヲ設テ之ヲ衆位ニ報道セリ、撰定書目左ノ如シ
    創立要旨
    営業方法
    予算
    保険ノ主義 通商貿易辞書抄訳
    上海楊子江保険会社保険状ノ訳
渋沢栄一ハ右創立要旨、営業方法、予算、已上三書ノ旨意ヲ丁寧ニ演説シ去リ、而シテ全部五目之書類ハ各位尚熟覧セハ其要旨ヲ了解スヘシ、故ニ今日之ヲ展示シテ其決議ヲ求ル訳ニハアラス、前日委属アルヲ以テ、益田克徳ト与ニ調査撰定シテ、各位ノ審査撰択ヲ要スル者ナリ、其細密ニ質問セント欲スル者アレハ、請フ益田克徳ニ就テ之ヲ質ス所アレト申述ヘタリ
 - 第7巻 p.559 -ページ画像 
 伊達宗徳曰《(伊達宗城)》、全書熟覧ノ上質問スル所アルヘシ、今日其可否ヲ言難シ
 北川亥之作曰、願クハ此書類ヲ活字印刷シテ以テ各壱弐部ヲ得テ熟覧セント欲ス
 衆位皆北川ノ説ニ同セリ
渋沢栄一ハ此求要《(マヽ)》ヲ領諾シテ曰、小子不日大坂ニ之クヲ以テ、其前印刷ヲ告クルハ蓋難カラン、要スルニ各位印本ヲ得ハ能ク其要旨ヲ推明シ、小子留守中ト雖トモ相会合シテ其得失ヲ審議セラレヨ、而シテ小子帰京スルハ必ス来月初旬ノ中ニ在レハ、自今凡ソ二十日間ニ於テ其審議ノ如何ヲ決定シ、小子ノ帰京ヲ遅テ《(マヽ)》之ヲ回報スヘシ、又要スルニ旧鉄道既納金ノ如キハ、既ニ還付ノ指令ヲ得ル者ナレハ、此新事業決定ノ日ニ於テ之ヲ還収シ、之ヲ以テ先ツ起業公債ヲ買入レ、他日ノ資本ニ供スヘシ
 林厚徳曰、今日主人西游中ナルニ由テ、新図ノ可否ヲ決シ難シト雖トモ、熟ラ惟レハ、今日保険ノ挙ハ其事ハ則新図ナレトモ、実ハ鉄道組合ヨリ由来スル所ニシテ、全ク新規ノ事業トモ云難シ、然レトモ亦如此事情ナルヲ以テ、既ニ一書ヲ倫敦ニ送リ、主人ノ決心ヲ問候セリ、而シテ今日ニ至リ其調査ノ書類ヲ検閲スルヲ得タレハ、尚又之ヲ報申シ、其決答ヲ待テ確言スヘシ、然リト雖トモ諸君熟議ヲ以テ将ニ其企業ヲ請願セントスル場合ニ至ルニ及ヒ、敝家ノ為メニ結局セサル如キハ、甚以テ恐懼ニ堪ヘス、而シテ若シ各位ヨリ強テ以テ敝家ニ加入スヘシトナレハ、乃チ前顕ノ事情ナルヲ以テ之ニ応セサルヲ得ス、因テ頗ル痛思スル所ナリ、諸君之ヲ諒セラルレハ幸甚(主人十ニ七八ハ同意ナラン、且惟レハ今日再挙アルヲ以テ、大蔵工部両卿モ特旨指令セラルヽ所ニシテ、若シ然ラサレハ章款ニ従テ三ケ条ノ内ニ就テ取捨センノミ、是小子ノ斯迄赤心ヲ披ク所ナリ云々)
 北川亥之作曰、凡ソ資本ヲ定限スルハ銀行ニアラサレハ他ノ会社ハ之ヲ要スヘカラサルモノカ
渋沢栄一北川ノ問ニ答テ曰、小子之ヲ要路ニ聞クニ、責任ノ如キハ要スルニ其資本ノ略ホ一倍ヲ以テスヘシト云、然レトモ未其確論ニ出ツルヤ否ヲ詳カニセス
 北川亥之作曰、株金ノ如キハ之ヲ公債証書ニ換ヘテ政府ニ委頼シ置キ、而シテ其株高ヨリ以上ニ至ル営業ハ之ヲ禁止スルトシテハ如何
渋沢栄一此ニ答ヘテ曰、責任ノ如キハ要スルニ他ノ信任ノ為メニスル者ナレハ、其ノ如キ緊縛ヲ為サヽルモ可ナランカ、若試ニ他ノ貸借ヲ以テ看レハ、政府ハ此ノ如ク干渉スルヲ得ヘキヤ、否、之ヲ欲スルモ得ヘカラサルヘシ、今株式ノ如キモ亦此ト同情タルヲ以テ、敢テ厳制スルヲ須ヒサルヘシ
又曰、今林氏ノ陳ル所ハ嘗テ聞ク所ノ内情ニシテ、要スルニ同氏ニ在テ碍スル処ナシトセハ、則一同ノ株高ヲ減スルカ、或ハ他ニ幾許ノ募集ヲナスカ、其大体ヲ以テ決定スルヲ得ヘカラサルニアラス、然レトモ此挙措ハ唯同盟諸君ニ在テ決スヘク、小子ノ可否スヘキ場合ニアラサルナリ、然レトモ今日ノ事タル再ヒ諸君ノ委属ニ依テ努力スル所タ
 - 第7巻 p.560 -ページ画像 
レハ、諸君モ須ラク十分ニ励精シテ、一決易ラサルヲ要スヘシ、今日再ヒ中道ニシテ止ム如キニ至テハ、前日ノ請願ノ旨ニ対スルモ、何ヲ以テ恥チナカランヤ、小子此ヲ以テ諸君ノ為メニ之ヲ言ヘハ、若シ仮ニ蜂須賀君ヲ除キ置キ、而シテ他ニ募集スルトセハ、毫モ碍滞スルコトナカルヘシ、因而小生ノ意ハ、此際若シ諸君ノ心裏ニ於テ一髪ノ間隙ヲモ生スルトキハ、小生委属ノコトヲ賛成スルノ目的ナシトシ、其事ヲ一併廃措セサルヲ得ス、諸君此讜議ヲ諒セヨ
 林厚徳曰、前回聞ク如キ大蔵卿ノ論旨アルニ由テ、勉テ鄭重ニ処センヲ要シテ前議ヲ為ス所ナリ、然ルニ若シ諸君ハ敝家ノ確答ヲ俟タス、衆情ニ従テ目的ヲ設ルトセハ、敞家ニ在テ安意セリ、強チ敝家ト与ニ挙措セントナレハ甚以テ困却ニ堪ヘス
 北川亥之作曰、敢而蜂須賀家ニ問フヲ要セス、衆情ヲ以テ決定シ、其上申スルニ臨ンテ、同家ノ決答ヲ要スルトセハ可ナラン
 伊達宗城曰、今日要スル所ハ、各位十分ニ彼ノ書類ヲ討研シ、弥其上申ニ臨ミ、蜂須賀家ノ挙措ヲ断定スヘシ
 柏村信曰、何ソ蜂須賀家ニ依テ挙措センヤ、更ニ同志ニ就テ同盟シテ可ナリ
渋沢栄一曰、衆論此ノ如クナレハ、先ツ其書類ヲ熟覧シテ順次其境ニ至リ、弥要関ニ臨ミ、蜂須賀家ノ挙措ヲ決定スヘシ、而シテ今林氏ノ再三陳ル所ニ依レハ、蓋十ノ七八ハ同挙ノ情アルカ如シ、且其レ衆情玆ニ至レハ旧資還収ノ如キハ畢竟起業公債ヲ買フ者ト為シ、而シテ此再挙ヲ以テ其還収ヲ懇願スルハ明日ニシテモ可ナリ、又何日ニシテモ可ナリ、然レトモ要スルニ今暫時之ヲ措キ、近日内議略定ノ時ヲ待テ彼此一併ニ上申スヘキヤ
 一同答曰、他日一併ニ上申スルヲ要スト
渋沢栄一曰、已ニ此ノ如ク決定セハ、前議ノ如ク自今二十日間ニ於テ全書類ヲ点閲セラレ、小生帰京ノ日ニ於テ其衆説ヲ聴領セント欲ス、由テ再ヒ此言ヲ以テスト
 衆位一同肯諾ス
   ○本文中「然ラサレハ章款ニ従テ三ケ条ノ内ニ就テ取捨センノミ云々」ノ三ケ条トハ京浜間鉄道払下条約第十八条中ノ三項ヲ指ス。東京鉄道組合明治九年八月五日ノ項参照。
   ○本文中「今日再ヒ中道ニシテ止ム如キニ至テハ前日ノ請願ノ旨ニ対スルモ云々」ノ前日ノ請願トハ京浜間鉄道払下取消請願ヲ云フ。東京鉄道組合明治十年十二月十三日ノ項参照。


