デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
1節 海運
2款 共同運輸会社
■綱文

第8巻 p.37-80(DK080002k) ページ画像

明治15年7月14日(1882年)

是ヨリ先、東京風帆船会社・北海道運輸会社・越中風帆船会社各各政府ニ資金ノ貸与ヲ請願ス。然ルニ政府ハ各社ニ合併セル一大汽船会社ノ創立ヲ勧諭セリ。仍テ共同運輸会社ノ創立ヲ目論ム。栄一亦該社創立発起人ト為ル。是日、農商務大輔品川弥二郎発起人総代ヲ同省ニ召集シ、該社設立ヲ允許シ、更ニ同月二十六日命令書ヲ達ス。斯クノ如ク該社ハ政府ノ特許ニ拠リ創立セラレタルモノニシテ、其目的兵商二途ノ趣旨ニ出デ、資本金六百万円、其中二百六十万円ヲ政府ニ於テ引受ケ、年二分ノ配当ヲ受クベキ特典ヲ与ヘラル。


■資料

青淵先生公私履歴台帳 明治二十五年五月十日調(DK080002k-0001)
第8巻 p.37 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳  明治二十五年五月十日調
                    (渋沢子爵家所蔵)
明治十六年
  四月 共同運輸会社ノ創立ニ従事ス
  海運事業ヲ発達セント欲セハ、一会社ノ専有ニ任スヘカラサルヲ以テ、一団ノ有志本社ヲ設立スルニ当リ、其挙ノ経済社会ニ必要ナルヲ信シ、大ニ之ヲ賛シ、本社ノ世ニ公益アル所浅少ナラサリシカ、爾来海運上一大競争ヲ醸生シ、明治十八年九月ニ至リ、終ニ三菱会社ト併合シテ、今ノ日本郵船会社トナレリ


開国五十年史 下巻・第六九七頁〔明治四一年二月〕 【男爵 渋沢栄一】(DK080002k-0002)
第8巻 p.37 ページ画像

開国五十年史  下巻・第六九七頁〔明治四一年二月〕
                    男爵 渋沢栄一
 三菱会社は外国の汽船会社を圧倒して、沿海の航業権を其掌中に収め、我海運事業の為に貢献せし所極めて大なるのみならず、倉庫・保険・造船等の諸事業に尽しゝ所も亦甚だ多し。然れども独占の事業は由来其弊害を生じ易し、是に於てか、終に同社に対抗せしめんが為に共同運輸会社を創立するの議朝野の間に熟するに至り、余も亦其発起人中に列せり。而して此会社は明治十六年、東京風帆船会社・北海道運輸会社及び越中風帆船会社を合併して創立せられたるものにして、其資本金六百万円中二百六十万円は政府の持株とし、之に対する配当は年二分に限るの特典ありたり。○下略


中外商業新報 第一〇五五七号〔大正四年九月八日〕 侯○井上馨の功績 (四)(渋沢男爵談)(DK080002k-0003)
第8巻 p.37-38 ページ画像

中外商業新報  第一〇五五七号〔大正四年九月八日〕
    侯○井上馨の功績 (四)(渋沢男爵談)
共同運輸の対立 三菱運輸会社は明治七八年より十三四年の交に於
 - 第8巻 p.38 -ページ画像 
て、社運最も隆昌にして恰かも旭日の如かりしが為め、勢ひ専恣に流れ、我儘の振舞尠からず、之れが匡正を希望するものありたれど、何分相手が旭日登天の勢なる事とて如何ともする能はず、雌伏するの止むなかりしに際し、明治十六年四月に至りて共同運輸会社の創立計劃熟せり、共同運輸の資本金六百万円中二百六十万円は政府の持株に属せしが、其創立者としては益田孝・小室信夫・堀基・渋沢喜作氏及び予等を表面に立てたれど、実権者は品川弥次郎子《(品川弥二郎子)》にして、社長伊藤雋吉氏は其傀儡たるに過ぎざりき、而して其又裏面には井上侯の存在するありて、侯は共同運輸会社の創立に対して有ゆる便宜と努力を与へたり、謂はゞ井上侯は共同運輸会社の為に扉中の大本尊とも見るべかりし也、三菱会社の専恣なる態度は共同運輸の出現と同時に匡正せられ、創立後超へて二年、両者合併して今日の日本郵船会社を形成せり而して侯が共同運輸の創立に助力したる動機は、三菱会社の専恣が日本の商業貿易の発展に害あるものとし、之れが弊を矯むること、勿論其の一たるに相違なけれど、之と同時に共同運輸会社の船舶に対し補助、海軍の義務を負はしむる等、主とし優秀なる船舶を使役し、当時我海運業に対して強大なる競争者たる外国航海業者と対戦し、海上に於て国家的勝利を博せんとの決心を有したるは疑ふ可らざる侯の心事なりとす


実業之世界 第八巻・第一号〔明治四四年一月一日〕 明治の産業界政治界に遺せる品川弥二郎氏の猪突邁進の足跡(男爵渋沢栄一)(DK080002k-0004)
第8巻 p.38-39 ページ画像

実業之世界  第八巻・第一号〔明治四四年一月一日〕
    明治の産業界政治界に遺せる品川弥二郎氏の猪突
    邁進の足跡 (男爵渋沢栄一)
▲予の知れる二三の事蹟 事に当つて勇往邁進するは故品川弥二郎子なども、正しく其人であつた。予は子とは大分懇意にもして居たから子の生涯の一部分は知つて居る。勿論子の特長が全然勇往邁進、果断敢行、猪の如く突進する事のみであつたかと云ふ問題になれば、予も亦全然然りと答ふるものではない。が、子が我が産業界政治界に遺された事業中には、勇往邁進の賜が沢山ある。其二三の事蹟を語らう。○中略
▲三菱に対する猛然たる攻撃 それから十五六年頃に、品川子が首脳となつて起された共同運送会社《(輸)》だ。(同会社設立の由来関係等に就ては本号岩崎弥太郎の稿に就て見られよ)あの時の品川子の態度は実に猛烈を極めて居た。当時日本の海上運輸権を殆んど一手に握つて居た三菱家の態度がどうも横暴で、全然利益を壟断するといふ遣り方だ。征台の役や十年の戦争にも、国家に奉公したとは云ふものゝ、政府の方でも指導宜しきを得なかつた為め、宛然岩崎個人の私腹を肥す事になつてしまつた。一体国家事業を個人に任して置くから悪い。海上権を三菱の手から奪はねばならぬといふので、品川子の指揮の下に、益田孝君や小室信夫君、それに予も金融機関の関係上参与する事となつて愈々会社が成立した。世間では岩崎を海坊主だなどゝ云つた時だ。会社は三菱に対して無暗と猛烈な競争をした。
 当時、子は、官途に居られたので、直接社務をとつたのではなかつたが、益田以下の連中を励まして、寸毫も仮す処もなく、三菱に攻め
 - 第8巻 p.39 -ページ画像 
寄せた勢は、獅子奮迅とでも云はふか。勿論岩崎個人に対して恩怨のあつた訳ではないが、一度敵となると、打斃さずんば止まずと奮激せられた。一体ならば黒幕にはなつて居ても、当路の大官ではあり、遠慮して悪まれ役にならぬのが得策なのだが、子は敢て勇往猪突してその悪まれ役に当つたればこそ、今日の郵船会社も出来たのである。是れ品川子のなされた猪突の一つだ。
○下略


集会録事従明治十五年第一月(DK080002k-0005)
第8巻 p.39 ページ画像

集会録事従明治十五年第一月      (東京銀行集会所所蔵)
    ○秋季懇親会録事
明治十五年十月十五日、月番丸家銀行、第六銀行支店ノ二行盟主トナリ、芝紅葉館ニ於テ同盟銀行○東京銀行集会所同盟銀行ノ秋季懇親会ヲ開設シ、松方大蔵卿・日本銀行両総裁・加藤銀行局長ヲ招待シテ、其尊臨ヲ辱フス、詳録左ノ如シ
○中略
月番銀行ハ宴会ニ先タチ別席ニ於テ協議報道シタル条件左ノ如シ
○中略
第五 渋沢氏ハ本月初旬管船局長ヨリ演述セラレタル共同運輸会社ノ創設ニ付テハ、其株金ヲ募集スルニ当リ同業者中之ニ加入或ハ其得意先ニ誘導シテ之カ周旋ニ尽力アラン事ヲ望マレタルノ要ヲ演述シテ、一同之ヲ謹承セリ


竜門雑誌 第四八一号・第六二頁〔昭和三年一〇月〕 渋沢子爵と郵船会社 日本郵船会社創立以前の関係(伊藤米治郎)(DK080002k-0006)
第8巻 p.39-40 ページ画像

竜門雑誌  第四八一号・第六二頁〔昭和三年一〇月〕
  渋沢子爵と郵船会社
    日本郵船会社創立以前の関係(伊藤米治郎)
○中略
 共同運輸会社の創立 所が、此の東京風帆船会社の開業に先だち、明治十四年十月参議大隈重信氏の下野を動機として、薩長系政治的見地から一大汽船会社を創立して三菱汽船会社に対抗せんと画策し、渋沢子の前長官であつた参議井上馨氏が専ら其の采配を採り、時の農商務大輔品川弥次郎氏が其の急先鋒となつて、玆に共同運輸会社を創立するの気運となつた。これは実に明治十四年末から十五年へ掛けてのことであつた。此の時に当つて品川弥次郎氏は渋沢子を説いて、子の設立して未だ開業の運びに至らなかつた東京風帆船会社と北海道運輸会社とを合同せしめ、之れを基礎として更らに三百万円と云ふ当時にあつては相当巨額の資本を以つて、半官半民の共同運輸会社が出来上ることゝなつたのである。
 そこで渋沢子は益田孝・小室信夫・堀基・渋沢喜作等の諸氏と共に此の半官半民の汽船会社の発起人となられた。そして遠武秀行氏は後ちに此の会社の副社長に就任した。
  ○東京風帆船会社資本金増額ニ付低利資金ヲ下附セラレンコトヲ政府ニ請願セシニ政府之ヲ許サズ、寧ロ同様ナル趣旨ヲ出願セル北海道運輸会社及ビ越中風帆船会社ト合併シ、新ニ共同運輸会社ヲ創設スベキコトヲ勧諭シタリ。之レ共同運輸会社設立ノ源由ナリトス。此事ニ関シテハ第一款東京風帆船会社、明治十三年八月十日ノ項(本巻第五頁)参照。
 - 第8巻 p.40 -ページ画像 
  ○明治十四年十月政変アリテ参議大隈重信野ニ下ルヤ、従来彼ト特殊ノ関係ニアリシ三菱会社ニ対スル政府ノ態度一変シ、明治十五年二月二十八日第三命令書ヲ交付シテ、三菱会社ガ海上運送業以外ノ商品売買業ヲ禁ジ第一条、其社登簿最低噸数ヲ二万二千噸トシ増加新造ヲ計ラシメ第四条、上海航路就航船ハ十一節以上トシ第八条、運賃額不当ノ時ハ相当額ニ釐革セシムベキ第十一条等厳重ナル監督干渉ヲ加フルニ至レリ(第三命令書ハ法規分類大全第一編運輸門十第七四―七六頁参照)。
   而シテ品川弥二郎農商務大輔明治十五年六月十三日就任トナルニ及ンデ一層露骨ナル三菱会社圧迫ヲ策シ、東京風帆船会社其他ノ反三菱系海運業者糾合ノ計画ヲ進メ極力之ヲ援助ス。蓋シ品川農商務大輔ハ外務卿井上馨・農商務卿西郷従道等ノ意ヲウケ、大隈重信ガ下野後改進党ヲ組織シ猛然薩長閥政府ノ攻撃ヲ開始シタルニ対シ弾圧ヲ加フベク、先ツ敵ノ糧道ヲ絶ツ策トシテ大隈ノ金穴ト目セル三菱会社攻撃ヲ企テタリト云フ。玆ニ於テカ三菱会社並ニ改進党ノ機関新聞ハ直チニ共同運輸会社攻撃ニ鋒ヲ向ケ、同社ノ設立ヲ沮マントシタルモ、反三菱ノ感情高潮セル当時ノ一般輿論ハ寧ロ共同運輸会社ノ設立ヲ歓迎スル所アリタリ。且改進党ノ政敵自由党ハ自由新聞ニ拠リテ十五年十月以後全力ヲ挙ゲテ三菱攻撃ニ努メ、海坊主(岩崎)偽党撲滅(改進党)ヲ旗印ニ、激越ナル言論戦ヲ展開セリ。斯クノ如ク共同運輸対三菱ノ関係ハ経済問題ト共ニ政争ノ具トナレリ。而シテ井上及ビ品川ノ共同運輸会社ニ於ケル関係ハ上掲栄一談話ニヨリテ察知セラルベシ。尚玆ニ経済問題ヨリ生ジテ共同運輸会社設立ヲ促進セシメタル所以ハ、既ニ知ル如ク三菱ノ海上運送独占権ノ打破ニ在リ、経済的政治的目的ニ於テ共同運輸会社ノ設立ヲ企テラレタルヲ知ルベシ。又一面同社ハ三井系ノ会社ト見做シ得ベキカ。蓋シ曩ニ三井系ノ日本国郵便蒸気船会社ハ三菱会社ニヨリテ圧倒セラレシ結果解散ノ已ムナキニ至リ、独リ三菱新興資本ノミガ海運権ヲ掌握シ、且又進ンデ経済界ヲモ支配セントスルノ勢威ヲ示シタルハ、三井旧巨大資本ニトリテハ決シテ看過シ得ベキコトニアラザリシコトナラン。之ヲ要スルニ、三菱会社ニ対抗シテ共同運輸会社ノ設立セラレタルハ事実ニ於テ三井ト三菱トノ対抗ナルト同時ニ、合本主義(株式組織)ヲ主張セル栄一ト個人経営主義ヲ唱フル弥太郎トノ対抗ト云フベク、又政治的ニ之ヲ見レバ、政府対改進党、自由党対改進党ノ争ヒナリ。コノ間ノ消息ヲ物語ル一資料トシテ井上馨ノ伊藤博文宛ノ書翰ヲ次ニ掲グ。


(井上馨)書翰 伊藤博文宛(明治一五年)一一月二四日(DK080002k-0007)
第8巻 p.40-41 ページ画像

(井上馨)書翰 伊藤博文宛(明治一五年)一一月二四日 (伊藤公爵家文書)
老台ニハ兼テ御承知ノ、夫ノ『アービン』ガ曾テ建言セシ所ノ趣意ニ拠リ、遂ニ規則ヲ製シ、風帆船会社及ビ北海道運輸会社等ヲ合併シテ一ノ共同運輸会社ヲ設立スルコトトナリ、其設立方法ハ、有事ノ日ニ於テ大ニ海軍ノ用ヲモ為スベキモノナレバ、政府モ之ヲ保護スルコトニ相成、資本金惣額三百万円ニ対シ、政府ヨリ百三十万円ヲ株金トシテ出金スルコトニ相極リ申候。尤其余ノ金額百七十万円ハ、東京・大阪其他全国ノ人民有志ノ者株持ニスル仕法ニ有之、其詳細ノ規則仕組等ハ既ニ御承知ト存候之ガ株主タランコトヲ望ム者殊ノ外多ク、最早追々著手ノ順序ニ相運ビ居申候、然ルニ劣弟ハ最初小室信夫等ヲ勧メ右株主トナシタルヨリ小室ハ発起人ノ一員ト相成、三菱トハ業務上ノ対敵トナリタル処、古沢滋ハ兼テ同人ノ親友ニ有之、而シテ古沢ハ此際自由党中ノ紛紜ヨリ東京ニ喚バレ自由新聞社ヲ担当致居候ニ付、小室ハ頻リニ古沢ヲ教唆シ、三菱ヲ攻撃セシムル意向ヲ生ゼシム、折柄今度板垣洋行一件紛紜ニ付、地方ヨリ出京シタル党員ノ中ニテ土州ノ谷平次、越前ノ杉田定一其他二三者ヨリ、『吾々自由党ノ本旨ハ独リ政府ヲ攻撃スルノミニ
 - 第8巻 p.41 -ページ画像 
在ラズ、彼ノ三菱会社ノ如キ、社会ニ対シ専擅ノ所為アル者ハ、亦飽迄之ヲ攻撃シ、其専横ヲ制セザルベカラズ』トノ論議ヲ提出シ、強ク之ヲ論ジタル趣ニ付、自由新聞ハ遂ニ鋒ヲ三菱ニ向ケ、其紙上ニ於テ攻撃ヲ始ムルニ至リシニ因リ、岩崎ハ大ニ憂ヒ、後藤ニ泣付、同人ヨリ古沢ヲ説諭セシメタリ、然ルニ古沢ハ之ヲ肯ゼズ、一旦既ニ公衆ニ対シ三菱ヲ攻撃スルノ主義方嚮ヲ提示シタルニ、今更之ヲ変転スルコトハ、第一面目ニ関シ信用ヲ失スルコトナレバ承諾シ難シト答ヘタリ○中略又改進党ノ方モ、自由党ヲ怒ラセ大隈等ノ悪事ヲ書立テラレ候ハ甚迷惑ニ付、朝吹英二ヲ以テ古沢ニ和解ヲ入レタレドモ、古沢ハ断然之ヲ拒絶シタリ(世外井上公伝第三巻第五五―五六頁ニ載ス)


