デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
5節 其他ノ金融機関及ビ金融問題
1款 信託
■綱文

第7巻 p.766-772(DK070098k) ページ画像

明治34年11月(1901年)

是ヨリ先、明治二十年代末ヨリ栄一信託事業ニ関心ヲ抱キ、明治三十二年七月栄一ノ嗣子渋沢篤二及ビ穂積陳重欧米ニ遊ビタルトキ、穂積ニ托シテ北米合衆国ニ行ハルル信託事業ニ付調査セシメ、更ニ同三十三年第一銀行行員高木正義米国ニ遊ビタルトキニモ信託事業ニツキ調査セシムル等、信託事業ニ付キ研究スル所アリシガ、是月金曜会ニ於テ信託事業ニ関シ演説ス。尋イデ同三十五年一月米国人チーソン、ミラ両氏ト信託事業ニ関シ意見ヲ交換ス。


■資料

竜門雑誌 第一六二号・第三一頁〔明治三四年一一月二五日〕 ○金曜会(DK070098k-0001)
第7巻 p.766 ページ画像

竜門雑誌 第一六二号・第三一頁〔明治三四年一一月二五日〕
○金曜会 去十一月十五日上野精養軒に於て開会したる金曜会に於て青淵先生を招待して米国に於ける信托会社Trust Companyの談を開かれたる由なるが、其演説筆記は次号の本紙上に掲載すべし


竜門雑誌 第一六四号・第一―三頁〔明治三五年一月二五日〕 金曜会に於ける青淵先生の信托事業談(DK070098k-0002)
第7巻 p.766-768 ページ画像