鉄道組合会議要件録附録(DK070073k-0002)
第7巻 p.560-562 ページ画像

鉄道組合会議要件録附録 (株式会社第一銀行所蔵)
○上略
○明治十一年五月十三日鉄道組合同盟第一国立銀行楼上ニ会同シ、海上保険会社ヲ開設スルヲ商議ス、此会ニ赴ク者ハ亀井玆監代理羽野中道・榊原政敬代理塩谷正直・池田暉知代理川崎真胤・大村純熈代理山川前曜・松平慶永同茂昭代理武田正規・松平頼聡代理三宅十郎・久松勝成同定謨代理池内久親・徳川慶勝代理鈴木重永・伊井直憲同直安代理金田師行・池田章政代理三谷峻・毛利元敏代理難波舟平・毛利元忠
 - 第7巻 p.561 -ページ画像 
代理柏村信・前田利嗣代理北川亥之作・山内豊範代理前野久米・伊達宗城・蜂須賀茂韶代理林厚徳・伊達宗徳代理西園寺公成・渋沢栄一共共十八名、池田徳潤・九条道孝・池田茂政・前田利同・毛利元徳ハ欠席ヲ告ク、此会ヤ曩ニ鉄道組合解体ノ際更ニ海上保険会社創立ノ挙ヲ謀リ、而シテ渋沢栄一ニ委托シテ其方法ヲ考案ス、因テ同氏ハ経画シ其草案ノ成ルヲ告ク、第一創立要旨、第二営業方法、第三予算、第四保険ノ主義即チ通商貿易辞書抄訳、第五上海楊子江保険会社保険状訳是ナリ、同氏ハ謂テ曰ク、諸君此五目ノ書件ヲ熟覧セハ則保険事業ノ大意ヲ了解スルヲ得ヘシ、且今日之ヲ議定スヘキ者ニアラサレハ諸君能ク考察ヲ下タシ若シ質問スル所アレハ益田克徳ヨリ答弁スヘキナリ伊達宗城曰、計画書ヲ熟覧シ然後質問スル所アルヘキヲ以テ目下其可否ヲ言フヲ得ス、北川亥之作曰、願ハクハ此書件ヲ印刷シ、各其一一部ヲ得テ熟覧スルヲ要ス、衆皆此説ニ同セリ、渋沢栄一曰、諾、速ニ印刷ヲ命シ諸君ニ頒ツヘシ、而シテ小子不日大坂ニ赴キ、略々二十日間ヲ以テ帰京スヘキヲ以テ、諸君ハ其印本ヲ得ハ能ク得失ヲ審案シ、其可否ヲ決議シ、小子ノ帰リヲ俟テ之ヲ回報スヘシ、然ルトキハ更ニ政府ニ請フテ既ニ允准セラルヽ所ノ旧鉄道組合年賦納金ヲ収還シ、其金額ヲ以テ資本ヲ預備スルヲ要ス、林厚徳曰、今日寡君酉游ニ在ルヲ以テ小子自ラ能ク新案ヲ可否スルヲ得スト雖モ、亦嘗テ考ル所ヲ以テスレハ今新案ノ如キハ実ニ鉄道事業ヨリ転遷シ、惟々其方法ヲ異ニスル者ナレハ敢テ之ヲ新事業ト謂フヘカラサルヲ以テ、当時已ニ游処ニ申報セリ、而シテ今此計画ヲ議定スルニ至テハ復タ之ヲ申報シテ指示ヲ領セサルヲ得ス、然ルニ今諸君ノ核議ヲ以テ官府ニ稟請セントスルニ当リ敝家ノ為メニ完全ナラサルハ深ク恐謝スルニ堪ヘス、且私ニ以為ク寡君此挙ニ於テ十ニ七八不可ヲ言フヘカラス、蓋今日ノ挙アル大蔵工部両卿ノ特旨ヲ以テ指令セラルヽニアラスンハ畢竟旧鉄道組合ヨリ政府ニ対スル約款ノ内三項ヲ撰テ処分スルニ至ルヘシ、苟モ然ラハ何ソ今日ノ再挙アルヲ得ンヤ、小子肝胆ヲ吐露スル此ノ如シ、願クハ諸君諒察セヨ、北川亥之作曰、凡ソ立会ノ資本ハ銀行ニアラサレハ其責任ヲ定限スヘカラサル者カ、渋沢栄一曰、小子之ヲ要路ノ人ニ聞ク責任有限ノ如キハ資本ノ略々一倍ヲ要スト、是未タ其確論ナルヤ否ヲ詳ニセス、北川亥之作曰、今此会社ヲ開創スルニ当リテ其株金ヲ以テ公債証書ニ換ヘ之ヲ政府ニ委頼シ、而シテ其株高ヲ踰ヘテ営業スルヲ禁止スルトセハ如何、渋沢栄一答テ曰、凡ソ責任ヲ設クル者ハ其信憑ノ為ニスルヲ以テ敢テ斯ノ如キ束縛ヲ行ハサルモ可ナリ、試ニ他ノ貸借ヲ以テ視ヨ、敢テ政府ヨリ干渉スルヲ得ヘキヤ、縦令干渉セント欲スルモ得ヘカラサルナリ、株式ノ如キモ亦然ルニアラスヤ、故ニ敢テ厳制セサルヲ善トス、又曰今林君ノ陳ル所ハ小子嘗テ之ヲ聞ケリ、然ルニ今若シ林君ニシテ蜂須賀家ノ応募額ヲ決定スヘカラストセハ為メニ此同盟ノ株高ヲ増募シテ其大本ヲ決定セサルヘカラス、之ヲ決定スルハ諸君協議ノ如何ニ在ルノミ、小子玆ニ再ヒ諸君ノ委托ヲ受ケ、只諸君ニ求ムル所ハ其確実渝ハラサルニ在ルノミ、諸君若シ因依シテ此事業再中止スルニ至レハ何ヲ以テカ前日ノ請願ニ対スルノ面アランヤ是ヲ以テ今諸君ノ為メニ図レハ、暫ク蜂須賀君ヲ置キ其補欠ヲ他ニ集募
 - 第7巻 p.562 -ページ画像 
スヘクシテ妨クル所ナカルヘシ、且此際諸君心裡ニ一髪ノ間隙ヲモ生スレハ小子復タ委托ヲ全フスルノ目的アルナシ、願クハ諸君之ヲ領セヨ、林厚徳曰、敝家今核議ニ与カラサルハ盖前日大蔵卿ノ諭示ヲ領スルヲ以テ務テ鄭重ニ従フ所ナリ、故ニ若シ諸君敝家ノ核答ヲ俟タス、衆情ニ従テ目的ヲ立テント欲セハ敝家大ニ安キヲ得ヘシ、若シ敢テ敝家ト挙措セント欲セハ則復タ前議ヲ執テ対ヘサルヲ得ス、甚タ以テ困却スル所ナリ、北川亥之作曰、敢テ蜂須賀君ノ核答ヲ求メス、宜シク衆議ヲ以テ決定シ、其上申ニ臨テ決答を聴クヘシ、伊達宗城ノ議モ亦此ニ類ス、柏村信曰、暫ク蜂須賀家ヲ措テ他ノ同志ト決議スヘシ、渋沢栄一曰、宜ク先ツ今日告クル所ノ書類ヲ熟読シ、而シテ実際着手ニ臨ミ蜂須賀君ノ挙措ヲ決スヘシ、今林君ノ陳ル所ニ依レハ同家ノ確答ハ蓋十ノ七八協同ニ出ツヘキヲ信スルニ因リ、旧資ヲ還収シテ起業公債ヲ収買シ及海上保険会社ノ創立ヲ申請スヘキハ明日ヲ以テスルモ妨ケナシト雖モ、暫ク内議略定ノ日ヲ待テ彼此一併上申スル者ハ如何、衆皆此議ニ同セリ、又曰、既ニ此ノ如ク決定セハ諸君前議ニ従ヒ、今日ヨリ凡ソ二十日間ヲ期シテ之ヲ熟案シ、小子帰ルノ日ヲ俟テ回報セラレンコトヲ要ス、衆皆領諾セリ