法規分類大全 第一編 運輸門十 船舶 郵船商船 第八二―第八三頁〔明治二四年五月二七日〕(DK080002k-0008)
第8巻 p.41-42 ページ画像

法規分類大全 第一編 運輸門十 船舶 郵船商船 第八二―第八三頁〔明治二四年五月二七日〕
  農商務省伺 十五年五月三十日
 海運《*》ヲ興スハ国家富強ノ実歩ヲ占ムルノ長計タル言ヲ竢タサルニ付、夙ニ玆ニ画策セラルヽヲ以テ其進歩大ニ観ルヘキモノナキニアラスト雖モ、百事亦著シク進動スルヲ以テ、今日ニ在テハ未タ以テ之ト併進スルヲ得サルノ歎ナキヲ免レス、目下海運ノ実況如何ヲ観察スレハ、比年商船ノ数大ニ増加スルニモ係ラス、海漕ノ運銀ハ漸次騰貴ヲ致シ、各所ノ産物ハ産地ニ停滞シテ、為メニ製産力ヲ阻喪スルカ如キノ現況ヲ呈出シタルハ、其因蓋シ一ナラサルヘシト雖モ闔国商船ノ数寡少ニシテ、未タ以テ貿易ノ用ニ充ツルニ足ラサルニ縁ルモノト言ハサルヲ得ス、現ニ三井物産会社又ハ三菱会社等ノ如ク、多数ノ船舶ヲ所持スルモ、猶且外国船ヲ借入レテ其業務ヲ補フヲ見レハ、亦以テ船隻ノ不足ヲ徴スルニ足ラン
 是ヲ以テ新タニ運漕業ヲ創メント企ツル者、各地ニ於テ崛起スト雖モ、其資力ノ乏シキヨリ、何レモ永遠ノ目的ヲ期スルヲ得ス、纔カニ垂朽ノ老船ヲ購入シ、或ハ低廉脆弱ノ新船ヲ製造シテ、専ラ一時ノ射利ヲ苟且スルニ過キサレハ、海上ノ危険ハ倍倍加ハリ、未タ其船資ヲ復セサルニ、早ク已覆没ノ惨害ヲ被ムル者甚タ居多ナリトス斯ノ如クシテ猶数年ヲ経過セハ、啻ニ国帑ヲ靡スルノミナラス将来運漕業ヲ企図スルモノヽ熱腸ヲ放冷シテ、永ク貿易ノ進路ヲ杜絶スルニ至ラン、畢竟海運事業ノ如キハ巨万ノ資金ヲ備フルニアラサレハ之ヲ維持スル最モ難シトス、是ヲ以テ先進ノ諸邦多クハ国庫ヨリ幾分ノ費額ヲ補助シテ其業ヲ翼賛スルヲ慣例トス、故ニ今海運ヲ盛ニセントセハ決シテ之ヲ民力ノ自然ニ放任スヘカラス、政府大ニ之ヲ奨励シテ一大共同運輸会社ヲ創設センノミ
 此会社ヲ創立セントセハ、其資本金ハ少クトモ四百万円ヲ要スヘシ而シテ其二百万円ハ政府ヨリ、他ノ二百万円ハ汎ク全府県ニ於ケル本業ニ間接若クハ直接ノ関係ヲ有スルモノヨリ募集シ、将来其事業ノ拡張スルニ随ヒ漸次之ヲ増募スヘシ、又此会社ハ内外運輸ヲ専業トスレハ滊船帆船ヲ併セテ所持スルヲ必要トスルヲ以テ、資本金四百万円ノ内其二百五十万円ハ滊船ニ、其百万円ハ帆船ニ、又其五十万円ハ営業上ニ資金トシテ供用セシムヘシ、但シ政府ノ出金ニ属スル二百万円ハ通貨ヲ以テ其払入ヲナサス、直ニ滊船(百四十万円)
 - 第8巻 p.42 -ページ画像 
及ヒ帆船(六十万円)ヲ新造シ或ハ購入シテ該社ニ下付シ、其船代価ヲ以テ株金トナスヘシ
 滊船ノ製造ハ本邦ニ於テ未タ適当ノ製作所之ナキヲ以テ、止ムヲ得ス英国ニ注文セサルヲ得スト雖モ、帆船ノ製造ハ近時寝《(寖)》ク其歩ヲ改良ノ域ニ進ムルヲ以テ、内地ニ於テ新造スルヲ得ヘシ、然レトモ内地製ノ帆船ハ英国製ノモノニ比スレハ其価直幾分(一割余)歟高貴ナレハ、予メ低価ヲ以テ船材払下ノ方法ヲ許可スルカ、若クハ更ニ製造費ノ幾分ヲ補助シテ、英国製ノモノト稍同価ヲ以テ製造セシムルヲ要ス
 斯ノ如クシテ該社ヲ組織スルモ、運漕ノ業タル其船価ニ巨万ノ金額ヲ費シ、就中滊船ヲ維持スルノ費用甚タ漠大ナレハ、其純益極メテ少ナシ、是ヲ以テ政府ハ宜シク他ノ株主ト其損ヲ共ニスルモ、其利ヲ共ニセサルヲ以テ本旨トシ、毎期純益金ノ配当モ年二歩ヲ以テ限リトスル等、非常ノ特典ヲ与フヘシ、但シ一方ニ於テ此ノ如ク特典ヲ与フル上ハ、又一方ニ於テ有事ノ日ハ政府ニ於テ本社ノ船舶ヲ自由ニ使用スル等、応分ノ責務ヲ竭サシムルヲ要ス、依テ政府ノ特典本社ノ責務及ヒ創設ノ要旨等別紙ヲ以テ其大意ヲ具シ上稟候間、目下海運ノ実況如何ヲ深ク諒察セラレ、速ニ御廟議ヲ尽サレ度、御許可ノ上ハ差向キ東京ニ於テ発起者数十名ヲ精撰シ、創業定款申合及ヒ営業等ニ属スル諸規則方案等取調、追追相伺或ハ御届可仕候、此段仰上裁候也
指令十五年七月十二日
伺ノ趣聞届金百三十万円交付致スヘキニ付、大蔵省ヘ協議、四年間ニ右金額可受取事
*欄外記事 共同運輸会社創立ヲ許ス(輪廓付)
   十八年九月二十九日農商務省日本郵船会社ノ創立ヲ許可シタルニ依テ消滅ス
  ○別紙略ス。
  ○右農商務省伺ニ於テ述ベラレタル共同運輸会社設立ノ趣旨ハ表向ノ理由ニシテ、真実ハ海運業ヲ独占セル三菱会社ヲ屠ラントノ意図ヲ以テ主タル理由トナスベキモ、之ヲ全然表面上ノ理由トシテ排スベカラズ。政府ハ我海運ノ海外発展ノ積極的方策ヲ計ルベキコト、海運ノ軍事上ニ於ケル緊急且ツ重要性ヲ認識シ、唯之ヲ三菱会社ニノミ委スルノ弊ヲ思ヒ、同社ノ独占的運賃引上或ハ荷為替・海上保険・倉庫・銀行等ノ諸業ヲ附帯事業トシテ兼営シ、独リ海上運送ノ利益ヲ彼ノ手中ニ収ムルニ及ンデ、甚ダ我ガ商工業ノ発展ヲモ阻害スルヲ憂慮シタル結果、乃チ三菱会社ノ海運業独占ヲ打破セントシタルナリ。


品川子爵伝 (村田峰次郎著) 第五〇八―五一四頁〔明治四三年四月〕(DK080002k-0009)
第8巻 p.42-45 ページ画像

品川子爵伝 (村田峰次郎著)  第五〇八―五一四頁〔明治四三年四月〕
○上略其月○明治一五年七月十四日に、農商務省は該業○運輸業に関係の有志を招き品川君より彼等に向て、親しく設立○共同運輸会社ノ設立の旨趣を、左の如く演説せり。
 即今運輸壅塞の歎声四方に喧伝するを以て、其現状如何を視察せん為め、全国船舶統計に就て之を調査するに、西洋形船は明治の初紀より逐年其数を増し、其五年には蒸汽船九十六艘、其噸数二万三千三百六十四噸なり、風帆船三十五艘、其噸数八千三百二十噸なりし
 - 第8巻 p.43 -ページ画像 
が、其十四年に至りては、蒸滊船三百十二艘、其噸数四万二千四百六十三噸なり、風帆船三百九十四艘、其噸数四万四千五百八十八噸なりとす、之を五年に比すれば、蒸滊船に二百十六艘、其噸数一万九千零九十九噸を増し、風帆船に三百五十九艘、其噸数三万六千二百六十八噸を増加したり、斯くの如く其船数の増加するにも係らず沿海の回漕は弥々繁劇を告げ、海上の運賃は、漸次騰貴を招きたるは、抑々何ぞや、蓋し船舶の増加は未だ以て回漕貨物の増殖と聯歩併行せざるものゝ如く、所謂船舶の供給は、回漕の需要に充つるに足らざるに由るものなりと認めざる可からず、実際に就て之を証せんに、三菱会社を始めとし、三井物産会社、広業商会の如きも、我船舶のみにては、目下回漕の需要に応ずること能はざるを以て、毎に外国船を借入れ、纔に其業務を補ふを見ても、船舶の不足を卜するに足れり、又和船の数を点検すれば、左に掲ぐる如く、
       五百石未満    五百石以上
 六年    二一、一五六   一、五三六
 七年    二一、一四七   一、五二六
 八年    一九、二〇八   一、四七六
 九年    一八、四二〇   一、四九九
 十年    一七、三八七   一、三六九
 十一年   一七、六一四   一、五二一
 十二年   一七、七五五   一、五三〇
明治六年より、其十年に至る、漸次其数を逓減したるは、西洋形に改造せしに由るものにして、其理の覩易き、敢て之が説明を要せずと雖も、其十一年より、更に其数の増加を見出したるは何ぞや、是れ他なし恰も其十年西南事変に際し、一時回漕の繁劇なりしより、貨物回漕の需要を増進したりしも、其需要に応ずべき蒸滊風帆船の供給に乏しく、為めに運賃の昂貴なるより、不得止和船を製造し、以て貨物運輸を計画する者、往々之あるに由るのみ。
又爰に一話あり、西南事変の未だ戡定せざるに際し、政府は三菱会社に命じ、巨大の滊船数艘を購求せしめたりしが、其事変平定に属するに及びて、同社は曾て此数艘の巨船を運用するの地なきを憂ひしかども、之を北海・北陸諸道の運送に供用して、図らず意外の航利を占めたりと云へり、亦以て回漕の需要を増進したる一端を徴するに足る可し。
又一歩を退て、我船舶の供給は、沿海の回漕に剰余ありと仮定せんか、必ず海外に向て其航路を転ずることならん、海外の航路利益なきにあらず、又決して繁劇ならざるにあらず、試に昨十四年六月に畢る一週年間、外国船の本邦に出入せし数を調査するに、蒸滊船五百八十五艘、其噸数八十万八千零三十噸なり、風帆船四百七十六艘其噸数二十四万二千四百七十七噸なりき、是れ少からざる数と云ふべし、斯の如く外国船の出入繁劇なるも、挙て之を外人の手に委し邦人の之を不問に置くが如きは、他なし我船舶の供給は沿海の回漕すら尚ほ未だ其需要に応ずるに足らざるを以て、海外の航路を顧みるに遑あらざるが故なりと云はざる可からず、往日三菱会社は、纔
 - 第8巻 p.44 -ページ画像 
に香港の定航を開きしが、幾くもなくして、之を中止せんと企てたり、且つ同社は朝鮮の航海すら、之を継続するを欲せずと云へり、是れ彼に航するよりは寧ろ此に航するの、遥に高度の運賃を得るの利あればなり、運賃の高度なるは、是れ即ち船舶の不足を確徴す可き者なり。
又実際に就て一例を挙ぐれば、一昨年開拓使に於ては、運輸梗塞の為め、収税品のみにても、凡そ五万六千石余積残りとなり、其外商民各個の荷物は、其産地に淹滞して、仕向地に回漕し能はざるもの実に夥しき数量なり、是を以て昨年は、歳首より疾に手配をなし、船舶の種類と牢弱とを問はず、雇ひ得可きものは悉く之を雇ひ、纔に其残荷を輸出したりと聞けり。
又曰く、斯の如く沿海全道の運輸梗塞し、各所の産物は為めに産地に留堆して、商業の活機を失ひ、為めに製産力を阻喪するが如きの現況を呈出したるは、世上喧伝する所に違はざるを以て、政府大に海運を奨励し、之を振起せしむるは、平時運輸の一方に就て、甚だ必要なるのみならず、有事の日在て、緊急の要務なりと考断し、其方法如何を討察するに、千七百七十二三年に際し、英国に於て彼の著名なる南海貿易の失敗に依り、大に運輸の梗塞を引起したる時に方り、議院は之を匡救するの万止むを得ざるを切論し、終に五百万磅の貸附金を人民に許可したるが如き方法を施行せん乎、凡そ政府より資金を貸与して、一事業を奨励するは、其業の何たるを問はず好良の結果を見るもの甚だ稀なるは、既往の実跡に就て明白なれば今日之を許可するの最も不可なるは、更に言を竢たざるなり、然らば近時仏国政府が挙行する如く、船主及び造船者に、適度の保護金を下付せん乎、其金額甚だ巨額に達す可ければ、之を支出する万々難かる可し、低度の割合を以て、之を下付せん乎、保護の力は岐分して到底其効験を見ること能はざる可し、是に於てか政府は、新たに運輸会社の設立を翼賛するの、優れるに如かずと断定したるなり然るに俄然一二の反対論を提出するものありて、此挙を目し、政府は民業に干渉し、自ら一大運輸会社を創始する者なりと云ふが如き謬見を吐露し、或は新聞紙上に之を喋々する者なきにあらざるを以て、爰に本社の設立を翼賛するの目的を述ぶるは、敢て不用の弁にあらざるを信ず。
抑々政府が本社の設立を賛け其成立を望むものは、平常非常に於て兵商二途に欠く可からざるの目的を両全せんが為めなり、故に政府は本社の株金に加ふ可き金額を以て、戦時供用に足る可き船舶を製造し、本社に下附し、中外の運輸に供せしむ可しと雖も、毎に海軍附属船となし、非常に際しては、何時にても海軍卿の召募に応ぜしめ、其各船には海軍士官を実地修業の為め、乗組しむ可しと規定したるに依り、一方に於ては政府が本社の船舶を以て、非常の虞に備ふるの用心を見る可し、然れども斯くの如く、特殊の義務を負担せしむるが故に、本社に与ふるに、亦特殊の典を以てせざる可からず故に政府は戦時供用すべき船舶構造の増費は、之を政府の株金に加ふ可からずと為し、而して又政府に於て領す可き利益は、其株金に
 - 第8巻 p.45 -ページ画像 
対し、年二歩を以て限りとし、其以上は之を保険準備に組入れ、又は株主に配当を許す可しとなし、且つ政府に於て領する二歩の利益は、之を海軍奨励の為め使用す可しと為したるを以て、他の一方に於ては、本社の営業を伸張し、大に海運を振作せしむるの旨趣なるを知る可し、是に由て之を観れば、政府は決して民業に干渉して、私に其利を壟断するにあらず、要するに兵商両事に備へて、以て国家の長計を為すものなり、今此説明を畢るに臨みて、殊に一言す可きものあり、政府が本社の設立を翼賛するの目的は既に斯の如くなるを以て、其株主は汎く全府県より募集し、偏せず党せず、供に倶に奮励して、政府の旨趣を空うせざらんことを希望すと云爾。
  ○右本文ハ共同運輸会社ノ創立廟議ヲ以テ聴許セラルヽヤ、東京風帆船会社社長遠武秀行・北海道運輸会社々長堀基・越中風帆船会社総代藤井三吉・運漕社々長岡武兵衛ノ四名ヲ農商務省ニ呼出シ、農商務卿西郷参議ノ代理トシテ品川農商務大輔ヨリ創立許可ノ旨申渡シタル際ノ口演ナリ。明治十五年七月十五日附中外物価新報(第五一九号)参看。


塚原夢舟翁 (編纂代表者山崎米三郎)第六八―六九頁〔大正一四年五月〕(DK080002k-0010)
第8巻 p.45 ページ画像

塚原夢舟翁  (編纂代表者山崎米三郎)第六八―六九頁〔大正一四年五月〕
 明治十二三年頃、三菱会社の運賃の高率なるに乗じ、帆船を以て三菱に対抗せんとするものが各地方に続出し来り、其の造船数は当時の統計に示さるゝ如く実に空前の数額に達したのであつた。而かも翌十四年には、支那及朝鮮に暗雲低迷して形勢頗る険悪の兆を来し、十五年には朝鮮に於て我公使館焼き討の暴挙あり、又我守備兵と支那兵との衝突事件等起り、有事の際における海上の輸送力が頗る顧慮せられたので、遂に政府も中外の事情に鑑み、一大汽船会社を興すことに決せられた。併しながら其の裏面には薩長の閣僚と大隈大蔵卿との政争に因縁を有する事情の潜在してゐたことは云ふ迄もなかつた。
○中略
 十五年の夏西郷農商務大臣は、閣議に於て創立の決定を経たる新汽船会社の組織に就て、管船局長にこれが具体案の作製を命ぜられたから、君は次の如く立案して提出した。
 一、社名 共同運輸会社
 二、資本金 三百万円、二箇月の後五百万円に改め、官民各其の半額を分担す
 三、船舶は兵商二途に備ふるを要す
 此の案はやがて閣議を経たので、農商務大臣から君に其の実行を命ぜられた。君は太政官の決裁の趣旨に基いて創立趣意書を作り、先づ創立発起人会を管船局内○農商務省議事堂ヲ正トスに開いた。此の時集つた人々は堀基・遠武秀行・益田孝・渋沢喜作・原六郎(渋沢栄一氏は賛成せしも来会しなかつた)の諸氏で、開会の劈頭、品川農商務大輔が一場の訓示をなし、君は創立趣意書の内容を説明し、民資募集に言及して発起人各位が分担して尽力せられたいと促した。然るに、発起人の人々は募集事務に就ても君を煩はし度いと切に懇望するので、已むを得ず君はこれを承諾することになつた。


中外物価新報 第五二四号〔明治一五年七月二七日〕 共同運輸会社(DK080002k-0011)
第8巻 p.45-46 ページ画像

中外物価新報  第五二四号〔明治一五年七月二七日〕
 - 第8巻 p.46 -ページ画像 
共同運輸会社 今回許可せられたる共同運輸会社は昨日○七月二六日又々其の発起人を農商務省へ呼出し、命令書を達せられ、且同社定款の草案も下附せられたる由にて、同社創立の事も諸方へ聞えしかば、発起人加入の申込人多く、目下の処にて発起の人々は、東京にては風帆船会社の遠武氏を始め外十名、加州にては金沢の高田信清氏始め外三名、越中にては伏木の藤井能三外七名、石狩国札幌にては堀基氏、函館にては蛯子末次郎氏、勢州津の岡武兵衛氏、桑名の諸戸、下里二氏、新潟の鍵富三作氏、石巻の戸塚貞輔氏等なれど、尚ほ下の関・大阪・新潟・美濃地方よりも頻りに発起人加入の申込ある由に聞ぬ


中外物価新報 第五五五号〔明治一五年一〇月一〇日〕 共同運輸会社発起人会議(DK080002k-0012)
第8巻 p.46 ページ画像

中外物価新報  第五五五号〔明治一五年一〇月一〇日〕
共同運輸会社発起人会議 昨日は曾て記せし如く午後三時頃より共同運輸会社の発起人惣集会を農商務省の議事堂に開らき、伊東海軍中将・塚原管船局長も臨席あり、其他同局の吏員のみ傍聴を許されし趣きにて、東京日々新聞・明治日報の両社の如きハ殊更に探訪者を派して其傍聴を乞ひしも謝絶されし由なれは、其議事の模様を知るに由なけれど、吾々の聞き得し所にてハ、議場に上りしハ各府県より出京せし発起人惣代、並に当地在留の発起人等惣員三十八名、其人名ハ三輪暢・角谷弥次郎・益田孝・小室信夫・藤井三吉・小栗久左衛門・諸戸清六・原田金之祐・寺田政成・遠武秀行・川崎正蔵・木村正幹・佐々木男也・小栗康吉・堀基・岩平惣兵衛・北風正蔵・島田重民・喜多村富之助・雨宮敬次郎・渋沢喜作・米沢紋三郎・馬越恭平・赤井善平・三井民之助・浅野宗一郎・榊原由一・日比範十・大森栄助・鈴木卯兵衛・中川荘之進・熊谷孫二郎・小島喜三郎・吉川長兵衛・大倉喜八郎・喜谷市郎右衛門・平野富二・大村五左衛門の諸氏にして、同社副社長遠武秀行氏は議長席に着き、兼て下附なりたる定款草案を第一章より逐条審議に付せられしに、多少の修正削除もありしが、中に資本金の条項ハ各員大に意見ある趣にて、全く跡廻しとなりしと歟、其他役員責任の条に至りては頗ふる議論もありて、昨日は遂に定款の中程迄議し了りし迄にて閉会となり、尚ほ本日も午後四時より会議を開き、前日の残りを夜に掛けても議了する由なれど、素より傍聴を謝絶せしことなれば信偽ハ保証する所にあらす


中外物価新報 第五五七号〔明治一五年一〇月一四日〕 共同運輸会社(DK080002k-0013)
第8巻 p.46 ページ画像

中外物価新報  第五五七号〔明治一五年一〇月一四日〕
共同運輸会社 ○中略扨又会議の概況を洩れ聞きしに前々回の本紙にも記せし如く、下付の定款を逐条審議して増補刪除の修正を悉したれども、独り資本金の一項に於ては発起人諸氏の意見もありて、為めに委員七名を撰び、両三日の間更に委員会を開いて精密に討議を究め而後政府へ上申し、議決の認可を経る筈なりと云ふ、其事由は未だ詳かならざれど、三百万円の資本にては本業に満足を与ふる能はざるのみならず、何程の事も為し得べからざれば、之を一倍にして六百万円と為す歟、又は千万円に増加する歟の点に在るやの趣なり、左こそあるべき事にこそ