竜門雑誌 第一六四号・第一―三頁〔明治三五年一月二五日〕
    金曜会に於ける青淵先生の信托事業談
 本編は青淵先生が昨歳十一月金曜会に於て演説せられたるものゝ筆記に係れり
此金曜会より御招きを蒙りましたのは先日でございましたが、必ず参上いたすと御請を致しながら、不快の為に其当日に至つて已むを得ず罷出で兼ぬると云ふ事を御断り申上げるやうな次第に相成りました、諸君に甚だ御違約を致して相済みませぬでございました、続いて尚ほ当月の会には是非出席するやうにと云ふ再応の思召を頂戴いたしましたから、今度は必ず参上いたすと御請を申上げまして、幸に所労等もございませぬで、今日皆様に御会ひ致しましたのは私の幸ひでありまするし、且つ御叮嚀な御饗応を戴きましたのは、誠に有難く御礼を申上げます
そこで之を申上げたならば諸君を利するであらうと云ふ良い考案も、世の中には沢山ありませうが、不幸にも私の頭の中にさう云ふ事がございませぬ為めに、少し有り触れた問題でございますけれども、亜米利加に行はれて居りまする信托会社の事に就て一応取調べました由来を申上げ、尚ほ日本に之を組立てるにしては如何なる方法にしてドウ云ふ運びを取つたら宜からうと云ふことをば、愚見の一二を申上げ、
 - 第7巻 p.767 -ページ画像 
又他に種々此事に就ては説を為す御人もあるやうでございますで、それ是れを能く諸君の御攻究を請ひ上げたいと考へます
信托事業の亜米利加に行はれて居りますことは、敢て昨年一昨年頃から始めて知つたのではございませぬ、殆ど五七年以前に承はり居りまして、どうか其要領を得たいと心懸け居りましてございましたが好い機会も無く経過致します中に、一昨年倅と穂積陳重が欧米へ旅行いたしますに就て、丁度穂積に托して、紐育に行つたならば内田領事に相談して、信托事業の亜米利加に行はれて居る大略を聞合せて持帰るやうにして欲しいものだ、どうも経済界には大いに要用のものであらうと思ふし、のみならず普通社会の安固を保つ為に重要な方法だと云ふやうに承はり居ると云ふ事を相談いたしました、今まだ日本に滞在して居られるやうでございますが、紐育の領事の内田君が穂積からの伝言に依つて大要取調べて送つて寄越されましたのは、一昨年の冬頃かと思ひます、一と束に致して信托会社の効用並に其組織の順序等をば、美濃紙に殆ど十四五枚書き連ねて送り呉れましてございます、それで先づ簡単に信托会社の体裁は知れると申して宜いやうでございますが、併し尚ほ極く其詳細を知ることが欲しいものだ、並に其組織に付き或は法律上の制裁に於て、或は営業上の実況に於て、今一層密にすることが出来たならばと心懸け居ります中に、丁度昨年私の従事して居りまする第一銀行の行員で高木正義と申す人が、自分の用事で亜米利加へ行きたいと云ふので、自分に対して賜暇を請ひましたから予ての約束であるから行くが宜からう、就ては丁度好い折柄だから銀行からも、此の信托会社及び彼国の営業上の取調方を同人に命じましてございます、そこで私用の片手間に其任務を帯びて参つて、丁度十月末でございましたか亜米利加へ参りましたが、亜米利加に滞在したのが六箇月以上七箇月ばかりも居りました、其間にシカゴ、紐育、フヰラデルフヰヤ、華盛頓あたりの信托会社に付きまして、或は社長若くは或る部分は法律家、又彼地に居る領事にも聞きましたと云ふやうなことで、各方面から稍々調査し上げた者が、一の報告書となりました即ち此処に一冊を携へて参りましたが、信托会社業務調査報告書と云ふ標題を以て、例へば信托事業の定義であるとか、業務の順序であるとか其組立方であるとか、其業務の性質であるとか、或は役員の配置であるとか、営業上に対する大凡の部類別、又は経費若くは収入或る会社に於て取調べた所では、斯る費用斯る収入であると云ふことまでそれから其の書式類なども取調べました、さうして同人の意見としては、日本には斯る振合にしては宜くはないかと思ふと云ふ、最終に其意見までも玆に高木の存じ寄は書き連ねて、一の小冊子として差出したのでございます
それで先つ亜米利加の景況に就きまして、信托会社が如何に働いて居るとか、如何なる効用を為して居るとか云ふことは、一応は見ましたけれども悉くも究理いたしませぬ、願くは此書はまだ余りがあると思ひますから、明日にも諸君に差出しますでございますゆゑ、まだ御覧のない方はお閑に御一覧を戴きましたならば、調査した者も大いに喜び、第一銀行も誠に満足に存する次第でございます、此定義とか、若
 - 第7巻 p.768 -ページ画像 
くは業務の区別とか、亜米利加に於ける有様は今申上げましたので之を又極く詳かに覚え、書物にあるのに玆に講釈がましく申上げる必要はなからうと思ひます、唯大別しますると此の信托事業が二つに別れて居るやうでございます、即ち遺産管理とそれから諸会社の株金社債等を発行する場合の其の信用の補足、それで一方は殆ど社会的に甚だ必要、通常の社会に於て安寧を保つとか、無事を求めるとか云ふに於て甚だ必要の事柄、併し極くジミな信托会社の効用と云ふて宜いやうでございます
第二に申します諸会社の債券発行の場合に、殆ど其保障性質の如くまで立入つて、其会社の信用の不足をば補ふ、其債券が十分に流通し得られる、廻転の多からしむると云ふやうな働きに至ると、殆ど経済社会の一機関となり得るやうに考へます
それで亜米利加の現況は今二つの別ちを、どの地方では如何に利用して居るか、何れの地方ではドウ云ふやうに行はれて居るかと云ふと、紐育は今の第二の方法に依つて此信托会社が重もに働いて居る、之に反してフヰラデルフヰヤでは全く前者の趣意に依つて多く行はれて居る、即ち遺産管理と云ふ方が最も重もに行はれて居る、其効用を論じましたならば、大いに区別があつて一方は華美であり一方は関係が大であり、一方はジミであり其一つ一つに行渉つて行きます関係は小である、併ながら大いに又個人々々の遺産の管理或は後見人とか親戚とか云ふ者が、或る遺産に就て道義に外れた行為を防ぎ、独り道義に外れた行為を防ぐのみならず、殊に経済的の主意に反した事を防ぐに於ては効用は大である、斯う云ふやうに畢竟は見える、故に此二つの利器は何れが大で何れが小だ、何れが是で何れが非だと申す優劣を下すことは、決して出来得ませぬでございませう、共に我国には利用いたしたいことゝ考へるのでございます(未完)