海上保険会社創立関係書類(DK070073k-0003)
第7巻 p.562-567 ページ画像

海上保険会社創立関係書類 (株式会社第一銀行所蔵)
  海上保険会社創立要旨
夫レ保険トハ他人ニ属スル危険ヲ担保スルノ義ニシテ、体面ヨリ之ヲ見レハ頗ル危道ヲ趨ルノ業務タルカ如シト雖トモ実際ニ就テ之ヲ察スレハ決テ然ラサル所以ノモノアリ
凡ソ類例ニヨリテ事物ヲ推測セハ中ラスト云トモ甚タ遠カラス、而シテ其類例愈多キトキハ其推測モ亦愈精シキヲ得ヘシ、今夫レ一艘ノ船ヲ以テ一回ノ航海ニ当リ之カ危険ノ有無ヲ測ルハ決シテ為シ難キコトタリト云トモ、若シ数十艘ノ船ヲシテ数百回ノ航海ニ就テ其危険ヲ推測セハ、必ス何百分ノ幾何ヲ按算シ得ヘキナリ
故ニ此保険ノ業ハ前ノ理由ニ拠リテ、其推測ヲ明カニシ正確ノ規画ヲ設ケ適当ノ限度ヲ定メテ以テ其保険料ヲ収入スルニ於テハ、縦令一時或ハ危険ニ遭遇シテ非常ノ損粍ヲ来タス事アルトモ、持久ノ後ハ終ニ平準ノ計算ニ帰シ推測ノ按算ニ達スルハ亦疑ヲ容レサル所ナリ
然リ而シテ此保険ノ業タル、以テ経済ノ根理ニ適シ以テ商売ノ隆盛ヲ賛スルハ固ヨリ喋々ヲ俟タスト云トモ、試ニ今其一例ヲ挙ンニハ今日東京ニアル三陸米ノ価直ヲ壱石ニ付五円七拾銭トシ三陸地方ニ於テハ四円八拾銭トセハ其間丸拾銭ノ差ヲ有ス、而シテ其運搬ノ要費ト資本ノ利足トヲ七拾五銭トセハ差引拾五銭ノ利益ヲ得ヘキモノトス、然レトモ其航海中ノ危険アルヲ以テ苟モ確実ヲ貴フノ商估ハ多クハ此等ノ販鬻ニ従事セサルヘシ、是レ東京三陸共ニ其商業ヲ凝滞セシムルモノニシテ而シテ各地ノ物価常ニ其平準ヲ得サルノ原因ハ、職トシテ之ニ由レリ
一旦此保険ノ業ヲ開設スル者アルニ於テハ其物貨ノ運搬ニ際シテ之カ危険ヲ顧慮スルヲ須ヒサルヲ以テ、各地ノ商況豁然トシテ其面目ヲ改メ価直相比シク有無相通シテ更ニ其業務ヲ増加シ運転ヲ頻繁ナラシム
 - 第7巻 p.563 -ページ画像 
ルハ昭々乎トシテ猶ホ火ヲ観ルカ如クナレハ、今此保険ノ業ヲ以テ経済ノ根理ニ適シ商売ノ隆盛ヲ賛スルト為スハ敢テ誣言ニアラサルヘシ論理実効夫レ斯ノ如クニシテ而シテ此保険ノ業ノ今日ニ至リテ未タ其設立ヲ得サルハ、是他ナシ、其業務ノ常ニ法律ニ交渉シ其営業ノ規画モ亦尋常商会ノ如ク然ルヲ得サルヲ以テ、之ニ馴練スル者少キト且我邦ノ商估各其資本ニ乏シキト、及ヒ滊船会社ノ設立整理セサリシトニ因テナリ、今ヤ邦船会社ハ既ニ三菱ノアルアリテ其規則ハ全ク整頓シ其船舶ハ実ニ堅牢ナリ、而シテ滊船又ハ風帆船ノ航路モ大抵其定限ヲ設ケテ緊要ノ諸港ニ達スルヲ得ル、且官亦此保険ノ業ノ創設ヲ企図シテ以テ其制規ヲ調理セラルヽト云ヘリ、是レ乃チ千歳ノ一時ニシテ実ニ保険業ヲ建創スルノ運ニ際セリ、幸ニ華族各位ニ於テ曾テ鉄道組合ノ為メニ募集シタル資本ヲ以テ此海上保険会社設立ノ事ヲ決セハ、前ニ所謂二三ノ難事ハ一朝併テ之ヲ除却シテ以テ真成ノ商業ヲ振作シテ各地ノ有無ヲ通暢スルヲ得ヘシ、然ラハ即独リ該業ノ率先者トシテ其名誉ト利益トヲ併有スルノミナラスシテ大ニ全国ノ公益ヲ稗補スルヲ得ヘシ、豈愉快ナラスヤ、因テ今此創立ノ要旨ヲ略書シ加フルニ其営業ノ大綱ト損益ノ予算トヲ附記シテ、以テ各位ノ参考ニ供シ併テ此挙ノ決議ヲ翼賛スト云爾

  営業方法
    第一款 株金之事
此会社ノ資本金ハ五拾万円ト定メ、内四拾弐万八千円ハ鉄道会社設立ノ為メ華族各位ヨリ入金之分ヲ以テ其儘資本金ニ加入シ、残額七万弐千円ハ身元アル商估ニ募リテ之レニ加入セシムヘシ
右残額ヲ各商估ニ募集スルニハ、可成丈ケ追テ保険ノコトヲ此会社ニ委頼スヘキ人ヲ撰ムヘシ、故ニ其株高ハ少数ニ分割スルトモ多人数ヲ要スヘシ
 但シ此株金募集ハ公告ニ依ラスシテ有志者ニ説テ加入セシムヘシ、若シ此募ニ応スル者ナキトキハ、資本総額ヲ四拾五万円ト定メ其不足額弐万五千円ノ発起ハ一同ヨリ出金スヘシ
此資本金ハ株式ニ分割シ一株ヲ金百円ト定ムヘシ
此会社ノ責任ハ政府ニ於テ一定セラルヘシト雖トモ、即今新創ニ係ルヲ以テ、国立銀行同様有限責任ノ許可ヲ乞フヘシ
    第二款 株金運用ノ事
資本金五拾万円(若クハ四拾五万円)ノ内其十分ノ九又ハ十分ノ九五ハ相当ノ公債証書ヲ買入レ、残額(即チ十分ノ一又ハ十分ノ零五)ハ確実ナル銀行江利附当座預金ト為シ、創業費其他臨時費仕払ノ用ニ供スヘシ
    第三款 会社本支店分置ノ事
会社ノ支店ハ諸開港場及ヒ三菱滊船定期通航ノ各埠頭ニ設置スヘキコトナリト雖トモ、先ツ当分ハ東京ニ於テ相当ノ地ヲ卜シテ本店ヲ置キ神戸・横浜・長崎・箱館・石ノ巻・新潟・四日市・大坂・下ノ関・松江等ノ如キ郵船定期通航ノ各地ハ、其埠頭ニ本支店アル確実ナル銀行又ハ商会ト約定ヲ結ヒ本社ノ代理店トシテ其事務ヲ取扱ハシムヘシ
 但代理店ヘハ右取扱手数料トシテ大凡ソ保険料ノ十分一ヲ給与スヘ
 - 第7巻 p.564 -ページ画像 

株主中ニテ自己ノ荷物ニ保嶮《(険)》ヲ附スルカ、又ハ其周旋ニヨリテ他人ノ荷物ヲ保嶮スル分ニハ、毎半季勘定ノ際利益ノ模様ニヨリテ相当ノ部合ヲ給与スルノ方法ヲ設ケ置クヘシ
    第四款 保険ヲ附スヘキ船舶ノ事
保険ヲ附スル船舶ハ滊船風帆船ノ別ナク、駅逓局ニ於テ第一等ノ通航保険証ヲ附与シタル船舶ニ限ルヘシ
    第五款 保険ヲ附スヘキ地方ノ事
保険ヲ為ス海上ハ日本海ノ各埠頭及清国上海、韓地釜山浦ニ止ルヘシ
 但官物ヲ欧米ニ送付シ又ハ欧米ヨリ購入スル分ハ、官ニ乞フテ其保険ヲ引受クヘシ
    第六款 船舶撿査ノ事
保険ヲ附スヘキ荷物ヲ積ム所ノ船舶ノ撿査ハ政府ニ於テ管船局ヲ設ケラレ其撿査ヲ精密ニシ、各船舶ニ航海証ヲ附セラルヽコトヲ請願スヘシ、而シテ会社ニ於テモ該事ニ練熟シタル相当ノ撿査人ヲ雇使スヘシ
    第七款 保嶮価額制限ノ事
保嶮ヲ附ケタル荷物ノ海上ニアル価額ハ、資本金五分ノ一ヲ超ヘサル様取計フヘシ
 但保嶮依頼ヲ受ケタル時ハ何程ニテモ之ヲ引受ケ、右海上ニアル荷物価額拾万円ノ外ハ之ヲ分割シテ横浜又ハ各開港場ニアル英国又ハ荷蘭保嶮会社等ニ其下タ受ケヲ依頼スヘシ
保険ヲ為ス荷物ハ内国人ノ所有ニ限リ、外国人ノ荷物ハ当分之ヲ引受ケサルヘシ
    第八款 会社申合規則ノ事
海上保嶮条例ハ追テ政府ニ於テ制定セラルヘシト云トモ、会社申合規則及保嶮証書ノ如キハ別紙(翻訳)英蘭保嶮会社ノ規則及証書ニ準拠シ、国律ニ参照シテ之ヲ設立スヘシ
    第九款 会社役員ノ事
会社ノ役員ハ株主中ヨリ頭取取締役ヲ撰任スヘシト雖トモ、此業務タルヤ法律上ニ多少ノ関係ヲ有スヘキコトナルニヨリ、該事ヲ担当スル支配人壱人及ヒ普通営業上ノ事務ヲ主宰スル副支配人壱人、船舶及荷物撿査人壱人、其他両三人ノ手代合テ六名ハ相当ノ推撰ヲ以テ適任ノ者ヲ使用スヘシ
頭取取締役ハ会社営業ノ大綱ヲ改定シ或ハ取扱向ノ堅確ナルヤ否ヲ撿査スルノミニ止リ、実際営業上ノ事務ハ支配人及其他ノ人員ニ委任シテ其責ヲ尽サシムヘシ、故ニ頭取取締役ノ俸給ハ可成丈ケ省略シ、実努ニ預ル所ノ支配人以下ニハ相当ノ俸料ヲ給与スヘシ