 - 第8巻 p.47 -ページ画像 

日本郵船株式会社五十年史 第二八頁 図版〔昭和一〇年一二月〕(DK080002k-0014)
第8巻 p.47-48 ページ画像

日本郵船株式会社五十年史  第二八頁 図版〔昭和一〇年一二月〕
    品川農商務大輔ノ演説草稿
本社ハ諸氏モ知ラルヽ如ク、兵商両事ニ備ヘンカ為メニ設立スル所ナリ、余曩ニ在東発起人諸氏ノ面前ニ於テ業既ニ其要点ヲ縷演シタルヲ以テ十分ナリト思考シ、更ニ反覆贅言スルヲ要セス、然レトモ自今諸氏カ能ク共同親和シテ社業ヲ維持セラレンコトヲ熱望シ、併セテ諸氏ト供ニ将来ノ注意ヲ喚起セン為メ、聊カ一言ヲ吐露セントス
凡ソ本社ニ加盟シタル諸氏ハ其社号ニ冠セル共同ノ二字ヲ深ク脳裏ニ刻シ、一致協力シテ社業ヲ維持セラレンコトヲ要ス、共同ノ義汎シ、斉シク名ヲ署シ而シテ各人其意趨ヲ異ニスルモ亦是レ皮相ハ共同ト云ハンカ、然レトモ此ノ如キ表面ノ共同ヤ余決シテ望ム所ニ非ス、諸氏モ亦決シテ為サヽル所ナルヲ信ス、余カ所謂共同ハ姑ク本社ノ業務ヲ借リテ之ヲ言ハン、大艦巨舶ノ藉リテ以テ其用ヲ済ス所ノモノハ水ナリ、然レトモ其一部ヲ蒸溜シテ言ハヽ則チ善視者モ視ル能ハサルノ一分子ニ過キス、其集リテ海洋ヲ為スヤ大艦巨舶之ヲ載セテ極リナシ、是他ナシ其性質ヲ均フシ共同親和スルノ功績ナリ、渺乎タル一分子ニシテ猶ホ此ノ如シ、諸氏ニシテ共同親和シ能ク其力ヲ結合シテ本社ヲ維持セバ何事カ成ラサラン、余ハ諸氏ニ望ムニ此ノ如キノ共同ヲ以テセンコトヲ、是レ余カ諸氏ト倶ニ将来ノ注意ヲ喚起スル所以ノ一ナリ本社ノ資本ハ政府ト人民ト略半額ヲ出スノ割合ナレハ、世人ハ往々本社ヲ目シテ半官半民ノ性質ヲ具スルモノト憶測シ、或ハ官設会社ナリト誤評セシモ、諸氏ハ各地発起人総代トシテ頃日来定款ヲ議定シタレハ、本社ノ性質ハ民設ニ属シテ官設ニアラス、本社ノ建物ハ決シテ官衙ノ一分署ニアラス、本社ノ店頭ハ官府ノ玄関ニアラス、本社ノ暖廉ハ官府ノ旗章ニアラサルヲ了知シタルナラン、又正副社長ハ創立初期ノ三ケ年間政府ノ特選ニ帰シタリ迚、社員雇人ニ至ルマテ或ハ官吏ノ慣風ヲ醸シ易シトナシ世評ハ早ク已ニ之ヲ呶々シタリシモ、今ヤ正副社長(正社長ハ不日特選セラルヽナラン)其人ヲ得タレハ、余ハ実ニ本社ノ為メニ賀スルナリ、決シテ斯ノ如キ通弊ヲ生スルノ掛念アランヤ、然レトモ倘シ一個商社ニシテ此等ノ弊習ヲ生スルアラハ、其害尤モ畏懼スヘキノ一事ナリ、大ニ戒慎セスンハアルヘカラサルナリ、之レ余カ喋々ヲ要セスト雖トモ、諸氏ト供ニ注意ヲ喚起スル所以ノ二ナリ
凡ソ物ニ余裕アレハ従テ偸安ノ弊ニ流レ易キハ人世普通ノ情態ナリ、従来何事業ニ拘ハラス、特別ノ保護ヲ受クルモノハ自然怠慢ノ心ヲ生シ、表面ヲ飾リ、冗費ヲ顧ミス、半途蹉跌ノ害ヲ被ムル者、未タ嘗テ保護ニ甘スルノ致ス所ニ因由セスンハアラス、本社ノ如キモ特殊ノ保護ヲ受クルヲ以テ力メテ此弊害ヲ防カサルヘカラス、夫レ運輸ノ業タル官府ノ保護ヲ被ムル者多シ、内地ニ在リテモ他ニ此種ノ特典ヲ蒙ムルノ会社アリ、海外諸州ヲ通観スルモ亦皆然リトス、英ノ彼阿社、仏ノマツサゼリー社ノ如キ是ナリ、本社独リ保護ヲ壟断スルニアラス、故ニ決シテ保護ニ甘セス、痛ク用度ヲ節シ、黽勉社業ヲ経営セラレンコトヲ希望スルナリ、是レ余カ婆心諸氏ト供ニ注意ヲ喚起スル所以ノ
 - 第8巻 p.48 -ページ画像 
三ナリ
本社ノ業務ハ所謂御客商売ナレハ、汎ク世人ノ信用ヲ博スルヲ要ス、船舶ノ堅牢、海員ノ優等、運搬ノ時限、貨物ノ保護等此等信ヲ得ルノ大ナルモノニシテ、荷主・旅客ノ接待等極メテ款洽ヲ尽シ、倦怠濶疎ノ態アルヘカラス、之ヲ要スルニ誠心実意ハ信用ヲ博スルノ基本ナリ、故ニ余ハ望ム、誠意ヲ以テ経ト為シ共同ヲ以テ緯ト為シ、以テ本社ヲ組織センコトヲ、是レ余カ諸氏ト供ニ注意ヲ喚起スル所以ノ四ナリ
今此演舌ヲ畢ルニ臨ミ殊ニ一言スヘキモノアリ、夫レ運輸ハ国家ノ文明ヲ進ムルノ一大羽翼ナリ、故ニ本社ノ興廃ハ我国文明ノ盛衰ニ関係スト云フモ不可ナキナリ、本社ノ任実ニ甚タ重シト云フヘシ、諸氏能ク共同シテ誠ヲ致シ力ヲ尽シテ社業ヲ維持シ我文明ノ羽翼ヲシテ益々長且大ナラシメ、供ニ倶ニ東天ニ雄飛スルノ日ヲ期シテ待タンノミ、やじ性酒ヲ嗜マスト雖トモ、諸氏ト倶ニ共同ノ祝杯ヲ挙ン、冀クハ諸氏共同ノ歓ヲ尽サレンコトヲ
  ○同会社発起人会議ハ十月十二日ヲ以テ終了シタレバ、翌十三日午後五時ヨリ品川農商務大輔ハ発起人総代ヲ両国ノ亀清楼ニ招キテ慰労ノ宴ヲ開キタリ。右本文ハ此席ニ於テ演説セル草稿ナリトス。明治十五年十月十四日附中外物価新報(第五五七号)ニ右ノ記事ヲ載ス。


東京日日新聞 第三三二四―三三二五号〔明治一六年一月一三日―一五日〕 品川農商務大輔(DK080002k-0015)
第8巻 p.48-49 ページ画像

東京日日新聞  第三三二四―三三二五号〔明治一六年一月一三日―一五日〕
○品川農商務大輔 ○中略同君には去る五日に京都商工会議所、六日には大日本農会京都支会の談話会にて演説せられし筆記を京都滋賀新報に載せあれば、まづ商工会議所の演説を左に抄書す
○中略
 更ニ一言ノ諸君ニ告ゲザルベカラザルモノアリ、共同運輸会社ノ事是レナリ、其開設ノ始ニ当テ群議囂然、就中二三新聞紙ノ如キハ之ヲ拒ムコト最モ勉メタリ、其言ニ曰ク、政府ノ新ニ一社ヲ設クルハ三菱会社ヲ毀ツガ為メナリト、嗚呼是レ何ノ言ゾヤ、政府嚮ニ三菱会社ヲ護スルニ一千万円ノ資本ヲ以テセリ、此ノ巨万ノ金額ハ総テ皆民力ヨリ生ズルモノニアラズヤ、大ニ民力ニ取テ以テ一社ヲ護スルモノ何ソヤ、海運ノ便否ハ一般人民ノ利害ニ関スル甚ダ大ナルカ為メナリ、而シテ中道ニシテ之ヲ毀タバ夫レ何ノ辞アリテカ人民ニ対センヤ、夫レ海運ノ便否ハ一般人民ノ利害ニ関スル甚ダ大ナルモノナリ、通商モ是ニ於テカ盛ニ、農事モ是ニ於テカ振ヒ、工業モ是ニ於テカ興リ、殖産ノ道一トシテ是ニ基イセザルモノナシ、然リ而シテ当今内国ノ船舶其数タル甚ダ乏シク其運賃甚ダ貴シ、今ノ現況ニ安ンジテ之カ進取ヲ図ル所ナクンバ、興産ノ道終ニ得テ望ムベカラザルナリ、況ンヤ一般人民利害ノ関スルトコロ如是其レ大ナルノ海運事業ヲ、挙テ徒ニ重キヲ一個人ノミニ委托シテ以テ自ラ安ンジ自ラ足レリトスル、豈ニ此理アランヤ、是レ共同運輸会社開設ノ已ム能ハザル所以ナリ、夫レ共同運輸会社ハ公衆ノ力ヲ合セテ以テ海運ノ便ヲ達スルモノナリ、海運ノ便ヲ達シテ以テ農工商ノ振作ヲ促スモノナリ、之ヲ促シテ国力ノ旺盛国権ノ伸張ヲ図ルモノナリ、豈ニ区々トシテ邦内ノ一会社ヲ排斥スルガ為メニ是レ出ルナランヤ、
 - 第8巻 p.49 -ページ画像 
嗚呼政府ニシテ而シテ此陋劣手段アリト謂フヤ思ハザルノ甚シキナリ、今諸君ハ府内商工諸人ノ望ヲ負フモノナリ、府内商工盛衰ノ感ヲ懐クモノナリ、即チ富国ニ熱心ナルモノナリ、愛国ニ誠ナルモノナリ、運輸開達ノ富国ニ重要ナルト政府愛国ノ誠心ニ出ルトハ蓋シ之ヲ知ル已ニ熟セリ、固ヨリ予ノ呶々ヲ待ツナシ、然レトモ市ニ虎アリ、曾参人ヲ殺ス、衆口ノ金ヲ鑠スハ古ヨリ然リ、玆ニ一言ヲ叮嚀スルモ亦我ガ職務ノ存スル所、止ント欲シテ能ハザル所アルヲ以テナリ


共同運輸会社御達書御命令書定款創立規約(DK080002k-0016)
第8巻 p.49-57 ページ画像

共同運輸会社御達書御命令書定款創立規約
               (日本郵船株式会社所蔵)

                      共同運輸会社
海運ヲ興シ平常非常ニ備ヘン為メ、百三拾万円ヲ以テ船舶ヲ造リ其社ノ資本ヘ差加候条、左ニ掲クル命令書ノ条款厚ク遵守可致事
                農商務卿西郷従道代理
  明治十五年七月廿六日     内務卿山田顕義印

    命令書
第一条 政府ニ於テ戦時非常ニ際シ供用スルニ足ル可キ汽船及ヒ帆船ヲ製造シ漸次本社ヘ交付ス可シ、其金額ハ先ツ以テ百卅万円トシ、之ヲ以テ政府ノ株金ニ充ツ可シ
  但汽船及帆船トモ本条目的ノ為メ要シタル増費ハ之ヲ株金中ニ算入セサル可シ
第二条 毎期政府ニ於テ領ス可キ利益配当金ハ其株金ニ対シ年弐歩ヲ以テ限トシ、其以上ノ利益ハ本社ノ総収入ニ組入レ、保険準備等ニ充ツ可シ
第三条 本社ニ交付シタル船舶ハ総テ海軍ノ附属ト心得ヘシ、但臨時海軍卿ノ命令ニ依リテ徴集スルコトアルトキハ相当費用ヲ給ス可シ
第四条 海軍ニ於テ使用ノ為メ船内結構ノ変更ヲ要スルトキハ海軍省ヨリ其費用ヲ給ス可シ
第五条 戦時及ヒ非常ノ時ハ本社ノ都合ヲ問ハス政府ニ於テ其各船(政府ヨリ交付シタルモノト否トヲ問ハス)ヲ使用スル事アル可シ
  但其運賃ハ予メ相当ノ額ヲ定メ之ヲ給ス可シ
第六条 海軍兵学校又ハ其他官立商船学校ニ於テ卒業シタル生徒ヲ、実地航海修業ノ為メ、政府ノ命ヲ以テ本社ノ船ニ乗組マシムルコトアル可シ
第七条 政府ノ都合ヲ以テ郵便物又ハ其他官用物ノ運送ヲ命シタル時ハ相当ノ運賃ヲ給スヘシ、但時宜ニヨリ一定ノ助成金ヲ下附スルコトアル可シ
第八条 本社ノ資本金ハ先以三百万円トシ、其百三拾万円ハ政府ニ属シ、他ノ百七拾万円ハ成ル丈ケ広ク各地方ヨリ募集ス可シ
第九条 資本金三百万円ノ内弐百三拾万円ハ汽船ニ、六拾万円ハ帆船ニ、拾万円ハ営業資本ニ供ス可シ
 - 第8巻 p.50 -ページ画像 
第十条 本社ハ汽船帆船ヲ以テ旅客貨物ノ運漕ヲ目的トシ、他ノ業務ニ干渉ス可カラス
第十一条 正副社長及ヒ取締役ハ株主中ヨリ公撰ス可シト雖トモ、政府ニ於テ認可スルニアラサレハ上任スルコトヲ得ス、但正副社長ニ限リ創立第一期(創立ノ日ヨリ満三ケ年ヲ以テ一期トス)中ハ政府ニ於テ特選スルモノトス
第十二条 本社ニ於テ汽船・帆船ヲ新造シ若クハ既製ノモノヲ購入セントスルトキハ予メ政府ノ許可ヲ受ク可シ
  但汽船ハ二ケ年以上ヲ経過セシモノヲ購入スルコトヲ許サス
第十三条 通常海員ハ勿論船長・運転手・機関手ト雖トモ総テ日本人ヲ採用ス可シ、然レトモ当分ノ中船長其他ノ役員ニ限リ外国人ヲ雇使スルモ妨ケナシ
第十四条 例式及ヒ臨時ノ総会ニ於テ決定シタル事件ハ、政府ノ認可ヲ経ルニ非サレハ之ヲ執行スルコトヲ許サス
第十五条 本社ノ業務及ヒ帳簿ハ政府ニ於テ常ニ監督官ヲ命シ、若クハ臨時撿査官ヲ派出シテ之ヲ検査セシメ、不整ノ件アレハ之ヲ矯正セシム可シ
第十六条 本社ノ各船及ヒ機関ハ政府ニ於テ当時又《(常カ)》ハ臨時撿査ヲ為シ危険不安ノモノハ之ヲ修繕セシム可シ
第十七条 農商務省所轄ノ汽船及ヒ帆船ハ、本社開業ノ期ニ至ラハ、別段ノ命令書ヲ以テ之ヲ其社ニ貸下ク可シ
                      共同運輸会社
当省所属船玄武丸外十二艘、本年七月廿六日付ヲ以テ相達候命令書第十七条ニ依リ、更ニ其社ヘ貸下候ニ付テハ、左ノ条款遵守可致此旨相達候事
  明治十五年十二月廿七日   農商務卿 西郷従道印
   第一款
玄武・函館・矯竜・西別・乗風・沖鷹・清風・千島・単冠・第一石狩・第二石狩・第三石狩・第四石狩ノ十三艘及ヒ之ニ属スル諸器械等有形ノ儘貸下候ニ付、明細目録ヲ添ヘ借用証差出スヘシ
   第二款
右各船貸下中運航其他維持ニ係ル諸必要ハ一切其社ニ於テ支弁スヘシ
   第三款
右各船及機関ハ当省ニ於テ常時又ハ臨時撿査ヲ為シ、危険不安ノモノハ之ヲ修繕セシムヘシ
   第四款
貸下中各船ノ大小修繕共一切其社ニ於テ負担スヘシ
   第五款
貸下中非常天災ニ罹リタル船舶ノ損失ハ当省ニ於テ負担スヘシト雖モ、其社ノ不注意ニ依テ生レタル損害ハ其社ヲシテ之ヲ弁償セシムヘシ
   第六款
貸下中各船ノ会計帳簿等ハ当省ニ於テ之ヲ撿査シ、不整ノ件アレハ命
 - 第8巻 p.51 -ページ画像 
シテ之ヲ矯正セシムヘシ
   第七款
毎年貸下船ヨリ生スル純益金ノ百分ノ三ヲ借用料トシテ当省ヘ上納スヘシ
   第八款
貸下船ニ付尚当局ヨリ指令スル事アラハ何時モ其命ニ従フヘシ
  ○農商務省所轄ニシテ当社ヘ貸下ゲラレタル船舶ノ噸数、及ヒ馬力ハ次ノ如シ。
   汽船ノ部 玄武=四百二拾噸・百馬力、函館=百〇四噸・六拾五馬力、矯竜=百三拾六噸・百馬力、沖鷹=三拾七噸七二・二拾二馬力
   風帆ノ部 乗風=二百〇九噸、清風=二百五噸七二、西別=百四拾四噸、千嶋=二拾壱噸、第一石狩=三拾四噸、第二石狩=三拾四噸、第三石狩=拾三噸、第四石狩=拾三噸、単冠=百二拾噸

    共同運輸会社定款及ヒ創立規約伺
今般御命令ヲ遵奉シ共同運輸会社発起人及発起人総代一同衆議ノ上、定款並創立規約ヲ議定仕候間、別紙各壱通ツヽ相添、奉伺候也
                共同運輸会社副社長
                      遠武秀行
  明治十五年十月十九日
    農商務卿 西郷従道殿
(朱書)
伺之趣聞届、別冊定款及創立規約共承認候事
  明治十五年十月廿一日 農商務卿 西郷従道
(別紙)
  有限共同運輸会社定款
大日本政府ノ特許ヲ得テ共同運輸会社ヲ創立スルニ付、株主一同ノ協議決定スル所ノ定款左ノ如シ
   第一章 総則
第一条 当会社ノ名称ハ有限共同運輸会社ト称スヘシ
第二条 当会社ハ政府ノ特許ニ拠テ創立スルモノナルニ付、爰ニ添付セル農商務卿ノ命令書ヲ遵奉スヘシ
第三条 当会社ハ本社ヲ東京ニ置キ、漸次要地ヘハ支社ヲ開設スヘシ又支社ヲ置カサル場所ハ代理店ヲ置クコトヲ得ヘシ
第四条 当会社ハ有限責任トシ、当社ノ負債弁償ノ為メ株主ノ負担スヘキ義務ハ株金全額ニ止ルモノトス
第五条 当会社ハ滊船・帆船ヲ備ヘテ、旅客ノ航海、貨物ノ運輸ヲ営業スルヲ目的トス
第六条 当会社ハ前第五条ニ掲クル事項ヲ除クノ外ハ、一切他ノ目的ノ事業ニ関係スルコトヲ得ス
第七条 当会社ノ営業期限ハ三十箇年トス、但満期ニ至リテ株主ノ衆議ヲ以テ更ニ政府ノ特許ヲ得ルニ於テハ、之ヲ永続スルヲ得ヘシ
第八条 当会社ノ営業ハ此定款ニ拠テ之ヲ正副社長及取締役ニ委任スヘシ
   第二章 資本金
第九条 当会社ノ資本金ハ目下増額ヲ上願中ニ付確定セスト雖モ、命
 - 第8巻 p.52 -ページ画像 
令書ニ遵ヒ仮ニ三百万円ヲ以テシ、之レヲ六万株ニ分チ、一株ヲ五十円ト定ムヘシ
第十条 資本金ノ内滊船・帆船及営業資本ニ充ルノ割合ハ、追テ資本金確定スルマテ命令書ヲ遵奉スヘシ
第十一条 当会社ノ株金ハ株式申込ノ時(三十日間)二割ヲ払入レ、余ハ営業ノ都合ニ依リ会社ヨリ報告ノ時時払入ルヽモノトス、此募集ノ報告ハ少クモ五十日前ニ於テスヘシ、但総額払入ノ期限ハ短クトモ二箇年間ヲ目的トス
   第三章 船舶
第十二条 当会社ノ船舶ハ営業ノ目的ニ適当スル仕様ヲ以テ成丈ケ新造スヘシ、然レトモ須要ノ場合ニ於テハ、既製ノ分ヲ購入スルモ妨ケナシトス、但帆船ハ可成丈内地ニ於テ製造スヘシ
第十三条 当会社ニ於テ新造シ或ハ購入スル滊船・帆船ハ、保険合格ノモノニ限ルヘシ
第十四条 当会社ニ於テ構造シ又ハ購入スル滊船ノ速力ハ一時間十「ノツト」前後ヲ度トシ、其機関ハ聯成滊筩ニシテ石炭ノ消費少キモノニ限ルヘシ
第十五条 当会社ノ船舶ヲ増補スル為メ第九章第五十六条・第五十八条ノ第一種及第三種ノ積金相当ノ金額ニ充ル時ハ、適宜ノ船ヲ新ニ構造スヘシ、但滊船・帆船ノ割合ハ重役会議ニ於テ決スヘシ
第十六条 船舶ノ新造又ハ購入其他船舶ノ形容及噸数等ハ重役会議ニ於テ決定スヘシ
第十七条 当会社所有ノ船舶中船体及機械等ニ故障ヲ生シ営業上不益ト認ムルモノアルトキハ重役会議ノ決議ヲ以テ之レヲ売却スルコトヲ得ヘシ
第十八条 船舶ヲ構造シ及ヒ購入シ又ハ売却スルコトアルトキハ其時時株主ヘ報告スヘシ
   第四章 営業
第十九条 営業上ノ規則ハ農商務卿ノ命令書及ヒ定款ニ準拠シ、重役会議ニテ之レヲ定ムヘシ
第二十条 当会社船舶ノ定期航路ヲ定メ(内海海外共)、又ハ需用ニ応シ適宜ニ之ヲ使用シ、又ハ運賃ヲ定ムル等ハ、重役会議ニ於テ決定シタル規則ニ依テ之ヲ施行スヘシ
第二十一条 営業上前条規則外ノ事件ヲ生シタルトキハ、其時時重役会議ニテ之ヲ商議専行スルコトヲ得
   第五章 役員及ヒ責任
第二十二条 当会社ノ役員ト称スルモノハ左ノ如シ
    社長        一名
    副社長       一名
    取締役       四名ヨリ十名マテ
    理事        無定員
    支配人       同
    副支配人      同
    船舶撿査役     同
 - 第8巻 p.53 -ページ画像 
    手代        同
第二十三条 正副社長ハ百株、取締役ハ六十株、以上ヲ所持スル株主ヨリ例式総会ニ於テ撰挙シ、農商務卿ノ認可ヲ得テ上任スルモノトス
第二十四条 正副社長及取締役ノ任期ハ三箇年トシ三箇年毎ニ更撰スヘシ、但シ在来ノ内ヨリ正副社長及取締役ノ中三分一ノ人員ハ重任セシムヘシ而シテ其重任スヘキ人ハ投票ニ依テ定ムベシ
  但投票ニヨリ全員重任スルモ妨ケナシトス
第二十五条 正副社長及取締役ニ撰任サレタルモノハ、会社ノ規則ヲ守リ正実ニ職務ヲ尽ス誓詞文ヲ添ヘ、正副社長ハ所有ノ株式百株取締役ハ六十株ヲ会社ニ出シ置クヘシ、而シテ在任中ハ此株式ヲ他ニ売譲スルヲ禁スヘシ
第二十六条 正副社長・取締役ノ月給及役員賞与金ノ全額ハ株主衆議ニテ之ヲ定ムヘシ
第二十七条 社長ハ会社ノ事務ヲ総轄シ営業一切ノ責ニ任ス
第二十八条 副社長ハ社長ヲ補佐シ、社長事故アルトキハ其代理トナルヘシ
第二十九条 取締役ハ会社一切ノ行務ヲ監察シ且ツ営業上ノ事ニ付キ意見ヲ社長ニ陳ヘ又同僚ノ衆議ヲ以テ臨時総会ヲ催スノ権アルヘシ
第三十条 取締役ハ其同僚中又ハ社長ニ於テ職任不適当ノ行為アリト認ムルトキハ、同僚半数以上ノ同意ヲ得テ株主臨時総会ヲ催スノ権アリトス、但此場合ニ於テハ其事由ヲ株主ニ証明スヘシ
第三十一条 理事役ハ重役会議ヲ以テ取締役ノ内ヨリ之ヲ推撰シ、本支店及代理店ノ事務ヲ管理スルモノトス
第三十二条 船舶撿査役及支配人・副支配人ハ重役会議ニ於テ之ヲ撰任シ、海員及其他ノ役員ハ社長之ヲ撰任シ且其進退黜陟ヲ司ルヘシ
  但月給ハ重役会議ニテ之ヲ決スヘシ
第三十三条 船舶撿査役ハ船体及器械等ヲ撿査シ、海員ノ勤惰ヲ監督スルモノトス
第三十四条 支配人・副支配人ハ本店ニ在リテハ事務ノ一部ヲ担当シ、支店ニ於テハ其全部ヲ担当スルモノトス
第三十五条 手代ハ上役ノ指図ニ従ヒ、社務ニ従事スルモノトス
第三十六条 社長・副社長任期中退役スルトキハ重役会議ニ於テ同会員中ヨリ撰挙シ、之レカ補充ヲナスヘシ、但補充員ハ其前任者ノ任期ニ至リ解任スルモノトス
   第六章 重役会議
第三十七条 正副社長・取締役ノ会議ヲ重役会議ト称ス
第三十八条 重役会議ノ議長ハ社長之ニ当リ、社長事故アルトキハ副社長若クハ取締役ニテ之レヲ勤ムヘシ
第三十九条 重役会議ハ毎週一回会日ヲ定テ之ヲ開キ、其他社長・副社長ヨリ臨時請求スルトキハ何時タリトモ之ヲ開クヘシ
第四十条 重役会議ノ議決ハ同意ノ多数ニ依ルモノトス、若シ意見同数ニ分ルヽトキハ議長之ヲ決スヘシ
   第七章 株主権利及責任
 - 第8巻 p.54 -ページ画像 
第四十一条 何人タリトモ(我国法ヲ遵奉セサル人民ヲ除クノ外)会社ノ規則ヲ承認シテ株式ヲ引受ル者ハ株主タルコトヲ得ヘシ
第四十二条 組合或ハ会社ノ名義ヲ以テ当会社ノ株式ヲ引受ケントスルモノハ、其社中重立タル者ノ名前ヲ定メ、株式ニ対スル権利及ヒ責任ヲ担当スヘシ
第四十三条 当会社ノ株主ヘハ其引受ケタル株式一個ニ付、左図ノ如キ株券一通ヲ渡スヘシ