竜門雑誌 第一六五号・第三―八頁〔明治三五年二月二五日〕 ○金曜会に於ける青淵先生の信托事業談(承前)(DK070098k-0003)
第7巻 p.768-772 ページ画像

竜門雑誌 第一六五号・第三―八頁〔明治三五年二月二五日〕
    ○金曜会に於ける青淵先生の信托事業談(承前)
そこで私共の玆に信托事業に於て今目前に考へますのは、或はフヰラデルフヰヤ州の利用して居る所も決して思はぬではございませぬが、寧ろ紐育で利用されて居る点に於て、此信托事業に付ては早く成立せしむることを欲しいと云ふ観念を余計に持つのでございます、何故なれば諸会社の社債の取扱などが其現在の所で見ると、内地人だけの取引にしても余程安心の欠ける所がありますからして、従つて之に付ての信用がまだ発達いたさぬやうに見えますのでございます、既に此の社債に就ては法律家も種々の説を言ふやうで、或る人などは社債に対しては、其会社の社債は先取権を持つ程のものであるなどと云ふことを言ひますが、併し又例へば社債を発行してあつてもが、其他に例へば其財産が他の人に抵当に入れてあれば、社債は普通配当、普通の日歩しか持たぬ訳になる、全く登記されたる一種の抵当に打勝つことは出来ぬ、若し次に言ふ如くであつたならば、此社債発行の会社が果して其後に其財産を他に抵当に入れないと云ふことは、債権者が決して確め得ることは出来ぬ、余程此の社債と云ふものに付ては、其会社の
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実況、総ての有様を呑込まねば持つことは出来ぬ訳になるで、即ち此の社債の行はれる区域と云ふものは、極く狭い範囲ならでは出来ぬやうに相成つて行く、即ちモウ相成つて行くではない、今の社債の取扱の拡張点は勢ひさう云ふ事情のある為であらうと思ふのでございます一躰此の会社が工業なり商業なりに、成るべきたけ己れの資本で経営するが宜からうと云ふことは、極く堅固の余り急進せぬやうにと云ふ方の主義からは尤も千万である、併ながら既に高木が調べた亜米利加の事態に就て論じてある所でも、亜米利加なども其昔事業の進まぬ間は、種々の商売若くは工業会社が、会社組織に於て其の運転資金の一部分位は他よりの借財に依ると云ふ有様で経営したものである、併し事業の進むに従つてドウしても此の資金と云ふものは、さう云ふ分割法では得られぬものである、果して其事業者が皆それに応ずる資金を持つと云ふことにするは甚だ不便であり且つ不利益である、故に亜米利加あたりは甚だしきは五分の一の資本を以てあとは大抵他の資本で事業を企て、且つ之を完成せしむると云ふ如き風習を為す、蓋し其処置は危険ではあるが寧ろそれは軽便である利益である、今日この経済界の不振と云ふことに就て、全体アヽ云ふ仕組だから悪いと我々共に小言を申しますが、ちよつと比較を申すと東京よりは大阪で、大阪の工業会社が丁度今のやうな殆ど起業資本が足るか足らぬで運転主は大抵他借に宛てゝ、所謂財政略と云ふもので営業をする、場合に於ては危険と云ふことは勿論で、強ちにそれを以て唯一の手段と云ふたならば、遂に堅固と云ふことを失ふと云ふ議論は免れませぬ、私共の先輩の井上などと云ふ人は、最もそれを頻りに小言を言ふて居ります、私共もそれに反対して借財政略甚だ可なりと申しませぬが、さらば此の経済社会を己れの資本ならではモウ当てにならぬものだ、若しそれが宜いと云ふたならば、殆ど経済学も要らなければ、流通の便利も遂に杜絶されるやうになりはせぬか、モウ一つ極く区域を狭め、狭義に之を考へて見たならば、モウ我が持つたものならでは当てにはならぬ、手形の取引も寧ろ危険である、甚だしきは物と物と交換せぬければ完全なる取引ではないと、随分極端に論したら言ふやうになるであらう、若しそれをして手形取引は便利であると云ふたならば、今の亜米利加の五分の一の資本があるならば、事業は発達するものであると云ふことは、極端と言ふか知らぬが、決して不道理とは申せぬと考へます、左様に事業が成るべきたけ他の資本に依り得ると云ふことが、或る点に於ては尤もとなつて参ると云ふと、サアそれに対する安全なる方法、即ち其の少ない資本でも他の之を補足する方法に相当な信用はドウしても無くてはいかぬと云ふことは、亦従つて生ずるのであります、即ち亜米利加殊に紐育あたりの信托の事業のいやましに繁昌する所以であつて、而して是等は十分に他の会社に利用されて居るものと思ふのでございます
私が今申上げました意見は、単に内地の取引だけでもが、ドウしても此の商工業会社が己れの資本のみで営業するのでは、ドウしても手が伸びぬとある以上、他の資本を入れるには、此信用を補足する方法即ち信托事業を以て之を補つて行くと云ふことは、大いに利益ある手段
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ではないか、併し是は内地だけに於て尚ほ然り、若し之を一歩進めて行きましたならば、海外資本の輸入法には、外国人がアレならばと信用する信托会社が成立つて参りましたならば、日本の鉄道にあれ其他の事業にあれ、資本共通の一媒介者たることは、確かに私はなり得るであらうと考へるのでございます、而して又フヰラデルフヰヤ洲あたりに行はれて居る個人々々の財産管理に於ては、其点に就て高木が調べたのに、其人の遺産を管理するに便利なる場合と不利益な場合と、会社に於て働きて鈍い場合と又鈍い代りに異変の少ない場合と、其辺の論理は実際に就て人の論究してあることを書き移してございます、故に是は私が今玆にさう詳かに覚えて居らぬ、講釈よりは書物に就いて御覧下すつた方が宜しうございます、幸ひに是が此通り世の中に行はれて行つたならば、甚だしきは此の遺産相続とか人の財産の委托とか云ふことに付いて、訴訟は大いに減少して、為に弁護士の御方は大きに御商売が閑になると云ふ小言が出るかも知れぬと思ふ位でございます
先づ必要と云ふ程度に於ては、今申上げた位で御了解下さるだらう、私も是より尚ほ申上げる点はございませぬが、之をして日本に組立てしむるに付て、如何なる方法が宜しいか、又今日は即ち其時機であるかといふのが、モウ一つの攷究すべき要点ではないかと思ひますのでございます、私は甚だ時機と思ひます、どうか是非完全なる信托会社を組立てたいと思ふのでございます、が唯此会社の組立は余程正確に且つ稍々広大に組立て得ねば、前に申す二つの効用をして十分に世の中に推し拡めることは出来ぬではないか、多く是までの新らしい事業は、偶々一つ成立つて追々にそれが世の中に知られるやうになる、第二第三と限り無く出来て行つて、仕舞ひには甚だ厭ふべきやうな有様になつて、縦し最初の分は兎に角持続して行くにもせよ、為に幾分か最初盛んに成立つたのも、其信用に幾らか傷付られるなどと云ふことは、保険事業などが、さう云ふ姿に成り行くやうでも甚だ困る、のみならす唯単純な組立であつたならば、或は大きくもなり得られますまいし、又従つて信用の程度も低いと云ふやうになりはせぬか、然る上からには何か其処に特殊の補ふものでもあつて、組立てられると云ふやうな途でも無ければ大きくしてシツカリと云ふことは六ケしい訳である、併ながら又一方から考へて見ますると、或る命令とか法律とか云ふものに拠つて組立てたるものでありますと、之を普及せしむると云ふのに甚だ難い、而して又信托会社と云ふ方に就て、若し之を法律に求めると云ふことであるならば、目前の所ではまだそれ等の法律はございませぬ、是も法律から先に拵へてと云ふことであつたならば大変……ではないかも知れぬが、相当な歳月を送つて行かなければならぬ、或は又丁度興業銀行と云ふものゝ法律が出来て居る、且つアレは大蔵省の管理に属して、設立委員は大蔵大臣が命じて、それ等の取調に依つて株を募集する、アレは幾分か其利息を補助するので、あの会社に極く簡単ながら信托事業と云ふものが、矢張り法律上記載されて居ります、若し或は此興業銀行が相当な手続を以て堅固に組立てられるならば、此興業銀行をして、先づ前に申した所では第二になつて居
 - 第7巻 p.771 -ページ画像 
る所の会社間に入つて債券などの取締をする、或は信用を補足する為に保障同様の位置に立つと云ふ業務は、今の興業銀行に自から為し得られるやうな方法に仕向けて行つたならば如何であらうか、但し此案に就ては一の老成者の説には、どうも亜米利加は成程銀行事業を堅固にして居ると云ふことを聞くけれども、自から此の債券の請負にでも立つとか、或は担保品の正確なることを認めてやると云ふ如き事務は、銀行業務とは殆ど種類の違つて居るものであるからして、寧ろ此の信托事業と云ふものには、銀行兼務は面白くないぢやアないか、縦令亜米利加がやるにも致せ、さうして見ると興業銀行の一部にせしむるには、信托事業の極く完全なものではあるまいと云ふ疑ひを持つ者もあります、是も大いに攷究すべき説と思ひます、併ながら亜米利加は現在此の信托と云ふ事業にも、前来述べ来つたやうになつて居りますし、更に一事業即ち銀行業務を、唯手形の売買をせぬだけで、殆ど預り金――貯蓄の姿なる預り金、又貸附も皆やつて居ります、銀行と殆ど撰まぬやうな業務を致して居るのでございます、それが亜米利加の実際に於ても、亜米利加の法律に於ても、亜米利加の学理に於ても甚だ障碍は無いやうに見えます、現在其有様でフヰラデルフヰヤなどのは三十年頃から組立てられて、最早七八十年の星霜を経て居ります、故に幸ひに日本の法律が興業銀行に信托事業が記載してある以上は、銀行をして信托事業を為さしむるは大いに齟齬はして居らぬ、故に会社の間に立つて債券の取締でもすると云ふ事業を、興業銀行に依つてすると云ふ組立にして行つたならば、是は即ち一の条例に拠り一の法に拠つて稍々堅固に成立ち得られべきものであるから、続々と其類似事業が起つて来て、為に前者の幾らか発達し掛けて来たものが毀損されることがないと云ふことになりはせぬか、唯さうなると一つ恐れるのは、仮りにそれで暫く宜いと見た所で、最初に申した信托の極くジミな且つ普く及ぼすと云ふ効能は、或は欠きはせぬかと恐れる。