  損益予算
保嶮会社《(険)》ノ損益予算ヲ設クルニハ、其収入スル所ノ保嶮料ト海上危嶮ノ度トヲ計較スルヲ以テ最一ノ要務ト為ス、而シテ此保嶮料ヲ定ムルニハ、先ツ危嶮ヨリ生スル損失ノ平均割合ヲ推知スルコトヲ要ス、然レトモ危嶮ノ度ハ航海ノ長短、航路ノ嶮夷、時季、船舶及貨物ノ性質等ニヨリテ其割合ヲ異ニスルカ故ニ、之ヲ較量スルニ至テハ、単ニ其
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実験者ノ裁定ニ因ラサルヲ得ス
日本海危嶮ノ度ハ未タ其平均ノ統計表ヲ撿出セサル而已ナラス、三菱滊船会社ノ如キハ其営業殆ント十年余年ニ近シト雖トモ、幸ニシテ未タ甚シキ危嶮ノ損害ヲ蒙ラサルヲ以テ、同社所有ノ船舶ヲ以テ危嶮ノ度ヲ按算スルハ、未タ以テ充分ノ較量ニ供スルニ足ラサルヘシ
故ニ今我邦ニ於テ新創スル保嶮会社ハ、其保嶮料ノ割合及ヒ危嶮ノ度ハ欧洲ノ保嶮会社ノ比例ニ準拠スルヲ以テ可ナリト為ス、既ニ英国ニ於テモ小資本ノ保嶮会社ハ、一般ニ同国ロイド社中ノ例ヲ遵守ス、実ニ同社中ハ世界中保嶮料ノ中心相場所トモ称スヘキモノナリト、試ニ今ロイド社中ノ報告中ニ掲載スル危嶮損失及保嶮料ノ割合表ヲ撿スルニ、一千八百五十三年ヨリ同七十二年迄、二十ケ年間ノ保嶮料ノ割合ハ、平均百分ノ一ト二二ニシテ損失ノ平均割合ハ一ト二ナリ、因テ別紙損失及保嶮料ノ比較表ヲ裁シ、我海上危嶮ノ度ヲ測定スルノ具ニ供ス、又仮リニ別帋危嶮表ノ如ク、世界一般ノ危嶮ノ極点ヲ三十度ト為ス時ハ、我カ国限リノ危嶮ハ此三分ノ一即チ十度ヲ以テ極点ト為スモ敢テ不当ニ非ラサルヘシ、何トナレハ世界一般ノ危嶮ハ航路ノ長短ノミヲ算スルモ、一日ヨリ六十日乃至七十日間ニ渉ルモノ多シト雖下モ我航路ノ如キハ長キモ二十日間ニ満タサルモノナレハナリ
因テ今十度ヲ以テ我海上危嶮ノ極点ト仮定スルトキハ、此平均危嶮ノ度ハ大凡ソ五度ニシテ、別紙危嶮表ノ割合ニ比較スレハ、大凡四百分ノ一半即チ八百分ノ三ヲ以テ、危嶮損失ノ平均ト積算スヘシ
然リト雖トモ右ノ較計ハ只紙面上ノ按算タルヲ免レサルヲ以テ、縦令充分ノ較計ニ供スル能ハサルモ、次ニ三菱会社ノ滊船又ハ帆前船航運ノ始ヨリ以テ今日ニ至ルマテノ危険ノ度ヲ按算シ、以テ一ノ参考ニ供ス、亦以テ実際ニ就テノ一斑ヲ識ルヘキナリ
一三菱会社創業ヨリ今日ニ至マテ積荷ニ損失ヲ致シタルハ、明治十年一月東京丸礁ニ触レ、積荷千弐百五拾個ヲ投却セシト、明治十年十一月秋津洲丸颶風ニ遇ヒ、魚油三百七拾五樽ヲ流失セシノミニシテ(衝突又ハ暗礁等ニテ船体ノ幾分ヲ毀損セシコトハアレトモ)其他格別ノ損失アリシヲ見ス、今此損失荷物ノ《(ヲ)》噸数ニ積リ、明治二年ヨリ明治十一年迄九ケ年間同社ニ於テ、運輸セシ総荷物ノ噸数ニ比較シテ割合ヲ取ルトキハ、総積荷百〇壱万九千百九拾六噸ニ付三百廿五噸ヲ損失セシ割合ナリ、即チ九ケ年間平均ノ損失ハ総積荷平均噸数ノ三千百三十五分ノ一ナリ

今一ケ年中保嶮ナスヘキ総価額ヲ概算スルニ東京及横浜ヨリ
  箱館      五万円   長崎ヨリ箱館    壱万円
  兵庫及大坂   五拾万円   兵庫       五万円
  長崎      拾万円    新潟       弐万円
  上海      弐拾万円   上海       弐拾万円
  下関      五万円    下関       壱万円
  石ノ巻     拾万円    横浜及東京    弐拾万円
  四日市     五拾万円  箱館ヨリ兵庫    五万円
  新潟      弐万円    長崎       壱万円
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兵庫及大坂ヨリ長崎 五万円    上海       五万円
  新潟      弐万円    横浜       弐拾万円
  上海      拾万円
  横浜及東京   拾万円
青森ヨリ東京    弐拾万円  石ノ巻ヨリ東京   百万円
   合計三百七拾九万円也
右ノ保険荷物ニヨリテ収入スヘキ保険料ハ、別帋英蘭会社保嶮料割合表ニ依リ、風帆船滊船重量荷物特担分損等ノ割合ヲ平均シテ之レヲ算スレハ、大凡四万八千六百九拾五円トナルナリ、而シテ此割合ハ平均三分一ノ割引ケヲナスモノト見テ、此高ヨリ三分一ノ割引ケ高ヲ差引クトキハ三万弐千四百六拾三円トナル、即チ日本海ニ於テ一ケ年中保嶮ナスヘキ総価額ハ三百七拾九万円ニシテ、其保嶮料ハ三万弐千四百六拾三円ナリト予定スヘシ
会社ノ費額ハ左ニ掲載ノ如ク、一ケ月五百五十円ニシテ、一ケ年間ハ六千六百円ヲ要スヘシ
      月費ノ詳細
    事務監督ニ当ル頭取取締役      月給五拾円
    営業上ノ総轄ヲ為ス支配人      月給百円
    諸規則及法律上ノ取調ヲ為ス支配人  同 五拾円
    船舶及荷物撿査掛          月給五拾円
    手代三人一人ニ付月給十円      同 三拾円
    外ニ小使給料其他諸雑費       弐百四拾円
     月額総計五百五拾円也
費用ノ割合大凡ソ此定額ヲ超サヾル目的ヲ以テ計算スル時ハ、会社ノ損益勘定ハ左ノ如クナルヘシ
     資本金五拾万円
      内 四拾五万円        公債証書買入
        四万円          銀行当座預ケ
        壱万円          営業用家屋地所其他及創業費
      益ノ部
     一金四万〇五百円        公債証書ノ利年九分ノ割合
     一金八百円           当座預ケノ利年二分ノ割合
     一金三万弐千四百六拾三円    保嶮料壱ケ年収納見込
       合計金七万三千七百六拾三円
      損ノ部
     一金六千六百円         月給諸雑費
     一金弐千百六拾四円       各代理店手数料十分ノ一
       是ハ保険荷物中三分ノ一ハ、各代理店ニテ取扱フモノト見做シテ起算ス
     一金壱万四千弐百拾弐円五拾銭  危嶮損失
       是ハロヰド社中報告中ニ掲クル所ノ危嶮損失ノ平均割合ヨリ予定シタル我国海上危険ノ平均割合ヲ以テ算出セシ高ニシテ、即チ保嶮価額三百七拾九万円ノ八百分
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ノ三ナリ
       年々ニ平均スレハ我国ノ危嶮ハ決シテ此損失ノ上ヘ出サルヘシ
       毎季精算ノ時、若シ損失少キ時ハ差引残額ヲ以テ非常予備金トシテ蓄積シテ、損失ノ多キ時ニ此額内ヨリ償弁スヘシ
     合計弐万弐千九百七拾六円五拾銭
   差引残益金五万〇七百八拾六円五拾銭
       内 金弐千円 営業用戻シ入
         金弐千五百三拾九円三拾銭
                百分ノ五 役員賞与金
         金四万五千円壱株ニ付九円ノ利 株主配当
         金千弐百四拾七円弐拾銭 後季繰越


保嶮《(険)》ノ主義(DK070073k-0004)
第7巻 p.567-569 ページ画像

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上海楊子江保嶮会社保嶮状[上海楊子江保険会社保険状]ノ訳(DK070073k-0005)
第7巻 p.569-573 ページ画像