図表を画像で表示株券雛形

   有限共同運輸会社株式  大日本帝国政府ノ命令書ヲ遵奉シテ創立シタル共同運輸会社ノ定款ニ従ヒ明治年月日ヨリ我共同運輸会社株式ノ内五十円即チ一株ノ株主タルコト相違ナキ証拠トシテ此株式券状ニ当社ノ印章ヲ押捺シ之ヲ附与スルモノ也    年月日    共同運輸会社             社長             取締役               二名      何誰殿 



第四十四条 当会社ハ株帳ヲ製シ、株主ノ姓名・属籍・宿所、株式ノ員数・番号、及ヒ其売買譲渡ノ年月日ヲ登録シ置クシ
  但此株帳ハ営業中差支ナキ時間ニ於テハ、株主ノ望ニ応シテ撿閲ニ供スヘシ
第四十五条 株式ノ売買譲渡ヲ為ストキハ之レヲ会社ニ申出、株帳ニ登録ヲ求ムヘシ、若シ其手統ヲ為ササル間ハ会社ヨリ割渡ス可キ利益金ハ株券ノ名前人ニ渡スヘシ
第四十六条 株主其姓名ヲ変スルカ或ハ属籍・宿所等ヲ転スル時ハ、書面ヲ以テ其趣ヲ会社ヘ申出ヘシ
第四十七条 株券ヲ磨耗シ又ハ紛失スル等ノ故ヲ以テ其書換及ヒ更ニ受取方ヲ望ムモノハ、其事実ノ詳明ナルニ於テハ、二人以上ノ保証人ヲ立タル上之レヲ渡スヘシ
第四十八条 株主ハ当会社ノ本主ニシテ、株数相当ノ権利ヲ有シ、営業上ノ損益ヲ負担スルモノナルカ故、営業ノ妨ケナキ時間ニ於テハ諸帳簿等ノ撿閲ヲ求ムルコトヲ得ヘシ
第四十九条 株主ハ常ニ営業ノ景況ニ注目シ、当会社ノ利害ニ関スル意見アルトキハ何時タリトモ、意見書ヲ以テ重役会議ニ建議スヘシ
第五十条 株主ハ正副社長・取締役ノ行為ニ於テ不適当ノ事アリト認ムルトキハ、第六十五条ノ手続ヲ践ミ、臨時総会ヲ催シ、三分ノ二以上ノ衆議ヲ以テ之レヲ解任スルノ権アルモノトス
第五十一条 株主ハ総会議ニ於テ投票ヲ為スニ当リ、其所有株五株ナレハ一個ノ投票権ヲ有ス、而シテ五株以上百株迄ハ五株毎ニ一個、百株以上十株毎ニ一個ヲ増加シ、一人ニシテ百個ヲ極度トシ、其以
 - 第8巻 p.55 -ページ画像 
上ハ投票ノ権ナキモノトス
第五十二条 当会社ノ株式売渡或ハ譲渡ニ付キ、直接間接ニ拘ラス会社ノ公益ヲ妨碍スルコトアリト認ムルトキハ、会社ハ其登簿ヲ拒ムコトヲ得ヘシ
   第八章 海員
第五十三条 通常海員ハ勿論、船長・運転手・機関手ト雖トモ総テ日本人ヲ採用ス可シ、然レトモ当分ノ内、船長其他ノ役員ニ限リ外国人ヲ雇使スルモ妨ケナシトス
   第九章 計算
第五十四条 当会社ハ総テ複記ノ法ヲ以テ明細正確ナル帳簿ヲ製シ置キ、政府ノ撿査官又ハ株主ノ撿閲ニ供ス可シ
第五十五条 当会社ノ損益計算ハ毎年一月・七月ノ両度ト為シ、株主総会ニ報告シ利益金ノ配当ヲ為ス可シ
第五十六条 船体保険準備トシテ、一箇年ニ付、各船代価ノ百分ノ七ヲ収入金ノ内ヨリ積立(滊船・帆船トモ)、之ヲ第一種積金ト称ス可シ
  但シ船舶危険ニ遭遇シタル破損ノ修繕費本船原価百分ノ三以上ニ当ル時ハ、此積金ヨリ償却スルモノトス
第五十七条 滊船ハ滊鑵、帆船ハ銅板張替ノ準備及ヒ通常大修繕ノ準備トシテ、一箇年ニ付、各船総代価ノ百分ノ五ヲ収入金ノ内ヨリ積立、之ヲ第二種ノ積金ト称ス可シ
第五十八条 営業上ノ都合ニヨリ多分ノ利益アルトキハ、株主ノ衆議ニ依リ、第三種ノ積金ヲ為スコトアルヘシ
第五十九条 当会社収入金総額ヨリ一切ノ費用及ヒ尋常船体ノ修繕費、各種ノ積立金ヲ除キ、残金ヲ以テ純益ト為シ、其内ヨリ役員ノ賞与金ヲ引去リ、余ヲ株高ニ割合配当スヘシ
   第十章 例式及臨時総会
第六十条 例式総会議ハ毎年一月・七月両度ニ開クヘシ
第六十一条 例式総会議ニ於テハ役員撰挙・利益分配及ヒ諸計算其他重役会議ヨリ出ス所ノ諸般ノ報告等ヲ議決シ、臨時総会ニ於テハ例式総会ニ於テ議決スヘカラサル所ノ重要ノ事項一切ヲ議決スルモノトス
第六十二条 臨時総会議ハ其会日ヨリ少クモ三十日前ニ議案ヲ附シ招集ノ報告ヲ為ス可シ
第六十三条 総会議ニ於テ事ヲ議スルニ当リテハ、株数総額十分ノ五以上出席スルニ非レハ何事モ決定スルコトヲ得サル可シ、但シ計算報告・利益金分配ニ関スル事ハ此限ニアラス
第六十四条 正副社長・取締役ノ見込又ハ人員五十名ニ下ラス其所有株数資本金額ノ五分ノ一ニ下ラサル株主ノ求メニ因リテハ、何時ニテモ臨時総会議ノ招集ヲ為スヲ得可シ
第六十五条 株主ヨリ臨時総会議ヲ要求スル時ハ、其目的趣旨ヲ記シタル要求書ヲ重役会議ニ差出ス可シ
第六十六条 重役会議ハ前条ノ要求書ヲ受取ル時ハ、直チニ臨時総会ノ招集ニ着手スベシ、若シ其要求書ヲ受取タル日ヨリ十四日内ニ招
 - 第8巻 p.56 -ページ画像 
集ノ手続ニ着手セサルトキハ、要求人ハ自ラ之ヲ招集スルヲ得ヘシ
第六十七条 株主ノ要求ヲ以テ会議ノ招集ヲ為シタル時ハ、集会ノ刻限ヨリ二時間ヲ経テ第六十三条ノ定員臨席セサレハ会議ヲ解散シ、其議案ヲ廃棄ス可シ然レトモ正副社長・取締役ノ見込ヲ以テ招集シタル場合ニ於テハ其会議ヲ延期シ、其日ヨリ二週間以内ニ再ヒ招集ス可シ、此会議ニ於テハ定員臨席セサルトモ出席ノ株主丈ケニテ議決ヲ取ルコトヲ得ヘシ
第六十八条 総会議ニ出席セサル株主ハ、他ノ株主ノ投票権ヲ有シタルモノニ限リ委任状ヲ付与シ、代人トシテ出席セシムルヲ得ヘシ、代人ヲモ出ササルトキハ決議ノ後異議ヲ発スルモ一切採用セサル可シ

図表を画像で表示委任状之事

  明治 年 月 日共同運輸会社ノ定式臨時総会ニ於テ何某ヲ拙者ノ代人トシ拙者所有ノ株数ニ対シ 個投票ノ権ヲ委任致シ候仍テ委任状如件          共同運輸会社株主    年 月 日     姓名印     共同運輸会社 御中 



第六十九条 総会議ノ議長ハ社長之ニ当ル可シ、若シ社長事故アルトキハ副社長又ハ取締役ノ中ニテ之ヲ勤ムヘシ
第七十条 総会議ノ議決ハ同意ノ多数ヲ以テ其決ヲ取ルヘシ、若シ意見同数ニ分ルヽトキハ議長之ヲ決スヘシ
   第十一章 改正増補
第七十一条 此定款ハ株主ノ衆議ニ依リ、農商務卿ノ認許ヲ得テ之ヲ増減更正スルコトヲ得ヘシ
右ノ条条議定シタル証拠トシテ各姓名ヲ記シ調印致シ候也
               共同運輸会社発起人総代
  明治十五年十月十九日        遠武秀行
                     外四十一名連署

  有限共同運輸会社創立規約
第一項 当会社取締役ノ撰挙会ハ来明治十六年三月迄ニ開会スヘキニ付、其迄ノ間ハ発起人及発起人総代ノ投票ヲ以テ創立委員ヲ定メ、之レニ定款ニ明記スル取締役・理事役ノ権限ヲ担当セシムヘシ
  但創立委員ノ数ハ六名トス
第二項 右創立委員ノ手当ハ正副社長ニ於テ是ヲ定ムヘシ
第三項 当会社開業ノ目的ハ来明治十六年一月迄トス
第四項 当会社ノ株主タラント欲スルモノハ、其申込書ニ記名調印シテ之ヲ本店ニ差出スヘシ、然ルトキハ総テ当会社ノ規則ヲ承諾シタルモノト認ムヘシ
  但本店未定ノ間ハ東京京橋区本材木町三丁目十三番地仮事務所ヘ差出ス可シ
 - 第8巻 p.57 -ページ画像 
第五項 株主ノ都合ニ依リ、会社ノ報告ヲ待タスシテ株金ノ全額若クハ其幾分ノ払入ヲ望ムモノハ之ヲ許スヘシ、然ルトキハ利益ノ計算ハ其払入金額ト月数トニ応シテ之ヲ配当スヘシ
  但毎月十五日前ニ払入レタルモノハ其月半月分、十五日後ニ払入レタルモノハ翌月分ヨリ配当スルモノトス
第六項 株金払入ノ節ハ本店ニ於テ符合ヲ記シタル(第何回ノ符合)証書ヲ交付シ置キ、全額払入ノ節此証書ト引換ニ株券ヲ付与スヘシ
第七項 定款第二章第十一条ノ手続ヲ以会社ヨリ株金ノ払入ヲ報告スルモ、日限中ニ其払入ヲ怠ルモノアルトキハ、満期ノ日ヨリ三十日間ハ其時時重役会議ニテ定メタル利子ヲ払ハシムヘシ、若シ此日限ヲ過キ尚ホ払入ヲ為ササルトキハ、会社ハ他ニ其株ノ引受人ヲ定メ前キノ申込ハ無効ノモノトナシ、既ニ払入レタル金額ハ更ニ無利足預リ金トシテ会社ニ保管シ置キ、他日本人ヨリ前キニ交付シタル証書ヲ持参スルトキハ、之ヲ返付スヘシ
  但他ニ引受人ヲ求ムルニ際シ損失ヲ生スルトモ、本人ノ損失ニシテ会社ハ其責ニ任セサルヘシ
第八項 本社株金払入ノ手続ハ各地国立銀行三井銀行ヘ振込ムヘキモノトス、尤其手数料ハ本社ニ於テ之ヲ仕払フヘシ
  但各地銀行名ハ追テ新聞紙ヲ以テ広告スヘシ
右共同運輸会社発起人総会議ニ於テ議決シタル証トシテ各記名調印候也
               共同運輸会社発起人総代
  明治十五年十月十九日            遠武秀行
                         外四十一名連署

回議録 明治一六年ノ一(DK080002k-0017)
第8巻 p.57 ページ画像

回議録 明治一六年ノ一              (東京府庁所蔵)
  ○右ハ共同運輸会社定款及ビ創立規約ニ連署セル発起人総代ナリ。
 (下関)佐々木男也    (福井)島田重民   (岐阜)熊谷孫六郎
 (岡山)馬越恭平     (大津)原田金之祐  (桑名)諸戸清六
 (津)中川荘之進     (半田)小栗康吉   (尾張内海)日比範十
 (尾張南粕村)鈴木卯兵衛 (半田)榊原由一   (半田)小栗久左衛門
 (大浜)角谷弥次郎    (伏木)藤井三吉   (入膳)米沢紋三郎
 (高岡)鳥山敬次郎    (函館)堀基     (新潟)鍵富三作
 (神戸)大森栄介     (兵庫)北風正造   (横浜)浅野宗一郎
 (横浜)雨宮敬次郎    (大阪)小室信夫   (大阪)松本重太郎
 (大阪)外山脩造     (東京)三井武之助  (東京)渋沢喜作
 (東京)益田孝      (東京)大倉喜八郎  (東京)赤井善平
 (東京)木村正幹     (東京)川崎正蔵   (東京)平野富二
 (東京)久住五左衛門   (東京)吉川長兵衛  (東京)児島喜三郎
 (東京)寺田政成     (東京)喜多村富之助 (東京)喜谷市郎右衛門
 (東京)岩出惣兵衛    (東京)大村五左衛門 (東京)遠武秀行
  ○栄一之ニ加ハラズ、又創立委員ニモナラズ。然レドモソノ創立ノ議ニ参劃シタルコト前掲栄一ノ談話及ビ創立総会ニ於テ取締役ニ擬セラレタル等ヨリ推察スルコトヲ得ベシ。

 - 第8巻 p.58 -ページ画像 

日本郵船会社創設記(DK080002k-0018)
第8巻 p.58 ページ画像

日本郵船会社創設記         (日本郵船株式会社所蔵)
    共同運輸会社創業事務要領報告
本社ハ明治十五年○中略十月各地ノ発起人総代府下ニ集合シテ定款会議ヲ開キ、同廿六日ニ至リ之ヲ議了シ、尋テ創立規約ヲ定メ、又其ノ席ニ於テ創立委員六名ヲ撰挙シ、之ニ取締役ノ権限ヲ附与シ、農商務卿ノ認可ヲ得○下略
  ○創立規約ニ基キ取締役ノ権限ヲ与ヘラレタル創立委員ハ益出孝・小室信夫・渋沢喜作・堀基・藤井三吉・原田金之祐ノ六名ナリ。昭和十年十二月刊「日本郵船株式会社五十年史」第二八頁ニヨル。同様記事明治三十九年十一月刊行ノ雑誌「太陽」臨時増刊「交通発達史」第二一六頁ニアリ。


法規分類大全 第一編 運輸門十 船舶 郵船商船 第八七頁〔明治二四年五月〕(DK080002k-0019)
第8巻 p.58 ページ画像

法規分類大全  第一編 運輸門十 船舶 郵船商船 第八七頁〔明治二四年五月〕
 農商務省届 十五年八月二十五日
共同運輸会社ノ儀ハ、本月十一日付ヲ以及御届候通当省ヨリ命令書下付候付テハ、創設事務施行ノ都合モ可有之ニ付、右命令書第十一条ニヨリ該社発起人遠武秀行ヘ副社長申付候間、此段及御届候也

 海軍農商務両省届 十五年十月二十一日
共同運輸会社社長ノ儀ハ、過般該社ヘ下付候命令書第十一条ノ趣モ有之候ニ付、今般海軍少将伊藤雋吉ヲ同社社長ニ推撰致候間、此段及御届候也
  ○海軍少将正五位伊藤雋吉社長ノ略歴 京都府士族ニシテ旧舞鶴(丹後)藩士ナルガ、安政五年頃江戸ニ来リ、某氏ニ就テ西欧ノ兵学ヲ修メ、就中心ヲ砲術航海術ニ専ニシタルコト数年ニシテ、郷里ニ帰テ後、藩命ニ依リテ鋳砲築堡ノ任ニ当リ其功亦甚ダ多シ。明治維新ノ際伏見兵学校ニ入リ、明治二年九月再ビ東京ニ遊ブ。折シモ海軍操練所ノ創置アルニ会シ、同所ノ出仕ニ補シ教官ニ任ゼラレタリ。明治三年英国軍艦ト共ニ中国内海ノ測量アルニ当リ、君専ラ之ニ従事シ、同四年又北海ノ測量ニ従事シテ大ニ得ル所アリキ。爾後春日艦長ニ任ゼラレ、尋デ又日進艦ニ、筑波艦長ニ転ジラレタルニ、該艦ノ兵学校生徒実地練習船トナリ米国桑港ニ航行スルヤ、我軍艦ノ外洋ニ航スルハ之ヲ嚆矢トナス際ナレド、同人ノ航術ニ老練ナルト指揮ノ至レルニ由テカ無事航海ヲ了ヘタリ。斯クシテ艦長ノ職ニ在ルコト前後四年ノ間ニシテ、海軍兵学校ノ主務官ト為リ、新鑑金剛号ノ英国ヨリ到ルニ際シ更ニ同艦長ヲ命ゼラレ、従職三年ノ後復タ事ヲ海軍兵学校ニ執リ、其校長ニ補セラレ、十五年六月海軍少将ニ任ジ、正五位ニ叙セラル。
   (明治十五年十月二十一日附中外物価新報第五五九号ニヨル)