然らば此信托の所謂遺産管理に属する事業は如何なる手段で之を仕向けて行つたら宜からうか、高木は此信托会社設立に対する意見と云ふのには、それ等は多く各種の銀行に何か附則条例見たやうなものを附けて、やり得られるとしたら宜くはないかと云ふ如き意見を玆に添えてございますが、私はまだ是が安全な方法とも思ひませぬ、然らば之に代るに普く及ぼす信托の法を特に立てると云ふたら、前に申すものと同類のものが段々出来るやうになりますから、若しそれでなくすると云ふたならば、他の良い考案を見付けねばならぬのでございますが之を如何したら宜からうと云ふに至つては、まだ十分なる案と申上げるまでに至つて居りませぬ、或は若し今の興業銀行にして之を組立つて行つて、甚だ必要と云ふ場合は相当な土地に支店を置かれて、さうして其処までに普及せしむると云ふ策も果して出来ぬことはないでございませうか、又何か他の特殊の銀行事業見たやうな、相当なる政府の検査監督と云ふことが出来得る一つの業務に之を兼ねせしむると云ふ手段もないでもございますまい、宜しく更に攷究すべきものではなからうかと考へるのでございます、之を要するに信托事業が亜米利加に殆んど七八十年も、軈て百年も行はれて居るが、今日は最も其効能
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が多く業務が繁くあると云ふことは、皆見て来た人の実談である、さうして其行ふ事務は今申上げる通り二種に別れて居つて、ドチラも共に欠くべからざる要務である、今日日本の金融は逼迫して居る、事業は衰退して居る折柄、今のやうなものが完全に成立ちましたならば、決して其一つに依つて他の各種の衰退を防ぐとか、信用を補ふとか云ふことが出来得るものではございませぬけれども、併し相応に之を補足せしむる機関たるとは、疑ふべからざるものであらうと考へますから、今の時に当つて此の準備をして、斯かる有様に成立せしむるは、日本の経済を利用するに相当の務めであると云ふことは苟くも経済界に考を付くべき諸君は、宜しく御攷究下さるべき問題かと思ふのでございます
甚だ陳腐な説で一向問題でも何でもございませぬが、丁度前に申上げます通り数年来取調べましたで私自身が調査したではございませぬけれども、稍々心を入れて調べた結果、玆にまだ完全と申すことは出来ませぬが一つ出来て居ります、而して前に申します時事問題としては甚だ考ふべき価値があると考へますで、之を諸君に御覧に入れて良い御考が在らつしやつたら拝聴したい、斯う云ふ考でございます、甚だ失礼を致しましてございます。(拍手喝采)
   ○右ノ談話中「一昨年倅と穂積陳重が欧米へ旅行いたし」トアルハ、栄一ノ日記ニヨレバ嗣子篤二ト穂積陳重ガ明治三二年七月七日出発セル欧米巡遊ヲ指スモノナリ。
   ○明治三〇年代ノ初メ栄一ノ信託事業ニツキ調査・研究セシメタル事歴ガ、我国ノ信託事業史上最モ早キ事実ニ属スルコトハ、東大助教授加藤俊彦氏ノ我国信託事業史ニ関スル研究ニ指摘セラル。(昭和三〇年一二月発行ニ係ル「経済学論集」第二三巻、第四号所載、加藤助教授論文ヲ参照セヨ)


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK070098k-0004)
第7巻 p.772 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年
一月廿七日 晴
午前八時朝飧ヲ畢リ、浅野総一郎氏来リ一昨夜九州ヨリ帰京ノコトヲ告ケ、且今日米人チーゾン、ミラノ両氏会見ノコトヲ請ハル○中略十一時帝国ホテルニ抵ル○中略浅野氏ト共ニ米国人チーソン氏ミラ氏ト会見シ、瓦斯事業及信託事業ヲ談話ス、信托事業ニ関シテハ興業銀行ヲ以テ之ニ充ツルノ意見ヲ述ヘ、且ツ添田寿一氏ヲ招キテ両氏ニ紹介ス、細ニ信託事業ニ付テノ意見ヲ談論ス、岸精一氏中間ニ介シテ通訳ス
○下略