上海楊子江保嶮《(険)》会社保嶮《(険)》状ノ訳
    上海ヤンツー保険会社横浜代理店
      神明ニ誓ヒ
《*》(第一国立銀行)及ヒ之ニ全部或ハ一部ノ関係ヲ有シ、或ハ有シ得ル或ハ有スヘキ人、或ハ人々、今玆ニ保険契約ヲ結ヒ《**》(横浜ヨリ神戸迄)ノ航海中船長(何某)、或ハ何等ノ人其船長タルモ、又該船並ニ船長ノ名号何号ト称セラルヽモ措テ論セス、其船長ノ指揮スル(三菱会社)ノ船(広島丸)号ニ載スル所ノ貨物或ハ商品ニ付キ、其損失スルト否ラサルトヲ問ハス、保険セラレタル者トナレリ、其危険ノ起ルハ、右ノ船中ヘ右ノ貨物或ハ商品積込ミ終シ時ヨリ始マリ、右ノ《***》貨物或ハ商品ヲ上ニ掲ケタル港(神戸)ヘ無事ニ陸揚ケセシ時ヲ以テ終リ
 - 第7巻 p.570 -ページ画像 
トス、該船ハ此保険《****》ニ妨害ヲ為スタメニアラサレハ、此航海線内ノ各港各地ニ、其必要ノ物品或ハ助力或ハ修復ノ為メニ立チ寄リ或ハ碇泊スルコトヲ得ヘシ○右ノ船舶ニ積載セタル右荷物或ハ商品ノ被保者ニ関スル価額ハ(六千弗ニテ此荷物ハ(30)三十箇ノ生糸ナリ、此荷物ハ右ノ船舶洲ニ乗リ上ルカ沈没スルカ、又ハ焼失スルカニ非サレハ、分損ノ責ヲ担ハス)、右ハ損失ノ起リシ時証拠立ラルヽコトヲ要ス、(神明倖ヒニ禁止セヨ)我会社ノ担保スル所ノ危険トハ、海上危嶮《*****》、兵艦、火災、敵、海賊、強盗、窃盗、投荷、危嶮切迫ノトキ荷ヲ投ルコト(訳者述)船長及水手ノ過失其他、総テ其貨物或ハ商品ヲ損害スル所ノ危嶮損失凶災等ヲ云ナリ、若シ損失或ハ危嶮起リシトキハ、此保険契約ノ害ヲ為スタメニ非レハ、被保者或ハ其代理人、《(或脱)》ハ従者、ハ勿論訴訟ノ権ヲ譲リ受タル者ニ至ル迄其貨物或ハ商品ノ損害ヲ防キ、之ヲ安全ニ保護シ、及ヒ之ヲ恢復スルコトヲ得ヘシ、而シテ其費用ハ保険者タル我輩ニ於テ之ヲ弁償スヘシ
故ニ保嶮者タル我輩ハ今玆ニ百分ノ(半即チ三十弗ナリ)割合ヲ以テ保嶮料ヲ収メ、被保者及ヒ其受托人或ハ其譲リ受ケ人ニ対シ、我輩及我輩ノ相続人或ハ受托人並ニ其所有物ハ此契約ノ責ヲ荷ヒ、若シ保嶮シタル荷物ニ損失起ル時ハ、我輩及ヒ我輩ノ相続人或ハ受托人並ニ其所有物ハ、横浜ニ於テ我輩ノ保嶮シタル金額ヲ、当代理店ヘ損失ノ報知ヲ請取リタル一ケ月後ニ、下ニ掲ケタル定限ニ基ツキ弁償スルノ責ヲ荷フコトヲ契約ス、此保嶮ニ関スル損失及其他ノ事ノ平均ハ此契約証書ノ文面ト此商業ノ慣習トニ基キ、其割合ヲ定ムヘシ、然レトモ此証書ノ日附ヨリ二ケ年内ニアラサレハ請求スルノ権ヲ有セサルナリ
此契約ノ証人トシテヤンツー保嶮会社ノ代理人タル我輩、今日玆ニ会社ノ各員ニ代リ、横浜ニ於テ此二通ノ契約書ニ姓名ヲ手署スルモノナリ、若シ此一通実用セラルヽトキハ、他ノ一通ハ其効力ヲ失フヘシ
    一千八百七十(七)年(六)月(二十六)日之ヲ記ス
《******》塩、硝石、砂糖、米、穀物、種、脂、酒、及其他ノ水物ハ百分ノ十五以下ハ分損ノ責ヲ荷ハス、茶及ヒ生糸ハ百分ノ三以下ハ分損ヲ荷ハス其他ノ物件並ニ船舶船賃及ヒ総食料ハ百分ノ五以下ハ分損ヲ担ハス、然レトモ船舶ノ洲ヘ乗リ上ケラレタルトキニ生スルハ此限ニアラス此会社ノ商業上ヨリ起ル所ノ損失ハ総テ、其株主及ヒ其譲リ受ケ人ノ担フ所ニシテ、其株高ニ応シテ会社ノ資本金及ヒ積立資本金並ニ其未タ割渡サヽル利益ヲ以テ之ヲ償フヘシ、而シテ其責任ハ之ヲ以テ限リトス
                  ウオルシホール社中手署
欄外記事
*  番号
   二千八百三十六号
** 弁償ノ場所
      横浜
*** 物件 生糸
**** 金額六千弗
***** 奪掠、拘留、抑止、及ヒ之ヨリ生スル事件並ニ敵ノ脅迫等ノ損失ハ其責ヲ担ハス

 - 第7巻 p.571 -ページ画像 
                    ウオルシホール社中
****** 此航海中損害ヲ来タストキハ其事由ヲ船ノ出帆スル港ノ測量局ヘ報知シ、其測量証書ヲ受ルニ非レハ損失ノ弁償ヲ請求スル能ハス
     保嶮《(険)》料平均割合計算ノ条目
一重量貨物ノ平均割合ハ価千弗ニ就テ之ヲ定ム
一其他ノ商品ノ平均割合ハ価五百弗ニ就テ之ヲ定ム
一茶ノ平均割合ハ特別ナル条目ヲ設クヘシ
一生糸及ヒ函詰メ或ハ俵詰メノ物品ハ各箇ニ就テ之ヲ定ム
一上海ヨリ北方ノ諸港或ハ日本ヘ通航スル所ノ各汽船、上海ヘ立寄リ或ハ上海ニ於テ積換ヲナストキハ、百ニ付四分一ヲ余分ニ払フヘシ(貨幣ハ此限ニ非ス)、○風帆船ナラハ百ニ付二分一ヲ余分ニ払フ可シ
一風帆船「マニラ」或ハ「ジアブア」ノ諸港ニ立寄ルトキハ、一港ニ付百ニ付二分一ヲ払フヘシ
一風帆船支那日本台湾沿海ノ諸港ニ立寄ルトキハ、一港ニ付百ニ付四分一ノ増ヲ払フヘシ、但シ香港ハ之ヲ除ク
一泥土ヲ以テ軽荷《フナアシ》トナス所ノ諸船ニハ保嶮ヲナサス
一沙ヲ以テ軽荷トナス所ノ諸船ニハ百ニ付二分一ノ保嶮料ヲ余分ニ払フヘシ
一狂風ノ起ル月即チ七月八月九月三ケ月間ハ、支那海岸ノ諸港ト魯国領亜細亜ノ諸港トノ間ニ航スル一風帆船ニ付、総危険担保料トシテ百ニ付二分一ヲ余分ニ払フヘシ(上海以北ヨリ来ルモノ或ハ之ニ向テ行クモノハ此限ニ非ス)
 又日本及「マニラ」ヨリ来リ、或ハ之ニ向テ航スルモノ、並ニ香港以南「シンガポール」ニ至ルマテノ諸港及「シンガポール」ニ向テ航スルモノモ亦同様ナリ
一重量貨物トハ則チ左ノ諸品ヲ云フナリ
 粉、米、砂糖、棒砂糖、明礬、硝石、麻、蚕豆、豌豆、「ビーンケーキ」豆製ノ菓、荳類、裸麦、諸種ノ穀物、珈琲、胡椒、塩、「ジユート」麻ノ類
 種子類(茴香ハ之ヲ除ク)
一仲買手数料ハ保険料ノ一割ヲ与フ可シ

以輪札啓申仕候陳者去ル十三日之御集会ニ於而印刷方御委頼御座候海上保険考案書類今日出来仕候間別冊二十壱二十七部御廻致申上候条各位三部ツヽ御領収速ニ御順送可被下候也
  明治十一年五月十八日 第一国立銀行
    徳川慶勝様 二十壱部
      外連名
    伊達宗城様 二十七部
      外連名
    林厚徳様  二十七部
      外連名
 - 第7巻 p.572 -ページ画像 

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                  風帆船                                                                               汽船                                        風帆船                                                                               汽船                  分損ヲ担保シタル重量貨物              四月廿日ヨリ十月廿日マテ                四月廿日ヨリ十月廿日マデ                一年中同様ノ割合也                                                分損ヲ担保シタル重量貨物 十月廿日ヨリ四月廿日マテ 四月廿日ヨリ十月二十日迄                                            年中同様ノ割合也                  十月廿日ヨリ四月廿日マテ 四月廿日ヨリ十月廿日マテ 分損ヲ担保シタル商品 特担分損ヲ担保セサル商品或ハ貨幣 分損ヲ担保シタル商品 特担分損ヲ担保セサル商品或ハ貨幣 分損ヲ担保シタル重量貨物 分損ヲ担保シタル商品 特担分損ヲ担保セサル商品 貨幣                  十月廿日ヨリ四月廿日マテ 四月廿日ヨリ十月廿日マテ 分損ヲ担保シタル商品 特担分損ヲ担保セサル商品或ハ貨幣 分損ヲ担保シタル商品 特担分損ヲ担保セサル商品或ハ貨幣 分損ヲ担保シタル重量貨物 分損ヲ担保シタル商品 特担分損ヲ担保セサル商品 貨幣 長崎ヨリ函館マテ         2 3/4           2 3/4          1 3/4         1 1/4              1 3/4         1 1/4              1 3/4           1 1/4        1             3/4  横浜ヨリ函館マテ        2 1/2           2 1/2          1 1/2         1                1 1/2         1                1 3/4           1 1/4         3/4            1/2 同ヨリ兵庫神戸或ハ大坂マテ    2 1/4           2 1/4          1 1/4         1                1 1/4         1                1 1/2           1           5/8           3/8  同ヨリ兵庫神戸或ハ大坂マテ   2             2            1 1/2          3/4              1 1/2          3/4              1 1/2           1           1/2            1/4 同ヨリ新潟迄(端舟ノ危険ヲ除ク)  …             …          2 1/2         2                2 1/2         2                 …            1 1/2        1             3/4  同ヨリ直ニ長崎マテ       2 1/2           2 1/2          1 1/2         1                1 1/2         1                1 1/2           1           5/8            3/8 同ヨリ上海マテ          2             2            1            3/4              1            3/4              1 1/4            3/4         1/2           1/4  同ヨリ内海ヲ経テ長崎マテ    3             3            2           1 1/2              2           1 1/2              1 3/4           1 1/4         3/4            1/2 同ヨリ下ノ関マテ         2 1/4           2 1/4          1 1/4         1                1 1/4         1                1              3/4         1/2           1/4  同ヨリ新潟迄(端舟ノ危険ヲ除ク)  …            …          3           2 1/2              3           2 1/2              3             2          1 1/2           1 同ヨリ直ニ横浜マテ        2 1/2           2 1/2          1 1/2         1                1 1/2         1                1 1/2           1           5/8           3/8  同ヨリ直ニ上海マテ       2 3/4           2 3/4          1 3/4         1 1/4              1 3/4         1 1/4              1 1/2           1           3/4            3/8 同ヨリ内海ヲ経テ横浜マテ     3             3            2           1 1/2              2           1 1/2              1 3/4           1 1/4         3/4           1/2  同ヨリ内海ヲ経テ上海マテ    3             3            2           1 1/2              2           1 1/2              1 3/4           1 1/4        1              1/2 兵庫神戸或ハ大坂ヨリ函館迄    3             3            2           1 1/2              2           1 1/2              2             1 1/2        1             3/4  同ヨリ下ノ関マテ        2 1/2           2 1/2          1 1/2         1                1 1/2         1                1 1/2           1           5/8            3/8 同ヨリ長崎マテ          2 1/4           2 1/4          1 1/4         1                1 1/4         1                1 1/2           1           5/8           3/8 同ヨリ新潟迄(端舟ノ危険ヲ除ク)  …             …          3           2 1/2              3           2 1/2               …            2          1 1/2          1 同ヨリ上海マテ          2 3/4           2 3/4          1 3/4         1 1/4              1 3/4         1 1/4              1 3/4           1 1/4        1             1/2 同ヨリ横浜マテ          2             2            1 1/2          3/4              1 1/2          3/4              1 1/2           1           1/2           1/4 函館ヨリ兵庫神戸或ハ大坂迄    3             3            2           1 1/2              2           1 1/2              2             1 1/2        1             3/4 同ヨリ長崎マテ          2 3/4           2 3/4          1 3/4         1 1/4              1 3/4         1 1/4              1 3/4           1 1/4        1             3/4 同ヨリ上海マテ          3 1/4           3 1/4          2 1/4         1 3/4              2 1/4         1 3/4              2             1 1/4        1             3/4 同ヨリ横浜マテ          2 1/2           2 1/2          1 1/2         1                1 1/2         1                1 3/4           1 1/4         3/4           1/2 