共同運輸会社資本金増額請願書(DK080002k-0020)
第8巻 p.58-61 ページ画像

共同運輸会社資本金増額請願書
                  (日本郵船株式会社所蔵)
    資本金増額ニ付請願
今般特典ヲ以テ共同運輸会社創立ノ御命令書ヲ下附セラレシハ、要スルニ戦時非常ノ用ニ供シ、兼テ海運ノ便ヲ拡張シ、商売交通ノ道ヲ発達セシムルノ御趣意ニ外ナラサルハ、顕然御命令書ニ明示シアリ、又曾テ縷述ヲ辱フセシ所ナレハ、今又贅陳スルヲ要セス、深ク銘肝且踴躍スル所ナリ、爰ニ私共発起人トナリ目下府下ニ集合シ会社ノ定款ヲ議定スルニ方リ、衆論一致資本ノ増額ヲ請願セサルヲ得サルニ至レリ
 - 第8巻 p.59 -ページ画像 
倩本業経営ノ道ヲ審案熟慮スルニ、上政府ノ御趣意ヲ貫徹シ、下モ全国ノ公益ヲ図ラントスルニハ、第一ニ其経営ノ目的ヲ確立セサルヘカラス、而テ其目的タルヤ、我カ全国周囲沿海ノ運輸ヲ通暢シ、延テ海外ニ及ホシ、広ク公衆ノ便ヲ達シ、以テ内地物産隆興ノ途ヲ開キ、航海ノ利ヲ謀ルニ在リ、垂諭ニ所謂運輸ハ国家ノ文明ヲ進ムル一大羽翼ナリトハ実ニ千古ノ確言ト謂フ可ク、本社ノ任モ亦重大ナラスヤ、斯ル重大ノ任ヲ帯テ其目的ヲ達センニ如何ナル経営ヲ以テセン乎、始メヨリ十分ノ冀望ハ姑ラク置キ、仮リニ其規模ヲ設クルニ概ネ左ニ掲クル所ノ海運ヲ増進セサルヘカラス
 東京四日市間             蒸汽船 三隻 各九百噸
 東京函館間              同   二隻 各千五百噸
 東京野蒜間              同   二隻 各一千噸
 函館大坂間              同   二隻 各千五百噸
 敦賀函館小樽間            同   三隻 各千五百噸
 函館小樽間              同   二隻 各七百噸
 函館ヨリ根室方面           同   二隻 各五百噸
 敦賀伏木新潟坂田舟川箱館間      同   二隻 各七百噸
 東京鹿児島琉球間           同   二隻 各七百噸
 九州及北海道ヨリ内外諸港ヘ石炭運送  同   十隻 各千二百噸
 東京ヨリ大阪馬関長崎ヲ経テ上海    同   三隻 各二千五百噸
 東京ヨリ馬関釜山浦仁川ヲ経テ天津   同   二隻 各七百噸
 函館上海間直航            同   二隻 各一千噸
 長崎ヨリ釜山浦山津浦塩斯徳ヲ経テ函館 同   二隻 各一千噸
 東京神戸ヨリ香港厦門福建ヘ      同   二隻 各二千噸
   計蒸汽船四十一隻
       此噸数五万千三百噸
右掲クル所ノモノハ実際最モ枢要ノ航路ナリ、就中敦賀函館小樽間ノ航路ノ如キハ所謂北海ノ要路ニシテ、現ニ江北鉄道ノ如キモ稍関ケ原ニ達セントスト云フ、然ルニ目下此航路ノ運便ヲ執ルモノハ只一隻ノ蒸汽船アルノミ、其他近隣ノ諸港ヨリ往復スルモノアルモ一ケ月間一二回ニ過キス、今日以後尚ホ此クノ如クンハ、何ヲ以北陸ノ物産ヲ畿内東国ニ輸シ、幾内東国ノ貨物ヲ北陸ニ送ルノ便ヲ達セントスル乎、若シ是レカ運便ヲ達セスンハ新設ノ鉄道モ其効用ヲ奏スルコト甚タ尠カラン、果シテ然ラハ、北国ノ物産ハ何ヲ以テ其興隆ヲ補翼センヤ、又九州及北海道ヨリ石炭運送ニ供スル海運ノ如キハ、現在其不便ニ苦ンテ外国船ニ依頼スルモノ少シトセス、況ヤ今後北海道幌向ノ炭山隆盛ナルヘキニ於テヲヤ、又函館上海間ノ直航路ニ於ケル、方今海外輸出物産中重モナル部分ニ位スル昆布其他ノ海産及琉黄ノ如キ、現場ニ在テハ皆ナ一時横浜ニ運漕シ、転載シテ以テ上海香港ノ諸港ニ送ルモノナレハ、其不便ナル一言ノ尽ス所ニアラス、故ニ直航ノ便利ヲ起ストキハ、北海全道ノ物産ヲ奨励スルニ於テ又何ノ術カ之レニ過キン、是等一二ノ憑拠ヲ以テスルモ、前述数項ノ枢要タルヲ確証スルニ足ルヘシト信ス、或ハ云ハン、現時我カ人民ノ所有スル滊船ノ積荷噸数ハ三万六千余噸アリ、我カ国沿海ヲ運搬スルニ於テ敢テ不足ト云フヘカ
 - 第8巻 p.60 -ページ画像 
ラスト、是レ畢竟皮相ノ見ノミ、何トナレハ其三万六千余噸ノ積ハ巨大ナルニ似タリト雖トモ、其船舶ハ多クハ衰朽老残ノ者ニシテ、実際ノ運便ニ供スヘキモノハ殆ント半数ニ過キサルヘシ、啻ニ然ルノミナラス、船舶ノ構造ニ於テ、貴昂ノ運賃ヲ得ルニアラサレハ之レヲ運転スル能ハサルモノ多キニ居レリ、是レ物産興隆ノ道ニ於テ一大障碍ト云ハサルヲ得ス、且近年蒸滊船ノ需求ヲ増加セシハ世人ノ知ル所ニシテ、故ラニ陳説ヲ俟タサルヘシ、是レ何ノ故ソヤ、物産繁殖ノ致ス所ト云フト雖トモ、要スルニ商売ノ景況漸次改良進歩シテ活溌鋭敏ニ趨キシカ為メナラスヤ、今日迄既ニ此進歩ヲ実験セリ、今日以後海運ノ便利ヲ拡張セハ、倍商売ノ活溌鋭敏ニ趨クコト年一年ニ迅速ヲ加フヘキハ又弁説ヲ要セサルヘシ、果シテ然ラハ、本社ノ将来経営スヘキ目的ニ於テ、前述ノ船舶ヲ要スルハ、決シテ架空ノ想像ニ非ルノミナラス、此規模ヲ以テスルモ遠カラスシテ尚ホ不足ヲ感ズルニ至ラン、然リ而テ此船舶ヲ構造センニ、幾干ノ資金ヲ要スヘキカヲ推算スルニ、戦時供用ノモノニ至テハ大ニ速力ヲ要スルヲ以テ、其費用モ多カラサルヲ得スト雖トモ、石炭ノ運搬ニ供スルモノヽ如キハ幾分カ廉価ナルヘケレハ、彼是ヲ平均シテ仮リニ実量一噸ノ費用銀貨百十円トシテ通算スルモ、五百六十四万三千円ニシテ、之レヲ紙幣ニ換ルトキハ(壱円六十銭トシテ九百零弐万八千八百円トナル、之レニ加フルニ風帆船及倉船・曳船・各港ノ倉庫・地所・碼頭ヲ始メトシ、本支店ノ家屋・営業器具等ヲ概算セハ、少クモ一千万円以上ノ資本アルニアラサレハ本社営業ノ目的ヲ達スルコト能ハサルヘシ、然ルニ御命令ノ資本三百万円ノ額ハ、他ノ商業ヲ以テスレハ随分巨大ノ額ト云フヲ得ヘシト雖トモ、之レヲ銀貨ニ換算スルトキハ弐百万円ニ過キス、斯ノ如キ僅少ノ資本ヲ以テ此ノ如キ重大ノ事業ヲ経営セント欲スルモ、豈其目的ヲ達スルヲ得ヘケンヤ、是ヲ以テ各地ノ有志者ニシテ本社ノ営業隆盛ヲ期スルニ難キヲ疑懼シ、同盟加入ヲ躊躇逡巡スルモノ亦甚タ少ナカラス、実ニ適切ノ思慮ト謂フヘシ、是レ発起人等カ衆論一致シテ資本ノ増加ヲ請願スル所以ナリ、然リト雖トモ今ヤ遽ニ一千万円ノ資本ヲ蒐集センコトハ頗ル難事ニ渉ルヘキニ付、先ツ以テ現場ノ資本金ヲ六百万円トシ漸次此規模ニ達セント欲ス、故ニ発起人等ハ四方ニ奔走周旋シテ、既定金額ノ一倍即チ三百四十万円ノ株主募集ニ黽勉スヘシ、仰キ冀クハ政府ニ於テモ既ニ命令セラルヽ御下付金ノ一倍即チ弐百六十万円ニ御増加アランコトヲ、目下国費御多端ノ際頗ル悚懼ニ堪ヘスト雖トモ、篤ク本業ノ重要ナルヲ察セラレ、特殊ノ御詮議ヲ以テ、前述ノ請願ヲ御裁納被成下度、奉懇願候也
                 共同運輸会社発起人惣代
  明治十五年十月
                          連署
    農商務《(卿脱)》 西郷従道殿

(以下四行朱書)
出願之趣聞届、更ニ百三拾万円其社ノ資本増額トシテ差加、漸次船舶ヲ製造交附可致候条、都テ本年七月廿六日附ヲ以テ相達候命令書之通可相心得事
  明治十五年十一月廿七日   農商務卿 西郷従道
 - 第8巻 p.61 -ページ画像 
    定款改正之儀伺
今回本社資本金増額御許可之御指令相成候ニ付而ハ、定款中資本ニ関スル条件株主衆議ヲ以テ改正可仕処、目下其順序ニ難運候間、差向之処創立委員之衆議ヲ以テ、別紙之通仮ニ改正致置、来ル明治十六年三月株主之総議ニ付候様仕度、此段奉伺候也
                   共同運輸会社々長
  明治十五年十一月廿九日
                      伊藤雋吉
     農商務卿 西郷従道殿
   (別紙)
     定款中仮改正案
   第二章 資本金
第九条 当会社ノ資本金ハ六百万円トシ、之レヲ拾弐万株ニ分チ、一株五拾円ト定ムヘシ、然レトモ株主衆議ノ上政府ノ許可ヲ得ルニ於テハ之レヲ増加スルコトアルヘシ、但シ資本金ノ内弐百六拾五万円ハ政府ニ於テ引受ラレ、他ノ三百四十万円ハ一般人民ヨリ募集スルモノトス
第十条 資本金六百万円ノ内五百弐拾万円ハ滊船、六拾万円ハ帆船、弐拾万円ハ営業資本ニ供スヘシ
  但シ本条ノ割合ハ時機ニヨリ政府ノ許可ヲ得テ増減スルコトアルヘシ
第十一条 当会社ノ株金ハ株式申込ノ時(三十日間)弐割ヲ払入レ、余ハ営業ノ都合ニヨリ会社ヨリ報告ノ時ニ幾回ニモ払入ルヽモノトス、此募集ノ報告ハ少クモ五十日前ニ於テスヘシ
  但総額払入ノ期限ハ来ル明治十八年十二月三十一日ヲ限リトス
     以上
(朱書)
伺ノ趣聞届認可候事
 明治十五年十二月七日 農商務卿 西郷従道
  ○法規分類大全第一編運輸門十・第九五頁ニ右同資料ニ左ノ如キ付箋ヲ添ヘテアリ。
   (付箋)
   一 旧款第九条ニ、資本金ハ目下増額ヲ上願中ニ付云云仮ニ三百万円ヲ以テシ之レヲ六万株ニ分チ、トアルヲ改款ニ於テ、資本金ハ六百万円トシ之レヲ十二万株ニ分チ、ト改ム、其一株ヲ五十円ト定ムルハ旧改両款並ニ同ジ
     然レトモ云云旧款ニ無キ処、改款之ヲ新ニ加フ
   二 旧款第十条、資本金ノ内滊船・帆船及営業資本ニ充ルノ割合ハ追テ資本金確定スル迄命令書ヲ遵奉スヘシ、トアルヲ本案ノ如ク改ム
   三 命令書第九条、資本金三百万円ノ内二百三十万円ハ滊船ニ、六十万円ハ帆船ニ、十万円ハ営業資本ニ供スヘシ
   四 旧款第十一条中、報告ノ時時払入、トアルヲ改款ニ於テ、時時幾度ニモ払入、ト改ム、旧款但書中、払入ノ期限ハ短クトモ二箇年間ヲ目的トス、トアルヲ改款ニ於テ、払入ノ期限ハ来ル明治十八年十二月三十一日ヲ限リトス、ト改ム

 - 第8巻 p.62 -ページ画像 

日本郵船会社創設記 第一三―三〇丁(DK080002k-0021)
第8巻 p.62-64 ページ画像

日本郵船会社創設記 第一三―三〇丁
                (日本郵船株式会社所蔵)
    第二 共同運輸会社ノ創設
三菱会社ノ回漕業ニ従事スルヤ、拮据勉励其一大事業ヲ起シ、国家ニ尽クス所浅少ナラス、然レトモ一国ノ海運ハ本来重要ナル一事ニシテ之レヲ一会社ニ全任スル時ハ、利害相交ルノ憾ナキ能ハス、蓋シ競争ハ創業ニ害アリ、専占ハ発達ニ利アラス、運賃固定シテ貴キニ失スレハ通商閉塞スルノ害アレトモ、其高低常ナラスシテ商家ノ方針ヲ乱スノ害ハ亦遥カニ大ナリ、三菱会社ハ能ク中心ヲ守リ、前記極端ノ弊害ニ陥ランコトヲ戒メタルハ自他ノ為メ至当ノ挙ナリ、唯夫レ世態ヲ通覧スレハ、凡ソ事業ノ何タルヲ問ハス、表裏自ラ観ヲ異ニスル所アリリテ、時ト処ノ移ルニ従ヒ利ハ害トナリ、弊習却テ美例タルコトア内部当局ノ人ハ事業ノ性質ヲ鑑ミテ経営措カサルノ際、世間新異ノ大業ニ通塾《(熟)》セサルノ輩ハ其規模権柄ヲ訝ル者ナキヲ保ス可ラス、一国ノ輿論必ラス誤見ナキヲ保シ難シト雖トモ、其代表スル所ハ国中当時ノ思想ニ外ナラサルナリ、玆ニ明治十五年夏政府ハ本邦海運ノ尚ホ全カラサル所ヲ補正シ、此業ヲ益々整進興立シ、平常非常ノ用ニ備フルノ目的ヲ以テ、共同運輸会社創設ヲ許可シ、賛助ヲ施シテ左ノ命令書ヲ下附シタリ
○中略
左ニ掲クルハ明治十六年四月三十日附共同運輸会社創業事務要領報告ナリ、以テ同会社創設ノ始末ヲ知ルニ足ルモノナリ
  共同運輸会社創業事務要領報告
本社ハ明治十五年七月廿六日下付セラレタル農商務卿ノ命令書ニ遵ヒ、同十月各地ノ発起人総代府下ニ集合シテ定款会議ヲ開キ、同廿六日ニ至リ之ヲ議了シ、尋テ創立規約ヲ定メ、又其席ニ於テ創立委員六名ヲ撰挙シ、之ニ取締役ノ権限ヲ附与シ、農商務卿ノ認許ヲ得、且政府ハ命令書第十一条ニ依リ伊藤雋吉ヲ社長ニ、遠武秀行ヲ副社長ニ特選セラレ、爾後専ヲ創業事務ニ従事セリ、今其要領ヲ諸君ニ報道スルコト左ノ如シ
   株金ノ件
明治十五年十月各地ヨリ出京ノ発起人総代諸君ト株主募集ノ方略ヲ商議シ、爾後本社創立ノ主旨ヲ広ク貫徹セシメンコトヲ勉メ、有志者ノ加盟ヲ促シ、今日迄ニ本社ノ帳簿ニ謄録セシモノハ(十六年四月廿七日調)
 株高四万弐千百四十一株
  此金二百拾万七千五拾円
   内金六拾七万三千四百八十五円    既ニ払込金高
ニシテ、総額拾弐万株ノ内政府ヨリ下付セラルヘキ五万二千株ヲ引去リ残六万八千株ニ比スレハ十分ノ六強ニシテ、甚タ不振ノ景況ナルカ如シト雖トモ、昨今尚ホ募集中ニテ加盟ノ承諾アリテ株高ノ申込ナキモノアリ、又株高申込アルモ尚ホ各地ニ於テ取纏中ノ者アリ、現ニ府下ノ如キモ未タ帳簿ニ謄録スル場合ニ至ラサル者アリテ、是等ハ皆此
 - 第8巻 p.63 -ページ画像 
ノ報道ノ外ナレハ、実際ニ就テ其運歩ヲ観察スレハ決シテ不振遅緩等ノ事ナキヲ信スルナリ、意フニ今後株主満員ノ報道ヲ為スノ日ハ蓋シ遠キニアラサルヘシ
政府ヨリ下付セラルヘキ株金ハ、総額金二百六拾万円ノ内最初ノ命令ニ定リシ百三十円ハ、既ニ政府ニ於テ、戦時ニ在テハ海軍ニ適用ノ速力十三里ヲ走ルヘキ堅牢ナル大汽船弐隻ノ製造ニ着手セラレ、其剰余ヲ以テ汽船風帆船ヲ製造シ下付セラルヽ筈ニテ、是亦疾ク着手セラレタリ、又他ノ一半即チ増株請願ニ依リ増加セラレシ百三十万円ハ、来ル明治十八年ヨリ下付セラルヽ旨ノ指令ヲ得タレトモ、今回下渡サルヘキ長崎工作分局製造ノ汽船小菅丸ノ如キハ、其船価ハ右増加額百三十万円ノ内ヨリ支出セラルヽモノナレハ、此ノ船価丈ケハ特ニ繰上ケテ本社ニ払込マレシ者ト為スヘシ、斯レハ政府ヨリ下付ノ株金ハ我輩人民ヨリ醵出スル者ト其払込期限ノ長短日ヲ同シテ語ル可カラス、会社ノ利便ヲ得ル亦大ナリト謂フヘシ
   三会社合併ノ件
東京風帆船会社・北海道運会社《(輸脱カ)》・越中風帆船会社ノ三会社ヲ本社ヘ合併スルノ一事ハ、重役会議ニ於テ可決シタレハ、三会社ヨリ資産調ヲ出サシメ、農商務卿ヘ伺ヒ、其認可ヲ得テ各社株金ノ全額ヲ以テ本年一月一日ヨリ本社ニ合併セリ、尤モ其所有船舶ノ航海ノ都合ニ依リ一時ニ授受ノ運ヒニ至ラス、品海ヘ入港ノ時々管船局ニ願出、船体ノ検査ヲ受ケ、定款ニ照シテ合格ナルモノヽミ当一月ヨリ本月迄ニ順次本社ニ引受ケタリ、其船数ハ汽船一隻、風帆船十五隻ナリ、而シテ右三会社ノ株高ハ左ノ如シ
 株高七千四百廿二株   旧東京風帆船会社
  此金三拾七万千百円
   内金廿四万九千九百八拾円  払込済ノ分
 株高四千三百六十八株  旧北海道運輸会社
  此金廿一万八千四百円
   内金七万二千三百五十五円  右同断
 株高三千株       旧越中風帆船会社
  此金拾五万円
   但皆金払込済
 合計株高壱万四千七百九十株
  此金七拾三万九千五百円
   内金四拾七万二千三百三拾五円  払込済ノ分
此ノ払込金ニ対スルモノハ乃チ、前ニ云フ汽船・帆船ヲ始メ地所建物及附属品船舶用品等本社ニ於テ要用ノ諸物ト現在正金トヲ以テシ、其余ハ未タ払込マサル金額トス
   拝借船ノ件
旧北海道運輸会社ニテ拝借シ居リシ汽船玄武丸外三隻・風帆船清風丸外八隻ハ農商務卿ノ御達ヲ以テ更ニ本社ヘ貸下ケラレ、本年一月一日同会社ヨリ受取リ、其内風帆船二隻ハ御達ニ従ヒ返上シ、汽船四隻・風帆船七隻ハ爾来本社ノ旗章ヲ翻ヘシテ各所ヲ航海セリ
   船舶購求ノ件
 - 第8巻 p.64 -ページ画像 
本社ノ営業ニ於テ、船舶ノ構造又ハ購入ハ創業事務中ノ急務ナルヲ以テ専ラ商議ヲ尽セシニ、政府ニ於テモ二隻ノ大汽船ヲ欧羅巴ニ於テ製造セラルヽニ付、本社々長其諸般ノ総理ヲ命セラレ、又管理局ヨリハ御雇外国人ブラヲン氏ヲ同行セシメ、海軍省ヨリハ少匠司佐双左仲氏ヲ派遣セシメラル、是ニ於テ社長ハ自ラ社船購入ノ事ヲ併セテ担任シ本社雇外国人アルウイン氏ヲ倶シ当一月廿七日郵船ニ搭シテ英国ヘ向ケ出帆シタリ
去月十二日社長ノ一行英京敦倫ヘ安着シ、本月廿一日荷物船客両用ノ新造汽船四艘(重量噸数五千六百噸)ノ売物アリ、其構造本社ノ望ニ適当ナレハ価格ヲ吟味シ買入ルヘキヤトノ電報アリシヲ以テ、之レヲ農商務省ヘ伺出、御許可ヲ得テ速ニ買入ルヘキ旨ヲ返信セリ、然レハ此ノ四艘ハ遅クモ七八月頃ニハ品海ヘ到着スヘシト信ス、而シテ社長ノ報道ニ依レハ、新製ノ大汽船二艘ノ内一艘ハ十箇月一艘ハ十二箇月ニテ出来スル趣ナレハ来明治十七年春夏ノ交ニハ本社ノ旗章ヲ翻ヘシテ我沿海ノ航運ヲ翼クルニ至ルヘシ
又長崎工作分局ニ於テ製造ノ汽船小菅丸ハ、最モ良材ヲ撰ハレ頗ル堅牢ノモノナルコトハ耳聞目撃セシ者ハ能ク知ル処ナリ、然ルニ本社ハ目下船舶ノ必迫ニ困スル際ニ付、該船ヲ政府ヨリ下付可相成船舶ノ内ニ加ヘテ下渡サレンコトヲ上願セシニ、速ニ採納セラレ、近日下付順叙ニ運ヘリ、其船価ニ付テノ詳細ハ前ニ述ル処ノ如シ
   支店代理店ノ件
本社ノ営業ハ各要港ニ支店若クハ代理店ノ設ケ、最モ緊要ナレハ差向旧三会社ノ本店及ヒ代理店ヲ直ニ本社ノ支店、又ハ代理店荷扱所ト為シ、又新ニ代理店扱店等ヲ設ケシモノモアレトモ、其内枢要ノ地ハ往往支店ヲ置カサル可カラサルニ依リ、予メ営業資金ノ総額ヲ斟酌シテ計画スル処アリト雖トモ、創業ノ際可成的費用ノ節減ヲ主トシ、最モ枢要ニシテ且他日ニ譲リテ再ヒ得ルコト難キ場所等ニ限リ地所家屋ヲ購入セシモノアリ、又倉庫ノ築造ニ掛リシモノアリタレトモ、大抵費用ノ節減ヲ主トスルヲ以テ、今後社業隆盛ノ期ニ至ラハ必ス不十分ノ憾ヲ覚ルコトアランモ亦已ヲ得サル所ナリ
右ハ本日ノ総会ニ当リ聊カ我々カ執業ノ大要ヲ約述シテ来会ノ各位ニ呈スルノミ、其計算其他詳細ノ事項ハ今後ノ例式総会ニ於テ報道ス可シト云爾
                共同運輸会社
  明治十六年四月三十日    社長   伊藤雋吉
                 欧洲出張
                副社長  遠武秀行
                創立委員 益田孝
                同    小室信夫
                同    渋沢喜作
                同    堀基
                同    藤井三吉
                同    原田金之助

