デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
5節 其他ノ金融機関及ビ金融問題
2款 日英金融商会
■綱文

第7巻 p.773-774(DK070099k) ページ画像

明治39年6月1日(1906年)

前年九月倫敦ニ設立サレタル日英金融商会ハ東京ニ支店ヲ設ケ、是日ヨリ事務ヲ開始ス。栄一ソノ顧問タリ。


■資料

銀行通信録 第四一巻第二四八号・第九〇五―九〇六頁〔明治三九年六月一五日〕 日英金融商会の設立(DK070099k-0001)
第7巻 p.773 ページ画像

銀行通信録 第四一巻第二四八号・第九〇五―九〇六頁〔明治三九年六月一五日〕
    ○日英金融商会の設立
渋沢栄一・園田孝吉・近藤廉平・加藤正義等の諸氏は昨年九月倫敦及白耳義等の資本家と同盟の上、資本金六百万円を以て日英金融商会を倫敦に設立せしが、今回右支店を仮りに東京麹町区内幸町一丁目「エクヰテーブル」保険会社楼上に置き、本月一日より事務を取扱ふこととなれり、抑々同会社設立の起因は今より四年以前にありて、当時外国資本家は、日本及清国の有利なる事業に向つて資本放下の希望を抱き、爾来本邦資本家との間に絶えず往復交渉しつゝありしに、昨年に至り外国資本家資本放下の希望愈々切なるものありし結果、同年九月前記の日英金融商会を設立するに至りしも、内外資本家の間に尚協議を要するものありて今日迄世に発表することを避け居たりしが、議愈愈熟して今回遂に之を発表するに至りしものなり、而して同商会の取締役会長はサー・マルカム・マツケーカン氏、取締役はエドマンド・デビス、サー・ジエームス・キング、サー・ミツチエル・タムサン(以上英国人)イー・クランキ、コロネル・タイス(以上白耳義人)の諸氏にして、日本側に於ては取締役として近藤廉平氏、顧問には渋沢栄一男、業務担当人には田中常徳氏之に当るなり、尚同会社営業の目的は十六箇条に渉りて範囲を極めて広く、其中主要なる箇条は
 一、国又は市其他の公共団体、会社、商店等の発行する債券、株等の応募、引受、所有、売買、保証等総て資本家又は金融に関する事務を営むものゝ為すべき一切の業務
 二、政府、帝国公共団体、会社、商店、個人の預金及貸付又は其負債の仕払若くは負債に対する利子仕払の保証、信用状の発行、約束手形、為替手形其他有価証券ノ発行、割引、裏書、金銭又は有価証券等の保証預りをなすこと
等にして其他仲買業、信託業、満韓の事業放資、礦物の採掘、売買等有らゆる営業を営み得ることゝなり居れるも、差向き国債、地方債及会社々債等に対する外資輸入の仲買事業に従事する筈なり


中外商業新報 第七三五二号〔明治三九年六月五日〕 日英金融会社支店設置(DK070099k-0002)
第7巻 p.773-774 ページ画像

中外商業新報 第七三五二号〔明治三九年六月五日〕
    日英金融会社支店設置
英国倫敦の資本家と渋沢栄一男、園田孝吉、近藤廉平諸氏の組織せる日英金融会社は今回其店事務を仮りに麹町区内幸町エクヰテーブル保
 - 第7巻 p.774 -ページ画像 
険会社の楼上に置く事となりたり、而して取締役会長はサー・マルカム・マツケーカン氏、取締役はエドマンド・デビス、サー・ジエームス・キング、サー・ミツチエル・タムサン諸氏にしにして何れも英国人なり、日本側にては取締役として近藤廉平氏、顧問には渋沢栄一男業務担当人には日本郵船会社の田中常徳氏其任に当る事となるべきも同氏は今尚ほ例の通り郵船会社事務に鞅掌し居れり、営業の範囲は極めて広くしてあらゆる業務に従事するやの噂もあれど、追つて業務の拡張を図るに至るべきも、差向き国債、地方債及会社々債等に対する外資輸入の仲介業務に従事する筈にて、未だ事務を開始するに至らず目下専ら準備中なりといふ
   ○「銀行通信録」ニハ商会トシ、「中外商業新報」ニハ会社トス。シバラク「銀行通信録」ニヨル。