 - 第7巻 p.573 -ページ画像 
一千八百五十三年ヨリ一千八百七十二年迄二十ケ年間平均危嶮損失及ヒ保嶮料割合表
  ロイド社中ヘ報シ来リタル総危険ヨリ平均ヲ取ル

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           保嶮料         危嶮損失 1 百分ノ      61/800  百分ノ    3/40 2          61/500         3/20 3          183/800         9/40 4          61/200         3/10 5 (平均大凡)   61/160  (3/600)    3/8 6          183/400         9/20 7          427/800         21/40 8          61/100          3/5 9          549/800         27/40 10 (日本危険極度) 61/80  (3/400)   3/4 11         671/800         33/40 12         183/200         9/10 13         793/800         39/40 14        1 27/400        1 1/20 15        1 23/160         1 1/8 16 1.22即チ   1  11/50  1 1/5即チ   1.2 17        1 800/237        1 11/40 18        1 149/400        1 7/20 19        1 359/850        1 17/40 20         1 21/40        1 1/2 21         1  3/5        1 23/40 22        1 271/400        1 13/40 23        1 603/800        1 29/40 24        1 83/100        1 4/5 25        1 29/32         1 7/8 26        1 393/400        1 19/20 27        2 41/800        2 1/40 28        2 108/800        2 1/10 29        2 169/800        2 7/40 30        2  23/80        2 1/4 31        2 291/800        2 13/40 



  ○右海上保険会社創立要旨、営業方法、損益予算、保険ノ主義、上海揚子江保険会社保険状ノ訳ヲ印刷ニ附セルノ冊子アリ、此書編尾ニ次ノ如キ追記ヲ載ス。
    前文要旨ノ中営業方法ノ部ニ於テ此会社ノ資本金ハ五拾万円ト定メ而シテ其運転ヲ按算シテ損益予算ヲ作レリト雖モ、爾来岩崎氏ノ加盟アリタルニ因リ資本ノ額ハ少クトモ六十万円ニ増サヾルヲ得ザルヲ以テ、右予算ノ各項モ従テ更正セザルヲ得ズト雖トモ、素ト此予算ハ実験ニ基テ裁定シタルニ非ザレバ今敢テ旧算ヲ改ムルコトヲ為サズ、看者唯宜シク五十万円ヲ以テ六十万円ニ増シタル比例ヲ推シテヲ按算スベシ
   即チ此追記アルニ依テ上記冊子ノ印刷上梓ハ十一年八月以後ナルベシ。何トナレバ岩崎弥太郎ノ加盟ハ十一年八月ナレバナリ。仍テ本文同盟各位ニ配布セシモノト上記冊子トハ異本ナラン。
   明治大正保険史料第一巻第二編第一類第一〇七―一三〇頁及海事史料叢書第一八巻ニモ上掲資料ヲ載ス。
  ○右海上保険会社創立要旨以下ノ書類ハ益田克徳及塚原周造等ノ作製ニ係ル由、後出「塚原夢舟翁」ニ見ユ。


雨夜譚会談話筆記 上巻・第九二―一〇〇頁〔大正一五年一〇月―昭和二年一一月〕(DK070073k-0006)
第7巻 p.573-575 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 上巻・第九二―一〇〇頁〔大正一五年一〇月―昭和二年一一月〕
    第五回 昭和二年四月十二日於飛鳥山邸
森「あの時華族が寄つて鉄道事業を計画しましたけれども、それが中止になつて、東京海上保険会社を創立することになつたやうに承知して居りますが」
先生「その通りです。それを話すには大分前ヘ遡るが鉄道のことから申さればなりません。○中略それは兎に角、右に申した経緯で中止し払込んだ金が返つて来たので之を以て、海上保険事業を起すやうに
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と建言しましたが、之は多少とも我田に水を引くやうなことになりました。其説明をするには、租税のことを云はねばならぬ。以前には租税を穀物や塩等で納めて居り、米は其中でも主なものであつた。私は米を年貢として公約するのはよろしくない。租税は必ず金納とすべきであると考へ、大蔵省に居た時分から頻に主張し其の素地をつくる様に努力したが、何分当時地価が定まらず従て其の貢納の定め方が中々面倒であつた。たゞし大体には勿論決つて居た。ところが明治六年末から七年にかけて愈金納となつた。そこで貢租の為に穀物を金にかへる。米も全部売る。地方では所分が出来ないから、米を都会地へ運搬せねばならぬ。就ては運送中の危険を保険する必要があるとした。所謂荷為替は荷物を送り出すに際し、之を担保として銀行から金を貸し、荷物が着くと金を払ふのであるが、万一着かないと銀行は損をする。そこで此運送の際に於ける破損の危険を保険することが必要であるから、海上保険を主張したのであります。当時一般には私が斯うして海上保険会社を主唱するのを嫌がつた。例へは福沢諭吉氏も(どうも余り進み過ぎて居る)と云ひ、岩崎弥太郎氏も非難した。曾て雉橋に大隈侯の邸があつた時である何かのことで招かれた。岩崎も福沢も来て居た。当時に海上保険の話をした。何でも私と福沢とで将棋をさしたことを覚えて居る。福沢は中々口が悪く(商売人にしては割合強い)と云ふから、私も(ヘボ学者にしては強い)と応酬した。それは余談であるが、其時私が海上保険のことを力説したのに対し、結局渋沢は利己主義から主張するのであるなどゝ云はれたが、独り大隈侯は賛成し、(是非やらねばならぬ。保険を実施しないと金融が疎通せぬ)と云つて居ました。大分岐路に入つたが斯様な訳であつた。兎に角判然と金高は憶えぬけれども、鉄道関係から返つて来た金の内四五十万円を振り向けて海上保険会社を設立しました。其の事務は益田孝君の弟の益田克徳と云ふ人が当つた。どうして仕事をするやうになつたか、其顛末は憶へぬが、主として仕事に従事したのは此の人でありませう。今の東京海上の社長各務鎌吉と云ふ人も、確か高等商業学校を出ると直ぐに勤務したと思ふが、事業に詳しく、英国で勉強した人で、保険の対象たる船の鑑定が確かで特別の技倆があるらしい。東京海上は此の人の経営になつてから著しい発展を為した。要するに海上保険会社を起した原因は、華族の鉄道買収の為め積立てた資金があつたからで、これがなかつたら或は適当に資本が集らなかつたかも知れない。実際殆ど強制的に、公な道理正しい仕事をすると云ふ理由で、義理づくで、此新らしい海上保険事業を営むことにした。或は此の事業はかくして生れる運命を持つて居たのであらう。創立は明治十二年八月で、火災や生命より遥かに前である。其後明治十四年七八月、阿部泰蔵氏が他の保険事業を起したのでありました」
森「海上保険の必要は米の荷為替から起つたとのお話はよく了解致しました。之は別のことですが、東京海上保険会社の見積書とか目論見書は誰が書きましたでせう」
先生「勿論学問的な考へからでなく、実用からでありますが、見積書
 - 第7巻 p.575 -ページ画像 
目論見書などは益田克徳氏が作つたと思ふ。それに就ての議論がどうであつたか、私自分で調査したのでないからよく憶えませぬ」
森「何んでも和蘭や英国のものに実例を探つたとか申して居りますが」
先生「益田を英国へやつたやうに思ふ。会社が出来てからであつたかどうか、保険の交換をロイヅで見たと云つて居ました」
  ○雨夜譚会第五回ノ出席者ハ法学博士森荘三郎氏、明石照男氏、渋沢敬三氏渡辺氏、白石氏、小畑氏、高田氏、岡田氏ナリ。
  ○第一国立銀行ニ於テ本店及支店間荷為替ノ物品ニ限リ海上受合業ヲ創始セル件ニツキテハ同銀行明治十年八月(本書第四巻第三五七頁)ノ項参照。
  ○猶東京海上保険会社設立以前ニ於ケル我国海上保険業ニ関シテハ前記第一国立銀行ニ於ケル試ミノ外開拓使ニ於テ蝦夷地開発ノタメ海上交通運輸保護策トシ金十万円ヲ貸下ケ設立セシメタル保任社明治六年一月創立七年三月三十日廃止ガ東京大阪函館間ノ海上難破濡損損負(保険)ヲ営メル例アリ(開拓使事業報告第四編参照)