 - 第8巻 p.65 -ページ画像 


〔参考〕中外物価新報 第五二三―五三〇号〔明治一五年七月二五日―八月一〇日〕 運輸論(DK080002k-0022)
第8巻 p.65-75 ページ画像

中外物価新報  第五二三―五三〇号〔明治一五年七月二五日―八月一〇日〕
    運輸論
吾輩ハ前日の紙上に於て農商務大輔品川君の口演に徇尾し、更に一論せん事を読者諸君に約したり、乃ち稿を続て現今吾か海運の不整不備なる実状を徴し、共同運輸会社の如き航業会社の須要たる実理を明らかにし、以て反対論者の迷夢を醒まし、鼾々の声を制せんと欲したれども、先づ姑らく渠等が睡裏の饒舌を聞き尽して後に之を喚起さんと耳を忍ハしむること玆に数日なるが、渠等の饒舌ハ愈出でゝ愈喧しく最早猶予すべきにも非されハ之を一斉に驚破せん乎、其吐く所の空々寂々取るに足る者なきを奈何せん、云く、近年貨幣の変動に依りて諸物価の騰貴を促したり、此際海上の運賃のみ独り騰貴せさらんと欲するも得へからす、云く、実際の景況ハ船舶を所有して予期の利益を収むる能ハす、却て維持に苦むより之を売却せんと欲する者尠なからざるか如し、云く、外洋進航の業を持続するを好まさるものハ実際損失を招くこと多きか為めなり、利益の多少を計較して此れ彼れより多きが故に非さるなり、云く何に云く何に、と多くハ皆品川君か演説の各項に就て駁撃を試み、又政府に向つて干渉保護の弊害を責め、或ハ又共同運輸会社の発起人に対して其性格を質し、剰へ創立主務者の誰れ彼れを穿鑿する等、左も理窟ありげに述べ立てたり、然れとも其事業を是非するや、皮相の管見に由て臆測を附するに止まり、其人物を可否するや腐套庸言を以て無用の品評を下すに過きす、否其事業を是非するよりハ重もに其人物を可否するの情状を隠顕せり、之を要するに、一ハ元来航権を独占せし一会社の為めに勉めて保庇し、他に同業新社の起るを抑へんとする者の如く、一ハ他人の盛挙を猜忌して荐りに之を斥けんとする者の如く、又一ハ政論党派の風潮に揺蕩せられて妄りに政府を非議する者の如く、未だ民利国益を重んするの精神より出てたる的実公正の真趣を示し、以て吾輩を感服せしむるの反対論者あるを見ざるなり、吾輩ハ政党にあらす、又政談家にあらす、吾か新報は政談新聞にあらす、又党派新聞にあらす、唯僅に中外の物価商況を報道し、以て実業者の利便に供し、傍ら経済の本真を講するの商売新聞なり、故に政事の上に関してハ政府人民の如何に喙を容るゝことを欲せされども、苟も商業の進歩を促し農工の振起を図るが如きハ吾輩の素願にして、吾か新報の責任なれハ、若しや商業の進歩を妨け農工の振起を害する言行を為す者あらんにハ、政府人民に論なく、之を筆誅して少しも寛仮せさるなり、然ハ然りながら、今其精神ハ已に民利国益を重んするに在らすして、各為めにする所あるより枉けて私意私見を張らんとするの反対論者たりと看做す以上ハ、其精神より矯むるに非すんハ、如何に其饒舌を遏めんと欲するも到底徒爾に属し、所謂壁に面して語るか如きのみならん、好し亦一歩を譲りて其理窟を采るとするも、凡そ実務に当れる者は挙な其冗弁たるを笑ひ、識者を俟つて後知る程の卓論もあらされハ、敢て之に抗するにも足らす、又之に徴明を与ふるにも及ばさるなり、故に吾輩ハ之を後日に遺り、更に
 - 第8巻 p.66 -ページ画像 
論鋒を転して先つ維新以来に於ける吾邦海運の沿革を略叙し、尋て共同運輸会社の性質目的及ひ其警戒すへきの要項を提記し、以て之を読者諸君に詢り、且大方に問ハんとす、是れ他なし、今回の美挙たる運輸会社の開設を賛成して之を永遠に維持せしめ、終にハ吾か日本国をして東洋の海王たらしむるの基礎を固ふせん事を切望すれハなり
已に前に述へたる如きの事由あるに因り、今日に於て吾邦海運の沿革を略叙するは亦無益の事に非さる也、夫れ吾が商業世界の海運ハ近世に至るまで寥々乎として其見るへき者なかりしが、維新後即ち明治三年始めて回漕会社(木村万平の首唱)の設ありしを濫觴とし、当時ハ僅かに陽春・長鯨(旧幕府の脱艦)等二三の陳艦腐船を以てするも、商貨を載せ旅客を搭して商業世界の用に供したる紀元と称すへき頃なれは、吾輩の如きも望を将来に期して啻に其開幕を祝せし迄なりき、然るに其演劇ハ未だ半に至らずして頽れんとするの際、明治四年の春為換会社に於て其劇を継き、別に回漕取扱所を立て、千里・回漕(原名を「サクラ」と謂ひ、本と東京商社の所有船)・有功・明光(共に紀州藩の所有船)・万里丸(長鯨の改名)の五滊船を以て東京・大阪間の定航を創め、兼て函館・石巻等の航行を開き、元廻漕会社は旧飛脚屋仲間(江戸屋・京屋・島屋・和泉甚)に於て保績し、貫効・清渚知多丸の三滊船を取扱ひ、唯尾勢州と東京との回漕を為せしのみなるが、萎靡として振はす、後年遂に其社を解くに至れり、此時に際り九十九商会あり(岩崎弥太郎氏の起立に係り、後ち三川商会と改称し、又終りに三菱会社と変す)紅葉賀・夕顔(後ち太平と改名す)・鶴丸(後ち千年と改名す)の三滊船を以て東京・大坂・高智等を廻航せしめたりしも、其勢は遠く回漕取扱所に及ハさりし
是より先き、太平海郵船会社(横浜に支店ありて一般に亜墨利加四番と称す)ハ、吾が日本沿海の運輸を開らき且つ盛んならしめさる可らさるの理由を論し、之れを吾が政府に建議したり、今其要を挙くれハ未開の人民に在てハ容易に斯の偉業を起す能はさるべし、政府宜しく率先せすんはあるへからす、若し政府にして起業すへからさるの事情あれは、姑らく之を当社に命任せらるゝの特許あらんことを請ふ、との趣意を以て切りに相迫りしより、吾が政府に於ても之を急にせすんはあらさるの情勢ありし而已ならす、固より沿海の運輸に注目せらるるの厚きも、奈何せん百務多端の折柄にて事の此に及ふへき遑あらさるに、明治四年十一月廃藩置県の制変ありたるより、従来或る藩々の所有せし蒸滊船ハ総て大蔵省に徴集せられたれハ、当時在職の顕官及ひ陸奥・前島の両氏ハ首として為換会社の役員行岡庄兵衛・永田甚七其他高崎長右衛門・山路勘介・岩橋万蔵の諸名を慫慂し、其回漕取扱所を拡張して更に郵便蒸気船会社を設立せしめ(其企図は明治五年に始まり、其開社ハ明治六年に在りて、最初は日本政府郵便蒸気船会社と称したり)、之に藩々より収めたる所の蒸気船十数艘を払下け(代価は合金廿五万円余にて永年賦上納の約)、以て大に之を保助したり、然れとも、其船舶たるや修理を加ふるに非すんは直ちに海運の便に供し難きもの居多なるが為め、其費用として六十万円の金額を大蔵省より追々に下付せらるへき筈なりしかは、郵便蒸気船会社に於ては其下付
 - 第8巻 p.67 -ページ画像 
金を目途とし、且創立の初より其資金ハ為換会社より弁用するとの約束もあれは、遽に船舶の修理に取掛り、之か為め為換会社より借り入れたる金額は少頃の間に四十余万円を超へたりき、既にして明治七年小野組の瓦解するに当てや、為換会社は忽ち其影響を被りて迚も維持すへからざるの害故に遭ひ、且同社の目当と做したる大蔵省の下付金も政府正に会計法の改革を行はれ、容易に下付せられさるの有様なれは、郵便蒸気船会社に対する旧誼前約を捨てゝ頻りに其貸金を督促し郵便蒸気船会社ハ当初の目途に由り大蔵省に向て修理費(六十万)の下付を要請したりしかど、竟に其請を聴されざれハ、為換会社の督促に応する能ハさるは勿論、斯る手違より種々の不都合を醸生し、内には已に各株主の紛議不平ありて冗費の出途多く、外には又三菱滊船の此機に乗し競争するありて運銀の収額を減し、加之其船舶は素と旧藩藩の外国商人に衒売せられたる老朽の者多く、商業世界の供用に適せる良船に少れ《(マヽ)》なるを以て、到底収支相償はさるの困頓を見るに至れり之を郵便蒸気船会社の第一厄運なりとす
折しも又明治七年五月の初より台湾征討の役起りしかば、三菱会社は唯此時を然りとして書を政府へ奉り、所有の三滊船を以て軍用に供し国恩の万分一に報んとの衷意を表したれは蕃地事務局総裁ハ殊に之を嘉賞せられ、此役に就き同局に於て購入せし滊船は悉く之を三菱会社に托して其取扱を命し、何故にや郵便蒸気船会社の滊船は一艘だも使用せらるゝことなく、独り海軍省よりは兵器弾薬其他の運輸を命せられたりと雖も、其運賃ハ三菱会社の滊船に於けるが如くならずして毫も益する所あらさりしが、此役の畢りたる後も前に述へしか如き場合なるにより、郵便蒸気船会社は益々艱苦に陥りて三菱会社の圧倒する所となり、其蒸気船及び一切の所有物を政府へ買上(代価合計金卅五万円余)けられんことを請ふに至れり、是れ郵便蒸気船会社の第二厄運にして、此厄運を最期とし明治九年を以て終に此会社を崩潰せり
新報子曰、或は郵便蒸気船会社を評して単に三菱会社との競争に斃れたりとする者あれど、吾輩を以て観れは決して然らす、其近因ハ第一第二の厄運に在りと雖も、其遠因ハ業に已に創設の時に胚胎せりと断認すべし、何となれは、其船舶の実用に適せさる者多きのみならす、之を扱ふの人々は其業途に経験なく、又合資経営の方法をも弁知せすして只管に政府顕官の勧誘に由り飽迄も之に依頼せんとするの念慮を長し、随て為換会社の貸資に甘んするより知らす識らす其用意を怠りたるに在れはなり、嗚呼後の斯業に従事する者は此に鑑みすんはあるへからす
吾邦商業世界の海運沿革は略ほ前記の如くなりと雖も、尚其他一人の名を以てし、若くハ某社の称を以てし、一二の蒸気風帆船を取扱ひ事に海運に従ふ者も亦数多ありたれと、維新以降今日に至るまで継存し商業世界に立つて自他の功用を見はせるものは幾んと之れ無く、唯明治八年以後の三菱会社あるのみ、爾来其著しきものを挙くれハ、東京の風帆船会社、神戸の偕行社、函館の運輸会社等の踵起するありて、日本の海運ハ稍や其体面を作れる者に似たり、而して其此に従事せる人の実力は如何、経験は如何、又其事業の成立は如何、動作は如何と
 - 第8巻 p.68 -ページ画像 
問ふに、三菱会社を首とし固有の実力に由て事業の成立を資り、自家の経験を以て動作の活溌を致せる者ハ、蓋し太た罕れなるへく、往々は他力に依り機勢を頼んて本業を弥縫するに過きさる而已、豈夫れ危殆ならさらんや、然のみならす、其船舶ハ商業世界の供用に備へんが為め便宜恰好の良船を撰みしにも非らす、先きにも已に論せし如く、旧藩々の遺物に非すんは戦乱遽劇の際に購入したる古様老質の脆船弱舶多く、全国を挙けて算するも保険の資格に適合する者は大小の蒸気風帆船を併せて未た七十艘許に満たずと云ふ程なれハ、真に商業世界の海運を流利し吾が日本国の経済を裨補するの場合ハ則ち那辺に在る乎を知るへからず、そも又不安心の至と謂ふへきなり、試に今吾が航業社会の第一に位して最広最多の線路港湾を占めたる三菱会社を以てするも、台湾の役に次いて又郵便蒸気船会社の船舶を領有し俄に其船数を増加したるより、現今は正に五十有六艘の多額に達したれども、之を実査せんには堅牢を証し安全を期すべきの船舶は尚僅々の小数たらん、世人は左に掲くる所の表を熟視して以て之を参考せよ
○台湾征討の際政府に於て購入し同社へ貸下られたる船舶

図表を画像で表示台湾征討の際政府に於て購入し同社へ貸下られたる船舶

 船種   船名    原名           公称馬力   総噸数       正味積高      買入代価 汽船   東京丸   ニーヨーク        三五〇    二一一七、四三   一一四六、二一   弐十五万弗 同    新潟丸   ベハル          二五〇    二〇三一、七〇   一〇九六、八一   拾万弗 同    高砂丸   デルタ          二五〇    二一二一、八一   一二二九、五一   拾万弗 同    兵庫丸   ミン           二〇〇    一四一一、六六    八九六、〇〇   拾六万六千二百五十弗 同    九州丸   ヴヰーオラ        一一二    一二一六、一六    六九〇、〇〇   六万弗 同    社寮丸   シヤフツボリー      一一〇     八〇〇、〇〇    五二四、一七   六万弗 同    品川丸   チヤールスアルベルト   一二〇    一一六九、〇〇    九〇八、〇〇   拾弐万弗 同    隅田丸   スミダ          二〇〇    一四一一、一六    八九六、〇〇   拾六万六千二百五十弗 同    瓊浦丸   ムリヱル         一一八     八七七、七七    五五八、九二   拾一万九千弗 同    東海丸   アカンザ         一八〇    一〇四二、二六    六五二、八四   拾壱万八千五百弗 同    豊島丸   ヱンタイ         一五〇     九四六、八一    五九七、六三   拾壱万六千八百弗 同    敦賀丸   タピンゴ         一一〇     八八〇、八〇    五一七、〇〇   拾壱万弗 帆船   金川丸   マドラス                           二五〇、五二   九万弗 



   合計拾三艘汽船十弐艘帆船壱艘百五拾七万六千八百弗
○郵便蒸気船会社の引継船にて駅逓局より貸下られたる船舶

図表を画像で表示郵便蒸気船会社の引継船にて駅逓局より貸下られたる船舶

 船種   船名      原名         公称馬力   総噸数      正味積高     買入代価 汽船   快鷹丸     アドレル        三〇     六五、〇〇    三八、五〇        同    黄竜丸     コロンビン      一〇〇    八一一、〇〇   六一七、〇〇        同    浪花丸     ブルカン        九〇    二五〇、〇〇   一三〇、四七        同    青竜丸     コクエツラ       九〇    五九一、一三   四五九、〇〇        同    赤竜丸     コイラ         八〇    六八〇、〇〇   四三五、七五        同    芳野丸     シテイオフハンコー   七五    三一〇、〇〇   二五〇、〇〇        帆船   淡路島丸    ウンデイーン                     五七一、七七        同    紀伊ノ国丸   ネボール                       九六〇、〇〇        同    須磨ノ浦丸   バハマ                        七一五、〇〇        曳船   江ノ島丸    ケボンダレム      五五    七八、六〇     四二、四三        庫船   万里丸     ダムバートン                    一四六一、〇〇        同    千里丸     チリー                       一四二三、〇〇        脚船   海運丸                                一一五、二六         以下p.69 ページ画像  学校船  成妙丸     アタラント                      三〇〇、〇〇        



   合計拾四艘 汽船六艘 船帆三艘 曳船壱艘 倉船二艘 脚船壱艘 学校船壱艘
外に

図表を画像で表示--

 汽船   大有丸    ウイルヘルミンヱンマ   七五   五八一、〇〇   三八三、〇〇         庫船   鹿児島丸   コスモポリツト            四五、〇〇    四二、〇〇         



   合計二艘
○政府の貸下金を以て同社に買入たる船舶

図表を画像で表示政府の貸下金を以て同社に買入たる船舶

 船種   船名    原名        公称馬力   総噸数       正味積高      買入代価 汽船   玄海丸   コスタリカ     三〇〇    一九一七、四三   一〇八四、〇〇   十六万弗 同    広島丸   コルデンヱージ   三二〇    一八六九、五六   一一五八、〇〇   十六万弗 同    名古屋丸  オレゴニアン    三一〇     一九一、四五   一〇九六、〇〇   十六万弗 同    西京丸   ネヴアダ      三三〇    二一四三、八二   一〇六〇、〇〇   二十万弗 