竜門雑誌 第二八二号〔明治四四年一一月〕 我国保険事業の濫觴(青淵先生)(DK070073k-0007)
第7巻 p.575-578 ページ画像

竜門雑誌 第二八二号〔明治四四年一一月〕
   我国保険事業の濫觴(青淵先生)
  本篇は十月七日午後一時より神田青年会館に於て開かれたる保険同交会の依頼により青淵先生が同日同講演会に臨みて講演せられたるものなり(編者識)
△海上保険会社の起原 私は月日は覚えて居りませぬけれども、銀行業者として時の大蔵卿――其時分に大隈伯爵が大蔵省の事務を統べられて居つたです。或る一日故岩崎弥太郎氏と共に伯の所に何か予算の寄合か何かで参つて、其時に談偶々保険のことに及んだ。当時岩崎氏は海運の事に専ら力を入れられて、即ち三菱汽船会社と云ふものが大に力を伸すの時代でありました。而して是が唯運送ばかりでは困るものですから、併せて丁度銀行類似の三菱為替方と云ふものを拵へて其為替方で一部が多くは米其他の商品に対して荷為替を取扱ふと云ふことをやられて居つたのです。私共も銀行業者として其事をやつて居つた、表面は違ひますが其行ひは一である。ソコデ此銀行業者が保険が無いと困ると云ふ話を持出して、どうか之をやりたいものであるが三菱などはどう考へるか。出来ぬと思ふか、或は成り得ることゝ思ふかと云ふことを話しました。其時に岩崎弥太郎と云ふ人が、どうも今保険事業を奨めて見たところが、資本を出す人もなからうし、又保険を付ける人も充分にあるか否やを疑ふ。自分の考では尚早しと云ふ説であつた。私は是に反対して、さうでないと思ふ。君は総ての事に至つて迅速に着目して、又其事を決行なさる御人であるが、此事に付いて踟蹰するのは、寧ろ危み過ぎたことである。私はどうにか出来得ることであると思ふと斯う言つて、両人の間に遅速如何に付いて意見を闘はせたのでございます。此事は若し今日大隈伯が此処に御出でになつて居りますと、尚其証拠人があつて、必ず御記憶のよい大隈伯のことでございますから、いや、それは何月何日に何処の室であつたと云ふ御記憶があらつしやるだらうと思ひます。其頃大隈伯は今仏蘭西の公使館となつて居る、九段下の雉子橋から出た所の御邸に御住ゐであつたと記憶して居ります。其時に大隈伯が総て新進の事業が極く御好きな方ですから、それはやれやうからやつて見たら宜いではないか、
 - 第7巻 p.576 -ページ画像 
悪く云へば殆ど教唆的に誘導なすつた。私は最もやりたいと思つたから、頻に心配をして見たが資本者になる人に甚だ苦んだ。其時分に通常の商売人に相談しますと、そんなことが何んで出来ますかと云ふやふなことで、甚だ疑を持つて能う聞いて呉れぬ。而して其時分でもマサカ五万や七万の資金では出来ぬ仕事で、多分五十万円位の資本で組立て居ると思ひます。私は海上保険の歴史を調べて来ませぬから、玆に其成立が幾許の資本であつて、其時日が何月何日であつたと云ふことは申上かねますが、是は海上保険会社の歴史に付いて調べると判明致します。
△海上保険会社と華族 さて大に窮しましたが、其処に一つの好い思案と云ふことが多分明治九年でありましたか、此東京、横浜の鉄道を華族の仲間に政府が売らうと云ふことで、売買の契約が成立つて、さうして数回払込んで出来たならば、鉄道を政府から其会社に引渡すことになつて居つた。それが矢張り私が立入つて心配した事柄なんです。所が其事柄が十一年から十二年に掛けてゞありましたらう。丁度今の上野に「ステーシヨン」の出来て居る青森に達する青森鉄道、是が其時分に華族等が主唱になつて是非建設すると云ふことで組立てられた。其組立てられる事柄は、是非とも華族が其の仲間に入らなければならぬ。殊に故岩倉公が熱心なる主唱者であつて、又強い干渉をして、各華族を圧迫的に勧められた。そこで京浜鉄道を政府から払下の約束をした華族が二十二家かありましたが、其二十二家の華族さんは一方にも金を払はなければならぬし、又奥羽鉄道にも資本を持出さなければならぬと云ふ場合になりましたから、今日になつては良い事ならどんなにしても遣繰りも付きませうし、融通頗る便利であるが、華族は其時分は他から金を借りると云ふことは曲事たるべし位に考へたでありませう。京浜鉄道のために約束した者が、今の奥羽鉄道の方にも資金を出さんならぬと云ふことになると、二重に資金を出さなければならぬことになるから、それは自分の家憲としてはどうしてもいけぬ。是非岩倉さんの奥羽鉄道を成立せしむる積りであるから、我々の家でも相当の資本を出さなければならぬと云ふことであれば、京浜鉄道の契約は解いて貰らはなければならぬと云ふのです。私はそれを不可として、頻りに折角出来た契約だから継続なさいと勧めたけれども到頭其事が残念ながら止めになつた。それは止んだけれども、其納めた金が其儘になつて居つたと云ふ部分があつた。
是ぞ機乗すべしと云ふ者から、私は華族さんの二十二家の御方々に御勧めした。是非あなた方の資本を以て此海上保険を御作りなさい。必ず後には大なる利益を生ずると思ひます。或は御迷惑を掛けるかと思つた。但し、何も悪意を持つてさう云ふ御勧めをした訳ではありませぬ。段々勧めて見ましたところが、華族さんの御家令の方々の言ふには、保険とは何事ぞ、危険と云ふことは極く悪いことだ。保険なんどと云ふことは兎角に困つたことである。其危険を保険するから保険である、さうすると危険なことはするなと一方に言うて居ながら、保険会社を作れと云ふのは、是位矛盾な話が無いぢやないか、斯う云ふ話には私も弁解に苦んだ。今聞くとそんな馬鹿らしいことを生きたる人
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の口から聞くかと仰しやるか知りませぬが、決して嘘ではない。皆さんがさう仰しやつた。あなた方は言はないけれども、甚だ此の弁解には私は窮した。
△海上保険会社の難産 丁度其時分に到頭其会社が成立の場合に、主として事務を執つたのが益田克徳と云ふ人であります。三井の元老として実業界に今尚雄飛されて居る益田孝さんの弟さんで、不幸にして既に歿くなりましたが、此人が法律の学問を修め丁度其頃司法部内に職を執つて居つた。欧羅巴に行つて帰つて来られた方で、先づ法律家で一通り商売上のことなどに趣味を持つて居つた学者であつた。学者とまでは云ひ得られぬかは知りませぬが、其人がやつて見たいと云ふことで、是非君がやるが宜からうと勧めた結果、遂に今の保険会社が出来る様な材料、即ち危険が悪いと云ひながら、其危険の保険が必要で有と云ふことは自家撞着であると云ふので、何とも話が出来ぬ、因つて保険と云ふものは危険でないと云ふことを説き明す途があるかと云ふことを相談した。益田さんは大に苦んだか、又は左迄苦まなかつたか分りませぬが、直に取調をして、意見を御持出しになつたのを今尚覚えて居ります。益田さんの説では凡そ危険と云ふことは――益田さんの説ではない欧羅巴人の学説を請売したのです。(笑)凡そ危険と云ふことは直接にチヨツト当れば大変危険である。併し之をヅツトと広く平均に掛ると、危険が自然と消滅してしまふ、チツトモ危険でなくなつてしまふ。ソコデ保険事業と云ふものが唯其の一六勝負的に表が出るか、裏が出るか、裏が出たら百円出さう、表が出たら百円取らう、と云ふのは実に危険だ、それを冒険しちやいかぬと云ふのであるけれども、それが多数になつて来ると、凡そ平均して例へば斯う云ふ災害があると云ふと、海上で物の沈没する度合は斯う云ふ船で、斯う云ふ仕組でやれ、斯う云ふ分量で済むと云ふことが分る。多教の人がそれの被保険者になる。皆で平均して其の仕事を分担する訳になる。保険業者と云ふものは、唯其真中に居つて媒介する理屈になるのだ、保険と云ふ直接の文字から云ふと、危険を請合ふと云ふことになるから危険であるが、多数の人の万一を予防するために、平均して其の一部の仕事を負担する。それを丁度其中間の問屋が御世話をすると云ふことであるならば、保険会社が保険するのでなくして、被保険者が矢張り自身を保険すると同じ訳である、其理由は斯々と、英吉利に於ける保険の学説、保険に於ける実例を調べた。斯んなことは今此席で申上げるまでもない。三十有余年前の話ですから、其御積りで御聴き下さい、ソコデ華族の御家令中に今の講釈を提供しまして、斯う云ふ訳のものである。但思ふ通りに多数が被保険者になるかならぬか一の問題である。若しそれが少ないと、危険が無いと云はれない、それ故に力有る人でなければ玆に資金を出す訳にいかぬ。之を首にかけて我々が斯の如き商売を勧めてやると云ふことでは、どうも此の事業はむづかしいと思ふ。銀行業と雖も多少の危険が無いとは云はれないが先づ少い。併し保険事業はさうはいかぬと思ふが、新しい事業であるから将来は大に望がある。故に此事業に対して、最初鉄道払下の為めに払込んだ金を、資金として投ずることが至極宜からうと思ふ。御奮
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発なさいと勧めた。ソコデ初めて成程然り、此の金額の中を殆ど三十万円ばかりのものをお前の説に応じて出さう、お前に任せやうと云ふことになつた。○下略


塚原夢舟翁 (編纂代表者山崎米三郎) 第六四―六六頁〔大正一四年五月〕(DK070073k-0008)
第7巻 p.578 ページ画像

塚原夢舟翁 (編纂代表者山崎米三郎) 第六四―六六頁〔大正一四年五月〕
 君○塚原周造は海上保険の最も必要なることを早くから感知してゐたので、已に明治六年に一論文を草して上司へ提出したことがあつたが、次で明治八年郵便汽船三菱会社の成立を見るや、同社が外国荷主の請求に依り発行する英文の積荷証書には、其の末尾に『損害争議の場合には、日本駐在英国公使閣下の仲裁に依りて決すべし』と明記することになつてゐるので、日本政府として勿論黙過し難いことであつたが遺憾ながら姑らく不問の態を装ふより外に仕方がなかつた。何故かといふに、若しも三菱会社が此の附託を拒絶すれば、外国人は荷物を積まぬといふ結果になるからであつた。斯ういふ事情もあつたので、君は急いで海上保険法案の起草を企て、其の取調に着手して見たが、保険法案の如きは頗る難解の法規であつたから、君は横浜在留の公証人で、且共同海損精算人をしてゐた、英国人のタルボツト氏に依頼して、日本に適用する海上保険法の取調をしてもらつた。するとそれが一年計りかゝつて漸く脱稿を告げ、君の手許へ届いたけれども、保険に関する専門語の訳字などがまだ無かつた当時の事とて、それを翻訳するのは一難事であつた。そこで君は益田克徳氏(益田孝男の令弟、君とは開成所の学友で、後に東京海上の支配人となつた人)と二人で分担して共に大いに研究し、難解の所はタルボツト氏に質し、殆ど一年許り没頭して海上保険条例草案の外に、会社営業用の保険約定証書其の他の書式類等をも作り上げ、条例草案の方は政府に提出して詮議を請ふことにした。然るに此の時丁度商法編纂中であつたので、折角君等が苦心惨憺の末に出来上つた草案も遂に詮議するに至らなかつた併しながら営業用書類の方は新会社の用に供することを得た。
  ○塚原周造ハ弘化四年茨城県結城郡大園木村ニ生レ、文久年間江戸開成所ニテ英学ヲ学ビ、明治五年十月大蔵省九等出仕トナリ、翌六年七月駅逓寮八等出仕、九年五月駅逓権助トナル。


択善会録事 第六回・第一七―二七頁〔明治一一年一月〕(DK070073k-0009)
第7巻 p.578-579 ページ画像

択善会録事 第六回・第一七―二七頁〔明治一一年一月〕
○上略
○原善三郎○第二国立銀行頭取ハ保険事業ノ考案ヲ演説ス、其旨ニ云、方今銀行ノ業ヲ創ムル者日ニ多ク随テ其紙幣ノ増殖スルハ給需媒介ノ途ヲ盛ンニスヘクシテ甚タ喜フヘキ所ナリト雖トモ、顧フニ物品運輸ノ途ニ於テ未タ保険ノ備ハラサレハ凡ソ商賈貸借ノ間甚タ安ンセサル所アリ是ニ因テ第一銀行ハ其荷為替ニ就テ此端緒ヲ開キタルハ誠ニ銀行者ノ欽フヘキ者ト謂ツヘシ、敝店ノ如キハ嘗テ前橋(上州)ト糸荷ノ通商ヲ以テ保険ヲ要用ナリトセハ近日将ニ着手アラントス、因テ要スルニ凡ソ銀行者ハ皆此業ニ力ヲ尽シテ事ノ大小ヲ論セス物ノ多少ヲ撰ハス徐々之ヲ施行セハ、漸次一大業ヲモ成シ得ヘシ是ヲ以テ敢テ諸君ニ望ム所ナリ、知ラス諸君ハ已ニ此等ノ先見ヲ有スルヤ、未タ其実際ニ顕
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ハルヽナキヲ以テ之ヲ求ムル所ナリ、而シテ各此業ヲ営マンニハ其事ノ大小ト物ノ多少ヲ撰バスシテ且各地方ニ就テ保険ヲ要スヘキノ物品ヲ定メ、復タ此物品ニ就テ着手先後ノ順序ヲ定メ、而シテ其始メニハ某品一二科ヲ限ルモ漸クニシテ二品三品ニ及ヒ、遂ニハ凡ソ通商ニ関スル物件ハ皆悉ク保険ヲ行フヘキニ至ランコトヲ要スヘシ、各行此目的ニ依テ力ヲ尽セハ総テ荷為替ノ物品ハ、世間一般保険ヲ帯ヒサレハ運輸スヘカラサルノ風ヲ成シ、玆ニ至テ吾輩ノ創志モ全ク貫徹シ更ニ保険会社ヲ創立スルモ又難キニ非ルヘシ、今日敝店ハ渋沢氏ノ先鞭ニ次テ聊其事ヲ挙ケントスルニ当リ、敢テ微衷ヲ吐露スルノミ願クハ諒セヨ
○中略
○右会議演説等畢テ後諸氏更ニ晤談アリ、左ニ其一二ヲ記ス
 渋沢氏曰、海上保険ノ業ハ商務ニ要用ナルヲ以テ敝行ハ一己ノ荷為替ニ限リテ之ヲ行ヒタリ、今者同業者均シク此業ノ開設ヲ企望スルヲ見レハ益其緊要タルコトヲ信スヘキナリ、近頃聞ク三菱会社ハ其店内ニ於テ保険ノ業ヲ挙行スルト余謂ラク是其創ムルニ易クシテ行フニ難キモノニ非ルヲ得ンヤ、何ントナレハ従前其航海ノ事業ヲ以テ責任ノ存スル処軽少ナラサルニ、又保険ノ科業ヲ増加セハ縦令両業ヲシテ能ク分界アラシムルモ素ヨリ一根両生ノ理アルモノナレハ其互ニ関係ヲ有シテ保険一料ノ為メニ利アラサルヘシ、或ハ謂ハン特リ其両業ヲ区別スルノミナランヤ、彼是店舗ヲ別ニシ両業会計ヲ共ニセス、而シテ損益ヲ同フセサレハ縦令一根両生タルモ何ノ難キカ之レアラント、其然リ而シテ余之ヲ外邦ニ鑑ミルニ英仏支那等ノ如キ概ネ其初メハ船行司ノ開業スル所ニシテ終ニ皆敗レヲ取ラサルモノ鮮シ、因ツテ謂ラク其始メニハ皆自ラ船舶ヲ有スルヲ以テ手易ク創業シ得ルモ、所謂一根両全ノ事業タレハ若シ一方弊害ノ生スルトキハ必ス一躰ニ感触セサルヲ得スシテ、此時ニ当リ規則厳ナリト雖トモ条例密ナリト雖トモ恐クハ以テ実際ノ変動ニ抵抗スル能ハサルヘシ、然リト雖トモ若シ三菱会社ニシテ其区分名実ヲ限界スルニ於テ毫モ一根両生ノ理ヲ有セスシテ能ク両業ノ並立スルコトヲ致セハ、則吾輩為メニ喜ヒ有ルノミナラス実ニ通商上ノ一大幸福ト謂フヘキナリ、諸君尚詳カニ高慮セラレンコトヲ要ス
 原善三郎曰、我輩ハ保険ノ業ヲ以テ緊要ト為スト雖トモ世人未タ其念ニ粗ニシテ若シ運輸ニ損害アレハ銀行ハ其波及ヲ被ムリ、世人ノ放惰ニ由ツテ銀行ハ毎ニ苦シマサルヲ得スト謂ツヘキナリ、因テ同業者ハ競テ保険ヲ行ヒ平素ノ荷為替ハ以テ取組マサルトセハ畢竟盛行スルニ至ルヘシ
 又木元衛曰、我旧藩ノ日保護会社ナルモノアツテ海上保険ノ業ヲ行ヒ、今日ノ第五銀行ハ此ノ一変スル所ナリ、然而シテ其規程ノ概要ハ保護会社ノ滊船ヲ用ヒ藩政ノ威ヲ以テ普ク封内ニ諭告シ保険ヲ帯ビテ物貨ヲ販運スル者ニハ保護会社ヨリ其金ヲ貸与シ、以テ其業ヲ開張センコトヲ勉メタリ、然ルニ凡ソ一年半ヲ経テ聊カ危険ニ罹ラスシテ衆皆日本小海ノ航路ハ敢テ保険ヲ要スヘカラスト謂ヒシヨリ遂ニ其事業ヲ信セサルニ帰シ、因テ廃止スルニ至リシナリ