  合計四艘 六十八万弗
外に

図表を画像で表示--

 脚船   生田丸   ローズ                         四〇〇、〇〇   壱万弗 同    袖崎丸   シヤムロツク                      四〇〇、〇〇   壱万弗 



   合計弐艘 二万弗
○西南暴動の際大蔵省の貸下金を以て買入たる船舶

図表を画像で表示西南暴動の際大蔵省の貸下金を以て買入たる船舶

 船種   船名      原名            公称馬力   総噸数       正味積高      買入代価 汽船   秋津洲丸    モントゴメリーシヤイル   二〇〇    一七五一、〇〇   一一四六、〇〇   二十万弗 同    九重丸     キングリチヤルド      一九〇    一八二四、七八   一一三三、二八   十五万円 同    熊本丸     ガツトシール        二〇〇    一九一三、〇〇   一二四〇、〇〇   十八万弗 同    貫効丸     サカナ            五〇     二九八、三九    一九六、六三   弐万三千円 同    住ノ江丸    ヂユナ           一五〇    一三二〇、〇〇    八五二、〇〇   十三万弗 同    高千穂丸    ロタス           二〇〇    二一五二、〇〇   一四〇七、〇〇   十八万弗 同    玉川丸     スウオーナダ         二四      五六、〇〇     三四、〇〇   四千五百弗 同    和歌ノ浦丸   カンデヤ          三〇〇    二一二五、〇〇   一三四三、〇〇   十六万弗 庫船   愛宕丸     マスシリヤ                          一六四〇、〇〇   四万弗 同    桜島丸     ユニヲン                            五五八、〇〇   弐万弗 



   合計拾艘 汽船八艘 九十一万四千五百弗 庫船二艘 十七万三千円
     二口〆百八万七千五百弗
      内七拾万円ハ船舶買入として大蔵省より貸下金
○同会社の私有船舶

図表を画像で表示同会社の私有船舶

 船種   船名      原名           公称馬力   総噸数     正味積高     買入代価 汽船   千年丸     ツル            七〇   三一三、一七   二九三、〇〇        同    蓬莱丸     ミゴト           九〇   六〇〇、〇〇   四〇七、〇〇        同    田子ノ浦丸   シーヂヱーラキストル   一〇〇   六六二、〇〇   四四八、三〇        同    浦門丸     オリツサ          八〇   五〇〇、〇〇   二四四、七八        同    松前丸     ドラブン          九〇   六〇七、八九   四七二、六四        庫船   回平丸     ジヨルジマリー                     六〇〇、〇〇        曳船   繁栄丸     スパンキー         三五    八〇、〇〇    五〇、〇〇        脚船   二月丸     ニガツマル                        五〇、九四             高嶋  以下p.70 ページ画像       明津 汽船   弥彦      ヤヒコ           二〇    四五、〇〇    四二、〇〇        



   合計十一艘

右の表を観れば、三菱会社の取扱へる船舶は大小合計五十六艘なれど、此内より庫船・曳船・脚船等を除けは政府の貸下船及ひ貸下金を以て買入れたる蒸気風帆船に於て三十六艘、私有船に於て六艘、併せて四十二艘なるのみ、此外偕行社の滊船には第一凌波・第二凌波・速凌・静凌・運貨・安凌・光運・六甲・凌風・明凌丸の十艘あり、北海道運輸会社の汽船には函館・冲鷹・矯竜・岩内・玄武丸の五艘と風帆船には白峯・乗風・第一石狩・第二石狩・第三石狩・第四石狩・千島清風・西別・単冠丸の十艘あり、風船舶会社の風帆船には神倉・謙信・義経・田村・信玄・為朝・秀郷・一号回漕・二号回漕・正成丸の十艘と滊船にハ宿禰丸の一艘あり、船場会社(阿波国名東郡舟場町)の汽船には鵬勢・末広・長久・己卯丸の四艘あり、運漕社東京の汽船にハ通済・全済丸と風帆致遠丸あり、鴻益社(遠州城東郡池新田村)の汽船には謙受・鴻益丸と風帆於兎丸あり、其他静隆社(横浜)の三保・清川・静岡丸(共に汽船)あり、淡路汽船会社の第一淡路・第二淡路丸(汽船)あり、清輝社(四日市)の清渚丸(汽船)あり、杉村正太郎氏(大阪)の浦安・挟貫・無事・第一・第二瓢丸あれとも、就中運漕社・風帆船会社・運輸会社の船舶を除くの外は大抵裏海若くは近海を往復するの小汽船にして多くは旅客を搭載する迄に止まり、貨物の運輸ハ実に僅々の部分を領するに過きす、尚其他千足利右衛門氏(摂州今津村)の風帆船千足・皇国・海平・日本・全国丸、辰馬キヨ氏(摂津西宮)の風帆船神路・太平・宝満・安全丸、三井養之助氏(三井物産会社主)の汽船秀吉・頼朝、風帆船清正丸、楢原小右衛門氏(渡嶋国福山)の風帆船東雲・両全・通快・得撫丸、名越愛助氏(大阪)の風帆船京坂・大神・帆護・第一・第二・第三金護丸、五百井清右衛門氏(大坂)の風帆船宝寿・富国・第一・第二・第三・第四・第五報天丸、住友吉右衛門氏(大坂)の汽船康安・安寧、風帆船九十九丸等をはしめ一艘又は二艦の蒸気風帆船を所有し、以て貨物を運輸せる者亦尠きに非されとも、此等は概ね酒類・肥料・銅鉄・石炭の如き自家の商売品を転搬せんか為め備ふる所の船舶にして、一般の需要に供するには非さるなり
翻て又吾邦造船所の現況を顧みれハ、近時に至り西洋形の船舶を製造すること漸々逓加する者の如しと雖も、商業世界の為めに堅良の船舶を製し得べき造船所は(横須賀の海軍造船所、兵庫並に長崎の工作分局を除き)僅か東京に平野、川崎、神奈川に白峰、神戸に川崎及び「ヱーシー、カルビー」の五箇所ありて、此五所も猶各充全の造船場と謂ふべきものに非らさるなり、噫現在の船舶は斯の如く現在の造船所ハ斯の如し、誰か日本の海運事業を以て已に具足したりと言ふ者そ、吾輩ハ啻に其実際に暗く且迂なるを笑ハん而已
試に心を静め意を平かにして吾か日本の地形を看よ、宛然たる東洋の英国なり、又吾が物産の多寡を顧みよ、仮令其製殖ハ振ハさるも商売ハ盛ならさるも、其資材ハ却て英国よりも饒かなるのみならず、今将
 - 第8巻 p.71 -ページ画像 
に肥筑諸坑及び幌内岩内等の石炭、釜石の壙鉄、南北浜の海産類ハ年年山額《(産)》を増殖せんとするに非すや、又現に米ハ三千百三十五万九千三百二十六石、麦は千二百五十万三千零六十三石、雑穀ハ六百零四万九千三百二十七石余を産するの地に非すや、仮令或ハ良港に乏しく水利に富まさると云ふも、東西南北船舶の達せさる処ハ現に少れなるのみならす、近来ハ港湾を修築し運河を疏鑿せんとするの企図ハ処々に起るに非すや、好し此等の結果は急に之を見る能ハす、又事物の順序より推せハ此等の成果を得たる後始て箇の港湾運河に由り箇の殖産貨物を運輸するの船舶を要すへしとせん歟、今正に運輸の安全を期して運輸の需用を充たすに足るへき船舶の具ハらさるを奈何せん、況んや内外の通商を隆んにし、貨物の運動を進め、終に吾か日本をして東洋の英国たらしめ東洋の海王たらしめんと欲するにハ、先つ海運事業を拡張せずんハあらさるの実理あるに於ておや、是れ吾輩が席上論者の推理測算を棄てゝ荐りに吾か海運の改進を鼓舞する所以なり、因て此に彼我懸隔の甚しきに過くるを表せん為め、日英両国の船数及び噸数を掲げ、以て窃に同感者の奮起を促さんとす、即ち
日本 外国貿易に係る輸出入(明治十三年度の調査)
 輸入輸出合計六千四百五万六百五十二円
英国 内国沿海並外国貿易の輸出入(一千八百八十年の調査)
 輸入輸出合計六億九千七百六十四万四千三十一磅
日本 船数及噸数(明治十四年の調査)
     船数            噸数
 汽    三一二艘       四二、四六三噸
 風    三九四艘       四四、五八八噸
 和 一九、二八四艘      四七九、二五一噸
  合計一九、九〇艘《(九脱)》 五六六、三〇二噸

英国 船数及噸数(一千八百八十年の調査)

図表を画像で表示--

            船数        噸数 沿海貿易用 汽    一、三一七艘     二三六、三五八噸       風   一〇、六七七艘     六九三、五〇一噸 内外兼用  汽      一七九艘      六八、五九八噸       風      九八八艘     一三二、五三四噸 外国貿易用 汽    二、二九三艘   二、二八九、一七九噸       風    四、五一八艘   二、九二四、四〇七噸 合 計       一九、九七二艘   六、三四四、五七七噸 



此に由て観れハ、彼の輸出入貨物は内外貿易を合せて六億九千七百六十四万四千三十一磅の価に当り此貨物に対するに六百三十四万四千五百七十七噸の船舶を以て運輸の用を充たせるなり、我が輸出入貨物の調査は単り外国貿易の一方にして未だ内国沿海の輸出入物価額を精査し得されとも、仮りに低量の積を立てゝ外国貿易(六千四百五万六百五十二円)の三倍と見做すも一億九千二百十五万千九百五十六円に当るの貨物を出入せすんハあらず、今彼の噸数に拠て比例を立つるときハ我にハ恰も百七十六万千八百十九噸の船舶を要すへき者の如く、此内より現数五十六万六千三百零二噸を扣除するも尚百十九万五千五百十七噸の不足なりとす、商売の広狭と云い運輸の繁閑と云ひ、彼と我とは固より同日の論に非さるも、豈に斯の如きの懸隔を生すへきもの
 - 第8巻 p.72 -ページ画像 
ならん哉、亦以て吾々海運の如何を卜するに足るべし
吾輩は既に吾か海運の沿革及び現状を略叙したり、是より進んて更に今回創設の共同運輸会社に入らんとす、夫れ共同運輸会社を創設するの趣意は品川君の演説を以て窺ふに足るへく、吾邦海運の振張せざる可らさる所以は吾輩の筆述せし事実に就て徴するを得へし、乃ち玆に共同運輸会社を設けて大に吾が海運を張らんとするに至りたるは、吾輩の最も喜ふ所にして、吾か日本国の為め又吾か商業世界の為めに賀せすんはあらさるなり、然れとも此の会社にして、若し或は政府の保庇扶翼に甘んして知らす識らす其責任の重き其事業の貴き忘るゝ事どもあらんには、公私一般の利益功用を全ふする能ハさる而已ならす、竟にハ郵便蒸気船会社等に於けるか如き覆轍を履むこと無からんを保し難かるへし、是れ吾輩か前の喜に反して吾か日本国の為め、又吾か商業世界の為めに憂へすんハあらさる所也、蓋し之を喜ふの甚しき者ハ之を憂ふることも亦随て大なる者なれはなり、故に吾輩ハ先づ共同運輸会社の組織と性質とを明らかにし次て其目的とすへき所を論せんと欲するなり、読者諸君は幸に其贅を咎むること勿れ、抑も共同運輸会社は如何の組織に成り如何の性質を具ふる者なりやと云ふに、農商務省より下付せられたる命令書に拠て観れハ、政府の本旨は海運を興し平常非常に備へん為めに在りて、其第一条には政府に於て戦時非常に際し供用するに足るへき滊船及ひ帆船を製造し漸次本社へ交付すべし、其金額は先つ百三十万円とし、之を以て政府の株金に充つべしとあり、第三条には本社に交付したる船舶は総て海軍の附属と心得へし但臨時海軍卿の命令に依て徴集する事ある時は相当費用を給すべしとあり、第五条には戦時及び非常の時ハ本社の都合を問はす政府に於て其各船(政府より交付したる者と否とを問はす)を使用する事あるべしとあり、第八条には本社の資本金は先つ以て三百万円とし、其百三十万円は政府に属し他の百七十万円は成るへき丈け広く各地方より募集すべしとあり、第九条には資本金三百万円の内弐百三十万円は滊船に、六十万円は帆船に、拾万円ハ営業資本に供すべしとあり、第十一条にハ正副社長及ひ取締役は株主中より公撰すべしと雖も政府に於て認可するに非されは上任することを得す、但正副社長に限り創立第一期(創立の日より三個年を以て一期とす)中は政府に於て特選するものとすとあり、第十二条には本社に於て汽船・帆船を新造し若くは既製の者を購入せんとする時は予め政府の許可を受く可し、但汽船は二個年以上を経過せし者を購入することを許さすとあり、第十四条には例式及ひ臨時の総会に於て決定したる事件は政府の認可を得るに非されは之を執行することを許さすとあり、第十五条には本社の業務及ひ帳簿は政府に於て常に監督官を命し若くは臨時検査官を派出して之を検査せしめ不整の件あれハ之を矯正せしむへしとあり、第十六条には本社の各船及ひ機関は政府に於て常時又は臨時検査を為し危険不安の者ハ之を修繕せしむへしとあり、即ち是れ命令書中の骨子にして共同運輸会社の組織及ひ性質ハ自ら此条款内に包含しをれハ敢て他の解説を須ふることを要せず、宜しく右の各項に就て其組織と性質とを弁了すへきのみ、而して已に斯る組織に成り斯る性質を具ふるの会社たる
 - 第8巻 p.73 -ページ画像 
以上ハ、必すや此に由て以て其目的を定め其規則を立て、而後其本務に従事し其社業を経営せすんハあるへからす、該社の発起人たり又株主たらんとする人は固より之を識れり、何そ他の喙を容るゝを俟たんや、然りと雖も其目的及ひ目的を達すへき業務の上に関してハ吾輩之を黙止する能ハさるなり、何となれハ従令其目的ハ之を相同ふするも目的を達するの道に至てハ各異なる所あるへけれハなり
然らは則、其目的は皆相同しき乎、曰く、然り、政府ハ吾か海運の振興を促さんが為め適良の船舶を造り之を平変の両途に供用せんと欲するに在る而已、共同運輸会社ハ専らに其旨意を奉体し其命令を遵行して吾か海運の振興を助けんと欲するに在る而已、吾輩の望む所も亦固より此に出てさるなり、唯此目的を達するの働を為し、其働をして滑かならしむるの責は、之を共同運輸会社の任なりとす、此の会社にして已に此の責任を負へり、何為れぞ之を尽さゞる可んや、是に於てか其目的を達せんと欲せは先以之を達すへきの道を講せすんはある可らすと雖も、其道たる啻に一ならされは、吾輩は爰に其最も邇く最も覩易きものに就て、数箇の要目を挙け以て共同運輸会社の注意を乞はんとす
即ち第一にハ、株主の募集を広くし(命令書第八条に云く、広く各地方より募集すべし)且之を公平にして情実に泥むこと勿く偏私の取捨を為すこと勿からんを要す、蓋し政府は特に社員其人を保庇せらるゝに非す、単に社業其事を扶翼せらるゝなれはなり、第二にハ、会社の業務を委ぬへき人物を得ることを要す、但し其正副社長は創立第一期中政府に於て特撰せられ、人を視るの明らかなる政府の特撰たれは、必すや適任の人を得らるへしと雖も、又株主中よりも数名の取締役を公撰することなれは正副社長と万般を謀議し、細大漏らす所にあらさるへきも、支配人以下の諸役員を撰定するにハ殊に用意を周密にせすんはあらす、事を行ふは人に在り、人の其任に適せすして事の挙かりたる者ハ未た之れ有らさるなり、況んや私情に牽かされて漫に冗員を置くが如きことあるをや、第三にハ、船舶の購入若くは製造を慎重にすへし、人物の撰任は若し其当を得さるも之を更改するや亦太た難きに非さらん、唯船舶に至ては一旦不利不良の者を購入し若くは製造せん乎、之を如何ともすること能はすして、之か為め終に会社の全敗を致す事あらんも知るへからす、近時欧洲造船の進歩を看よ、其船体は木造に代ゆるに鉄を以てし、鉄に代ふるに鋼を以てし、其機関は之が作用装置を軽便にして水火夫の使役を省き、石炭の消費を減し、船足には水を用ひ、船灯には電気を須ふる等一々枚挙するに遑あらさるなり、此等は皆載貨搭客の為めに便利と安全とを図り、航業社会の為めには其費用を節減せしめ、其運賃を低廉にするも尚利益あらしむるを目的として種々の工夫を為し、遂に斯る新発明を加へしに非すや、故に此の新発明に係らさるの船舶ハ、之を運転するに夥多の費用を要し、得る所の利益も自ら少なきより、持主は此不経済の老船を売却して利益多き新船に代へんとするの念を生し、未た航業の進歩せさる東洋諸国に放売し、東洋諸国を以て老船の売場と為さんとするの情勢ある者の如し、現に太平海其他の航海に用ふる滊船に於ても今尚老朽の
 - 第8巻 p.74 -ページ画像 
船舶なきに非されと、必すや新製のものを加へて損益を平均し、古様の船を売却して日に新船を構造せんとするに相違なかるへきなり、今日より之を思へハ、太平海郵船会社の三菱会社と競争せしも、其本意ハ老船を売却せんと欲するに在りて、敢て航海の利を彼れに専にせんとするにハあらさらん、当時若し三菱会社をして此の如きの事情と斯の如き新発明の船あることを知らしめしならは、玄海・広島其他の郵船を購入せさるへきも量られす、或は三菱会社ハ時機の急劇に促され不得已目前東洋に在る所の船舶を購入せしものなりと云ふと雖も、吾が航業社会に取りては遺憾と謂ふへき事どもなり、政府ハ此に見る所あり、命令書第十二条に於ても滊船は二ケ年以上を経過せしものを購入することを許さすと明示せられたり、考へさるへけんや
第四には、現下内国沿海の航路及ひ港湾は如何、向来外洋遠航に着手せは如何を思量し、以て船舶を購入し若くは製造せすんはある可らす、何となれは、外洋遠航は姑らく置き偏り内国沿海のみを以てするも、北海にハ此様の船舶を要し、南瀛には彼様の船舶を須ふと云ふが如く、各航路港湾の異同に因て其彼此を択ひ其適否を斟酌するに非すんは、仮令船舶ハ堅良の新造なるも、小大適はす過不足宜を失ふの不都合を致し、会社の利病得喪に関する亦尠きに非さるを以てなり、之を要するに会社は先つ須らく此等の事に熟練したる人を撰んて船舶購造の委員を置き設へは、其新たに船舶を造らしめんとする時は、吾か航海に的当すへき船舶の様式原図を作り、之に欧洲の新発明を添へ、以て可成丈け利便の者を造るに勉めすんハある可らさるなり、第五には、戦時及ひ非常の際に当りて其船舶を政府に使用せらるゝときは直ちに其命令に応せさるを得す、又平常は商業世界の海運に任して其利益安全を計らさるを得されハ、恒に船舶の補理修繕に注意し、保護の受くへきハ之を受け、義務の尽すへきは之を尽さずとの動議を招き誹斥を被る様なる事勿らんを戒むへし、第六には、政府の保護を頼みとして輙もすれは当路の権門に夤縁し、或は自から強大の会社と為して三菱会社の如く既に一大会社を成せる者と拮抗し、自然驕傲奢糜に流れて世間の笑を取り、或は金融の自在なるに任せて陰に他の職業を侵し(命令書第十条に云く、他の業務に干渉すへからす)其本務を疎かにする様の行為勿かるへし、第七にハ、機に乗し勢を恃んて妄りに同業社会を圧せんとし、三菱会社が曾て郵便蒸気船会社と相軋り、尋いて又清水港に跋扈し、今尚四日市港に競争するか如きの私威私利に拘々とし、人をして更に一の専権会社を生したりとの歎を発せしむること勿らんを警むへし、第八には、本社の重もなる株主は政府なり、本社の船舶は海軍の附属なり、海軍兵学校の卒業生徒が実地演習を為すの官用船なり、本社の正副社長ハ政府の特撰たり、尋常普通の運漕会社と比視すへからさるなりとの威張り了簡を抑制し、百事親切を旨とせすんはある可らす、否らされは其弊害を醸すや実に少小に非さるへく竟に或ハ失敗の基とならん、第九には、勉めて載貨搭客の取扱を丁寧にすへし、殊に載貨の取扱にハ吾邦未だ欧米諸州に於けるか如き軽便の滊機を以てするには非す、箇々人手に依て舷口より揚卸を為すことなれは、屡々之を失墜毀傷して或ハ貨主に要償せらゝる事もあり、啻
 - 第8巻 p.75 -ページ画像 
に其要償に応して会社の利得を減する而已ならす、一般に其取扱の粗略を評せらるゝに至るが故、荷物掛等にハ予て之を心得しむるを要す吾輩の験知する所に拠れは、取扱方(載貨搭客を併せて言ふ)の厚薄は則ち信用の得失を表し、信用の得失ハ則ち会社の損益に関し、若し一たび信用を失ひ会社に損を負ふに至れバ、其船舶ハ堅良なるも其運賃ハ低廉なるも、一随に人の嫌忌する所と為り、容易に之を回復すること能ハさるなり、鑑ミすんハあるへからす、第十にハ、浪りに勢力を藉りて貨主を箝束せんとし、或は貨主の不便をも顧みすして恣に運賃を左右し、因て遂に貨物の交通運転を妨くるに至るの悪結果を生せしむる事勿らんを記臆すへし、此他尚共同運輸会社に向て注意を乞ハんとするの事項は小なきに非されと、其は之を他日に譲り、只其目的を達するに緊急ならんと心附しものを贅すること斯の如し、若し夫れ吾輩の意見に齟齬せし所あれは、請ふ指教を吝む勿れ



〔参考〕中外物価新報 第五六一―五六六号〔明治一五年一〇月二六日―一一月七日〕 【共同運輸会社に対する…】(DK080002k-0023)
第8巻 p.75-80 ページ画像

中外物価新報  第五六一―五六六号〔明治一五年一〇月二六日―一一月七日〕
共同運輸会社に対する岩崎弥之助氏の意見書なりとて自由新聞に掲載ありしか、三菱会社より右は事実相違に付取消を同新聞へ申入れたりと、然るに自由新聞にては更に取合ず、続々掲載するを見れば、反て事実ならんと信ずべければ、掲けて看官の高覧に供す
 頃日仄に聞く、我か政府は本邦海軍拡張の為め国庫より巨額の資本を支出し、一の滊船会社を起さんとすと、蓋し政府は運輸航通の道を盛にし以て邦家富強の基を図らるゝの意ならん、夫れ運輸航通の邦家富強を助くるは素より論なしと雖も、其事業の順序方法を誤るときは、其利なくして却て大害を招くや必せり、今や窃かに考ふるに、我か政府に於て新に滊船会社を起すは、是れを既往の経験に参し又将来の事情に照すに、其害ありて其利あるを見ざるなり、凡そ天下の事たる、固より其利害を兼ねざるはなし、而して今此の滊船会社設立のことたるや、未だ其利を見ずして徒に其弊害の多きものと云はざるへからす、請ふ、本邦海運既往の経歴に就て其理由を説かん、抑明治四五年より七八年に至るまて滊船回漕の形況たる、郵便蒸気船会社と三菱会社とありて互に相敵視し、共に旅客貨物搭載の多きを争ひ、妄りに其運賃を逓減し、其収納金の薄き、船舶尋常普通の修善をも為し能はさるに至る、其弊害は延ひて他の一艘若くは二三艘を有する船主に迄連及し、或は破産するあり、或は廃業するあり、其存するものは何れも船体器械の完全不完全を顧みるに暇あらす、此の時に当て米国太平海郵便会社は内海に跋扈せしと雖も我が回漕者は此外敵に当ることは度外に措て顧みす、只鬩墻にのみ精神資力を費すを以て、我が政府は大に此れを憂へられ、百方其間を調和して各船主をして破産の惨状を免れしめんことを勉められたりと雖も、各経済利害を異にするを以て実地の勢卒に其成功を見る能はさりしか、偶々七年台湾の征討あり、尋て支那政府と葛藤を結ひ、多数の運送滊船需用の急なるに臨み、内国諸滊船は此の競争の為めに修善を怠り、概ね腐朽孱弱にして其実用に供すべきもの甚た
 - 第8巻 p.76 -ページ画像 
稀なりしを以て、政府は不得止新に多数の船舶を購入せられたり
 抑此郵便蒸気船会社なるものは、四年廃藩置県の際各藩主か有せし所の船舶を政府に引き揚げられ、其船舶を以て此の会社の組織の資本として下付使用せしめられたるものなれば、当時にありては政府が此会社に与へられたる保護は頗る優握なるも、彼の競争に因て漸漸疲弊し、会社維持の成敗に就き烏合の社員各々疑懼の念を起し、自己の利益を先にし、会社の営業支配方に於ては復た規律法則あることなく、終に永続すべき見込なきの状を呈せり、於玆乎、政府は七年征台の役に新に購入したる船舶を彼会社に依托せず、却て三菱会社に付托せられたり、其翌年に及び果して彼の会社は全く瓦解しるに至れり、蓋し此瓦解たる、業に厳格の規律なく社に有為の人物乏しきに因ると雖も、専ら彼の競争の結果其第一の病根となりしや疑ひを容る可らさるなり、又現今に於ても大阪以西の滊船競争の弊害、及ひ琶琵湖船軋轢の有様、其利害得失は世人の能く知る所なり、此の諸船孰れも軋轢甚敷、其不堅牢の船舶を以て乗客貨物の多きを争ふのみならず、各地発着の遅速を競ふか故に、往々世人の其危害を被ふる者少からず、此れ即ち政府に於ても現に憂慮せられ、取締の方法を講じ、之を検束して危害を救はんとせらるゝ所のものなり、嗚呼此の惨状たる豈大息せさるへけんや、夫の八年前競争盛なるの時に当てや、恰も今日大坂以西及ひ琶琵湖の現状と異なることなく、其儘に放棄せは多年を出すして本邦滊船の船主たる者は跡を絶つへきの有様なりしを以て廟議一決し、三菱会社に命令書を下して之を保護し、沿海の運漕を掌らしむるの約束を堅ふし、亦た郵便蒸気船会社を解散して三菱会社に合併せしめ、以て大なる競争の惨状を救はるゝに至れり、三菱会社は明治の初め創業の際より競走に際会すと雖も、其初めや政府の勧誘によりたるに非す、政府の保護を仰きしに非す、全く不覊独立飽迄海運の業を張らんと欲するの主旨に基き刻苦経営中、七年征台の役起りたるを以て政府より海運の事務を依托せられたるの光栄を得、尋て八年命令書を下附保護せらるるの場合に至りしは、当時政府に於て競争の弊害を憂慮し之れを救済せんと欲する政策の結果に出てられしものなるべし、其後太平海滊船会社及び彼阿滊船会社を内海より攘除し、我が航権を維持せしも、畢竟政府に於て競争の不利大害を洞知し前後保護せらるゝの厚きに依て、幸に勝利を占めし者なり、此の時に当て政府内外競争の弊害を憂慮せらるゝや至れりと云ふへし
 其後、十年西南の役起るに及て、其兵隊の差遣、兵糧器械の運搬等頗る急需且つ頻繁なる要務に遇ふと雖も、終始これを弁するを得て其軍機を誤らさりしは、政府が嘗て船舶競争の弊害を憂へてこれを保護し、既に二三年前此の弊害を免れしめたるを以て、当時諸船舶の修理営善稍々整々なりしに由れはなり、若し此軍をして八年以前競争尤も盛なるの日にあらしむれば、焉そ其腐朽孱弱の船を以て当時の如く軍務頻繁の急務を弁することを得んや、此れ皆大なる競争なきの由て来す所なり、是に由て之れを観れは、則其競争の弊害たる彼れの如く、其競争なきの利益たるや此の如し、此れ皆政府が従
 - 第8巻 p.77 -ページ画像 
来審視熟知せらるゝ所のものにして、亦喋々を要せさるなり、然るに今や政府は前日の廟議を改め、新に滊船会社の創立を奨励翼賛して競争の道を開かんとせらるゝは果して如何なる政策ぞや、既に上に陳せしか如く、政府は元と本邦回漕者は競争の為めに終に成立し得へからさるを憂慮せられし末、八年三菱会社に海運を拡張せしむへき命令書を下し、之を保護するの約束を堅ふし、此の大業に当らしめ置き、今尚其期限半なるに新に巨額の金員を国庫より支出し、一の競争を惹き起さんとせらるゝは如何ぞや、三菱会社は今日未た創業中の経劃なれども、我が内海にては稍々其の基址を堅ふし、他の回漕に従事する者に比すれは或は大成せし観を成すものなきにしもあらすと雖も、此れを外国の回漕者に比すれは未に微々たるものにして、固より幼弱の地位を免れさるものなり、今此の幼弱なる三菱会社か能く海外の回漕者を防き、我か内海に来り跋扈せしめざるものは、幸に内に大なる競争者なきと、十数年間実地習熟の功により、海員の取締船舶支配の方法等稍々其当を得たるによれはなり、今若し政府より新たに滊船会社を設立し、大にこれを保護せらるゝことあらは、双方の勢自ら競争の惨状に陥り、今日漸く前進の気運に向はんとする航権の萌芽を挫き、終に八年以前の況状に至るや疑をいれす、此時に当て、若し一朝海の内外に事あらんか、何を以て運送の用に充てん、双方競争の疲弊を見て外船来て我か海岸に跋扈せんか、何を以て之を防かん、実に嘆息すへきことならずや、故に曰く、今日政府が国庫より出金して一の滊船会社を奨励設立するは、其害ありて其利あるを見ざるなりと、抑三菱会社か八年政府の命を奉してより以来、六七年間海運の事業拡張の外他念なく拮据黽勉し、幸に其の事業も漸次進歩し、内地の要所は論なく、上海香港迄も航路を張り出すの場合に至りしか、此間世上一二の反対者なきにあらされとも、輿論は敢て三菱会社を不是とせず、啻に之れを不是とせざるのみならず、大に国家に有益のものとせしが如し、然るに昨冬以来世上反対の徒は俄に気勢を倍し、囂然群起して種々の浮説を擅にし、三菱会社を誹謗したり、遂に政府より三菱会社に向て八年下付せられたる命令書改正のことを告けられたり、然るに此命令書は、其期限未だ半にして政府に於て今日改正を命せらるべき理なく、三菱会社に於ても亦甘従すべき理なしと雖も、政府に於ては三菱会社を検束妨害せらるゝの精神あるに非す、益々之を永遠に保護するに付き、嘗て下付せられたる命令書は其箇条疎闊にして其細密を尽さゞるを以て、今日世上に於て唱ふる所の三菱会社は政府の保護を受くるも之に対する義務を尽さゞるとの誹謗を防くに足らざるを以て、命令書の改正は止むを得ざるに出るとの懇諭を受けたり固より三菱会社に於ては政府の保護に対するの義務は悉く之を尽せるを以て、命令書の改正は実地に要用あるを見すと雖も、一犬虚を吠へ万犬実を伝ふるものなれは、三菱会社は斯の如き浮説の為めに政府を煩はすを屑とせさるのみならす、政府に於て其浮説を予防し益々永遠に保護せらるゝとのことなれは、豈其期の満不満を以て之を拒まんや、速に其命に随ふを以て、即ち本年三月更に命令書を成
 - 第8巻 p.78 -ページ画像 
定下附せらるゝに至れり、然るに今日政府に建議或は慫慂し別に滊船会社を設立せんとするの徒は、更に実際を顧みす、其説の第一に曰く、本邦は周囲海国にして海運は尤も盛にせさるへからす、今や沿海運搬の権は独り三菱会社か掌握したるを以て、旅客貨物の運賃も不当高価にして、為めに物産停滞す、故に政府より誘導奨励して別に一の滊船会社を起さゝるへからすと、其第二に曰く、三菱会社の運賃は海外諸国沿海の運賃に比較すれは其割合甚た高価なるか故に、別に滊船会社を起せは現今の運賃は大に低落すへしと、其第三に曰く、三菱会社は我儘なるを以て、一朝事あるの日に当て、不当高価の運賃を貪ほるにあらされは政府の命令をも奉せさるへし、故に三菱会社の外に政府に於て別に一の滊船会社を保護設立して有事の時に当て、自由に之を使用するの約束を堅ふせさるへからずと、其第四に曰く、我邦運搬の業に従事する滊船其数甚た少く、為めに商品停滞せり、是れ又別に滊船会社を必要とする所以なりと、嗚呼甚しい哉、説者の世を惑はすや、而して我政府当路の人も或は斯くの如く誹謗浮説を信し、三菱会社を永遠に保護せらるゝの精神を変せられ、今日滊船会社設立の議も起りしならんか、請ふ、其説の実際に違ふことを弁せん、其第一説に、三菱会社を目して独り航海権を専にする者なりと云ふと雖とも、現状に就て観察すれは決して否らず、大阪以西に数十艘の滊船あり、東京より四日市に北海に南海に各々数艘の滊船あり、而して横浜・神戸・長崎・香港の間に彼阿会社あり、其他外商臨時の滊船常に数艘往復するあり、三菱会社何そ独り専横を恣にし高価の運賃を貪ぼるを得可んや、然りと雖も、今仮りに三菱会社か航権を独占し不当高価の運賃を貪ぼるものとせんか、第三命令書第十条に曰く、内外各線路や運賃額不当なるときは相当の額に釐革せしむることあるへしと、故に若し運賃不当高価なるときは政府に於て之を釐革せしむるの権あり、何そ新に滊船会社を起すを須ひんや、且第三命令書第一条に曰く、其社の本業は海上運漕を専にし決して商品売買の業務を営むへからすと、政府は特に三菱会社をして専ら力を海漕にのみ尽さしめんとするの精神を以て、故らに如斯箇条を設け之を保護するものなれは、三菱会社が船数を増加し益々海漕の事業を拡張するは政府保護の意に背かさるものと謂ふへし、然るに今別に滊船会社を創立して競争の道を開き、其進歩の力を挫かれんとするは謂はれなきことならすや
 第二説に、三菱会社の運賃を目して海外諸国沿海の運賃よりも高価なりと云ふと雖も、是亦事実を知らざるの説なり、元来本邦沿海の運賃と海外諸国の運賃とは、其運搬の習慣、港湾の整否及ひ物価の高低より其割合に於て自然に差異を生せざるを得ざるものあり、外国に於て滊船を往復する港湾は避風の便利も備はり、大抵滊船を陸地に横接するを得る良港ならざるはなし、且つ其運漕貨物を授受するの便利大小完備せるものなり、本邦貨物取扱の習慣は則ち否らす、例へは大阪より東京に運輸せんとする貨物は、大阪に於て之を回漕者に托し、回漕者は滊車を以て之を神戸に送り、神戸より本船に積移し、而して之を品川に回漕し、更に又艀舟に移し、遥に深川
 - 第8巻 p.79 -ページ画像 
又は日本橋に陸上けして、然る後始めて回漕者の義務を果せりとす、其陸運費・人足費・艀舟費とも総て運賃中に含蓄せり、又我か港湾、船舶の碇泊場は大抵海岸を距ること数十丁若くは数里の沖にあるを以て碇泊の船舶は名状すべからざる困難あり、仮令は既に碇泊せし船と雖も、風浪に堪へすして他方に避け、又は風浪の為めに空しく数十日間碇泊することあり、又本邦回漕の貨物は孰れも荷造の不完全なるか為めに、本船より艀舟に移し遠く之を陸上けするの際、或は盗難に会ひ、或は濡傷毀損を生し、為めに貨主へ弁償する等の如き、外国に於ては絶無稀有に属するもの本邦にては通常のことなり《(と脱カ)》居るもの枚挙に遑あらず、加之、英国の如きは船舶製造修善の原質及ひ工価頗る低廉にして、且其航海に要する石炭其他の需用品総て本邦に比すれは低価ならざるものなく、海員の給料も亦其熟練に比すれは大に低廉なり、今本邦に於ては否らす、船舶を製造又は修理するには多く海外より輸入したる高価の原質及ひ不廉の工費を要し、或は特に海外に注文し途中許多の冗費を散して製造又は修理したる船舶に高価なる石炭及ひ不廉の輸入品を需用して、未熟の海員に多額の給料を費す等、総て船舶維持運転の費用に付き彼れより増加せざるものなし、是等の原由に由て、其運賃割合の西洋諸国より高きは素より当然のことなり、苟も此便利慣習の差違なけれは、今日の況状西洋諸国に比するに決して高価にあらざるなり、若し論者の言の如く競争を以て妄りに運賃を低下ならしむるときは、徒らに船主をして損亡を蒙らしめ、其事業を毀傷退歩せしむるに過きさるのみ、故に政府に於て新に滊船会社を起すは海運の業に益なくして却て害あるものなり
 其第三説に、三菱会社は我儘なるを以て、一朝事あるの日に当て不当高価の運賃を貪ぼるにあらされは、政府の命令をも奉せさるへしと、然るに第一命令書第三条に曰く、平常非常に拘はらす、政府の要用あるときは右各船は社務の都合を問はす使用すへしと、又其運賃割合は政府に於て予定して既に第三命令書に明記せられたり、故に三菱会社は不当高価の賃銀を貪ぼることを得ざるのみならす、政府使用の時に当ては何時にても社務の都合を以て其使用を辞することを得ざるなり、何そ今日政府より奨励して別に滊船会社を設立するを須ひんや、其第四説に現今本邦沿海運搬に従事する滊船の数甚少く、為めに商品停滞せり、是れ別に滊船会社を必要とする所以なりと、是れ又其実際を知らざるの空論なり、今日本邦に於て滊船の欠乏を告くるに一ケ年間僅かに七八九十十一十二の六ケ月にして、其他の六ケ月は其数甚た余りあり、蓋し北方諸道の沿海は天候気節に関りて汽船の回航を得さるか故に、七月以後の六ケ月内に輸出入の物貨は悉く之を運せざるへからす、因て各所共に此時を以て一時滊船の欠乏を嘆すと雖も、若し此か為めに叨りに滊船を増加せは他の六ケ月間北海滊船の回航を得さるの日に至り徒に碇泊せざるを得す、此の如くなれは如何して滊船を維持すへきや、凡そ滊船維持の費用たる、航海と碇泊上を比較するに大なる差等あるとなし、故に回漕者は常に商業進歩の活機に注意し、年中甚しき過不足の患なか
 - 第8巻 p.80 -ページ画像 
らしむるを以て目的とし其宜を制せり、若し果して一年の中六ケ月の繁劇を見て滊船は常に不足せりと皮想し、叨りに之を増加せは、他の六ケ月間載貨なきの時に至て維持の費用に困難すへし、故に商業の進歩に注意せす一時多数の滊船を増加せんとするは実地に暗き説にして取るに足らざるものと曰ふへし、然りと雖も、今仮に之を一時に増加せざるへからさるものとするも、政府より巨額の金円を支出し新に滊船会社を設立せんとするは謂れなき事ならすや、何となれは、政府より三菱会社へ下附せられたる第三命令書第四条に曰く、其社の滊船は正味登簿噸数二万二千噸を最下とし、之より増加の目的を以て旧船を改良し新船を製造し或は買入以て漸次老船と輪換せしむへしと、抑此の条たるや、政府は実地本邦商業進歩により三菱会社が毎年三千噸を目的とし年々力の及ふ丈けの船数を増加せんことを希望せられし末の箇条なれは、則ち政府に於て新に滊船会社を起さんよりは寧ろ他に与ふる丈けの便利方法を以て之を三菱会社に与へ、増船せしめらるゝこそ至当のことなるへし、是に由て之を観れは、我か政府は何の故を以て新に競争者を設け、明治七八年の惨状を再ひ今日に起されんとせらるゝや、実に解すへからさるなり、今日漸く海外に向て萌芽を顕はさんとする我か航権をして、同胞自ら相競ひ鷸蚌互に相闘はしめは、外人是れに乗して漁夫の利を占むるや疑なきなり、今日我が政府に建議或は慫慂して滊船会社を新創せしめんとするの徒は、多くは名を沿海運輸拡張に藉りて政府の聡明を惑はし、且開設の時に当り滊船の買収其他創業の際先つ自己の利を射んと欲するものに非れば、必す之を藉りて三菱会社を毀損せんとする反対の徒に外ならす、決して誠の愛国心より出るものに非るなり、故に我か沿海現今の形状を以て之を観るに、政府より奨励保護して別に滊船会社を設立せらるゝは今日の要務に非す、啻に要務に非さるのみならず、其弊害の大なるものなり(畢)
  ○共同運輸会社設立ヲ沮マン為メ、岩崎弥之助ガ岩倉右府及ビ野村駅逓総官ニ差出シタリト云ハルヽ右ノ三菱会社ノ意見書ニ対シ、其筋ニ於テ右意見書ヲ以テ徒ラニ彼ガ妄説ヲ逞シクシテ私曲ヲ庇ハント欲スルノ心情ニ出デタル所為ナリトシ、三菱会社ヘ与ヘラレタル弁妄書ヲ作リタリ。此弁妄書ハ同ジク明治十五年十一月十四日―十二月二十六日付中外物価新報(第五六九―五八九号)ニ掲載アリタレドモ、ヤヽ煩鎖ニ亘ルヲ以テ省略ス。而シテ右両書ハ当時「無類保護三菱会社内幕秘聞録」トシテ公刊セラレタルアリ。